香港と中華思想


2019/7/6

香港と中華思想

 
ここ1月ほど香港の政治活動が活発に行われており、香港の立法府に若者たちが乱入した様子が報道などで、伝わってきている。
香港の地域政府が「中国政府への身柄引き渡し条例」を制定することを議会に提案したから、である。
 
香港は秋田県ほどの面積に、埼玉県の人口ほどの740~50万人程度が生活している独立性の高い地域である。
香港はかつて帝国主義時代のイギリスによって占領され、99年間割譲された地域であったが、それが20年近く前にやっと返還されたという歴史を持っている。
中国の立場に立てば、元々の自国に戻されただけだという面を持っているのである。
 
ところが同時に、香港は台湾同様に中国共産党の政府が出来た時に、そこから逃れてきた人々の受け皿になっていた面があるのだ。更に中国の内戦後は天安門事件以降逃れてきた人々も加わり、現在もウイグル族などの少数民族で漢人の支配から逃れてきている人達も、含まれているのである。
 
 
そのような社会的政治的環境の中の香港で、今回の「中国政府への身柄引き渡し条例」騒動が勃発したのである。
この条例が全体主義という政治体制をとる中国政府の強い意向であることは、必然性を持っている。何故ならば全体主義社会では答えが一つしかなく、多様な価値観や政治体制の存在を認めないから、である。
戦前の日本がそうであった様に、中国や北朝鮮のような全体主義の政治体制をとる国では、自国の体制を維持するためにはこの種の条例は必然性があるのだ。かつての日本では「治安維持法」がその役割を担った。
 
中国とイギリスは香港を元の中国に返還するにあたり、50年間の移行期間を設け「一国二制度」の政治社会体制をとることで合意していたのだが、中国の政治指導部は無視して前倒ししたいようなのである。何かを焦っているのかもしれない。
 
そういうことで今回の衝突は、香港の支配を強化しようとする全体主義の中国政府と、出来るだけ民主主義や多様性を維持し続けたい、香港の740・50万人の住民との衝突であり、綱引きなのである。
 
 
               
 
 
 
今回の騒動で、たぶん香港政府はこの条例を撤回することに成るであろうが、中国政府のその政治的意思は基本的には変わらないであろう。
したがって香港が現在の「自立性の高い非全体主義の地域」から、完全に中国の全体主義の一部に移行しようとするプロセスにおいて、この問題は繰り返され再燃することが予測される。
 
更に移行期間50年経過後の時に起こりうる事態としては、その頃にはひょっとして800万人くらいに膨れているかもしれない、「香港人」の世界中への拡散であり、中国政府へのレジスタンスであろう。
そのレジスタンス運動の進捗によっては、中国国内に潜在している少数民族のレジスタンス運動への波及や飛び火が推測される。
 
そのような事態に成った時、現在の中国政府はいったいどうなるであろうか?
かつてのソ連邦が崩壊した時に起きたような、民族主義の勃発による現在の中国の枠組みの崩壊、すなわち周縁地域の少数民族の独立による新たな国家の誕生であろうか?
それとも現在の香港と同様に、特定の地域や少数民族の自治権を大きく認めた自治政府の誕生であろうか?
仮に後者であるとしたら漢人による支配が続く形態は、どのように変貌するのであろうか?本来はモデルとなるはずであった「一国二制度」は踏襲されるのだろうか?
など課題はまだまだ残るであろう。
 
 
その際に問題に成るのが「中華思想」ではないかと私は想っている。
中華思想というのは、自らを世界の中心と位置づけ周囲の東西南北にはそれぞれ
「北狄(ほくてき)」「東夷」「南蛮」「西戎(せいじゅう)」という外敵が居る、といった考え方である。
 
具体的にはそれぞれ「満州/蒙古」「日本/朝鮮」「ベトナム/カンボジア」「ウイグル/中央アジア」といった国や地域がそれに該当する、のだろう。
 
実際のところ中国はこれまでも「西戎:古代の秦」「北狄:モンゴル/清」「東夷:日本」に侵略された歴史を持っている。したがってこの外敵に対する懸念は実にリアリティのある話ではあるのだ。
 
 
そしてこの「中華思想」の根っこから生えてくるのが「自民族中心主義」であり、「周辺国への警戒及び攻撃的な姿勢」である。より民族主義的な思考が基本にあるのである。
さらに言えばこのような思想が根っこにあると、「中国世界中心主義」や「四囲への拡張主義」が生まれてくるのは自然の成り行きでもある。
現在東南海への進出を盛んに試みていることや現代版の「シルクロード」と言われている「一帯一路」政策が誕生するのも、この思想の現れなのであろうと私などは理解している。
 
更には「中華思想」にはもう一つの考え方があるようだ。
それは自らのよりどころを「中核」に据えて、それらを取り囲むように「内臣=直接の臣下とする地域/人々」その外側に「外臣=その周りで内臣に準ずる地域/人々」を置き、そのさらに外側に「朝貢する国家/地域」を配する、といったような考え方だ。
かつての朝鮮や日本などは、この「朝貢する国」という位置づけだったようなのである。
 
この重層的な四色の飴玉のような空間的拡がりの国家観も、「中華思想」の一つなのである。この考えを適用した場合どこ迄が「内臣」で、更に周縁の自治権の高い地域/国家「外臣」はどこどこになるのか、形を変えた「朝貢国家」はどこに当たるのかといった思考で、それぞれの地域や国家についてのポジショニングを行うのではないかと、そんな風に私は想像するのである。
 
 
                 
 
 
いずれにせよ香港や少数民族の問題、更には「一帯一路」政策によって影響を受ける国々、すなわち新しい名称の「朝貢国家」の国家の在り方は、この「中華思想」が大きく作用するように、私には思えてくるのである。
 
そしてこのことは赤い帝国主義を標榜する中国の政治体制が変わったとしても、大きくは変わらないように思える。何故ならこれはイデオロギーの問題ではなく、世界観の問題だからである。
 
アジアの最東端である「東夷」日本の西側に存在する大国、中国という国家及びその民族はこのような世界観や思考回路を持つ、国であり国民であることを認識しておく必要があるように私は想っている。
しかしこの事実に対しては、あまり短絡的な民族主義的思考で反応するのではなく、冷静に社会科学的に認識することが肝要であることを忘れてはならないだろう。
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 



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