昨日の夕方、6時を過ぎたころの事である。
我が聴囀楼の南に広がる牧草地を、周りに注意を払いながら歩む四頭のエゾシカが現れた。
紋別川という、日高山脈に源を発する川の土手沿いを歩いてきたようだ。
彼らの夕食時なのかもしれない。
近年北海道各地では、エゾシカの獣害が頻発しており農家が丹精込めて作った作物などが、少なからぬ被害を被っている。
本州辺りでは猿やイノシシが原因のようだが、北海道の主役はもっぱらエゾシカである。
この前もニュースでそのエゾシカを駆除する手法として、ナント吹き矢を活用する業者の事が報道されていた。ずいぶんとのどかな駆除方法だなと思ったものだ。
市街地近くの農場という事もあって、猟銃を使った駆除はできないという事らしい。
その吹き矢には麻酔機能があったという事だが、風向きの影響もあって吹き矢による駆除は成功しなかった、という。
安田義定公の逸話に、遠州の彼の領地でシカを7・8頭仕留めその鹿皮を将軍頼朝と頼家に献上した、といった事が『吾妻鏡』に記載されいたのを私は思い出した。
当時はもちろん、弓矢による狩猟である。
騎馬に乗って、動く鹿の群れを追いかけ射抜いた、という事であろう。
甲斐の騎馬武者の本領発揮、という事か・・。
かつて私はシカ肉を食べたとこがある、日光の鬼怒川温泉の奥の方であったが、その時のシカ肉の味は柔らかく鶏肉に似た味であったと記憶している。食べやすい味である。
今北海道の各地ではシカ肉を使ったジビエ料理などが、料理人たちによってメニューに載るようになっているらしい。
鎌倉時代の武将たちは、当時はどのようにして狩り取ったシカの肉を食したのであろうか・・。などと妄想しているうちに、四頭の家族の鹿たちは前足と後ろ足を揃えてピョンピョン跳ねて、逃げて行った。カンガルーが跳ねるような格好で。
私の食欲を察知して、かのシカの家族は逃げて行ったのであろうか、等と思ったりもしたのである。

