スポーツマンの品格


2018/5/28

スポーツマンの品格

 

大相撲の夏場所が終わった。

優勝したのは鶴竜で、栃ノ心が場所を沸かせてくれた。
相撲という格闘技は、とてもシンプルで勝ち敗けがハッキリしている個人スポーツだ。
 
世界中にファンが少なからずいるのは、そのシンプルさに依っているのではないかと思う。
アメリカあたりではただのデブが裸でマワシを付けてやるスポーツだと、誤解している向きもあるようだが、実際の相撲を目の当たりにすると、認識を改めるという。
 
 
このスポーツを千年以上昔から愛し、継承し育てて来た日本人にはある種の共通認識があると思う。
それは勝つことに拘り過ぎて、品格と言うか品位を疎かにしてしまう取り口を是としない・評価しない、という事である。
勝つためには何をやっても構わない、手段を択ばない戦い方を良しとしない、という事だ。
 
今回優勝した鶴竜も時々体をかわしたり、張り手を連発することがあるが白鵬ほどではない。
白鵬の人気がその戦績ほど高くないのも、この事に依っていると、私は想っている。
 
 
 
翻って、日大のアメフト部の事件である。
勝つためには手段を択ばなかった、学校法人の常務理事でありアメフト部の監督の事である。
この問題が一月近く尾を引いているのは、もちろん彼自身や日大経営陣の対応の拙さにもよるのである。
 
しかしそれに加えて、勝つために手段を択ばないというその基本的な考え方に、日本人のメンタリティーが強く反発しているからではないかと、私にはそんな風に思えるのである。
 
 
それに油を注いでいるのは、自身の保身のために過ちをなかなか認めようとしない、潔さが欠落している点であろう。
監督やコーチの指示により追い込まれ反則を犯さざるを得なかった、二十歳の選手の潔さと対極にある対応である。
 
 
スポーツにおける品位はこう言った点にある様に私には思えるのだ。
さて栃ノ心はどうか。
かつての彼は、腕力や筋力で相撲を取っているように思えていたが、最近はがっぷり四つに組んでからの相撲に、替わってきているような気がする。
相手をしっかり受け止めてから、自分の技と力と経験で勝負する様に、替わってきているように思われるのだ。
 
 
ここ数場所の戦績は彼の取り口の変化、質的な変化と言っても良いように思うのだが、その結果がもたらしているのではないかと思う。
彼はまだ成長の過程にあると、私には思える。
彼が自分自身と闘いながら、もう一皮剝けてくれることを期待する私である。
 
 
 
 
 
                                                 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



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