お中元


2018/7/25

お中元

 
世間が夏休みに入る頃に成ると郷里の友人や親戚からお中元が届く。
私は高校生までの18年間を山梨で育った。
私の通った高校は現在南アルプス市と呼ばれる地域で、昔から果樹の栽培が盛んである。
 
当時から季節に成ると、サクランボやスモモ、白桃といったものを友人や親戚からもらったりして、おすそ分けにあずかっている。
 
若い頃はあまり友人や親戚とは連絡を取っていなかったが、40過ぎた頃から彼らとも連絡を取ることが多くなった。
若い頃は自分が生きる事に精いっぱいで、昔からの古い付き合いにはあまり目が行かなかったこともあったし、両親も健在で私が前面に出る事も無かった。
 
40を過ぎて厄年などのイベントで会う機会があったり、親が他界するなどして旧交を温め合ったり、親戚との付き合いを始めたりするようになった。
それから彼らとお中元やお歳暮をやり取りするように成ったのだ。
そのおかげで、懐かしい故郷の味覚を堪能することが出来るように成った。
友人や親戚が送ってくれるスモモや白桃は、甘くて固くて旨い。
子供の頃から採れたての果実を食べ慣れている身には、スーパーなどで売っているスモモや白桃・ブドウはとても食べられない。
 
 
甘みが全然違うし、変に柔らかかったりするのだ。
まだ青みが残るうちに採り、流通過程で色付けさせるような商品は、必然的に甘みが足りないのだ。
これは果物に限ったことではなく、トマトやキュウリ・ナスといった野菜でも同じである。
 
自家栽培している野菜に比べてスーパーや八百屋で買う野菜が、旨くないのと同じであろう。原因は木成りで完熟させたかどうか、が分かれ目に成っているのである。自家野菜がそうであるように・・。
友人や親戚が送ってくれる果樹類は、やはり木成りの完熟モノなのである。
彼らも友人や親戚に送るものと農協に出荷するものでは商品を選別しているのだ。
 
木成り完熟の自家製果樹を送ってくれるから、旨いのである。
私はそれらの果実を食べる度に山梨に友人や親戚がいて好かったと、感謝している。
その感謝の返礼は、私の方から送る地元の品々である。
 
 
かつて千葉の東葛地域に住んでいた頃はもっぱら梨が中心であったが、北海道に移ってからはこちらの海産物に成っている。
料理が好きな人たちには昆布などを中心に送ることが多く、酒飲みには魚介類の珍味である。どちらでもない場合は毛ガニや鮭を送っている。
私の返礼は本州の海のない県の彼らに感謝されることが多い。したがって現在我々は良好な関係を築いている。
 
 
そのお中元の中で私が気に入っているのは、スモモの「貴陽」である。
同じスモモでもソルダムやプラムといった品種は大味で、旨さを感じることが少ない
それらに比べは「貴陽」は、貴品があって味も濃くおいしいのだ。
「貴陽」とは良く名付けたものである。名が体を現しているのである。
 
「貴陽」自体はスーパーなどで購入することも出来るが、やはり木成り完熟の「貴陽」とは味のレベルが合う。産地から直接求めることのできる「貴陽」にはかなわない。
 
私の様に山梨に友人知人がいない方は、山梨に行く機会があった時に是非「産地の味」を味わっていただきたいものである。本物の味を、である。
 そしてそれをキッカケにして、そこから新しい人間関係を築くことが出来れば、新しい歓びが始まるかもしれないのだ。
 
「求めよされば与えられん」なのである。私は幸運を祈って止まない。
 
 
 
 
                  
                    「貴陽」と石楠花
 
 
 
 
 
 
 
 
 



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