平成天皇と国民


2018/12/1

平成天皇と国民

 
来年に迫った平成天皇の退位と新天皇の即位に伴い行われる儀式についての話題が、昨今注目を集めている。
きっかけは次の実質的な皇太子に就任する、秋篠宮親王の53歳の誕生日に寄せた談話である。話題のテーマは天皇の交代時に行われる「大嘗(だいじょう)祭」という、皇室にとって重要な儀式に関してである。
 
秋篠宮親王の主張は、現行の憲法に則り「大嘗祭」は天皇家の私的な宗教行事であるから、国家予算という公費を使わないで、皇室の私的な費用としてその出どころも皇室の年間予算なりから賄うべきだ、といった主張のようだ。
 
私の推測ではこの考えは秋篠宮親王個人の意見であるというより、平成天皇一家の総意なのではないかと、そんな風に感じている。
日頃の天皇一家の言動や行動を見ていると、私はそんな風に感じるのである。
 
 
平成天皇は、人生のパートナーである皇后を撰ぶ時から従来の慣習や慣行に拘わらず、自分の考えや意思をしっかり持ち、その信念や考えを心中に据えて行動し、それを敷衍(ふえん)しているように思える。
独りの人間として、自己形成がしっかり確立されているように思われる。
 
その平成天皇の価値観の根っこには、戦後の民主主義国家体制における天皇の役割や機能についての、自分なりの明確な考えがある様に思われる。
 
 
以前見たTV番組のことを思い出す。
終戦から間もない平成天皇が皇太子の時、英国のエリザベス女王を訪れ、女王に民主主義社会における王室(皇室)の在るべき姿を問うていた、といった内容のものであった。
 
当時の皇太子は戦後の新憲法の下での、「皇室の在り方について」や「あるべき姿について」真剣に考え、模索していたのではないかと思われる。
その問題意識が強くあったから、エリザベス女王を尋ねたのではなかったかと思う。
 
 
そしてその機会に、当時の皇太子は女王から的確なアドバイスをいただいたのであろう。
そのエリザベス女王のアドバイスを自問し熟考した結果、そのアドバイスが適切であると考え、それ以来ご自分の行動様式の根っこに据えたのではないか、と思われる。
 
その根っこに据えた価値観を大事にして、現在の人生のパートナーを撰び、皇太子時代を過ごし、平成天皇に成ってからも尚ご自分の行動規範として尊重し、実行し確立し続けて来たように思える。
 
 
国民が主役の国家イベントに積極的に参加し、第二次大戦で犠牲に成った人々の鎮魂に訪れ敬い・哀悼の想いを伝え続けている。
大きな地震や災害があれば率先して見舞いに行き、温かい言葉を被災者に投げかけ励まし続けている。先日も北海道の震災被災地を訪れている。
 
80代半ばにしてもなおご夫婦で実直に・勤勉に実行し続けている。
そしてその行為に多くの被災地の人々は癒しを感じ、勇気をもらっているようだ。
 
 
 当時の皇太子がエリザベス女王から頂いたアドバイスは
常に国民と共に生きる」といった内容だったと記憶している。
17世紀から民主主義国家と共存してきたイギリス王室の教訓である。
 
平成天皇及び皇室のメンバーの行動基準の根っこには、こういった考え方がある様に私には思える。昨今の秋篠宮親王のご発言はそう言った価値観に根ざしているのではないかと、私は推測している。
「常に国民と共に生きる皇室」という事は、常に国民の目線で、国民の立場に立って考えて行動する、という事だと思う。
 
 
その皇室の価値観が今回の「大嘗祭」という儀式に際して、宮内庁という行政庁の官僚の前例主義や、慣習・慣行の過度な尊重とは相いれなく成っているのであろう。
そしてまた、がちがちな保守である現在の政権とも、相いれないのではないかと思う。
なぜならばその行動基準は「常に国民と共に生きる」皇室であることを標榜しているからであろう。
 
旧弊の踏襲や前例の継承に重きを置いている行政官僚と、その存在を自分たちの政権のイデオロギーに使いたがる保守勢力との乖離(かいり)が、昨今の政権主催の行事と皇室との間の齟齬や距離感を生んでいるように、私には思える。
 
 
 
 
                                                                                
 
 
 
先月行われた明治維新150周年の行事に、皇室からの参加が無かったのもこの乖離の現れではなかったかと、私は想っている。
この政府主催の記念行事は、長州藩の出身であることを強く意識している現総理大臣がリードし、保守派の明治政府にノスタルジーを感じる人々が参加したが、多くの国民の共感を得ることの無かった、盛り上がりの欠いた寂しいイベントであった。
 
 



 
 
 
 
 



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