春丘牛歩の世界
 
先週から、「行者ニンニク」が採れる様に成り、我が家の食卓にも乗るようになった。
行者ニンニクが採れる様に成ると、今年の春がやって来た事を実感する。
これまでの私の経験では「行者ニンニク」が生えてきてから、雪が降ったことは無いから、である。
 
 
      
 
 
野生の昆虫や動物たちが作る巣の位置で、颱風の影響を早い時期に推測できることがあるが、自然界の生き物たちは彼らなりのセンサーで、天候や自然現象を察知する能力がある。
そんな事から私は、「行者ニンニク」が我が家の林に生え始めることを、季節の到来のメルクマール(指標)にしているのである。
 
 
      
 
       
         
 
     
 
 
    記事等の更新情報 】
*4月19日 :「コラム2024」に、「青い春」と「チャレンジ虫」を追加しました。
*3月25日:「相撲というスポーツ」に「新星たちの登場、2024年春場所」を公開しました。
*2月8日:「サッカー日本代表森保JAPAN」に「再びの『さらば森保!』今度こそ『アディオス⁉』を追加しました。
*01月01日:本日『無位の真人、或いは北大路魯山人』に「無位の真人」僧良寛、或いは・・を公開しました。
これにて本物語は完結しました。
12月13日:  『生きている言葉』に過ぎたるはなお、及ばざるが如し」を追加しました。
*9月29日:「食べるコト、飲むコト」 に「バター炒め二品 」を追加しました。
*9月27日;「物語その後日譚」に「奥静岡の鶏冠(とさか)山」を、追加しました。
 
 

  南十勝   聴囀楼 住人

          
               
                                                                  

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         2024.05.01
              牛歩
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
      
このコラムでは、「サッカー日本代表」について、感じている事や想っている事を書いていこうと思っています。
但し別掲の『 サッカー日本代表「森保Japan」 』とは重複しないようにいたします。森保Japanについて私はすでに見限っていますので、ここで言及することは殆ど無いものと思われます。
しかしここではW杯に向けての日本代表について言及して行く予定でいます。当面は個々の選手を取り上げたり、日本サッカー協会への発信といったコラムが中心に成るかもしれません。
そしてその視点は、W杯で既にBEST16を三度経験している日本代表が、BEST8
を目指すことを目標にしています。その視点でのコメントに成るので、ある程度厳しい内容に成る事もあるでしょう。
 
                 ― 目次構成 ―
 
        ⑮9月のドイツでの「2連戦」    (2022.09.28)
     ⑭6月の日本代表「4連戦」     (2022.06.17)
     ⑬「カタール大会への切符」     (2022.03.26)
     ⑫「対中国戦&サウジアラビア戦」  (2022.02.03)
     ⑪日本サッカー代表のSDGs問題    (2021.11.24)
     ⑧「負けるべくして、負けた」試合だった。(2021.09.02)
     ⑦「さらば⁉森保監督!」   (2021.08.08)
     ⑥「久々の代表戦、対モンゴル(2021.03.31)
             ⑤「オーストリア遠征」    (2020.11.21)
             ④「オランダ遠征」      (2020.10.18)
             ③「代表監督」        (2020/02/06)
     ②.「酒井高徳とサイドバック」 (2020.0107)
     ①.「香川真司と南野拓実」   (2019.12.21)
  
 
 
 
 

 9月のドイツでの「2連戦」

 
 
先日ドイツで行われた日本代表の強化試合「アメリカ戦」「エクアドル戦」の2連戦は、その戦績は
「2-0」「0-0」という結果で終わった。
 
いずれも試合内容に関してはそれなりに満足いくものであって、それ自体は喜ばしいコトである。
 
 
それにしても10年近く前の代表戦に比べ、日本代表選手たちのレベルUpには改めて驚かされ、安心して観ている事が出来た。
取り分けDF陣が安定しており、つまらない凡ミスが殆ど見られなくなった事には安心している。ときおりバックパスや横パスが散見できた点を除けば、大きな問題は無かった。
 
レギュラー組の殆どがヨーロッパなどのリーグでそれぞれ主力選手として活躍している事を考えると、やはり選手個々人のレベルが上がっている事を示しているのであろう。
 
また控え選手たちとスタメン組との間に極端なレベル差が無く、層が厚くなっている事を改めて感じ入った次第である。
2チーム分の戦力に、大差が無いくらいに戦力が充実してきている。これもまた喜ばしい傾向である。
 
 
 
           
                 ドイツブンデスリーグで活躍している鎌田はアメリカ戦でも得点した
 
 
 
しかし手放しで喜んでばかりはいられなかったのも事実で、相変わらず個人技での突破が中心で、チームとしての約束事に基づくプレーや、組織力を感じるような連係プレーは今回もまた、殆ど見ることが出来なかったのは残念な事である
 
森保監督のチーム作りやJFAの田島会長のサッカー観が影響力を持ってる以上、この点での改善は期待出来ない事だと諦めている、これまた残念な事である。
 
チーム力の底上げは喜ばしいのであるが、このママ行って強豪スペインやドイツに勝つことは出来るかはまた別の問題だな、と想わずにはいられなかった。
 
 
またそれとは別に「長谷部誠」がJFAの要請でこのチームに帯同している事は、好い知らせだと私は想った。
取り分けドイツ戦では彼の存在や情報/アドバイスはかなり役に立つはずで、このままカタールでのW杯本戦にも代表のスタッフとして、帯同しアドバイザー等として参加して欲しいものだ、と私は強く願っている。
 
 
 
           
 
 
11月まで残り2か月と本戦は迫って来ているが、この2か月の間に森保監督のチーム作りが劇的に変化し得るとは想ってないが、ロシア大会の時の西野JAPANの様に大会を通じての期待感への高まりや、近未来の日本代表の目指す方向性が見えてくるようなチームと成ってくることを、期待するのみである。
 
 
 
 
 
 

6月の日本代表「強化試合4連戦」

 
今月に入ってからサッカー日本代表は「パラグァイ」「ブラジル」「ガーナ」「チュニジュア」との4連戦を行った。
 
いうまでもなく今回の4連戦は、この11月に行われる「カタールW杯」に向けた「日本代表の強化試合」であり、それに向けた招集メンバーのセレクションやチーム力の強化を企図した親善試合やカップ戦であった、はずである。
 
この一連の強化試合は
「パラグアイ戦」 4-1
「ブラジル戦」  0-1
「ガーナ戦」   4-1
「チュニジア戦」 0-3
という結果で終わった。
 
「パラグアイ」や「ガーナ」に対して、いずれも4-1の結果を出せたことは日本代表の個々の選手が確実にレベルupしている事が確認出来、好ましい結果であった。
 
また「ブラジル」に関して0-1というスコアは、日本とブラジルの力の差を客観的に認識すれば善戦した、と評価する事は出来た。
 
ブラジルのメディアは盛んに日本のラフプレーをなじっていたが、悪質なプレーといえるような内容ではなく、ブラジルが大勝出来なかった事への不満やアラ探しに過ぎないと私は想っている。
 
実際ブラジルを初めとした南米サッカーのお家芸、「マリーシァ(ずる賢さ)」を相変わらず遂行していたブラジルに、あの程度のファウルに大騒ぎする前に自分たちの所業を反省したほうが良いのではないか、とさえ思ったほどである。
 
 
それ以上に気になったことがあった。
 
それはこのブラジル戦に長友を先発させ、終了10分くらい前に柴崎を投入した采配であった。私にはこの森保監督の采配の意図がよく判らないでいた。
 
この二人のベテラン選手を先発させることの意味や、残り10分程度のタイミングで投入する事が、「カタールW杯」に向けた強化策とに決して結びつけて考える事が出来無かったからである。
 
伸び盛りの若手に「ブラジル戦」を体験させることで、強豪国との彼我の力の差を身体の中に染み込ませる事や、体験させることは非常に意味があり、その経験がこれからの半年間の彼らの成長の推進力や起爆剤に成ることは、大いに期待できたからである。
 
経験豊かな長友や柴崎にそのような体験や経験は殆ど意味が無いが、吸収力が高く伸びシロが豊富な若手には大きな意味があるからである。
 
 
中継していた日テレのアナウンサーによると、森保氏は「この親善試合に勝ちに行き、ブラジルとのこれまでの長い歴史を塗り替えたい」とインタビューに答えたのだという。
 
要するに彼はW杯の半年前のこの時期に、「選手を強化するための采配」よりも「ブラジル戦に勝つための采配」をしてきたらしいのである。
 
私はこのコメントを聞いて「だめだコリャ!」と想ったものである。
現時点で力の差が歴然としている相手に勝ちに行くことを優先した采配は全く意味がなく、このメンバー構成は森保氏個人の問題意識に過ぎないことを悟ったからである。
 
 
そして「チュニジア戦」である。
チュニジアと日本とはFIFAランキングに多少の上下はあるモノの、チーム力の実力やサッカーの伝統/歴史にそんなに大きな差があるように思えない事から、親善試合のパートナーとしては良い相手だと私は感じていたので、どのような展開になるのか興味はあった。
 
その雨の中のチュニジア戦は前半こそは日本が押し気味に進めていたが、鎌田たちFW陣が決定機を外し続けたり、チュニジアがゴールエリアにDF陣を集中させ固いブロックを作ったこともあり、容易に切り崩すことは出来ずに終わってしまった。
 
その後吉田や板倉/長友のミスや連携不足、疲労のためかカウンターを相次いで喰らい三失点してしまった。
この三失点に関しては私はあまり落胆はしていない。
 
DF陣の立て直しや再構築は、昨年秋以降のアジア大会後半の実力を知っているだけに大きな不安材料ではないからである。
大黒柱富安や酒井宏樹の復帰や吉田キャプテンのリーダーシップに期待できるからであり、W杯直前の集中的準備期間にある程度修復が行われ得る、と考えているからである。
 
むしろ懸念材料は、相変わらずの「攻撃面でのチームプレーの欠如」である。
 
 
 
            
 
 
この事は試合後の三苫選手のコメントが象徴している。
曰く
「チームとしてどう攻めていくのか・・、決まり事ではないですけど、決まったものを持たないといけない・・。」
「今回は結構な長期間ありましたけど、そういうところのチームとしての組み立てをやって行かないと・・」
 
要するの今月の「強化試合」期間は3週間ほどあったのであるが、この期間森保氏は相変わらず「個人の力量に依る打開」「個人プレーの鍛錬や磨き」しかやってこなかった、その事が若手のエースの口を通して、我々は知ることに成ったのである。
 
森保氏のこのチーム造りは相変わらず「チームプレーの軽視や欠如」に在り、「個人の力での打開や突破」に留まっているのである。
3年前のアジアカップ以来替わっていないのである。
 
日本代表の選手個々人の成長はこの間進み、海外でも活躍している選手が大きく増え、選手層が厚くなったのであるが、指揮官である監督自身の成長は停滞したままなのである。
 
 
私は今回の三苫選手のコメントを聞いて、1年前のオリンピック3位決定戦でメキシコに敗れた後に田中碧選手が吐いたコメントを思い出した。
 
その時の田中選手のコメントは、「このチームにはチームプレーが無く、チームとしてどう戦うかが無かった」といった類のコメントであったと記憶している。
 
金メダルを獲ることが期待された東京オリンピックであったが、準決勝で敗退してしまった1年前と全く変わっていないのである。
 
あのメキシコ戦敗退は「チームとしての約束事」「チームプレーの欠如」と、「ターンオーバーの欠如」に依るDF陣の疲労蓄積が原因で、メキシコに敗れたのである。
 
 
1年前と全く同じことが繰り返されている。
この現実を前にしてもなお、森保氏は「Best8を目指す」と言い続けるのであろうか。
彼には自分自身の采配を客観視する事や、失敗の原因を冷静に分析するという習慣や、能力が足りないのではないか。と思わざるを得ない。
 
私自身はこの3年間、彼の能力の限界は繰り返し指摘し続けたし、彼が監督であり続ける限り宿願の「Best16の壁」を突破し「Best8」を目指すことは不可能である、と見切っているから今回の4連戦の結果に落胆しているわけではない。
 
むしろ今回の経験をJFAは冷静に分析し、森保監督の能力を客観的に判断して「監督の交替」を決断する良い機会である、と想っている。
 
「雨降って地固まる」なのである。
 
 
その決断が行われない限り、下馬評通り日本代表はグループリーグで敗退する事に成るであろう、と私は確信している。
私はBest8を目指し、最低でもグループリーグを突破するするために最良の選択肢をJFAに取ってもらいたい、と心底思っているからこのような期待をしているのである。
 
それが図れない様なら、「カタールW杯」の魅力が半減してしまうからである。
 
 
 
 

 「カタール大会への切符」

 
 
昨日の雨の中の「オーストラリア戦」は、初めから安心して観ている事が出来た。
W杯常連国とのアウェーでの戦いであったが、試合開始時から日本がある程度主導権を握って試合を進めていたから、だと思う。
 
前半終了まで日本代表は相手のコート内でボールを支配することが多く、アウェーであるにも拘わらずオーストラリアに決定機はあまり作らせることも無く、試合を展開していたからである。
ヒヤヒヤする場面も殆どなく安心して観ていられたのである。
 
南野が何回となく決定機を作り枠内に向かうシュートを放っていた事が、このままいけば遅からずゴールをゲットできるのではないかと、ゴールの予感を期待することが出来た。むしろ懸念していたのは、余り前がかりに成り過ぎてカウンターを食らう事態を招かないだろうかと、いった点であった。
 
というのも昨日の試合はたとえ「引き分け」であったとしても、日本にとっては勝ち点差から有利な結果をもたらし、カタール大会への切符をゲットする可能性が高かったから、なのである。
とりわけ次戦の相手がベトナムであることを考えれば、敵地でのオーストラリア相手の戦いに無理をして負けてしまっては元も子もなく、「引き分け狙い」は多いにOKだったのである。
 
 
そんな流れの中でHTに監督からの指示があったのか、後半の代表チームはあまり前がかりに攻め込むことはせず、中盤辺りであえて時間稼ぎのボール回しを始めたのは「大人の展開」で、余裕さえ見せることが出来た。
日本がこんな風にしてゲームをコントロールすることの出来るチームになった事に、私はある種の感慨を覚えたものである。
 
その分オーストラリアは「キープ力の高い」日本からなかなかボールを奪えず、焦りを感じていたようだった。
後半に入ると彼らは「ボール奪取力」や「ドリブル突破力」の高い選手を投入し始めた。一時的にその効果は見られたがチームとしての連動性が低調であったために、この打開策は日本にとって結局は脅威とはならなかった。
 
そうこうしているうちに疲労が見え始めた、森保氏お気に入りの「長友」「浅野」が退き成長著しい若武者の「中山」「上田」が投入され、日本の左サイドが活性化した。
それによってオーストラリアの右サイドが主戦場になり、それに呼応するように逆サイドの「南野」や「守田」が、ボール奪取からチャンスメークし始め、日本が主導権を握り続けることができた。
 
DF陣の安定と共に中盤を含め日本代表は安定感が強く、私達は安心して試合を観ている事が出来たのである。
 
 
                
 
 
 
更には疲れの見え始めた「田中」「南野」の中盤に、「原口」「三苫」を投入することで更に中盤が引き締まり、左サイドが一層活性化したことで「三苫」の積極的な攻め込みが何回も見られた。
終盤に成って彼の個人技や、フロンターレの元同僚右サイドバックの山根との連携による展開から、2得点を挙げることが出来試合を決めた。
 
今回の試合は、これまでの得点王である右ハーフの「伊東純也」は控えめな活躍であったが、右サイドバックの「山根」は状況判断が良く「臨機応変」なプレーが目立ち、相手DF陣をかく乱する効果が度々見られた。
 
酒井宏樹とプレースタイルの違うサイドバックの存在は、日本代表DF陣のオプションが増えた事を意味し、W杯本番でも両者の使い分けは可能で、むしろDF陣の層が厚くなるったことを意味し、今後への期待が持てた。
 
「伊東純也」と「酒井宏樹」の関係が「柏レイソル時代の同僚」に起因しているとすれば、今回の「三苫」と「山根」の連動性は「川崎フロンターレ時代の関係」の賜物だと理解することも出来る。
やはり同じ元チームメイト同士の同時起用は、その成熟した関係から大きな成果をもたらし得ることに、改めて気付くことが出来た。
 
ロシア大会における「乾」と「香川」の関係や、4年前の秋に観られた「南野」と「堂安」の成熟した関係も、同様なものであった点を考えると、得点力不足を打ち砕くためにはこのような選手同士の成熟した関係を、積極的に取り入れる事が大切であることに、改めて気付かされるのである。
 
 
従って今後のW杯に向けてのチーム作りにおいても、かつての所属チームで培われた選手同士の濃密で成熟した関係を一層育て、醸成して行ってもらいたいものだと改めて気が付いた次第である。
 
「チーム戦術の熟成」よりも「選手個々人の閃き」や「突破力」を重視する森保監督や、その後ろに控えている田島幸三JFA会長にはあまり期待できないだけに、選手間の約束事や決め事の徹底や、キャプテン吉田の問題意識やキャプテンシーによってBEST16の壁を突破するために、選手が一丸となって監督たちを突き動かすといった事も必要になってくるかもしれない。
 
今回の最終予選2連敗後に、吉田キャプテンたちが見せた危機意識や覚悟に基づくアクションが、その後の日本代表の連勝をもたらしたように、残念な監督や会長には期待していないが、選手たち同士の自己変革や修正力といったチームビルディングには、多いに期待しているのである。
 
BEST8常連国に日本が成るためにはそうやって、ピッチ上の選手たちが自らの生態を更新してメタモルフォーゼすることが必要だと、私は想っているからである。
 
これからの半年は、W杯でのBEST16突破に向けた「チーム戦術」の更なる徹底や熟成に依る、俊敏性の高い「日本的なサッカースタイル」の構築に向けて、多くの時間とエネルギーを費やして行ってほしいものだと、強く願っているところである。
 
期待しているよ、吉田キャプテン⁉
 
 
 
 
                
 
 
 
 
 
 

 「対中国戦&サウジアラビア戦」

 
 
今年初めての代表戦であった、「中国戦」と「サウジアラビア戦」は結果的に共に2-0という事で、これまでの借金を帳消しするのには良い結果であった、と言えるようだ。
 
日本代表チームがアジア予選では横綱クラスであるとすれば、中国は「平幕上位」 サウジアラビアは「横綱クラス」といったところであろうか・・。
 
中国に2-0で勝つのは殆ど当たり前の結果で、大きな成果があったわけでは無く伊東純也の存在感が目立ったのと、30代半ばの長友を相変わらず重用し続ける、森保監督の「序列意識」や「ターンオーバー意識の低さ」が確認された試合であった。
 
 
サウジアラビアはやはりアジアを代表するチームという事で、好調の実力者同士の試合展開は観ていて飽きの来ない、好い試合内容であった。
 
ここでも伊東純也の活躍は目覚ましく、1G1Aという事で今の日本代表チームが「彼のチーム」に成りつつある事を、多くのサッカーファンはこの2連戦で強く感じたのではなかっただろうか・・。
 
 
長友は格下の中国戦より今回はベターな働きをしていたが、やはり彼の活用は「立ち上がりの数十分」や「選手を鼓舞するための投入」といった、ワンポイントでの使い方がふさわしいのではないかと、そう想わずにはいられなかった。
 
「ブラジル大会」や「ロシア大会」の時の様な体の切れや、センタリングの精度を期待するのはもはや難しいようだ。
 
森保氏は彼への信頼が高いようだが、短期間であってもスタメンで使い続けるという起用方にはやはり限界がある様に観られるのである。
これは大迫や柴崎も同様である。ベテランにはベテランに見合った使い方をした方が良いのである。
アジア大会では通用したとしても、W杯の本戦において彼らのパフォーマンスが通用するという錯覚に基づいたチーム作りでは、一次リーグ敗退は目に見えているからである。
 
 
 
            
 
 
 
そんな中で評価すべきプレーがあったことを忘れてはならない。
具体的には後半35分に右サイドで展開された「ワンタッチプレーの連続」である。
 
右サイドBK の「酒井宏樹→伊藤純也→守田→前田大然→酒井→浅野」の間で展開された5回連続のワンタッチプレーが、それである。
 
こんな風に5回連続でワンタッチプレーが続けられたら、これに対処できるチームは皆無と言ってよいだろう。今回のサウジアラビアもそうだった。成す術が無かったのである。
 
フィニッシャ―の浅野のプレーにもっと精度があれば、あれは1点ものだった。
 
 
私はこのプレーを観て大いに歓んだ。それはこのプレースタイルであれば、これまでも何回となくこのコラムでも書いていた、「日本的な攻撃スタイルの確立」に繋がると思ったからである。
 
かつてW杯ロシア大会で「乾-香川-大迫-柴崎」の間で繰り広げられた「シルキープレー」や、2018年秋に「中島-南野⁻堂安-大迫」の間で展開された「アタッキング4」の流れを継承する「日本人的な攻撃プレー」だと、想ったからである。
 
活躍選手の顔ぶれが替わり、「伊東純也」を中心とした右サイドで構築された今回の連続プレーが、現有メンバーの中では最も実現可能性が高かったからである。
 
したがって偶然発見されたこの「右サイドでのワンタッチ連続プレー」が、日本代表の攻撃スタイルとして、今後も繰り返され更に練り上げて行き「攻撃の型」として定着すれば、日本サッカーの将来は明るいものと成るであろうと期待できるのだ。
 
この「ワンタッチプレーの連続による攻撃」が日本代表の中で定着すれば、対戦相手が「オーストラリア」であろうが「イラン」や「韓国」であっても十分通用するし、W杯本番でももちろん通用するのではないか、と私はそう想ったのである。
 
 
問題は今回偶然発見された攻撃スタイルを、チーム戦術として徹底して続け定着させる努力を、森保氏や代表チームのコーチ陣がとり続けることが出来るかどうかである。
 
ここ4年間の彼の監督としての采配やチーム作りを観ていると、その期待感が薄れてしまう、というのが現在の私の率直な思いであり懸念事項でもある。
 
もしそのような「相変わらずの指導」が続くようなら、9月に行われた「オーストラリア戦」の際に、吉田キャプテンが監督のチーム作りを上回る「キャプテンシー」を発揮し、勝利を導いた時と同様のアクションを彼には期待したい。
 
即ち「吉田キャプテン」を中心とした主力メンバーの間で、今回の戦い方や効果についての分析をしっかり行い、「チーム戦術」として徹底し浸透するように、選手たちの居残り練習やミーティングを行ってほしいものだ、とそう想っている。
 
頼りない監督や情けないJFA会長の下であっては、チームメンバーによる自己研鑽や努力が不可欠だからである。
W杯でのBest8進出を妄想する私としては、そのように期待して止まないのである。
 
 
それにつけても今回のDF陣の要「吉田」「冨安」の負傷欠場は、残念なことではあったが、「ターンオーバー要因」として「谷口」「板倉」が期待できることが判明したのは良いことであった。
 
彼らが負傷欠場から復帰するであろうオーストラリア戦やベトナム戦で、「安定したDF陣」と伊東純也を軸とした「右サイドからの連続プレー」が同時に進められるのであれば、これらの最終戦をも安心してかつ愉しみながら観てられるに違いない、からである。
 
 
                        
                
 
 
 

日本サッカー代表の「SDGs問題」

 
 
この11月のベトナム戦(12日)オマーン戦(17日)の結果はいずれも1-0で勝ち、勝ち点を6獲得したことは良かった、と多くの日本サッカーファンは胸を撫で下ろしているところであろう。
 
その一方で試合内容に関しては相変わらずストレスの溜まる展開であり、その原因は選手個々人のスキルや能力の問題ではなく、森保氏の監督としての采配やマネジメント能力に起因している。
 
具体的にはスタメンのメンバー構成や交代のタイミング、相変わらずの個人プレー中心のチーム戦術である点などに求められ、その原因はまったくもって森保氏の監督としての手腕やマネジメントに、求められるのである。
 
 
ベトナム戦から中4日というスケジュールで、相変わらず「長友」「大迫」「柴崎」といったベトナム戦で疲れている中年選手をスタメンで使い続け、オマーン戦という大一番に臨んたのであった。
そして彼ら中年組の体力の衰えが試合に影響を与え始めた頃になって初めて、若手にメンバーチェンジを行っているのである。
 
交代したのは働き盛りで、現在所属チームやリーグで結果を出している好調な、本来スタメンにすべき選手たちであった。
 
今回の戦いでも後半に入って彼らが交代要員として投入された結果、1-0というスコアをもたらしている
その采配は観ている我々には遅きに失したという感覚が残り続け、なぜもっと早いスタメンから彼らを使わなかったのか、といったストレスが溜まるばかりであった。
 
 
森保監督には「ターンオーバー」という発想が無いようであり、2019年に行われた「アジアカップ」においてもその事は明らかであった。
この大会ではカタールに決勝で1-3で敗れ、準優勝にとどまったのである。その敗因はベテラン選手たちを使い続けたために起こった「疲労の蓄積」であった。
 
記憶の新しいところでは今夏のオリンピックメキシコ戦でも同様の結果を招き、オーバーエイジ招集選手たちの疲労蓄積から、DF陣のキレの悪さが起きて結局はメキシコの猛攻を許し、メダル獲得を逃し4位に終わったのであった。
 
 
更に選手の個人プレー頼みの、戦術とも言えない戦い方を標榜している森保氏のチームは、チームとしての約束事が確立していないがために、連携プレーによってDF陣を崩すといったロシア大会で確立された、日本チームの戦い方は見る影もなくなってきている。
 
そしてこのチーム戦術を軽視し個人の能力や閃きで事態を打開する、という戦い方はJFAの田島会長が好む闘い方でもあるのだ。
そう言った現在の首脳陣や監督の戦術に、私なんぞは大いにストレスを感じてしまうのである。
森保監督のチームマネジメントや采配には、W杯ロシア大会で得た貴重な経験が全く生かされておらず、せっかくの貴重な経験の継承がカケラも見えないからである。
 
やはり森保監督は日本サッカーのためには早く交替させるべきであろうが、田島幸三氏が協会の会長であり続ける限りはそれも望むべくもない。
そんなことを改めて感じてしまった「ベトナム戦」であり「オマーン戦」であり、ストレスの溜まる今月の日本代表の試合であった。
 
 
 
                   
                  今や代表の得点ゲッタ―である伊東純也
 
 
仮にこのまま運良く来年のカタール大会に出場できたとしても、森保氏が監督を続ける以上、グループリーグを突破することは期待できないと私は推測している。
現在の日本代表の選手たちの水準が上がっているとはいえ、まだまだ世界の上位陣に通用するレベルではないからである。
 
個人の身体能力やスキルにおいて劣る日本選手が、W杯に出るレベルの対戦相手のDF陣を翻弄することが可能なのは、ベルギー戦で香川と乾が見せたシルキーな連携プレーでないと困難なのである。
 
ワンタッチプレーの連続で狭い隙間を切り崩す、俊敏できめ細やかな熟成された連携プレーこそが、大柄で頑強な強豪国のDF達を翻弄させるためには不可欠なのである。
 
 
 
従って現在の個人の能力や閃きによる突破という、レベルの低い攻撃方法しかとらない森保Japanでは、私が妄想するBest8進出などは夢のまた夢で終わってしまうと想っている。
 
そしてより大きな問題はせっかくロシア大会で垣間見ることが出来た、「日本的なスタイル」の確立がこの四年間で何ら成長や継承されることなく、雲散霧消してしまう事が予測され、全く無駄な四年間で終わってしまう事が残念でならないのである。
 
 
今世間で騒がれているSDGs(持続可能な発展目標)などは、今のサッカー日本代表においては、到底期待できないのである。
そして森保監督や田島幸三会長の現執行部のままでは、望むべきもないコトなのである。
 
ロシア大会で垣間見え、2018年秋に「中島-南野―堂安-大迫」のアタッキング4が繰り広げた「日本的なサッカースタイル」の継続性がこの二人によって断ち切られてしまう事が残念でならないのである。
 
日本代表サッカーチームが今後も継承し続け定着させ、発展させるべき「日本的なサッカースタイル」を確立しない限り、50年経っても100年経ってもW杯で日本が優勝することはあり得ないだろうと、私は想うからである。
 
サッカー発展途上国日本にとっては、日本サッカー代表チームにおけるSDGsが今まさに問題なのである。
 
 
 
 

 キャプテンシー」が監督を越えた

 
 昨日の「オーストラリア戦」は森保監督やサッカー協会の田島会長にとっては、進退の掛かったまさに「崖っぷちの戦い」であったであろう。
 
結果的には「2-1」と勝利し、彼らにとっては事なきを得た結果であった。
そしてカタール大会への出場権に直結する今回の試合結果は、多くの日本代表ファンにとっても胸をなでおろす結果であっただろう。
 
 
またその闘い方においても、サウジアラビア戦までの戦いに比べ、内容を伴いストレスの少ない「日本代表戦」に相応しい水準であったと、私はある程度満足している。
 
その勝因が「4-3-3」のフォーメーション変更にあった点や、遠藤を中盤の底というかバイタルエリアに配置し、「リベロ」的な役割を任せた事や「シンデレラボーイ田中碧」をスタメンから使った等、これまでの森保監督の頑迷固陋な選手起用や戦い方に修正が加えられた点などを列挙することも出来るであろう。
 
 
しかしながら昨日の勝利の最大の勝因は、吉田キャプテンをはじめとした中心メンバーが「覚悟を決めた」事が一番大きかったのではなかったか、と私は感じている。
それは試合が始まって数分で、感じ取ることが出来た。
 
その覚悟とは何であったかというと、カタール大会の出場権を得るためには「選手生命を懸けて何でもするつもりだ」といった様な覚悟ではなかったか、と私は想っている。
 
具体的には吉田キャプテンを中心としたメンバーが、「監督の指示待ち」を越えて自分たちで「勝つためのプレーを取り続ける」事を心掛け試合に臨んだ、という事だと私は想像しながら、昨日の試合を観ていた。
 
 
因みに私の想像の根拠と成っているのは、今回の最終予選の「オマーン戦」での吉田キャプテンのコメント「負けるべくして負けた試合だった」から感じていた事であった。
 
「対日本戦」にひと月前から準備を重ねてきたオマーンに比べ、明らかに準備不足でチームとしての約束事などを構築しないまま、選手個々人の力量で打開する、という戦術とも言えない戦い方を進めてきた森保監督への、吉田キャプテンの不満や不信感の表明だったと、私は感じていたのであった。
 
 
さらに言えば「0-1」で敗れたサウジアラビア戦の敗戦後の記者会見で彼が行った決意表明ともいうべき内容である。
 
サウジ敗戦後のインタビューで吉田キャプテンは「カタール大会への出場権を逃した時は、選手としての責任を取るつもりでいる」と明言していたのだった。
そこには彼の「決意」と共に「覚悟」とがはっきりと感じられたのである。少なくとも私には、そう感じられたのである。
 
 
またのその際同時に彼が言ったのは万が一「カタール大会への出場を逃した時は、日本サッカー協会幹部や森保監督も、同様に責任を取らざるを得ない」といったような事も発言しているのである。
 
これは「森保監督の代表選への覚悟と責任」及び「田島会長や強化委員会への覚悟や責任」をも問うたものであった、と私は理解した。
これらの発言は、サウジアラビア戦までの三試合で吉田キャプテンが感じてきた鬱憤や不満を、はっきりと表明し公言したモノだと私は理解した。10月9日の事である。
 
 
 
            
 
 
 
この発言を境にして、彼はキャプテンとしての覚悟を以って「オーストラリア戦」に臨んだようである。
サウジから日本に戻った吉田キャプテンはチーム練習が終わった後も練習場に残り、同様の問題意識を持つ主力メンバーと積極的に話し合い、協議を重ね、お互いの「共通意識を醸成」する努力を重ねてきたようである。
ヤフーニュースに掲載されているスポーツ新聞等が、そのような報道をしていた。
 
 
この時に吉田主将は「自らの覚悟と責任」を胸に、チームメイトとの「チーム作り」や「チーム戦術の醸成」に励んだものと私は想像している。
本来なら代表監督が担うべき役割を、彼はキャプテンとしてやって来たのである。イヤやらざるを得なかったのであろう。
 
 
私はそのような覚悟に基づく、日本代表選手主力メンバ―達の「覚悟」と「準備」とを今回のオーストラリア戦では感じたのである。
そしてそれはTV観戦であっても数分で十分に伝わって来た。多くの視聴者たちも同様なことを感じたのではなかっただろうか・・。
 
昨日のピッチ上の代表メンバーたちの想いはそのくらい強かったし、その想いはTV越しにも十分伝わってきていた。
 
 
そして昨日の試合が終わった後、吉田主将が言ったのは「首の皮一枚が繋がった」といったような言葉であった、という。
 
客観的にはまさにその通りなのである。
そしてその言葉は「森保監督」や「田島会長」にとっても、投げかけられた言葉であるのに違いないのだ。決して「日本チームの出場権」や「彼自身の首」の問題だけではないのである。
 
 
昨日のオーストラリア戦を観ていて私は、吉田主将のキャプテンシーが森保監督や田島会長への配慮や忖度、そして彼らへのリスペクトも越えたことが今回の最大の勝因であったに違いない、とそう想っている。
 
そしてそのキャプテンシーを吉田主将が今後も維持し続け、代表練習が終わった後も主力選手の間で、今回同様に「共通意識の醸成」や「チーム戦術のすり合わせ」が続けられるのであれば、W杯カタール大会への道は明るいものであろうと感じているのである。
 
フィールド上の実際のプレイヤーである選手たちの結束が固まり、「共通意識や戦術」の浸透や熟成が進む限り、残念な能力の監督陣やその任命権を持つ協会幹部が存在したとしても、やっていけるだろう、と確信しているからである。
そしてそうあり続けることに、大いに期待もしているのである。
 
 
それにしても、「長友」「大迫」といったベテラン選手たちの賞味期限は長くて前半までではないかと、今回もまた痛感してしまった。彼らの年齢と体力では45分でガス欠をきたすのである。
ベテラン勢を使う際は過去の実績や残像/思い込みだけではなく、これらの耐用時間についての配慮も欠かせないことを、森保監督には十分理解してほしいものである。
 
 
 
 

 新しい航路には、新しい船長が必要

 
 
先日行われた「対中国戦」を振り返った後、日本サッカー協会の田島幸三会長が森保監督の采配を肯定的に認め、彼の続投をハッキリと宣言した。
 
即ち多くのサッカーファンが抱いている、森保氏の日本代表監督としての能力に対する不信や疑念に対して、日本サッカー協会の現在の執行部代表者としての見解を、彼は明らかにしたのである。
 
 
私自身の森保氏には対する評価は当該コラムや「サッカー日本代表-森保Japan-」で既に述べているので、その点でについての論議はここでは行わない。
もしご興味に在る方は、8月8日に当該コラムに書いた「さらば⁉森保監督」をご覧いただきたい。
 
従ってここでは森保氏の続投を明言した、現執行部の代表者田島会長について言及することとする。
 
 
まず田島会長は先の「オマーン戦」や今回の「中国戦」における、森保氏の監督としての采配、即ちスターティングメンバーやその布陣更には交代要員といった采配を、肯定的に認識し評価しているのである。
 
田島会長は、森保氏が現在とっている選手の年齢や疲労度をほとんど考慮せず、過去の実績や記憶の中の残像を重視し、目の前の選手の調子や力量を軽視する選手起用や、交代策を是認している、という事に成る。
 
また森保氏の「個々人の選手の判断や閃きで、目の前の課題や困難を解決すべきである」といった、個人頼みによる「事態打開」や「問題解決」を認め、「チームプレー」やチームとしての「共通の約束事」に基づく解決策や打開策を求めない、という事にもなるのである。
 
という事はチームや組織としての約束事や、共通意識による「戦術」はとらずに、行き当たりばったりで偶然性に頼るチームサッカーを志向し、認めるという事を意味する。
 
そしてそれは田島幸三というサッカー指導者の、根っこにある「サッカーチーム論」と関係があるのかもしれない。
田島会長の持論は「選手の育成強化」や「個人の能力Up」にもっぱら力点を置いているようであり、かつて会長選挙で対立した原博美氏の「日本代表強化」とは異なる価値観や路線を有しているお人なのである。
 
 
             
 
 
 
確かに「選手の育成強化」や「個人の能力Up」優先という視点に立てば、森保氏の様な「育成型の指導者」を選択し採用し続けることは、ある意味筋が通っている。
 
しかしながらその育成を任されて来た森保氏が代表監督で行ってきているのは、相変わらずの過去の実績重視であり、かつて広島時代に彼自身が育成してきた広島人脈優先採用策なのである。
 
そしてその路線が選手自身の「年齢的な限界」や、広島のチームでは通用しても世界に散らばった有能な選手たちを集めて構成される、「代表チーム内での能力発揮の限界」に直面してきているのが、現在の日本代表が抱えている課題であり直面している限界なのである。
さらに言えば今回のオリンピックでのBEST4止まり、という現実であろう。
 
 
また「選手の育成強化」に関していえば、現在の日本代表選手は個々人の能力の開花や力量のUpは既に、一定水準に達しているのである。
 
今や日本の若く将来性の感じられる選手たちの多くは、Jリーグからヨーロッパの強豪チームへと活躍の場を移しており、世界のマーケットもまた日本の有能な若手選手たちを、重要な選択肢として捉えているのである。
 
 
その意味でおいては10年前ならいざ知らず、現在の日本サッカー界の育成システムは十分機能しており、結果を出し続けている。即ち「選手の育成強化」は既にシステムとして定着し、かつ十分機能しているのである。
 
従って現在およびこれから「日本サッカー界」の目指すべき課題は、過去の路線にとどまり続けることではなく、次のステージにに向かう事である。
 
教育や育成のシステムは暫くは、よほどの破綻でもきたさない限り現在のシステムを継続し続ければ、それで成果は出続けるのである。
もちろんそのシステムを継続させ、その中でさらなる質の向上を図るべきであるが、それは「日本サッカー界」が新たにチャレンジするヴィジョンや目標ではない。
 
 
では日本サッカー界はこれから「何を目指すべきか」、「何処に向かうべきか」が問題になる。
私はその答えは「百年構想」の中に在ると、思っている。その構想の中には「50年以内にWカップ優勝」という大きな課題や目標が入っていた。
 
その目標に向かっての「日本代表の強化」であり「日本代表チーム創り」であろうと私は思っている。
そのヴィジョンに目標を定めた「日本サッカー界」の舵取りであろう、と思っている。
 
更にそのためには、これまでも何回か触れている様に、「日本的サッカースタイルの確立や熟成」「日本人の国民性に適ったチーム創り」が求められるのである。
 
 
そしてその方向性は「ロシアWカップでの乾-香川」や、かつての「中島-南野―堂安-大迫」の見せた「アタッキング4」の攻撃スタイルが示しているのである。
 
これら「日本人的なサッカースタイル」を日本サッカーのモデル例として、日本サッカー界が同じ方向に向かって、一丸と成って向かった時に、日本のサッカーは明確な目標や方向性を持ち続けることが出来るであろう。
 
そしてその共通のプレースタイルを確立させ、熟成させた時に日本サッカーのスタイルが確立し、新たな水準に達することが出来るのではないかと、私は妄想している。
 
そしてその時こそ、日本代表チームはWカップ本番において、Best8やBest4の常連国に成り得るのではないかと、期待もしているのである。
 
答えは既に見つかっているのである。それは偶然に垣間見ることが出来たのであるが、その「解」に向かって日本サッカー界全体が同じイメージを抱き、それらが共通認識となった時に初めて、そのヴィジョンが実現し得るものだと私は想っている。
 
 
 
                 
 
 
 
そしてそのヴィジョンは、残念ながら森保氏では実現することが出来ないのである。
と同時に具体的な目標やビジョンを持たずに、「選手個人の能力を上げる」事にしか目が向いてない人物が、JFAの会長として権限や権力を握っていては永遠に到達し得ないのである。
 
今のJFAは新しいリーダーを必要としているのだ。日本サッカー全体を新しいステージに到達させるためには、船長を交代させる時期に来ているのではないかと、私はそう思っている。
そのキーワードは「日本的サッカースタイルの確立や熟成」「日本人の国民性に適ったチーム創り」ではないだろうか。私はそのような問題意識を持った新しい船長の登場を、首を長くして待っているところである。
 
今や日本サッカー界は、新しい船長とその執行部たちによって、新しい目標に向かって舵を執る時期に来ているのである。
 
 
 
 

「負けるべくして、負けた」試合だった(2021.09.02)

 
このコメントは、オマーン戦後の吉田キャプテンのコメントである。
 
この言葉にはいろんな意味が含まれている、と私は想う。
前回のこのコラムで既に触れている様に、森保監督の代表監督としての適性について私は答えを出しているので、重複するコメントをするつもりはない。
 
昨日のオマーン戦は事前準備を1か月掛けてしっかり準備して来て、勝つための試合を組み立て「チーム戦術」を創り上げてきたオマーンと、相変わらず「個人の技術や能力で選手たちが何とかしてくれる」という姿勢で試合に臨んだ監督との、力量の違いがはっきり見て取れた試合であった。
 
 
                      
                       オマーン代表監督イヴァンコビッチ氏
 
 
 
もはや森保氏の代表チーム監督としての能力の無さは、私達の様なサッカーファンのみならず代表選手たちの間でも深く浸透していることが、今回の吉田キャプテンの上記コメントは象徴している。
 
森保氏はついに、選手たちの信頼も得られなくなっているわけである。
オリンピックメキシコ戦あとの、選手のコメントでもこの手の「想い」は感じられたわけであるが、いよいよ吉田キャプテンも黙ってはいられなかった、のであろう。
 
ここから先は日本サッカー協会の判断が問われることに成るのである。
技術委員会なのか、JFAトップの判断に成るのであるか判らないが、いつ森保氏に引導を渡し、後任監督の選考に入るのかである。
 
万が一それすら行われないのであれば、現在の執行部は総退陣しなくてはならない。
何故ならば、このままではカタールW杯に日本代表が参加出来ないという、あってはならない事態に陥るからである。
 
 
無能な監督を評価し、セレクトするのは協会の主要な責務である。
それが出来ない執行部に日本サッカーの将来を託すことは、出来ない。
 
その責務を果たさず、W杯への出場が実現しなくなる事はあっては成らないのであり、それを避けるために執行部は責務を果たさなければならないのだ。
さもなければ現執行部は森保氏と運命を共にすることに成るであろう。
 
今や日本代表のサッカーは、一部のサッカー業界人の手を離れた大きな存在と成っているのである。その事を忘れては成らない。
 
 
 
 

 さらば 森保監督(2021.08.08)

 
一昨日のオリンピック三位決定戦は、残念なことに1-3でメキシコに負けてしまった。
私自身はこのオリンピックの戦いに過大な期待を抱いていたわけでは無かったので、さほど落胆はしていない。
むしろいくつかの点で収穫があったので、その収穫にしっかり向き合えばそれなりに好い経験をした、と思う事もできる。
 
さてそのよい経験の筆頭は「森保監督の評価が冷静に出来る」という事である。
とは言っても私自身の彼のサッカー監督としての評価は、既に2019年の「アジアカップ」「コパアメリカ」で定まっており、今回のオリンピックでもその評価が追認できたに過ぎない。
 
結論からいえば彼には日本代表の監督は務まらない、という事である。
その理由は先ほどの戦いのそれぞれの総括でも行ってきたように、以下の点に集約することが出来る。
 
 
①彼は「短期間にタイトルを争う大きな戦いの仕方を、理解していない」。
それは
「選手の疲労蓄積への配慮が足りない」
「ターンオーバー制という発想を有していない」
といった点で明らかである。
 
今回のオリンピックでは中二日というスケジュールで、一週間に3試合ずつを繰り返すことに成った。これは短期集中型のカップ戦の宿命である。
 
そして真夏の暑さ真っ盛りの時節に繰り広げられる週3回の戦いに、30代のオーバーエイジが最終戦でガス欠をし、凡ミスを繰り広げてしまった。
それが今回の敗因の大きな要因の一つであった。疲労蓄積によるDF機能の低下である。
 
そしてそれがメキシコの得点に直結したのは、観ての通りである。吉田も遠藤もかなり疲弊していたのはTV越しでもはっきりと見て取れたので、間近で接していた監督はもっと感じてたはずである。
 
しかし彼はその点への対策をとっていない。「アジアカップ」や「コパアメリカ」でも同様であった。彼はずっと同じ選手を使い続ける傾向があるのだ。そこには選手の疲労蓄積への配慮がない、のである。
 
今回もまた森保監督はこの点へのマネジメントが考慮されてなかった。
あらかじめ今回のスケジュール、即ちオリンピックという短期集中型カップ戦であることが判っていたにも拘らず、それへの準備やプランが欠如していたのである。
 
 
森保監督は中5日や6日でスケジュール通り実施される「リーグ戦」での戦い方については、それなりに結果を残しているが、短期間に集中して行われる「カップ戦」での戦い方を知らない、またはそういう発想を持っていない、即ち短期集中型のカップ戦で結果を出すためのマネジメント力を有していない、残念な監督なのである。
 
従ってW杯という大きな大会で、短期集中型のカップ戦を戦い結果を出すための方策やマネジメント力を有していない、こういった大会には不向きな監督なのである。
 
もちろんW杯の一次リーグに出場することが目的であれば、それで済むかもしれない。
しかし一次リーグを突破するのは最低ラインの目標で、BRST8、あわよくばBEST4への進出を期待する、私のような人間にはこのレベルの監督では満足しない。
 
何故ならばそのレベルはW杯に出場すること自体が目的の、20年近く前の代表監督への期待値に過ぎないのである。
 
 
②彼は「チームについての戦い方や、約束事への発想を有していない」
ここ数年間日本のDF陣の成長は著しく、今回のオリンピックにおいてもリーグ戦からスペイン戦までは、かなり守備は安定していたし、実際好く機能もしていたので安心してみていることが出来た。
 
「吉田」「酒井」「遠藤」「板倉」「富安」が安定していたからであり、GK「谷」もそれなりに機能していた。前線でのFW林の守備面での貢献も大きかった。
最終戦のメキシコ戦で3失点を食らったのは①の理由で疲労の蓄積が30代のDF陣を襲ったからであった。
 
ところが攻撃陣については、残念な結果しか残していない。
チームとしての戦い方即ち「チーム戦術」が構築されておらず、チーム内でその戦術が共有されていないのである。
 
一次リーグの対戦相手では「堂安」「久保」「前田」「林」といった選手たちはそれなりの結果を出せていたし、彼らの個人技はそれなりの水準に達していたのは間違いない。
更に幾つかの場面では、目を見張るプレーが少なからず見受けられた。
 
 
しかしチームとしての攻撃スタイルというか、攻撃時のチームとしての約束事が殆ど感じられなかったのである。それは個人の技術で打開しDFの壁を突破することが、監督から指示され期待されている、としか思えない攻め方であった。
 
即ち森保監督のオリンピックチームには攻撃時での「チーム戦術」が無いか、殆ど共有化されていないのである。
 
その限界が感じられたのがBEST8の「ニュージーランド戦」以降である。
 
背が高く頑丈で屈強なDF陣の待ち構えるゴール前に、個人技で持ち込んで突破を図ろうとしても限界があり、無理があるのはサッカーをある程度理解している人間であれば、容易に判る事である。
 
そしてこの戦い方は日本代表が世界の強豪国を相手に戦って、何年も苦汁を味わってきた闘い方であり、更に経験値として日本代表の弱点や限界としてDNAの中には組み込まれているはずである。
 
 
そんな中でそれを打破し、突破することが出来たのはやっと前回のロシア大会であった。
即ち「乾-香川が奏でたシルキーな連係プレー」がそれであり、私たちはそのプレーに光明を見出すことが出来たのであった。長いトンネルを抜け出た感を抱くことが出来た。
 
更にはロシア大会が行われた2018年秋、新たに招集された日本代表メンバー「大迫-中島-南野―堂安の創り出すアタッキング4」もこの延長に連なるモノであった。
 
更にこの時の攻撃スタイルは、長い間待たれていた「日本的な攻撃スタイル」の典型であり、そのスタイルの確立に向けた第一歩と期待が高まった。
 
小柄な日本人たちが繰り広げる、俊敏できめ細やかな連続プレーを息の合ったメンバーによって展開させられた時には、大きくて頑丈なDF陣であっても成す術なく翻弄されてしまうのである。
ロシア大会での「ベルギー戦」が良い例であった。
 
世界屈指のDF陣が乾と香川の織なす連携プレーに翻弄されていたのは、記憶に新しい。
こういったプレーが、日本人の身体能力や国民性に合致した日本が目指す「日本的な攻撃スタイル」なのである。
 
 
ところが2018年秋、ロシア大会の後に短期間観ることが出来た、前述の「アタッキング4」は当時の日本代表の森保監督が作り上げたものではなかった。
 
たまたま招集された「大迫―中島-南野―堂安」のユニットが、偶然創り挙げたものに過ぎなかったことが半年もかからずに判明した。
 
中島が負傷欠場した「アジアカップ」ではこの手のユニットが存在していなかった事や、「コパアメリカ」においても確認出来なかった事から、2018年秋のユニットは森保監督のプランや戦術で無かった事はあきらかである。
 
 
「アジアカップ」や「コパアメリカ」で展開された攻撃スタイルの中心は、「個人の能力=個人技」による突破であったのだ。「チームとしての約束事」や「チーム戦術による攻撃」は殆ど見ることが出来なかった。そしてそれは今回のオリンピックも同じであった。
 
従ってこの監督には「日本的な攻撃スタイル確立」を期待することはできないし、そのような発想を彼は持っていないのである。
2018年秋の「アタッキング4」の展開は、4人の招集メンバーによって偶然もたらされたものであったために、初めの3・4か月で消えて行ったのである。
 
 
今回のオリンピックでも確認出来たように、森保監督は個人の「技術」や「突破力」で得点することを期待し、標榜している監督であるのだ。
 
その攻撃スタイルではアジア予選を突破することは出来ても、W杯本戦で欧米強豪国の組織された屈強なDF陣を翻弄することも、崩して得点をゲットすることも難しいことは明らかである。
それはロシア大会以前の日本代表の戦い方を意味し、一次リーグ突破がせいぜいでそれ以上前には進めないのである。
 
森保監督はロシア大会やアタッキング4が培ってきた、「日本的な攻撃スタイル」に対する理解度が低く、その戦術への意識が高くないのである。
攻撃時において「チーム戦術」を志向していない残念な代表監督なのである。
 
それはとても残念なことであるし、日本代表監督に求められ期待されている能力ではない、のである。
何故ならばこれまで彼が展開してきた戦い方では、過去の失敗を繰り返すばかりでかつての日本代表に引き戻ることであり、その殻を打ち破って新しいステージに登る、という日本代表の目指すべき方向とは、相いれないからである。
 
従って森保監督には今回のオリンピックの敗退の責任を負って、代表監督を退任すべきであろうと私は想っている。
 
 
                       
 
 
 
若しこれからも尚、日本代表監督を彼に続投させるとすればそれは、日本サッカー協会首脳陣のロシア大会の成果に対する分析能力が低いことや、今後の日本代表の到達すべきビジョンが見えていないことを意味する。
 
「これから50年以内に、日本代表をW杯で優勝させたい」というビジョンを持ち、それを掲げるのであれば、STEPupに繋がる計画を練り上げ、その目標に応じた課題を明らかにし、それに沿ったアクションを起こさなければならない、のである。
 
それは日本の全サッカーファンに対する、日本サッカー協会の責務なのである。
 
 
現在の日本サッカーの立ち位置を考えれるならば、
 
「世界大会で戦う事の出来る能力を有した」監督
「―日本的な攻撃スタイルの確立―を実現できる」監督、
「世界のサッカー強豪国を相手に、勝ち抜ける戦い方を知っている」監督
 
であるかどうかが監督選考の際の、大事な評価や選択の基準に成るのではないかと私はそう想っている。
 
 
今後4・5年したら経験を積んだ長谷部あたりが、その任務を担ってくれることは大いに期待出来ることであるが、それまでのつなぎ役を委ねる監督は、しっかりした評価基準や選択基準により撰び抜き、明確なビジョンに基づいてセレクトするのが、日本サッカー協会の仕事なのではなかろうか、と私は期待している。
 
そしてそのつなぎ役は、残念ながら森保氏では務まらないのである。
彼にはJリーグ辺りで活躍して貰ったらよいのである。
 
 
            さらば⁉森保監督!    なのである。
 
 
 
 
 

 久々の代表戦:VSモンゴル(2021.03.30)

 
今日久々の日本代表の本戦が行われた。ワールドカップ二次予選の対モンゴル戦である。
結果はご存知の通り14-0の圧勝であった。
 
私自身はこの試合に日本代表が勝利したことは、殆ど関心の対象ではなかった。
神奈川にいる息子はその辺りにもこだわっていたようだが、言うまでもなくこのクラスにてこずるようでは、日本代表はW杯に出る資格すらないと想っているからである。
 
 
私が注目したのは、現在の日本代表の立ち位置の確認であり、近い将来に向けた新しい人材がどれだけ育ってきているのか、の確認といった点であった。
 
既に述べていたかと思うが、イタリアで実績を上げている吉田と冨安を軸としたDF陣は安心して観ていられる水準に達しているが、今回はボランチの安定ぶりが目についた。
とりわけ遠藤の安定ぶりはしっかり確認でき、安心して 観ていられた。
それに加えて守田という元川崎出身の選手の発見は、新たな喜びであった。
 
 
正直なところ長谷部が代表を引退した後のボランチのリーダーが柴埼では、私は心もとなく思っていたのであったが、遠藤の成長ぶりに安心することが出来た。
更に守田という選手の発見である。
 
Jリーグに詳しい息子によると川崎フロンターレの頃から守備能力はかなり高かった、という事であったが、今年ポルトガルに移籍してから攻撃に積極的に絡むように成り、その成長ぶりが今回目についたのだろう、と私に話してくれた。
 
いずれにしても先週の日韓戦での活躍も含め、彼の発見は日本代表の今後について考えると、嬉しい限りである。
 
 
               
 
 
そしてFW陣の前線である。
14-0というスコアや、日韓戦の3-0という結果だけ見ると、単純に喜んでよいのかもしれないが、私はあまり満足していない。
 
攻撃陣の一人一人のクオリティが高かったので、モンゴルや韓国に対して得点を重ねられることが出来たのだと想っているが、それはあくまでもアジア水準に対して通用する事である、と私は想っているからだ。
 
私が意識しているのはあくまでも次のW杯で、Best8あわよくばBest4に進出するレベルに達しているかどうか、が問題だと想っているのである。
 
 
そしてその様な目で見た限りにおいては、モンゴル戦も韓国戦も残念ながらそれらを感じることは出来なかった。
 
今から2年以上前の秋口に、私達の前に披露された「大迫-中島-南野―堂安」の 前線が奏でた、目を見張る攻撃スタイルである「アタッキング4」に比べたら、今の攻撃陣は数段落ちたままなのである。
 
日本の攻撃陣が世界のトップクラスのDF陣を相手に通用するためには、この「アタッキング4」であれば十分可能だろうと想っているが、今回のモンゴル戦や韓国戦のレベルでは無理だろう、とそう想っている。
 
 
日本のFWが通用するのはロシア大会で「乾―香川―大迫」が見せた、「俊敏さ」や「細やかな連係プレーによる崩し」といったプレーの連続によってこそ実現し得る、とそう想っているのである。
 
このロシア大会によって垣間見えた「日本的な攻撃スタイル」、それがさらにバージョンアップしたと思われる2018年秋の新メンバー「大迫―中島―南野―堂安」が披歴した「アタッキング4」こそが、目指すべき方向性であると、私はそう想っている。
 
今回の二試合でもまた森保JAPANは、その方向を向いていない。
個々の攻撃陣の、個人的な能力での打開を指向しているままである。残念なことだ。
 
答えは出ているのにそうしないのは監督の考え方との違い、なのであろう。
そしてそれを容認している日本サッカー協会の、意思決定なのであろう。まことに残念なことである。
 
 
アジアで通用するサッカーで満足するのであれば、今回の14-0というスコアは大満足かもしれない。
しかし、世界で通用するサッカーを目指すのであれば、アジアの中堅国に勝ったことに浮かれたり満足していてはダメなのである。
 
本気で50年以内に日本代表をW杯で優勝させたい、と思っているのであれば目指すべき方向が違うのではないか・・。
 
「日本的な攻撃スタイル」の構築や確立。
更にはそれをチームとしての約束事として定着させ、そこに向け人材を育成し続け、輩出させる。
 
その時に初めて、世界は「日本のサッカースタイル」を認知するのではないだろうか・・。そしてその様なレベルに達した時に日本チームのW杯での優勝が、絵空事ではなくなってくる、のではないだろうかと、そう私は考えている。
 
 
 
 
  

 オーストリア遠征(2020.11月)

 
 
今月の日本代表は、先月の「オランダ遠征」に続く、ヨーロッパでの欧州組のみの招集による、中南米の「パナマ」と「メキシコ」との戦いであった。
 
今回の視点としては、前回とは異なり個々人の選手の成長度合いや現時点での能力の確認、という事にはとどまらなかった。
前回の場合はほぼ1年ぶりの招集であったことから、チームとしての連携や、成熟に関しては殆ど期待していなかったが、今回は違う。将にこれらのチームとして求められる点を重視した。
 
というのは言うまでもなくここ4・50日の間に2度目の招集であり、さしたる間が空くことなく実質的にも14・5日間は一緒に練習を重ね、4試合も戦いを経験しているから、である。
この短期間にこれだけ一緒にプレーをする機会があれば、当然「チームとしての連携/連動」や「チームとしてのある程度までの成熟度」は浸透しているもの、とそう思うからである。
 
 
そしてその観点でいえば初めの「パナマ」はやはり、まだまだ不十分であった。
とりわけ前半は個人プレーが目立ち、チームとしての連携や連動性は殆ど見ることが出来なかった、ストレスを感じる試合展開であった。
 
後半に成って何人かの選手を入れ替えてからは、ある程度連携プレーや連動が感じられるようになり、チーム力が上がってきたようであった。
「遠藤航」や「原口」といった選手の投入がその推進力だったのかもしれない。
 
 
第二試合目の強豪「メキシコ」との戦いは、日本代表及び森保監督の力量を世界の強豪と比較するのに、実に判かりやすい試合であった。
 
選手個々人に関していえば、DF陣では「冨安」の参入による安定が確認でき、やはり現時点でのCBのBestメンバーは、「吉田と冨安」であることが判明した。
 
またボランチでは「遠藤航」の安定感がやはり大きく、「柴崎」との組み合わせはとても機能していたように、感じられた。
 
FW陣は前回も触れたが二年前の「アタッキング4」には程遠く、「鎌田」を除く個々人のレベルや前線での連動性や連携プレーの成熟度には、殆ど見るものがなかった。
チャンスが何回かあっただけに、よけいその未成熟さが目についた。
 
これはこの4・50日に行われて来たであろう、代表チームのチーム造りが不十分であったことを物語っているもの、と私には想えた。
 
更に前回のオランダ遠征のときも感じていたように、GKの能力の違いがメキシコ戦での敗因となってしまったようだ。
メキシコのGKが好プレーで、日本の何回もの決定機を防いだのに対し、日本のGKは好プレーは殆ど見られなかった。
 
敵のアタッカー陣の好プレーを防ぐことが出来なかった、のである。
やはり今の日本代表にとっては、世界に通用するGKの登場が待たれるのである。
 
 
 
 
               
 
 
 
そして「監督の力量の差」である。
 
メキシコ戦は前半に限って言えば、明らかに日本がイニシアティブを取っていた展開であった。何回も決定機があったが、前述したように攻撃陣の連係プレーや連動性が不十分であったために、得点にはつながらなかった。
 
そして後半に成ってである、明らかにメキシコの動きが変わっていた。
これはHTに監督が与えた指示が、功を奏したのであろう。メキシコのアルゼンチン人監督は前半の日本のプレーを見て、自チームのプレーに修正を施しプレッシャーの位置を高く取り、チームの連携を一層高め、アグレッシブに攻めてきた。
 
それに対して森保監督は、当初のプラン通りに選手交代をスケジュールに沿ってこなしていたように見られた。
そのプランは、後半15分の選手交代や30分頃の交代で明らかなように、パナマ戦の起用とのたすき掛け交代であり、オリンピック代表選手と日本代表選手の交替といった形で現れた。
 
 
多分この交代劇はあらかじめ決められていた通りの、プランに沿った交替であったように私は想えた。
臨機応変という言葉とは程遠い、事前に建てられたシナリオありきの計画通りの交代劇であった。
 
試合前の監督インタビューでは森保監督はメキシコ戦は「勝ちにこだわる」というようなことを言っていたようだが、実際の彼の采配は「勝ちに行った」のではなく試合前に建てたプランやスケジュール通りに、遂行しただけであろう。
 
若し勝ちにこだわった采配をしているとすれば、前半の日本代表個々人の動きや関わり方を修正させる動きもあっただろうし、選手交代の中身がオリンピック代表とのたすき掛け交替には成らなかっただろうと、私は想っている。
 
柴埼や鈴木武蔵の交替などは、どう見てもオリンピック世代の経験積み重ねのための采配としか、想えなかったのである。
年明け早々に始まるW杯アジア予選のために攻撃陣の熟成度を図る、とか連携プレーのクオリティーを上げるといったような意図ではなかったように、私には想えた。
 
結果的に0-2という試合内容であったが、勝ちにこだわったアルゼンチン人監督とオリンピック世代の育成、といった視点を隠し切れなかった監督との差がはっきり感じられた試合であった。と私には感じられた。
 
この問題の原因は「日本代表監督」と「オリンピック監督」とを、国際試合の経験の浅い監督に一人二役をさせている日本サッカー協会の責任だと、私はそう想っている。
 
森保監督には「オリンピック監督」だけに専念させた方が本人にとっても、日本代表にとっても佳いのではないかと、改めてそう感じた「オーストリア遠征」であった。
 
 
それにしても現地時間の11時台に試合を組んだことは、TV放映権の問題もあったのかもしれないが、モヤだか霧だかに試合が襲われたことも含め、サッカー協会は選手ファーストで考えてもらいものだと、そのように思った次第である。
 
 
 
 
              
 
 
 
 
 

 オランダ遠征(2020年10月)

 
先週の9日と13日には、オランダにおいて欧州在住の日本選手を集めて親善試合がおこなわれた。ほぼ一年ぶりの代表召集であった。
対戦相手は「カメルーン」と「コートジボアール」というアフリカの雄であった。
 
今回の親善試合は言うまでもなく「コロナ禍」の影響を受けている。
そしてコロナの影響は、スケジュール上は2022年開催予定になっている「カタール、W杯」もオリンピック同様、今後も予定通り開催されるかどうかを曖昧なものにしている。
それに灼熱の中東カタールでは、何月ごろにW杯が行われるかも未だ明確に定まってないらしい。
 
そのような状況下でのこの親善試合である。
私はこれらの状況を前提にしてこの親善試合を見ることにした。
 
 
そこでは当然の事、「勝ち負け」にはほとんど関心は無かったのである。
一部の販売部数を増やすことを優先に考えているマスコミでは、「勝ち負け」にこだわった報道を中心になされていたが、それは私にとって不毛の視点であり、報道であった。
 
私にとっての関心事は、今やヨーロッパに在住している選手だけでも代表チームを編成できるまでに数の増えた、旬のサッカー選手たちの、現時点での成長ぶりをこの目で確かめることが、第一であった。
 
FW陣で言えば「南野」「久保建英」「堂安」「鎌田」「鈴木武蔵」といった若手選手たちの成長ぶりや、ヨーロッパのリーグで揉まれ続けている選手達の、現時点での選手としての能力的な意味での立ち位置の確認であった。
 
このことは当然DF陣も同じで、「冨安」や「吉田」「酒井宏樹」等の成長ぶりや立ち位置の確認であった。
そしてボランチにおいては柴崎のパートナーや後継者に誰がなり得るのか、といった点が関心事であった。
 
即ち選手個人の成長度合いをチェックすることが主眼であった。
ほぼ一年ぶりに召集された選手達に対して、「チームとしての連携」や「成熟度」といった、本来サッカーチームに求められる機能は、今回に関しては求めることも期待することもなかったのである。
 
 
そしてその点についていうなれば、「南野」「酒井宏樹」「堂安」に関しては相変わらずの安定ぶりであり、安心して見ていることが出来た。
 
また「久保」「鎌田」「鈴木」「遠藤航」に関して言えば、ヨーロッパの新リーグでの適応も一定できているようで、今後の成長ぶりが期待できた。
想定外だったのはベテランキャプテンの吉田で、彼はプレミアからセリエに移ってDFとしての安定感が増した気がする。
 
彼にとってイタリアという新天地は、彼自身のDF力をUpさせることにつながったようだ。これは日本代表のDF陣にとってはとても喜ばしいことである。
 
 
全体的にDF力は充実してきているような印象を、私は感じていた。これは日本代表がずっと抱えていた課題であって、長い間世界で通用するレベルのDFではなかった。
 
日本のサッカーは長い間、前線においては世界でも通用する選手を何人も輩出していたし、ボランチもそれなりに安定していた。その水準に比べDF陣はやはり落ちていた。
それがやっと安定して見ていられるようになったのだ。そのことが実感できて私は嬉しかった。
 
残りはGKであろう。今回の「権田」や「S.ダニエル」は大きな失敗は見られなかったが、だからと言って安定感が高まっていたわけではなかった。今もなお川島クラスが代表に召集されているようでは、まだまだ道のりは遠いのである。
 
 
 
             
 
 
 
それにつけても、二年前の今頃は日本代表のFW陣が奏でる「アタッキング4」は実に見事であった。
「大迫」「中島」「南野」「堂安」のFW陣が織りなす連携プレーは、相手のDF陣を翻弄し、彼らのポジションチェンジを含めた変幻自在の見事な連携プレーは、見ていても実に楽しかったものだ。
 
そしてこの「アタッキング4」が機能する限り日本のFW陣は安泰である、などと思っていたものである。つい二年前の事だった。
 
しかし残念ながら今のFW陣に、このころの連携プレーは見る事が出来ない。誠に残念である。監督は全く同じ人物であるにも拘らず、である。
 
私はこれまでも「ロシア大会のブログ」などで書いてきたように日本サッカーの目指す戦い方は、身体が小さくて俊敏さが持ち味の日本選手は、きめ細やかなドリブルやパス交換で、大きくて屈強な世界有数のDF陣を切る崩すことだと思っている。
それが「日本的なサッカースタイル」の在り方だとそう想っているのである。
 
 
かつてのなでしこJAPANもそうだったし、ロシア大会で「乾」「香川」「大迫」「柴崎」が、コロンビア戦やベルギー戦で演じた、あの時のプレーの延長戦にのみ日本サッカーの攻撃陣の明るい将来はあるものだ、とそう思っている。
 
そして二年前の「アタッキング4」は将にその延長線上にあり、その発展形態だと思っているのである。したがって去年あたりから見れなくなったこの「アタッキング4」が今回も見れなかったのはとても残念であった。
 
やはり「アタッキング4」を次に目にすることが出来るのは、森保監督に代わる新監督の登場を待たなくてはならないのだ、と改めて確認した次第である。
 
そしてこの課題は主として代表監督の任命権を持つ、日本サッカー協会の幹部たちの「日本代表のサッカー像」の在り方に関わってくるのであるな、とつくずく想ったのである。
 
 
そのためにはロシア大会でそのことを痛感したのではないかと思われる、西野監督が技術委員会のTopになるかことが必要なのかもしれない、などと思っている。
 
何よりもW杯でBEST8やBEST4に進出するためには、世界を知っていて、世界との闘い方を知っている人物に、日本代表の監督になってもらいたいのである。
選手個々人の成長が実感できる今、まさにそのことを強く感じているのである。
 
 
 
 
                   
 
 
 
 
 

 代表監督(2020.02.06) 

 
言うまでもなくサッカーは個人のスポーツではなく、チームで戦うスポーツである。
従って、選手個々人の問題はさることながらチームとして、すなわち組織や集団として機能しているかどうかが、とても重要になるスポーツである。
 
そのためには、選手個々人の能力はもちろんのこと、それ以上に監督の力量がチームの優劣を決定する重要なファクターになる、ということをしっかり認識しておく必要がある。
従って日本代表に限らず、サッカーチームを強くするためには当然監督の選考が最も大きな問題となるのである。
そしてそれを担う日本サッカー協会の、とりわけ技術委員会の代表監督を決めるという役割は、とても重要な問題なのである。
 
さてその日本サッカー代表監督に関する協議が、先月末に協会の技術委員会で行われ、喧々諤々の白熱した議論が行われた、と新聞などの報道で知ることができた。
 
議題は言うまでもなく、U23アジア選手権で一次リーグを敗退した結果を受けての、森保監督の去就及び進退責任についてであった。
 
 
私自身のスタンスはこれまでこのコラムで述べてきたように、森保氏の監督としての能力や力量を見限っていることから、更迭すべきだと想っているし今回のアジア選手権の結果は、単にその結論を追認することでしかなかった。
従って日本サッカー協会の技術委員会で議題になるのは当たり前のことだと思っていたのである。
 
因みに先月の技術委員会の結論は、とりあえず3月までは森保監督の続投ということで落ち着いたようである。
個人的には残念な想いでこの協議結果を聞いたのであるが、一直線に自分が想っている様に行かないことは承知しているし、そのことに苦言を呈することは無い。
 
協会内部には森保監督の就任を推進したメンバーが今でももちろん居るだろうし、一昨年の秋に「大迫-中島-南野-堂安」が見せたアタッキング4の残像を評価しているメンバーも居るであろうから、一筋縄では行かないのは当然な事なのだ。
 
 
しかしながら去年の今頃行われた「アジアカップでの采配」や夏の「コパアメリカでの采配」さらに直近の「U23アジア選手権の結果」を見ても明らかなように、森保監督は日本の代表監督を任せられる水準の能力や力量を持ち合わせた監督ではないのも、残念ながらまた事実なのである。
 
あるいは彼を推奨する協会の有力者にの中には、「Jリーグ三連覇」といった彼の実績や「日本人の代表監督」に拘る人物もいるかもしれないが、そのようなセンスの人たちに日本代表のチームの運命を決めて欲しくないものだと、私は願っている。
 
 
私自身は日本サッカー協会が掲げたという「2050年までにW杯で優勝する」という目標を評価もしているし、支持もしている。
これを単なる「願望」や「空手形」と考えていたとしたら、この目標は永遠に達成されることはないだろうと私は想っている。
 
Jリーグが発足してから25年近くは過ぎていると思うが、この間日本のサッカー界の底上げや発展は著しいものがあった。
それまでは出場したこともないW杯の本戦に、今では出場することが当たり前でそれを逸するようなことが起きると、日本サッカー協会の指導部は総退陣でもしなければ成らないまで、追い込まれるだろうと私は感じている。
現在の日本にとってW杯とはそういった存在に成ってきているのである。
 
 
更に本戦の一次リーグを突破することは夢でも願望でもなく、50%の確率で実現するようにさえ成ってきている。それだけこの25年近くで成長して来ているのである。
従ってこれからの30年以内に、更に一歩ずつ階段を上って行くことは実現しなければならない課題であり、実現可能な目標と成っているのである。
 
具体的には「W杯優勝」という目標に向かって、Best16の壁を突破しBest8に到達することを目指し、その先のBest4に向かって成長し続けることである。
私が存命中にどこまで突き進み成長するかは神様しか知らないことだが、その目標に向かって日本サッカー界が突き進み、成長を遂げることはmustな課題であり、それを実現させることが日本サッカー協会の使命なのである。
 
このようなヴィジョンのもとにサッカー協会の執行部は選出されなければならないし、その方向性に向かって技術委員会は「日本代表チーム」を導かなくてはならないのである。
 
 
 
                                               
 
 
さて、この様なミッションやヴィジョンを前提とした時に、現在の日本代表チームは果たしてそのための成長のプロセスをしっかり歩んでいるといえるのだろうか、そしてその歩みに向けて現在の代表監督は相応しい人物、適任者であるといえるのだろうか?と云った事が当然問題になってくるのである。
 
そのことを私は日本サッカー協会の執行部や、その担当部署である技術委員会のメンバーに向かって問うてみたいのである。果たして森保氏はそのようなミッションを果たしうる能力や力量を有しているのか、と。
 
 
ヴィジョンを持たない組織やチームは悲惨である。
 
組織やチームとして目指す目標や進むべき方向性を持たないと、人間関係の融和だけに目が向かい、ただの「仲良し倶楽部」で終わってしまうのである。
同好会や愛好会ならいざ知らず、日本代表チームは数千万人のサッカーを愛する日本国民の想いを背負った「ナショナルチーム」なのである。
 
その「想い」の重さをしっかりと自覚した上で、明確なヴィジョンのもとに代表監督の選考をしてもらいたいのである。
 
 
因みに私の森保監督への評価は昨年のコラム「アジアカップの総括」や「コパアメリカの最終戦」今年の「U23アジア選手権」で明確に分析/評価しているので、ご興味/ご関心のある方は、参照してみてください。
 
また「サッカー日本代表のあるべき姿」については昨年のロシアW杯の連載コラムの「総括」でも述べているので、同様に覗いてみてください。
 
 
 
最後に私は、日本女子サッカーチームのW杯優勝を導いた佐々木則夫前監督への、男子サッカーチーム界での評価の低さが不思議でならないと、感じている。どうして佐々木監督は男子サッカーチームの監督に呼ばれないのであろうか・・。
どなたかご存じの方がいたら是非とも教えてほしい。
 
更に数年後にはドイツやヨーロッパで監督経験を積んだ長谷部誠が、日本代表の監督と成って日本代表をさらなる高みに導いてくれる日が来ることを、私は密かに夢見ているのである。彼が長らくドイツで在籍したチームのマネジメントスタッフになることは、すでに確定的な様なので、彼の今後の成長が待たれるのである。
 
世界のトップリーグで世界の一流選手たちと戦い、世界の一流の監督たちと雌雄を決する戦いの経験を積んだ監督に成って初めて、サッカー日本代表は「W杯優勝」を実現出来るだろうと私はそう思っている。
そのような監督に導かれて初めて日本代表はBest8やBest4の壁を破ることが出来るのである。決してJリーグの優勝監督経験者で十分、というわけではないのである。
 
 
 
 
                     
 
 

 
 
 
 

 酒井高徳とサイドバック(2020.01.07)

 
 
今年の天皇杯はイニエスタのヴィッセル神戸が優勝した。
ヴィッセルは楽天のオーナー三木谷氏傘下のチームと成っているが、そこには三木谷氏自身の出身地兵庫への愛着が根底には流れているのだと思う。
それと同時に、ヨーロッパやアジアマーケットを意識した楽天グループのブランド戦略もあって、イニエスタをはじめとしたワールドクラスの著名な選手を集めるように成ったようである。
 
その結果、今では潤沢な資金とマーケティングを意識した金満クラブと成って、神戸のバルセロナ化を志向しているようである。
そのヴィッセル神戸が昨年あたりからやっと、組織として機能し始めチームとして安定してきたように思われる。
その理由は幾つか挙げられるがドイツ人監督の採用とDF陣の安定が、大きかったように私には想える。
 
 
これまで集めたスペイン人を初めとしたワールドクラスのタレント(才能)は、多少ピークを過ぎてはいたが、個々の選手としては全く問題なかった。
しかし組織として機能できていたかというと、攻撃陣の充実に比べてDF陣は十分とは言えず結果も出てはいなかった。
それが昨シーズンあたりから、それらの弱点を意識的に修正し補強してきたのである。
 
DF陣の安定はCBにベルギーの現役選手を獲得したことと共に、長年ドイツで活躍していた酒井高徳を獲得したことが大きかった、ようである。
酒井高徳はドイツ人の母と日本人の父親の間に生まれたこともあって、ドイツ語には堪能であるし、何よりもブンデスリーグで20代初頭から10年近くプレーしてきたことが大きかったと思う。
 
ドイツ的な「組織で戦う」という戦い方も身に沁みついているし、ワールドクラスの選手たちを相手に戦ってきた経験はしっかり彼の財産として、身に付いてきているからである。
 
その彼がドイツ人監督の下で働くことによって、監督と日本人選手やワールドクラスのベテラン選手たちの間の、佳き仲介者=媒介者になっているのだと思われる。
ドイツ語が堪能で、ハンブルガーで数年間キャプテンを務めていた経験も生きているのだと思う。彼はキャプテンシーもまた高いのである。
 
 
したがって、神戸が酒井高徳を獲得したことは一人の選手を獲得したこと以上の価値があったし、意味を持っていたのだ。
その結果として昨年夏以降のヴィッセル神戸の快進撃に繋がってきたのであり、今年の天皇杯をGETすることが出来たのだと、私は想っている。
 
現在の監督のもと酒井高徳がチームの要となって、今後もワールドクラスの選手たちを獲得し続ければ、しばらくの間ヴィッセル神戸はJリーグを牽引するチームであり続けるのではないだろうかと想う。
更にはアジアチャンピオンリーグでも良い結果を出し続けることになるのではないかと、私は期待を持って推測している。
 
実際に天皇杯でも酒井高徳の動きは、サイドバックとしても十分効果的に機能していたし、決勝点に繋がる動きをしていてプレーヤーとしての能力も発揮していた。
さらには我々観戦者の目に見えないところで監督とチームメイトの間の潤滑油となり、リーダーシップを発揮していたのではなかったかと、私は推測している。
 
 
その酒井高徳はサイドバックが本職である。ボランチなども時々任されるポリバレントな選手であるが、やはりサイドバックが好いのではないかと私は期待している。そしてそのポジションこそが今の日本代表には必要だと考えている。
 
これまで永く日本代表のサイドバックを牽引してきた長友も、すでにピークを越え90分間フルにアップダウンを繰り返すのには、体力的に限界があるようだ。
 
最近の日本代表の親善試合でもその点は顕著で、サイドバックを崩されて失点する場面が増えてきている。
したがって長友に代わるサイドバックを牽引する選手の補填や補充が、今の日本代表にとっては喫緊の課題なのである。
 
 
右のサイドバックには酒井宏樹が控えており、CBには成長著しい富安が控えている。
この布陣に酒井高徳というピースが加われば、日本代表のDF陣はかなり安定して来るように思われる。
 
更に彼には数年間ハンブルガーでキャプテンを務めてきたという、経験に基づくキャプテンシーがある。かつて長谷部が務めてきた役割を彼であれば十分こなせると思う。
しばらくは吉田がキャプテンを続けるかもしれないが、その後任は酒井高徳が適任であるように私は想っている。
いずれにせよ酒井高徳は、現在と近い将来の日本代表にとって非常に貴重な存在に成るだろうと思っている。
 
 
                 
 
 
しかしながらご存じなように彼は「日本代表引退宣言」をロシア大会の後に、早々としている。残念なことである。
 
私は酒井高徳が引退宣言をした背景には彼がこれまで、日本代表において結果的に冷遇されて来たことがあるのではないかと、推測している。
これは主としてこれまでの歴代監督の選手起用やチーム作りが原因であるが、結果において彼は代表召集されても、あまり試合に出ることが無かったのは事実なのである。
 
 
ちなみに彼はサイドバック不足と言われて久しいドイツでも代表選手に選ばれかけたが、彼の意志で日本代表を選んだという経緯を持つ。
彼にとっては自分がサッカー選手として育った、新潟や日本に対する思いは強いのである。
 
その彼が27歳という、選手としてはピークといわれる年齢で引退宣言をしたのは何故であろうか・・。そのことについてのしっかりとした理解がないと、彼の引退宣言撤回には至らないであろうと私は想っている。
 
私はやはり二十代半ばの日本代表時の経験が反映されているように推測する。すなわち代表監督からの冷遇にあったのではないかと、想うのである。
その時に作られた心の問題を解決しない限り、引退宣言は撤回されないのではないかと私は想っている。
 
そしてこの問題は何よりも日本サッカー協会の課題である。
サッカー協会の強化担当部門が担うべき課題だと、想っているのである。
森保監督の処遇問題と同様に、今後数年間の日本代表チームにとって大きな、解決しなければならない課題であると私は認識している。
 
もちろん日本サッカー協会が「酒井高徳」という逸材をどのように分析し、日本代表チームにとってどのような存在として位置づけるか、も関係してくる。
私の見解との間に相違はあるかもしれないが、次のW杯で日本代表がBest8以上に飛躍してほしいと願う私は、そのように思っているのである。
 
もしサッカー協会が私と同様の認識をしているようであるなら、三顧の礼を以って酒井高徳を訪ね頭を下げるべきではないか、とそう思っている。サイドバックの強化と今後数年間は任せられる、日本代表の新キャプテンを獲得するために。
 
 
 
 
 

香川真司と南野拓実(2019.12.21)

 
 南野がついにクロップ監督率いるリバプールに移籍することが決まった、と云う事である。喜ばしいことである。
南野はセレッソ大阪を出て5年近くオーストリアの名門サッカーチーム「ザルツブルグ」に在籍し続けていた。
 
傍目ではずいぶん長くオーストリアという、サッカー中堅国に留まっているものだと、私は想っていたものである。
彼のサッカー選手としての実力は、日本代表などでもしっかり確認していたので、いつまで経ってもステップUpしない彼の行動が、私にはよく理解できないでいたのだ。
 
 
昔読んだことのある中国の歴史書に、
「三年鳴かず飛ばずでいるのは、より高く飛ぶためであり、より大きな声を轟かすためである」といった様なことが書かれていたように思われるが、南野選手にしてみれば将にそう云う事だったのかもしれない。
 
 
ザルツブルグでの五年の間「より高く飛ぶために、より大きな声で轟き渡らせるため」に、じっと準備をし、自分を磨いていたのかもしれない。周りではさぞかし雑音が五月蠅く聞かれ、喧しく感じられたことであろう。
 
しかし彼は今シーズンのチャンピオンズリーグで活躍して、その存在価値を大きく世界のサッカー界にアピールすることが出来た。
とりわけ昨年のチャンピオンチーム「リバプール」戦においてであった。1G1アシストで試合には敗れはしたが、MANオブザ・マッチに選ばれたのではなかったかと思う。
そして一連の試合で、何よりも敵将のクロップ監督の心を鷲摑みにしたようである。
 
 
クロップ監督はドイツのドルトムントに居て、香川を発掘した名伯楽であり日本人サッカー選手への偏見は持っていない。更に彼は優秀なチームを作り上げるノウハウを持っており、それを可能にする手腕も揃っている。
現在の世界の監督の中でもトップ3に入る名監督であろう。その名伯楽によって、南野拓実という駿馬は見い出されたのである。
 
かつて香川真司という駿馬も、やはりクロップ監督という名伯楽によって見い出され、その才能を開花しヨーロッパサッカー界で、知られる存在になった。
 
香川の不幸は マンチェスターUのファーガソン監督に乞われて移籍し、チームのプレミア優勝に貢献したのであるが、そのファーガソン監督が1年で香川の居るマンUを退団したことであった。
 
ファーガソン監督の指名した後任の監督が凡庸で「キック&ラッシュ」という古典的なイギリスサッカーの信奉者であったことから、香川に居場所は無かったのである。
そのオールドスタイルの監督によりチームはもちろん低迷し、技巧派でチームメイトとの連携プレイでゴールを演出するタイプの香川に出番はなかった、のである。
ファーガソンには才能のある選手を見出す能力はあったが、才能ある監督を見出す能力は残念ながら無かったのであろう・・。
 
 
さてその香川が先日サッカージャーナリストとのインタビューで「南野拓実のリバプール移籍」について語っていた。私はその配信記事を読んで、香川の人間的な成長に驚いたのであった。
 
その時のインタビューで香川は自分自身を客観視して、自らの歩んできた道を振り返り、上手く行った事と上手くいかなかった事とを冷静に分析していて、南野にサッカー選手のそして人生の先輩としてのエールを送っていたのであった。
 
結論として彼が言っていたのは、ビッククラブの一員になるから得る経験が、後々自分のサッカー人生にとって財産に成る、といった様なことを言っていた。
そしてそれがひいては後続する日本人サッカー選手達にとっても、大切な事であるというようなことを述べていた。
 
サッカー選手としての峠を越えたと思われるかつての名選手が、今まさにその峠を登り始めた後輩に対して語っているのである。
私はこのようにして日本のサッカー選手たちの層が厚くなって行き、日本のサッカー界がより深く掘り下げられより幅広く広がり、ひいては大きな山が出来る様に裾野が広がって行ってることを実感して、幸福感を味わっているのである。
 
そしてこのまま順調に、日本サッカー界という山が大きく育ち裾野が拡がって行けば、いずれ結果がついてくだろうと、そう期待もし確信もしているのである。
たとえ10年かかろうが20年かかろうが、である。
 
南野選手にはリバプールでの研鑽を積んで、「日本代表のアタッキング4」の一員としてこれからしばらくの間、日本代表の攻撃陣を牽引して行ってもらいたいと、そう願って止まないのである。
そして彼のもってる才能をクロップ監督がより高い場所まで導き、更には開花させてほしいものだと、そう思っているのである。
 
 
           
              
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 



〒089-2100
北海道十勝 , 大樹町


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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