春丘牛歩の世界
 
先週から、「行者ニンニク」が採れる様に成り、我が家の食卓にも乗るようになった。
行者ニンニクが採れる様に成ると、今年の春がやって来た事を実感する。
これまでの私の経験では「行者ニンニク」が生えてきてから、雪が降ったことは無いから、である。
 
 
      
 
 
野生の昆虫や動物たちが作る巣の位置で、颱風の影響を早い時期に推測できることがあるが、自然界の生き物たちは彼らなりのセンサーで、天候や自然現象を察知する能力がある。
そんな事から私は、「行者ニンニク」が我が家の林に生え始めることを、季節の到来のメルクマール(指標)にしているのである。
 
 
      
 
       
         
 
     
 
 
    記事等の更新情報 】
*4月19日 :「コラム2024」に、「青い春」と「チャレンジ虫」を追加しました。
*3月25日:「相撲というスポーツ」に「新星たちの登場、2024年春場所」を公開しました。
*2月8日:「サッカー日本代表森保JAPAN」に「再びの『さらば森保!』今度こそ『アディオス⁉』を追加しました。
*01月01日:本日『無位の真人、或いは北大路魯山人』に「無位の真人」僧良寛、或いは・・を公開しました。
これにて本物語は完結しました。
12月13日:  『生きている言葉』に過ぎたるはなお、及ばざるが如し」を追加しました。
*9月29日:「食べるコト、飲むコト」 に「バター炒め二品 」を追加しました。
*9月27日;「物語その後日譚」に「奥静岡の鶏冠(とさか)山」を、追加しました。
 
 

  南十勝   聴囀楼 住人

          
               
                                                                  

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         2024.05.01
              牛歩
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
      

 

2024年は元旦からの「能登半島大地震」によって、いきなり厳しい年がスタートしました。そして翌2日には羽田空港での「飛行機同士の接触⇁炎上」と続き、今年は一体どんな年になるんだろうと、緊張感の漲る年の初めでした。
暫くはその緊張感を緩めることなく、日々を過ごす事に成ろうかと身を引き締めようと想っているところです。
 
それと去年は私が過去にこのコラムのシリーズで指摘して来た話題の、延長線上に繋がる事件や事故が続き、改めて過去のコラムを読み返しており、かつての自分の指摘や問題意識がある程度”的”を得ていた事を、再確認すことが出来ました。
 
 
   ・オリンピック利権というビジネスモデル(2021.6月):その後の広告代理店幹部の逮捕
  ・「晩節を汚す」或いは「老害(2021.2月):オリンピック汚職や自民党裏金問題
   ・余人をもって代え難し(2020.5月):安倍派・二階派への裏金事件への検察捜査開始
   ・北海道とコロナウィルス2(2020.4月):地方自治体首長の能力差が出る天災時の対応
    平常時と緊急時(同年3月):同上
   ・芸能事務所とタレント(2019.7月)ジャニーズ事務所と吉本興業松本人志等の不祥事発覚
  ・日大アメフト問題(2018、5月)日大アメフトの問題は、学校法人の組織体質問題だった。
    *上記は2つは「コラム」ではなく「ブログ」の中に記載
 
    
今振り返れば「安倍政権」が検事総長に「黒川」氏をゴリ押しようとした、その原因が「オリンピック汚職」や「自民党裏金疑惑」への、検察の捜査が及ばない様にしたことだと良く理解できる。
また、今回の「能登半島地震」での石川県の馳知事や岸田首相の対応を観ていると、天災等における緊急時に、的確な行動のとれる有能なリーダーの有無が、県民や被災者の生命の存亡に大きな影響を与えることが再確認出来た。
 
その一方プーチンに依って引き起こされた「ウクライナ侵略戦争」と、ネタニヤフイスラエル首相に依るパレスチナ「ガザでの虐殺」が起きている。
いずれも民族主義者に依る、他国侵略や他民族への戦争はまだ続いており、今年も残念な事にまだ続く可能性が高い。
 
 
 
 
               <  目 次 構 成  >
 
                       1.「天災」と「人災」(01.10)
      2.「クラス会」   (03.11)
        4.「青い春」と「チャレンジ虫(04.19)
 
 
 
  
 

  青い春」と「チャレンジ虫」

 
 
今年の春は例年より早く、ここ北海道十勝にも訪れているようである。
例年だとGW頃までは残っている根雪は既にすっかり溶けており、家の前の牧草地などでも白い雪は消え失せ、青い草が一面を覆い尽くしている。
 
我が家の庭では春の先駆けである「福寿草」は既に咲き終え、濃紺の「クロッカス」や白や黄色の「水仙」が庭を彩っており、春の到来を実感しているところである。
 
 
更には敷地の一画に生える野草である「行者ニンニク」も、かなり目立ち始めておりボチボチ初摘みをしようかと、考えている。
 
その「行者ニンニク」が採れ始めると、追いかけるように「フキノトウ」や「コゴミ」「ゼンマイ」といった野草たちも、あちこちに芽を出す様に成る。
 
そして未だビニール掛けをしていない、ビニールハウスの土壌からは「アスパラガス」や「ニラ」がにょきにょきと、生えてくるのである。
 
この様にして我が家の春は始まり、一面に緑色が茶色い土を覆い尽くす様に成るのだ。
文字通り「青い春」がやって来る。
 
 
                    
                       初摘みの行者ニンニク
 
 
漢文化の影響を受けている我が国において、「春」は「青色」で語られ、方位としては「東」を意味し、ライフステージにおいては「10代半ば~30手前」を指し、「青春」と称される。象徴は「青龍」である。
 
このステージは発展途上であるが故に「無限の可能性」を感じさせ、「前途有望な将来に対する期待」や少なからぬ「夢想」や「妄想」を、私達に抱かせる。
 
もちろん現実にはその後の「多くのチャレンジ」や「試行錯誤」の結果、少なからぬ「失敗」や「壁の存在」を経験し、「学習」を積み重ね「挫折」をも体験する事で、自分という人間の「限界」や「身の丈」のリアリティを識ることに成る。
 
そうして次第に人間的には「丸く」成って行き、「とんがり」は消え「ムダな事」はしなくなる。
 
 
この様なプロセスを経て「現実を受け入れ」て、「想定内の日常」の中を毎日生きてゆくことに成り、やがて家庭を築き、家族を養うようになり一家を形成するようになる。
 
このステージを漢文化圏では「朱い夏」と言い、「朱い=赤・紅」色で表現され「熱い季節」を指す。
方位としては「南」を示し、ライフステージでは「30代~50手前」を指し、「朱夏」と称す。「朱雀」がその象徴である。
 
それから先は「白い秋」「黒い(=玄い)冬」に向かい、いよいよ「西」や「北」を指す様に成るのである。「白虎」「玄武」がその象徴である。
 
 
             
 
こんな風にして私達は年齢を積み重ねていくのであるが、ときおり無性に新しいことにチャレンジしたくなる事があり、少なからぬ回数において「想定内の日常」を打ち破るアクションを、行いたくなる。「変化を求める」のである。
 
もちろん個人差があるのであるが、私などがその手の「チャレンジ」を行いたくなるのは、これまでのところ「人生の節目」を迎えた時期であり、「50歳前後」「還暦を迎えた頃(60前後)」「身体的な老いを感じた頃(70前後)」といった感じであった。
 
私の場合ほぼ10年周期で、この手の「変化を求める」ため「問題意識の発生」や「チャレンジ精神」が湧き起こって来たようだ。
 
 
「身体が元気」で「心も健全」で「時間がたくさん残って」っていて、「多少財布にゆとりが残って」いれば、単純な私はすぐさま「行動力」に任せて「チャレンジしまく」って来たのである。
が、「残された時間が多いとは言えず」「身体的にもあちこちで欠損が生じ」たりすると、簡単に「チャレンジ」することは出来ず、おのずと慎重にならざるを得ない。
 
将に「自分の身の丈」に合った範囲での「チャレンジ」、という事に成り「実現可能」な事柄にフォーカスを絞った「アクション」、という様に限定的に成ってくるのである。
 
その上、「アリさん」タイプの人間ではない「キリギリス」タイプの私は、「限られた原資」を使っての「チャレンジ」という事で、更なる絞り込みが必要に成る。
 
 
今年70歳の古稀を迎え「白秋前期」から「白秋後期」に差し掛かる身としては、「青春」や「朱夏」の世代の様に無茶をする事は難しくなってきている。
 
しかしながら、私は腹の中に天然の「チャレンジ虫」を抱えているため、キット死ぬまで「チャレンジは止めない」だろうという事が、自分でも判っている。
 
困ったものだが、その腹の中の「チャレンジ虫」と「どうやって折り合いをつけ」ていくか、を考えながら今でも毎日闘っているところだ。
 
 
そして、実年齢よりも「若く元気だねぇ」と周囲からよく言われるのは、この腹の中の「チャレンジ虫」のお陰かも知れない、などと時折想ったりするのである。
 
身体的には明らかに峠を越えた私は「チャレンジ虫」の突き上げを食らいながら、今年の「朱夏」や「白秋」「玄冬」をどう過ごそうか、考え始めているところである。
 
 
 
 
 
 

 「社会派サスペンスドラマ」或いは「相棒」

 
 
私は比較的「ミステリーもの」といったジャンルの、TVやDVDを見る傾向がある。
 
ではあるが「ミステリーもの」であれば何でもよいか、と言うと必ずしもそうではない。
やはり見ごたえのある番組や作品、それなりの内容でないと、納得しないし継続的に視聴し続けることは殆ど無い。
 
そんな中で比較的よく観る「ミステリー」として挙げることが出来るのは、「英国製のサスペンスドラマや番組」である。
やはりかの国のこの分野の作品はレベルが高く、クオリティーが維持できているものが多いようである。
 
「ポアロ」「ホームズ」「ミスマープル」といったおなじみの作品はもちろん、「刑事フォイル」「主任警部モース」「ニュートリックス」といった番組も比較的よく観る。
 
そしてこの「英国製ミステリー」の基盤を創ったのは、何と言っても「コナンドイル」だと私は想っている。
「シャーロックホームズ」がその象徴であるが、日本で言えば明治時代初期に当たる時代に彼に依って書かれた、本格的「ミステリー」の存在が、その後のイギリスの「推理小説」の基準と成り、それ以降メインストリームとして「推理小説」の方向性を決定づけた、と私は想っている。
 
 
                      
 
 
その後創られた「アガサクリスティー」や「アンソニーホロビッツ」の作品群を観ても、彼らの作品が「コナンドイルの作品」をかなり意識している点を、私は感じることが少なくない。
 
そしてそのコナンドイルの作品の特徴でありかつ魅力となっているのは、やはり「社会的な背景を背負ったミステリー作品」である点が、大きいようである。少なくても私にとってはそうである。
 
「市井の殺人事件」や「社会的事件」といった現象の背景に、「社会的な要因」が在って当該する「事件」や「トラブル」が起こっている、という因果関係をしっかり押さえた構成になっている点が、彼の創作する「ミステリー作品」や「物語」に、深みや面白みを感じさせてくれている様に、私には想われる。
 
 
日本では「松本清張の作品」に同様の傾向があるが、彼の場合は「マニアックなトリック」に走る傾向があり、その点が私には鼻につく。
その代表例が『砂の器』で、野村芳太郎監督の「映画」の作品と松本清張の「原作=小説」とを比較してみればよく判る。
 
『砂の器』が高く評価されるのは、原作の「小説」以上に「映画」の作品が醸しだす「映像」や、その背景にある橋本忍らの「脚本」の力が高く評価されているからだ、と私は確信している。
 
映画『砂の器』を観た後、原作の「小説」を読めば私の言っている事を理解してくれる人も多いのではないか、と私は想っている。
かの『砂の器』は日本の映画史上に残る、優れた「映像作品」だと私はそう位置づけ評価している。
 
 
                      
 
 
 
そんな私が、日本のTV番組の中で殆ど唯一と言ってよくチェックしているのが、テレ朝の「相棒」である。
 
この番組の魅力は、先ほど述べたような「社会的な背景を持ったサスペンス番組」であり「社会派刑事ドラマ」と言ってよい内容を持っているから、である。
毎週のように欠かさずチェックしているのは、この番組がやはり私の好みにハマっているからでであろう。要は私の価値観がそのまま反映しているのである。
 
取り分け、シーズンの初めや終わり、そして元旦に放映される二時間のスペシャル番組は見応えがある作品が多かった。
 
そんな中で今回シリーズの「最終回」スペシャルが、先週の6日と先日の13日に放送され今回も私は観た。
下記はその視聴感想である。(=放映後の翌日このHPの扉に書いたブログの転載)
 
 
*3月6日の番組を観終わった感想
 
今回の「相棒」は実に興味深い展開であった。
久々の政治ものであり実に多くの伏線が貼ってあり、来週の後編が大いに期待できる内容であった。
 「地元のイチゴを贈って来た官房長官の犯罪」
 「過激な発言の大学教授が暴漢に襲われた」
 「政治家に依る司法への介入」
 「政権を批判したTV局の人事異動」
 「TV制作プロデユーサーの死」
 「杉下右京のネットでの告知と拡散」等など。
 
現在及びここ数年間「政治」や「社会」「TV局」の中で起きていた事が、随所に散りばめられ、撒かれているのである。
・そして最も気に成るのは、今回の「最終話」が一体何を意味しているのか、である。
・この番組を観たテレ朝の経営トップの対応によっては、「相棒」の番組自体が終わり得る可能性があるから、である。
そこに私は「相棒」の名物脚本家輿水泰弘や監督橋本一、プロデューサーらのある種の覚悟を感じた、のだ。
 
来週がどの様な展開になり、「相棒」の制作者たちへの影響が今後いかに行われ、TV朝日という会社がこれからどうなっていくのか、興味津々なのである。
 
 
以上の様に、3月6日の「最終話”前編”」の内容は充実していて、沢山の伏線が貼ってあり、この時点で私はおおいに「後編」に期待したのであった。
 
というのもこの「前編」に描かれていた内容から私が独断と偏見で読み取ったのは
 
地元のイチゴを贈って来た官房長官の犯罪」は、かつて安倍内閣で6・7年間官房長官を務め、最も安定していた官房長官と一部の人達に評された「菅義偉」氏の実家は、秋田の裕福な「イチゴ農家」であり、このエピソードはその事を連想させた。
 
・「過激な発言の大学教授が暴漢に襲われた」のは、2・30年前に新進気鋭の社会学者と持てはやされ、2年ほど前に暴漢に襲われた都立大学教授「宮台真司」氏の事を彷彿させた。
宮台教授は以前ほどの輝きを失っているが、かつては「過激な発言」がウリの社会学者であった。
 
政治家に依る司法への介入」は、その菅官房長官が推し進め、自身が安倍元首相の後釜に収まった時に実現を図った、「黒川検事総長就任」ゴリ押しのエピソードを私には連想させた。
 
・「政権を批判したTV局の人事異動」は、「安倍晋三首相」「菅官房長官」「二階幹事長」の時代に、NHKで行われた「ニュースウォッチ9」「クローズアップ現代」のキャスター達の相次ぐ降番や、人事異動の事実が重なった。
 
 
これら伏線を経た上で番組の中で発生した事件TV制作プロデューサーの死」は、NHKで起こって来たこれまでの事や数年前に発生した、テレ朝の看板番組の一つ「報道ステーション」のTV制作会社(オフィス2・1)の交替や、局の制作プロデューサーが「報道番組経験者」から、「バラエティー番組経験者」へと交替させられた事実を、私は思い起こしかつ連想し、その関連性を妄想してしまったのであった。
 
これらの番組にとって「看板は前と同じ」であっても、制作会社の変更や担当プロデューサーの交替は、当事者にとっては「死」を意味するからである。
 
従って、この「TV制作プロデューサーの死」という展開は、テレ朝首脳陣、より具体的には安倍晋三元首相のメシ友だった、「早河洋」現会長への「相棒」制作陣の「メッセージ」や「覚悟」を含んだ番組なのかもしれない、と更なる妄想をたくましくしたのであった。
 
私が次週の「後編」の展開に大いに期待したのも、この様な連想や妄想が活発に働き好奇心が大いに蠢(うごめ)いたから、であった。
 
 
                       
                           テレ朝の早河会長
 
 
その様な妄想や期待があったから今回の「最終話」が引き起こすかもしれない、「テレ朝経営陣への影響」、そしてその反動としての経営陣から制作陣へのアクションがどうなるかを、私は大いに期待もし妄想を豊かにしたのであった。
 
即ちひょっとして、今回の「相棒最終話」制作陣の「メッセージ」や「反乱」が、テレ朝経営陣の怒りに触れ「番組がこのシリーズで完結してしまうかもしれない」
 
更にかつてテレ朝局内で行われて来た様に「看板だけ」残して、実質的な制作者である「番組制作会社」や「看板脚本家」「局の制作プロデューサー」の交替が、今回も行われるかもしれない等と邪推し、いろいろと妄想が広がって行ったのだった。
 
 
今回の「最終話」はそういった番組存続に繋がりかねない、今後への「影響」や「リアクション=反動」を覚悟しての「最終話」だったのかもしれない、等と制作陣の「想い」や「覚悟」を、勝手に妄想したのであった。
 
しかしながら実際に放映された「後編」は、「前編」の路線を敷衍(ふえん)するのではなく、いつもの60分番組に近いレベルの「フツーの相棒」内容であり、大いに肩透かしを食ってしまったのであった。
 
私の幾つもの「想像」や「予測」「推測」「妄想」「期待」はあえなくも飛び散り、雲散霧消してしまったのであった。
 
 
「前編」で大見えを切った割には、あっけない「官房長官の死」やその犯人の「リアリティの無い動機」、「未成熟で軽い人物像」「荒唐無稽な殺害方法」は、全くの残念な「小品」でしかなかったのである。
 
登場人物たちの設定上の役柄である、内閣の要である「官房長官」の登場も「前法務大臣」や「前特捜(検事)部長」の配役やその言動も実に軽く、リアリティさが全く感じられなかった。
残念ながら今回の「最終話」は「前編」が匂わせたような、「社会的な背景を背負った、重厚なミステリー作品」等ではなかったのである。
 
最近の「相棒」に「社会的な背景が無くなって、つまらない作品が多い」と、愚痴り嘆くことが増えた愚息の指摘を、今回の「最終話」で私は納得してしまったのである。
誠に残念で「尻すぼみ」な作品であった。
 
 
「相棒」もここらでもう一度原点に返って、「社会を意識」した「とんがった作品を」と期待するのは、無理難題な事なのであろうか・・。
それとも現在のテレ朝の首脳陣の意向を忖度して、「反骨心」や「牙」を無くしてしまった「中途半端な作品」を、今後も作り続けるのであろうか・・。
この番組の制作陣に、このままこれから先も期待出来なくなっていくのであろうか・・。
などと考えてしまったのである。
 
 
かつての「報道ステーション」が持っていた、「ジャーナリズム」としての魅力が無くなってから、地上波のテレ朝の報道番組を観なくなり、BSTBSの「報道1930」にチャンネルを替えた様に、
「相棒」から遠ざかり「Amazonプライム」や「Unext」「Netflix」等で、「英国製社会派サスペンス番組」を見ることに成ってしまうのであろうか・・。
 
そうだとしたら、誠に残念な事である。
 
ますます日本の地上波がつまらなくなり、これから私は地上波そのものを見なくなるのであろうか?
それとも地上波を離れる事で、結果的に選択肢が増えることに成った、と喜ぶ様に成るのであろうか・・。
 
 
 
 
 
 

 クラス会 (03.11)

 
 
先月下旬に郷里山梨で、ほぼ十年ぶりの高校のクラス会があった。
前回は還暦後のクラス会だったが、いよいよ今年古希を迎える年となった事から開催されたようであった。
多くの元クラスメートが現役を退き、先祖伝来の田畑を相手に農業に勤しんでいる事もあり、果樹などの忙しくなる春先を避けたこの時期が農閑期として、選ばれたのだった。
 
いつも桃やスモモ、サクランボ、ブドウといった果物類を送って頂く身としては、彼らの農繁期は避け、彼らの意思を出来るだけ尊重して合わせるのである。
 
 
私は北海道在住なので、なかなか参加出来ないのだがほぼ10年振りであった事と、次はもう会う事もないかもしれない、との思いもあって今回は参加したのだった。
 
久々の友人たちは、男性陣はすっかり髪は薄くなり顔には皺やシミ等が出ていて、年相応の風貌に成っており、女性陣も同様ですっかり「おばさん」に成っていた。
 
そして50年近く前には青雲の志を抱き、東京や神奈川の大学などに進学していた彼ら彼女達も、故郷に帰り地元の自治体や団体職員などでそれなりの役職に就いていたのであったが、退職して10年近く経つと皆、高校生の時代と同様に素に返り、すっかりフツ―のおじさんやおばさんに戻っていたのであった。
 
40年近くの社会人を経て、その間身にまとっていた様々な役職や位階の衣を脱ぎ捨てると、今では家作の果樹作りや田んぼの米作りにすっかり、勤しんでいるのである。
 
 
彼らと一晩寝食を共にして温泉などに入って、改めて「還暦」とはよく言ったものだと、感じ入った次第であった。
 
次回は5年後に、等と話し合ったのであったが私自身を含めて、果たしてこの中の何人が次回に参集できるのだろうか、と笑いながら言って石和温泉を後にした。
 
 
そんな高校のクラス会を終えて10日ほど経って、大学時代のクラスメートの訃報が舞い込んで来た。
 
昨年の11月下旬に、京都でのクラス会に一緒に参加していた友人の訃報であった。
 
彼は4年ほど前に「膀胱癌」を患っていて、入院手術してすっかり治ったと聞いていたが、最近「他の内臓に癌が転移した」と言っていたから、気にはしていたのだが、どうやらそれが悪化した様であった。
 
ほんの4・5か月前まで元気な姿を見せていた彼の訃報に、私は哀しむと共に驚いてしまった。
 
 
70歳近くなると、親しい友人たちの訃報がそれなりに入ってくるようになり、決して「他人事」ではなく「自分事」として、「死」を身近なテーマとして自覚するようになるのは、自然な成り行きである。
 
私自身は還暦を過ぎた頃、思いたってこのHPを立ち上げたり、それまで全く関心が無かった、『歴史検証物語』なるものを書くようになったのであったが、そこにはそれなりの「動機」が実はあった。
 
それまで商業施設開発に関わるマーケティングの仕事を40年近くやって来た私は、この間膨大な数の市場調査を行い報告書を作成し、クライアントに提出する事を生業としてきたのであったが、還暦を機に自らの来し方行く末を、立ち止まって考えた時に「オレはこのままで良いのか?」等と考えてしまったのであった。
 
そしてその様な自問自答を経た結果、何とか「自分の生きた証」を残して置きたいものだ!と思い立って今日に至った。
 
 
その頃タマタマ訪れた「函館」の「立待ち岬」で、知ることに成った「砂山影二」のことを、持ち前の好奇心から掘り下げて追い求め、書き始めたのがキッカケとなって『函館、青柳町、アカゲラ亭』を書きあげたのであった。
 
以来10年近くかけて甲斐源氏「安田義定」や「砂金・金山開発」に関わる事などを調べ書き綴って今日に至っている。
キッカケは「自分の生きた証を残したい」といった、単純な漠然とした動機であった。
 
おかげさまで「チリも積もれば山となる」ではないが、HPの開設に伴う公開で年間3・4万人の閲覧者を得ることが出来、自己満足しているところであり、今ではすっかり初期の目的は達せられたかも知れない、と想っているところである。
 
 
そんなことを考えていると、藤沢周平がどこかの物語だかエッセイだかで書いていた
「ふるさとを廻る六部(りくぶ)の気の弱り」
という言葉が頭をよぎった。
 
親しかった友人の訃報をキッカッケに、私も気が弱くなった、のであろうか・・。
 
 
                     
 
 
 
 

  「天災」と「人災」

 
2024年は、年明け早々の「能登半島大地震」と「羽田空港の旅客機衝突」とに依って、早々に正月気分が吹き飛んだ。
 
尤もそう想っているのは、「岸田首相」と「馳石川県知事」を除く多くの国民にとってであったようだ。
その証拠に岸田首相は地震発生後の当日にTV番組で、お定まりの地震被災地への心の伴わない「お悔やみ」や「迅速な対応」と述べただけで、今年行われる自身の自民党総裁選への抱負を能動的に語っていた、という。
 
そして何よりもその日に行われた新年会に3か所もハシゴしていた、というのだ。
私はそれらの報道を聞き、彼には震度7の激震が起こった事への想像力の欠如という事実や、地震災害の情報収集や、積極的な対応といったものへの熱意といったものが無い人間なのだ、としか思えなかった。
 
彼にとって「能登半島沖地震」は、自国民の生命や財産の危機といった問題としてではなく、キット遠い外国の問題だとでも思っていたのではないか、と妄想してしまった。
 
と同時にかつてハワイ沖で遭難した「えひめ丸」の事故が起きた時に、当時の森喜朗という総理大臣が、その報告を聞いてもそのまま「ゴルフを続けていた」、という出来事を思い出した。
 
森喜朗元首相にとっては「海洋練習船」とアメリカ海軍潜水艦の「衝突事故」よりも、「ゴルフ」の方が大事なコトであったように、岸田首相にとっても元旦の「新年会」の方が優先順位が高かった、のであったのだろうと理解した。
 
 
 
          
 
 
 
また、石川県の馳知事は出張先だったのか実家への帰省先だったのかは不明だが、巨大地震の一報を聞き官邸に赴き、急遽自衛隊のヘリコプターに同乗して、金沢に戻ったのだという。
この対応は、数年前に千葉県で起きた台風直撃災害時に行方をくらました、森田健作知事の対応よりはマシではあった。
 
ではあるが、馳知事がその際に自衛隊に要請した派遣人数は1,000人という規模であり、しかも当日ではなく翌日からの出動で良い、という依頼だったという。
一方当時の自衛隊は、8,500人体制で出動態勢を取っていたのに、である。
 
 
馳知事は県の危機管理スタッフや、被災地の市町村長たちから一体どんな情報を得ていたのか甚だ疑問で、彼らからの情報が緩いものではなかったことは想像に難くない事から、知事の判断能力が”緩かったのではないか”と、大いに問われるのである。
 
更にその時の馳知事のアクションを聞いて私は、彼が一昨年の集中豪雨で石川県内に多くの被害が発生した時にも、白山に登っていて迅速な対応が出来ず、県庁職員がリーダー不在のママ対応せざるを得なかった、という事実をも思い出した。
 
 
また震度7の激甚災害から5日経った1月6日に成って、やっと「県内での非常事態宣言」が出されたことにも、彼の今回の災害についての認識の低さや、対応能力の欠如を再確認することに成った。
 
巨大地震が起きた時にビルや家屋の倒壊で、それら建物の下で一刻も早い救出を待っていた被災者に対する想いが足りなく、「72時間=3日」後に被災者の生存率が急激に低下するという事実も、彼の頭の片隅にはなかったのだろうか、と妄想してしまった。
 
 
 
           
 
 
しかし、県の危機管理スタッフや消防&警察の幹部達から、当然それらの情報は伝わっているはずだから、単に知事本人の判断力や危機意識の欠如だったに違いない、と推察する事はできる。
 
彼の下した判断は、地震発生から「72時間」の生存期間の限界を2日過ぎた、更に48時間後に「非常事態宣言」を発令した、という訳である。
 
 
千葉県の森田健作元知事も、石川県の馳知事も共に著名な「タレント」や「プロレスラー」であり、それらの知名度が彼らを知事職や国会議員に、長く留めさせていたのだろうが、知名度が高いことで選挙には勝てても、今回の様な天災や重大な人災に遭遇した時に、必要かつ的確なリーダーシップを発揮する事には必ずしもつながらない。
 
森喜朗という安倍派の重鎮(元会長)で、今回の自民党の裏金問題でもその制度設計にも大きな影響力を持っていた政治家は、「橋本聖子」「堀井学」といったスケート選手や、「馳浩」といった著名なスポーツ界の人物をスカウトし、多く国会議員に選出するきっかけを造り、その仲介役を担ってきたのであるが、その結果がこうやって今振り戻って来ているのである。
 
これら議員の多くが「裏金問題の阿部派」に所属している事実は、決して偶然のことではないのだ。
 
 
千葉県の森田元知事が、大きな災害をもたらした颱風後の、知事選に4選目の立候補を取りやめたのは、千葉県民が森田健作というタレント知事の「人間的な能力」を見切った結果の事である。
 
果たして石川県民が今回の「能登半島地震」に対する、馳知事の対応をどの様に観ていて、どの様な判断を下すのか私は注視していくつもりである。
 
何故なら民主主義とは、最後は県民や選挙区の人間が「投票」という行為に依ってしか、「民意」を為政者に反映させることは出来ないから、である。
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



〒089-2100
北海道十勝 , 大樹町


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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