春丘牛歩の世界
 
五月も半ばを過ぎると、周辺の草木が一斉に、かつ活発に咲き始め、木樹の若葉も勢いを増して、目についてくる。
そして10日から二週間くらいのサイクルで、主役が入れ替わる。
 
エゾヤマザクラや梅の花から始まった樹の花も、富士桜や水仙に替わり黄色の鮮やかなレンギョウにと移り、最近はオオバナノエンレイソウにと替わってきている。
 
 
 
     長身のエゾヤマザクラ       移植して3年目の富士桜
 
 
4月中旬まで続いた冬も、GWを過ぎると景色はすっかり春色に染まり、私達の眼を愉しませてくれる。
 
 
 黄色いレンギョウはwelcomeフラワー  白いオオバナノエンレイソウ
 
 
そして鳥たちも盛んに春の季節を満喫している様で、カップル探しの婚活や縄張り主張のための、美声を競っている。
耳を愉しませてくれるのである。
 
と、書いたら
 
鶯が”ホーケキョ”と囀(さえず)った。
 
               
 
 
                 お知らせ
 
*5月2日:『本日コラム2025』に「卯月、さくら月を公開しました。
 
*3月22日:『甲斐源氏の祖、源義光』に新しく
”穴太衆”と”黒川衆”を公開しました。
 
*12月12日「食べるコト、飲むコト」に
               を公開しました。
 
11月28日「コラム2024」に 
              を公開しました。
 
 
 
    ♠     ♠     ♠     ♠
 
 
 

  南十勝   聴囀楼 住人

                                 
     
          
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                                
  

 
   
      

  
 
 
2025年は、どんな年に成るのであろうか・・。
昭和が始まってから今年は100年目に相当する。
 
この間「昭和」→「平成」→「令和」と三つの元号が替わってきている。
昭和は64年近く続き、そのほぼ真ん中ら辺に生まれた私は昨秋70歳の古稀となった。
年を取るわけである。
 
私が、このHP開設に繋がる『歴史検証物語』なるものに取り掛かるようになったのは、60歳の還暦を過ぎてからであった。
 
最近の若い人の事は判らないが、我々中高年にとってはやはり60歳というのは、人生の大きな節目を意味している。
中高年にとって、この歳の区切りはやはり大きい。
長い間定年を60歳とする企業や組織が多かったことも、関係している様に想う。
 
 
そんな私は昨秋70歳の古希を迎え、多少考えるところがあった。
 
60代は『歴史検証物語』や『人物検証物語』と共に、日常生活で感じてきたことを綴った、幾つかのコラム類を書きこのHPで公開して来た。
 
言うなれば60代は「文芸の10年」であった。
そんな私も70を迎え半年近くいろいろ考えてきたが、これからの10年間はもう少し社会との接点を増やして行こうか、と考え始めているところである。
 
60代の10年間が、どちらかというと”個人の嗜好”を追求していたのに対し、”社会とのつながり”を追求しようと考え、歩を進めようとしているのである。
 
 
それに伴い以前ほどは当該HPへの関わりは少なく成り、従ってHPの更新も少なくなり、必然的に新作公開のスピードは遅くなるし、その数も少なくもなるだろうと予測している。
予め、その事をこの機会に閲覧者にも表明しておくのである。
 
それに伴って、昨年6月からスタートした「会員制システム」を再検討することにしている。近い時期に新しいシステムへの移行を開始する予定でいる。
それもまた新しい”社会とのつながり”の強化の一歩なのである。
 
 
 
 
 
               <  目 次 構 成  >
 
            1.睦月
            2.衣を着、更に重ね着る、如月
            3. 弥生三月
            4.  卯月、さくら月
            5.五月/皐月は本格的な春
      
 
 
 
 
 

2025年 睦月

 
 
私が「歴史検証物語」なるものを書き始めたのは60歳の還暦を迎えた事が、一つのきっかけであった。
最初に手掛けた作品は『函館青柳町、あかげら亭』という石川啄木を愛し尊敬し、自らの家庭環境の変化とその結果起こった”不遇”に悲観し、自ら命を絶った、大正時代の文学青年「砂山影二」についての、「人物検証物語」とでもいうべき物語であった。
 
その後HPの開設に伴い、日常生活の関心事に関する「コラム類」等も書くようになり、ほぼ10年の月日が経った。
 
この間14・5本の「歴史検証物語」や「人物検証物語」を書き、100本近いコラムも書いている。
 
 
「歴史検証物語類」においては、平安末期から鎌倉初期に活躍した甲斐源氏の武将「安田義定公」との出遭いがあり、彼を中心とした甲斐源氏の歴史や痕跡を追い続け、7作品目に入ったが今もなお続いている。
 
だいぶ多くの事が判り始めてきたが、まだしばらくこのシリーズは終わらない。書き尽くしていないからである。
 
ではあるが、既にピークは越えていると想ってはいる。
現在の『甲斐源氏の祖、源義光』は義定公の曾祖父に当る源義光公に関する「歴史検証」である
 
彼から甲斐源氏や常陸源氏・近江源氏は誕生し始まったので、「甲斐源氏の祖」としてその人物像や背景を追い求めたある。
 
甲斐源氏安田義定公のルーツ・源流である「源義光公」まで行きついたのは、一つの区切りになるだろうと、想っている。
その「歴史検証物語」は今年中には多分、ある程度の形になるだろうと予測している。
 
 
 
                                       
                  
 
 
またもう一つの「歴史検証物語」の柱は「甲州金山衆」から始まった、義定公の家臣団の主力だった「甲州金山衆」のレジェンド「黒川衆」についてである。
 
「黒川衆」に関しては、安田義定公の検証物語の中にでも主要なテーマとして登場するから、両者の関係は表裏一体でもある。
 
そんな中で、「甲州金山衆」の関係者の一部が現在私が居住する北海道=蝦夷地に、鎌倉時代初期に渡って来た、という伝承の残る『大野土佐日記』との出遭いが、私と北海道=蝦夷地の「砂金」や「金山開発」に繋がり敷衍し、その分野でも『蝦夷地における砂金・金山事情』等として、「歴史検証」を行っている。
 
こちらは明治維新以降の「蝦夷地開拓者」との関係で、『市町村史』を中心に掘り下げ・掘り進んでいるところである。
まだ道半ばではあるがやはり「峠は越えた」と思いつつある。
 
 
そして「人物検証物語」は、冒頭触れた「砂山影二」のほかに「北大路魯山人」について取り上げて来た。
 
北大路魯山人という人物は、実に魅力ある人間で30代の頃から私にとっての興味・研究の対象であった。
その「人物検証物語」も昨年ほぼ書き終え、自分なりに得心し彼を識ることが出来たと想っている。
 
「人物検証物語」に関しては、今後また私にとって魅力的だと想える人物が出てきたら、その人物についての「人物検証」を行う事に成るだろうが、今は未だ現れていない。
 
 
 

 衣を着、更に重ね着る 如月

 
 
昨日は”立春”で春の到来を予感させる時節であったが、日本列島全体なかんずく我が道東十勝は、大雪に見舞われた。
 
十勝の中心であるJR帯広駅周辺は積雪125㎝と、観測史上の新記録であった、という。
十勝南部の海岸に近いエリアの我が家の周辺では6・70㎝で済んだが、久方ぶりの大雪であるのは同様である。
 
今年は暖冬で、先月後半までの最も寒い時節にも雪は無く拍子抜けするほどであった。
が、2月3月に成るとこうやってチャンと帳尻を合わせてくる。例年の事である。
 
 
 
               IMG_3779.jpg
 
 
 
 
農家の人に依ると”雪がしっかり降ってくれないと困る”らしい。
畑の土の保水への影響や、ミネラルの貯蓄にも影響があるらしい、というのだ。
 
大雪でも迷惑だが、雪不足も同様だという。
自然相手の事業のむつかしさか・・。
                                   0205
 
 
 
     
               流氷2025.jpgー2.jpg
 
 
 
本州の日本海側や一部の太平洋側では、現在も冬将軍の到来による大雪の影響を受け、交通や物流に少なからぬ障害が出ている、との事だ。
北海道でも日本海側では同様な雪害が起きているという。
 
日高山脈の東側で、大雪山系の南側に位置する我が道東十勝エリアは、今月初めの記録的大雪以降、平年通り晴天が続いている。
関東平野や宮城仙台平野同様、太平洋側は降雪の確率は低いのである。
 
 
そんな中で遅れていた”流氷”の接岸がオホーツク沿岸では相次いで、報告されている。
が、その接岸も1ヶ月近くは例年より遅い様だ。
 
これはシベリアの黒竜江=アムール川の河川の氷結が温暖化の影響で、半減している事にlinkしているのだという。
 
”流氷”の北海道北部オホーツク沿岸への接岸は、春の到来を北海道民に予感させてくれるのである。
 
                          
                                    0216
 
 
昨日で今年の2月は終わってしまった。
 
月初めの大雪で、交通機関はかなり影響を受けたが、その後の暖冬で順調に街や家の雪は溶けており、ついには畑や牧草地の根雪だけが残っている。
 
昨日今日は最高気温がプラス10度前後にまでなっている。
4月上旬の気温である。
 
 
             春の息吹2.JPG
 
 
 
 
このまま春に向かうかと思いきや次の水・木曜日にはまた雪が降る予定である。量は大したことないようではあるが・・。
 
やはり一直線には春はやってこないのである。
”三寒四温”なのだ。
 
しかし今年は、例年より2・3週間は早めに春がやって来るのではないか、と想わせる窓外の陽光の輝きである。
 
そしていよいよ春の到来になり
 
”衣の上に、衣を更に重ね着する”季節、
即ち”着さら着=如月”から、弥生三月にと替わって行くのである。
 
                                    0229
 
                                                   
 
 
 

 弥生、三月

 
 
昨日は、3.11の「東日本大震災」記念日であった。
マスコミなどでもこの記念日を中心に、いくつかの「震災関連番組」が造られ、放映されていた。
 
今月は大船渡市中心の山林火災もあって、”天災“について、改めて思いを致す事があった。
去年は能登半島震災であったから、地球のプレート活動が盛んな日本列島に住む以上、地震は避けて通れないテーマである。
         
      
           千島機構地震.jpg
 
 
 
そんな思いに浸っていると、ニュースで北海道の太平洋側地域において、”千島海溝の地震発生リスク“についての報道があり、この海溝に少なからぬ地震の発生原因に繋がる
”ヒズミ“が、現在かなり蓄積されていることを知った。
 
そんなこともあって、改めて家族で”地震及び津波"発生時の対応に関して、情報を共有しupdateを済ました。
 
 
「3.11」は「東日本大震災」の記念日であるが、同時に我が家の「地震及び津波対策」再検討日であり、update対応日でもあった。
 
”過去から学び現在に活かす”という事であろうか・・。
                              
                                     0312
 
 
 
 
 
 
春の”彼岸の入り”であった今週は、968hPという台風並みの低気圧が、北海道東部(道東)を襲った。
この季節には時おりある自然現象であるが、”春の嵐”の変形であろうか・・。
 
 
重くて大量の湿った雪は、40~50㎝ほど積もったが、見かけほどの影響を与えることは無い。
晴天が続き、気温もプラス一桁台の日々が続けば、数日で溶けてしまうからだ。
 
 
 
 
                                  三月の雪.jpg
                     重くて湿った春の雪
 
 
 
実際のところ週間予報では20日の”春分の日”を境に、最高気温が10度前後に成る事が予測されており、春が一気に到来するのである
 
将に”暑さ、寒さも彼岸まで”そのものなのだ。
 
とはいっても、GWが終わる頃までは今後も雪の降ることは推測されるのであり、まだ”冬が終わる”とは言えないのだ。
 
行きつ戻りつを繰り返しながら、北海道ではゆっくりと春に向かっていくのである。
 
                            
                                    0317
 
 
          ⛄   ⛄   ⛄   ⛄
 
                                          
 
 
本来ならば雪が降るべき時節なのに、雨が降っていた。
雨が止むと、上空を小白鳥やカモなどが群れを成して飛行している。
 
本州では25度を超える夏日なのだという。
窓の外では虫たちの姿も目に付くようになった。
 
”雨水””北帰行””啓蟄”いずれも春の先駆けなのである。
 
春分の日を過ぎ、彼岸が終わると一気に春が進んで来た感がある。
 
 
そしてサッカー日本代表である。
先の21日のバーレーン戦、昨日のサウジアラビア戦の3月の連戦は、勝ち点4を得た。
 
バーレーン戦の勝利で来年のW杯への出場を決めた。
喜ばしい事である。
 
バーレーン戦の勝利の立役者は1アシスト1ゴールを決めた久保建英であった。
彼の奮闘が今回のW杯出場を決定づけたのは間違いない。
 
 
 
            
 
 
 
さはさりながら、相変わらずの”個人技頼み”で、チーム戦術が乏しく、チームとしての約束事の乏しい森保采配では、限界が見えている。
今回のバーレーン戦やサウジ戦でもその点は変わらなかった。
 
今の闘いのままではこれまで通りグループリーグ突破が関の山であろう。
個々人の能力が歴代最強レベルであっても、チーム戦術やチームプレーで勝てるように成らないと、Best8の壁は越えられない。
 
 
個人能力重視の森保監督采配の限界は、今回の二つの試合でも明らかである。
JFAの会長が田嶋から宮本氏に替わったのは希望が持てるが、森保氏の交替が実現しない限り、日本代表は次のステージには上がれないだろう。
 
これからの14ケ月W杯本番までに何が起きるのか、期待感を込めて注視していきたい。
 
 
                                    0326
 
 
 
 

  卯月、さくら月

 
 
弥生三月の春の嵐が過ぎ、首都圏での桜の花の開花が進み”花見”に浮かれる時節が近づいている。
 
北海道の道東十勝は、厳寒期の放射冷却が原因でマイナス20度台はザラで、時に30度台に成る事もあり本州の桜”ソメイヨシノ”などは冬を越せない。
 
そういった厳しい自然環境の中で育つのは”エゾヤマザクラ”である。
 
 
しかしながら足の長いその桜は、胴太短足の”ソメイヨシノ”を見慣れてる身には、物足りない。
 
そんな事もあって、数年前に山梨で法事が有った時に、富士河口湖町で”富士桜”の苗木を5本ほど購入して、庭に植えている。
 
富士山の標高1000m近くでもしっかり生息する”富士桜”は、北海道南十勝の厳しい環境でも育つのではないか、と仮説を立てたからである。
 
 
 
 
             
                エゾヤマザクラ
 
 
 
その中でちゃんと根付いたのは3本のみで、このまま順調に育つかどうかは何とも言えない。
 
それら”富士桜”の花が開花するのは、まだ2・3週間は先だと想われる。
 
私が札幌や函館に行って戻って来るその頃には、既に開花しているであろうか?それとも未だし、なのであろうか・・。気になるところである。
 
来週からは、連日最高気温が2桁台になるから、である。
 
 
                        
 
            
             まだまだ幼い富士桜の花弁
                                         0406
 
                          
 
 
昨日2週間ほどの札幌・函館遠征の帰りに、日高山脈の中腹からいよいよ十勝に入る、という「新得」の山麓で特急列車が、急停車した。
 
”列車が何モノかに衝突したので、停車します”との車内アナウンスが流れた。
 
 
その間、乗務員が列車の車両前部辺りを確認した様で、14・5分間停車していた。
 
運転再開を待つ間私は”何に”衝突したのだろうか、と思いを巡らせつつ車窓から周囲を見廻した。
 
 
           
            小鹿が跳ねながら右上奥に消えた
 
 
すると、山間の鉄路に架かる小川の先を白いお尻をしたベージュ色の小動物が、ピョンピョンと跳ねて林の中に逃げていくうしろ姿が観えた。
 
 
そういえば「追分駅」を過ぎて日高山脈に入り、「新夕張駅」を越えた辺りから、車窓から何匹かのエゾシカを目撃したことを思い出した。
 
「占冠」周辺では母鹿に率いられたと想われる4・5匹のファミリー、「トマム」を過ぎた辺りでは立派な角を生やした牡鹿や、それとは別の親子2匹連れ、といった具合にである。
 
山のあちこちには、そこかしこにフキノトウの群生が確認できたから、ようやく日高山脈でも春の息吹が感じられていたのだ。
 
それら春の山の恵みを求めて、厳しい冬を越したエゾシカたちが早春の日高山脈を闊歩していたのかもしれないな、などと想い始めた。
 
 
 
 
                                  
 
                                      残雪の中のフキノトウ
 
 
先ほどの小鹿が、小川沿いの林の中に逃げ込んだのはひょっとして、連れ立って夕食を求め闊歩していた母鹿や、兄弟鹿・姉妹鹿が特急列車の犠牲になったから、なのだろうか・・。
 
とそんな風に想像したら、少し心が痛んだ。
 
     
                                         
                                                                                                                           
 
                          
 
あと一日で4月が終わるという、GWのさなかに小雪が降った。” 戻り寒波 ”である。
 
4・5年に一度の事ではあるが、北海道ではGWが終わりきる頃までの間に雪が降り、それなりに積もることがある。
 
今年の場合は4・5㎝で済んだから、まだましな方である。まれに数10㎝積もることもあるからだ。
 
とはいえこの時期の雪は水分量の多い雪で、根雪になる心配はなく、2・3日の内に溶けてなくなる。
従って全く心配はしていない。
 
 
 
            
            新芽の出始めた緑の牧草地にも雪が積もる
 
 
 
 
問題なのは、冬用の雪タイヤから夏タイヤに交換してしまった場合は運転に支障があるが、幸い現時点で我が家はまだ雪タイヤのままである。
 
それとGWが始まった先週末辺りから来道している観光客が、慣れない運転でスリップ事故を引き起こす事である。
 
観光客さんよ、GWが済むまで北海道は雪にご注意ですぞ⁉とアドバイスしておきます。
 
因みに明日からの週間天気は、最高気温が二桁台で推移するという事で、この雪も間違いなく1・2日で溶けることに成るでしょう。
 
                         
                                 ー昭和の日ー
 
 
 
 
 
 

  五月/皐月は本格的な春

 
 
 
先月私は札幌と函館に計2週間ほど滞在していた。
これからの10年、即ち70代をどう過ごすか、に繋がるきっかけを探したり、私の関心事を確認するため、であった。
 
この間幾つかのチャレンジをしたが、実の結ばない事が多かった。が、多少の成果はあった。
その数少ない成果が「子ども食堂」運営者との情報交換だった。
 
 
函館の住宅街で「子ども食堂」を運営している社団法人を訪ね、彼らが現在やっている事などを教えてもらったのであった。
 
6~80代のおじさん・おばさんが中心になって運営しているその団体に、私が関心を抱いたのは「子ども食堂」と同時に「子供の居場所」を造り、積極的に運営している点に共感を覚えていたからであった。
 
「家庭」と「学校」のどちらにも居場所を見つけられない子供たちが少なからず居て、生きずらい思いをしながら毎日を過ごしている事は、いろんな情報を通じて私も知っていた。
 
そんな彼らのために”居場所”を提供しているのが、その社団法人の主要なテーマで、「子ども食堂」運営と共に大きな柱であった。その運営や活動の実態を見、聴きする事が出来て参考に成ったのである。
 
 
 
           
 
 
 
私は将来「喫茶店」と「子ども食堂」とをやってみたい、と考えているのであるが、その際の参考にしたいと思って尋ねたのであった。
 
と、同時に私はこれからますます進む「高齢化社会」や「孤老人口」が増えることも意識していて、「子ども達」と同時に「孤老達」にとっても”居場所”となる空間を造っていきたい、と考えているのだ。
 
私の現時点での問題意識は、「子供達」と共に「孤老達」にも向かっており、その辺りに繋がる環境整備を自分の身の回りで始めたいものだと、考えているところである。
 
 
                           ーこどもの日、を控えてー
 
 
 
         
 
 
GWが過ぎ最高気温が20度前後になり、街のあちこちでエゾヤマザクラが咲き始め、十勝の春が確信出来たので昨日この時季恒例の”ビニールハウス架設”を始めた。
 
近所の農家さんの助力を得て、毎年この時期に行う行事である。
 
 
                            
 
                                      Before
 
 
                           
            
                                        After
 
 
H=3m弱のハウスを架設するのに、人力だけでは負担が大きすぎることもあって、トラクターなどを出してもらって架設すると、2時間足らずで作業が終了する。
 
 
架設作業が終わった後に、”手巻き寿司 ”でお礼をするのが我が家の慣習で、それを食べながらお酒を飲んで雑談する事に成っている。
 
家人に比べ、普段の近所お付き合いが少ない私にとっては、貴重な近所付き合いの行事であり、その際に聞く昔ばなしや開拓に関わる苦労話、ご先祖のルーツに関する話や移住時の話等は、私にとって貴重な情報であり時間なので、この雑談を私自身も愉しみにしている。
 
 
その手巻き寿司を準備するのは、料理が全く苦にならない私の仕事で、鮨し種のSELECTから、海苔の品定め、魚類の若干の加工などは前日から喜んで関わっている。
 
今年はご飯に掛ける三杯酢の量が少なかったことが不満であったが、それなりに美味しかったので、まぁ満足はしている。
 
酢飯の準備は家人が行っているが、5回の内満足なのは3回くらいしかなく、不安定なのだが仕方がないから諦めている。
家人の料理は安定していないのだ。
 
 
”旨い飯を食べる”ことに人生の喜びを感じている私が、家で料理を作ることに成ったのは、それが原因だったのだ。
料理に対する情熱や思い入れが、家人と私は違うのである。
 
家人とは、”腐れ縁 ”だと思ってるので、出来るだけ自分で作るようにしているが、”ご飯炊き ”だけは私は手を出さないで、口だけ出すようにしている。
彼女にも、出来る事はやってもらうようにしているからである。
 
いずれにせよ無事にビニールHの架設が終わったので、今日からBハウスの活用がスタートする。
 
これからほぼ半年の間、多くの野菜類をハウスで育て、収穫する事に成る。自家栽培の野菜たちとの今年の生活が、スタートするのである。
 
 
 
 
                            
 
                                                     0511
 
  
五月も半ばを過ぎると、周辺の草木が一斉に、かつ活発に咲き始め、木樹の若葉も勢いを増して、目についてくる。
そして10日から二週間くらいのサイクルで、主役が入れ替わる。
 
エゾヤマザクラや梅の花から始まった樹の花も、富士桜や水仙に替わり黄色の鮮やかなレンギョウにと移り、最近はオオバナノエンレイソウにと替わってきている。
 
 
      
         長身のエゾヤマザクラ       移植して3年目の富士桜
 
 
 
 
4月中旬まで続いた冬も、GWを過ぎると景色はすっかり春色に染まり、私達の眼を愉しませてくれる。
 
 
     
      黄色いレンギョウはwelcomeフラワー  オオバナノエンレイソウは大花の艶麗草?
 
 
 
 
そして鳥たちも盛んに春の季節を満喫している様で、カップル探しの婚活や縄張り主張のための、美声を競っている。
耳を愉しませてくれるのである。
 
と、書いたら
 
鶯が”ホーケキョ”と囀(さえず)った。
 
 
                                  0519
 
 
 
 
 
 
 
                                   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 



〒089-2100
北海道十勝 , 大樹町


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
]