奈良や滋賀といった関西の旅行から帰って10日ほど経つが、この間改めて“ 自然環境の中の人間 ”といった様なコトについて、考えさせられた。 12月8日深夜の震度5弱の地震と、昨日の久方ぶりの大雪とがそのキッカケであった。 震度5弱の地震の震源地は八戸沖という事で、かの地は6強の震度であったという。 震源地から4・5百kmは直線で離れていて、日高山脈の東部に位置している我が家への影響は、限定的であった。 北海道は日高山脈という2000m級の山々が150㎞程連なる山脈を境に、東と西の自然環境がガラリと変わるのであるが、その南端である“えりも岬”によって、海の環境も大きく異なる。太平洋東部と太平洋西部のことである。 千葉辺りで言えば、東京湾の内房と太平洋側の外房とに大きな違いがある様に・・。 今回の地震及び津波の影響も、将にえりも岬の西側と東側とでは大きく異なっていた。 西部側は今回の地震で震度も津波も比較的大きな影響を受けたが、東部側はその8掛けや7掛けで済んだ。 ![]() そしてその地震からほぼ1週間経った昨日の大雪である。 こちらの方は先週後半から、天気予報等で事前に喧伝されていたこともあって、備えも準備も心構えも、予め対応することが出来た。 とはいえ24時間近く降り続けた雪は多く、わが大樹町の街中に在る観測地では68㎝の積雪を記録し、早朝から除雪車が出動した大雪であった。 市街地からは離れた太平洋側に近い我が家では、積雪は60㎝程度で済み郊外の牧草地に囲まれた立地であるため、生活面での大きな影響はなかった。 庭の景色が一変したのは言うまでもないが、どちらかというと一面の雪景色で”やっといつもの冬が来たか ”と、心に潤いを感じたくらいであった。 ![]() そして本日早朝に、気象庁が発令していた「北海道・三陸沖後発地震注意情報」も解除された。 太平洋から数㎞しか離れてない海抜22・3mの海近くに棲み、津波の心配に心を砕く身としては、一安心しているところである。 帰宅してからのこの10日間は、自然災害に備えつつ関西旅行でゲットして来た、情報や資料類の整理と読み込みを行っていたが、それも昨日済ませた。 今回の取材旅行で得た資料は、それなりに満足いくものであったから、遠からず今後の執筆活動に反映して行く事に成るだろうと想っている。 しばらくは自然環境も落ち着き、比較的暖かい年末を迎えることに成るらしい、という事なので年末に向け、今年一年間に溜まったモノやコトなどを整理しながら、この一年をゆっくり振り返ることに成りそうだ。 |
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この物語は『安田義定父子と甲斐之國、越後之國』の続編に成ります。と同時にその二作ほど前の『安田義定と駿河、遠江之國』の第二弾でもあります。 ![]() ![]() 秋葉山本宮上社 遠州小國神社 前作で鎌倉時代初期の越後之國と、安田義定親子更には「金山衆」や「馬奉行:宮道遠式」との関係を、ある程度理解することが出来た主人公立花は、その過程で知る事に成った「秋葉山神社」と「安田義定公」との関係を改めて調べてみたいと思うようになった。 義定公が14・5年間国守を務めた遠州遠江之國には、「秋葉三尺坊」という高名な修験者の関係したとされる道場を有する神社が在った、からである。 更に義定公の嫡子安田義資公が守護を務めた、越後之國長岡の「秋葉権現=蔵王権現」と遠州の「秋葉山本宮」には、共に秋葉三尺坊という共通の修験者の存在が認められたのであった。そのことに引っ掛かりを覚えた立花は、この課題を明らかにしていきたいと考えるようになった。 その秋葉三尺坊は「天狗」や「猿田彦の命」にも関係している修験者でもあるという。そのようなこともあって立花は、「秋葉山本宮」と安田義定父子の関係を調べると同時に、「秋葉三尺坊」「天狗」「猿田彦の命」についても調べていく事に成るのであった。 *お知らせ9月14日タイトルを「安田義定と秋葉山神社」⇒「安田義定と秋葉山本宮」に変更しました。 |

![]() 〒089-2100 北海道十勝 , 大樹町 ![]() ] ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |