先週辺りから、丹頂鶴の鳴き声が盛んに聞こえるようになった。 丹頂鶴はこの季節群れで移動する事が多いから、リーダーが他のメンバーに対して盛んに鳴きながら指令を出すのである。 すなわち「この先の牧草地に舞い降りるから、高度を下げるぞー」とか「収穫の終わったトウモロコシ畑に移動するから、オレについて来~い」とかいった感じで・・。 ”ク・グㇽッワー、ク・グㇽッワー”と、けたたましいあまり美声とは言えない声で叫びながら、編隊を組んで移動するのである。 ![]() 我は丹頂鶴の鳴き声や、ハクチョウなどの鳴き声が上空から聞こえ始めると、そろそろ本格的な”秋の深まりが始まるぞー!”などと想うのである。 というのも丹頂鶴やハクチョウといった渡り鳥の南下は、彼らの本拠地であるシベリア辺りに、北極由来の寒気が到来している事を知ることとなるから、である。 シベリアへの寒気の到来→タンチョウヅルたちの移動(南下)→北海道や南十勝への飛来 と、トコロテン式に渡り鳥が移動するからである。 従ってシベリア由来の渡り鳥の到来は、私達にとって季節の移り替わりを知らせる、一つのメルクマール(指標)に成っているのである。 因みにこの「寒冷地の渡り鳥」の大移動は、10月中旬の南下とともに、日本からシベリア行きの「北帰行」が始まる4月頃、の年2回行われる。 そして4月の北帰行は「春の到来」を予感させるメルクマールに成るのである。 この寒冷地の渡り鳥の集団の大移動は、これからもう直ぐ「冷たい季節がやって来る」事を私達に知らせ、”冬支度を始めよ!”と準備を促すのである。 そんな風に考え始めて後、車でショッピングに向かうと、トウモロコシ畑に挟まれた農道で丹頂鶴のグループに出くわした。 ![]() 丹頂鶴の横断歩行 というのも刈り取りの終わったトウモロコシ畑には、トウモロコシの顆粒や根下に生息している虫たちが、彼らのエサとして沢山残留しているのだ。 彼らはシベリアからの長距離移動で疲れた身体を休めると共に、たっぷりと栄養補給をした上でリフレッシュして、1週間か10日ほどこの南十勝で保養した後、更なる越冬地に向かって南下して行くのである。 |
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この物語は『安田義定父子と甲斐之國、越後之國』の続編に成ります。と同時にその二作ほど前の『安田義定と駿河、遠江之國』の第二弾でもあります。 ![]() ![]() 秋葉山本宮上社 遠州小國神社 前作で鎌倉時代初期の越後之國と、安田義定親子更には「金山衆」や「馬奉行:宮道遠式」との関係を、ある程度理解することが出来た主人公立花は、その過程で知る事に成った「秋葉山神社」と「安田義定公」との関係を改めて調べてみたいと思うようになった。 義定公が14・5年間国守を務めた遠州遠江之國には、「秋葉三尺坊」という高名な修験者の関係したとされる道場を有する神社が在った、からである。 更に義定公の嫡子安田義資公が守護を務めた、越後之國長岡の「秋葉権現=蔵王権現」と遠州の「秋葉山本宮」には、共に秋葉三尺坊という共通の修験者の存在が認められたのであった。そのことに引っ掛かりを覚えた立花は、この課題を明らかにしていきたいと考えるようになった。 その秋葉三尺坊は「天狗」や「猿田彦の命」にも関係している修験者でもあるという。そのようなこともあって立花は、「秋葉山本宮」と安田義定父子の関係を調べると同時に、「秋葉三尺坊」「天狗」「猿田彦の命」についても調べていく事に成るのであった。 *お知らせ9月14日タイトルを「安田義定と秋葉山神社」⇒「安田義定と秋葉山本宮」に変更しました。 |
![]() 〒089-2100 北海道十勝 , 大樹町 ![]() ] ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |