春丘牛歩の世界
 
本来ならば雪が降るべき時節なのに、雨が降っていた。
雨が止むと、上空を小白鳥やカモなどが群れを成して飛行している。
本州では25度を超える夏日なのだという。
窓の外では虫たちの姿も見るようになった。
 
”雨水””北帰行””啓蟄”いずれも春の先駆けなのである。
春分の日を過ぎ、彼岸が終わると一気に春が進んで来た感がある。
 
そしてサッカー日本代表である。
この21日のバーレーン戦、昨日のサウジアラビア戦の3月の連戦は、勝ち点4を得てバーレーン戦の勝利で来年のW杯への出場を決めた。
喜ばしい事である。
 
バーレーン戦の勝利の立役者は1アシスト1ゴールを決めた久保建英であった。
彼の奮闘が今回のW杯出場を決定づけたのは間違いない。
 
 
        
 
 
さはさりながら、相変わらずの”個人技頼み”で、チーム戦術が乏しく、チームとしての約束事の乏しい森保采配では、限界が見えている。
今回のバーレーン戦やサウジ戦がそれを示していた。
 
今の闘いのままではグループリーグ突破が関の山であろう。個々人の能力が歴代最強レベルであっても、チーム戦術やチームプレーで勝てるように成らないと、Best8の壁は越えられないだろう。
 
個人能力重視の森保監督の限界は、今回の二つの試合でも明らかである。
JFAの会長が田嶋から宮本に替わったのは、希望が持てるが森保氏の交替が実現しない限り、日本代表は次のステージには上がれないだろう。
 
これからの14ケ月W杯本番までに何が起きるのか、期待感を込めて注視していきたい。
 
 
 
 
                 お知らせ
 
*4月1日:本日より『コラム2025』を公開いたしました。「睦月」「衣を着、更に重ね着る、如月」「弥生三月」の3ヶ月分になります。
 
*3月22日:『甲斐源氏の祖、源義光』に新しく
”穴太衆”と”黒川衆”を公開しました。
 
*12月12日「食べるコト、飲むコト」に
               を公開しました。
 
11月28日「コラム2024」に 
              を公開しました。
 
 
 
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【会員制システムの修正】               
                    2025/04/01
 
*昨年6月より始めた「会員制システム」は、あまり普及してない事や維持管理に手間がかかる事、今年から当該HPへの関与時間が少なく成る点などを考慮し、原則として「会員システムを廃止」とし、そちらに向けて順次修正のうえ、full公開とします。                         
                                   
                       春丘牛歩           
 

  南十勝   聴囀楼 住人

                                 
           
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                                
  

 
   
      

  
 

 

この「コラム2019」は、かつて『ブログ:という名のコラム』で公開していたコラムを、今回の会員システムへの変更を機に、「コラム2019」として整理/編集したものです。
従って、掲載している内容は以前公開していた内容と殆ど変わっていません。
今から5年ほど前に書いていたコラムでも、今なお通用する記事が多いことに改めて驚かされています。
それは世の中の進歩が遅いのか、いつまでたっても同じことが繰り返されるのか、はたまた私の感じたことが本質を突いているのか、定かではございませんが・・。
 
 
              
 
 
                 <  目 次 構 成  >
 
                      1.ジョン・レノン、という人生     (2019.12.12)
        2.アクティブシニア          (2019.11.25
        3.「モミジ」という樹木        (2019.10.31)
        4.太陽光発電             (2019.10.21)
        5.役者という人種          (2019.10.05)
        6.自然災害と生活インフラ      (2019.09.12)
        7.十勝、六花の森          (2019.09.03)
        8.処暑の日に・・           (2019.08.23)
        9.近くて遠い国           (2019.08.09) 
       10.芸能事務所とタレント        (2019.07.24)
       11.遠州森町飯田の祇園祭         (2019.07.17)
       12.祇園祭という神事           (2019.07.11)
       13.香港と中華思想           (2019.07.06)
       14.アメリカ政府と中東          (2019.06.27)
       15.リニア新幹線と大井川         (2019.06.14)
           16.初夏の遠州             (2019.06.04)
       17.相撲というスポーツ3        (2019.05.26)
       18.DNAの問題             (2019.05.18
       19.宇宙ロケット”MOMO”再び     (2019.05.10)
       20.我唯たるを知る、知らず?      (2019.04.30)     
       21.10連休              (2019.04.26)
       22.鶯の初音              (2019.04.21)
       23.マスメディアとマイクロメディア   (2019.04.11) 
       24.漂流する受験生           (2019.03.28) 
       25.新潟周遊              (2019.03.10)
       26.ノーベル賞             (2019.02.20)
       27.JR北海道             (2019.02.15)
       28.40数年ぶりの寒波到来       (2019.02.09)
       29.立春                (2019.02.04)
       30.相撲の神様             (2019.01.28)
       31.GAFAとの付き合い         (2019.01.24)
       32.欲望の資本主義           (2019.01.09)
       33.北島三郎              (2019.01.03)
 
 
 
 
  

 ジョンレノン、という人生    2019.12.12

 
 
JRさいたま新都心駅近くの「さいたまスーパーアリーナ」の脇に、かつて「ジョン・レノンミュージアム」という博物館が在った。
その名の通り、ミュージシャンのジョンレノンの人生を辿った博物館は、とても質の高い博物館で、大いに感動した思い出があった。
 
その博物館も今から10年近く前に閉館してしまった。
来館者が少なくミュージアムの経営が成り立たなくなった、からだという。このミュージアムはバブル崩壊後に「さいたまスーパーアリーナ」の建設を請け負ったゼネコンが建設し、経営及び管理運営をしていたようで、行政との間に何らかのやり取りがあったのかもしれない。
 
そのような経緯はさておいて、この博物館は「ジョン・レノン」という一人の人間を識るのには実に好く出来たミュージアムで、これまで60有余年生きてきて私はこの博物館程感銘を覚えたことはなかった。
 
博物館を観終わった後に、普段はめったにないことだが、幾つかのミュージアムグッズを買い求め、事務所に戻ってからそこで買ってきたワインを呑み1本空けてしまった記憶がある。
 
そしてその時の感動を、一編の長歌と反歌というか短歌とにして書き綴った記憶がある。
このような行為は、私にとっては殆ど無いことである。たとえお酒が入っていたからだ、としてもである。
 
残念なことにその時の和歌は手元に残ってないのであるが、いずれにしてもその時の感動は私にはワインを1本丸ごと呑ませ、幾つかの和歌を詠まずにはいられなかったのであった。
 
その時私が一体何にそんなに感動したかというと、一言で言うならジョン・レノンと云う一人の人間の生きざまというか、辿って来た人生遍歴についてであった。
 
人生遍歴といったところで、彼は40歳でアメリカの銃社会の犠牲になったから、長いか短いかと云えば短いのであろう。
しかしその40年の人生は実に濃密であったのではないかと、私は感じた。
 
 
 
              
 
 
即ち10代の後半にロックミュージシャンに成り、20前後には彼の造ったロックバンド「ビートルズ」はイギリスやヨーロッパ、更にはアメリカを始めとしたいわゆる先進国ではメジャーな存在に成っていた。世界的なアイドルに成ったのである。
 
更にその音楽の質の高さはやがて彼らを単なるアイドルであることから、社会的な影響力の高いロックグループにと押し上げて行った。
ビートルズの存在は10代や20代のヤング層に留まらず、その客層を次第に上げて行き、ヤングアダルト層更には中年層まで巻き込んでいった。
 
それは彼らの創った音楽が次第に精神性を帯びて行った事や、社会性を含んでいった事によるのだと思う。要するにロックミュージックという媒体を通して、社会や人生を語り始めたのであった。
しかしそれは「ビートルズ時代」の事であり、やがてビートルズが解散するに及び、もう一段彼は脱皮する事に成った。彼が30歳前後の事であった。
 
 
そのきっかけを作ったのは「ヨーコ・オノ」という日本女性だったようだが、彼自身は10代後半の「アートスクール」に通っていた時代から、学友の影響で東洋的な価値観や哲学、禅といったものに関心を持ち始めたようであった。
その素地があってビートルズ時代のインド的な宗教観と云う遍歴を経て,ヨーコ・ オノという日本出身のアーチストによって着火された、と云う事のようだ。
 
いずれにしてもそのようなプロセスを経た彼は「イマジン」に代表されるような社会性の高い音楽を創造し、発信するように成った。独りの社会性を帯びたミュージシャンに成って行ったのである。
 
30代の半ばごろには過激な社会活動を支援したり、麻薬などに手を染めたりといった紆余曲折もあったようだ。必ずしも真っ直ぐな道を歩き続けたわけではないのであった。
そしてそこでの挫折や回り道は同時に彼自身の人間的な成長や、深みに繋がって行ったように私には思えた。新たな人間的な成長のための「サナギ」期間だったのであろうか・・。
 
このサナギの期間を経て彼は社会活動家から、哲学を追求するように成ったようである。即ち生きることの意味を考え、追及するように成ったようである。40前後の事である。
このころの彼の発言や音楽がそのことを感じさせてくれた。
 
 
そして「これから」と云う時に自称「ジョン・レノンのファン」と称する男によって射殺されたのであった。1980年12月8日の事であった。
 
とても残念な事であった。私は彼があの時点で死ぬことが無かったらあれからどのように成長を続け、世界にメッセージを発信し続けただろうかと、そう思わずにはいられなかった。
彼の存在自体がブランドであったから、世界の人々に対しての発信力や影響力は計り知れなかったであろうと思う。
 
そして彼にはそれを可能にする知性と洞察力、表現力があったからである。
ある意味人類にとっての喪失であったのではないか、とさえ私は感じたのである。
 
 
私は「ジョン・レノン ミュージアム」の最上階に到達して、そこに天井からぶら下がっていたタペストリー様の「ジョンレノン語録」を読みながらつくづくそう想ったのであった。
 
あと10年彼が生きていたら、いったいどんなメッセージを私達人類に送り続けたであろうか。20年後であれば‥。30年後であれば・・。といった様に想い続けたのであった。
 
ジョン・レノンという人生は、そう言った問い掛けを私自身に投げかけて来たし、多分あのミュージアムを訪れた多くの人達にも、同様の感情を抱かせ続けたのではなかったか、とそう想っている。
 
近年自分の頭で考える習慣がつき始めた息子に、「ジョン・レノンミュージアム」を体験させてやれなかった事が、大きな心残りである。
 
 
 
              
 
              ジョン・レノンの命日から4日後
 
 
 
 

 ”アクティブ ”シニア        2019.11.25

 
 
数か月前に私はJR東日本のシニア世代向けの会員制クラブの会員に成った。これは関東に居た頃から入っていた「大人の休日倶楽部」という会のシニアバージョンで、世間で言うところの「後期高齢者」の年齢に達したからである。
 
この「大人の休日倶楽部」と云うのは現役世代には申し訳ないのであるが、50歳以上の高齢者世代に向けた商品で、幾つかの見逃せない特典があるのだ。
今年3月のコラム「新潟周遊」でも触れているのだが、JR東日本の営業区間やそれにJR北海道の区間を加えたエリアが4・5日間ほど定額で、乗り放題で利用できるシステムがある。
 
具体的には東日本管内であれば15,000円程度、それに北海道を含めると26,000円程度だったと思う。しかも新幹線や特急券の指定席を6回まで使えるのだから、とてもお得なのである。
 
ところが今回のシニア向け商品「大人の休日倶楽部ジパング」に成ると、その対象にJR東海や西日本・九州なども含まれるのである。
しかも201㎞以上の区間であれば乗車券だけではなく新幹線を含む指定券やグリーン券などが20%~30%Offに成るという。これはとても大きい。
 
 
             
                          
 
 
私のように、北海道を根城にしながら関東に毎月出かけたり静岡や新潟・京都といったエリアまで足を延ばす人間にとっては、とても助かるのである。
時間だけ考えれば飛行機での移動が優先順位は高いのであるが、物語の取材と称してあちらこちらに動き回る私のような人種にとっては、まことにありがたい特典なのである。
 
もちろんこのシステムを導入した背景には、しっかりとした企業の論理が存在しているのであるが、観方によっては高齢者向けのある種の社会福祉制度のようなものである。
実際には長距離での移動で出来るだけJRを使ってほしいと云う事や、比較的乗車率が低下する閑散期での乗車率Upを狙っての事なのであろうが、空気を運ぶよりはましだと、経営サイドは考えてこのような企画商品を作ったのだと想う。
 
 
そこで還暦を過ぎた我々世代に着目し、完全リタイアの態勢に入り始めるころ合いを見計らって、シニア向け商品を提供する、というわけである。
何せ我々世代には時間はたっぷり余っているのである。と同時に一部の人たちを除いて懐は寂しいのである。
 
この供給者の都合と需要者のニーズやウォンツがうまくかみ合った時に、マーケティングは効果を発揮し世の中が動くのである。即ちここにおいて「アクティブシニア」なるものが誕生し、平日の込んでいない日を見計らって、我々のようなシニア世代があちらこちらに動き出すのである。
 
私は今回の関西行きで初めてこの「シニア世代向け商品」を使う予定でいるのであるが、この特典があるから関西から息子の居る神奈川に向かう途中で、遠州に立ち寄ろうかと考えている。
もちろん遠州には立ち寄って確認したいことや、情報を収集したいことがまだ残っているから、である。
 
結局20%近く浮いた旅費を使って、また途中下車などをしてJRやレンタカー会社を潤すことに成るのである。ついでに新幹線駅構内で夕ご飯などを食べるとなると、当初より持ち出しになるかもしれない。結局はJRの思う壺なのかもしれないのだ・・。等と想いながらも実際のところは、愉しんでいるのである。
 
そして多分この仕組みはJR東日本だけではなくて、東海や西日本・九州・四国・北海道の各JRも採用しているはずだから、ご興味のあるシニア世代やシニアに達した両親を持つ方々は一度調べてみたらよいのでは、と想うのである。
 
 
 
 

 ”モミジ ”という樹木         2019.10.31

 
今、我が家の庭のモミジが色づいてとてもきれいに感じられ、目の保養と成っている。
「モミジ」は別名「楓=かえで」とも呼ばれているが、その「かえで」の言葉の由来は「かえる手=蛙手」であるという。モミジの葉っぱが、カエルの手に似ている事からそのようにつけられた、と云う事らしい。
 
実際のところ「モミジ」の葉っぱをよく見ると「カエルの手」によく似ている事に気が付く。古代人たちの自然観察力の確かさに、つくずく驚かされるのである。
 
 
我が家の庭の「もみじの樹」を観ていて、ここ一週間ほどの変化の速さに驚ろいている。最低気温がゼロ度以下に成るまでは青々としていた「かえで」であるが、最低気温がマイナスに成り始めると、日を追うごとに「黄色」や「赤色」が緑色の葉っぱの間から、見え始める。
 
その葉っぱの変化は一斉にというわけではなく、同じ樹であっても枝ごとに「黄色」に成ったり「赤色」であったりもするし、同じ枝であっても「緑色」がまだ残ってたりもする。そしてその色のコントラストが実に美しいのである。
 
 
 
               
 
 
 
ところがその配色の妙というか、グラデーションも長くは続かないのである。
昨日は「緑色」であった処が翌日は「黄色」に成って居たり、また「赤色」であった葉が「茶色」くなったりするのだ。
そしてやや強めの北風などが吹いたりすると、それらの葉っぱは容赦なく樹木からスリ落ち、樹木の足元に散って落ち葉に成ってしまうのである。
 
その落ち葉も「茶色一色」というわけではなく「黄色」や「赤色」の葉が混在しているのである。その配色は音を立てて吹き荒れる、北風のおかげなのかもしれない。
 
更にはモミジの樹の周辺に常緑樹の松の樹が並んでいたり、芝生が生えていたりすると、その色のコントラストが一層引き立ち、より美しく感じられるのである。
 
 
私はこのような庭を造って、残してくれた我が家の先住者の方の美意識に、今更ながら感謝しつつ、変わりゆくモミジの演じる変化(へんげ)をここのところ毎日愉しんでいる。
 
寒冷地であるここ北海道十勝では、「春の桜」の美しさやはかなさを、なかなか味わうことは出来ないのであるが、その代わりに「晩秋のモミジ」で同様の感覚を味わう事は出来る。
一週間ほどの短い期間限定のことではあるが・・。その時間の短さもまた、桜に似ているのである。
 
これもまた寒冷地に棲むことの「不自由の中の愉しみ」と言ったところであろうか・・。
 
 
 
 
 
             
                 五月ごろのモミジの赤ちゃん
 
 
 
 

 太陽光発電             2019.10.21

 
 
十勝に帰るたびに私は感じるのであるが、「太陽光発電」のソーラーパネルを設置するエリアが増え続けているのである。
本州辺りでもソーラーパネルを設置している場所は見かけることが少なくないが、北海道とりわけ平坦な場所が続く十勝において、見かけることが多い。更に設置場所の区画面積は本州のそれと比べはるかに広い。
 
元々北海道は人口密度が少ないのであるが、十勝は道内でも最も晴天率が高く「十勝晴れ」と称されるエリアであるから、太陽光発電には適した地域である。
更には去年の北海道電力の前代未聞の不祥事「全道ブラックアウト」によって、一層太陽光パネルの浸透が増えてきているような気がする。
 
 
十勝の開拓者たちは札幌近郊の道央地区に比べて、官営の入植者である屯田兵の比率が少なく、依田勉三に代表される個人での入植者が多いこともあって、独立志向が強い土地柄でもある。先日までの朝ドラ「なつぞら」の登場人物たちに描かれていた通りである。
 
 
私はこれまでも何度かこのコラムにおいても、独占的な電気事業者に対する不信を表明しているから、お気づきだと思うが「電気の地産地消」についてもかなり積極的である。
自家発電などの自衛策は「ブラックアウト」以来取り組んできたが、できる事なら太陽光発電にもチャレンジしたいと想っている。
が、自動車一台分程度のコストが掛かる事から実際には踏み込むことは出来ないでいた。
 
 
 
 
               
 
 
 
先日私は、家人の親族の法事で熊本に行ってきたのであるが、その際に家人の叔父にあたる人から「ソーラーパネル」の具体的なコストや、導入実態を聞くことが出来た。叔父は5・6年前に自宅に太陽光のソーラーパネルを設置していたのであった。
 
叔父の話によると、導入時のイニシャルコストは工事費を含め大体220~230万円程度は掛かったということであった。このイニシャルコストは、まぁ事前に得ていた情報の範囲であった。
更に叔父の住んでいる自治体からの補助金は、70万円であったと云う。従って純粋な自己負担は150万円程度、と云う事に成る。
 
 
そして一番気に成っていた売電価格は、年間での月額平均は7・8千円程度だという。
叔父の場合は自家消費というより、売電が目的のようであった。とはいえ自宅のスペースを使っての設置だから、事業用と比べはるかに狭いのは言うまでもない。
 
いずれにしても月平均7,500円×12月=90,000円/年間、と云う事で16・7年で初期投資の回収は出来る、と云う事であった。
私は自家消費が目的で、余った電力を売電することを考えていたが、主たる目的は家族の生活を守るための「生活インフラ」として考えている。
 
 
そうこうしているうちに私はこのHPに広告を導入する事にした。
直接的な動機は家人からの突き上げによる圧力と、地方への出張が増えてきたことによる支出増を補うための、副収入の確保という不純な動機なのであるが、その際に関心のあった「太陽光発電」についても取り上げることにした。
導入する広告や企業情報のコンセプトはHPのトップにも記載の通り「スマートライフ」の一助に成りそうな企業やコンテンツにしたつもりである。
 
 
そしてその中に今回の「太陽光発電」の企業広告も取り入れている。
「イニシャルコストが無料」というビジネスモデルは、魅力的ではあるが同時に??の疑念を抱かせるに十分な内容である。
 
家人曰く「うまい話には裏がある」「只より怖いものはない」と言ったフィッシィング詐欺への警戒である。
一応私自身もその点は疑ったが、とりあえずの広告主の言うビジネスモデルを検討してみたところ合理的であると、認識することが出来たので、ひとまずこのHPでも導入する事にした。
 
で、何よりも「太陽光発電」に関心のある私自身が、このビジネスモデルにチャレンジする事にした。即ち申し込みをしてみたのである。
まだ資料取り寄せの段階であるが、近日中に事業主からアクションが来るものと思われる。
 
読者にはその経緯をこのコラムで報告していきたいと思っている。万が一フィッシィング詐欺であれば、その点も包み隠さず報告したいと思っている。
 
いずれにせよ、そう云う事で私は「太陽光発電」をチャレンジする事にした。失敗を恐れずにチャレンジするのは私の基本的なスタンスである。吉と出るか凶と出るか、その結果は如何に・・。
続編を乞うご期待・・、と言ったところである。
 
 
 
 

 役者という人種           2019.10.05

 
 
今年の十勝は朝ドラの「なつぞら」のおかげで、大いに盛り上がっていた。
通常朝ドラの舞台となるエリアは、2・3年の間はブームが続き盛り上がり、観光客なども増える、といった経済的及び社会的波及効果が現れ続けるという事である。
 
まして今回のドラマは朝ドラ百作目とかいうこともあって、製作者のほうも相当気合が入っていたようで、予算もしっかり確保し事前準備も相当練り上げていたように感じられた。そして俳優陣たちである。
新鮮で初々しいヒロインはもちろんの事、今回のドラマのもう一人の主役は「じいちゃん」であった、と思う。開拓者の第一世代である。
 
この草刈正雄演じる「じいちゃん」はまさに開拓者としてのスピリッツをしっかりと持って、厳しい自然の中の十勝を七転び八起きで生き抜いてきた人物であるように、私には感じられたのであった。
それにしても「彼は好い役者になったなぁ~」とTVを見るたびに感じたものである。
 
 
私たちの世代にとって草刈正雄や団時郎という、現在ではすっかり俳優として定着している存在は、資生堂のメンズ化粧品を宣伝する日本人離れをしたルックスのモデルとして、インプットされている。
 
今ではすっかり彼らも俳優としての地位と評価を獲得し、TVや映画に出演者として名を連ねるようになって久しいのであるが、この間の40年近くの間に彼ら自身の中にどのような葛藤があり、人生ドラマがあり、人間的な成長があったのかを知る由はない。
 
しかしながら、目の前の彼らの演技の中には、その40年間のすべてがギュッと詰まっているんだろうなぁ、と私などは観ていて感じているのである。
 
 
             
 
 
 
現在は「美の壺」といった情報番組や「京都人の密かな愉しみ」といったドラマで彼らの役者ぶりを拝見したりしているのであるが、いずれも味のあるシニア世代を演じているように想う。年輪の積み重ねが味わいと成って、しっかり染み出ているのである。
 
そして今では私のような還暦を過ぎた世代が観ても、時間とエネルギーを費やすに足りる中身の番組やドラマの、進行や役者を演じる力を蓄積しているのである。
 
 
それにしても役者の味わいや魅力は、多くのセリフを通してよりも、
言葉を発しない時の目の動きや表情の中にこそ感じられるものだと、つくずく感じたものである。
 
耳に入ってくる言葉以上に、言葉にはならない心の動きが目について、感じ入ってしまい共感するのである。
彼らのこれからの更なる円熟や熟成に、期待をしている。
 
人生の終わりの領域に来て、その歳齢を重ねた人間たちが持つ味わいを感じさせてくれる、味のある役者であり続けてほしい、とそう想っているのである。
 
 
 
                
             
 
 
 
 
 

 自然災害と生活インフラ       2019.09.12

 
 
先週末の颱風15号による災害からの復興に、まだしばらく時間が掛かるようだ。
とりわけ電力の損壊からの立ち直りに時間を要する、との事である。
 
今回の颱風はコンパクトであったが、中心気圧が960hp前後と云う事でそのエネルギー、とりわけ風圧の威力は凄まじかったようである。
 
8日の夕方ごろには「颱風が東海から関東に掛けて上陸する」という天気予報の入った当日、私は静岡行きが決まっていた日であったので、午前中には新幹線に乗っていた。
私が今回行く先は浜松市の北方である北部遠州、いわゆる北遠エリアであったため、宿泊地は浜松駅の近くにとっておいた。
 
 
当日の浜松は実際には颱風の影響は殆どなく、夜に成って多少の雨が降った程度であった。もっともその日の夕方には東海道新幹線が早くも運休を決めていたこともあって、新幹線はすでに動いてなかった。
 
翌日のニュース等によると颱風は伊豆半島辺りに上陸して、神奈川から東京湾に出て房総半島を北北東に進み、茨城辺りで太平洋に抜けたと云う事であった。
 
私は静岡県の西端浜松に居たこともあって、東端の伊豆半島に上陸した颱風の影響を受けずに済んだというわけである。
とはいえ去年の8月/9月の度重なる颱風は遠州を直撃し、甚大な被害をもたらしていたから、やはり颱風による被害はこの時期北海道以外の何処にいてもある程度想定し、事前に準備しておく事は、必要不可欠なことであるには違いない。
 
 
 
 
              
             
 
 
 
そしてまた今回も大きな問題になっているのは「電力の問題」である。
今朝の時点でもまだ千葉県を中心に40万戸近くが停電のままであった、という。
 
その原因の第一は言うまでもなく、小型ではあったが中心気圧960hpという強烈な颱風、そのものである。
更にこの颱風が連れて来た30度を超える熱風で、熱中症によって命を落とした方も何人かいらっしゃる、ということだ。この気温での停電は命にかかわって来る問題でもあるのだ。
 
 
そして今日は颱風が通過してすでに3日も経っているのに、今なお40万戸近くが停電のままでいるのである。
その原因は主として電力の「発電」「送電」の中心的事業者、東電の準備不足や対応のまずさなのである。
 
昨年の北海道の胆振(いぶり)東部地方を襲った震度7の地震の時も同様の事が起き、その際は北海道電力の「送電網システム」の欠陥が、北海道全域のブラックアウトという前代未聞の人災を引き起こしたのである。因みにこの時我が家では2日間停電であった。
 
 
このアクシデントの際に私は痛感したのであるが、それは電力事業者等がもたらす生活インフラの影響に対する、私たち自身の準備や備えが常に必要であると云う事であった。
 
大きな自然災害や原発事故などが直撃した時、独占的な電気事業者に全生活を白紙委任していると、その影響を私たちはまともに被ってしまうのである。
そのことを私たちは常に自覚しておく必要がある。なぜなら時と場合によってそれらは命に直接関わって来る問題となり得る、からなのだ。
 
 
それ故に私達は北電や東電といった、独占的な電力事業者に頼り切っていてはいけないのである。自分の命や家族の生活の基盤(インフラ)は自分で守る、というスタンスに立ち続ける事が重要なのだ。
 
そしてそのためには、自分たちの生活の基盤を守るための手立てを常に模索し、確保しておかなければならないのである。さもないと自分たちの命や人生が、彼らに振り回されてしまう事に成ってしまうからだ。
 
自分の生活の基盤や命の白紙委任状を、特定の独占的な電気事業者に委ねておいては、いけないのである。
 
 
もちろん生活インフラのすべてをと云う事ではなく、可能な限り自分が出来ることを考え、ほかの代替え手段のことを考え、模索し確保しておくといった事を、事前にやっておく必要があるのだ。
 
要するに自分の生活や命に関わることは、他人任せにするのではなく出来るだけ自分で確保しておく、他の選択肢を常備しておくと云う事なのである。
これはマァ当たり前といえば当たり前の事なのだが、電気への依存度が高い今日においては、自前で電力源を確保しておくことはとても重要なことなのである。
 
 
具体的には「自家発電機の購入」や「太陽光発電装置の取り付け」といった事に成るのであろうか・・。
因みに前者の場合は10万円前後は掛かり、後者の場合は自動車一台分程度のコストが掛かるようだが、太陽光発電の場合は自治体等の補助が出るようだから、それらを活用して自己負担を軽減することは出来るだろう。
 
いずれにせよそのような問題意識をもって自然災害に対し備えていくことは、北海道に限らず日本全国で暮らしていく上では不可欠なことではないか、とそんなことを改めて考えさせられた今回の颱風15号の被害であった。
 
因みに私は北海道に移って来るまで30年く千葉県で暮らしており、房総方面にも何人かの知り合いがいる。彼らの日常生活が一日も早く回復することを願ってやまない。
そして彼らに接する機会があったら、私はこの生活インフラ=電気の自前化のことを話していきたい、とそう想っているのである。自分と大切な家族の生命と生活を守るために・・。
 
 
 
 

  十勝、六花の森          2019.09.03

 
 
この前の週末、北海道十勝の中札内村に在る「六花の森」に行ってきた。
この森は北海道を代表する洋菓子メーカーの「六花亭」が経営する主力工場に隣接する、十勝の自然を生かした美術の森である。
 
場所は「中札内の道の駅」と十勝の大河の一つである「札内川」に挟まれたエリアで、数万坪の敷地には十勝が開拓される以前の自然のままの十勝原野は、ひょっとしたらこのような景色だったのかもしれないな、と錯覚してしまうような自然豊かな森であった。
 
 
実際には手入れの行き届いた芝生が拡がったエリアや、森の中に画家毎に収蔵・展示されている小さな美術館が幾つか点在したり、アクセントに成っている小川や池が敷設されていたりで、計算され尽くした自然なのであるが、決して人工的であることを感じさせる事のない美術の森であった。
 
そして順路の終点には、その森を借景にしたカフェがしっかりとあつらえて在り、美術鑑賞や森の散策に疲れた善男善女が寛ぐためのスペースが、用意されていた。
 
駐車場のナンバープレートでは十勝はもとより札幌や北見のナンバーを多く確認でき、全道でも広く知られた存在であるのだろう、と想った。
 
 
五つある美術館のそれぞれの作家は、「安西水丸」といったイラストレーターや、「百瀬智宏」「池田均」「小川游」といった洋画家の他に、六花亭の包装紙をデザインした画家「坂本直行」であった。
 
因みに坂本直行は坂本竜馬の甥の息子にあたる人物で、北海道に移住して南十勝の広尾町を拠点に十勝の山や野に咲く草花を描き続けた農民画家であるという。
 
また、彼の描いた六花亭の包装紙が建物の内装で埋め尽くされた「花柄包装紙館」や、彼が毎号表装を描き続けたという、北海道の小学生のための児童誌『サイロ』を集めた「サイロ50周年記念館」も一見に値する空間であった。
 
とりわけ『サイロ』館内に掲載された小学生たちの小さな詩のパネルは、私たちの心を和ませてくれた。
 
 
 
 
         
          オオバナノエンレイソウ      浜梨
 
 
 
森の中には「浜梨=ハマナス」や「カタクリ」「ミズバショウ」を始め「エゾリンドウ」「エゾリュウキンカ」の他に、白く大きな花を咲かせる「オオバナノエンレイソウ」や「エゾトリカブト」等も可憐な花を咲かせて、散策者の目の保養と成っていた。
 
しかし何よりも好かったと感じたのは森の中を幾つか流れる小川や池の存在で、その静かでゆったりとした流れが、森の静謐感を一層私たちに感じさせていた。
私は歩きながら横浜の三渓園を思い起こした。
 
もちろん三渓園とは立地も背景も庭園の在り方も似てないのであるが、自然の静謐さを感じさせるという点において、実業家「原三渓富太郎」が創った横浜本牧の大きな庭園の一画との類似性を、私は感じたのであった。
 
巨大な貿易港の大都市である横浜の戦前の大実業家であった原富太郎が、オフタイムのプライベートな空間に求めた作庭のコンセプトを、この六花の森の中に私は感じたのかもしれなかった。
それは自然界のもつ静謐さ、であったのかもしれない・・。
 
 
 
十勝方面に来る機会のある人には、この自然空間に立ち寄ることをお勧めします。
人工的な都市空間で生活している人はもちろん、私のような自然環境の豊かな場所で生活している者にとっても、憩いや癒しを与えてくれる空間でありました。
 
因みに開館は4月中旬から10月中旬の雪が森を覆う事の無い半年間だけなので、その点をお忘れなきよう・・。
 
 
 
             
         
 
 
 
 
 
 

 処暑の日に・・      2019.08.23

 
 
今日は今年の「処暑」と云う事に成るそうだ。
その意味するところは「暑さが収まる時季」ということで、秋がそろそろ感じられるようになるころ、と云う事のようだ。
 
「立秋」が本来はその役割を担うはずであるが、実際問題として8月上旬に暑さが収まることはないわけで、本州においてもお盆を過ぎたこの頃にやっと暑さが収まる、といった事のほうが現実的で、リアリティがある。さすがに「二十四節気」の一つである。
 
尤も我が北海道ではとっくに暑さが収まっていて、7月下旬に真夏日が10日前後続いただけで8月に入ってからは30度を超える日は稀で、実質的にはすでに秋に突入している。
お盆前後から最高気温が20度前後の日が続いており、日中でも涼しい日と成って久しい。
 
 
日本の気象環境は少しずつ夏から秋にと、変化を続けているのであるが、政治の世界では相変わらず「暑苦しい日」がしばらくは続きそうである。
「香港VS中国」「日本VS韓国」といった東アジアの政治の世界では、まだまだ「暑苦しい日」が続く様相を呈しており、なかなか「処暑」には至らないようである。
 
また欧米においては、EU離脱を掲げて首相に成った英国のジョンソン氏の登場で、「EU対英国」の間が同様の「暑苦しい戦い」を続けており、更にアメリカの花札大統領が今度は北極圏のグリーンランドの売買を巡って「アメリカVSデンマーク」の間で「暑苦しい戦い」を展開し始めた、という事である。
 
 
「政治」という行為自体が常に闘争や戦いを孕んでいると云う事から、政治の世界では常に「暑苦しい戦い」が繰り広げられるのは、いわば必然的な行為なのであろう。
そんなこともあって政治家は「好戦的な人物」が成る職業に違いないと思い、何代にも亘って世襲を続ける「職業政治家」達を「好戦的な人物たちの家系」に相違ないと、私は冷めた目で見ている。
 
「処暑」という暑さの収まるこの時期に、好戦的な彼らの都合によって非好戦的な我々一般国民を、戦いの場に引きずり回すことだけは無き事を、私は願って止まないのである。
 
 
 
 
              
 
 
 
 
 
 

 近くて遠い国         2019.08.09

 
 
現在「日本vs韓国」の政治および経済関係に緊張感が増しつつある。
問題になっているのは貿易面での「韓国のホワイト国除外」といったことである。要は韓国を最恵国待遇から外すということである。
 
ことの発端は韓国の文大統領の「徴用工の賠償責任」「慰安婦問題への無作為」ということであった。
文大統領は弁護士出身の政治家で「国民の権利意識」や「被害者の救済」といったことに熱心な人物らしい。多分彼の基本的な価値観はそのあたりにあるのであろう。
 
その基本的な価値観を基に彼は「徴用工問題」や「慰安婦問題」を考えているのである。
弁護士出身の人物としてはそれで済むのだと思われる。
しかし問題は彼が弁護士ではなく、しかも一介の政治家でもなく韓国の大統領であるということである。
彼の言動は国家の言動になり、国家の意思になるという点である。
 
 
日本が明治以降「朝鮮国」を植民地としてきたことは紛れもない事実である。その結果「戦後の賠償責任問題」が浮上し、確か1965年ごろにその問題への国家間の取り決めが合意し、国交正常化が行われたのである。
 
日本と韓国は「日本国の植民国韓国に対する国家間の賠償責任」を認め、そのための有償・無償の賠償の枠組みを認め、それに合意して契約を締結したわけである。
 
当時は戦後の冷戦時代の真っただ中で、世界が「アメリカを中心とした資本主義=自由主義陣営」と「ロシアを中心とした社会主義=全体主義陣営」とに分裂していた。
そんな中での冷戦の最前線でもあった「韓国」と「北朝鮮」であり、両国の隣国である日本は「資本主義、自由主義陣営」に属し米国の意向もあって、以来「韓国をサポートし続けた」のである。
 
当時は確か朴正熙政権で、実質的な軍事政権であった時期に、この国家間の約束である「戦後賠償責任」をめぐる条約が締結されたのである。そして多分その「軍事政権と締結した」条約であった点が、現在も影を落としているのかもしれない。即ち民意の反映の欠落という点においてである。
 
そしてそれ以降54年間、有償・無償の国家としての賠償が行われ、戦後の韓国の基礎が形作られ今日に至っている。
 
 
この間両国はお互いを「最恵国待遇」とし、政治・軍事・経済はもちろん文化・社会のあらゆる面で交流を活発化させてきた。
その結果韓国は順調に経済発展を遂げ、電子機器分野や鉄鋼分野などでは世界の先頭を行く国になり、国富や経済の分野では今や北朝鮮を圧倒している。
 
北朝鮮の国民で韓国に住みたいと思っている国民はいても、その逆に思っている人は殆どいないであろう。両国はそのくらい差がついてきている。
 
そしてその経済面での発展を実質的に支えてきたのは、冷戦時代に締結された日本と韓国の間の有償・無償の支援である。で、その根拠になったのが「戦後賠償責任の補償」を定めた『日韓の基本条約』であり、「最恵国待遇」なのであろう。
 
この歴史的な現実を自覚しないで「徴用工問題」や「慰安婦問題」を取り上げだしたのが、「国民の権利意識」や「被害者の救済」を基本的な価値観に置く、現在の文大統領なのである。そして現在の両国の政治的・経済的軋轢の出発点はここから始まっている。
 
 
今回の文大統領の主張は第二次世界大戦終結後に作られた日本と韓国における国家間の「政治・経済システムの放棄と再構築や見直し」に関わる、ベイシックかつ根本的な問題なのである。
現在の日本と韓国の間で起きている問題の意味するところは、詰まるところはこの点に集約することが出来るであろう。
 
そしてこの戦後50年以上続いてきた日韓関係の基本的な枠組みを取り壊し、再構築しようとしている今回の韓国側の問題提起に、色をなしたのが保守本流の安倍政権である。
 
歴代の自民党政権の中でも最も国家意識や民族意識の高い、安倍政権が出した対抗策が今回の「ホワイト国の除外=最恵国待遇の破棄」なのである。2・3日前の安倍総理の見解がその点を正直に語っている。
 
 
そして今起きているこの問題の本質をしっかりと見据えないと、日本と韓国の関係を新たに再構築することができないであろう、と私は感じている。
 
私たちが直面している課題はそこに在る、という事への自覚と見識が無いとこの問題は前に進まず、解決もしないのである。
それに気が付かないままお互いが感情的な応酬を繰り返しても、いたずらに空しい時間を過ごすだけなのである。
 
 
 
                  
 
 
 
日本の「リベラル陣営」や「心優しいサヨク陣営」からは韓国への憐憫から韓国への融和策が言われ始めており、他方「保守陣営」や「攻撃的なウヨク陣営」からは「最恵国待遇の廃棄」や「更なる貿易規制」が声高に叫ばれているのである。
 
しかし今回の問題の本質が「冷戦時代に締結された戦後賠償責任の見直しや再構築」にあるとして、更にそのことを韓国民の大多数が望んでいるのであれば、日本の政治家は右であろうが左であろうが、この「再構築」に対して真摯に向き合い、お互いの国民が受け入れ可能な、「新らしい枠組み」を創っていかなければならない、のである。そしてその覚悟が必要なのである。
 
その際にはこれまでの54年間の積み重ねや実績を、どう評価するのかという事が韓国及び日本で、客観的に議論されることが大前提になるのである。
更には単純な国民感情だけではなく、「国際法上」の戦争責任の取り方に照らし合わせて合理的で、客観的であるかどうかの検討もまた必要なのである。
 
これらを前提にしたうえで「国家間の賠償責任」と「個人や一企業との間の賠償責任」の在り方について、客観的かつ真摯に議論されることが求められるのである。
 
そのことへの議論が行われない限り、日本と韓国でこの問題はこれからも何度となくぶり返され、国民感情や時に民族主義的な風潮に流されて行くことになるであろう。
そしてこの問題はかなり大きく重いテーマであり、両国民の納得が得られる内容に到達するためには、長い時間が費やされることになるだろうと予測される。
 
 
それにしても文大統領の「南北朝鮮が力を合わせれば日本を凌駕することが出来る」といった発言には驚かされる。
 
彼の現実を見る目の不確かさや、根拠のない楽観論や夢想癖は、大統領候補者としては許容されても5千万人の韓国民の生命や財産・生活に責任を持つ現職の大統領としては、なんとも危なっかしく頼りないものだと、私は感じている。
 
そして6年間の任期を持つ韓国の大統領である彼はこれからも尚4年近く、大統領であり続けることになる。
アメリカの花札大統領の存在とともに、文大統領の韓国は極東及び世界の政治・経済・軍事面の不安定要因であると、私はツクヅクそう感じているのである。
 
 
 
 
 

 芸能事務所とタレント           2019.07.24

 
 
最近「吉本新喜劇と所属芸人」の問題や「SMAPの退所メンバーとジャニーズ事務所」の問題が、相次いで話題に成っている。
 
私自身は殆どタレントや芸能界という世界に関心が無いのであるが、好むと好まざるとに関わらず番組の司会者などに、タレントや芸人が起用されることが増えてるから、まったく無縁というわけではない。
 
また学生時代に京都で過ごし都合10年間関西暮らしをしていたので、関西では「ヨシモト」の影響力が日常世界に深く浸透していたこともあって、無視できる存在ではなかった。
「ヨシモト」的な「ボケや突込み」は関西人の生活にホントに深く浸透しており、その漫才的なお笑いの世界は彼らにとって殆ど空気と同じ存在であると、つくづく感心するのである。
 
 
それはそうとして、今マスコミなどを騒がして居る「タレントと反社会的勢力との繋がり」の問題それ自体は、社会的に容認されうる事ではないので、彼らがどのような「仕事と報酬を得ていたか」は、大した問題ではなくその関係の存在そのものが、すでにレッドカードなのである。
 
それ以上に今問題になっているのは「ヨシモト」や「ジャニーズ事務所」と芸人/タレントとの関係の在り方なのではないかと、想う。
一言でいえば「前近代的な雇用関係」や「タレント事務所とTVや映画製作会社との関係」が問題になり、問われているのだろう、と思われる。
 
 
今までそれらの関係に関与してこなかった「公正取引委員会」の行政指導がきっかけに成って、「事務所を退所したタレント」の仕事や業務に少なからぬ影響が起きている事への「パワハラ」や「威力業務妨害問題」等が日の目を浴びている、と云う事であろう。
 
「タレントや芸人と所属事務所」の関係が、あまり今日的な雇用形態には成って無いと云う事は、これまでも長く言われてきたことである。
 
この「元SMAPメンバーの出場機会への圧力問題」や「吉本と芸人との前近代的な雇用関係」にメスが入り、少しでもタレントや芸人の人権が尊重されるように成る事は、個人の問題としてはもちろんの事、社会的にもまた意義のある事なのだ。
 
今回の騒動をきっかけに両者の関係が是正され、より近代的な関係が構築されることは良いことであろう。アップトゥデイトが必要なのだと思われる。
 
 
 
            
 
 
 
それにしても「ヨシモトの経営者と所属タレント」の会見を観ていて、去年の「日大アメフト問題の監督/コーチvsタックルを犯した選手」の場面によく似ているな、と想ったものである。
 
 「憔悴しきって、素直に反省している実直なタレントや選手」と「厚顔無恥でその場しのぎ的振る舞いの経営者/監督・コーチ」と言った構図である。
 
あの記者会見を見ているだけで、両者の関係は一目瞭然であるし、両者の人間性の違いがハッキリくっきりと確認できた。画像というのは正直なものだ。
 
当人は「その場を何とかシノいだ」と思ってるかもしれないが、世間はそんなに甘くはないのである。企業としてのブランド価値は失墜し、経営者個人の社会的評価は地に落ちている。減俸50%では問題は解決しないのだ。
 
「ヨシモトの企業としての存亡」はどうやらここ数ヶ月に掛かっているようである。目の前の樹ばかり見ていないで、森全体を見る能力のない経営者や会社/組織であっては、明日は無いのである。
 
 
 
 
 

 遠州森町飯田の”祇園祭”     2019.07.17

  
 
先週の三連休、私は静岡県の遠州森町に祇園祭を観に行ってきた。
この地は安田義定公の遠州の拠点のあった場所で、義定公五奉行の一人で遠江之國の目代(代官)を務めたと推測出来る、武藤五郎の本拠地だと想われる町である。
 
旧知の教育委員会の幹部の方に招かれて、私は二日間ほど祭を観に行ってきたのであった。あいにくの梅雨に見舞われたが、小雨が中心で天気予報が予測したほどの大雨にはならなかったのは幸いであった。
 
祭は二日間同じ演目で行われたのであるが、私がじっくりと腰を据えて観たのは14日の二日目の方であった。
16時頃から祭は始まり稚児舞の舞楽が中心となって、21時過ぎまで舞楽の進行に沿って行われるのである。
 
 
                 
 
             
                   獅子の舞
 
 
 
日没後の夕方になると町内の八地区から八基の屋台が繰り出して、飯田祇園神社の境内に集結する。中には飯田地区を越えて太田川の対岸森地区からも祇園神社を目指してやってくる屋台もある。
 
賑やかな太鼓や鉦・笛といった祭囃子を轟かせながら、揃いの法被と祭装束に身をまとった中学生ぐらいから40代くらいと思われる男女が、勢いの良い掛け声とともに屋台(山車)を曳きながら、続々と参集して来るのである。
 
彼らの熱気やパワーはかなり激しく、時折強く降りだす雨をものともせず弾き飛ばしていた。屋台は境内のほぼ中央にある独立した建物の「舞台」をぐるりと一周するのであるが、間断なく訪れる屋台の喧騒と迫力に、中央の舞台で繰り広げられる稚児たちの舞楽がかすれてしまうのは仕方のないことであろう。
 
しかし小学生の中・高学年かと思われる舞手は、周囲の喧騒にひるむことなく黙々と舞い続けるのである。
その舞は「獅子」「鶴」「蟷螂(かまきり)」「龍」といった演目に従って、それぞれ頭にかぶり物を載せ、顔を赤い簾の様なもので隠して懸命に踊るのである。
 
二千人近くはいたと思われる聴衆たちの多くは、賑やかで派手でパワフルな屋台の巡行に耳目を奪われるのであるが、愚直とさえ思えるように決められた舞を繰り返す、稚児の舞に私は感動してしまい、彼らの舞楽が終わるたびに大きな拍手を惜しまなかった。
 
 
 
                           
                                          
      
                    
   「龍の舞」の終盤、稚児はこの紅白の柱によじ登り神殿に向かって龍が天駆ける様に舞うのである。
 
 
 
この愚直さは、汚れを知らない稚児だからこそ可能なのか、とさえ思ってしまった。
私は臨席していた教育委員会のスタッフに「この祭りの舞手に選ばれることはかなり名誉な事なんですか?」と聞いてみた。彼は「はいその通りで、ひと月ほど前から練習を繰り返してるようです・・」と応えてくれた。
 
それから祭がいよいよ終演に近づくと、先ほどの八基の屋台が再び境内を賑やかに巡行を始める。その巡行は1回目より勢いがついているように私には感じられた。
中断期にたっぷりの休息と腹ごしらえ、それにきっと少なからぬお神酒を召しているのだろうと、推察した。
 
その勢いづいた屋台は、氏子たちに曳かれてそんなに広くはない境内を大きく蛇行し、行きつ戻りつしながら拝殿のさい銭箱近くまで侵入を何度か試みた。
 
その時のエネルギーや迫力は、拝殿で観物していた私達にも迫っていて彼らの熱気やエネルギーがビンビン伝わって来た。
 
私をこの祭りに招待してくれた教育委員会のスタッフは「このエネルギーや熱気があるから、梅雨の長雨にも耐えられ、これからやって来る真夏の暑さをもシノゲルんでしょうねきっと・・」と言っていたが、私もまったくその通りだろうと思い、大きく何度も肯いた。
 
そして彼は、「私はこの祭りの持つ賑やかさやエネルギー、それと舞楽との『動と静』の組み合わせが好きでね、毎年楽しみにしてるんだゎ・・」と、ぽつりと言った。
「そんなこともあって、私にもこの祭りを体験させたかった」というような事を言っていた。
私は彼のその気持ちがとてもよく判った。そしてこの祭りへの共感を私自身もしっかりと感じ、心に刻んで帰って来たのであった。
 
 
 
 
              
 
 
 
 

 祇園祭という神事         2019.07.11

 
 
7月の中旬は祇園祭が全国で行われる。
祇園祭は「御霊会」と言って、「お盆」と同じくご先祖様を祀る行事であると共に、「感染症」や「伝染病」に対する予防や未病・注意喚起といったような、病気予防の性格を持つお祭りでもあるようだ。
 
去年の今頃もこのコラムでも書いたと思うが、集中豪雨や梅雨の長雨などの活発なこの時季は、河川の氾濫や決壊・土石流などといった言葉が、毎年のように場所を替えながら発生し、聞くことになる。それだけ夏直前のこの時季は、日本では水害が繰り返されるのである。今年は南九州を中心にそれらが起きている。
 
この一年の間に私は『安田義定父子と甲斐之國、越後之國』の物語を書き終え、この間鎌倉時代初期に安田義資(よしすけ)公が守護を務めた越後之國、新潟の上越地方を訪れているのであるが、やはりかの地にもしっかりと祇園祭が根付いていた。
 
 
上越の湊町直江津には「越後府中八幡神社」や「八坂祇園神社」といった義定公父子にゆかりある神社が在り、そこでも「直江津祇園祭」(現在の名称は「上越祭り」と言っているが、地元の人は今でも「祇園さん」と言っている)は盛んにおこなわれている。
 
直江津は上越を代表する湊町で、室町時代ではすでに「三津七湊」と呼ばれる日本を代表する湊の一つであったという。
かの『安寿と厨子王』の物語の舞台はこの直江津だということだ。
 
 
この直江津は、現在は「関川」と呼ばれている大河が、日本海に注ぐ場所である。
関川はかつて「荒川」と呼ばれやはり暴れ川として有名だったらしい。長野県との県境の妙高山系に降り注いだ、長雨や集中豪雨・台風などがこの川から大量に流れ込むわけである。その名の通り昔から大きな水害に見舞われる街だったのだ。
 
直江津にはこの関川だけでなく「保倉川」や「飯田川」といった、主として「米山」山などの上越の北側に位置し、中越との境になる山々から流れ込む川が在り、やはり暴れ川であったという。それらの河川が会し、集中する場所が直江津近郊であったというわけだ。
 
そのような地理的背景があって、あばれ河川の集中するこの街には「直江津八坂の祇園神社」が在り、この時季「祇園祭」が行われているのである。
 
 
越後之国の上越地方でいうと「越後筒石」という難所で有名なエリアの西隣「糸魚川」でも祇園祭は盛んである。「能生川」沿いの旧能生町や「早川」沿いの梶屋敷といったエリアである。
いずれも北アルプスの麓で、2000m級のそれらの山々からもたらされた、勢いの強い鉄砲水などの水害に見舞われた場所である。
 
と同時にそれらの河川の上流には「金山(かなやま)」や「裏金山」といった、金が産出したことを暗示する山が控えていて、沿川には「金山彦」や「金山姫」を祭った「金山神社」 が在り、甲州金山衆の子孫たちが活躍したエリアでもある。
 
 
 
 
              
 
 
 
その沿川の街「能生」や「梶屋敷=鍛冶屋敷」「糸魚川」では、祇園祭とともに「舞楽」もまた有名である。私はそれらの祭りのスポンサーになったのは、金銀の産出で潤沢な資金を持っていた金山衆や、かつての守護安田義資公ではなかったかと、推測している。
 
祭りを始めるのにはやはり、動機と共に有力なスポンサーが必要なのである。衣装や神輿・舞台装置・祭器といったものには、少なからぬ費用が必要に成るからである。
詳細は『安田義定父子と甲斐之國、越後之國』の物語に書いたとおりである。
 
 
更に上越を離れると中越長岡には「金峰神社」と呼ばれる旧蔵王権現の神社が在る。
この神社の名称は明治維新の神仏分離策=廃仏毀釈に依って変更されたのであるが、この神社では越後之國で唯一といって良い「流鏑馬」の神事が、今もなお残存しているのであるが、それが行われるのはこの祇園祭の時季なのである。
 
 
この長岡の「蔵王権現神社」はとても興味ある神社で、その名が示す通り越後の修験道の根本道場であるにも拘らず、山奥ではなく信濃川流域の新潟平野の一画に存している。
その神社の「流鏑馬」神事であり、かつてはその祭りでは山車や傘鉾の巡行が同時期の祭祀として執り行われていたという伝承を持つ。
 
祇園祭との関連性が窺えるのである。しかも越後之國で唯一残っている武士の競技大会である「流鏑馬の神事」なのである。
修験者の神社に何故か武士の武芸の神事が在り、祇園祭の名残があるのである。
 
更にこの神社が、かつて修験道場の在ったとされる山奥の栃尾楡原から山を下ったのは、平安後期から鎌倉期であるという。
私にはやはり安田義定公父子の影を感じるのだ。
 
 
さらに興味深いことに、「蔵王権現」がかつて在った楡原は修験道のレジェンドである「秋葉三尺坊」が修行した場所と言われており、その三尺坊は安田義定公の領国遠州春野町の「秋葉神社」にも深く関わって来るのだ。
 
私が現在取り掛かっているのはこの「秋葉三尺坊と安田義定公」の関係を、明らかにすることを主題とした『安田義定と秋葉神社』の物語である。
 
「祇園祭」「流鏑馬」「舞楽」といった幾つかの神事や「秋葉三尺坊」を、800年前に残してくれた神様の指紋として探し求めて、私はしばらくの間
 
遠州静岡・甲斐之國山梨・信州戸隠・越後長岡
のフォッサマグナのラインを行ったり来たりすることになるであろう、と想っている。
これもまた神様のお導きなのであろうか・・。などと祇園祭の近づいている梅雨寒むの続く今、思っている次第なのである。
 
 
               
 
 
 
 
 

 香港と中華思想       2019.07.06

 
 
ここ1月ほど香港の政治活動が活発に行われており、香港の立法府に若者たちが乱入した様子が報道などで、伝わってきている。
香港の地域政府が「中国政府への身柄引き渡し条例」を制定することを議会に提案したから、である。
 
香港は秋田県ほどの面積に、埼玉県の人口ほどの740~50万人程度が生活している独立性の高い地域である。
 
香港はかつて帝国主義時代のイギリスによって占領され、99年間割譲された地域であったが、それが20年近く前にやっと返還されたという歴史を持っている。
中国の立場に立てば、元々の自国に戻されただけだという面を持っているのである。
 
ところが同時に、香港は台湾同様に中国共産党の政府が出来た時に、そこから逃れてきた人々の受け皿になっていた面があるのだ。更に中国の内戦後は天安門事件以降逃れてきた人々も加わり、現在もウイグル族などの少数民族で漢人の支配から逃れてきている人達も、含まれているのである。
 
 
そのような社会的政治的環境の中の香港で、今回の「中国政府への身柄引き渡し条例」騒動が勃発したのである。
この条例が全体主義という政治体制をとる中国政府の強い意向であることは、必然性を持っている。何故ならば全体主義社会では答えが一つしかなく、多様な価値観や政治体制の存在を認めないから、である。
 
戦前の日本がそうであった様に、中国や北朝鮮のような全体主義の政治体制をとる国では、自国の体制を維持するためにはこの種の条例は必然性があるのだ。かつての日本では「治安維持法」がその役割を担った。
 
中国とイギリスは香港を元の中国に返還するにあたり、50年間の移行期間を設け「一国二制度」の政治社会体制をとることで合意していたのだが、中国の政治指導部は無視して前倒ししたいようなのである。何かを焦っているのかもしれない。
 
そういうことで今回の衝突は、香港の支配を強化しようとする全体主義の中国政府と、出来るだけ民主主義や多様性を維持し続けたい、香港の740・50万人の住民との衝突であり、綱引きなのである。
 
 
               
 
 
 
今回の騒動で、たぶん香港政府はこの条例を撤回することに成るであろうが、中国政府のその政治的意思は基本的には変わらないであろう。
したがって香港が現在の「自立性の高い非全体主義の地域」から、完全に中国の全体主義の一部に移行しようとするプロセスにおいて、この問題は繰り返され再燃することが予測される。
 
更に移行期間50年経過後の時に起こりうる事態としては、その頃にはひょっとして800万人くらいに膨れているかもしれない、「香港人」の世界中への拡散であり、中国政府へのレジスタンスであろう。
 
そのレジスタンス運動の進捗によっては、中国国内に潜在している少数民族のレジスタンス運動への波及や飛び火が推測される。
 
 
そのような事態に成った時、現在の中国政府はいったいどうなるであろうか?
かつてのソ連邦が崩壊した時に起きたような、民族主義の勃発による現在の中国の枠組みの崩壊、すなわち周縁地域の少数民族の独立による新たな国家の誕生であろうか?
 
それとも現在の香港と同様に、特定の地域や少数民族の自治権を大きく認めた自治政府の誕生であろうか?
仮に後者であるとしたら漢人による支配が続く形態は、どのように変貌するのであろうか?本来はモデルとなるはずであった「一国二制度」は踏襲されるのだろうか?
など課題はまだまだ残るであろう。
 
 
その際に問題に成るのが「中華思想」ではないかと私は想っている。
中華思想というのは、自らを世界の中心と位置づけ周囲の東西南北にはそれぞれ
「北狄(ほくてき)」「東夷(とうい)」「南蛮(なんばん)」「西戎(せいじゅう)」という外敵が居る、といった考え方である。
 
具体的にはそれぞれ「満州/蒙古」「日本/朝鮮」「ベトナム/カンボジア」「ウイグル/中央アジア」といった国や地域がそれに該当する、のだろう。
 
実際のところ中国はこれまでも「西戎:古代の秦」「北狄:モンゴル/清」「東夷:日本」に侵略された歴史を持っている。したがってこの外敵に対する懸念は実にリアリティのある話ではあるのだ。
 
 
そしてこの「中華思想」の根っこから生えてくるのが「自民族中心主義」であり、「周辺国への警戒及び攻撃的な姿勢」である。より民族主義的な思考が基本にあるのである。
さらに言えばこのような思想が根っこにあると、「中国世界中心主義」や「四囲への拡張主義」が生まれてくるのは自然の成り行きでもある。
 
現在東南海への進出を盛んに試みていることや現代版の「シルクロード」と言われている「一帯一路」政策が誕生するのも、この思想の現れなのであろうと私などは理解している。
 
更には「中華思想」にはもう一つの考え方があるようだ。
それは自らのよりどころを「中核」に据えて、それらを取り囲むように「内臣=直接の臣下とする地域/人々」その外側に「外臣=その周りで内臣に準ずる地域/人々」を置き、そのさらに外側に「朝貢する国家/地域」を配する、といったような考え方だ。
 
かつての朝鮮や日本などは、この「朝貢する国」という位置づけだったようなのである。
 
この重層的な四色の飴玉のような空間的拡がりの国家観も、「中華思想」の一つなのである。この考えを適用した場合どこ迄が「内臣」で、更に周縁の自治権の高い地域/国家「外臣」はどこどこになるのか、形を変えた「朝貢国家」はどこに当たるのかといった思考で、それぞれの地域や国家についてのポジショニングを行うのではないかと、そんな風に私は想像するのである。
 
 
              
 
 
 
いずれにせよ香港や少数民族の問題、更には「一帯一路」政策によって影響を受ける国々、すなわち新しい名称の「朝貢国家」の国家の在り方は、この「中華思想」が大きく作用するように、私には思えてくるのである。
 
そしてこのことは赤い帝国主義を標榜する中国の政治体制が変わったとしても、大きくは変わらないように思える。何故ならこれはイデオロギーの問題ではなく、世界観の問題だからである。
 
アジアの最東端である「東夷」日本の西側に存在する大国、中国という国家及びその民族はこのような世界観や思考回路を持つ、国であり国民であることを認識しておく必要があるように私は想っている。
 
しかしこの事実に対しては、あまり短絡的な民族主義的思考で反応するのではなく、冷静に社会科学的に認識することが肝要であることを忘れてはならないだろう。
 
 
 
 
 
 

 アメリカ政府と中東        2019.06.27

 
 
中東のペルシャ湾が現在緊張関係にあるようだ。
ここ数ヶ月小さなトラブルは起こっていたようだ。即ち「サウジアラビアやUAEなどのタンカーが攻撃を受けた」とか「日本とマーシャル諸島船籍のタンカーが攻撃を受けた」「アメリカの無人偵察機が撃墜された」といった事件である。
 
そしてそれらをきっかけとしてアメリカがイランに攻撃を仕掛けようとしたと云う事である。最終的には花札大統領がGOサインを出さなかったことで、実行はされなかったようである。
 
彼がGOを出さなかった最大の理由は、アメリカ軍がイランの革命防衛隊などに報復攻撃をした場合の犠牲者の数が150人と予測され、無人攻撃機撃墜の損害に比べ「釣り合いが取れない」と判断したからだと、本人がマスコミの前でそう言っていた。
 
 
私はこの一連のプロセスを見ていて、このアメリカ大統領の価値観や判断基準のポイントがどこに在るのか判ったような気がした。
TVの報道番組などで外交の専門家がよく口にしていたのだが、その通りだったのである。
 
曰くこの大統領は「ビジネスマンだから積極的に戦争は行わない」と言い、「その代わりにぎりぎり最後の局面まで圧力をかけ続け、交渉を有利にさせようとする」といった様なことを彼らは言っていたのであった。
 
この辺りが他の大統領、例えばイラクに対して戦争を始めたブッシュ元大統領などとの違いであるようだ。
イラクのサダムフセインが「大量破壊兵器(たぶん原爆に類する兵器)を隠し持っている」
というCIAだか、からの「動かぬ証拠をつかんでいるから」と云う事で彼は戦争を始めた。
 
 
結局その「動かぬ証拠」は最後まで見つからずCIAだかの、誤った情報に翻弄されて独裁者サダムフセインは捉えられ、殺害された。
 
この根拠のない「動かぬ証拠」によって国際社会は大きく翻弄され、多国籍軍を編成しイラク攻撃に加担した。この中にはわが日本ももちろん入っている。小泉元首相の時であった。
 
私はこの一連の騒ぎに当時のイギリスのブレア首相が、ブッシュ大統領に加担し積極的にイギリスの軍隊を派遣したことに、一種の戸惑いを感じたことを覚えている。
 
 
南部共和党出身のブッシュ大統領は頭がピーマンで、取り巻きのネオコンと云われるブレーンの進言をそのまま受け入れるような人物で、大国アメリカの責任ある大統領とはみなされていなかったから、である。
 
他方ブレア首相はイギリス労働党出身で40代前半の、クレバーな政治家だとイメージしていたからである。
 結局当時のブレア首相も「動かぬ証拠」を確認しないまま、同盟国アメリカに追従しただけであったのだ。この時に比較的慎重だったのはフランスとドイツであったように記憶している。
 
 
 
               
 
 
 
今回のイランへの攻撃に関してもまたイギリスは早くも、アメリカの行動を支持する声明を出している。すでに辞任を表明しているメイ首相の政府である。やはりイギリスは同盟国アメリカに追従するのであるな、と私は認識を深めた。
 
それに対してドイツやフランスはやはり慎重である、今回もまた・・。これは大切なことであり同時に賢明なことである、と私は感じている。
 
イラン戦争の時の教訓が生かされているからである。
日本の今の首相は小泉元首相よりは慎重であるようで、直ぐにアメリカを支持する声明や行動は起こしていない、そのことは冷静でよいと私は想っている。
 
イラク戦争の教訓が生かされていると思われる事や、イランと日本との長くて太い関係が単純な判断を採らせていないのだろう、と推測している。
 
 
いずれにせよ今回のイラン攻撃をアメリカ政府内で声高に主張しているのは、今回もまた「ボルトン安全保障担当補佐官」のようだ。彼はイラク攻撃の時にも積極的に攻撃することを主張したネオコン(新保守主義者)の一人である。
 
彼の頭の中は冷戦時代のアメリカの価値観とは大きく変わらないようで、民主主義国VSその他の国という構図であるようだ。
 
しかし花札大統領はブッシュ元大統領とは違って、ブレーンの主張を鵜呑みにはしない人物なので、最後は取り巻きたちの言葉には従わなかったようだ。
これは彼の価値観というか行動原理の一つでもある「ワンマン」の反映であろう。
やはり彼はビジネスマンなのである。それも「ワンマン経営者」なのであろう。
 
 
政治的信条やイデオロギーではなく、「ある種の合理性」や「費用対効果」の釣り合いを大切にしているのであろうと思われる。
そしてそのような彼であるから、昨今ニュースになり始めている「日米安保条約のアンバランスへの懸念」が口に出て来るのだと、私は理解している。
 
この問題は改めて日本の保守層や革新層と云われる人たちに、大きな一石を投じる事に成るだろうと、私は予測している。
 
 
それにしてもイランはイスラム教の最高指導者という名の、宗教指導者が支配する国である。このアメリカ大統領の「ある種の合理性」や「費用対効果」の近代資本主義的な価値観が、通用する国では無いという懸念は、これからも付きまとって来るであろう。
したがって我々も楽観視ばかりもしていられないのである。
 
何せホルムズ海峡経由で日本や世界に流通する石油は、世界の20~30%のシエアを有しており我々の日常生活に直結し、ガソリン価格の高騰を始め大きな影響を被ることに成るからなのである。
 
 
 
 

  リニア新幹線と大井川       2019.06.14

 
 
東京と名古屋を一時間足らずで結ぶ「リニア新幹線」の工事がちょっとしたトラブルに遭遇しているという。JR東海の金子社長が記者会見をしていた。 
このままだと2027年ごろ開業予定のスケジュールが延びる可能性があり、その原因が南アルプスの静岡県の最北端で起きているトンネル工事で、大井川の水流に関わる事らしい。
 
要するに南アルプスの中腹を貫通する新幹線のトンネル工事によって、毎秒2t、一日86,400tの水が漏洩し、大井川には流れなくなるという事が懸念されており、県が簡単には工事にGOを出さないと云う事らしい。
 
 
 
               
 
 
 
東京と名古屋を一時間足らずで結ぶと云う事は、東京-名古屋間が通勤圏に成るかもしれない距離感に成る、と云う事である。
人の移動と云う事でいえばこんなに便利なことはない。
 
東南海地震で現在の東海道新幹線が機能不全に陥る危険性をはらんでいることを鑑みれば、この幹線鉄道がいかに大切なインフラであるかはすぐに理解できる。
 
がしかし、大井川の水が毎日86,400t供給されなくなると云う事は、到底看過できることではないのもまた事実である。
大井川はかつての遠州と駿河とを分かつ大河であり、この河川から生活飲料水を供給されている都市は10市町村に及び、62万人がその恩恵に浴していると云う事である。
 
 
静岡県の総人口の1/6程度が影響を受ける事に成るのである。県知事がこの工事の影響に対し、色を成すのはまた無理からぬことである。
更にはこの水量の問題は河川流域の生産工場や、多くの農産物とりわけ静岡茶の生産にも大きく影響してくると云う事である。
地元の生産活動にも多大な影響を与える事に成るのである。
 
 
と云う事であれば、JR東海の工事は単純にスケジュールの遅延を声高に叫んで済む問題ではないことに、早く気付く必要があるだろう。
この一日86,400tの漏水問題を無視して工事を進めることは、企業として許されることではないからである。
 
JR東海は知恵と勇気とお金を掛けて、この課題を解決するための努力を、真剣かつ真摯に取り組まなければならないであろう。
民主主義国家においては巨大企業は社会的な責任を常に伴う。私企業の経営効率や利潤追求だけしていて、良いわけではない。
 
「社会的に影響力の大きな企業は公器である」という自覚を持たない限り、この問題は解決されないであろうし、口角泡を飛ばしあっても無駄な時間を浪費するだけだと、私は想う。
早く大人になってもらいたいものだと、このニュースを見ていて感じている。
 
 
 
                                                    
              
 
 
 

 初夏の遠州           2019.06.04

 
 
久しぶりに遠州を訪ねた。
5月末の遠州浜松は過ごし易い、すがすがしい時節であった。
 
尤も今の時節は日本全国どこに行っても暑からず寒からずの、一年で最も過ごし易い良い季節であるのに違いない。
ほんの一週間前は35度前後の、5月にはまれな暑さの日が続いたこともあって、そのように感じたのかもしれない。
 
 
今回の遠州行きの目的は、この三月に書き上げた『安田義定父子と、甲斐之國・越後之國』の次回作のための資料集めや現地視察といった、情報収集や取材のためであった。
訪問先は相変わらずの図書館通いが主体で、更には浜松市春野町の「秋葉神社本宮」関係者へのヒヤリングや、諸神社への訪問や気になる地域の視察を行ってきたのであった。
 
ついでにというか数年前『・・・駿河・遠江之國』の取材でお世話に成り、それ以来交流のある森町の教育委員会の方々にもお会いして、久しぶりの情報交換と旧交を温めた食事会も行ってきた。
 
 
 
               
                      秋葉三尺坊
                     
 
 
次作のテーマに成りそうなのは『・・・甲斐之國、越後之國』製作中から気になっていた、新たな謎というか課題である安田義定公と、「火伏」や「厄除け」の神として名高い「秋葉神社」との関係が、どのようなものであったかを検証するための物語を、イメージしている。
 
義定公の領国経営の柱である「騎馬武者用の軍馬の畜産・育成」に大きく絡む、神事「流鏑馬」を越後之國では唯一確認できた、長岡市の「金峰神社」かつての「蔵王権現」の創設に大きく関わって来たとされる「秋葉三尺坊」と、遠州の「秋葉山神社本宮」とに深い因縁があることが判明したからである。
 
 
もちろんただ単に「蔵王権現」と「秋葉神社」との宗教上の問題であれば、私には大きな関心の対象には成らないのであるが、安田義定公の領国遠江と嫡男義資公の領国越後を代表する神社の問題であり、修験者の世界では著名人(?)である「秋葉三尺坊」の事であるから、ずっと気になっていたのであった。
 
『・・・甲斐之國、越後之國』を一応書き終えて、インターバルをとってリフレッシュもしっかり取ったこともあって、やっと始動したのであった。ちょうど梅雨入り前のすがすがしい時期であったことも、今回の訪問の動機にはなっているのだが・・。
 
 
 
 
             
               秋葉神社上社から観る遠州平野
 
 
 
 
遠州の山奥といってよい「北遠地方」の、旧春野町の入り口近くにある「秋葉山神社本宮」は、両サイドを「気田川」と「天竜川」とに囲まれた山峡の町で、緑と水に囲まれた時間がゆったりと流れる集落であった。
 
その景色は越後上越の糸魚川の北アルプス山麓の集落や、甲斐之國甲州市の笛吹川上流の集落にも共通する、自然環境であった。
 
宿は太平洋側の浜松駅周辺や掛川駅周辺に取ったのであったが、山間部は新潟であろうが山梨であろうが静岡であろうが、やはり同じ匂いがする。 懐かしい日本の原風景に出会えたのである。
 
山紫水明という言葉があるが将にその通りであった。
これが二か月ほど前だと、山肌に雪が残っていたりして、きっと冬場は厳しい自然環境なのであろうな、と想像力を働かせながら廻っていた。
 
いずれにせよ資料収集や実地看聞を行い、懐かしい人達に会えたことや新しい出逢いがあって、実りの多かった遠州への旅であった。
基本的な蓄積は終えたので、今月中には新しい物語を書き始めたいと思っている今日この頃なのである。
 
 
 

 相撲というスポーツ3      2019.05.26

 
 
今日2019年の夏場所が終わった。
今場所もまた、多くのドラマがあった。数あるドラマの中で印象に残っている事としては「貴景勝の休場」の件があげられる。
 
先場所優勝した伸び盛りの人気力士の事であるから、前半は彼の話題が多かった。
立方体の体形のこの力士の、常に前に向かう相撲はとても判りやすく迷いのない取り口といい好感が持てるので、私も彼には注目している。
 
その彼がケガで途中休場した。相撲は格闘技であるからケガが付き物なのは仕方ない。問題は休場から復帰のタイミングである。
彼は3日ほどの休場で再び土俵に立った。「ケガが回復した」から、「本人が大丈夫と言い」「出たいと言ってる」から、という事らしい。
しかし復帰戦は惨敗で、この試合で更なる負傷を重ねてしまった。
 
 
彼自身も、そして彼の師匠ともいうべき親方も「稀勢ノ里の経験」からは何も学ばなかったのであろうか、残念なことである。
いうまでもなく相撲は裸と裸で戦う格闘技である、中途半端な身体の状況で闘える代物ではない。その事はその世界の人間なら、力士も親方ももちろんの事、百も二百も判っているであろうのに、残念なことだ。
 
目先の利益や結果に逸(はや)らず、中長期的な視野や覚悟が欲しいものである。
23歳の若者以上に人生経験の豊富な、部屋の親方には特に強く望みたいものである。
この点においては白鳳や鶴竜の対応を見倣ってほしい。
「心・技・体」の三つが整わないのであれば、出場を見送る勇気も必要であろう。
 
横綱である彼らはその点はしっかり理解しているようで、年に何回かは休場している。「心・技・体」が満たされている時には出場し、それなりの結果を出し続けている。彼らを見倣ってほしいものだ。
貴景勝及び部屋の親方には「万全な身体」と、「逸る心を制御できる精神面」の成長が待たれる。
 
 
次に後半というか終盤のテーマは、栃ノ心の大関復帰と優勝争いである。
今回の場合で言えば「栃ノ心の心の問題」とおとといの「朝之山対栃ノ心戦の判定」であった。
 
そのうちの「朝之山対栃ノ心戦」の問題は、審判団の判断の不適格さが話題になった。
あの試合が難しい試合であったことは、だれもが認めるであろう。
 
実際にあの取り組みを何回も動画などで見返して観ても、簡単に勝敗を決しがたい相撲内容であったと思う。
その難しい微妙な試合の判定をするのに、審判団は6分近くも土俵上で喧々諤々と、議論し続けた。そして結果的には、浅之山の勝ちとした。
 
 
 
               
 
 
 
最終的には「一番近くで見ていた審判(親方)の意見を尊重した」という事らしい。私にはとても経験豊富な大人の判断とは思えなかった。
果たしてあの試合には、無理に白黒をつける必要があったのであろうか?
 
いうまでもなく相撲のルールには「取り直し」という判断があるのに、そういった判定には成らなかった。審判団、とりわけ審判長の大きな判断ミスであろう。
 
微妙で難しい相撲内容で審判団の意見が大きく分かれ、なおかつVTRで確認しても簡単には結論が出せない内容であった。
 
審判団が6分間も協議しなければならない内容に、無理やり判定を下した審判長の責任は大きい。
今場所の検証時には大いに問われなければならない問題である、と私は思う。
 
 
次に「栃ノ心の心の問題」である。最初の8・9日目までは特に問題はなく、栃ノ心はかつての優勝した時のような、力強さが目立ち10勝し大関に返り咲くことに問題はなかろう、と思っていた。しかしあと一番がしばらく勝てなかった。
 
この問題は何といっても彼自身の心の問題だと思う。疑惑の浅之山戦を除けばほとんどは自滅に近い負けであった。
最終的には10勝出来たから良かったのであるが、彼自身心の鍛錬の必要性を改めて自覚したのではなかっただろうか。いや是非ともそうあってほしいものである。
 
 自分が克服しなければならない課題が明確なのは良いことである。自分が成長するきっかけが、そこにはあるからである。
 
自らを更なる高みに向かわせるためにも、しっかりと反省して人間的な成長を遂げてもらいたいものである。彼の成長は大相撲を間違いなく面白くするであろうから・・。彼の人間的な成長を、私は期待してやまない。
「相撲道」をさらに極めてほしい。彼自身のためにも。
 
 
 
 
               
 
 
 

  DNAの問題          2019.05.18

 
 
先日TVで「人体の有する不思議な能力」について、山中伸弥氏とタモリとが進行役で解説していた。いずれもDNAに関するテーマで、先週との二週連続の番組であった。
 
先週のテーマは主として「突然変異」について取り上げていた。2万個近くあるDNAの内70個くらいのDNAは、両親から受け継ぐDNAとは関係のない、「突然変異」が生まれるのだという。これはすべての人類に共通する事らしい。
 
 
その人の有する70個の突然変異のDNAが何であるかは、DNAの解析や分析をしないことには判らないらしいのだが、この突然変異があるから多くの生物は厳しい環境の変化にも適応し生き続けることが出来たのだという。
 
というか厳しい環境の変化に適応できる突然変異のDNAを持っていた個体が、生きながらえ繁殖してきた、と云う事らしい。
 
中世や近世にあったペストやコレラの大流行であっても、それらへの抗体を有する人々が生き残った、といった事にも触れながら話していた。突然変異のDNAとも何か関係があるらしいのだ。
 
と云う事は、全く同じような遺伝子しか持たない個体は、このような変化に襲われた時にはそろって討ち死にしてしまい、存続し続けることが出来ないと云う事をも意味する。
 
従って、単純単色の生命体よりも多種多様な種類の生命体であることの方が、その種族が存続し続けるためには、重要な条件であると云う事になる。
この事は企業や共同体にも同じことが言えるのかもしれない。
 
 
目まぐるしく変化する環境に適用するためには、単純単色な企業や共同体よりも多種多様な要素を持った企業や共同体が、存続し続けることが出来るからである。
体内や組織の中に異種や異物を内包している事のもつ大切さを知らされ、気づかされるのである。
 
と同時に、両親から受け継ぐ能力や才能とは異なる能力や才能を、「DNAの突然変異」として人は持っているものなのだといった事を知り、改めて自分の身の回りを振り返って、大いに納得・得心したものである。
 
 
 
                 
 
 
 
次に先日の同じ番組では、「DNAが持っている潜在能力」について取り上げていた。
番組では「がんを治癒する能力」や「老化を防ぐ能力」「記憶力を高める能力」といった能力をクローズアップして説明していたが、人類や他の生物を含め多くの生命体はそのDNAの中に潜在的に「病」や「老化」を自ら治癒する能力を有している、というのだ。
 
一卵性双生児の例でそのことを証明していたのであるが、「がんに対しても治癒する能力」や「老化を遅らせる能力」を潜在的に同じように持っていても、その能力を開花させるスイッチがONに成っているか、OFFに成っているかの違いで能力の作用が変わってくると云う事らしい。
 
その時取り上げられた一卵性双生児の場合では、片方が乳がんに成りもう片方は罹病していなかった。所有するDNAは同じでも「がんに対して治癒する能力」のスイッチが、ONに成っているかOFFになっているかの違いなのだ、と云う事らしい。
 
従って「病を治癒出来るか否か」「潜在能力を開花できるかどうか」は、本来誰もが持っている潜在能力の、そのスイッチをONにさせればよいのだ、と云う事らしい。
 
番組では「若死に」を防ぐために「精子トレーニング」に取り組んでいるフィンランドだかの例を取り上げていたのであるが、要はスイッチをONさせるための努力や訓練をすることが大切だ、と云う事らしいのだ。
 
 
どうやら体を鍛えたり心を鍛えることで、OFFのままのスイッチをONにさせることが出来ると云う事らしい。
と云う事は学習や鍛錬、修練・修行によってスイッチをONに替えることで、人は潜在能力を開花させ得る、と云う事らしいのだ。
 
DNAの問題を知る以前から我々は、学習したり修練することの大切さを教育によって、ずっと言われ続けてきたのあるが、それがDNAのスイッチをONにするという「生物科学的」な知見への到達によって、改めて追認されたわけである。
 
 
 
ここまで理解が進んだ時に、修験者や修行僧の事が私の頭に浮かんできた。
 
千日回峰を生涯に二度成し遂げた「酒井雄哉」という大阿闍梨に成った修行者は、修行時には十数km離れた先の音を感知する能力を取得した、といった様なことをかつてTV番組で言っていたことを思い出した。
 
してみれば彼のその能力は、千日回峰という修行をする事によって、その動物的な察知能力にスイッチが入ったのかもしれないのだ。 
 
 
因みに現在私が関心を抱いている「秋葉三尺坊」という鎌倉時代の大修験者も、千日回峰などの修行を積んで阿闍梨に成ったらしいのだが、彼らの行っていた修業はまさにそのDNAのスイッチを押すための修行であったのかしら、などと想像が広がった。
 
してみると古来より行われている諸々の「修行や鍛錬」という行為は、あるいは本人自身が生まれながら持っている、DNAのスイッチをONにするための行為なのかもしれない、などと更に想像力を膨らませた。
 
 
 
 
               
 
 
 
「修行や鍛錬」という行為をこのように理解すると、それらの行為は自らの体内(DNA)に眠っている潜在的な才能や可能性を開花させるための、スイッチをONにしようとする作業であるのかもしれない、と思うことも出来るのだ。
 
 
山を千日間歩き続けるかどうかは別にして、自らのDNAのスイッチをONにするための努力や修行は、ひょっとしたら効果があるのかもしれないぞ、などとTVを観ながら思いが至った。
 
と同時に、生まれながら持っている可能性や能力を開花させるための、後天的な努力や修行といった行為が、いかに大切なものであるかが、ちょっとだけわかったような気がしたのである。
 
 私たち自身には、まだまだ眠っている才能や能力が沢山あることに気づかされた「DNAの問題」であり、修練や鍛錬を行うことの大切さに改めて気付かされた良い番組であった。
 
 

 宇宙ロケット「MOMO」再び      2019.05.10

 
 
私の棲む大樹町のベンチャー企業「インター・ステラ・テクノロジズ(IST)」が日本の民間企業では初めて、ロケットの大気圏脱出に成功したようだ。
2・3日前からこの話題で北海道のニュースは持ちきりである。三年がかりでやっと達成出来たのだから、オーナーのホリエモンなどは喜びもヒトシオといったところだろう。
 
昨年の7月初頭のこの「ブログ」という名のコラムの、コーナー(2018年7月2日)でも取り上げておいたが、今回は無事成功したようである。
町民の一人として、とりあえず「おめでとう」と言っておこう。
 
今回の打ち上げ成功を受けて、当該企業も周辺自治体もギアをワンランク上にチェンジしたようである。技術的に大きな壁を突破したことで、一ベンチャー企業の研究所=ラボラトリーという存在から宇宙産業を目指す主役にと、大きく変貌しようとしているようだ。
 
この事業の推進力は当該ラボラトリー「IST」であるが、大樹町や北海道庁はこの推進力を育て上げ、有効に活用しようとしているようで、今後はこのベンチャー企業を大事に育て上げる「孵化装置=インキュベーター」の役割を果たそうとするようだ。
早い話が卵を温める親鳥の役割を、積極的に担おうとしているようなのである。
 
 
ISTはオーナーのホリエモン自身が述べているように、今後はロケット発射の技術を最大限に活用して、商業化を加速させそちらに向かって猪突猛進的に、邁進するであろう。
それに伴い、ロケット開発の生産体制も充実させ量産体制をスタートさせる、と云う事のようだ。
 
 
 
             
              ロケットの機体の「ひふみ」とは大スポンサーの固有名称らしい、
                 一体その人はどなたなのであろうか、興味あることである。
 
 
 
当該企業の動きに連動するように地元の大樹町を初め北海道庁なども、そのためのバックアップ体制を整える準備を始めているようである。
即ち生産体制を整えるための行政的支援である。
 
具体的にはロケットの発射施設の在る「航空公園」周辺の都市計画上の用途地域の変更や、区画整理事業といったインフラ環境の整備に着手するのではないかと思われる。
宇宙産業の関連企業が進出しやすい、行政上の準備や生産拠点としての環境の整備である。
 
これらの一連の動きである生産体制の整備は、ハード面での開発体制と同時にソフト面での開発も伴ってくるであろうから、今後はIT系企業などの集積もそれなりに進むことに成るのではないだろうか・・。
 
その場合大樹町は、ロケット開発を核にした宇宙産業の「シリコンバレー化」が進むことに成るのかもしれない。これから大樹町がどのように変貌していくのか、楽しみである。
 
 
総じて北海道は広いがこの大樹町もやはり広い。
大樹町の総面積は東京23区よりも1.3倍も広いのだ。そこに東京23区の10,000分の6程度の人口しかいない。したがって土地は存分に余っている。
 
今後は太平洋側の「航空公園」エリアを中心に開発が進むのかもしれないし、今のIST社のある歴舟川沿いの芽武地区を中心に開発が進むのか判らないが、いずれにせよ長い間一次産業がメインの産業で、若者の流出や人口の過疎化現象が止まらなかったこの町は、今後若い宇宙産業やIT関連産業の従事者や、その周辺企業に携わる人々が流入することに成るのではないだろうか。
産業構造の変化の行方と共にやはり、楽しみである。
 
 
今回のMOMO打ち上げの成功に喜んだホリエモンが
「IT企業は常に成長や競争を強いられている環境で、区切りのない業界であるが、ロケットの打ち上げはその都度目標達成といった、具体的な成果を確認でき、達成感を味わえることが魅力の一つだ・・」
といった様なことを言っていた。その言葉が印象に残っている。
 
 
ホリエモンは宇宙人だと思っていた旧石器時代の私であるが、彼もまた人間であると認識し、ある種の親しみを感じたものである。
彼はこれからISTを何処にもっていくのであろうか、そしてわが大樹町はこれらの異物の混入により、どのような化学反応を起こし、更にはどのような化学変化が生じるのであろうか、これまた楽しみである。
 
 
 
 
            
             太平洋を借景に宇宙に向かう、MOMO3号
 
 
 
 

 我唯足るを知る、知らず?        2019.04.30

 
 
京都衣笠山の麓の禅寺「龍安寺」には有名な手水(ちょうず)鉢がある。
かつて私が通った大学のキャンパスからは徒歩圏に在った、寺である。
 
その「知足の蹲踞(つくばい)」と呼ばれる石造りの手洗い鉢は、中央に四角い窪みが在りそこに水を受け、手を洗うようになっている。
その四角い窪みを中心に上下左右に四つの文字の一部が書いてある。
 
即ち「吾」「唯」「足」「知」の一部である。
この四文字に共通する「口」の部分を、真ん中の四角い水受けが担っている構成に成っているのである。
 
従ってこの手水鉢は「吾れ唯、足るを知る」と読ませているのである。
 
 
禅寺の僧侶がトイレに行くたびに目にするこの手水鉢は、自らの戒めのために用いられているのだろうと想われる。
 
禅寺の僧侶にしても尚、この戒めが必要であるという事のようだ。それだけ「足るを知る」と云う事が難しい、心のあり方なのであろう。
 
 
 
 
              
 
 
 
 
さてその「足るを知る」について考えさせられるニュースが飛び込んできた。
ソフトバンクの孫正義オーナーのビットコインにまつわる件である。
 
報道等によると孫正義氏は、昨年ビットコインへの投資で140億円以上の損失を被った、と云う事である。
 
孫正義氏は言うまでもなく立志伝中の人物で、若くしてIT関連企業を起業し、なおかつ経営者としても成功している、日本を代表するグローバル企業のまれな人物の一人であろう。
 
 
企業人として輝かしい成功を収めた人物であるが、私が彼に対する見方を変えたのは東日本災害時に100億円の私財を寄付した、といった慈善行為であった。
 
その金額の多さに驚くと共に、その行為を通じて彼に対する見方が変わったのであった。プロ野球の会社を買収したこと以上に、インパクトがあった。
 
次に2・3年前にグループ会社のCEOをスカウトした際に、100億円の年収で契約したといった報道にも驚かされた。
金銭感覚の次元が明らかに違うことを、気づかされたのであった。
 
しかしまぁそれらの行為は、日本を代表するグローバル企業の創業者オーナーであれば、そう云う事もあるのかなと妙に納得などもしたものである。
ところが今回のビットコイン騒動を通じて、孫氏のまた違った側面を観れたような気がしている。
 
 
ビットコインへの投資は企業の経済行為とは違い、純粋な個人の資産運用の一つであろうと推測することが出来るからである。
即ちビットコインという「金融商品への投機」によって、個人の資産を増やそうとした、ということを意味する。
 
140億円以上の損失をしたと云う事は、その投機行為に使われた金額は4・500億円と云う事に成るのであろうか・・。
 
金額の多さにも驚かされるが、それ以上に驚いたことは個人資産の増殖に対する絶え間ない利殖行為への貪欲さ、についてである。
 
数百億円や数千億円の資産が在っても尚、個人資産を増やしたいと思う、その貪欲さに驚かされたのである。即ち「足るを知らざる」行為について、知らされたことである。
 
今年の正月に書いたブログというかコラム「欲望の資本主義(2019.01.09)」の一端を、ここでもまた、確認出来たのであった。残念なことである。
 
 
因みにかのカルロスゴーンもまた、ビットコインで少なからぬ損害を被ったようで、その損失を日産自動車に付け替えていた、と云う事らしい。
 
カルロスゴーンの場合は豪華クルーズ船「社長号」や息子のために作ったぺーパーカンパニー「ショウグン(将軍)社」が示すように、欲望の資本主義者の典型であると想っているが、孫正義氏がその同類だとは想ってはいなかったのである。
ちょっと白けてしまった。
 
 
因みに二人は世界でも著名な経営者で、グローバル企業の成功者でもあると同時に、また私と同世代の人間でもある。
 
「足るを知」りすぎていると常日頃から叱責され、もう少し貪欲になることを家人から促されている私には、到底理解のできない人種達であると、同世代の私は白けながらそう想っているのである。
 
 
 
 

 十連休        2019.04,26

 
 
明日からGWが始まる。今年は10連休という人達が多いのではないかと思う。
 
サラリーマンを辞めて5年近く経つ私は、現在は自営業者状態なのでこの10連休は特別の意味は持たないのであるが、世の中的には年末年始よりは長く、夏休みに匹敵する長さと成る人が多いのではなかろうか。
 
そして4月末から5月の頭という時節は、1年で最も気候が温暖な時期であることから、旅行や行楽にはもってこいである。かくいう私もサラリーマン生活をしていた時は、都会を離れてこの時節のGWを満喫したほうであった。
 
 
有給休暇を使っての休みだと、世の中が動いたままだから取引先などとのスケジュール調整が大変であるが、年末年始やGWというのは社会的に休日であることが共通認識と成っているから、特に遠慮や気配りをしなくても 休めるのが好い。
 
私はGWには率先して休日を消化するタイプの人間だったので、この時節にはいくつかの街を訪れることが多かった。
尤も独身時代と結婚してから、更には子供が一緒に旅行するようになってからでは、その行き先が大いに違ってきた。
 
 
独身時代はもっぱら趣味の陶磁器の窯元を目指して移動したものである。連続してとれる休みの日数にもよるのだが、関東近郊の益子や笠間はもちろんちょっと足を延ばして相馬や会津本郷、東海の常滑・瀬戸・美濃瑞浪、更には関西の四日市・伊賀・信楽・京清水、北陸の九谷小松・金沢といった感じである。
 
30年近く前の事だから若くて体力も気力もあり、多少遠方でも長距離運転を厭わずに行ったものである。
まだバブルが弾ける前であった事も、多少影響していたかもしれない。
 
 
いずれにせよこの30代の頃の陶磁器のストックが、今でも我が家の食器棚を飾っている。コーヒーカップや大皿、銘々皿、湯飲み・酒器・ぐい呑み・ごはん茶碗・椀物・小鉢・大鉢・花器といったものである。
 
新モノだけではなく、骨董品店や古道具屋・アンティークショップなどにも顔を出した。おかげで所謂インテリア小物といった類のものまで対象は広がった。その時分に買い求めたものが今でも、我が家の什器備品と成っている。
 
 
 
 
                 
 
 
 
子供たちも小さいころは黙って親に付いてきたが、小学校の高学年くらいに成ると自分の好みや嗜好を主張するようになり、これに子供の部活などが入ってくると、いつまでも自分の趣味の世界を愉しむ、と云う事もできなくなった。
 
これは残念なことであったが、まぁ仕方のないことであった。子供の成長を停めることはできないし、いわゆる親としての義務でもあるのだから・・。40代・50代の事である。
 
そして子供が20代に突入し、自分たちの意思で行動するようになってからは、親は置き去りである。かつて望んだことがやっと手に入ったのであるが、今度はこちらの体力・気力・財力がついて行かなくなった。60代の今である。
 
 
それに北海道である。大都市近郊のベッドタウンとは異なりたっぷりの自然環境の中で、日常生活を過ごしている。あえて都会の喧騒から離れる必要性はない。
それやこれやが絡まって、もっぱら自宅に居て息子などが帰って来るのを楽しみにしている。
そのうち孫などの到来を待つようになるのだろうか・・。
そうやって人間の一生もまた循環し、やがてこの世から消滅していくことに成るのであろうか・・。
 
それにしても今日・明日は、北海道ではまた雪が降ることに成るようだ。昨日とは10度近く気温が低く、一昨日よりは20度近く気温が下がるようである。
まぁ、GWが明けないことには本格的な春が来ないというのは、北海道ではいつもの事なのではあるが・・。
 
 
 
             
 
 
 
  
 
 

 鶯の初音            2019.04.21

 
 
今朝我が家では鶯の初音が聞こえた。
今シーズン初めての事である。
 
周辺の雪はとっくに消え、陽光もすっかり暖かな光にと代わってきており、春の到来はすでに充分感じているのだが、やはり鶯の声を聴くと改めて春を実感する。鳥の囀(さえず)りを聴くことは、やはり嬉しい。
 
私の部屋は二階に在ることから、この書斎兼作業場を「聴囀楼」と名付けているが、その謂われはこのような状況を愉しむところから採っている。
 
とりわけ鶯の囀りを聞くのは、ほかの鳥の鳴き声より心地よい。田舎暮らしの楽しみの一つである。耳の御馳走であろうか・・。
 
 
 
                     
                                        うぐいす色の鮮やかなメジロ
 
 
 
因みにこの辺りで色が鮮やかで見目麗しい鳥といえば、「アカゲラ」があげられる。
キツツキの一種で「啄木鳥」に属するのであるが、このきれいな鳥の鳴き声は記憶にない。
そのアカゲラも早朝、目にする機会が最近増えた。
 
枯れ木をしきりにつつく姿は、朝ご飯を食べているのであろうか・・。
そしてまだ生きているトドマツをつつくのは、どうやら水を飲んでいるらしい。この鳥は樹木からしか水分をとれないと云う事である。
 
しかし色鮮やかなアカゲラが樹々をちょこちょこ移動しながら動く姿は、中々好いものである。こちらは目の御馳走である。
 
 
 
 
                       
 
 
 
都市への集中と地方の過疎化が叫ばれて久しいが、若い頃は学問のためや就労機会を求めて、都市や都会に集中するのはごく自然なことであり、それを無理やり止めることはできないだろう。
 
若い世代の知的好奇心や新しい情報への憧れや渇望、物理的・金銭的な豊かさの追求というのはある程度あってもよいのではないかと思う。それはごく自然な欲求であり又衝動であると思われるからである。そしてそれらが社会に活力を生んでもいる。
 
しかしまた田舎には田舎の良さが在るのも、事実である。もちろんその人の美意識や価値観、人生観にもよるのであるが・・。
 
人生も半ばを過ぎて、いろんな意味で経験や実績を積み重ね、心身ともに蓄えが出てこれから先の人生が、ある程度予測できるようになった世代には、また違う選択肢が出てきても好いように私は想う。
 
 
私と家人の場合はそれが田舎暮らし、という選択肢であった。
そのことを模索し始めたのは今から15・6年前の事であろうか。40代の半ば以降である。
 
もちろん田舎暮らしには良い面ばかりではなく、残念な面も少なからずある。
生活面での不便さである。街中まで10㎞近くは離れているし、インターネットの環境は光通信は期待できない。今度やっと地域WⅰFⅰが利用できるようになったところだ。
 
好いことも残念なこともまぁ、数えればきりがない。
 
残りの人生を考えた時、新しい環境を撰んで自分の大切にする価値観や美意識を愉しむのも善いのではないかと、私たちはそう想ってこの地を撰んだ。
 
もちろんここが終着のエリアだと想っているわけではない。車の運転が怪しくなったり、日常的に医療機関の世話に成らなくなった時は、また違う選択肢を選ばなければならないかもしれない、と家人とは話し合っている。
 
答えは常に一つではなく、年齢や世代・家族の構成によっても替わり得るものだと、そう私たちは認識しているからである。
 
そんなことをつらつらと考えているとまた、鶯が囀ることを始めた。
 
 
 
 

 マスメディアとマイクロメディア    2019.04.11

 
 
近年、私は新聞や雑誌を殆ど購読しなくなった。
必要な時に確認の意味で買うことはあるが、いわゆる定期購読をしなくなって数年経つ。
 
その理由は何故かを考えてみた。
始まりは定期購読をしていても読まずに、そのまま積んどくことが多くなったことがあるように思う。
 
それは新聞の情報量が多くなってきており、すべてのページに目を通すと2・3時間はかかってしまう点にあったように記憶している。国内はもちろんのこと海外の情報にも目を通すし、政治・経済・文化・社会・娯楽といった様々な分野に目を通すと結果的にはそんな風になってしまう。
 
社会との関わりが日本国内には留まらず、世界との距離感が近くなってきていることにも起因しているように思う。一種のグローバリズムの影響なのだろう。
 
 
そしてもう一つの原因はやはりインターネットの浸透であろう。
新聞を読まない日はあってもヤフーニュースなどを見ない日はない。
インターネットで配信されるニュースは多くのメディアを網羅し、関心のある情報をその中からチョイスすれば事足りるからである。
 
しかもネット配信のニュースは、国内外の右から左までの陣営の情報の閲覧が可能で、それぞれの立場の情報の伝え方が判って、参考になる事が多い。
 
更にそれらの中には、その分野の専門家と思われる人たちが深堀りしたり、事件や事象の背景にまで細かく言及していて、分析が行われている記事にも、お目にかかる事が出来る。
 
クオリティの高いジャーナリスティックな記事も、結構目にすることがある。
インターネットでは情報スピードの速さと共に、時間を置いての質の高い分析記事も手に入るのだ。
 
もちろんすべの配信記事が客観的で、質が高いというわけではない。とりわけ個人が発信する記事には時折「?」を感じるような、記事もある。
そういう場合は配信している媒体や記事作成者の名前を記憶していて、以降はフィルターをかけるようにしている。
 
客観性や深堀り・分析といった専門性やクオリティを感じない情報や記事は、私には参考にならないからである。
 
 
いずれにしてもそのような事もあり、私の中で新聞や雑誌に対する接し方が変わってきている。たぶんこういった現象は私一人にとどまらず、少なからぬ人々が同様のスタンスをとるようになっているのではないか、と思われる。
 
したがってこの傾向というか潮流は、新聞や雑誌といったマスメディアにとっても、経営の根幹に関わるような、大きな変化や影響が起きているのではないかと、推察される。
即ち読者数の少なからぬ減少であり、同時に購買額の減少である。
 
 
そしてまた同様のことは、TVの世界でも起きているのではないかと思われる。とりわけ地上波の世界で同様のことが起きているのではないかと推察される。
 
TVに「大人の見る番組が無い」といわれて久しいが、人生経験をある程度積んで人生や人間関係の表も裏もある程度経験している、私達のような中高年層が見たくなるような番組が少なくなっているし、それなりのクオリティの高い番組が少ないことも、TV離れの原因の一つとなっているであろう。
 
 
バラエティ番組やお笑い芸人・タレントが中心の番組などは言うに及ばず、連続番組などにおいても上っ面の人間関係や、ストーリーの先が簡単に予測され得るドラマを見てもつまらないのである。
 
それにBS放送やCATVといったより専門性の高い番組を、多くのチャンネルで見る事が出来るようになっている事も、原因の一つとなっているのではないかと思われる。
 
要は選択肢の激増によって、選ばれる理由や価値・クオリティを持たない番組は視聴の対象にならないわけである。
 
更にまた最近は動画配信やYouTube、アマゾンのファイヤーTV等の定額・低額や無料番組の配信の登場も、ある程度影響しているのではないだろうか。
 
 
この現象はかつて映画業界やラジオ業界が直面した問題であり、つい最近ではDVDやCDレンタル業界が直面している問題でもある。
 
新たなテクノロジーや媒体の登場による、既存秩序の崩壊と再編といった問題であり、同時に視聴者・利用者の専門性の高まりや多様化・グローバル化、といった環境の変化に関わりがあるように思われる。
 
しかしながら映画業界やラジオ業界がそうであったように、新聞・雑誌・地上波TVが消滅するという事にはならないであろう。淘汰はされ再編はされてもキット存続はし続けるだろうと思われる。
 
そしてこれからは一つや二つの寡占的なメディアが、マーケットに対して大きな影響力を与え続けるという事が、無くなって行くことが予測される。マスメディアの存在価値の相対的な低下や、社会的な影響力の低下である。
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アメリカの花札大統領が既存のメディアを介さず、ツイッターなどで自身の支持者に直接働きかけ発信続けるという行動は、この潮流の変化をある意味象徴しているように、思うこともできる。
 
ツイッターやフェイスブックといったSNSを介した個人の情報発信装置の登場は、マイクロメディアの登場や浸透という事もできるだろう。
そしてこの大きな流れや、新しい動きはこれまでのマスメディアにとって代わって、今後ますます進行し浸透し、広く深く進んで行き社会的な影響力を発揮して行くのではないだろうか。
 
 
と同時にこう云った事態の進行は、私などのような一介の中高年であっても、HPという自らの発信媒体を確保することで、自分の関心ある領域について発信し続ける事が出来る事を意味する。
 
そしてその結果、この私の発信するマイクロメディアが数百人の人々に閲覧し続けて貰ってられるのも、このような新たなテクノロジーの普及や、環境の変化といった大きな潮流があるからであると、思う事もできるのである。
 
 
 
 
 

 漂流する受験生       2019.03.28

 
 
3月ももうすぐ終わり新しい学期がいよいよ始まり、新たな学校に入学する高校生や大学生、専門学校生が多く誕生している事であろう。
 
私なども今から45年近く前に通過し、経験してきた事であった。
山梨県の郡部に生まれ育ち、 のびやかに育った私は受験勉強に固執することが嫌いで、というか性格的に受け入れられなくて、自分の好きな分野に関しての掘り下げばかりやって来た。
 
その結果特定の分野においてはある程度のレベルに達していたが、総合力では十分とはいえず結果的に浪人生に成ってしまった。尤も現役時代からこのままでは希望する学校への入学は厳しいだろうと、自覚はしていた。
 
 
その浪人の間に私は受験のための勉強しかすることがなく、結果的にそのことで自分自身を見つめ直す、良いきっかけを得ることが出来た。
 
その際の葛藤を経て、私は進路を歴史学から社会学にと変更することに成った。過去の歴史を勉強する事より、現代の世の中・社会を識り深く関わっていきたいという欲求が、その受験勉強中に高まったからであった。
 
それからは大学に入ってからも社会学を中心に学習し、最後はマーケティングを志向するようになって、今日に至っている。
私自身は40数年前から関わって来たマーケティングという仕事に、いささかも後悔しておらず、今も尚細々と続けている。
 
尤も還暦を過ぎたころから生活のためということ以外の事に関心の領域が広がり、鎌倉時代の武将安田義定に出遭い、今はそれにのめり込んでいる。特にプライベートな時間はそちらに重心を置いており、それはそれでまた愉しんでいる。
 
 
さて自分自身の事は棚に上げて現在の受験生の環境について、最近大きな驚きがあり自分の従来の考え方を修正することを迫られており、若干の戸惑いが生じている。
 
というのは私の頭の中では、大学への入学と云うものは受験者の内、成績の良い順から入学が許可されるもの、という認識でいたのであるが、どうやら最近ではそうではなくなっているようなのだ。私はその現実を近親者を通して、知らされることに成った。
 
その受験生は、自分がやりたいと思っていた分野の学問が学べる大学の学部を能動的に選択して、受験を始めた。
現役の時はセンター試験の55・6%程度の回答率と云う事もあって、最も志望する学校とは20ポイント程度届かなくて、早くから浪人を覚悟していたようだ。
 
そして一浪した昨年は頑張った結果、その20ポイント近くの差はクリアがすることが出来、予備校などの数回の模試でもA評価を得ていたようだ。
センター試験の結果一次試験は通過したが二次試験が届かなかったようで、約6倍という関門は通過できなかったということであった。
 
それでも手ごたえを感じていた彼はもう一年頑張って、目指す学部の在る大学にチャレンジする道を選んだ。
その結果一年間で更に8ポイントほど上積みし、模試でも高い評価を得ていたようだ。一時期は11ポイントほど高く上がり、旧帝大と云われるクラスの大学でも受験資格が得られる水準に達していたという。
 
その自信をもって今回も受験したのであるが、結果は残念なものであった。それはやはり二次試験が壁となったようである。
そのこと自体は残念ではあったが、大学が求めるレベルではなかったとすれば、それはそれで仕方ないことだと彼も思っていたようである。
 
 
私も世の中には縁のある無し、運の良し悪しといった事があることを60余年の人生で経験していたから、そう言ってアドバイスや慰めもしたし、彼もそれには納得いっていたようだ。 
問題はその先である。
 
いわゆる「すべり止めが」すべり止めに成らないで、機能しなかったのである。この事に私は驚いており、自分たちのかつての常識が通用しなく成っている事を知らされたのである。
 
第一志望に比較的近い学部を有しているその私立大学のセンター試験の基準点は、HP等によると55~60%程度であるという。彼の現役時代のレベルである。
 
センター試験の自己採点ではその基準点を20ポイント以上、上回っていたことからここで滑り止めが功を奏すると、彼は考えていたのである。
そしてその事を知っていた私たちは全く心配していなかったのである。
ところが結果は不合格であった。すべり止めがすべり止めではなくなったのである。
 
 
              
 
 
数年前から、文科省が定員の1.1倍以内にしか入学者を認めないという政策をとっているという。それをオーバーすると大学への国による補助金を出さない、という事らしい。
そしてどうやらこの政策のあおりを食ったという事、らしいのだ。
 
私たちの時代であれば定員の1.4・5倍近くは合格者を出していたはずである。
もちろん実際にはそれだけ合格者を出していても進む学校は一つだから、調整が進み結果的には定員の1.1・2倍にもならなかったし、逆に0.8・9倍とかに成ったりした年度や学部・大学もあった、ようである。
 
要は緩やかな合否があって、緩やかな調整が進んでいたのである。
その緩やかな調整が行政の杓子定規な政策によって、機能しなくなり受験生が翻弄されているのである。
 
 
このような行政の施策と、少子化・大学の乱立とが相まって大学側も受験者側もリスクを恐れて安全策を取り始めたである。
企業の採用と同じ様に、大学の「青田刈り」が進んでいるのである。
 
具体的には大学が進める「学校推薦枠」で入学する受験生が相当多くなっていて、いわゆる一般入試からの採用が、極端に減ってきているということである。
 
そのために大学側がセンター試験の成績を選考の際に考慮するにしても、当該受験生の成績と当該大学の求めるレベルにギャップがあり過ぎると、合格を出しても入学しない可能性を感じ、リスクを恐れることになるらしい。
 
入学者と定員の関係のバランス「1.1倍程度」への恐れである。
大学を経営する側からすれば、このリスクをできるだけ避けたいと思うのは、無理ないといえば無理もないだろう。それは理解できる。
 
 
そのリスクを避けようとして大学側は、出来るだけ「学校推薦枠」や「AO試験」という現役生の面接で入学を決めようとするのである。その結果安全志向の受験生を積極的に受け入れようとする、供給側の経営判断である。
 
一方学生側もできるだけリスクを避けようとし、浪人を避けて「青田売り」に積極的に参加するようになる。ここにおいて「青田買い」に対する需要と供給のバランスが成立するのである。
 
そしてその結果必然的に、一般試験やセンター試験の成績で採用をしようとする枠がかなり限定的になってしまう、のである。
 
 
そしてその限定的な枠に、ミドルクラスの学生が集中することになる。
ところが受け入れる学校側は、基準枠に近い入学可能性の高い応募者をセレクトする。
定員割れを恐れるためである。文科省の「1.1倍ルール」が作用するのだ。
 
そうなるとどういう現象が起きるかというと、チャレンジ精神の旺盛な受験生の「中~中の上クラス」のミドル層が漂流してしまう、という事態が生じるのである。
 
 
            
 
 
冒頭の青年の不幸は、チャレンジ精神が旺盛であった結果、漂流してしまったということである。これはとても不幸なことであると私は思っている。
この不幸は当該受験生が一番の被害者であるのだが、同時にこのようなチャレンジャブルな受験生が少なくなることでもたらされる、社会的な不幸でもある。
 
このような潮流の結果、世の中に安定志向の受験生や大学生ばかりが増えてしまう、ということになるのだ。
 
大学選考という人生の一大イベントにおいて、チャレンジを避け安定志向の人間ばかりが増殖し、チャレンジしようとする人間が絶滅危惧種に成る可能性がある、という事なのである。これは大きな社会的な損失ではないだろうか・・。安定志向の人間ばかりが溢れて。
 
 
それと同時に、この潮流は新たなビジネスチャンスを生むことにもなるだろう。
この「青田買いシステム」から外れたマーケットにおける、需給のアンバランスが逆に新たなマーケットを誕生させることになるからである。
 
すなわちチャレンジ精神の旺盛なミドルクラスの受験生で、行き場が定まらないで漂流している学生の層の存在である。
 
全体ではマスとは言えないであろうが、「ある程度良質で、チャレンジ精神の旺盛」な学生層のマーケットが存在しているのである。
 
 
私が大学関係の経営者であればこのニッチなマーケットに向けた供給の在り方を考えるかもしれない。
このマーケットに対する供給体制を構築し、上手にアピールすれば「ある程度良質で、チャレンジ精神の旺盛な、覇気ある」学生層を取り込むことが出来るからである。
そしてそれは当該学生にとっても、少なからぬメリットがあるはずである。
 
「文科省の愚策」に翻弄されない、骨があって中・長期的なビジョンを有する大学の出現が待たれるのである。
 
 
 
 

 新潟周遊             2019.03.10

 
 
今週私はJR東日本のキャンペーン企画「大人の休日俱楽部パス」券を利用して、新潟に行ってきた。
この企画は年に3・4回開催されていると思うが、同社の会員カード「大人の休日倶楽部」会員向けの企画で、4~5日間「JR東日本エリア全線」または「同エリア+JR北海道エリア全線」がフリーパスに成るという企画である。
 
この企画では、計6回までは新幹線や特急電車の指定席を利用することが出来る。
金額は東日本エリアのみだと15,000円程度、+北海道エリアでは26,000円程度であったと思う。
通常新潟までは東京駅から片道1万円近くは掛かるから、この企画券を購入すると往復分でも元を取ることが出来る。それに4日ないしは5日間エリア内はフリーパスである。
 
それだけでも利用価値があるのだが、私は今回新潟県内100㎞を5日間で縦断したのだから、そのメリットは実に大きかった。
 
 
この企画券を購入して私は5日間「上越市」「長岡市」「新潟市」「旧新津市」エリアを1枚の切符で新幹線にも特急電車にも、追加料金なしで乗ることが出来た。非常にコスパが良かったわけである。
 
今回の取材旅行では糸魚川にも出向いたのだが、同じ新潟県であっても「糸魚川市」だけがJR西日本管掌エリアなのでその分は負担が発生した、それでも十分利用価値はあったのである。
 
と云うことで私は、東日本エリアや北海道を旅行する時は時折、この企画切符を活用している。従ってJR東日本にはとても感謝している。東日本在住の50歳以上の方にはこういう企画があることを知って、利用されることを勧める。
 
 
 
            
 
 
 
さてその新潟エリアへの今回の取材旅行は、現在執筆中の『安田義定父子と甲斐之國・越後之國』を完成させるための最後の確認と、フォローアップのためであった。
 
今回の物語は約半年前から取材を始め、新潟訪問は今回で5回目に成る。
初めのプランでは早ければ2018年内には、遅くてもこの1月には終わらせる予定であったのだが、結局今月まで掛かってしまうことに成る。
 
当初舞台は上越エリアだけで終わるつもりでいたのだが、途中で「猿田彦の命」との関わりを知ることと成り、当初越後には存在しないと思われた「流鏑馬の神事」の存在が明らかに成り、更にはそれに繋がる「秋葉三尺坊」といった修験者の大元締めの新たな情報が、ぞろぞろと現れて来たのである。
 
こちらの当初の意図以上の事が次々と現れて来たために、それらに対応する現地調査や、更なる資料集めに迫られたのである。
そのために「上越市」や「糸魚川市」にとどまらず、長岡や旧栃尾市を中心とした「中越」エリアや、阿賀野市・五泉市の「下越」にまで足を運ぶことに成った。
 
 
その様なことがあって2・3か月遅れてしまい、物語のボリュームも膨らんでしまった。
時間は掛かったのであるがおかげさまで、より一層「越後之國」の事が理解出来たように思っているし、より立体的に義定公や義資公の事が理解できるように成った気がした。
その点においては無駄ではなかったと思っている。
 
また今回も各地でその道の専門家であり、かつキャラの濃いユニークな方々と知り合うことが出来、なかなか愉しい取材旅行であった。
糸魚川や長岡の郷土史研究家や、博物館などの学芸員たちの事である。
 
彼らが永い間地道に積み上げてくれた情報や知識がとても新鮮で、役に立った。その出遭いにも感謝している。
と同時に私が彼らに提供する情報や珍説が、彼らにとっても多少なりとも刺激に成っているようで、その事も嬉しく思っている。お互いに響き合っていることを実感している。
 
 
こういった幾つかの新たな出遭いや歓び・発見があるから、私は今も尚物語を書き続けているのではないかと、時折想うことがある。そして今の私は幸せなのだなぁ、とつくずく思っている。
 
と同時に、月を重ねるごとに読者が増え続けていてくれてる事もまた、物語の提供者としてひそかに喜び、幸せなことだと想っている。
 
話は変わるが近日中に、長く続いたこの物語にも区切りを付ける予定でいる。
そしてその後ひょっとしたら、新たな物語が始まるかもしれない。スタートがいつに成るかはまだ見えていないが、たぶん書くことに成ろうと思っている。
それは今回の物語では書き切れない大きなテーマが、新たに見えて来たからからである。
 
 
「北海道の道南知内」から始まり「甲斐之国山梨」「駿河・遠江之国静岡」「京の都」と続き「越後之国新潟」までやって来て、そろそろ終わるかと思っていたのだが、また新しい山が見えてきた。
今は、そのボンヤリと見え始めてきた新しい山のことを書かなくてはならないような、気がしているところである。
 
まぁ、私としては半年に1本程度のペースで物語が書けたらと思っているのだが、今の物語を書き終えたら、しばらくは情報収集や次の物語の構成なども考えていかなければならないだろうと思っている。
 
準備や助走がないことには、飛び立つこともできないからだ。
そんなことを越後新潟への5日間の旅を終えて、今考え始めている。
そのためにも早く現在の物語に一区切りをつけなければならない、と思っている。春よ早く来い!なのである・・。
 
 
 
P.S.
残念なことに昨日今日行われている「新潟酒の陣」という新潟の日本酒業界最大のイベントには、参加することが出来なかった。新潟中の酒造の蔵元が参加するこのイベントに、いつか参加したいものだと想っている私である。
 
 
 
 
 
            
 
 
 
 
 

 ノーベル賞     2019.02.20

 
 
先日のニュースに「阿部川餅首相がアメリカの花札大統領をノーベル平和賞に推薦した」といった記事を読んで、とっさにわが目を疑った。
エイプリルフールかと一瞬思ったが、すぐにまだ40日以上早いことに気づいた。
 
発端はどうやらアメリカ政府すなわち花札大統領自身からの依頼により、日本政府のお友達首相に推薦を依頼した事から始まった珍事、という裏話が明らかに成った。一連の珍騒動の構図である。
 
 
自己顕示欲や自己愛の強い花札大統領の自作自演なのだ。その自作自演劇にお友達首相が駆り出されたというわけである。
 
さしずめ彼の役割は、裸の王様の腰巾着のお友達ピエロといったところか。喜劇ではあるが、やはりエイプリルフールではなかったのである。
それを知らされた世界中の人々から嘲笑されてるところを見ると、笑いを取るというピエロの役割は果たされている、と云ってよかろう。ご苦労さんなことである。
 
 
さて、笑い話はこのくらいにしてまじめなノーベル賞受賞者の話をしよう、田中耕一氏の事である。
40過ぎて間もない頃に、当時精密機械メーカーの一介のサラリーマンであった田中氏が、ノーベル化学賞を受賞したということに世界中の多くの人が驚かされたようである。もちろんその中には、彼より5つほど年上の私も含まれていた。
 
ノーベル賞なるものは、日本の文化勲章などと同様に7・80代のその道一筋の研究者が、人生の晩年において、その永年成し遂げてきた努力や成果に対してご褒美として贈られるモノ、と思っていた私などは彼の若さに驚き、同時にその才能や運の良さに若干の嫉妬を感じた記憶がある。
 
その田中耕一氏は今では私と同様にすっかり白髪に覆われ、すでに齢いは還暦間近であるという。
私が久しぶりに彼を観たのは、その彼のノーベル賞受賞後の苦悩の16年間を振り返ったTV番組であった。
 
 
彼の述懐によると、ノーベル賞を受賞したことを世界で最も驚いていたのは、実は自分自身であった、と云う事であった。
大学を卒業して2・3年後に、職場の日常業務の作業中に偶然遭遇した「タンパク質の分析・分解方法」を発見したことが、ノーベル化学賞の対象に成ったという事らしい。
 
それはまさに偶然の出来事で、絶え間ない努力の積み重ねの結果、神様がその惜しまぬ努力に対してご褒美としてプレゼントしたものではなかった、ということだ。
本来電子工学が専門の彼が門外漢の生物化学の仕事をしていた事から、偶然遭遇した結果であったという。
 
 
要はその分野のシロートであったがために、その分野では当たり前になっている事や常識を踏襲することなく、実験手法の一つとしてたまたまチャレンジし、しかも本来なら失敗した分析方法を用いた結果、その方法(メソッド)を発見した、と云う事らしい。
 
彼自身はその事実を一番よく判っていたし、生来謙虚な性格であったから、自分がノーベル賞を受賞するに相応しい人間ではないと、そう想っていたのだという。
 
それは確かにその通りであったのだろう。
しかし彼がその「タンパク質の分析・分解メソッド」を発見しなかったら、その後の生物学者たちによる成果が得られなかったのもまた、事実であろう。
 
 
とはいえ偶然によってもたらされたノーベル賞受賞者、というレッテルがその後の彼の人生に付きまとい、苦しめたのだという。
とりわけ研究者たちの学会や、報道機関などからのプレッシャーは相当キツかったようだ。彼の白髪の何%かは、それに起因しているのかもしれない。
 
 
 
 
             
 
 
 
何年間かその苦悩やプレッシャーにさいなまれていた彼はその後、国内外の研究者達との交流を進め自身の身を守るため、また同時に彼は自らの殻を脱皮するために新しい行動を起こしたらしい。
その他者との交流の中で、彼は幾つか気づいた事があった、という。
 
即ち、
「自分の成果に対する評価は、一体何であったのか」
「自分が成し遂げて来た事は、何であったのか」
「自分の原点は、何か」
といった事の様だ。
 
で、そこで得た結論は、どうやら
「これまでの定説や、常識にとらわれなかった事」
「偶然によって得られるコトやモノがある」
といった事だった、ようだ。
 
 
そしてそこから彼は、新たな行動に出たのである。
彼の新しい研究のテーマは前から決まっていたようで
「少量の血液の中から、早い段階で病気の発生原因を見つけ出す」といった事がそれであったという。
 
 
その研究テーマに対して政府文部科学省は、「最先端の研究課題」として5年間で40億円の研究予算を付けた、という。
 
この自分に与えられた研究予算を使って彼は、「新しい研究者のチーム」を創り、Labを立ち上げたのであった。
60数人の研究者を国の内外から集め、彼らをリードしてきたのだという。
 
そのチームリーダーとして彼が心掛けて来た事は、ノーベル賞受賞後からの十数年間の苦悩の末に自得した結論である。
 
即ち、
「これまでの定説や常識に、とらわれない事」
「偶然によって得られるモノがある」
「チャレンジ精神を尊重する」
という信念のもとに、彼自身の研究チームを牽引して来たのだという。ブレることなく。
 
そしてこれらは、自身がノーベル賞を受賞した理由を突き詰めて得た結論であり、辿り着いた確信であり、信念であったのであろう。
 
 
それ以来彼は、自分自身が研究者として研究テーマに立ち向かうのではなく、彼が着目した優秀/有能な研究者たちの研究成果発表の場に足繁く通い、
 
「定説や常識にとらわれず」
「新しいテーマやメソッドに、果敢に挑戦する」
そう言う立ち位置を執る研究者たち、即ち「その分野の原石」を「撰び」「発掘」し続けて来たのだという。
 
 
そしてその努力というかチャレンジが、どうやら成果を生み出しつつあるのだ、という。
昨年(2018年)の科学専門研究者向け雑誌『サイエンス』だかに発表した
「血液中の成分分析に依る、アルツハイマー病の早期発見」といったような研究成果を得た、という事である。
 
「アルツハイマーが発症する30年前に、その発祥の原因と成る成分を発見するメソッドを見つけた」という事らしいのである。
 
これがこの論文の通りであるとすれば、いうまでもなく大発見であり、間違いなく人類の生存に多大な影響を与え得る、研究成果であろう。
 
病いが発症する30年近く前にその原因を特定できれば、「早期治療が可能になるから」である。
近い将来、世界中でアルツハイマー病に罹る患者が激減する可能性があるからだ。
 
 
結局田中耕一氏は、自らが研究者である事に拘わる道を捨てて、
常識にとらわれない、チャレンジ精神の豊富な才能のある研究者たちが、働きやすいLab環境を創ることで、新たな「人類の幸福」に貢献しようとしているのである。
 
 
私はこのTVを見ていて、中国の古いことわざを思い出した。
駿馬常に居れども、伯楽常には居らず」である。
 
かつてノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏は、この間の16年間のプレッシャーを乗り越えるために、自らは「駿馬である研究者」である事を辞めて、
「駿馬を見つけ、発掘し、育て、才能を開花させる環境」を創り、「伯楽」となる道を撰び、自身の立ち位置を替えた、のである。
 
私はこの番組を観終わった後、田中氏の人間的成長を大いに感じ、一回りも二回りも彼の人間的スケールが大きくなったのを痛感したのであった。
 
 
そしてひょっとしたら、これから数十年後に彼とそのLabの研究者たちは「ノーベル賞」を受賞することに成るかもしれない、などと妄想してしまった。
 
その時に氏が称賛されるとしたら、それは「名伯楽」としてであろうか、と・・。
 
 
 
              
             「常識を疑い、常識にとらわれない」
                とノーベル賞医学生理学賞を受賞した本庶佑さんは語った。
 
 
 
 

 JR北海道       2019.02.15

 
 
JR北海道は、かつては北海道全域をネットワークしていた唯一の公共交通機関であった。そのJRという鉄道会社はモータリゼーション化の大きな波に呑まれて、企業経営の存続が問われるようになって久しい。
 
とりわけ自然環境が厳しく、面積が宏大で人口密度の低い北海道で営業するJR北海道の経営は、更に厳しい。そのため同社は他のJR各社に比べ構造的な問題を抱えた鉄道会社であると、言うことが出来る。
 
そのJR北海道が首都圏の私鉄の雄「東急電鉄」と「豪華観光列車」を運行する契約を、結んだという報道がなされている。
 
 
東急電鉄は言うまでもなく、首都圏のいわゆる「城西エリア」で展開している私鉄で、首都圏の私鉄の中で最もブランド力がある鉄道会社であり、かつ沿線開発を手掛けてきた「都市開発を行うデヴェロッパー」企業である。
 
東急電鉄は「東横線」「田園都市線」を初め、目黒区や大田区・品川区などでも鉄道事業と共に、地域開発を行ってきている総合的なデヴェロッパーだということが出来る。
 
そして近年では国内に限らず「ベトナム」や「インドネシア」といった、東南アジアの発展途上国においても、日本で培ってきた「鉄道事業」や「都市開発事業」等を、それらの国で敷衍(ふえん)させ展開しようとしているようだ。
 
 
これは首都圏の開発がある程度先が見え始めてきている事への、ある種の危機感があってのことだと思われる。
成熟した首都圏のマーケットから、成長著しい新たなマーケットである東南アジアという、ニューフロンテアへの進出、といった意味を持っているのだと思われる。
 
その「ニューフロンティアの開拓」という問題意識が海外にとどまらず、日本国内に向かった時「北海道」が出てきたのだろうと、推測することが出来る。
何故北海道なのか、である。
 
 
その理由として私には以下の点が思い当たる。
 
一つは、北海道に対するあこがれである。日本人が行ってみたい魅力を感じる道府県の筆頭が、北海道であり続けているからである。
とりわけ本州が梅雨明け後の猛暑に見舞われる時、多くの人は避暑地として北海道を連想することがあるらしい。
 
それに自然が豊かで宏大な土地に、日本人の大好きな温泉が沢山在り、農林水産の資源の宝庫である点も魅力であろう。
 
JR北海道にとっては構造的で厄介な問題が、視点を変えれば大いなる魅力として映るのである。とりわけ本州の大都市に暮らす人々にとっては、である。
 
ここに北海道が持っている自然環境面での潜在的な魅力や、地理的な意味でのブランド力の存在が確認できるわけである。
 
 
二つ目はJR北海道の企業経営が安定していない、という点である。とりわけ鉄道事業においては冒頭で述べたように構造的な課題を抱えており、経常赤字が継続している点である。
そしてこの構造的課題は現状のままでは解消される可能性は低く、今後も経営上の課題であり続ける、という事である。
 
要するに、JR北海道は事業収益を大きく好転させる事業の柱の構築が、経営上求められているのである。
 
 
更に三つ目の理由は東急電鉄グループと北海道との歴史的なつながりであろう。
高度経済成長期に東急Gは積極的に北海道の開発を試みてきた、という歴史があるのだ。
それはかつて存在した「日本エアシステム(JAS)」という、東急Gの航空会社がその象徴であった。
 
現在はJALと合併して消滅してしまったこの航空会社は、羽田と北海道の主要都市とを結ぶ航空路線を多く有していた。
結果的にそれが上手くいかなく、JR同様に構造的赤字を抱えていたためにJALとの合併、と云う事に成ったのであった。
 
このように「北海道が持つ潜在的な魅力」「JR北海道の抱える構造的な経営課題」「北海道との歴史的繋がり」といった幾つかの要素がからんで、東急電鉄はJR北海道との関係を求めたのだと、私は想っている。
 
あるいは、JR九州が「ななつ星」とかいう豪華観光列車を成功させてきている点も、刺激に成っているのかもしれない。
 
 
いずれにせよ東急電鉄GがJR北海道との事業提携をスタートさせることは、両社にとって決して悪いことではない。
企業経営的にもプラスに働くであろうし、首都圏の人間たちにとってもより身近な存在として、北海道が成ってくるであろう。
 
かつて東急Gの仕事をもやって来た私としても、再び同企業Gが北海道に関わってくることは楽しみでもある。北海道の公共交通網が再構築され、拠点都市の開発が活性化する可能性が、期待出来るからである。
 
そして近いうちに決定する、北海道の7か所の空港民営化の受託事業者の選定と相まって、東急Gが今後どのような「鉄道事業」や「航空事業」さらには「都市開発事業」を、JR北海道という北海道に根を張っている企業グループと共に展開していくのか、期待感と共に注視していきたいと、私はそう思っているのである。
 
 
 
 
                       
                            東急電鉄の豪華観光列車が北海道を走るらしい
 
 
 
 
 
 

 40数年ぶりの、寒波到来       2019.02.09

 
 
今週の初めは首都圏に居て、立春の日には19℃というぽかぽかの陽気であった。
昨日は札幌に居て、久々に耳がちぎれそうな冷たさを体験をした。
それでも外気はマイナス11℃近くということであった。
 
そして今日はほぼ三週間ぶりに南十勝の大樹に戻ってきている。
今朝の外気はマイナス20度前後であったらしい。何せ40数年ぶりの極寒が北海道を始めとした北日本をすっぽり覆っている、ということだ。
 
しかもこの極寒は、本来は北極辺りに停滞している寒気の塊が原因は知らないが、北極から外れてまるで氷山のように漂流し、日本列島の北部に到達したということらしい。
 
 
1週間の間に30℃も40℃もの気温差を体験したことに成る。
こんな極端な気温差を体験することはこれまでの人生にも無かったが、これからもきっとそうは無いだろう。
そういう意味では、今将に貴重な体験をしているのだと発想を替え、愉しむことにした。
 
 
昨日の夜大樹に帰ってきたのだが、久々の我が家から見る星は大きくかつ数が多かった。
放射冷却の影響だったのであろうか、星空が美しかった。
因みにその時使ってない側の車のドアは、冷気のために凍結していて、容易には開かなかったのであった。
 
昨日の夜から報道ステーションなどでは盛んに北海道の厳しい寒さを報じていたが、年に数回マイナス20℃台を体験しているので、それへの備えは出来ていた。
 
普段は、床暖をメモリ30で設定しているのだが、昨晩は40にと増やしておいた。おかげで水道管は凍結することもなく、機能していた。
 
しかし朝起きた時の廊下の室温は3.4℃であった。いつもは10℃くらいが保たれていることを考えると、やはり昨晩は相当寒かったのだろうと思われる。
それから湯たんぽである。やはりこれがあると無いとでは、相当寝心地が異なる。
 
 
そして今朝は、すっかり十勝晴れの陽気である。
今日の最高気温はマイナス10度前後らしい。
 
昨日の札幌と最高気温はほとんど変わらないのであるが、どんよりとした空の下小雪のパラつく道央と比べ、快晴の中の雪景色とでは心のあり様が随分と違う。
精神状態への作用もだいぶ違うだろうと想われる。
 
同じような気温環境でも天候が作用する心のあり様で、精神状態はかなり異なることを実感している今日この頃なのである。
 
 
 
               
 
 
 
 
 
 

 立春                2019.02.04

 
 
今日は暦の上では立春で、将に冬と春とを区分するに相応しい温かい天気であった。
今首都圏に逗留している私は、最高気温19℃の中に居て、立春を体感している真っただ中なのである。
 
若い頃は「二十四節気」なるものに対して殆ど関心が無かったのだが、最近というか50代に入った頃から、この日本古来の季節を表す言葉に関心が向き始めている。
 
というのも、この一年を二十四の節に区分してそれぞれの時期を、簡潔に表記している先人の知恵に、納得のいくことが少なからずあるからである。
 
具体的には「小寒」や「大寒」は将に一年で最も寒い季節であるが、ほぼこの期間中に一番寒い時季が納まることが多い。
尤も2月に入ってから大雪が降ったりすることもあるが、それはほとんど例外だし、スポット的に起こっても長く続くことは滅多にない。
 
 
それから今日の「立春」であり、近いうちにやって来る「啓蟄」もまたしかりである。
さすがに気温が19℃というのは出来過ぎているが、やはりこの2月の第一週くらいから暖かさを実感する日が、週に何日かは到来し春が始まるのである。
 
最初は週の内の一日・二日、それが更には二・三日そして弥生三月に入れば「三寒四温」なる言葉が飛び交うようになる、のである。
 
私が逗留している神奈川県の西部地区は内陸部という事もあって、海の影響を受けることは殆ど無く、春の到来はどちらかというと遅いのであるが、やはり私が歩く散歩道では季節の変化を感じられることが、少なからずある。
 
最近それを実感したのは梅の花で、殆ど満開と言ってよい状態である。
今日などはこの高温に桜が過剰反応したようで、花のつぼみはまだまだ小さいのであるが、膨らみが始まったのを私は確認した。
 
 
いよいよ本格的な春が到来するのであろう。
春の先駆けは水仙の可憐な花によってもたらされ、桜によってピークを迎えるように思う。
長く暗い冬は終わり、温かく明るい日差しの日々がもうすぐやって来る。
 
この様な日常生活を過ごしている私は、季節のメリハリがはっきりしていて、四季の変化を実感し易いこの国に生まれ、そして育ったことを素直に歓ぶように成った。
そして今も、将にその季節の変化のプロセスを味わっている。
 
本州においては今現在春の到来を実感しつつ、冬からの季節が替わって行くことを愉しんでいる。
「二十四節気」という季節の道しるべを頼りにしながら。
 
だがしかし、わが北海道はまだまだ暫くは冬が続くのである・・。
 
 
 
 
 
                                      
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 相撲の神様            2019.01.28

 
 
昨日、初場所の相撲が終わった。結果はご存知の通り玉鷲の優勝であった。
34歳の優勝は史上二番目の遅さという事で、遅咲きの力士と言われている。
 
派手さのない取り口や控えめなパフォーマンスと日本人的な風貌とで、日本にも少なからぬファンは居る様だ。
 
黙々と鍛錬を重ね、努力を惜しまなかった彼は、これまで大きな怪我をすることもなく、連続出場を1150回近く続けているらしい。これもまた彼の人柄を現わしているように思える。
 
そんな地味で控えめな印象の玉鷲が、4・5日前に横綱白鵬との取り組みを前にして、
「横綱には勝ちに行きます」と、珍しく大口を叩き、言い切った事を覚えている。
 
穏やかな眼をして、静かな口調でそう言い切った姿を見て私は、彼の心の中と決意とを観た気がした。玉鷲の自信に裏付けられた決意表明だ、と感じたのである。
そして結果は、有言実行であった。
 
 
優勝から一夜明けた今日、やはり地味な印象の師匠である「片男波親方」と共に、マスコミのインタビューに応えた玉鷲の話で印象に残った言葉があった。
「夢は叶えるものなんですね・・」と言っていたのだ。
 
「夢は叶うもの」ではなく「叶えるもの」といった言葉に、我々の知らない彼の日々の稽古に向かう姿勢や精進する姿が在ったんだな、とそんな風に思いが至った。
そしてその言葉の後ろに、黙々と稽古に励む彼の姿が観えたような気がした。
 
今回の遅咲き力士の優勝はそんな彼の日々の絶え間ない努力に対する、相撲の神様のご褒美だったのかもしれない、などと八百万(やおよろず)の神の存在を受け入れる私は想ったのであった。観ている人(?)は見ているのだと・・。
 
 
そのほか今場所感じたのは「御嶽海の驚異的な回復」と「貴景勝の善戦」、治療を中途半端にして土俵に上がり続けた「稀勢の里の引退」とであった。
マワシ一つの裸一貫で闘い合う大相撲には、沢山のドラマがあり目が離せない。
 
そして私達観客の知らないところで、黙々と自分と闘っている多くの力士が居ることを、時折知らされるのである。相撲道に励む力士たちの存在を、である。
 
「出来るだけ永く、出来たら40過ぎまで相撲を取り続けたい」と穏やかな眼で嬉しそうに語っていた玉鷲を、これからも注視していきたいと私は想ったのである。
 
 
 
                        
                           
 
 
 
 

 G.A.F.A.との付き合い方    2019.01.24

 

我が家の息子は、ネットショッピングの比率が高く、取り分けアマゾンあたりを頻く利用しているようだ。

グーグル(G)やアマゾン(A)、フェイスブック(F)・アップル(A)更にアメリカの花札大統領御用達のツイッター等の大手SNSが、最近話題に成っている。
それは主として政治サイドからのアプローチが増えている様だ。
 
フランス辺りはそれら大手SNSに対して、課税措置を検討し始めているという。
自国民の利用者から得た個人情報や、通販などの利益が自国に還流しておらず、本社のあるアメリカや移籍先のアイルランドといった、税金の低い国に吸い取られている事への、対抗措置であるようだ。
 
 
実際のところ、通販などで購買が盛んに行われるように成ると、街中の店舗では買われなくなってしまう。百貨店や大手スーパー(GMS)の売り上げ不振の一因は、ネット通販の普及に負う部分もあるから、自国の小売業者は不利益をこうむることになる。
という事は、政府の税収にも当然影響が出てくる。
 
GAFA等の大手SNSが、通信網や道路網・港湾施設などの社会インフラを利用していることを考えれば、社会インフラを造り維持していくことが使命である各国政府にとっては、看過できない問題であることは理解できる。
 
自国の税金を投入して整備したインフラを使って企業活動をしているのに、当該事業から上がる収益は、本社の在る国や本国に吸い取られる、という構図に成っているからであろう。
 
 
日本政府も、いや日本の官僚たちもフランス政府と同様の問題意識を持っているようで、「個人情報の保護」という形をとって、GAFAを始めとした大手SNSへの規制を検討し始めた様である。アメリカ政府への手前、その様な大義名分が表に出るのだろうが狙いは税収にあると私は感じている。
 
当然と言えば当然である。グローバル企業に自国の利益や自国民の情報などが、簡単に流出することは好ましくない事なのだ。この点に関してEUはやはり敏感である。日本もEUを見倣ったら良いと思う。
 
 
それにしてもGAFAを始めとしたSNSに対して、日本の若者はちょっと無防備すぎる様に私は想っている。GAFAの先にはCIAも控えているし、アリババやバイドウ等の先には中国政府が控えていることを忘れてはならない。
 
数年前に話題に成った「ウイキーリークス」や「元CIAの契約社員」の暴露がそのことを明らかにしているし、全体主義国の情報機関が同様の情報入手システムを構築しているであろうことは、想像に難くない。
 
SNSを使うといろんな点で便利であるのだが、そのSNSに何の疑いも抱かないまま無防備で個人情報を晒してはいけないのである。自分自身のプライバシーを守るためにもその点への心構えは必要なのだ。それがグローバル社会を生きる我々に必要なスタンス、だと私は想っている。
 
 
 
              
 
 
 
 
 

 欲望の資本主義          2019.01.09

 
 
正月になるとNHKは毎年BS番組などで、かなり本格的といえる特別番組を放映する。人類が今どこにいて、現在直面している問題は何で、これからどこに向かおうとしているのか、といったような大きなテーマを取り上げ、それなりに掘り下げていて見応えはある。
 
今年放映していたのはここ数年続いている、表題の「欲望の資本主義」といったものの続編、とでもいうべきものだった。
 
世界中の最先端の経済学者や、社会学者・哲学者へのインタビューを通して、現在の世界経済や現代社会の置かれている状況をあぶりだし、ちょっとした将来予測を試みている。
 
同番組では、ケインズやカール・マルクス、シュンペーターといった学生時代に親しんだ、懐かしいマクロ経済学者もたびたび引用され、彼らの問題意識や警告が何度も登場した。
 
 
この番組では、人類史上最強の経済システムである「資本主義」は、その強さのゆえに自己増殖を繰り返し拡大し続けるとされている。
そして最後はその自らの飽くなき自己増殖によって、自壊してしまうことを運命付けられていると云う事であった。
 
これは、イデオロギーや政治体制の問題ではなく、経済システムの問題だと登場する学者たちは言っている。
ソ連邦の崩壊や赤い資本主義大国中国を例に出して、この問題はイデオロギーや政治体制には関係ないと言っているのだ。
 
かつてレーガン大統領が言っていた「トリクルダウン」は結局幻想に終わり、パナマ文書などでも明らかなように 、税金回避によって富める者は更に富を追求し、蓄積する。
その結果経済格差が一層進展し、社会全体を格差が支配するようになっている、ということである。
 
 
経済社会のグローバル化という現象によって起きている現実は、一方でナショナリズムを喚起し、格差是正のためのアクションとして、黄色いベスト運動やGAFAへの課税の動きを生んでいる。
 
これはまた自分自身や、自分が所属する地域・国家のアイデンティティ喪失といった危機への抵抗という動きも、誘発しているようだ。
 
イギリスのEUからの離脱や、ヨーロッパ諸国でのナショナリスト政党の拡大と云った現象も根っこはこの辺りにあるのだろう。
 
幸いなことに過度な社会的な格差を嫌う傾向のある日本では、欧米の先進国ほどの格差には至っていない。この極端な格差社会を許容しない日本的な価値観は、これからの社会の在り方としては、有効なモデルになっていくかもしれないと、私は想っている。
 
 
 
      
 
 
 
現在問題になっているカルロスゴーンの裁判などは、この日本人の価値観や社会的な格差に対する考え方が反映しているように、私には思える。
 
彼はグローバリズムを体現しているような人物で、出身国ブラジルや育った国レバノン、社会人として認められたフランスの三ゕ国の国籍を持っていて、世界中を飛び回っている人物である。
 
彼が日産で行った事の功績は称賛に価すると思うが、その富の分配のやり方でつまずいた様だ。日本人の価値観や職業倫理とは相いれなかったのだ。
 
 
彼の手法は国籍を持つそれぞれの国や欧米更には中国辺りなら、きっと問題にはならなかったのではないかと思われる。
 
黒い猫でも白い猫でもネズミを捕まえる猫は許されるからである。それらの国では近代資本主義の推進役であった「職業倫理」といった価値観が、すでに失われているからだ。
 
日本人の価値観の中には「職業倫理」に代わって「道」という観念や価値観があり、利益を追求することより、その「道」を極めることに、社会的な評価が高く得られるのである。この「道」の観念はこれからの質を求める社会においては、とても重要な価値観に成るだろうと私は思っている。
 
 
因みに、冒頭の番組では近未来の社会は「AI技術の社会への浸透」「ベイシックインカムの導入」「生活の質の追求」といったことが、社会の在り方を決める事に成るのではないかと、言っていたようだ。
 
確かにそうかもしれない、と私も想う。
 
しかし一直線にその方向に向かうというわけではないだろうから、その過程においては様々な葛藤や矛盾・社会運動がおこり、行ったり来たりを繰り返し何十年か掛かって初めて、そう言った社会が実現するのだろうな、などと想っている。
「欲望の資本主義」とは、物理的にも心理的にも遠く離れた処で生活している私は、そのように想うのである。
 
 
 
 
 
 

 北島三郎            2019.01.03

  
 
先日の紅白歌合戦で北島三郎が「祭り」という歌を唄っていた。
平成最後の紅白という事で、NHKに口説かれたという事らしい。彼自身は確か5・6年前に紅白卒業宣言をしていたから、やはり主催者が願った事なのであろう。
 
私が彼の存在を知ったのは、確か小学校の高学年の頃だったかと思う。
当時彼が唄っていた「帰ろかな」という歌が妙に心に残ったからだ。
 
地方から都会に働きに来た青年が、盆か正月に故郷に帰ろうかどうかを悩む、その揺れる心を唄った歌だったようで、どうやらその歌の主人公は都会で成功しているとは言えない状況に在って、胸を張って年老いた母親の待つ故郷に帰る事がまだ出来ないでいる、といった感じの歌であったかと思う。
 
そのほかに幾つもヒット曲があるのだろうが、私の心に残っているのは「与作」「風雪流れ旅」「祭り」といった曲である。
 
いずれも歌の情景が目に浮かぶような種類の歌であるようだ。中でも「祭り」はお祭り好きではないかと思われる彼には、ピッタリな歌だよなぁなどと想いながら、観客を巻き込んでその場を派手に盛り上げる歌だと感じていた。
 
紅白歌合戦という歌の祭典、しかも年末大晦日という時期にかなりマッチしている歌だと常々感じていた。
 
そんなこともあって、平成最後の紅白には相応しい歌だという事を思って、私は彼の出演時間に紅白を観た。
 
 
『大野土佐日記と甲州金山衆』においても触れているが、北島三郎は北海道知内町の出身で『大野土佐日記』を800年近く守り伝えて来た、雷公神社の宮司の縁戚であり、かつ荒木大学たちと一緒に蝦夷地に渡って来た修験者、大野了徳院重一の末裔に当たるらしい。
 
従って幼いころから荒木大学についての伝承も聴かされて育って来たのではないかと、私は想っている。
因みに知内町には彼の作詞作曲した歌が幾つか残っているが、その中に荒木大学の事を詩っている歌が、今でも盆踊りの中に在るようだ。
 
 
そのような事を知っていた私は去年の7月に、彼が興した会社に『大野土佐日記と甲州金山衆』を送付した。それは「『大野土佐日記』偽書説」を、私なりに調べ検証した物語だと思ったからである。
 
たぶん一族の中では大事にされてきたであろう『大野土佐日記』について、明治大正時代の歴史学者によって、偽書の烙印を押されてきたことの影響を北島三郎もまた、これまでずっと感じ続けて来ただろうと、そう私は想像していた。
 
私の検証物語が全く正しい、などと云うつもりはないが、少なくとも明治・大正時代の歴史学者たちへの、明確な反論には成っているだろう、と私は想っている。
私や私の物語に共感を持っていただいた方々に対する明確で、得心の行く根拠を明示した偽書説の説明が出てくるまでは、私を含めた人々は納得しないであろう。
 
 
そう言った背景も含めて私は今回の紅白の「祭り」を観た。
相変わらずの派手な演出で、NHKホールに集まった観客や出演者を巻き込んで大いに盛り上がっていた。
 
その歌を北島三郎は大きな山車に乗って登場し、唄った。
80過ぎとはとても思えない声量でしっかり歌い、大いに場を盛り上げた。
 
その時カメラが遠景から次第に歌い手の北島三郎に近づいた時、山車の前面の武者兜が目に入った。これまでに見た事の無い山車であった。
 
私の記憶では登り龍の派手な山車や、大漁を象徴する大魚にまたがって唄っていたように記憶している。武者兜は初めてであった。
 
 
その武者兜の左右の前え面てに、その武者のものと想える家紋が左右に入っていた。
花菱紋であった。
 
初めはちゃんと理解できずにいたが、再度その武者兜がクローズアップされた時にしっかりと気づいた。
安田義定の家紋であると。
 
私は次第に嬉しさがこみあげて来た。
北島三郎かその縁者が私の送った『大野土佐日記と甲州金山衆』を、しっかりと読んでいてくれたのではなかったか、と想ったからである。
 
同書を通じて、知内の英雄荒木大学とその主君安田義定公とが結びついて、理解してもらっていたことを、知ったからである。
 
 
更にまた同書をきっかけにして、安田義定公の事に興味をもってそれなりに調べられたのではないかと、私は妄想したからである。
 
因みに私の物語の中で、安田義定公の家紋が登場するのは『京都祇園祭りと遠江の守安田義定』においてであるから、ひょっとしたらその物語も読んでもらってるのかも知れない、などとさらに妄想を豊かにした。
 
私の妄想が事実であったとすれば、私は作者冥利に尽きるなどと思ってしまった。
かくして平成最後となる今年の紅白は、同世代の歌い手サザンオールスターズの大騒動と共に、私の心の中にはっきりクッキリと刻まれたのであった。
 
 
 
         
 
 
 
 
 



〒089-2100
北海道十勝 , 大樹町


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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