春丘牛歩の世界
 
九月九日は”重陽の節句”という事に成るらしい。
あまりなじみのない節句であるが、秋の実りや長寿に関係のある、めでたい行事らしい・・。
 
我が家の畑の一画で”ブラックベリー”が、ようやく食べられるように色づいた。
赤黒いうちはまだまだなのだが、漆黒色に成るとほんのりとした甘みを味わえる様になる。
これもまぁ、初秋の実りの果実の一つである。
 
 
       
 
 
そうやって”ブラックベリー”が色付くと、いよいよ我が家の果実の主役である”ラズベリー”の”秋の実”が採取できるように成る。
”ラズベリー”は初夏と中秋との、二毛作なのである。
         
 
 
 
                 お知らせ
                        2024/09/12
*9月12日「コラム2024」に
              を公開しました。
 
 
 *8月20日:本日新しい物語『甲斐源氏と源義光』に下記を付け加え、公開しました。
安田義定シリーズ第7弾になります。
 
 
 
 
 
 
    ♠     ♠     ♠     ♠
 
【新システム開始以降】               
                    2024/08/01
 
6月1日以降「新HPシステム」での運用に成りました
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・順次新しい「コラム」や「物語」を公開していますので、宜しくお願いします。                         
                                   
                       春丘牛歩           
 

  南十勝   聴囀楼 住人

                
                
            
       
              
          
            
                                                                  

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      予告⁉
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『「無位の真人」、或いは北大路魯山人』
 
今後とも引き続きよろしくお願いします。
            
          2024.08.01
             牛歩
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
      

 
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            *物語:『甲斐源氏と源義光』
            
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*「コラム2024」の直近6ヶ月前までの作品。   
*『相撲というスポーツ』:新星たちの登場(2024年春場所、03/25)      
『サッカー森保Japan』再びの「さらば森保!」、今度こそ「アディオス⁉」
  (2024/02/08)
 
 
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『相撲というスポーツ』

  

   新星たちの登場 2024年春場所、03/25

 
 
2024年春場所は記録や記憶に残る場所であった。
その主役となったのは110年振りの「新入幕優勝」を遂げた尊富士の大活躍と、ザンバラ髪の関取大の里の活躍であった。
 
14日の朝乃山との勝負で「足の靱帯」に損傷を負い、車いすに乗って土俵を去った彼を見て、「今場所は尊富士の相撲も終わったな」と想ったのであったが、何と千秋楽に出場する、という情報が入った。
 
 
この一報を聞き私はかつて「貴景勝」が何回か繰り返したように、「無理して試合に出なくっても次があるだろうに・・」と想い、師匠の判断を疑ったのであった。
 
その貴景勝は無理して土俵に出続けて、結局回復を遅らせてきた事が何回もあったからである。彼の二の舞を尊富士には繰り返して欲しくない、と想ったからである。
 
 
 
              
 
                             尊富士
 
 
 
ところが、である。
この間彼の所属する「伊勢ヶ浜部屋(元旭富士親方)」ではこの数時間の間に、幾つかのドラマが起きていた様である。
 
 
尊富士のインタビュー記事や伊勢ヶ浜親方のコメント記事などを観ていると、
 
・横綱照ノ富士の「記録に残る相撲より、記憶に残る相撲をめざせ。お前ならできる!」
といった先輩力士としての激励やアドバイス。
 
・「出場しても後悔する、出場を止めても後悔する。同じ後悔するのなら・・。最後は彼の言った『記憶に残る相撲を取りたい!』という気力に委ねました・・」
と言いながら言葉を詰まらせた、伊勢ヶ浜親方の想い。
 
このようなやり取りが「伊勢ヶ浜部屋」の中では、繰り広げられていたのだ、という。
 
 
私はこのエピソードを聞いて、尊富士は「良い相撲部屋を撰んだな・・」と感じたのであった。
よき先輩力士を持ち、よき親方の指導する部屋を撰び、入った事をである。
 
今場所途中休場した照ノ富士は、ケガや病を得てかつて序二段まで転落し、そこから這い上がって復活して来た力士であり、辛酸をなめ尽くし、自らと闘って来た横綱であった。
 
 
その彼は昨夜車いすで部屋に戻って来た尊富士の元に自ら出向き、上述の様な激励やアドバイスを行ったというのであった。
「記憶に残る力士に成れ!」と。
 
そしてその照ノ富士の成長の軌跡を一部始終観て来た伊勢ヶ浜親方の、「熱い想い」である。この師匠にして、この力士あり。なのだ。
 
 
かつて照ノ富士が序二段から復活して優勝した時の試合を観ていたこの親方が、花道で天井を見て涙をこらえていた姿を私は思い出した。
 
やはり「良い部屋に入って好かったな・・」と私は感じたのである。
 
 
 
            
 
 
 
そして今回の「尊富士優勝のエピソード」を聞いて改めて私が思い起こしたしたのは、「宮城野部屋の不祥事」であった。
 
平成の大横綱として数多くの「記録」を残してきた、元白鵬が親方として継承した「宮城野部屋の不祥事」の事を、である。
 
「北青鵬の弟弟子イジメ」や、夜は弟子たちを残し部屋には泊まらず、弟子たちと寝食を共にしないで自宅で過ごし、「観光客がたくさん来るから銀座に相撲部屋を作りたい」と言った白鵬親方の事を、である。
 
 
彼は「記録」に拘り、相撲を「格闘技」や「エンターテイメント」としてしか、捉えていなかったのではないか、としか思えない元白鵬の相撲部屋との違いを、私は今回の「尊富士のエピソード」で思い起こしたのであった。
 
 
日本に千年以上続く「相撲文化」を今後も維持し、継続し発展させるのは相撲が「神事」である事を自覚し、「人間の心」を大切にし、「記憶に残る力士たち」を排出し続ける親方の率いる、「相撲部屋」であってほしいものだと、願って止まないのである。
 
 
「伊勢ヶ浜部屋よありがとう!」なのだ。
 
 
 
               
 
 
 
 
 
 
 

 
『サッカー森保Japan』

 

  再びの「さらば森保!」、今度こそ「アディオス⁉」

                    :2024/02/08
 
 
去る2月3日サッカー日本代表の「アジアカップ:カタール大会」が終了した。
アジアの強国「イラン」に1-2で敗れたのである。
 
この試合もまたストレスの多い試合であった。
今回も相変わらずの選手「個人技頼み」の試合展開で、「チームとしての約束事」「チームとしての共通意識の未熟さ」といった点ばかり目について、森保監督のサッカー日本代表チームのマネジメント能力の低さは、成長の跡が見い出せなかった。
 
 
試合後にボランチの守田選手がコメントしていたとおりである。
同様のコメントは「東京オリンピック」の時は田中碧選手が語っており、「カタールW杯アジア最終予選」のさなかには、吉田キャプテンが語っていた。
 
森保ジャパンは一貫して「個人技」での事態打開を標榜し、「チームとして」対戦相手に「どう戦うか」の「決め事」や、「役割分担」が殆ど無いのである。
その事に選手たちはずっと苦しんでいた。
にも拘らず監督やコーチ陣は具体的な対応を指示もせず、そのための練習も積み重ねて来なかった様だ。
 
そんな不安やモヤモヤを抱えたまま戦っていた選手達が、その想いを吐き出すのは試合に負けて、これ以上監督たちの指示を受けなくなった時に、初めて本音をぶちまけるのだ。
 
 
それに対し「ベトナム」や「イラク」「イラン」の闘いにおいて確認出来たように、対戦国の監督は事前に日本代表の事をかなり詳しく調査・分析し、日本代表の弱点を研究し具体的な対応戦術をチームとして考え、準備して来た。
チーム戦術として、日本と戦う際の「共通意識」や「どの様に戦って攻めるのか」を構築し、メンバー間で共有できていたのである。
 
その象徴が「ロングスローの多用」であり「DF板倉サイドの、継続的な集中的攻撃」であった。
 
 
ベトナムのトルシエ監督を始め、日本を苦しめたチームは、いずれも組織としての戦術が徹底しており、チームで戦っていたのに対して、
森保監督の指揮する日本代表チームは、いつまでたっても「個人での打開頼み」「選手任せ」の闘いに、終始していたのだった。
 
この事は今回に限らず、彼が監督に成ってからの6年間ずっと続いて来た。
森保一という監督は「対戦チームの調査」や「分析」が不十分で、それ以上にその分析に基づく「チーム戦術」の構築が出来ない、インテリジェンスの低い古いタイプの残念な監督なのである。
 
その彼は大きな大会の前ではいつも「優勝を目指す」とか「金メダルを目指す」とか、大口を叩いているが、実際には
「準優勝:2019年アジア杯」「4位:2021年東京オリンピック」「BEST16 :2022年W杯」「BEST8 止まり:2024年アジア杯」
の結果しか、彼には残せていない。
 
口先だけで威勢のいい言葉を吐くだけで、対戦相手に向けた「調査」「分析」や「対応戦術」を構築できない監督は、単なる「口舌の輩」に過ぎないのである。
 
 
要するに森保氏は「敵を知ろうともせず」、「自らのチーム及び自分自身をも知ろうともしない」残念な監督なのである。
 
彼の能力の限界は今回に限った事ではなく、「ロシアW杯」以後の6年間私達は、ずっと見せられてきたし、何よりも選手たちが身をもって経験して来たのであった。
 
その残念な事がこれまでずっと続いて来たのは、何よりもその「残念な監督」を6年間任せて来た、「JFA首脳陣」の問題なのである。
 
その元凶田島幸三会長が今春退任する事は、私達日本サッカー代表を愛する者たちにとっては朗報だ。
田島幸三氏にはJFAの会長退陣の道連れとして、ぜひとも森保氏も連れて行って欲しいものである。
 
新しいJFAの会長に、元ガンバ大阪の監督を務めていた宮本氏が就任するのは、喜ばしい事だと、期待もしている。
 
彼がこれまでの森保監督の実績やチーム作りをどう分析し、これからサッカー日本代表をどこに導いていくのか、注視して見守っていきたいと思っているところである。
 
 
 
            
 
 
 
尚、下記の諸コラムはこれまでの6年近くの間、私が森保氏の「監督としての能力」に関して、感じてきた事を書き綴ったコラムの一部である。
 
各大会における「森保監督」のチームマネジメントについて、個々の試合についてその都度書き連ねて来たコラムである。
 
ご興味のある方は、覗いてみて頂けると幸いである。
 
 
     1.2021年8月8日 「東京オリンピック総括」より
     2.2022年12月10日 「カタールW杯:対クロアチア戦」より
     3.2019年2月4日「アジアカップ総括」より
     4.2019年2月1日「アジアカップ:対カタール戦」より
 
 
       ★   ★   ★   ★   ★   ★   ★   ★   ★
 
 
 
   -  2021年8月8日「東京オリンピック総括」ー の転載
 
 
一昨日のオリンピック三位決定戦は、残念なことに1-3でメキシコに負けてしまった。
私自身はこのオリンピックの戦いに過大な期待を抱いていたわけでは無かったので、さほど落胆はしていない。
むしろいくつかの点で収穫があったので、その収穫にしっかり向き合えばそれなりに好い経験をした、と思う事もできる。
 
さてそのよい経験の筆頭は「森保監督の評価が冷静に出来る」という事である。
とは言っても私自身の彼のサッカー監督としての評価は、既に2019年の「アジアカップ」「コパアメリカ」で定まっており、今回のオリンピックでもその評価が追認できたに過ぎない。
 
結論からいえば彼には日本代表の監督は務まらない、という事である。
その理由は先ほどの戦いのそれぞれの総括でも行ってきたように、以下の点に集約することが出来る。
 
 
①彼は「短期間にタイトルを争う大きな戦いの仕方を、理解していない」。
それは
「選手の疲労蓄積への配慮が足りない」
「ターンオーバー制という発想を有していない」
といった点で明らかである。
 
今回のオリンピックでは中二日というスケジュールで、一週間に3試合ずつを繰り返すことに成った。これは短期集中型のカップ戦の宿命である。
 
そして真夏の暑さ真っ盛りの時節に繰り広げられる週3回の戦いに、30代のオーバーエイジが最終戦でガス欠をし、凡ミスを繰り広げてしまった。
それが今回の敗因の大きな要因の一つであった。疲労蓄積によるDF機能の低下である。
 
そしてそれがメキシコの得点に直結したのは、観ての通りである。吉田も遠藤もかなり疲弊していたのはTV越しでもはっきりと見て取れたので、間近で接していた監督はもっと感じてたはずである。
 
しかし彼はその点への対策をとっていない。「アジアカップ」や「コパアメリカ」でも同様であった。彼はずっと同じ選手を使い続ける傾向があるのだ。そこには選手の疲労蓄積への配慮がない、のである。
 
今回もまた森保監督はこの点へのマネジメントが考慮されてなかった。
あらかじめ今回のスケジュール、即ちオリンピックという短期集中型カップ戦であることが判っていたにも拘らず、それへの準備やプランが欠如していたのである。
 
 
森保監督は中5日や6日でスケジュール通り実施される「リーグ戦」での戦い方については、それなりに結果を残しているが、短期間に集中して行われる「カップ戦」での戦い方を知らない、またはそういう発想を持っていない、即ち短期集中型のカップ戦で結果を出すためのマネジメント力を有していない、残念な監督なのである。
 
従ってW杯という大きな大会で、短期集中型のカップ戦を戦い結果を出すための方策やマネジメント力を有していない、こういった大会には不向きな監督なのである。
 
もちろんW杯の一次リーグに出場することが目的であれば、それで済むかもしれない。
しかし一次リーグを突破するのは最低ラインの目標で、BRST8、あわよくばBEST4への進出を期待する、私のような人間にはこのレベルの監督では満足しない。
 
何故ならばそのレベルはW杯に出場すること自体が目的の、20年近く前の代表監督への期待値に過ぎないのである。
 
 
②彼は「チームについての戦い方や、約束事への発想を有していない」
ここ数年間日本のDF陣の成長は著しく、今回のオリンピックにおいてもリーグ戦からスペイン戦までは、かなり守備は安定していたし、実際好く機能もしていたので安心してみていることが出来た。
 
「吉田」「酒井」「遠藤」「板倉」「富安」が安定していたからであり、GK「谷」もそれなりに機能していた。前線でのFW林の守備面での貢献も大きかった。
最終戦のメキシコ戦で3失点を食らったのは①の理由で疲労の蓄積が30代のDF陣を襲ったからであった。
 
ところが攻撃陣については、残念な結果しか残していない。
チームとしての戦い方即ち「チーム戦術」が構築されておらず、チーム内でその戦術が共有されていないのである。
 
一次リーグの対戦相手では「堂安」「久保」「前田」「林」といった選手たちはそれなりの結果を出せていたし、彼らの個人技はそれなりの水準に達していたのは間違いない。
更に幾つかの場面では、目を見張るプレーが少なからず見受けられた。
 
 
しかしチームとしての攻撃スタイルというか、攻撃時のチームとしての約束事が殆ど感じられなかったのである。それは個人の技術で打開しDFの壁を突破することが、監督から指示され期待されている、としか思えない攻め方であった。
 
即ち森保監督のオリンピックチームには攻撃時での「チーム戦術」が無いか、殆ど共有化されていないのである。
 
その限界が感じられたのがBEST8の「ニュージーランド戦」以降である。
 
背が高く頑丈で屈強なDF陣の待ち構えるゴール前に、個人技で持ち込んで突破を図ろうとしても限界があり、無理があるのはサッカーをある程度理解している人間であれば、容易に判る事である。
 
そしてこの戦い方は日本代表が世界の強豪国を相手に戦って、何年も苦汁を味わってきた闘い方であり、更に経験値として日本代表の弱点や限界としてDNAの中には組み込まれているはずである。
 
 
そんな中でそれを打破し、突破することが出来たのはやっと前回のロシア大会であった。
即ち「乾-香川が奏でたシルキーな連係プレー」がそれであり、私たちはそのプレーに光明を見出すことが出来たのであった。長いトンネルを抜け出た感を抱くことが出来た。
 
更にはロシア大会が行われた2018年秋、新たに招集された日本代表メンバー「大迫-中島-南野―堂安の創り出すアタッキング4」もこの延長に連なるモノであった。
 
更にこの時の攻撃スタイルは、長い間待たれていた「日本的な攻撃スタイル」の典型であり、そのスタイルの確立に向けた第一歩と期待が高まった。
 
小柄な日本人たちが繰り広げる、俊敏できめ細やかな連続プレーを息の合ったメンバーによって展開させられた時には、大きくて頑丈なDF陣であっても成す術なく翻弄されてしまうのである。
ロシア大会での「ベルギー戦」が良い例であった。
 
世界屈指のDF陣が乾と香川の織なす連携プレーに翻弄されていたのは、記憶に新しい。
こういったプレーが、日本人の身体能力や国民性に合致した日本が目指す「日本的な攻撃スタイル」なのである。
 
 
ところが2018年秋、ロシア大会の後に短期間観ることが出来た、前述の「アタッキング4」は当時の日本代表の森保監督が作り上げたものではなかった。
 
たまたま招集された「大迫―中島-南野―堂安」のユニットが、偶然創り挙げたものに過ぎなかったことが半年もかからずに判明した。
 
中島が負傷欠場した「アジアカップ」ではこの手のユニットが存在していなかった事や、「コパアメリカ」においても確認出来なかった事から、2018年秋のユニットは森保監督のプランや戦術で無かった事はあきらかである。
 
 
「アジアカップ」や「コパアメリカ」で展開された攻撃スタイルの中心は、「個人の能力=個人技」による突破であったのだ。「チームとしての約束事」や「チーム戦術による攻撃」は殆ど見ることが出来なかった。そしてそれは今回のオリンピックも同じであった。
 
従ってこの監督には「日本的な攻撃スタイル確立」を期待することはできないし、そのような発想を彼は持っていないのである。
2018年秋の「アタッキング4」の展開は、4人の招集メンバーによって偶然もたらされたものであったために、初めの3・4か月で消えて行ったのである。
 
 
今回のオリンピックでも確認出来たように、森保監督は個人の「技術」や「突破力」で得点することを期待し、標榜している監督であるのだ。
 
その攻撃スタイルではアジア予選を突破することは出来ても、W杯本戦で欧米強豪国の組織された屈強なDF陣を翻弄することも、崩して得点をゲットすることも難しいことは明らかである。
それはロシア大会以前の日本代表の戦い方を意味し、一次リーグ突破がせいぜいでそれ以上前には進めないのである。
 
森保監督はロシア大会やアタッキング4が培ってきた、「日本的な攻撃スタイル」に対する理解度が低く、その戦術への意識が高くないのである。
攻撃時において「チーム戦術」を志向していない残念な代表監督なのである。
 
それはとても残念なことであるし、日本代表監督に求められ期待されている能力ではない、のである。
何故ならばこれまで彼が展開してきた戦い方では、過去の失敗を繰り返すばかりでかつての日本代表に引き戻ることであり、その殻を打ち破って新しいステージに登る、という日本代表の目指すべき方向とは、相いれないからである。
 
従って森保監督には今回のオリンピックの敗退の責任を負って、代表監督を退任すべきであろうと私は想っている。
 
 
               
 
 
 
若しこれからも尚、日本代表監督を彼に続投させるとすればそれは、日本サッカー協会首脳陣のロシア大会の成果に対する分析能力が低いことや、今後の日本代表の到達すべきビジョンが見えていないことを意味する。
 
「これから50年以内に、日本代表をW杯で優勝させたい」というビジョンを持ち、それを掲げるのであれば、STEPupに繋がる計画を練り上げ、その目標に応じた課題を明らかにし、それに沿ったアクションを起こさなければならない、のである。
 
それは日本の全サッカーファンに対する、日本サッカー協会の責務なのである。
 
 
現在の日本サッカーの立ち位置を考えれるならば、
 
「世界大会で戦う事の出来る能力を有した」監督
「―日本的な攻撃スタイルの確立―を実現できる」監督、
「世界のサッカー強豪国を相手に、勝ち抜ける戦い方を知っている」監督
 
であるかどうかが監督選考の際の、大事な評価や選択の基準に成るのではないかと私はそう想っている。
 
 
今後4・5年したら経験を積んだ長谷部あたりが、その任務を担ってくれることは大いに期待出来ることであるが、それまでのつなぎ役を委ねる監督は、しっかりした評価基準や選択基準により撰び抜き、明確なビジョンに基づいてセレクトするのが、日本サッカー協会の仕事なのではなかろうか、と私は期待している。
 
そしてそのつなぎ役は、残念ながら森保氏では務まらないのである。
彼にはJリーグ辺りで活躍して貰ったらよいのである。
 
 
 
            さらば⁉森保監督!    なのである。
 
 
  ★   ★   ★   ★   ★   ★   ★   ★   ★
 
 
 
     ー 2022年12月10日「カタールW杯:対クロアチア戦」ーの転載
 

つい先日のBest16 クロアチア戦で、日本の「W杯カタール大会」に幕が閉じた。
ご存知の様に1-1のまま推移した延長戦でもケリがつかず、最後のPK戦で1-3で敗れたのである。
 
試合の経過は相変わらずの個人頼みの展開で、前半は1-0でリードしていたしDF陣もしっかり守れていたように見受けられた。
 
前田大然のゴールは彼の献身的な前線でのDFに、サッカーの神様がご褒美をくれたようなものだった、と私は想っていたがやはりクロアチアはしたたかなチームだった。
 
 
ロシア大会を準優勝で終えたクロアチアのBest16 以降のスコアが、殆ど延長戦まで同点でPK戦で勝ちあがって来た、という事実がある。
 
「ドイツ」や「スペイン」を倒してきた日本に対してクロアチアは、早い段階で同点引き分けを狙って、PK戦持ち込みを意識していたのかもしれないな、とふと考えたりしながら観戦していたところである。 
 
この試合は、或る意味クロアチア監督のゲームプラン通りの展開だったのかもしれない。
 
実際のところ日本戦を終えた後クロアチアの監督が、「日本は私達を軽く見ていて、リスペクトが足りなかったのではないか・・」といった様な発言をしていたことから、そのように私には感じられたのである。
 
要するに自分たちはある程度日本代表チームを警戒し、リスペクトし勝ち上がるための準備をして来たが、日本チームの闘い方にはそのような痕跡が見られなかった。
クロアチアを倒すための努力や計画を日本は特別に練っていたとは思えなかった、といった様な意味合いで語ったのではなかっただろうか、と私は解釈した。
 
 
日本は一次リーグでの戦い方を殆どそのまま踏襲し、トーナメント戦となるBest16 を勝ち上がるための戦い方を模索して来なかったのではなかったか?
とクロアチアの監督は問うているのではないかと、私は感じ取った。
 
 
 
              
 
 
 
実はこの点に日本代表がBest16 をなかなか勝ち上がれない原因がある様に、クロアチア監督のコメントを聞きながら、私は感じたのであった。
 
Best16 を勝ち上がる常連国と、Best8 に到達できない一次リーグ突破で満足している国との歴史や経験の違いが、その戦績やトーナメント戦の戦い方にそのまま反映しているのではないか、とそんな風に思わざるを得ないのである。
 
 
森保監督は東京オリンピックでもそうだったが、グループリーグをトップで通過することで「自分たちの今のやり方をこのまま続ければ、キットよい結果がこの先も得られるのではないか」と、想っている様に私には感じられるのだ。
 
東京オリンピックで開催国日本はBest4までは行ったが、3位決定戦でメキシコにも敗れメダル獲得には至らなかった。
 
この時も森保監督はメンバーチェンジや、勝つための戦術はとくには採用せずDF中心の主力選手の疲労蓄積によって、彼が公言していた「金メダル獲得」には成り得なかったのである。
 
今回も、同じことを彼は繰り返したのである。
森保氏の監督としての限界であろう。
 
やはり彼はリーグ戦向きの監督であって、タイトルの掛かったノックダウン方式のトーナメント戦での戦い方を知らない、残念な監督なのであるな、と私は再確認した。
(この点に関しては、『=W杯への道』の「さらば⁉森保監督!」(2021.08.08)で詳述してますので、ご興味のある方はご参照ください・・)
 
グループリーグを首位で通過した時点で、森保氏の更なる続投を示唆していた田島JFA会長の、相変わらずの人を見る目の無さをもその際再確認したのであった。
 
 
                 
             
 
 
 
今回の大会で大いに期待されながら、結果を全く出せなかった鎌田がクロアチア戦後に言っていた
「今のやり方では、これ以上(うえには)上がれない」といったボヤキは、自分自身の問題でもあっただろうし、同時に森保監督の日本代表の闘い方に対する批判も含んでいたのではないかと、私は感じた。
 
と同時に私は鎌田のこの発言を聞いて、東京オリンピックでメキシコに1-3で敗れて4位に甘んじた時に、ボランチの田中碧選手が言った事をも、思い出した。
 
「メキシコは日本に敗れたリーグ戦とは戦術を替えて日本戦に臨んで来たが、日本はリーグ戦の時にメキシコと闘った戦術や、選手起用を繰り返しただけだった、それが今回の敗因であった・・」といった様な趣旨の発言を彼がしていた事を、思い出したのである。
 
 
             
 
 
 
今回のクロアチア戦での日本代表の敗因を、選手達のうちの何人かは気が付きながら闘っていたのであった。
やはり今の森保監督のレベルではこの辺りが限界で、この指揮官の元ではこれ以上の高みに、自分たちは到達し得ないだろうと、彼らが感じていたことに成る。
 
 
と、こんな風にこのコラムをまとめている時に、クロアチアが強豪ブラジルに延長戦で同点に持ち込み、PK戦で勝利した、という事実を知った。
 
やはりクロアチアはノックアウト方式のトーナメント戦の戦い方をしっかりと認識し、そのための闘い方をしているのだな・・。と改めて確認した。
 
 
JFAの首脳陣は「W杯ロシア大会」や「カタール大会」での結果を理性的に分析した上で、次のW杯に向けた日本代表チームの組織づくりを目指して欲しいものである。
 
さもなければ日本代表は、永遠にBest16 止まりで終わってしまうであろう、と私は推測している。
 
 
ロッカールームで大声を張り上げて選手たちや自分自身を鼓舞したり、動機付けをしただけではBest8 で戦う資格を得ることは出来ないだろう、と私はそう想っている。
 
グループリーグ突破の闘い方とは違う戦術を練り、その戦術を繰り返し訓練しチームに浸透させることで、初めてBest16を突破することが出来る。
 
そう言った戦術眼や戦略的な思考方法を持ち得る監督の下でなければ、永遠にBest8 の景色を見ることは出来ないのではないかと、そんな風に森保監督の采配を見ていて思った次第である。
 
 
選手個々人のレベルが高くなっているのは確かであり、今回のカタール大会でも明らかにその事実は感じられ、それは嬉しいコトではあった。
 
しかし同時にそれらの選手を率いる監督自身のレベルアップがまだまだ至っていない事を痛感した今回のカタール大会であった。
 
日本代表チームがBest16 を突破し、Best8の景色を見ることはまだまだ先の事ではあるだろう。
しかし、そのための努力を惜しんでいてはいられない。
反省すべきを反省し、修正すべきを修正しない限りいつまで経っても同じところをぐるぐる廻ってオシマイ、なのである。
 
 
30年後か40年後にW杯で優勝する、というヴィジョンを持っている以上日本代表チームは、そのための努力を惜しんではいられない、のである。
 
高い志を抱きながら階段を登って行く、次のステップに到達するための努力を惜しんではいられない、のである。
 
 
 
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      -  2019年2月4日「アジアカップ総括」ーの転載
 
 
2019年01月05日~02月01日までアジアカップUAE大会が実施され、日本代表が準優勝で終わった。
これまで日本代表の試合が終わるたびに7回にわたって観戦記を書いてきたが、ここでは本大会が終了したことを受けて、総括を行ってみたいと思う。
 
尚、総括を行うに際して私の基本的な立ち位置を確認しておく。何故ならばこれから先の総括は、現在の日本代表に対する私の問題意識や期待する事柄に基づいて検討されるからである。
 
私は日本代表が次のW杯で、Best8又はBest4(ひょっとしたらの期待値を込めて)に到達してほしい、という願望や希望を抱いておりそのためにこれからの3年半の間に、日本代表がそれを可能にする力を付けて行ってほしいと思っている。
その立場にたっての総括であることを、あらかじめ断っておきたいと思う。
 
 
2018年の夏から日本代表を率いて来た森保監督の「森保JAPAN」に対する評価は、昨年12月までの親善試合の4か月間が最初の一区切りであった、と思う。
次いで今回のアジアカップの濃密な1か月が、二番目の区切りである。
 
第1の区切りでは、4年後のW杯に向けた世代交代が試みられ、若手選手の登用が積極的に行われた。このことには何の異論もなく、非常にまっとうな対応であると私は感じていた。新陳代謝は若々しい組織を維持するためには必要だから、である。
 
そしてその世代交代は「中島・南野・堂安+大迫」という攻撃陣のユニットが、とても有効に機能したことで明らかなように、順調に進んでいたと思われたし、目に見える結果をも伴っていた。
試合を重ねるごとに成熟度が増したこのユニットは何の問題もなく、私を始め観ている多くの日本代表のファンは安心して、かつストレスフリーでワクワクしながら試合を愉しめたと思う。したがってこの時点では森保監督の手腕に何の疑いもなかった。
 
 
このユニットを私が高く評価するのは、何よりもこの攻撃スタイルが日本のサッカー界が永い間待ち望んだ「日本的なサッカー」を体現しているから、であった。
個人の身体能力やテクニックだけでは世界に通用しない日本のサッカーが、世界に通用するためには「俊敏性」や「きめ細やかな対応」そして何よりも「小集団で崩す」といった、実に日本人的なサッカーの確立が待たれていたからである。
 
この点については永い間、日本サッカーに詳しいかつての一流の日本代表選手や、ジャーナリストなどからも指摘され続けたことであった。が、それは今までずっと実現はしていなかった。いや出来てなかったと言うべきか・・。
 
 
その日本人の特性や特徴を生かしたチームが形成され始めたのは、私の記憶の中では「オシムJAPAN」が最初であったかと、思う。
南アフリカW杯への出場権をかけた闘いの中に、そのスタイルの片鱗を垣間見ることが出来たが、残念なことにオシム監督自身の脳梗塞という病によって、そのシステムは確立されないままに雲散霧消してしまった。
 
今でもあのまま「オシムJAPAN」が南ア大会に出ていたら・・。と語るサッカーファンが少なからずいるのは、この時の日本代表の攻撃スタイルが忘れられないから、であろう。かくいう私もその一人なのだが・・。
 
 
次にこの闘い方を眼にすることが出来たのは、先のロシア大会の時であった。
「乾と香川」が織りなす攻撃スタイルが、将にそうだったからである。
この時点で大迫も絡んではいたが、現在のユニットの時と比べると彼の関わりは、ロシア大会の時はまだ不十分であった様に、記憶している。
 
さて昨年の12月時点ではほぼ完成されたかに見えた、日本代表チームにとって課題が全く無かったわけではない。安心して観ていられたのは、前線のユニットだけだったからである。
去年の親善試合の観戦記にも書いておいたが、GKを含むDF陣はまだまだ安定しておらず、いつポカをやってしまうかを心配しながら観ていなければ成らなかった。
 
 
 
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そんな中で始まった、親善試合ではない真剣勝負の「アジアカップ」であった。
国と国と名誉を掛けてのアジア王者を決める、真剣勝負である。
従ってW杯でBest8以上を目指す以上は、それなりの結果を期待し求めることに成る。
仮に結果が伴わない場合でも、現在が成長のプロセスにあることが確認出来る内容が求められるのだ。
 
その成長のプロセスとは、第一の区切りである親善試合では充分機能していた「前線のユニット」が引き続き機能し、定着に向かっているかを確認する事である。と同時に「日本的な攻撃スタイル」が、真剣勝負でも通用するか否かを確認することであった。
 
二つ目は親善試合でも課題が多かったDF陣の安定であり、世界に通用するGKは育っているのか、又は見出されているのかである。
この二つ目の課題は正直時間が掛かるかもしれないと思っていた。
何故ならば人材の育成にはそれなりに時間が必要であるし、伸びしろのある原石を登用しアジア大会を通じて磨き育てるとしたら、やはり時間が必要となるからである。
 
 
ところが外見では20歳にはとても見えない富安が、実に良い働きをした。
彼は昨年の親善試合でもウルグアイ戦(?)だったかで、もうすぐゴールというボールを最後まで諦めず追いかけ、ギリギリのところで掻き出した。というスーパープレーをしており、私の記憶にもしっかり残っていた。
 
その彼の成長が著しく、もはや原石ではなくなっていた。
富安は昨年移籍したベルギーで、20歳にも拘らず不動のレギュラーに定着している、という。ベルギーですっかり揉まれて一皮も二皮も剝けたのだろうと、そう感じた。
 
ここに今回は招集されなかった昌子が加わったら、かなりDF陣は安定するだろうと想われた。富安がこのまま順調に成長し続けるのであれば、時折ポカをする吉田はキャプテンといえども、交代要員に成るのではないかとさえ私は予測している。
 
 
従って昨年末の時点での懸念材料は、アジアカップにおいてはある程度払拭されていた。GKの問題を除いては、である。 
残念ながらGKのファーストチョイスが現在の権田では、日本はBest8以上には成れない。彼は世界レベルのGKとはとても言えないからである。
 
シュミットダニエルという若くて身長の高い選手が今回招聘されていたが、彼や今回は怪我の影響で呼ばれなかった「中村航輔」らの成長を願うばかりである。
若くて伸びしろのある選手達が富安のように海外の強豪国で揉まれて、一皮も二皮も剝けて成長してほしいと、そう願っている。
 
さて問題は昨年末までは順調であった「前線のユニット」である。
アジアカップの直前になって前線ユニットの要の一人だった中島翔哉が、ケガで離脱してしまった。
サッカーは削ったり削られたりの激しいスポーツだから、ケガによる負傷や戦線の離脱は日常茶飯なので、それは仕方ない。負傷離脱する選手がいることを前提に、チームを作って行かなくてはならない。
 
 
問題は負傷者が出た時に、それを補うメンバーが準備されているかどうかであろう。
そのための準備が出来ているかどうかが、代表チームの監督以下のコーチ陣に問われる課題なのである。
そして同時に問われるのは代表監督が、12月まで機能してきたこの「前線のユニット」をどう考えているか、なのである。
 
要するに、たまたま選んだ前線の四人の選手が「うまく嵌まった」からこの「前線ユニット」を続けているのか、それともあの四人が織りなす攻撃スタイルが「日本の目指す攻撃スタイル」として、これからも継承・継続し、定着させなければ成らないスタイルだと考えているかどうか、が問題に成るのである。
即ち森保監督の考える日本代表の攻撃スタイルは何なのか、が問われて来るのだ。
 
 
 
 
             
 
 
ところが残念なことに森保監督は前者のように考えていたのではないか、と私には思えた。それは中島翔哉のポジションに選んだのが原口だったからである。
 
原口の特徴は前線に居て労を厭わず上下運動を繰り返し、相手の攻撃の芽を摘むその守備力の強いサイドハーフという点にある。
 
原口の持ち味は、きめ細かなパスを繰り返し相手のDF陣を翻弄したり、ドリブルで切り込んでDFを混乱させるタイプの選手では無いし、そんな能力も彼には備わっていない。
その事は森保監督レベルであれば十分認識しているはずだ。
 
 
しかし彼のファーストチョイスは常に原口であり続けた。森保監督はこのアジア大会で、チームとして「前線のユニット」を継承し定着させることを、選択しなかったのである。
 
私はそこに彼の限界を見るし、彼は自身の率いる代表チームにおいて「日本的な攻撃スタイルの確立」を目指してはいない、のではないかとそう思えてしまうのである。残念なことである。
 
 その結果今回チームのユニットは、昨年末までのそれに比べ数段レベルの落ちたものに成ってしまい、対戦相手に恐怖を与えないチームに留まった、と私は想っている。
アジアカップで優勝できなかった原因もこの点にあると、私は想っている。
 
 
もちろん中島に代わり得る選手を最初から呼ばれてなかったのであれば、最初から彼の攻撃ユニットに対する考えが違う、という事を知ることに成るのだが、ベンチには乾が居たのである。
ロシアW杯で香川と一緒に日本をBest16に導いた原動力に成った選手である。実績も経験もあるその乾を彼は選ばず、原口を使い続け乾にはベンチを温めさせただけである。
 
 
更に彼はトーナメント戦に入ってからはターンオーバーを使う事が無く、殆どの選手を入れ替えず使え続けた。
その結果酒井のように疲労が蓄積し、本来の能力が発揮できない選手も何人か見えたし、選手間の競争によってもたらされるべき活性化が、チーム内に起きなかったのではないかと、私は感じていた。メンバーが固定化し硬直してしまうからである。
 
 
果たしてこのまま森保監督に日本代表を任せ続けていいのか、彼の監督としての力量に大いなる懸念と疑念を抱いてしまったのである。
このまま森保が監督を続けて、果たして次のW杯で日本がBest8以上を獲得できるのだろうか、という不安を抱くように成ったのである。
 
 
暫くは親善試合が続くが、今年の夏には南米で行われる「コパ・アメリカ」大会に日本はカタールと共に招待されている。
この大会での闘い方や結果如何では、代表監督の人選も再考する必要がある、と私は想っている。
森保監督には東京オリンピックに専念してもらった方が、彼にとっても日本代表にとっても、お互いに幸せなのかもしれない、と私は想っているのだ。
 
 
以上が今回のアジアカップを観戦しての、私の独断と偏見に基づく総括である。
 
 
 
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     -  2019年2月1日「アジアカップ:対カタール戦」ー の転載
 
 
アジアカップの決勝カタール戦の結果は、ご存知なように1-3の敗戦であった。
この試合は森保監督の戦術ミスが原因であったように私は想っている。
これまで戦ってきた7試合の内でも、一番出来が悪かったように思える。
 
最大の敗因は準備不足という事ではないかと私は思っている。
カタールが日本チームの事を良く調べ研究し、事前にしっかり準備してきたのとは対照的であった。
 
その例の一つはカタールDF陣の5バック(BK)に現れている。日本の「大迫+原口・南野・堂安」を事前に想定しブロックを形成してきたのである。
一方それに対して日本チームは、その5BKのカタール守備陣に対する、崩しの戦術を創ってこなかった様に想われる。
 
トルクメニスタン戦やベトナム戦の時もそうだったが、5BKで守りを固めてくる相手に対して、サイドチェンジを繰り返したり、ドリブルで切り込んで相手DFを釣り出す攻撃、といった事が行われなかった。
繰り返し行われたのは柴崎あたりからの、南野や大迫に向けてのワンパターンの縦パスで、その攻撃パターンへの準備がカタールには十分できていた。練習を繰り返して来たのだろうと、想われる。
 
 
大迫頼みの攻撃パターンはことごとく複数で掛かって来るDFによって潰されていた。
堂安サイドからのドリブルは攻撃にアクセントをつけたが、原口サイドからの繰り返されるセンタリングは、中央を固めていたDFによって殆どブロックされていた。
 
中島の離脱の影響が大きかったのであろうが、最後の5分に成るまで乾を使わなかった森保監督の、スタメン及び交代策が問題だったと、私は感じていた。
5BKの相手DF陣を崩す選手の登用・投入が無かったのだ。
 
これは日本戦に向けてしっかりと闘い方を考え、準備をしてきたカタールとの違いが浮き彫りに成っている象徴で、結局後半の半ばに武藤を投入するまでずっと続いていた。
 
ボランチ以下のDF陣の対応も、カタールのアシスト王やゴールゲッターに対する事前準備が出来ていなかったようで、イラン戦までの安定ぶりとは打って変わってバタバタしていた。守備陣の約束事が出来ていなかったに違いない、と感じた。
 
カタールのコーチ陣が日本代表に対してリスペクトしていたのに対して、森保監督を始めとした日本のコーチ陣は、カタールのコーチ陣や選手へのリスペクトが足りなかったのだと想う。
今までのやり方を踏襲していれば何とかなると、想っていたのではないか・・。
 
 
更にまた、サイドバック酒井選手の凡ミスが目立ち、キレがイマイチだったのは、中3日で4試合連続出場のツケが出たのだと思う。ターンオーバーの不採用である。
酒井は2・3試合前から後半に成ると何度か足がつっていた。その時点で彼の身体の状況を的確に判断すべきであったと思うが、残念ながら考慮されなかったようだ。
 
同じサイドバックでも長友はベテランとして省エネスタイルが出来ていたから、あまりミスは無かったが、中堅の酒井はその点がまだ不十分だったし、その点へのコーチ陣の対応がやはり不適切だったと想う。
同様の事はボランチの柴崎にもみられた。適度な休暇やリフレッシュは短期間に7試合もする場合は、当然考慮しなければならないし、そんなことは日本のコーチ陣も判っていたはずなのだが・・。
 
 
いずれにしてもこの試合では、日本代表の事前準備がしっかりできていたようには思えなかったし、カタール代表に対するリスペクトが足りなかったように想える。自滅してしまったのだと、私は感じた。
「敵を知り、己を知らば百戦危うからず」という孫子の有名な格言があるが、昨日の決勝戦についていえば、日本のコーチ陣はこの努力を怠っていたように想えた。
 
カタールの攻撃陣の個人技は称賛に値するが、昨日の日本代表は「敵を知ろうとせず」「己も良くは知っていなかった」のだと思う。
昨日のカタール戦、結局は自分に負けたのだと私は思っている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



〒089-2100
北海道十勝 , 大樹町


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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