春丘牛歩の世界
 
              「お盆」の日がもう直ぐ・・
 
今週は「お盆」を迎える週である。
そんなこともあってこの前の金曜日辺りから「夏休み」をとる人が増えている様で、お定まりの「帰省ラッシュ」の報道が盛んである。
 
そんな夏休みに、実家とかで「お墓参り」をする人も少なからずいるのではないか、と思う。
今回は彼らのためのコラムである。
 
 
   下記は2018年のコラムを再登場させたものである。
 
 
今日はお盆の最中である。
お盆というのは言うまでもなくお正月とともに、日本人にとってはとても重要な行事である。そのような共通認識があるから人々はお正月とともにお盆に合わせて長期休暇を取り、故郷に行ったり、バカンスをとったりすることが出来るし、それを社会的に許されもする。
 
若いころはそのような年中行事にはあまり関わらず、バカンスを中心にとることが多かった。公然と長期休暇が取れることは大きなアドバンテージであったからだ。
しかし40前後に成って近親者の死という、あまり望まないイベントがやってくると死者を悼むといった事がとても大きな意味を持ってくるようになった。
 
 
とりわけ自分にとって大切な人の存在がなくなる事は、少なからぬ心の痛みを伴うものである。両親であれ、お世話に成った親戚であれ、親友といっても良い友の早すぎる死であったりする。
 
そんな時死者を悼み、死者を訪ね、死者に想いを馳せるといった行為が大きな意味を持ってくる。
 
 
日常生活の忙しさにかまけて、普段は棚上げしていた人々を想い、リスペクトするのだ。
そして同時に現在の自分のことを見つめ直すきっかけにも成る。
 
私はこのまま今の仕事を続けていて好いのだろうか、
自分の時間を人生をこのまま費やしていてよいのだろうか、
こんな時親父はどうしただろうかとか友人はどうしただろうか、といった様な事を考えるのである。
 
 
もちろんそのような沈思黙考の機会があったとしても、現実は待っているから大きな軌道修正などは図れない。家族を養わずにはいられないし、会社での仕事も待っている。
 
しかしそういったことを考える良い機会であることは間違いない。
私たちにとって、お盆という行事は死者との対話を通じて、もう一度自分自身を見つめなおす良い機会なのである。
 
 
故郷を訪ね、旧友と交わり、墓を訪ね死者との対話を通じて、自分の来し方行く末をおもんばかるのである。
貴重な時間を有効に使う事が出来る大切な行事なのである。
 
 
 
 
 
                   
                      石楠花
 
 
以上は8年ほど前に書いたコラムであるが、この8年の間に何人かの友人や知人そして親戚なども亡くなった。
 
しかしながらこの時のコラムの想いはほとんど変わっていない。
 
 
次に、実家のお墓参り等をする人たちも少なくないだろうから、こちらのコラムもまた再登場させることにした。
 
2023年に他のサイトで公表したコラムである。その時の表題は「自家のルーツを探る手段としての家紋」とした。
 
 
 
もうすぐお盆である。
しかしながら今年のお盆はここ数年と異なり、帰省やお墓参りをする人は多少増えるのかもしれない。コロナが終わったからである。
 
その際お墓参りをする人たちも、それなりにいるかもしれない。
自家のご先祖のいわゆるルーツに関心のある人は、ついでにお墓などに付いている家紋をしっかりと見てくることをお勧めする。
 
 
なぜならば自分の出自というか、自分の家のルーツを辿るのに家紋が非常に有効であるから、である。
 
私は昨年自作の物語に関わって、「遠江之守安田義定公と秋葉山本宮の関係」を調べたりしたのであるが、その際家紋が持っている重要性について改めて知ることに成った。
 
その『遠江守安田義定と秋葉山神社』において登場人物たちに語らせているが、日本の社会で家紋が使われるようになったのは、源平の戦い以降である。
 
もちろんそれまでも一部の貴族が、当時の自家用車である「牛車」を他家のそれと区別するために、自分の好みの草花や文様/図案といったモノをその牛車に描き標したことはあった。
 
が、それは一部の高級貴族のいわゆる遊び心にすぎず、広く世の中に流布したわけではなかった。したがって平安時代「家紋」はまだ、社会的な共通認識と成ってはいなかった。
 
 
それが世間一般に広く知れ渡り、家紋という概念が社会の共通意識にまで到達するのは、武家が社会の支配者になるタイミングである平安末期から、鎌倉時代初期を待たなければならなかった、のである。
 
具体的には「合戦」という戦や戦争が、きっかけだったのである。それは味方と敵とを識別するための旗印が必要になったからである。「家紋」は将にその旗印そのものであった、のだ。
 
そんな中で最もシンプルは旗印は「源氏の白旗」と「平家の赤旗」である。
色だけで両者の違いを表し、武士たちが殺し合いの戦いが済んだ後、自分が帰る自家の在る陣地を知らせるのが、その旗印であったわけである。
 
 
「白旗」や「赤旗」はあくまでもスタート時のものであったが、「地頭」や「御家人」と言われる「一所=本貫地」を守ることに命を懸けた武士たちは、やがて自家独自の旗印を用いるようになって行くのである。
 
それが実質的な「家紋」の始まりであり、各地の「地頭」や「御家人」が活躍することで、日本国中に全国規模で「家紋」という概念が、普及し拡散して行くのであった。
 
 
 
       合戦3.jpg
 
  
  
このような歴史があったから、「家紋」を知れば少なくとも鎌倉時代頃までは自家のご先祖に辿り着くことは可能なのだ。今から800年近く前までは辿れることに成るわけである。
 
その「家紋」は平安末期や鎌倉時代初頭はその種類は少なく、当初はせいぜい数十~数百であったものが、武士の台頭につれて次第に普及し、武士が支配者となる鎌倉から室町という時代を経て、家紋の数は次第に膨張していった。
 
そしてついに江戸時代の後半頃には、2万以上の種類を数えるようになった、という。
 
もっともこの間、日本の総人口も600数十万人からその10倍の6千数百万まで膨張しているから、家紋の種類の増加は分家化がかなり進んだことも影響していたである。
 
いずれにしてもそういった経過を辿ったこともあって、今や数万種に増えた「家紋」は自家のルーツを辿るのに有効な、メルクマール=指標になり得るのだ。
                  
                             
一方で「苗字」があるじゃないか、という意見も当然ある。
しかしこれは主として分家が本家を探すのには役に立つとは思うが、それではせいぜい戦国末期までしか遡れないのではないかと、私は想っている。
 
徳川幕府になって、士農工商の身分制度が確立した時期以降のルーツを辿ることはできても、それ以前まで遡るのは難かしいだろうと私は思っている。
即ち400年近く前までしか辿れない、のである。
 
 
それに「苗字」というのは実は「名字」であることが多い。
どういうことかというと「名字」とはその名称が示す通り「字(あざ)の名前」なのである。即ち当該者が居住している「字の名前」から出てきているのだ。
 
要するに居住地を表しているに過ぎない、のである。
したがって、「名字」から自家のルーツを辿ることはできない。かえって誤解を招くことに成りかねない。
 
具体的に言うと「安田義定」は甲斐源氏の一族であるが、甲斐源氏では「武田家」が嫡流となっているが、それは家督を継いだ「源信義」の一族、ということに成る。
 
 
源信義は甲斐源氏武田家の家祖になるが、その兄弟は「逸見光長」「加賀美遠光」「安田義定」と名字はみな異なる。
 
彼らの正式な名称は皆「源」なのである。だから彼らの正式な墓には皆「源〇〇」と書いてあり
安田義定も同様で、正式な墓に刻まれている名は「源義定」なのである。
 
そして彼らの「逸見」「加賀美」「安田」といった「名字」は、
「荘園」や「郷」の名前であった。将に「字(あざ)の名」なのである。
 
即ち「逸見荘」「加賀美荘」「安田郷」という、彼らが館を構え生活の拠点とした郷や荘(園)の地名なのだ。
 
これは現在でも同じ一族(すなわち同じ苗字)で呼び合う時、その居住地がある地域の名を呼んでいるのと同じである。
 
という事であるから、「苗字」を頼りにご先祖を辿ったとしても、それはやはり途中までしか辿れないことに成るのである。
 
そしてせいぜい身分制社会が固定するまでの徳川幕府まで、が関の山であろうと私は想定している。分家が本家に辿るまで、が限界であろう。
 
        家紋3.jpg
 
 
 
したがって徳川以前の400年以上前のご先祖に辿り着くためには、先ほどの「家紋」が有効になってくる、と私はそう思っている。
 
より深い年代までご先祖を遡るためには、「家紋」をしっかり確認し、「家紋」を手掛かりに調査を始めれば、より古いご先祖まで辿り着くことが出来るのではないかと、そのように私は想っているのである。
 
 
という事で、次にお墓参りをする際には、しっかり先祖伝来の「家紋」を確認しておくことを私はお勧めする。
それが自家のルーツを辿る第一歩と成るであろうから・・。
 
 
であるから、今年帰省する人は出来るだけ家紋を確認する事を私は勧めるのである。
 
 
     佳き「お墓詣り」を‼ なされませ・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                 お知らせ
 
 
*6月2日:『近江之國編』「六角征伐」と足利幕府衰退」を公開しました。同編はこれにて終了しました。
 『甲斐源氏の祖、源義光』は以上で、完結しました。
 
 *8月3日:『サッカーW杯』の「2026年北中米大会」の「『サッカー資本主義』ⅴs『サッカー民主主義』」を以って、今回W杯に関するコラムを終了することにしました。
 
 
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  南十勝   聴囀楼 住人

                  
      
         
     
 
                            
      
          
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                                
  

 
   
      

  
 
 
このコーナーは、サッカーワールドカップ2026年「北中米大会」について私が感じた事を書き綴るコラムです。
前々回の「ロシア大会」から始めたコラムで、各試合ごとに感じた事を書いていく予定です。
ここでのコラムの視点は、目の前の試合に関する日本代表の闘い方に関する感想や課題を述べると共に、JFAが立てた”今後50年以内にW杯で優勝する”といった目標を達成するための、”準備が出来ているか”を厳しくチェックすることに成ります。
目先の試合に一喜一憂することなく、”日本代表がW杯で優勝する”という過大すぎる目標を達成するために必要なプロセスがしっかり進んでいるか、を基準にして書き綴っていく予定でいます。
 
 
            【 目 次 構 成 】
 
       1.06月15日:オランダ戦
       2.06月21日:チュニジュア戦
       3.06月26日:スウェーデン戦
       4.06月30日:ブラジル戦 
        5, FIFA W杯は何処へ向かうのか・・  (0707)
       6,2026年W杯の課題と本質的問題     (0726 )
                    7.『サッカー資本主義』vs 『サッカー民主主義』(0803)
 
 
 
 

   「サッカー資本主義」vs「サッカー民主主義」

 
 
先月の終わりから、今月に掛けて世界のサッカー界は一人の男に振り回され、翻弄されていた。
 
すなわち、現在のFIFA会長であるインファンティーノのコトである。この男は長らくFIFAの事務局スタッフとして働き、10年近く前に汚職で追放された前FIFA会長プラッターの後釜として、当時事務局長であった彼がFIFA会長に選任された、のであった。
 
この間「ロシアW杯」「カタールW杯」そして今回の「北中米W杯」が、彼の主導の下に開催されて来た。
 
その間起こった事は、
1本大会出場国枠の増大。32か国→48か国と今後は64か国に増やすと公言
2サッカー審判団の質の低下。従って”荒れた試合 ”の増加
3「給水Timeの導入」や「ハーフタイムの大幅延長」によるCM時間の確保や、ショーの挿入に依る試合の分断。
4米国選手のみの、レッドカード執行の1年間猶予
5メインスポンサーに「予測市場=賭け事マーケット」運営会社を組み込んだ
6インファンティーノの個人の報酬up
                         等々
主だった項目は以上であった。
 
そのうち1と3と5は明らかにW杯運営主体の収益を上げるための施策であった。そして結果は
2022年に1兆2千億円程度→今回:2兆1千億円程度へと、売り上げを増加させた。
6の彼の報酬額は3億円→11億円にと跳ねあがった。
 
民間企業であれば有能なCEOとして、評価されるビジネスモデルを造り上げ、結果を出したのであるから報酬が多くても当然だ、という事であろう。
 
しかしながら、それは株式会社や投資会社といった民間の営利追求を目的とした、企業であった場合のコトである。
 
 
                 
               
 
 
 
ところが「サッカー=フットボール」は「営利目的のbusiness」ではない。
「スポーツ」であり「文化」「生活の一部」である。
 
中でもW杯は4年に一度、国家の名誉を背負って「選ばれ抜いた選手たちが戦う場」であり、「プライドをかけた真剣勝負の場」なのである。
だからこそこれまで幾つもの「名場面」や「ドラマ」が生まれたし、世界中のサッカーファンを魅了して止まなかったのである。
 
 
そんなW杯の北中米大会が、「大成功だった」と自己評価し自己陶酔しているインファンティーノが、世界中のサッカーファンの今回大会への評価を気にも留めず、ぶち上げたのが先月末に公表した「FIFA子会社の投資会社設立構想」であった。
 
その骨格は、
新たにFIFA内に設立するW杯の運営会社の持ち株を、トランプ大統領の娘婿:クシュナーの弟が経営する投資会社や、ウォール街のJPモルガン等の金融資本を核とした投資家グループから、3兆円以上の出資金を募り、そのうち20%程度の株式を所有させる。
といった様な構想であった。
 
 
 
                      
 
 
 
「W杯」という金の卵を産む、世界最大のスポーツイベントに対し、投資家から資金を集め、彼らに株の一部を売り払い「エンタープライズ化=大規模事業化」して、収益を得るビジネスモデルを造る、というのである。
 
そして200以上ある世界中の大小のサッカー協会に対し、30数億円の分配金をそれぞれに配り、今後は配当をもたらすというのがこの「W杯business」の仕組みである。
 
更にインファンティーノ自らがCEOに成って、運営=経営を取り仕切る、というのである。
その結果インファンティーノの年収は今回の報酬11億円から100億円以上に跳ね上がる、のだという。
 
 
要するに設立提案者自らの懐と、ウォール街の金融資本や投資家達に、利益や収益をもたらすための「子会社構想」、という事に成る。
すなわちサッカーというスポーツの「business化」であり「資本主義化」である。
 
そしてこの発表はインファンティーノが突然公表し、FIFA内部の公的な機関には一切諮ることなく、彼の独断で世界に発信されたのであった。
 
その結果この「サッカーの資本主義化」を知った、世界中のサッカーファンやサッカー協会が、猛反発を起こしたのである。
 
 
民主主義が最も深く、かつ広く浸透しているEUのサッカー連盟(UEFA)がまず、反対の狼煙を上げた。
 
緊急に開かれたEUのサッカー連盟において100%の支持を得て、この構想をFIFA が推進するなら、EU各国のサッカー協会はFIFA主催の大会をすべてボイコットする、と決議したのであった。
 
 
 
                    
 
 
 
そしてそのUEFAに続いたのが、北中米カリブ海のサッカー連盟であり、アジアのサッカー連盟であった。
世界で6つしかないサッカー連盟の内、主要な3つの連盟がこの構想に反対し、支持しなかったのである。
 
 
200以上あるFIFA 加盟のサッカー協会の内、この構想に賛意を示したのは「カタールサッカー協会」と「モロッコサッカー協会」の二か国であった、という。
 
因みにこの二つの国に共通するのはいずれも「王国」である点と、2022年にW杯を開催した国と、来たる2030年にW杯を開催する国の一つである、という事である。
 
 
私はこのUEFAを中心とした、世界のまともなサッカー連盟やサッカー協会が果たした役割は、「サッカー民主主義」の勝利であると思っている。
 
両者の違いは、中東や北アフリカの「王国」と違って、「清教徒革命」や「フランス革命」を経験して民主主義を獲得して来た国との違いだろうと、想っている。
 
これまで10年間にわたってFIFAを牽引し、主導してきたインファンティーノという暴君が画策した「サッカー資本主義化」に対して、欧州を始めとした先進国の多くが「サッカー民主主義」に依って、サッカーというスポーツの「あるべき方向性」を取り戻した、貴重な体験であったと私は思っている。
 
 
今回の「構想」が頓挫し撤回された今、残された課題は
「インファンティーノのFIFAやサッカー界からの永久追放」
であると、私は認識している。
 
そして「サッカー民主主義」の力で、「サッカー界の」暴君や専制主義者を葬り去った、現在のサッカー界の健全さを喜ぶと同時に、今後もこのスタンスと伝統を維持してもらいたい、と願って止まないのである。
 
 
 
            
 
 
 
 
 
 

       2026年W杯の課題と本質的問題

      
 
本州では40度を超える酷暑日が、東海地区や西日本・東日本の一部等では起きている様で、いま将に夏が真っ盛りである様だ。
 
ところが我が南十勝はどうかというと、ここ1ヶ月の間に30度を超えたのは1日しかなく25度を超える日が5日あったのみである、冷涼な日々が続いている。
7月がもう終わるというのにである。
 
 
そして昨日などは最低気温が14度という事で、家人などは何とペレットストーブを点けた。”寒いからだ ”という。
私がこの地に移住して16年経つが、7月下旬にペレットを焚くなどという事は無かった、初めてのコトである。
 
直接的な原因は、北極の寒気団の影響を受けた「オホーツク高気圧」が本州の低気圧に向かって、冷気を運んだことから今日の寒さをもたらしているのだという。因みに昨日の最高気温は16度であった。
 
前回も書いたが、ラズベリーの花が殆ど咲かず、したがって毎年7月後半に採れる赤黒い果実が未だ収穫できないのは、この冷涼な気候のせいである。
 
しかしまぁ、暑い熱帯夜を過ごさなくても済むことは、私にとっては大いにwelcomeなので、その事に大きな不満はない。
 
 
       ⚽     ⚽     ⚽
 
 
さて先日1-0でスペインの優勝に終わった、2026年のW杯北中米大会である。
今回の大会程多くの物議を醸したW杯は無かった。前代未聞のワールドカップであった。
 
大会の期間中から私が感じていた
「審判団のレフリングの質の悪さ」
「米国選手のレッドカード執行猶予1年間問題」
「アルゼンチン選手やパラグアイ選手の目に余るラフプレー」
等などである。
 
この元凶がFIFA会長を10年間勤めて来た、イタリア人弁護士出身のFIFA会長インファンティーノの、独裁的大会運営にあることを、今や世界中のサッカーファンや関係者は知っている。
 
 
 
            
 
 
 
そして、この会長の今回のW杯運営について、サッカー先進国の数か国のヨーロッパサッカー協会等から、多くの告発や批判が起きている。
 
更にはEUの政治機構からも今回のW杯の恣意的な運営や、不正が疑われる行為を「調査」する動きが起きている。
これらは今後時間が掛かっても、明らかになって来る事もあるだろう。その結果を私は楽しみにしている。
 
EU の政治機構が、スポーツ大会の運営を「調査」する等という事は、われわれ日本人にとっては意外に想われる事だろうう。
 
しかしヨーロッパの国民にとって、サッカーは「一つのスポーツ」にはとどまらず、「生活の一部」であり「文化そのもの」となっている事から、この様な「調査」が行われるのである。
それだけサッカーが生活の中に深く、かつ広く浸透しているのだ。
 
日本のW杯が終わった時に、イングランドでプレーする鎌田選手が、日本人とってサッカーが「生活の一部」や「文化そのもの」に成ってない事を嘆き、「国技」に至っていない事をぼやいていたが、将にその差がここに確認できるのである。
 
 
ところで今回の諸問題を引き起こしたインファンティーノであるが、彼は来年のFIFA会長選に立候補する予定でおり、その点に大いなる自信を持っている、という。
 
その理由は今回の北中米大会が”大成功の裡に終わった ”と、自ら評価しているからである。
 
彼はアメリカのトランプ大統領と親密な関係にあり、アメリカ選手の「レッドカード問題」や、今回大会の優勝国スペインへの「トロフィー授与時」でのパフォーマンスでも明らかな様に、実に似た者同士なのだ。
 
”金儲けが大好き ”で、”目立ちたがり ””権力が大好き”な人種である。
全くもって”類は友を呼ぶ ”のだ。
 
 
 
 
                     
 
 
 
従って、厚かましい部類の人間であり、自らの成果を過大に誇示し、自己陶酔する傾向の人物でもある様だ。
 
次回での会長選立候補のエネルギー源も、その人間性が一つである、と私は推測している。
 
次に数字に対する評価である。
2022年のカタール大会の時のW杯関連ビジネスの「売上高」は
1兆2千300億円程度であったが
 
2026年の北中米大会での「売上高」は約2兆1千100億円程度であろう、
とドイツ銀行のアナリストは推測し、公表している。
 
 
W杯を「スポーツbusiness」や「エンターテイメントbusiness」と捉えれば大成功なのである。
この4年間で「売上高」は72%UPしており、FIFAを含めたW杯関連事業者の懐は、4年前と比べ1.72倍増加し、潤ってるからである。
 
そしてその要因の筆頭に挙げているのが「32国→48国」に、出場枠を拡大した点にある事を彼は認識しており、それ故に次大会では出場枠を、更に拡大し64ヶ国程度に増やす、と彼は公言しているのだ。
 
出場枠を増やすことで「中国」「インド」といった人口の多い国を滑り込ませたい、と考えている様である。
 
 
それは何よりも、現在の実力では出場がかなわない国々を出場させることで、放映権や広告収入・スポンサーライセンス・チケット販売額等を増やすことを目論み、「売上高」を増やしたいと思っているからである。
 
このbusinessモデルは、民間事業者であれば問題視されない。
しかし「スポーツ大会」としては、大いなる問題を引き起こすことが予想される。
 
具体的に言えば「出場枠」を2022年大会と比べて、ほぼ2倍に増やすという事は、大陸別の「地区予選枠」を広げる事を意味し、カタール大会では上位4チームしか出場できなかったのに、上位8チーム迄増加させる、といった様なコトを意味する。
 
 
 
            
               
 
 
という事は、W杯の本大会において「大味な試合」の数が増え、「ワンランク下の国」の出場機会が増え、「大差で勝敗がつく」質の低い試合を、世界中のサッカーファンが、見せられることを意味するのである。
 
要するに「試合の質が低下」し、「世界最高峰の試合」を観る機会が減る、という事を意味する。
 
その他に試合数の増加は審判団の人数を増やし、「審判団の質低下」を一層招く。
その結果「ラフプレーの多い」「荒れた試合」を見る事が、予測され得るのである。
今回の「北中米大会」がそうであった様に・・。
 
 
「business」を優先させるのか「サッカーのqualityと品位」を優先するのか、といった大問題を引き起こすのである。
 
この問題やテーマはこの点に尽きるのであるが、この出場枠の拡大は、FIFAというスポーツ連盟の懐は満たされ、潤う事は間違いない。
 
その結果FIFA加盟の各国協会への分配金は確実に増える。
それは数十億円の負債を抱えて、赤字経営をしている日本サッカー協会の様なところにとっては、間違いなく朗報である。
 
 
従ってこの路線を支持する各国の協会の数はFIFAの中では多いのである。
EUのサッカー協会の様に「サッカーの質」を重視する国は、現在のインファンティーノ会長を支持しない可能性が高い。
 
しかしながらそうでない国即ち日本の様に、より多くの分配金を期待する国や、個人的な収入増大を期待する人物が意思決定権を持ってる、多くの国の協会は彼を支持する可能性が高い。
 
現時点では後者の方が多い様で、インファンティーノの再選はほぼ確実視されている。
 
 
残念な事ではある。がこれが現実である。
そして再選が現実のものに成れば、予測できるのはるのは
 
・出場国が64に増える
・従って、参加国のサッカー協会の分配金も増える。
・その結果試合内容の質が低下し、「大差のつく試合」の数が増える可能性が高い。
・試合数が増えるだけ、審判団の数が増え「レフリングの質」が低くなり、「荒れた試合」が増える可能性が高い。
・FIFAのサッカー貴族の収入や報酬は増える。
・W杯の観戦チケットは高騰し、増々入手は困難になる。
・インファンティーノの報酬が、確実に増える。カタール大会の時は3億円近かったらしいが今回の報酬は11億円近くに成るのだという。
 
何だか憂鬱に成って来た。
 
 
 
                        
 
 
 
そして私は、コロナ禍でも強行された東京オリンピックの事を思い出してしまった。
 
あの大会ではオリンピックは、アスリートたちのための大会ではなく、各国のオリンピック委員会の役員達=オリンピック貴族達のための大会である事に気づいてしまい、シラケてしまったのである。
 
その結果東京大会以降、即ちパリオリンピックや今年のミラノ冬季大会の時には、素直にオリンピックに期待する事も無くなってしまって、観戦する機会も減ってしまった。
純粋かつ素直にスポーツ競技として、オリンピックを愉しめなくなってしまったからである。
 
 
サッカーワールドカップが、オリンピックの様に大会関係者やFIFAの貴族たちを潤すための大会に成ってしまったら、やはり素直に純粋に大会を愉しむことは、出来なくなってしまうだろう。
 
哀しい事である。
 
 
しかし同時にEU等の「サッカーの質や品位」を尊重する国たちが、FIFAの暴走をチェックする機能が働き、サッカー民主主義が高まる可能性への希望を捨ててはいない。
 
世界で一番競技人口が多く、世界中いたる処でサッカーボールを追いかけている人達のいる、サッカー文化の自浄作用に期待もしている。
 
またそのための多くのジャーナリストの問題意識や、不条理追及や不正摘発といった事項への活躍の期待値も高い。
 
 
因みに現在(7月25日時点)
「アルゼンチンvsスペイン再戦」を望む署名が10万人を突破し、
「アルゼンチンのW杯永久追放」を求める署名が2,300万人を突破しているという。
 
世界中のサッカーファンの「民意」がどこにあるのかは、明らかである。
 
 
もしも今後
「インファンティーノのFIFA永久追放」が提起されたら、私は間違いなく署名したいと思っている。
 
「貪欲なサッカー資本主義者」の存在は、サッカー界にとって害悪でしかないからである。
「サッカー民主主義」のパワーを、私は期待もし妄想もしているのである。
 
 
      
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

        FIFA W杯は何処へ向かうのか・・

 
 
やはり今年の夏はここ数年よりはだいぶ過ごし易い様に思う。
最高気温が30度を超える日は月に数日で、昨年や2023年の頃に比べて明らかに冷涼である。
 
もちろん西日本や本州ではこんなことはないのであろうが、ここ南十勝においてはそうである。
 
内陸部の盆地である帯広や旭川・北見・岩見沢といったエリアでは、30度を超えた日が沿岸沿いの大樹町に比べると、多いだろうとは思うが、それにしてもここ数年では珍しい、過ごし易い日々が続いていると言えるのではないか・・。
 
 
そしてその冷涼な気候の影響は、と言えば我が家では「ラズベリー」の開花が遅れており、ここ数年であれば7月半ばには既にそれなりの果実の収獲が始まっているのであるが、やっと開花が始まり熊蜂などの受粉活動も、あまり見られない。
 
従って2週間や3週間は夏の収穫時期は遅れるのではないか、と覚悟している。
収穫が忙しくなるのは、葉月八月に入ってからであろうか・・。
 
これは残念なことであるが、収穫作業を炎天下でやらなくて済むのは、期間限定の農業従事者にとってはありがたくもある。
 
 
 
        
          例年だと夏収獲が始まっている
 
 
とはいえラズベリーの樹木の繁茂状況を見ていると、それなりに生育している様なので、10月からの秋収穫に少なからぬ期待が持てそうではある。
という事で、そんなに心配はしていない。
 
ここ南十勝ではお盆を過ぎると夏の暑さは峠を越え、例年過ごし易い日々が続くからである。
 
多少残暑は続くがそれは日中のコトであり、朝夕はグッと気温が下がることから、たとえ果実の収獲に汗を流しても、7月中旬のそれに比べれば随分と楽なのである。
 
 
 
            
            今年の豊作は10月頃の秋収穫か・・
 
 
昨年から「ラズベリーの実」の活用法に、従来の「ジャム」造りに加えて、「ラズベリー酒」を作る事を覚えた私は、今年は出来るだけ多くの「果実酒」を造る予定でいる。
 
そんな事もあって、この秋のラズベリー果実の豊作は大いに期待をしているのである。
 
ここ数年、視力に衰えが感じられ飛蚊症なども発症している事もあって、出来るだけポリフェノールを摂取するよう努めており、赤ワインを晩酌代わりにしているのだが、その列に「ラズベリー酒」を加えたいと目論んでいるのだ。
 
 
 
そんな冷涼な夏の入り口を過ごしているが、1か月間続いたサッカーW杯もいよいよ大詰めを迎えてきている。今週末には決勝戦が行われる。
 
昨日の試合でスペインが2-0でフランスを破り、決勝進出を決めた。その対戦相手がイングランドに成るかアルゼンチンに成るかは、明朝には判ってるだろう。
 
ところで今回のW杯はFIFAの運営のまずさが目に付き、試合内容に関係ないところで、ストレスを感じる事が多い。
 
「審判団の質の低さ」や「レッドカード選手の執行を一年間猶予した事」や「ハーフタイムでのパフォーマンス」等などがその最たるものである。
 
 
 
        
 
 
 
その原因がイタリア人のFIFA会長:インファンティーノにあるのは、今や世界中のまともなサッカーファンは皆そう思っている。
 
こんなルール=サッカー界の法律を平気で破る、いい加減な男が弁護士である事に、私などは驚きあきれているのであるが、同時にそんな男が10年近くFIFA会長を続けている事にも、驚きを隠せない。
 
今回のアメリカ代表FWのレッドカード執行猶予問題は、さすがにEU諸国から反発を食らっており、「調査」を開始しているというから、今後の成り行きを注視して行きたい。
 
 
それと日本代表監督の交替が来年3月に実行されることは良かった、と私は思ってる。森保監督では日本代表が次のステージに登れないと、ここ8年間ずっと考えていたからである。
これまでの私のサッカー系コラムでズット主張して来たので、お判りかとは思うけど・・。
 
新監督候補の「U23日本代表大岩監督」は、森保監督同様に海外での選手や監督の経験のない点が気になるが、しばらくは様子を見て行く事に成るだろう。
 
いずれにせよ「W杯でBEST8」に進める、チーム作りと何よりもカップ戦で結果を出せる、戦い方が出来る監督である事を期待するばかりである。
 
 
           
 
 
 
 
 
 
 
 
 

           ブラジル戦

 
昨日のブラジル戦で、2026年W杯北中米大会の日本代表戦は終わってしまった。
残念である。もう少し日本代表戦の戦いを観続けたかったからである。
 
W杯が開戦する前から、森保監督が公言していた「優勝を目指す!」という言葉を、私は初めから真に受けていなかったから、決勝戦までの試合を観る事ではなかった。
 
先ずはBEST8に到達する事が、現在の日本代表の”現実的な到達目標 ”だと考えていたので、私が期待していたのは、
出来る事なら今回のブラジル戦に運よく勝てて「BEST32→BEST16→BEST8」まで到達する、というシナリオであり、そのためにまだ”+2試合は観たかった ”のである。
 
 
しかし相手が悪かった、現在の日本代表が好いチームである事は確かだった。
しかしだからと言って
「ブラジル」「フランス」「アルゼンチン」「イングランド」「スペイン」「オランダ」に、
 
W杯のトーナメントリーグで間違いなく勝てる、とは考えてなかったし、現時点でそれは「期待」であり「願望」であり、「妄想」でしかない。
私は夢と現実とを明らかに区別する”現実主義者 ”だからである。
 
 
従って「+2試合」を観れなかったことが、残念だったのだ。
もう少し「観戦者」ではない「当事者」として、今回のW杯を愉しみたかったのである。
 
 
                    
 
 
 
さて、今回の「ブラジル戦」である。
最大の敗因は、選手個々人の技術や能力以上に、監督の「戦術プラン」の問題であり「選手起用のプラン」であったようだ。
 
言うまでもなく今回のブラジルを指揮していたのは、「名将アンティロッティ」である。
 
ヨーロッパのサッカー界の歴史や現状を良く知っている人には知られた人物で、ヨーロッパのクラブチームやナショナルチームを何回も勝利に導いて来た、百戦錬磨の名監督なのである。
 
 
W杯に向けて彼はチーム力を高め、チームとしての結束を強め、事前にPLAN:AやPLAN:B、PLAN:Cを準備し、備えておくことが出来る経験豊富な人物であった。
 
かつての日本代表を率いて来た監督で言えば、「オシム」や「ザッケローニ」に匹敵する現役監督である。
 
 
 
       
 
 
 
そしてそのアンティロッティが動いたのはハーフタイムを挟んだ、後半であった。
 
前半の日本DFの堅牢で統率の取れたブロック守備を、崩すための戦術を採用したのであった。
 
一つは中盤のメンバーチェンジであり、より決定的だったのは攻撃の主戦場を「中央」から「両サイド」に変更した事である。
すなわち、サイドチェンジを含め左右の両翼からの攻撃に替えたのであった。
 
これが見事に功を奏したのである。
 
 
これに対し日本のDF陣は前半の守備体制を継続しつつ、よりブロックを固めるためのメンバー交代や、陣形維持に努めたのであった。
これが森保監督の対応戦術であり、彼の限界でもあった。
 
 
解説の本田圭佑氏が盛んに叫んでいたように、”しっかり守って、同時に攻めろ!”や”守るだけやなくって、守りつつ攻めなアカン!”との違いであった。
 
日本は1点リードしていたから、守りを堅くしリードを守る事は、当然の選択肢であったことに疑いはない。
問題はその先に何を見たのか、何をしようとしたのかである。
勝つための手配を怠っていたのである。
 
森保監督は、そのまま堅守を堅持して1点を守り切るか、たとえ1点を返されたとしても、そのままドローで延長戦に持ち込めばよい、と考えていた様である。
 
 
 
       
 
 
 
もちろんこれはあくまでも推測であって、彼の口から語られないと真相は判らない。
 
その私の推測を裏付けるのは、「交代要員」のメンバーであった。即ち「攻撃陣」の「中村健斗」「堂安」に替えて、「守備要員」の「菅原」「鈴木淳之介」の投入であった。
 
 
これは明らかに後半戦の戦いの軸を、「堅守、速攻」から「専守防衛」に移したことを意味し、同時にその監督の意向をフィールド上の日本戦士達へ伝えるメッセージ、でもあった。
 
と、同時にブラジルの監督や選手達にとっては、「守備への負担」を軽減させて「攻撃に専念しても良い」という、メッセージにもなったのである。
 
 
ブラジル陣は「個人技」や「技術」では、日本選手の「技」を越えてる選手が明らかに多く、W杯を始めとしたカップ戦などを通じて「ノックアウト戦」という修羅場を経験している選手や、闘う術を知っている選手の数はもちろん多い。
 
そのブラジル選手たちに、森保監督は「専守攻撃」という、絶好の舞台を提供してしまったのだ。
 
 
それから彼らの猛攻撃が始まり、ほどなく同点に追いつかれてしまい、最終的には後半AT=ロスタイムに、勝ち越されてしまった。
 
後半戦での監督の采配、即ち「選手交替」と「戦術チェンジ」の差が、日本代表のブラジル戦敗退をもたらしたのであった。
 
 
直接的な要因は確かに、田中碧選手のブラジル右ウイングからの攻撃への対応のまずさがあったのであるが、より多くは監督の采配のミスであり、戦術のミスであった。その点をはき違えてはいけない。
 
 
更に付け加えるなら、控え要員の塩貝選手のSNSでの、不必要な「ブラジル選手への侮辱」であり、「挑発」であった。
 
このSNSがサッカー王国ブラジル選手たちのプライドを傷つけ、「国技」を汚されたと感じたセレソン達のハートに「火をつけた」のであった。
 
サッカーは「技」と「戦術」を駆使したスポーツである、と共にプライドを掛けた「心」や「情熱」を伴う、「ハート」のスポーツである事を、この若者は意識してなかった。
 
そしてこの若者の人間的な未熟さをたしなめたり、修正させるような「心理学的ケア」をコーチ陣が怠っていた事も、今回の敗因の一つだったと私は感じている。
 
 
 
 
       
 
 
 
一方森保氏はJリーグでは何回かの優勝経験を持ち、実績を持っている。「通常リーグ」向けの監督なのである。
彼は期間が限られた「国際的なカップ戦」でこれまで一度も頂点に立ったことが無い。
 
1年間を通して選手を育成し、チームを作ったり「リーグ戦」の戦い方には経験はあっても、3・4週間の間に「王者」を決める「国際マッチ」では、一度も結果を出してない。
 
せいぜい準優勝どまりだし、東京オリンピックでは「金メダル」を公言していたが、結果は4位で終わっている。
 
 
 
     ー 森保JAPANの国際カップ戦での戦績 ー
 

 ・2019年アジア杯:準優勝
 ・2021年東京オリンピック:4位
 ・2022年W杯:BEST16
 ・2024年アジア杯:BEST8 
 ・2026年W杯:BEST32
 
 
森保氏には選手育成の定評があり、実際「選手の育成」ではそれなりの結果を出している。その点は彼の指導者としての評価すべき能力であろう。
 
従ってこれから彼には、日本代表監督を今回限りで勇退してもらって、JFAの幹部として「アカデミー」等で若手を発掘したり、育成に力を注入してもらい、日本サッカー界の次世代を担う人材を育てる事などに、その能力を発揮してもらった方が良いのではなかろうか、と私は想う。
 
 
その上で次のW杯では、ぜひともBEST8を狙える監督を招聘してもらいたいものである。
 
このまま森保JAPANを継投するとしたら、日本の「50年以内W杯優勝」の道筋は、全く見えてこないであろうと私は想ってる。
と同時に、私自身のストレスも解消しない。
 
もし可能であるならば私は自分の人生が終わる前に、「日本代表のW杯優勝」を観てみたい、と想っている。
 
これは私のささやかな願望なのである。
 
 
 
 
 
 
 
 

    スウェーデン戦

 
 
昨日のスウェーデン戦は試合開始がAM8時という事で、TV観戦としては見易い時間帯であって、朝食後の時間には打ってつけの内容であった。
試合の解説は本田圭佑氏であった。
 
試合前の森保監督の公式声明では、この試合に勝って「グループF を一位通過する!」ために戦う、と意気込んでいた。
 
しかしながらその公式声明は文字通りではなかった、様である。
もちろん”上手くいけば 、そうありたい ”というのが正直な思いだったのかもしれない。
 
 
私がそんな風に想うようになったのはスタメンのメンツを知ったからである。
先発陣に「冨安」「佐野海舟」等の名前が無く、「菅原」「瀬古」等が先発メンバーに入っていたのである。
 
”W杯で優勝を目指す ”と常々公言していた以上は、1ヶ月以上8試合は闘わなければならない。
長丁場の戦いであり、それだけの選手層の厚さが求められるのは、当たり前の事なのだ。
 
従って「ターンオーバー制」が導入されるのは当然の事であり、自然な備えでもある。
 
その観点から言えば、守備の要である「冨安」の不在や、ボランチの中心メンバ―の一人「佐野海舟」の温存は、グループリーグ突破後のトーナメント戦を見据えた対策だろうと推測でき得る。
 
と同時にサブメンバーに経験を積ませ、彼らの出場機会を増やし大会の中で育成していく、という考えに立てば理にかなったスタメン構成であった。
全8試合を戦うための中期的視野に立った采配であり、施策であるからだ。
 
 
 
            
 
 
 
その観点から言えば「上田綺世」や「鎌田」「堂安」についても同様の対応があっても良かったのだが、そうしなかったのは彼らはこの試合に不可欠な存在、と判断したのだろうと想われる。
 
いずれにせよこの「ターンオーバー」を使ったスタメンは、かつての森保Japanには無い采配で、注目すべき点であった。
 
 
この視点は彼が監督に成ってからこれまでの8年間には、無かった対応であり、その故に私は彼をW杯やオリンピック、アジア大会等の長丁場を戦う指揮官としては不適格である。とずっと感じていたのであるが、今回の対応には彼の成長の後が見られる。
 
これは今回のW杯を戦う代表チームの首脳陣の入れ替えが、影響してるのかもしれない。
 
それがJFA会長の交替に関係してるのか、コーチ陣の入れ替えにあるのかは、現時点では判らない。だがいずれW杯が終わった頃には、明らかになるかもしれない。
 
 
試合の展開はご存知の通り1-1のドローで、日本は2位通過で次戦はブラジルと闘う事に成った。
スウェーデンは3位通過がほぼ確定し、両チームにとって許容される結果となった。
 
冨安不在のDF陣もそれなりに機能し、「チームの約束事」もオランダ戦よりは改善されていた。
失点は最小の1点に留め、スウェーデンの2人の強力FWにはあまり多くの仕事をさせなかった。
                 
 
 
            
 
 
 
攻撃陣はチャンスを上手く使って、最終的には堂安→前田大然の連携プレーによって、きれいに得点した。攻撃陣もそれなりに機能していたのであった。
結果オーライなのである。
 
それからの、「上田綺世」と「堂安」の交替であった。
これは次戦のための早めの交替による温存であり、「小川」「伊東純也」等への経験の積み重ね、を意図したものだと想われる。
 
交替した二人の攻撃陣は、試合の流れを変えるジョーカーに成り得る存在なので、次のブラジル戦以降のトーナメント戦を闘うためにも、必要な対応だったのだろう。
 
という事で、勝ち点1をこの試合でゲット出来たことは日本代表にとっては、喜ばしい事であった。
 
 
 
それにつけても北中米選出の審判団のレベルの低さはひどく、ストレスが溜まってしまった。
 
このクオリティは世界水準ではなく、北中米水準では通用するのかもしれないが、ノックアウト方式のトーナメント戦でこの審判団には、レフリングを任せることは出来ない。
 
さもなければ試合後に暴動が起きるに違いないから、である。
W杯の戦いは国と国とのプライドと意地を掛けた、崇高な闘いだからである。
 
FIFA内部の人間関係や権力バランスとは違う基準で、審判団は選ばれるべきだからだ。
 
そうでなくてもFIFAは黒いうわさが絶えない組織なのだから、世界のまともなサッカーファンから、高評価とリスペクトを得るためにも、そうでなくてはならない・・。
 
 
 
              
 
 
 
いずれにせよ30日のAM2時は、もうすぐそこなのである。
その際に必要なのは、ブラジルに対してリスペクトは必要だが、怖れることはない。
 
去年10月の親善試合で前半の0-2から、後半で巻き返し得たのは、上田綺世を始めとした攻撃陣や鈴木淳之介たちのDF陣が、ブラジルを怖れずに闘ったからである。
その結果、3-2の逆転劇を成し遂げる事が出来得た・・。
 
スウェーデン戦の解説者の本田圭佑氏は、盛んにブラジルを避けたがっていたけども、その様なスピリッツやスタンスではロシア大会のベルギー戦の二の舞を踏むであろう。
 
 
あの時の敗因は攻撃陣や当時の西野監督の、ベルーギーへの尊敬と”怖れ ”が原因だったに違いない、と私は今でも思っている。あの時の西野監督の采配が、それを感じさせた。
リスペクトは大切だが、怖れは必要なかったのだ。
 
優勝を公言する森保監督には、そのような”怖れ ”はないものと想定するが、攻撃の要の上田綺世選手達も、昨年のブラジル戦後半の様に闘えば、勝機は見い出せるに違いないと私は想ってる。
 
闘いにおいては常に”敵は相手にあるだけではなく、自分自身の中にもある ”のだから・・。
 
6月30日深夜のブラジル戦での検討を期待する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

                           チュニジュア 戦 (6月21日)

 
 
昨日は今年の夏至である。一年で最も日照時間が長い日で半年前の冬至から6ヶ月が経過し、これからまた日一日と日は短くなり、今度は冬至に向かって行くのである。
 
先月末から今月の初めにかけては、ここ南十勝でも最高気温が30度を超える日が何日か続き、今年もまた暑い日が続くのかと、残念な気持ちでいたのであった。
 
ところが月初の数日を除き、それから二週間近くは20度前後の日が続き、この一週間などは日に日に気温が下がり、10度台前半が珍しくなくなっていた。
 
そして今日は何と最高気温が11・2度という事で、朝からペレットストーブを点けてしまった。
一カ月以上前、以来である。
 
 
 
            
 
 
 
このままこの様な気温が続くとなると”ヤマセ ”が懸念されるのである。東北や北海道の7・8月が冷夏になると、米を中心とした農作物の日照不足や低温の結果、不作が生じる。
 
数十年に一度東北や北海道では発生する現象で、飢饉や冷害に依る経済・社会問題が、かつての日本では発生して来た歴史を持つ。
今日の日本では、農作物の多様化や品種改良・物流のグローバル化等の結果、戦前の様なコトには成らない、と想われるが少なからぬ混乱は起きるのではないか、と懸念している。
 
 
そんな冷涼な日が続く中、地球の反対側で行われているW杯北中米大会では、日本のグループリーグ第二戦がチュニジュアと行われ、結果は4-0の勝利で勝ち点を3ゲットし、合計勝ち点が4となった。喜ばしい事である。
 
日曜日の午後1時キックオフということで、オランダ戦に比べ昼食後のゆったりした時間帯での観戦であった。
 
開始早々のDF冨安から右サイドへのロングフィードから始まり、右サイドにいた上田綺世→田中碧からの中村健斗へのサイドチェンジ、中村のドリブル後のゴール前への折り返しを、鎌田がヒールでのゴールへのパスは、見事であった。
                 
 
久しぶりの連携プレーが見られ、喜ばしい事であった。
攻撃面での連携プレーが少なかった森保Japanの、成長の後が見られたからである。
 
冨安のケガからの長期離脱とそれからの復帰と、鎌田のゴールに絡む位置取りが素晴らしかった。
 
更に両ウィングからのサイドチェンジ復活は、チェニジュアに限らず、次のスゥェーデンを含むゴール前でブロックを固めてくるチームに対する攻撃に対しては、とても有効であろう。
 
今後もこれを繰り返して、練度を上げて相手DF陣をズタズタにしてもらいたいものである。
 
 
 
          
 
 
 
この戦術は森保監督の指示というより、コーチ陣も含め選手間の意思疎通や、戦術への共通の理解があったから出たのではないかと、私は推測し独断している。
 
もし推測どおりだとすれば、これからの長丁場での展開は、頼もしいばかりである。
 
監督の指示待ちではなく自ら考え、それをチームとして共有し同じ戦術を選手たちが理解してのチームプレーであれば、試合を重ね長い時間を共に戦う中で、経験値を高める事が出来であろうし、その分成長が期待できるからである。
 
東京オリンピックの時の失敗を繰り返さないで、得た教訓が生かされているからである。
 
上田綺世の2得点や伊東純也の快速ドリブル後のゴールは、主として個人技での得点であったが、各攻撃人の特徴や個性をお互いが知っていて、理解していたからこその、アシストでありロングフィードであっただろう、と私は理解している。
 
 
 
           
 
 
今回の様な勝ちパターンを用いれば、背の高いDF陣でブロックを作り、ゴール前を固めてくる事が想定される、スウェーデン陣を崩すのはそう難しく無いだろうと、期待を込めて推測している。
 
金曜日の戦いが愉しみである。
 
 
また、こういう事だから久保健英君の戦列復帰は、トーナメントリーグからの合流で大丈夫だから、それまでに休養とリハビリを続けて、完治してから復帰して、それから活躍してくれたら、それで良いのである。まだ1ヶ月近くはW杯は続くのだから・・。
 
鎌田選手もゴール後パフォーマンスで、君に電話するって言ってたから、判ってるだろうと思うけどね・・。
 
 
           
 
 
 
 
 
 
 
 
 

          オランダ 戦 (6月15日)

 
 
今朝は4時過ぎから、サッカーW杯『北中米大会:オランダ戦』を観るために起きていた。
 
早朝4時過ぎとはいえ、北海道十勝は既に空は白み始めており、小鳥たちのサエズリはすでに始まっており、窓の外ではキタキツネが我が物顔に、朝食のエサを探し回っていた。
自分の縄張りを確認する様に、毎日徘徊するのである。
 
 
昨夜の残りの、チャーハンと野菜とイカ&こんにゃく類の煮物を食べながら、AM5時からの日本代表vsオランダ戦を観ていた。
 
森保監督が公言している「優勝を目指す」という意気込みはさて置き、 強豪オランダとどの様な戦いを繰り広げるかは、見モノであった。
 
取り分け近年の日本選手たちの海外トップリーグでの活躍は、著しいものがあり、スターティングメンバ―全員が海外の強豪チームでレギュラー級でプレイしているから、強豪オランダに対しても遜色ない試合展開が行われる事を期待していた。
 
 
 
          
 
 
中でも上田綺世などは昨季のオランダリーグの得点王にもなっており、オランダチームにとっても要警戒選手だったであろう。
実際オランダのDF陣は、上田選手をかなり警戒し、彼をあまり自由にはさせていなかった。
 
 
試合の展開は結構見応えがあり、緊張感の張りつめた好い攻防で、どちらかが一方的に優位な試合という事もなく、愉しむことが出来た。
 
日本代表の試合運びは、相手の攻撃陣のボール奪取を二人の日本選手が重なってしまう、といったプレーが二度ほど観られた以外は、順調で安心して観ている事が出来た。
ストレスの少ない試合内容であった。
 
日本代表も成長したものである、などと観戦しながら一人悦に入っていた。
 
 
それと解説の本田圭佑氏も面白かった、早朝に独りでTVを観ていたのであったが、彼と一緒に観戦している気分であった。
 
テレ朝の専属解説者、松木安太郎氏に似た好感の持てる解説振りであった。
NHKも変わったモノだと思いながら、最後まで二時間近く飽きずに観戦できた。そのせいかこの二時間は決して長く感じることは無かった。
 
結果はニュース等でご存知の通り「2-2」のドローであり、勝ち点1を分け合った。
ハイレベルの好い試合であった。
 
 
 
           
 
 
 
こんな中身の濃い試合内容なら、今後も愉しみである。
 
途中、久保建英が負傷交代したが、骨折とかの長期離脱に成らなければ、残りのグループリーグはベンチスタートやリハビリを兼ねて、休養したらよいのである。
 
彼の力が必要に成るのは「グループリーグ」よりも、その先の「トーナメント戦」だろうと、私は想ってる。
 
現在の日本チームの層の厚さは、久保君が居なくてもグループリーグでは、十分やっていけるであろう。
そのくらいのレベルに達しているのである。現在の日本代表チームは・・。
 
 
 
           
 
 
今回の試合展開やメンバーへの私の評価は、80点ぐらいと高評価であるが、だからと言って「優勝を狙えるチーム」だとは想ってはいない。
 
相変わらず「チームとしての約束事」が少ないからであり、前述した「ボール奪取時の不手際」や、「攻撃時の個人プレー頼み」は克服できてない、からである。
 
今大会では「トーナメントリーグ」を勝ち抜いて、BEST8に到達する事を期待している。
現時点の日本代表の立ち位置は、そんなものだろうと想っているからである。
 
試合の解説は松木安太郎氏や本田圭佑氏であれば、愉しい時間を共有できそうである。
 
 
 
    
 
 
 
      次戦は6月21日(日曜日)のチュニジァ戦である。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 



〒089-2100
北海道十勝 , 大樹町


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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