春丘牛歩の世界
 
2026年の今年は、日本初の女性総理の個人的な思惑で、新年早々から衆議院選挙の実施が宣言されて、始まった。
 
昨年10月の終わりごろに、日本維新の会という関西基盤の地域政党と連立内閣を発足させた高市内閣が、女性総理の登場に変化を求め期待する、若者や女性層の支持率が高い間に、絶対多数の議席を確保したい、との思惑で始めたのが今回の総選挙である。
 
 
空気頼み、風頼みでの思惑で行われた選挙の結果が、どうなったのかは2月8日に成らないとわからない。
 
 
 
                         
 
 
 
と、ここまでは先月末時点でのコメントであったが、その結果は、ご存知の通り高市内閣支持の地滑り的勝利に終わった。
 
事前の世論調査でも60%台後半~70%台の高い支持率であったが、その通りの結果となった。
 
ここ数年、従来型の「世論調査」と実際の「投票結果」との間に少なからぬギャップがあった事から、実際の投票結果がどう出るか、マーケティング出身者の私自身注視していた。
 
 
有権者のすべての年代において70%前後の支持率を得ていたから、いわゆる”高市ブーム”が起きた事は間違いない様である。男女比においても同様の結果であった。
 
そしてそのブームを起こした要因が、総選挙実施表明時の
”新しい首相に相応しいのは私か、野党の野田氏/斎藤氏か  ”
という情動的な選択アピールであり、
 
30秒程度のSNSによる動画(YouTube)配信、というメディア対策であった。
 
 
この戦術は、2・3年前から行われている「SNS発信型選挙」の継続であり、現在の20代・30代の若者世代が良く使う「SNS=マイクロメディア活用」の戦術である。
 
スマホの登場以来SNSが爆発的に浸透しており、その登場以前と以後では、世間の情報伝達の方法が大きく替わってしまった。
 
”速い!””瞬間!””情動的!””短語アピール””珍奇さ ”
”閲覧者数稼ぎ ”
 
がコミュニケーションの主流となった。
 
 
そこでは、当然の事の様に「知性」「理性」「思考」「論理的」といった、人類が21世紀までの間に積み上げ、培ってきた、客観的/俯瞰的な判断基準が後回しにされ、ないがしろにされることに成る。
 
いかに”情念 ”に訴え、”話題 ”となって、”強い印象” を残し、沢山の”閲覧者を獲得 ”するか、に主眼を置くことが制作時には優先順位が上がり、SNSは造られ発信される。
 
 
そしてその結果起きることは、投稿者=制作者の懐には閲覧者一人当たりに付き、0.1円の報酬が入り、動画配信を請け負った広告代理店には、制作依頼や製作費収入が入るのだ。 
 
結果この様な広告に踊らされる有権者の投票行動によって、当選者が決まり、それを仕掛けた選挙プランナーが高い評価を得て、多くの報酬を得て、次の仕事への依頼が約束される事に成る。
 
現在の社会ではSNSが主要なコミュニケーションツールとなってる以上、この手法はしばらくは続くものと想われる。
 
 
この手法を用い始めたのはアメリカのトランプ陣営あたりであり、都知事選挙では石丸陣営が積極運用し、前回の衆院選挙では国民民主党であり、参院選では参政党であった。
 
それらの成功事例を参考にして、この手法を高市自民党が積極的に取り入れた、のである。
 
 
しかしながら、これらの手法は長く続くことはない。
今回の短期選挙期間には有効ではあっても、継続的に長続きする事がないのは、これまでの諸選挙後の推移から明らかである。 
その幻想を抱き続けた陣営は敗北している。
 
かつて都議選で結果を出した石丸新党は、その後の衆議院選で惨敗している。
今回での国民民主党や参政党の、停滞や低調という投票結果を見ても、明らかであろう。
 
一定数の支持は得ていても、多くの人を継続的に長く引き留めることは出来ない。熱気や流行は長くは続かないのだ。
 
なぜならSNSは、”瞬間的 ””刹那的 ””情動的 ”メディアだからである。
 
SNSに”持続性 ”や”継続性 ”は期待できないのだ。
SNSは、その特性から実に非SDGS的なメディアなのである。
 
 
 
                     
 
 
 
今回の選挙結果に喜んだ政党や支持層はもちろんのこと、大敗した政党も支持層もその点については、冷静な判断をしないといけない。
さもないと今後の展望は見えてこないであろう。
 
 
情報伝達のメディアは、所詮メディア(媒体)に過ぎないのだ。
メディアは使うものであって、使われるものではない。
 
求められるのは、そのコンテンツ(中身)=政策&実行力の有する価値である。
メディアは対象とするユーザーに合った手法を用いればよいのだ。
 
 
ただ今回の一連の動向で学習したのは
 
     マスメディア  <  マイクロメディア(SNS)  
表紙が古いままの老舗政党 <  表紙を新しくした老舗政党
 
といった事であろうか。
 
 
かつて松尾芭蕉は「不易流行」の大切さを、弟子たちに語っている。世間の評価、評判を得て維持=存続するためには
 
「不易=変わらない」だけでは飽きられ、見向きされなくなる
「流行=新奇なモノ/はやり」だけでは遅からず飽きられ、長続きしない。
 
「不易」をベースにしつつ、「流行」を取り入れる事で世間からは支持もされるし、評価を得る事が出来ると言ってるのだ。
 
「不易」一辺倒でもなく「流行」一辺倒だけでもない。
「不易+流行」こそが、世間の支持を得て継続的に存続出来るのだ、と芭蕉は言ってるのである。
      *このテーマに関心ある方は当該HP内の『生きている言葉』の  
       「不易と流行」欄の閲覧をお勧めする。(2019.07.03)
 
 
日本の政治に関わるリーダー達にもこの言葉は「染み入る」のではないか、決して「ササル」のではなく。
 
今後も日本国民の支持を得続けて、生き残り影響力を発揮するためには、従来の「基層」の上に
 
今日的な課題に対する対処計画(=政策)やコンテンツを創り、練り上げた上で、ターゲットに応じた的確なメディアを精査/選択し、発信し続ける事で、
 
自らをupdate(=上塗り)し続け、進化・深化を遂げ、存続することが可能になる。
 
それこそが、政治の”SDGS化”に繋がるのではないか、と私は考えている。
 
 
 
        
 
 
 
 
 
 
 
                 お知らせ
 
*2月6日:『甲斐源氏の祖、源義光』に新しく「近江之國編」を追加し、公開しました。
 
*2月3日:本日『コラム2026』を公開しました。
 
 
 
    ♠     ♠     ♠     ♠
 
 
 

  南十勝   聴囀楼 住人

  
          
 
                            
      
          
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                                
  

 
   
      

  
 
2019/5/18

DNAの問題

 
先日TVで「人体の有する不思議な能力」について、山中伸弥氏とタモリとが進行役で解説していた。いずれもDNAに関するテーマで、先週との二週連続の番組であった。
 
先週のテーマは主として「突然変異」について取り上げていた。2万個近くあるDNAの内70個くらいのDNAは、両親から受け継ぐDNAとは関係のない、「突然変異」が生まれるのだという。これはすべての人類に共通する事らしい。
 
 
その人の有する70個の突然変異のDNAが何であるかは、DNAの解析や分析をしないことには判らないらしいのだが、この突然変異があるから多くの生物は厳しい環境の変化にも適応し生き続けることが出来たのだという。
というか厳しい環境の変化に適応できる突然変異のDNAを持っていた個体が、生きながらえ繁殖してきた、と云う事らしい。
 
中世や近世にあったペストやコレラの大流行であっても、それらへの抗体を有する人々が生き残った、といった事にも触れながら話していた。突然変異のDNAとも何か関係があるらしいのだ。
 
と云う事は、全く同じような遺伝子しか持たない個体は、このような変化に襲われた時にはそろって討ち死にしてしまい、存続し続けることが出来ないと云う事をも意味する。
 
従って、単純単色の生命体よりも多種多様な種類の生命体であることの方が、その種族が存続し続けるためには、重要な条件であると云う事になる。
この事は企業や共同体にも同じことが言えるのかもしれない。
 
目まぐるしく変化する環境に適用するためには、単純単色な企業や共同体よりも多種多様な要素を持った企業や共同体が、存続し続けることが出来るからである。
体内や組織の中に異種や異物を内包している事のもつ大切さを知らされ、気づかされるのである。
と同時に、両親から受け継ぐ能力や才能とは異なる能力や才能を、「DNAの突然変異」として人は持っているものなのだといった事を知り、改めて自分の身の回りを振り返って、大いに納得・得心したものである。
 
 
 
                 
 
 
次に先日の同じ番組では、「DNAが持っている潜在能力」について取り上げていた。
番組では「がんを治癒する能力」や「老化を防ぐ能力」「記憶力を高める能力」といった能力をクローズアップして説明していたが、人類や他の生物を含め多くの生命体はそのDNAの中に潜在的に「病」や「老化」を自ら治癒する能力を有している、というのだ。
 
一卵性双生児の例でそのことを証明していたのであるが、「がんに対しても治癒する能力」や「老化を遅らせる能力」を潜在的に同じように持っていても、その能力を開花させるスイッチがONに成っているか、OFFに成っているかの違いで能力の作用が変わってくると云う事らしい。
その時取り上げられた一卵性双生児の場合では、片方が乳がんに成りもう片方は罹病していなかった。所有するDNAは同じでも「がんに対して治癒する能力」のスイッチが、ONに成っているかOFFになっているかの違いなのだ、と云う事らしい。
 
従って「病を治癒出来るか否か」「潜在能力を開花できるかどうか」は、本来誰もが持っている潜在能力の、そのスイッチをONにさせればよいのだ、と云う事らしい。
番組では「若死に」を防ぐために「精子トレーニング」に取り組んでいるフィンランドだかの例を取り上げていたのであるが、要はスイッチをONさせるための努力や訓練をすることが大切だ、と云う事らしいのだ。
 
 
どうやら体を鍛えたり心を鍛えることで、OFFのままのスイッチをONにさせることが出来ると云う事らしい。
と云う事は学習や鍛錬、修練・修行によってスイッチをONに替えることで、人は潜在能力を開花させ得る、と云う事らしいのだ。
 
DNAの問題を知る以前から我々は、学習したり修練することの大切さを教育によって、ずっと言われ続けてきたのあるが、それがDNAのスイッチをONにするという「生物科学的」な知見への到達によって、改めて追認されたわけである。
 
 
 
ここまで理解が進んだ時に、修験者や修行僧の事が私の頭に浮かんできた。
 
千日回峰を生涯に二度成し遂げた「酒井雄哉」という大阿闍梨に成った修行者は、修行時には十数km離れた先の音を感知する能力を取得した、といった様なことをかつてTV番組で言っていたことを思い出した。
してみれば彼のその能力は、千日回峰という修行をする事によって、その動物的な察知能力にスイッチが入ったのかもしれないのだ。 
 
 
因みに現在私が関心を抱いている「秋葉三尺坊」という鎌倉時代の大修験者も、千日回峰などの修行を積んで阿闍梨に成ったらしいのだが、彼らの行っていた修業はまさにそのDNAのスイッチを押すための修行であったのかしら、などと想像が広がった。
 
してみると古来より行われている諸々の「修行や鍛錬」という行為は、あるいは本人自身が生まれながら持っている、DNAのスイッチをONにするための行為なのかもしれない、などと更に想像力を膨らませた。
 
 
 
               
 
 
 
「修行や鍛錬」という行為をこのように理解すると、それらの行為は自らの体内(DNA)に眠っている潜在的な才能や可能性を開花させるための、スイッチをONにしようとする作業であるのかもしれない、と思うことも出来るのだ。
 
 
山を千日間歩き続けるかどうかは別にして、自らのDNAのスイッチをONにするための努力や修行は、ひょっとしたら効果があるのかもしれないぞ、などとTVを観ながら思いが至った。
と同時に、生まれながら持っている可能性や能力を開花させるための、後天的な努力や修行といった行為が、いかに大切なものであるかが、ちょっとだけわかったような気がしたのである。
 
 私たち自身には、まだまだ眠っている才能や能力が沢山あることに気づかされた「DNAの問題」であり、修練や鍛錬を行うことの大切さに改めて気付かされた良い番組であった。
 
 
 
 
              
 
 
 
 
 
 
最新記事
月別アーカイブ



〒089-2100
北海道十勝 , 大樹町


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
]