2019/10/31
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「モミジ」という樹木 |
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今、我が家の庭のモミジが色づいてとてもきれいに感じられ、目の保養と成っている。 「モミジ」は別名「楓=かえで」とも呼ばれているが、その「かえで」の言葉の由来は「かえる手=蛙手」であるという。モミジの葉っぱが、カエルの手に似ている事からそのようにつけられた、と云う事らしい。 実際のところ「モミジ」の葉っぱをよく見ると「カエルの手」によく似ている事に気が付く。古代人たちの自然観察力の確かさに、つくずく驚かされるのである。 我が家の庭の「もみじの樹」を観ていて、ここ一週間ほどの変化の速さに驚ろいている。最低気温がゼロ度以下に成るまでは青々としていた「かえで」であるが、最低気温がマイナスに成り始めると、日を追うごとに「黄色」や「赤色」が緑色の葉っぱの間から、見え始める。 その葉っぱの変化は一斉にというわけではなく、同じ樹であっても枝ごとに「黄色」に成ったり「赤色」であったりもするし、同じ枝であっても「緑色」がまだ残ってたりもする。そしてその色のコントラストが実に美しいのである。 ![]() ところがその配色の妙というか、グラデーションも長くは続かないのである。 昨日は「緑色」であった処が翌日は「黄色」に成って居たり、また「赤色」であった葉が「茶色」くなったりするのだ。 そしてやや強めの北風などが吹いたりすると、それらの葉っぱは容赦なく樹木からスリ落ち、樹木の足元に散って落ち葉に成ってしまうのである。 その落ち葉も「茶色一色」というわけではなく「黄色」や「赤色」の葉が混在しているのである。その配色は音を立てて吹き荒れる、北風のおかげなのかもしれない。 更にはモミジの樹の周辺に常緑樹の松の樹が並んでいたり、芝生が生えていたりすると、その色のコントラストが一層引き立ち、より美しく感じられるのである。 私はこのような庭を造って、残してくれた我が家の先住者の方の美意識に、今更ながら感謝しつつ、変わりゆくモミジの演じる変化(へんげ)をここのところ毎日愉しんでいる。 寒冷地であるここ北海道十勝では、「春の桜」の美しさやはかなさを、なかなか味わうことは出来ないのであるが、その代わりに「晩秋のモミジ」で同様の感覚を味わう事は出来る。 一週間ほどの短い期間限定のことではあるが・・。その時間の短さもまた、桜に似ているのである。 これもまた寒冷地に棲むことの「不自由の中の愉しみ」と言ったところであろうか・・。 ![]() 五月ごろのモミジの赤ちゃん |
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