春丘牛歩の世界
 
            W杯 スウェーデン戦
 
 
昨日のスウェーデン戦は試合開始がAM8時という事で、TV観戦としては見易い時間帯であって、朝食後の時間には打ってつけの内容であった。
試合の解説は本田圭佑氏であった。
 
試合前の森保監督の公式声明では、この試合に勝って「グループF を一位通過する!」ために戦う、と意気込んでいた。
 
しかしながらその公式声明は文字通りではなかった、様である。
もちろん”上手くいけば 、そうありたい ”というのが正直な思いだったのかもしれない。
 
 
私がそんな風に想うようになったのはスタメンのメンツを知ったからである。
先発陣に「冨安」「佐野海舟」等の名前が無く、「菅原」「瀬古」等が先発メンバーに入っていたのである。
 
”W杯で優勝を目指す ”と常々公言していた以上は、1ヶ月以上8試合は闘わなければならない。
長丁場の戦いであり、それだけの選手層の厚さが求められるのは、当たり前の事なのだ。
 
従って「ターンオーバー制」が導入されるのは当然の事であり、自然な備えでもある。
 
その観点から言えば、守備の要である「冨安」の不在や、ボランチの中心メンバ―の一人「佐野海舟」の温存は、グループリーグ突破後のトーナメント戦を見据えた対策だろうと推測でき得る。
 
と同時にサブメンバーに経験を積ませ、彼らの出場機会を増やし大会の中で育成していく、という考えに立てば理にかなったスタメン構成であった。
全8試合を戦うための中期的視野に立った采配であり、施策であるからだ。
 
 
            
 
 
 
その観点から言えば「上田綺世」や「鎌田」「堂安」についても同様の対応があっても良かったのだが、そうしなかったのは彼らはこの試合に不可欠な存在、と判断したのだろうと想われる。
 
いずれにせよこの「ターンオーバー」を使ったスタメンは、かつての森保Japanには無い采配で、注目すべき点であった。
 
 
この視点は彼が監督に成ってからこれまでの8年間には、無かった対応であり、その故に私は彼をW杯やオリンピック、アジア大会等の長丁場を戦う指揮官としては不適格である。とずっと感じていたのであるが、今回の対応には彼の成長の後が見られる。
 
これは今回のW杯を戦う代表チームの首脳陣の入れ替えが、影響してるのかもしれない。
 
それがJFA会長の交替に関係してるのか、コーチ陣の入れ替えにあるのかは、現時点では判らない。だがいずれW杯が終わった頃には、明らかになるかもしれない。
 
 
試合の展開はご存知の通り1-1のドローで、日本は2位通過で次戦はブラジルと闘う事に成った。
スウェーデンは3位通過がほぼ確定し、両チームにとって許容される結果となった。
 
冨安不在のDF陣もそれなりに機能し、「チームの約束事」もオランダ戦よりは改善されていた。
失点は最小の1点に留め、スウェーデンの2人の強力FWにはあまり多くの仕事をさせなかった。
                 
 
 
          
 
 
 
攻撃陣はチャンスを上手く使って、最終的には堂安→前田大の連携プレーによって、きれいに得点した。攻撃陣もそれなりに機能していたのであった。
結果オーライなのである。
 
それからの、「上田綺世」と「堂安」の交替であった。
これは次戦のための早めの交替による温存であり、「小川」「伊東純也」等への経験の積み重ね、を意図したものだと想われる。
 
交替した二人の攻撃陣は、試合の流れを変えるジョーカーに成り得る存在なので、次のブラジル戦以降のトーナメント戦を闘うためにも、必要な対応だったのだろう。
 
という事で、勝ち点1をこの試合でゲット出来たことは日本代表にとっては、喜ばしい事であった。
 
 
それにつけても北中米選出の審判団のレベルの低さはひどく、ストレスが溜まってしまった。
 
このクオリティは世界水準ではなく、北中米水準では通用するのかもしれないが、ノックアウト方式のトーナメント戦でこの審判団には、レフリングを任せることは出来ない。
 
さもなければ試合後に暴動が起きるに違いないから、である。
W杯の戦いは国と国とのプライドと意地を掛けた、崇高な闘いだからである。
 
FIFA内部の人間関係や権力バランスとは違う基準で、審判団は選ばれるべきだからだ。
 
そうでなくてもFIFAは黒いうわさが絶えない組織なのだから、世界のまともなサッカーファンから、高評価とリスペクトを得るためにも、そうでなくてはならない・・。
 
 
 
              
 
 
 
いずれにせよ30日のAM2時は、もうすぐそこなのである。
その際に必要なのは、ブラジルに対してリスペクトは必要だが、怖れることはない。
 
去年10月の親善試合で前半の0-2から、後半で巻き返し得たのは、上田綺世を始めとした攻撃陣や鈴木淳之介たちのDF陣が、ブラジルを怖れずに闘ったからである。
その結果、3-2の逆転劇を成し遂げる事が出来得た・・。
 
スウェーデン戦の解説者の本田圭佑氏は、盛んにブラジルを避けたがっていたけども、その様なスピリッツやスタンスではロシア大会のベルギー戦の二の舞を踏むであろう。
 
 
あの時の敗因は攻撃陣や当時の西野監督の、ベルーギーへの尊敬と”怖れ ”が原因だったに違いない、と私は今でも思っている。あの時の西野監督の采配が、それを感じさせた。
リスペクトは大切だが、怖れは必要なかったのだ。
 
優勝を公言する森保監督には、そのような”怖れ ”はないものと想定するが、攻撃の要の上田綺世選手達も、昨年のブラジル戦後半の様に闘えば、勝機は見い出せるに違いないと私は想ってる。
 
闘いにおいては常に”敵は相手にあるだけではなく、自分自身の中にもある ”のだから・・。
 
6月30日深夜のブラジル戦での検討を期待する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
         
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                 お知らせ
 
 
*6月2日:『近江之國編』「六角征伐」と足利幕府衰退」を公開しました。同編はこれにて終了しました。
 
 『甲斐源氏の祖、源義光』は以上で、完結しました。
 
 *6月16日:『サッカーW杯』の「2026年北中米大会」を開設し、北中米大会における「日本代表戦」についてのコラムを記載することにしました。
28日第三弾として「06月26日:スウェーデン戦」を公開しました。
 
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                      牛歩
 
 

  南十勝   聴囀楼 住人

       
          
     
 
                            
      
          
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                                
  

 
   
      

  
 
2019/10/31

「モミジ」という樹木

 
今、我が家の庭のモミジが色づいてとてもきれいに感じられ、目の保養と成っている。
「モミジ」は別名「楓=かえで」とも呼ばれているが、その「かえで」の言葉の由来は「かえる手=蛙手」であるという。モミジの葉っぱが、カエルの手に似ている事からそのようにつけられた、と云う事らしい。
実際のところ「モミジ」の葉っぱをよく見ると「カエルの手」によく似ている事に気が付く。古代人たちの自然観察力の確かさに、つくずく驚かされるのである。
 
 
我が家の庭の「もみじの樹」を観ていて、ここ一週間ほどの変化の速さに驚ろいている。最低気温がゼロ度以下に成るまでは青々としていた「かえで」であるが、最低気温がマイナスに成り始めると、日を追うごとに「黄色」や「赤色」が緑色の葉っぱの間から、見え始める。
 
その葉っぱの変化は一斉にというわけではなく、同じ樹であっても枝ごとに「黄色」に成ったり「赤色」であったりもするし、同じ枝であっても「緑色」がまだ残ってたりもする。そしてその色のコントラストが実に美しいのである。
 
 
 
                  
 
 
 
ところがその配色の妙というか、グラデーションも長くは続かないのである。
昨日は「緑色」であった処が翌日は「黄色」に成って居たり、また「赤色」であった葉が「茶色」くなったりするのだ。
そしてやや強めの北風などが吹いたりすると、それらの葉っぱは容赦なく樹木からスリ落ち、樹木の足元に散って落ち葉に成ってしまうのである。
 
その落ち葉も「茶色一色」というわけではなく「黄色」や「赤色」の葉が混在しているのである。その配色は音を立てて吹き荒れる、北風のおかげなのかもしれない。
 
更にはモミジの樹の周辺に常緑樹の松の樹が並んでいたり、芝生が生えていたりすると、その色のコントラストが一層引き立ち、より美しく感じられるのである。
 
私はこのような庭を造って、残してくれた我が家の先住者の方の美意識に、今更ながら感謝しつつ、変わりゆくモミジの演じる変化(へんげ)をここのところ毎日愉しんでいる。
 
寒冷地であるここ北海道十勝では、「春の桜」の美しさやはかなさを、なかなか味わうことは出来ないのであるが、その代わりに「晩秋のモミジ」で同様の感覚を味わう事は出来る。
一週間ほどの短い期間限定のことではあるが・・。その時間の短さもまた、桜に似ているのである。
 
これもまた寒冷地に棲むことの「不自由の中の愉しみ」と言ったところであろうか・・。
 
 
 
 
 
                
                                五月ごろのモミジの赤ちゃん
 
 
 
 
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北海道十勝 , 大樹町


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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