春丘牛歩の世界
 
        「TACO」と「MAGA」人
 
この耳慣れない二つの単語は、いずれもここ二・三年の間にアメリカやジャーナリストたちの間で使われるようになった、新しい政治・経済用語である。
 
「MAGA」は現アメリカ大統領のドナルドトランプが、二年前の大統領選挙時に自らのスローガンとして好んで喧伝した
 
 
        Make
        America    「再びアメリカを偉大にする!」
        Great
        Again
 
 
の略語で、このスローガンのもとに参集して来た「トランプ支持派」で、所謂「岩盤支持層」といわれ、何があってもトランプ氏がする事に「揺ぎ無い支持」を与える、支持層を指す。
 
「アメリカ第一主義」を唱える保守的な共和党支持者で、同時に17世紀ごろに誕生した「聖書第一主義」を頑なに守っている、即ち宗教保守主義者であり、現在有権者の30%前後存在しているといわれている。
 
 
属性としてはUSAの中部や南部に生活している、ブルーカラーや農業従事者といった「非高学歴者」や、裕福な年金生活者等が多い、とされている。 
 
従ってここでは
       「MAGA」人 = ドナルドトランプ氏と
                「MAGA政策」を支持する人 
 
を指して言ってるのである。
 
 
 
 
        
 
 
 
 
次に「TACO」であるが、こちらは去年イギリスの著名な経済紙『フィナンシャル・タイムズ』の看板コラムニストが、トランプ氏の政治・経済スタンスを指して言い始め、普及したジャーナリズム造語である。
 
その造語は
        Trump
        Always   = トランプはいつも
        Chickens   (最後は鶏の様に)逃げ回る
        Out
 
 
の略語で、二回目の大統領に就任した昨年の4月に世界に宣言した「トランプ関税」と、その後の「ドタバタ対応」を皮肉って名付けられた造語である。
 
それが、アメリカのウォール街=金融街に生息する金融関係者の間に浸透し、すっかり定着した新しい造語であり、皮肉を込めた「政治・経済用語」となっている。
 
 
欧米人にとって「チキンout」は、「チキンレース」等の度胸試し的な勝負の際に、初めは勇ましい事を言ってたくせに、いざガチンコで衝突する間際になると、臆病になって鶏が駆け回るようにして、逃げ去ってしまう「情けない人物」を指している。
 
従って「チキンout」は「臆病者」を指す、侮蔑的なレッテル貼りでもあるのだ。
 
私はこの言葉を聞いて若い頃観た映画『アメリカングラフティ』の、チキンレースの場面を思い出した。
 
 
 
因みにこの造語を、大言壮語が大好きな米大統領は嫌っており、ジャーナリストたちがこの言葉を使って質問すると、怒って横を向いてしまい、応えないのだという。
 
よほどこの造語が彼の心に、「ササって」るんだろう・・。
 
 
そんな彼の政権下でつい先週も、このTACOを想定されるようなエピソードがあった。
 
昨年4月にトランプ政権が世界中に宣言した、「相互関税訴訟」に対する、連邦最高裁の「違憲」判決が出た後の、彼らの対応である。
 
 
判決ではトランプ大統領による「相互関税」は、「大統領権限を逸脱」しており、「憲法違反」であるとの判決が下されたのだ。
 
トランプ氏はその日のうちに、「通商法122条」を新解釈して「全世界からアメリカに輸入される」すべての商品に「10%の課税を課す」と宣言したのだ。
 
ところがその翌日には、「15%」に税率を上げると修正した。
 
 
判決が出されたその日のうちに、「通商法122条」を引っ張り出したのは、事前に政権内でも代案を協議されていたであろうから、最高裁の判決後「プランB」として早速表明したわけである。
 
ではあるが「何%にするか」はその時点では決まってはおらず、彼は違憲判決への怒りと、腹いせにまかせて
 
SNSで、「10%の課税」と言ってしまい
 
その後の、取り巻きのYesマンたちからのアドバイスで、
「15%の課税」にと修正したのだ、と推察される。
 
 
 
 
        
 
 
 
 
この様なドタバタ政治・経済劇をわが国や漢字文化圏では
 
「朝令暮改」
 
と言い、
「事前に十分練り上げられてこなかった」「腰の定まらない」権力者や政府によって、
「思いつき」的に「発表」「発令」される「法律や政令」の事を、侮蔑を込めて言うことが多い。
 
 
さて、そのようなTACO米大統領を尊敬して止まないわが国の女性首相は、先週の「所信表明演説」で
 
「経済成長を推進するボタン」を
 
   「押して、押して、押して、押して、押しまくる!」
 
と数百人の国会議員たちを前にし、NHK等のマスコミのカメラに向かって叫んでいた。
 
 
この女性首相はよっぽど、同じ単語を5回繰り返して叫ぶことが好きなようで、以前は
 
   「働いて、働いて、働いて、働いて、働きまくる!」
 
と、叫んでいた。
 
 
そして、2026年度の予算審議をいよいよ始める、といった段になって「働いて☓5乗」の代わりに衆議院を解散して、総選挙に打って出たのであった。
 
その女性首相がこれからどの様な政策を語り、どの様な法律を作っていくのか、私は期待と興味を持って待っているところである。
 
 
3ケ月後の「2026年度予算案」や、半年か1年後に出されるかもしれない「国論を二分する法案」の審議や、採決がどの様に出され、それに対する日本国民の反応や、世界の金融市場関係者がどのように反応して来るのかを、注視して行く予定である。
 
その結果日本初の「絶叫型」の女性首相に対して、どんなニックネームがジャーナリストやコラムニスト達によって付けられるのかについても、大いに興味があるのだ
 
 
 
         Takaichi
                       00000
                       00000
                       Sanae
 
 
 
      
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                 お知らせ
 
*2月6日:『甲斐源氏の祖、源義光』に新しく「近江之國編」を追加し、公開しました。
 
*2月3日:本日『コラム2026』を公開しました。
 
 
 
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  南十勝   聴囀楼 住人

  
         
 
                            
      
          
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                                
  

 
   
      

  
 
2019/12/12

ジョン・レノン、という人生

 
JRさいたま新都心駅近くの「さいたまスーパーアリーナ」の脇に、かつて「ジョン・レノンミュージアム」という博物館が在った。
その名の通り、ミュージシャンのジョンレノンの人生を辿った博物館は、とても質の高い博物館で、大いに感動した思い出があった。
 
その博物館も今から10年近く前に閉館してしまった。
来館者が少なくミュージアムの経営が成り立たなくなった、からだという。このミュージアムはバブル崩壊後に「さいたまスーパーアリーナ」の建設を請け負ったゼネコンが建設し、経営及び管理運営をしていたようで、行政との間に何らかのやり取りがあったのかもしれない。
 
そのような経緯はさておいて、この博物館は「ジョン・レノン」という一人の人間を識るのには実に好く出来たミュージアムで、これまで60有余年生きてきて私はこの博物館程感銘を覚えたことはなかった。
 
博物館を観終わった後に、普段はめったにないことだが、幾つかのミュージアムグッズを買い求め、事務所に戻ってからそこで買ってきたワインを呑み1本空けてしまった記憶がある。
 
そしてその時の感動を、一編の長歌と反歌というか短歌とにして書き綴った記憶がある。
このような行為は、私にとっては殆ど無いことである。たとえお酒が入っていたからだ、としてもである。
 
残念なことにその時の和歌は手元に残ってないのであるが、いずれにしてもその時の感動は私にはワインを1本丸ごと呑ませ、幾つかの和歌を詠まずにはいられなかったのであった。
 
その時私が一体何にそんなに感動したかというと、一言で言うならジョン・レノンと云う一人の人間の生きざまというか、辿って来た人生遍歴についてであった。
 
人生遍歴といったところで、彼は40歳でアメリカの銃社会の犠牲になったから、長いか短いかと云えば短いのであろう。
しかしその40年の人生は実に濃密であったのではないかと、私は感じた。
 
 
 
              
 
 
即ち10代の後半にロックミュージシャンに成り、20前後には彼の造ったロックバンド「ビートルズ」はイギリスやヨーロッパ、更にはアメリカを始めとしたいわゆる先進国ではメジャーな存在に成っていた。世界的なアイドルに成ったのである。
 
更にその音楽の質の高さはやがて彼らを単なるアイドルであることから、社会的な影響力の高いロックグループにと押し上げて行った。
ビートルズの存在は10代や20代のヤング層に留まらず、その客層を次第に上げて行き、ヤングアダルト層更には中年層まで巻き込んでいった。
 
それは彼らの創った音楽が次第に精神性を帯びて行った事や、社会性を含んでいった事によるのだと思う。要するにロックミュージックという媒体を通して、社会や人生を語り始めたのであった。
しかしそれは「ビートルズ時代」の事であり、やがてビートルズが解散するに及び、もう一段彼は脱皮する事に成った。彼が30歳前後の事であった。
 
 
そのきっかけを作ったのは「ヨーコ・オノ」という日本女性だったようだが、彼自身は10代後半の「アートスクール」に通っていた時代から、学友の影響で東洋的な価値観や哲学、禅といったものに関心を持ち始めたようであった。
その素地があってビートルズ時代のインド的な宗教観と云う遍歴を経て,ヨーコ・ オノという日本出身のアーチストによって着火された、と云う事のようだ。
 
いずれにしてもそのようなプロセスを経た彼は「イマジン」に代表されるような社会性の高い音楽を創造し、発信するように成った。独りの社会性を帯びたミュージシャンに成って行ったのである。
 
30代の半ばごろには過激な社会活動を支援したり、麻薬などに手を染めたりといった紆余曲折もあったようだ。必ずしも真っ直ぐな道を歩き続けたわけではないのであった。
そしてそこでの挫折や回り道は同時に彼自身の人間的な成長や、深みに繋がって行ったように私には思えた。新たな人間的な成長のための「サナギ」期間だったのであろうか・・。
 
このサナギの期間を経て彼は社会活動家から、哲学を追求するように成ったようである。即ち生きることの意味を考え、追及するように成ったようである。40前後の事である。
このころの彼の発言や音楽がそのことを感じさせてくれた。
 
 
そして「これから」と云う時に自称「ジョン・レノンのファン」と称する男によって射殺されたのであった。1980年12月8日の事であった。
 
とても残念な事であった。私は彼があの時点で死ぬことが無かったらあれからどのように成長を続け、世界にメッセージを発信し続けただろうかと、そう思わずにはいられなかった。
彼の存在自体がブランドであったから、世界の人々に対しての発信力や影響力は計り知れなかったであろうと思う。
 
そして彼にはそれを可能にする知性と洞察力、表現力があったからである。
ある意味人類にとっての喪失であったのではないか、とさえ私は感じたのである。
 
 
私は「ジョン・レノン ミュージアム」の最上階に到達して、そこに天井からぶら下がっていたタペストリー様の「ジョンレノン語録」を読みながらつくづくそう想ったのであった。
 
あと10年彼が生きていたら、いったいどんなメッセージを私達人類に送り続けたであろうか。20年後であれば‥。30年後であれば・・。といった様に想い続けたのであった。
 
ジョン・レノンという人生は、そう言った問い掛けを私自身に投げかけて来たし、多分あのミュージアムを訪れた多くの人達にも、同様の感情を抱かせ続けたのではなかったか、とそう想っている。
 
近年自分の頭で考える習慣がつき始めた息子に、「ジョン・レノンミュージアム」を体験させてやれなかった事が、大きな心残りである。
 
 
 
             
 
 
 
 
     ジョン・レノンの命日から4日後   ―2019.12.12―
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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