春丘牛歩の世界
 
今月に入ってから、”錦秋 ”という言葉が将にJustfitしていると感じている。
 
我が家の錦秋は主にモミジによって感じられるのだが、「錦秋」は晩秋の真っただ中である事を知らせ、木枯らしと共にいよいよ本格的な冬がやって来る、と我々の目に告げているのである。
 
すでに早朝の最低気温はマイナスに成って久しく、霜は牧草地や我が家の草木や雑草にも容赦なく降りかかり、霜枯れも進んでいる。
 
 
           
           青い芝生の上にモミジの枯葉が絨毯の様に
       
 
そして日高山脈には既に頂上付近に降雪が起きており、「初冠雪」が確認される。
 
日高山脈の頂上付近は概ね2000mを越えているから、日本海側やオホーツク海側に雪の便りが聞こえてくる頃には、やはり冠雪が観られるのである。
 
 
 
       
 
 
 
またこの時期に私は、今年も沢山の果実をもたらしてくれたラズベリーの茨の枝を伐採し始める。
 
感謝の念を込め、かつ来年もヨロシク!と願いながら、茨だらけの細い枝を剪定バサミで切るのである。
 
こうやって少しずつ冬に向かっての支度を進めている。
既に床暖を入れて1週間以上経つし、今週からはペレットストーブも入れ始めた。
 
夕ご飯には「鍋物」や「汁物」のメニューが増えて来た。身体の中に積極的に”暖 ”を取り入れるのである。
”冬には冬の生活を愉しむ ”ことになるのだ・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
                 お知らせ
 
*5月2日:『本日コラム2025』に「卯月、さくら月を公開しました。
 
*3月22日:『甲斐源氏の祖、源義光』に新しく
”穴太衆”と”黒川衆”を公開しました。
 
 
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  南十勝   聴囀楼 住人

   
   
                            
      
          
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                                
  

 
   
      

  
 
2019/6/4

初夏の遠州

 
久しぶりに遠州を訪ねた。
5月末の遠州浜松は過ごし易い、すがすがしい時節であった。尤も今の時節は日本全国どこに行っても暑からず寒からずの、一年で最も過ごし易い良い季節であるのに違いない。
ほんの一週間前は35度前後の、5月にはまれな暑さの日が続いたこともあって、そのように感じたのかもしれない。
 
今回の遠州行きの目的は、この三月に書き上げた『安田義定父子と、甲斐之國・越後之國』の次回作のための資料集めや現地視察といった、情報収集や取材のためであった。
訪問先は相変わらずの図書館通いが主体で、更には浜松市春野町の「秋葉神社本宮」関係者へのヒヤリングや、諸神社への訪問や気になる地域の視察を行ってきたのであった。
 
ついでにというか数年前『・・・駿河・遠江之國』の取材でお世話に成り、それ以来交流のある森町の教育委員会の方々にもお会いして、久しぶりの情報交換と旧交を温めた食事会も行ってきた。
 
 
               
                     秋葉三尺坊
                     
 
次作のテーマに成りそうなのは『・・・甲斐之國、越後之國』製作中から気になっていた、新たな謎というか課題である安田義定公と、「火伏」や「厄除け」の神として名高い「秋葉神社」との関係が、どのようなものであったかを検証するための物語を、イメージしている。
 
義定公の領国経営の柱である「騎馬武者用の軍馬の畜産・育成」に大きく絡む、神事「流鏑馬」を越後之國では唯一確認できた、長岡市の「金峰神社」かつての「蔵王権現」の創設に大きく関わって来たとされる「秋葉三尺坊」と、遠州の「秋葉山神社本宮」とに深い因縁があることが判明したからである。
 
もちろんただ単に「蔵王権現」と「秋葉神社」との宗教上の問題であれば、私には大きな関心の対象には成らないのであるが、安田義定公の領国遠江と嫡男義資公の領国越後を代表する神社の問題であり、修験者の世界では著名人(?)である「秋葉三尺坊」の事であるから、ずっと気になっていたのであった。
 
『・・・甲斐之國、越後之國』を一応書き終えて、インターバルをとってリフレッシュもしっかり取ったこともあって、やっと始動したのであった。ちょうど梅雨入り前のすがすがしい時期であったことも、今回の訪問の動機にはなっているのだが・・。
 
 
 
 
             
              秋葉神社上社から観る遠州平野
 
 
 
遠州の山奥といってよい「北遠地方」の、旧春野町の入り口近くにある「秋葉山神社本宮」は、両サイドを「気田川」と「天竜川」とに囲まれた山峡の町で、緑と水に囲まれた時間がゆったりと流れる集落であった。
 
その景色は越後上越の糸魚川の北アルプス山麓の集落や、甲斐之國甲州市の笛吹川上流の集落にも共通する、自然環境であった。
宿は太平洋側の浜松駅周辺や掛川駅周辺に取ったのであったが、山間部は新潟であろうが山梨であろうが静岡であろうが、やはり同じ匂いがする。 懐かしい日本の原風景に出会えたのである。
 
山紫水明という言葉があるが将にその通りであった。
これが二か月ほど前だと、山肌に雪が残っていたりして、きっと冬場は厳しい自然環境なのであろうな、と想像力を働かせながら廻っていた。
 
いずれにせよ資料収集や実地看聞を行い、懐かしい人達に会えたことや新しい出逢いがあって、実りの多かった遠州への旅であった。
基本的な蓄積は終えたので、今月中には新しい物語を書き始めたいと思っている今日この頃なのである。
 
 
 
 
 
 
 
                         
 
 
 
 
 
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