春丘牛歩の世界
 
今日は私の棲む南十勝大樹町にも””木枯らし一号”が吹いた。
朝から北北西の風がビュービュー鳴り、モミジや柏の葉が舞い散り緑の芝生とのコントラストが、鮮やかだった。
晴天ではあったが、広葉樹の紅葉が一気に進んだ。
 
因みに十勝の中心部帯広には、今日”小雪が舞った”という事である。
本格的な冬の到来である。
 
 
        
 
 
そして今年も夏と秋に沢山の実を付けてくれたラズベリーも、いよいよシーズンの終わりを迎えたようだ。
今シーズンの終わりは、先週初霜が降りた事で一気に進んだ。
 
それまでの2・3週間は将にかき入れ時で、毎日3㎏前後の果実が収穫できたのであるが、やはり霜には勝てない。
 
そんなことがあって私や家族も、シーズンの終わりが近ずく事を、意識してはいた。
 
 
ラズベリーは7月中旬からの”夏採れ”と、9月下旬からの”秋採れ”の年2回収穫があり、夏よりも秋の方が収穫量が多く実も大きい。
 
昨年より作付面積を2割がた増やしたのに、収穫量が1.1倍程度にしか増えなかったのはひとえに”初霜”の影響であろう。
 
その初霜が降りた事もあって、先週末には半年間お世話になった「ビニールハウス」のビニールを外し、”ハウスじまい”を行った。
 
 
毎年GW頃に「ビニールを架け」、10月のこの時期に「外す」。
ハウスの野菜は、ニラから始まり、アスパラ、大葉、ニンジン、トマト類、茄子、キュウリ、パプリカと、多くの野菜を我が家の食卓に提供し続けてくれたのである。
 
この様にして夏から秋が過ぎ、畑の野菜や果実が姿を消し、枯葉や木枯らしと共に晩秋が訪れ、やがて厳しい冬にと季節が入れ替わる。
 
毎年の様に同様の事を繰り返し、一年が過ぎて行き、自分も歳を重ねていく。
 
 
晩秋から冬の到来を象徴する”床暖房”は、先週の初霜の頃から稼働させた。
更に今日の”木枯らし”を以って、今年初めての”ペレットストーブ”にも、火を入れた。
 
そして夕飯のメニューには”寄せ鍋”が登場し、身体を内から温める。
「冬支度」が生活の多くの場面で、進んで行くのである。
 
 
 
            
              焼きイモの旨い季節がやって来る
 
 
 
 
                 お知らせ
 
*5月2日:『本日コラム2025』に「卯月、さくら月を公開しました。
 
*3月22日:『甲斐源氏の祖、源義光』に新しく
”穴太衆”と”黒川衆”を公開しました。
 
 
    ♠     ♠     ♠     ♠
 
 
 

  南十勝   聴囀楼 住人

   
   
                            
      
          
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                                
  

 
   
      

  
 
2018/8/8

オシドリ夫婦

 
俳優の津川雅彦が先週亡くなったというニュースが入ってきた。
妻の朝丘雪路が4月に亡くなっていて、4か月後という事に成る。
彼の俳優としての魅力を私は少なからず感じていたので、残念である。
 
俳優や歌手なんかもそうだが年齢とともに魅力を増していくタイプと、逆に輝きを失っていくタイプがあるが彼の場合は前者であった。
若いころはグッドルッキングで美男子俳優であったが、俳優としての魅力は殆ど無かった。
 
しかし伊丹十三の映画に準主役で出るころから俳優として一皮むけたようで、存在感が感じられ味が出てきた。上手に年齢を重ねてきたようだった。
もちろんその成長の過程においては人に言えない苦労や苦悩もあったに違いないし、少なからぬ挫折も経験したのかもしれない。本人のみが知ることだ。
 
しかし結果的に彼は俳優として歳を重ねてから、明らかに魅力を増していった。「相棒」での法務大臣役辺りからは、ほんとによい味がにじみ出ていた。
 
「風雪の当たるとこほど樹は育つ」というが彼もまた少なからぬ風雪に見舞われてきたのであろう。あと十年は彼の味のある仕事を見ていたいと思っていたのでとても残念である。
ご冥福を祈る。
 
 
さてその津川雅彦氏であるが、妻の朝丘雪路が亡くなってから4か月足らずで後を追う様に亡くなっている。このことに私は少なからぬ感銘を受けている。
かなり前から両者が相思相愛であり、仲の良い夫婦であると言われ実際にそうであったようだ。いわゆる「オシドリ夫婦」として有名だったと思う。
 
そしてその仲の良さが妻の4か月後の彼の死によって、改めて証明された気がするのだ。
ホントに仲の良い関係というのは片方がこの世に存在しなくなった時に、身体の一部が欠落したように成ってしまうのではないかと、思うからだ。それもとても大事な部分が・・。
もちろんそれは心の問題として発生してくるのだと想う。
 
津川雅彦氏にとって朝丘雪路という存在はきっとそのような不可欠な存在だったのではないかと思われる。自分の命に影響するほどの大きな存在だったという事であろうか・・。
 
思えば兄の長門裕之もまた、妻の南田洋子が亡くなって1年程度で後を追う様に亡くなったかと思う。
兄弟して妻想いの人間だったのだろう。
二人はきっと愛情の豊かな家庭で育ってきたのであろう。そして彼らを育てたご両親もまた夫婦仲がよく家庭が円満だったのかもしれない・・。
 
 
ご冥福を祈る。
 
 
 
 
 
                    
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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