春丘牛歩の世界
 
   「サッカー資本主義」vs「サッカー民主主義」
 
先月の終わりから、今月に掛けて世界のサッカー界は一人の男に振り回され、翻弄されていた。
 
すなわち、現在のFIFA会長であるインファンティーノのコトである。この男は長らくFIFAの事務局スタッフとして働き、10年近く前に汚職で追放された前FIFA会長プラッターの後釜として、当時事務局長であった彼が、FIFA会長に選任されたのであった。
 
この間「ロシアW杯」「カタールW杯」そして今回の「北中米W杯」が、彼の主導の下に開催されて来た。
 
その間起こった事は、
1本大会出場国枠の増大。32か国→48か国化。今後は64か国に増やすと公言
2サッカー審判団の質の低下。従って”荒れた試合 ”の増加
3「給水Timeの導入」や「ハーフタイムの大幅延長」によるCM時間の確保や、ショーの挿入に依る試合の分断。
4米国選手のみの、レッドカード執行の1年間猶予
5メインスポンサーに「予測市場=賭け事マーケット」運営会社を組み込んだ
6インファンティーノ個人の報酬up
                         等々
主だった項目は以上であった。
 
そのうち1と3と5は明らかにW杯運営主体の収益を上げるための施策であった。そして結果は
2022年に1兆2千億円程度→今回:2兆1千億円程度へと、売り上げを増加させた。
6の彼の報酬額は3億円→11億円にと跳ねあがった。
 
民間企業であれば有能なCEOとして、評価されるビジネスモデルを造り上げ、結果を出したのであるから報酬が多くて当然だ、という事であろう。
 
しかしながら、それは株式会社や投資会社といった民間の営利追求を目的とした、企業である場合のコトである。
 
 
                 
            
 
 
 
ところが「サッカー=フットボール」は「営利目的のbusiness」ではない。
「スポーツ」であり「文化」あり、一部の国民にとって「生活の一部分」である。
 
中でもW杯は4年に一度、国家の名誉を背負って「選ばれ抜いた選手たちが戦う場」であり、「プライドをかけた真剣勝負の場」なのである。
だからこそこれまで幾つもの「名場面」や「ドラマ」が生まれたし、世界中のサッカーファンを魅了して止まなかったのである。
 
 
そんなW杯の北中米大会が、「大成功だった」と自画自賛し自己陶酔しているインファンティーノが、ぶち上げたのが先月末に公表した「FIFA子会社の投資会社設立構想」であった。
 
その骨格は、
新たにFIFA内に設立するW杯の運営会社の資金や持ち株を、トランプ大統領の娘婿:クシュナーの弟が経営する投資会社や、ウォール街のJPモルガン等の金融資本を核とした、投資家グループから3兆円以上募り、そのうち20%程度の株式を所有させる
といった様な構想であった。
 
 
 
        
 
 
 
「W杯」という金の卵を産む、世界最大のスポーツイベントに対し、投資家から資金を集め、彼らに株の一部を売り払い「エンタープライズ化=大規模事業化」して、高収益を得るビジネスモデルを造る、というのである。
 
そして200以上ある世界中の大小のサッカー協会に対しては、その見返りとして30数億円の分配金をそれぞれに配り、今後は配当金をもたらす。
というのがこの「W杯business」の仕組みである。
 
更にインファンティーノ自らがCEOに成って、運営=経営を取り仕切る、というのである。
その結果インファンティーノの得る報酬は、今回W杯の報酬11億円から100億円以上に跳ね上がる、のだという。
 
 
要するに設立提案者自らの懐を潤し、ウォール街の金融資本や投資家達に、高い利益や収益をもたらすための「子会社構想」、という事である。
すなわちサッカーというスポーツの「business化」であり「資本主義化」である。
 
そしてこの発表はインファンティーノが突然公表し、FIFA内部の公的な機関には一切諮ることなく、彼の独断で世界に発信されたのであった。
 
その結果この「サッカーの資本主義化」を知った、世界中のサッカーファンやサッカー協会が、猛反発を起こしたのである。
 
 
民主主義が最も深く、かつ広く浸透しているEUのサッカー連盟(UEFA)がまず、反対の狼煙を上げた。
 
緊急に開かれたEUサッカー連盟(UEFA)において100%の支持を得た上で、もしこの構想をFIFA が推進するなら、EU各国のサッカー協会はFIFAが主催するすべての大会をボイコットする、と決議したのであった。
 
 
 
        
 
 
 
そしてそのUEFAに続いたのが、北中米カリブ海のサッカー連盟であり、アジアのサッカー連盟であった。
世界で6つしかないサッカー連盟の内、北半球の主要な3つの連盟が、この構想に反対し支持しなかったのである。
 
 
200以上あるFIFA 加盟のサッカー協会の内、この構想に賛意を示したのは「カタールサッカー協会」と「モロッコサッカー協会」の二か国のみであった、という。
 
因みにこの二つの国に共通するのはいずれも「王国」である点と、2022年にW杯を開催した国と、来たる2030年にW杯を共同開催する国の一つである、という事である。
 
 
私はこのUEFAを中心とした、世界のまともなサッカー連盟やサッカー協会が果たしたアクションや役割は、「サッカー民主主義」の勝利であると思っている。
 
両者の違いは、中東や北アフリカの「王国」と違って、「清教徒革命」や「フランス革命」を経験して、民主主義を獲得して来た歴史を持つ国との違いだろうと、想っている。
 
これまで10年間にわたってFIFAを牽引し、主導してきたインファンティーノという、権力者であり暴君が画策した「サッカー資本主義化」に対して、欧州を始めとした先進国の多くが「サッカー民主主義」に依って、「ノー」を主張し明言し、サッカーというスポーツの「あるべき方向性」を示し・取り戻した、画期的なアクションだったと私は思っている。
 
 
今回の「構想」が頓挫し撤回された今、残された課題は
「インファンティーノのFIFAやサッカー界からの永久追放」
であると、私は認識している。
 
そして「サッカー民主主義」の力で、「サッカー界の」暴君や専制主義者を葬り去った、現在のサッカー界の健全さを喜ぶと同時に、今後もこのスタンスと伝統を守り・維持してもらいたい、と願って止まないのである。
 
 
 
             
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                 お知らせ
 
 
*6月2日:『近江之國編』「六角征伐」と足利幕府衰退」を公開しました。同編はこれにて終了しました。
 
 『甲斐源氏の祖、源義光』は以上で、完結しました。
 
 *6月16日:『サッカーW杯』の「2026年北中米大会」を開設し、北中米大会における「日本代表戦」についてのコラムを記載することにしました。
28日第三弾として「06月26日:スウェーデン戦」を公開しました。
 
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  南十勝   聴囀楼 住人

       
      
         
     
 
                            
      
          
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                                
  

 
   
      

  
 
2018/8/16

終戦記念日または敗戦記念日

 
昨日は8月15日で、終戦記念日であり同時にまた敗戦記念日であった。
第二次大戦が終わって73年目に成る、という事だ。
先の大戦では、日本人だけでも3百4・50万人が犠牲に成ったという。その中には戦地に赴き日本の当時の権益を確保するための犠牲に成った兵士はもちろんの事、国内に居て空襲や原爆で犠牲に成った多くの国民も含まれている。
 
戦没者慰霊式などを見ていると、この先の大戦の犠牲者たちに一番敬意を払っているのは天皇皇后の皇室のメンバーであるように思われる。
 
一方で政治家たちの発言は軽く、口先だけで気持ちが伴わないと感じられる。
戦争という行為は、戦地に向かった日本人はもちろん戦地で日本兵と戦った相手との戦闘行為である以上、相手の国の兵士や民間人にも犠牲が出る。当然のことだ。
 
 
自分たちは主人公かもしれないが当然敵役も存在するのだ。そしてその敵役にはその地においての歴史や伝統・文化があり、共同体があり家族もまたいる。
日本の権益を確保する、追及するという事は同時にそれまでの権益を持っていた人達からそれらを奪う事を意味するから、衝突することに成る。当たり前のことである。
 
その過程において当然犠牲者が出るのであるが、それは攻撃する側はもちろん攻撃される側にもである。それを侵略行為という。
これは日本だけが行って来た行為ではなく有史以来、世界中で続けられてきたことである。
しかしだからといって、日本が行って来た事を単純に正当化することはできないのも確かだろう。
 
その当然のことに対して日本のいわゆる保守勢力という人々は、なかなか認めようとしない傾向があるようだ。
これは第二次大戦が終結して以来ずっと続いているように思われる。
自分たちに都合の悪い事や、認めたくないことを真摯に受け止めようとしない姿勢である。
私はそういうスタンスを受け入れない。事実を事実として受け入れようとしない人間を一人の人間として、高く評価する事がない。そのような人達にインテリジェンスを感じないし、洞察力も足りないと思う。同時に厚顔無恥な人種と感じる。
 
 
第二次世界大戦で3百4・50万人が犠牲に成ったことは、とても痛ましい事だと思うし同じ過ちは繰り返してはいけないと、心からそう思う。
それは日本人にとってももちろんであるが、その日本人の行為によって犠牲に成った国々の人々のためにも、である。何十万人か何百万人かは判らないが、同様に犠牲に成っている人々は侵略先には存在するのである。
 
私はこの愚かな行為が明治維新以来の富国強兵策のとどのつまりだったと思っている。
そして明治維新以来7・80年間続いた軍国主義体制・天皇制体制が崩壊した事はほんとに好かったと、思っている。
 
それはイデオロギーの問題というより、軍事優先の全体主義国家や個人崇拝の国家体制が崩壊したからである。
 
現在でもなお社会主義や共産主義を標榜する一部の国々にみられる様に、個人の権利や福祉より、個人崇拝や自分たちが所属する政治体制の維持を優先するような社会が存在する。
 
私はそのような国家には暮らしたく無いと思っているし、私のような個人主義者・民主主義者はきっと暮らしていけないだろうと思うからである。
 
これは政治イデオロギーの問題であるとともに宗教イデオロギー、すなわち宗教過激派が支配する国においても同様である。
 
終戦記念日はまた同時に、明治維新以降の軍事優先体制の崩壊及び天皇制の個人崇拝を終わらせた敗戦記念日でもある。
 
隣国の北朝鮮や中国を横目で見ていて、そのことを喜んでいる私である。
 
 
 
 
 
 
                 
                                      
 
 
 
 
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