春丘牛歩の世界
 
         2026年W杯の課題と本質的問題
 
本州では40度を超える酷暑日が、東海地区や西日本・東日本の一部等では起きている様で、いま将に夏が真っ盛りである様だ。
 
ところが我が南十勝はどうかというと、ここ1ヶ月の間に30度を超えたのは1日しかなく25度を超える日が5日あったのみである、冷涼な日々が続いている。
7月がもう終わるというのにである。
 
 
そして昨日などは最低気温が14度という事で、家人などは何とペレットストーブを点けた。”寒いからだ ”という。
私がこの地に移住して16年経つが、7月下旬にペレットを焚くなどという事は無かった、初めてのコトである。
 
直接的な原因は、北極の寒気団の影響を受けた「オホーツク高気圧」が本州の低気圧に向かって、冷気を運んだことから今日の寒さをもたらしているのだという。因みに昨日の最高気温は16度であった。
 
前回も書いたが、ラズベリーの花が殆ど咲かず、したがって毎年7月後半に採れる赤黒い果実が未だ収穫できないのは、この冷涼な気候のせいである。
 
しかしまぁ、暑い熱帯夜を過ごさなくても済むことは、私にとっては大いにwelcomeなので、その事に大きな不満はない。
 
 
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さて先日1-0でスペインの優勝に終わった、2026年のW杯北中米大会である。
今回の大会程多くの物議を醸したW杯は無かった。前代未聞のワールドカップであった。
 
大会の期間中から私が感じていた
「審判団のレフリングの質の悪さ」
「米国選手のレッドカード執行猶予1年間問題」
「アルゼンチン選手やパラグアイ選手の目に余るラフプレー」
等などである。
 
この元凶がFIFA会長を10年間勤めて来た、イタリア人弁護士出身のFIFA会長インファンティーノの、独裁的大会運営にあることを、今や世界中のサッカーファンや関係者は知っている。
 
 
 
            
 
 
 
そして、この会長の今回のW杯運営について、サッカー先進国の数か国のヨーロッパサッカー協会等から、多くの告発や批判が起きている。
 
更にはEUの政治機構からも今回のW杯の恣意的な運営や、不正が疑われる行為を「調査」する動きが起きている。
これらは今後時間が掛かっても、明らかになって来る事もあるだろう。その結果を私は楽しみにしている。
 
EU の政治機構が、スポーツ大会の運営を「調査」する等という事は、われわれ日本人にとっては意外に想われる事だろうう。
 
しかしヨーロッパの国民にとって、サッカーは「一つのスポーツ」にはとどまらず、「生活の一部」であり「文化そのもの」となっている事から、この様な「調査」が行われるのである。
それだけサッカーが生活の中に深く、かつ広く浸透しているのだ。
 
日本のW杯が終わった時に、イングランドでプレーする鎌田選手が、日本人とってサッカーが「生活の一部」や「文化そのもの」に成ってない事を嘆き、「国技」に至っていない事をぼやいていたが、将にその差がここに確認できるのである。
 
 
ところで今回の諸問題を引き起こしたインファンティーノであるが、彼は来年のFIFA会長選に立候補する予定でおり、その点に大いなる自信を持っている、という。
 
その理由は今回の北中米大会が”大成功の裡に終わった ”と、自ら評価しているからである。
 
彼はアメリカのトランプ大統領と親密な関係にあり、アメリカ選手の「レッドカード問題」や、今回大会の優勝国スペインへの「トロフィー授与時」でのパフォーマンスでも明らかな様に、実に似た者同士なのだ。
 
”金儲けが大好き ”で、”目立ちたがり ””権力が大好き”な人種である。
全くもって”類は友を呼ぶ ”のだ。
 
 
 
 
        
 
 
 
従って、厚かましい部類の人間であり、自らの成果を過大に誇示し、自己陶酔する傾向の人物でもある様だ。
 
次回での会長選立候補のエネルギー源も、その人間性が一つである、と私は推測している。
 
次に数字に対する評価である。
2022年のカタール大会の時のW杯関連ビジネスの「売上高」は
1兆2千300億円程度であったが
 
2026年の北中米大会での「売上高」は約2兆1千100億円程度であろう、
とドイツ銀行のアナリストは推測し、公表している。
 
 
W杯を「スポーツbusiness」や「エンターテイメントbusiness」と捉えれば大成功なのである。
この4年間で「売上高」は72%UPしており、FIFAを含めたW杯関連事業者の懐は、4年前と比べ1.72倍増加し、潤ってるからである。
 
そしてその要因の筆頭に挙げているのが「32国→48国」に、出場枠を拡大した点にある事を彼は認識しており、それ故に次大会では出場枠を、更に拡大し64ヶ国程度に増やす、と彼は公言しているのだ。
 
出場枠を増やすことで「中国」「インド」といった人口の多い国を滑り込ませたい、と考えている様である。
 
 
それは何よりも、現在の実力では出場がかなわない国々を出場させることで、放映権や広告収入・スポンサーライセンス・チケット販売額等を増やすことを目論み、「売上高」を増やしたいと思っているからである。
 
このbusinessモデルは、民間事業者であれば問題視されない。
しかし「スポーツ大会」としては、大いなる問題を引き起こすことが予想される。
 
具体的に言えば「出場枠」を2022年大会と比べて、ほぼ2倍に増やすという事は、大陸別の「地区予選枠」を広げる事を意味し、カタール大会では上位4チームしか出場できなかったのに、上位8チーム迄増加させる、といった様なコトを意味する。
 
 
 
            
               
 
 
という事は、W杯の本大会において「大味な試合」の数が増え、「ワンランク下の国」の出場機会が増え、「大差で勝敗がつく」質の低い試合を、世界中のサッカーファンが、見せられることを意味するのである。
 
要するに「試合の質が低下」し、「世界最高峰の試合」を観る機会が減る、という事を意味する。
 
その他に試合数の増加は審判団の人数を増やし、「審判団の質低下」を一層招く。
その結果「ラフプレーの多い」「荒れた試合」を見る事が、予測され得るのである。
今回の「北中米大会」がそうであった様に・・。
 
 
「business」を優先させるのか「サッカーのqualityと品位」を優先するのか、といった大問題を引き起こすのである。
 
この問題やテーマはこの点に尽きるのであるが、この出場枠の拡大は、FIFAというスポーツ連盟の懐は満たされ、潤う事は間違いない。
 
その結果FIFA加盟の各国協会への分配金は確実に増える。
それは数十億円の負債を抱えて、赤字経営をしている日本サッカー協会の様なところにとっては、間違いなく朗報である。
 
 
従ってこの路線を支持する各国の協会の数はFIFAの中では多いのである。
EUのサッカー協会の様に「サッカーの質」を重視する国は、現在のインファンティーノ会長を支持しない可能性が高い。
 
しかしながらそうでない国即ち日本の様に、より多くの分配金を期待する国や、個人的な収入増大を期待する人物が意思決定権を持ってる、多くの国の協会は彼を支持する可能性が高い。
 
現時点では後者の方が多い様で、インファンティーノの再選はほぼ確実視されている。
 
 
残念な事ではある。がこれが現実である。
そして再選が現実のものに成れば、予測できるのはるのは
 
・出場国が64に増える
・従って、参加国のサッカー協会の分配金も増える。
・その結果試合内容の質が低下し、「大差のつく試合」の数が増える可能性が高い。
・試合数が増えるだけ、審判団の数が増え「レフリングの質」が低くなり、「荒れた試合」が増える可能性が高い。
・FIFAのサッカー貴族の収入や報酬は増える。
・W杯の観戦チケットは高騰し、増々入手は困難になる。
・インファンティーノの報酬が、確実に増える。カタール大会の時は3億円近かったらしいが今回の報酬は11億円近くに成るのだという。
 
何だか憂鬱に成って来た。
 
 
 
              
 
 
 
そして私は、コロナ禍でも強行された東京オリンピックの事を思い出してしまった。
 
あの大会ではオリンピックは、アスリートたちのための大会ではなく、各国のオリンピック委員会の役員達=オリンピック貴族達のための大会である事に気づいてしまい、シラケてしまったのである。
 
その結果東京大会以降、即ちパリオリンピックや今年のミラノ冬季大会の時には、素直にオリンピックに期待する事も無くなってしまって、観戦する機会も減ってしまった。
純粋かつ素直にスポーツ競技として、オリンピックを愉しめなくなってしまったからである。
 
 
サッカーワールドカップが、オリンピックの様に大会関係者やFIFAの貴族たちを潤すための大会に成ってしまったら、やはり素直に純粋に大会を愉しむことは、出来なくなってしまうだろう。
 
哀しい事である。
 
 
しかし同時にEU等の「サッカーの質や品位」を尊重する国たちが、FIFAの暴走をチェックする機能が働き、サッカー民主主義が高まる可能性への希望を捨ててはいない。
 
世界で一番競技人口が多く、世界中いたる処でサッカーボールを追いかけている人達のいる、サッカー文化の自浄作用に期待もしている。
 
またそのための多くのジャーナリストの問題意識や、不条理追及や不正摘発といった事項への活躍の期待値も高い。
 
 
因みに現在(7月25日時点)
「アルゼンチンvsスペイン再戦」を望む署名が10万人を突破し、
「アルゼンチンのW杯永久追放」を求める署名が2,300万人を突破しているという。
 
世界中のサッカーファンの「民意」がどこにあるのかは、明らかである。
 
 
もしも今後
「インファンティーノのFIFA永久追放」が提起されたら、私は間違いなく署名したいと思っている。
 
「貪欲なサッカー資本主義者」の存在は、サッカー界にとって害悪でしかないからである。
「サッカー民主主義」のパワーを、私は期待もし妄想もしているのである。
 
 
              
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                 お知らせ
 
 
*6月2日:『近江之國編』「六角征伐」と足利幕府衰退」を公開しました。同編はこれにて終了しました。
 
 『甲斐源氏の祖、源義光』は以上で、完結しました。
 
 *6月16日:『サッカーW杯』の「2026年北中米大会」を開設し、北中米大会における「日本代表戦」についてのコラムを記載することにしました。
28日第三弾として「06月26日:スウェーデン戦」を公開しました。
 
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  南十勝   聴囀楼 住人

       
      
     
 
                            
      
          
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                                
  

 
   
      

  
 
2018/9/28

相撲というスポーツ

 
つい先日大相撲の秋場所が終わったところである。
今場所は結果的には白鵬の全勝という形で、優勝者が決まったわけだが優勝争いは決して一方的なものでなく、最後まで複数の力士が優勝を争い絡み合った事で、なかなか楽しく見させて貰うことが出来た。
 
私自身は小学生のころまでは割と相撲が好きで、ラジオやTVを通じて好く観もし、聴いてもいたものだったが、中学生のころから遠ざかることが多くなって行った。サッカーが興味の対象に変わったこともある。
それに所謂伝統的なスポーツに対して、何となく距離感を抱くようになった。
 
これはまぁ相撲に限らずだが、思えばそれは自我の確立や自己の人格形成確立、といった事にも関係していたようにも思える。
その頃私はそれまで馴染んできた事や、当たり前な事として無条件で受け入れてきた事&価値観に対して、一旦立ち止まって考え、見つめ見直す、といったスタンスを取り始めたのであった。
 
それはまた既存の価値観や、その時点での支配的な価値観に対し、疑問を呈すという事をも意味していた。その行為は私自身の成長のプロセスには望ましい事だったと、今では振り返ってそう思う。
 
若いころは体力はもちろん気力も充実していて、新しい事にどんどんチャレンジする事が十分可能だったからである。そのためには既に出来上がった価値観や、確立していたそれまでのノウハウに対して疑問を抱くことが、それらを打ち破るエネルギーの源にも成っていた。
 
そして何よりもまた、当時の私には時間がたくさん残されていた。
これまで生きてきた時間よりもこれから待っている時間の方が長く、ほとんど永久的に将来が続くのではないかと、錯覚もしていた。
 
自分の人生が有限であり将来というのは、これまで生きてきた時間程度しか残されていないのではないかと、そんな風に考えるようになったのは40歳を過ぎた頃であった。
 
それはまた体力や気力の衰えを意識するようになった事とも無縁ではなかった。
それ以上に自分の能力の限界を痛感するようになり、何にでもどんどんチャレンジしてく事に限界を感じたこともまた、無縁ではなかったようである。
 
何回もチャレンジをして、その都度限界にぶち当り挫折を経験する、といった事を繰り返しながら、ようやく自分という人間の輪郭がぼんやりと見えるようになったのも、やはり40前後ではなかったかと思う。
30代の後半に他人より遅くではあったが、家庭を持ったことも多少は影響をもたらしていたのかもしれない。
 
 
さて、そんな私が再び相撲に関心を抱くようになったのはここ6・7年のことである。
八百長相撲がマスコミで取りざたされて、その後東日本大震災があって力士達が被災地を慰問で訪れ、被災者たちを励ます姿を報道などで見聞きするようになった頃からであった。
力士たちの慰問という行為が、被災者たちにとって少なからぬ励ましや癒しに成っていることを目にして、私自身もう一度相撲を見るようになったのである。
 
4・50年ぶりに改めてみることに成ったそのスポーツは、サッカーなどのスポーツで見慣れた所謂チームプレーとは、趣を異にする全く個人のスポーツであった。
一人の力士が自分独りで、自分のために闘い、時には自分自身と闘っていたのであった。
 
おしゃれなユニフォームやウエア類&シューズといったものは全く身に着けず、ユニークなヘアスタイルもそこには何も無い。
 
もちろん胸や肩の周りにはスポンサーのロゴも見当たらない。
まさに裸一貫で、伝統的に定められたちょんまげを 生やし、マワシという名のふんどしをまとっているだけである。
ある種の新鮮さを感じたのである。
 
 
                                         
                                       
                    
 
 
 
 
それ以来私は大相撲を定期的に見るようになった、と言っても私が見始めるのは17時15分頃からの、中堅以上の上位力士たちの相撲であるのだが・・。
私はこれまで同様チームスポーツの典型であるサッカーを見続けることは止めないしまた、全くの個人スポーツである相撲を見ることも止めないであろう。
両方とも私をワクワクさせてくれるし、十分楽しませてくれるからである。
 
さて、翻って貴乃花は今、いったい誰と闘っているのであろうか・・。
日本相撲協会という組織か、それとも一部の考え方や価値観を異にする親方や理事達であろうか、はたまたそれとも自分自身であろうか・・。
昨今のマスコミ報道を見たり聞いたりするにつけ、私はそんなことを考えるのである。
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
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