2018/10/31
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移民問題 |
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昨今アメリカ大陸では、USA移住を目指している移民希望の中南米人の行進(キャラバン)が話題に成っているようだ。移民の国アメリカでこれ以上スペイン語を話す移民を受け入れないと、声高に叫んでいる花札大統領の、来週に迫った中間選挙対策との衝突が今、世界の耳目を集めているのだ。 またヨーロッパでも、この2年間の間に100万人ほどの移民を受け入れて来たメルケル首相の政治的な基盤が、今月行われた二つの州議会選挙で揺らいできている。その最大の争点はどうやら移民問題であるようだ。因みにメルケル政権は今年で13年目だという。 そして我が日本である。先日始まったばかりの今国会においても、外国人労働者の積極的な受け入れ政策を推進する法律が、主要議題に成るようである。これもまた一種の移民政策であろう。 翻って我が国の歴史を紐解けば、古代までの日本は移民大国で、その移民達によって国家の骨格が形成されて来たといっても過言ではない。 『日本書紀』や『續日本記』などを読んでいると、実に多くの渡来人がやって来て、日本に定着してきたかが詳細に書かれている。 私がこの夏に書き上げた京都の祇園神社にしても然りである。蘇民将来という渡来人がかの神社の祭神である事は広く知られている通りである。 また、宮崎の高千穂辺りの「高天原」に定着したとされる、天皇家の祖先もまたアジア大陸から遅れてやって来た渡来人であるようだ。 更にその後の「継体天皇」という、名前からして当時の王統を別系統の人間が継承してきた事を現わしている天皇は、福井県敦賀の気比辺りの豪族出身で、それより更に遅れてやって来た大陸の渡来人だという。 してみると日本という国家もまた、実に多くの大陸からの渡来人や移民によって、形造られて来たかが判るのである。もちろんそれらが活発に行われていたのは今から1,200年以上前の事ではあるのだが・・。 ドイツのように人口の1%以上に及ぶ移民をわずか2年間の間に受け入れたという、急激な移民政策が少なからぬ摩擦を引き起こす事は仕方ないとは思うが、だからと言って外国人の流入をいつまでも拒み続けることが出来ないのも、現実であろう。 グローバル化が進む現代世界の現実と、少子化社会の進展、更には日本の歴史を鑑みれば移民受け入れは無理からぬ事であろうと、思わらざるを得ないであろう。 TVのニュース番組などを観ながら、酒を飲みつつそのような事を思ってしまう私なのである。 ![]() |
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