春丘牛歩の世界
 
先週の後半から関西に来ている。
二年に一度の大学時代のクラス会が行われた事と、クラスメートの一人がこの二年の間に亡くなったため、彼の墓参に行くためであった。
 
彼の墓が奈良県斑鳩町に在った事もあって、今回のクラス会は定例の京都ではなく、奈良市でおこなった。
京都が今やインバウンドの都に成っていて、ホテル代が高騰していた事も少なからぬ影響をしていた。
 
とはいえ、古都奈良にもインバウンドの客は多く、繁華街の歩行者の半数は外国人であった。
更にそのうちの約半数が白人で、他はアジア人等で髪の毛を布で覆っていたイスラム教徒、と思しき観光客も1割前後はいた。
 
 
 
             
        
 
 
 
ちょうど高市新首相が「台湾有事への対応発言」を発して、中国が「日本への渡航自粛」を呼びかけた後ではあったが、中国人を含むアジア人は少なからず居り、他に韓国人や東南アジアやインド・パキスタン・バングラデシュ人なども含まれていた。
 
中国人には香港人や台湾人も含まれていただろうし、言語もほとんど同じだから、私などには到底区別はつかない。
 
 
クラス会の場(飲み会)で、しばらく故人の学生時代の思い出話等で、彼を偲んだ後で、
 
インバウンドによるオーバーツーリズムの弊害や、奈良県選出の新首相の話題や、先の参議院選挙での新興政党躍進の話題、更には今裁判が行われている「安倍元首相暗殺犯」の話題、などが交わされ、いつになく政治の話題が多かった。
 
そんな中でメンバーの1人が ”何となく世の中が、きな臭くなってきてるな・・”と言った際に、少なからぬ面々が肯いていたのが印象的であった。
 
 
            
            
 
 
 
そして宴の終わりが近づいて、次回の話をした時に何かの拍子についでだから、という事で各自の将来入る墓の話題に成った。
先祖代々の墓/合同葬/樹木葬/散骨葬などなど十人十色であった。
 
現時点での各自の情報を確認してから、2年後にまた京都でやろうとことに成った。
 
今回の事があったから、クラス会の場所が変更され得ることをも互いに確認し合った。
 
自分も含めた誰かが2年後に生きているかどうかは、誰にも判らない事を、各自ともに自覚していたのだった。
 
70歳を過ぎたメンバーが集まった、今年のクラス会であった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                 お知らせ
 
*5月2日:『本日コラム2025』に「卯月、さくら月を公開しました。
 
*3月22日:『甲斐源氏の祖、源義光』に新しく
”穴太衆”と”黒川衆”を公開しました。
 
 
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  南十勝   聴囀楼 住人

   
   
                            
      
          
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                                
  

 
   
      

  
 
2018/11/12

限界集落

 
週は5日間ほど新潟県に、次作のための取材に行ってきました。
今週中に公開予定の『安田義定父子と、甲斐之國・越後之國』の情報収集のためです。
 
晩秋の新潟への取材旅行、と言っても鎌倉時代の安田義資公の痕跡や足跡を求める旅なので、平安時代や鎌倉時代に國府・國衙の在った上越地域に限られています。
新潟市や長岡市の在る中越や村上市などの下越は今回は立ち寄りませんでした。
 
この物語のために新潟を訪れるのは今回で3回目で、これまでの調査や取材では行き切れなかった場所や人物に逢ってきました。
 
対象はいつものように「八幡神社」「金山神社」「駒形神社」「国分寺跡」といった神社仏閣と図書館が中心で、郷土史研究家にもお逢いし情報交換をしてきました。
 
更に「祭り」や「神事」「行事」につながる情報収集も欠かせません。
上越では「祇園祭」と「舞楽=神楽」とに大きな特徴があることが判り、それなりに調べたり取材することが出来ました。
 
 
 
                 
 
 
 
今回の上越探訪で痛感したのは、山間いの村々での人口減少と住民の高齢化の進展です。
若い人達の都市部への人口流失は、働き場所の確保と現代風の生活様式の享受のためには防ぎようのない流れなので、このトレンドを防止することは出来ないだろうと思っています。
 
翻って私自身、故郷を顧みることなく大学を卒業後は、都市部を中心に転々として来たことから、他人に対してどうこう言うつもりもありません。
 
しかしながら若者の流失や地域住民の高齢化という事が主たる原因となって、かつて村々やそれぞれの地域で、数百年は続いて来たであろうお祭りや神事が、担い手不足や担い手の不在・消滅という形で、失われていくことや途絶えて行っている現実は、とても残念な事だと思っています。
 
山間いの村々や、中心市街地から遠ざかるエリアに成れば成るほど廃屋が目立ち、目にする人々は老人や高齢者が中心に成って行きます。
それらの地域では、かつて賑やかに行われた祭りや神事も行われなく成っていたり、神社そのものの荒廃が目立つように成っています。
 
そういった現実を眼にし、耳にするたびに残念な気持ちでいっぱいに成ります。
そして限界集落という最近よく聞くこの言葉が頭をよぎり、このまま行ったら各地で何百年もの間守られ伝承して来た神社やお寺、そしてそれに関連する祭りや神事・行事といったコトは、これから先いったいどう成ってしまうのだろうと、想わざるを得ません。
 
 
私は今、安田義定という八百年前の平安末期の武将の痕跡や足跡を探したり尋ねたりしていますが、私とは違った関心領域をお持ちの方や、違った立ち位置の方がたくさん現れて、遠からず忘れ去られてしまうかもしれない、神社や仏閣に足を運んでいただいて、何らかの形でその神社仏閣の神事・行事の存在意義や、歴史的な価値などを記録したり、掘り起こしたりして欲しいものだと、願って止みません。
 
いつか担い手が消滅しても、記録が残っていれば振り返る事や思い起こすことが出来るであろうと思われるからです。
 
かつて行われていて、今では途絶えてしまった祇園祭の山や鉾について、丁寧に探し当て掘り起こし、記録した若原史明氏が『祇園會山鉾大鑑』を取りまとめ、後世に残して来たようにです。
そういう意味では、私は各地にいらっしゃる郷土史研究家の方々の働きに、大いに期待を寄せています。
 
 
そして私自身は、安田義定という忘れ去られた平安末期から鎌倉初期の武将にこだわり続けることで、彼につながる埋もれた神社や仏閣、更には神事や祭りを調べ掘り起こし続けて行き「歴史検証物語」という形で記録し残して行きたいと思っています。
 
そのような事を痛感した、五日間ほどの晩秋の上越地方の旅でした。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
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北海道十勝 , 大樹町


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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