2019/1/9
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欲望の資本主義 |
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正月になるとNHKは毎年BS番組などで、かなり本格的といえる特別番組を放映する。人類が今どこにいて、現在直面している問題は何で、これからどこに向かおうとしているのか、といったような大きなテーマを取り上げ、それなりに掘り下げていて見応えはある。 今年放映していたのはここ数年続いている、表題の「欲望の資本主義」といったものの続編、とでもいうべきものだった。 世界中の最先端の経済学者や、社会学者・哲学者へのインタビューを通して、現在の世界経済や現代社会の置かれている状況をあぶりだし、ちょっとした将来予測を試みている。 同番組では、ケインズやカール・マルクス、シュンペーターといった学生時代に親しんだ、懐かしいマクロ経済学者もたびたび引用され、彼らの問題意識や警告が何度も登場した。 この番組では、人類史上最強の経済システムである「資本主義」は、その強さのゆえに自己増殖を繰り返し拡大し続けるとされている。 そして最後はその自らの飽くなき自己増殖によって、自壊してしまうことを運命付けられていると云う事であった。 これは、イデオロギーや政治体制の問題ではなく、経済システムの問題だと登場する学者たちは言っている。ソ連邦の崩壊や赤い資本主義大国中国を例に出して、この問題はイデオロギーや政治体制には関係ないと言っているのだ。 かつてレーガン大統領が言っていた「トリクルダウン」は結局幻想に終わり、パナマ文書などでも明らかなように 、税金回避によって富める者は更に富を追求し、蓄積する。 その結果経済格差が一層進展し、社会全体を格差が支配するようになっている、ということである。 経済社会のグローバル化という現象によって起きている現実は、一方でナショナリズムを喚起し、格差是正のためのアクションとして、黄色いベスト運動やGAFAへの課税の動きを生んでいる。 これはまた自分自身や、自分が所属する地域・国家のアイデンティティ喪失といった危機への抵抗という動きも、誘発しているようだ。 イギリスのEUからの離脱や、ヨーロッパ諸国でのナショナリスト政党の拡大と云った現象も根っこはこの辺りにあるのだろう。 幸いなことに過度な社会的な格差を嫌う傾向のある日本では、欧米の先進国ほどの格差には至っていない。この極端な格差社会を許容しない日本的な価値観は、これからの社会の在り方としては、有効なモデルになっていくかもしれないと、私は想っている。 ![]() ![]() 現在問題になっているカルロスゴーンの裁判などは、この日本人の価値観や社会的な格差に対する考え方が反映しているように、私には思える。 彼はグローバリズムを体現しているような人物で、出身国ブラジルや育った国レバノン、社会人として認められたフランスの三ゕ国の国籍を持っていて、世界中を飛び回っている人物である。 彼が日産で行った事の功績は称賛に価すると思うが、その富の分配のやり方でつまずいた様だ。日本人の価値観や職業倫理とは相いれなかったのだ。 彼の手法は国籍を持つそれぞれの国や欧米更には中国辺りなら、きっと問題にはならなかったのではないかと思われる。黒い猫でも白い猫でもネズミを捕まえる猫は許されるからである。それらの国では近代資本主義の推進役であった「職業倫理」といった価値観が、すでに失われているからだ。 日本人の価値観の中には「職業倫理」に代わって「道」という観念や価値観があり、利益を追求することより、その「道」を極めることに、社会的な評価が高く得られるのである。この「道」の観念はこれからの質を求める社会においては、とても重要な価値観に成るだろうと私は思っている。 因みに、冒頭の番組では近未来の社会は「AI技術の社会への浸透」「ベイシックインカムの導入」「生活の質の追求」といったことが、社会の在り方を決める事に成るのではないかと、言っていたようだ。 確かにそうかもしれない、と私も想う。 しかし一直線にその方向に向かうというわけではないだろうから、その過程においては様々な葛藤や矛盾・社会運動がおこり、行ったり来たりを繰り返し何十年か掛かって初めて、そう言った社会が実現するのだろうな、などと想っている。 「欲望の資本主義」とは、物理的にも心理的にも遠く離れた処で生活している私は、そのように想うのである。 ![]() |
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