春丘牛歩の世界
 
              W杯 ブラジル戦
 
昨日のブラジル戦で、2026年W杯北中米大会の日本代表戦は終わってしまった。
残念である。もう少し日本代表戦の戦いを観続けたかったからである。
 
W杯が開戦する前から、森保監督が公言していた「優勝を目指す!」という言葉を、私は初めから真に受けていなかったから、決勝戦までの試合を観る事ではなかった。
 
先ずはBEST8に到達する事が、現在の日本代表の”現実的な到達目標 ”だと考えていたので、私が期待していたのは、
出来る事なら今回のブラジル戦に運よく勝てて「BEST32→BEST16→BEST8」まで到達する、というシナリオであり、そのためにまだ”+2試合は観たかった ”のである。
 
 
しかし相手が悪かった、現在の日本代表が好いチームである事は確かだった。
しかしだからと言って
「ブラジル」「フランス」「アルゼンチン」「イングランド」「スペイン」「オランダ」に、
 
W杯のトーナメントリーグで間違いなく勝てる、とは考えてなかったし、現時点でそれは「期待」であり「願望」であり、「妄想」でしかない。
私は夢と現実とを明らかに区別する”現実主義者 ”だからである。
 
従って「+2試合」を観れなかったことが、残念だったのだ。
もう少し「観戦者」ではない「当事者」として、今回のW杯を愉しみたかったのである。
 
 
                    
 
 
 
さて、今回の「ブラジル戦」である。
最大の敗因は、選手個々人の技術や能力以上に、監督の「戦術プラン」の問題であり「選手起用のプラン」であったようだ。
 
言うまでもなく今回のブラジルを指揮していたのは、「名将アンティロッティ」である。
 
ヨーロッパのサッカー界の歴史や現状を良く知っている人には知られた人物で、ヨーロッパのクラブチームやナショナルチームを何回も勝利に導いて来た、百戦錬磨の名監督なのである。
 
W杯に向けて彼はチーム力を高め、チームとしての結束を強め、事前にPLAN:AやPLAN:B、PLAN:Cを準備し、備えておくことが出来る経験豊富な人物であった。
 
かつての日本代表を率いて来た監督で言えば、「オシム」や「ザッケローニ」に匹敵する現役監督である。
 
 
 
       
 
 
 
そしてそのアンティロッティが動いたのはハーフタイムを挟んだ、後半であった。
 
前半の日本DFの堅牢で統率の取れたブロック守備を、崩すための戦術を採用したのであった。
 
一つは中盤のメンバーチェンジであり、より決定的だったのは攻撃の主戦場を「中央」から「両サイド」に変更した事である。
すなわち、サイドチェンジを含め左右の両翼からの攻撃に替えたのであった。
 
これが見事に功を奏したのである。
 
これに対し日本のDF陣は前半の守備体制を継続しつつ、よりブロックを固めるためのメンバー交代や、陣形維持に努めたのであった。
これが森保監督の対応戦術であり、彼の限界でもあった。
 
 
解説の本田圭佑氏が盛んに叫んでいたように、”しっかり守って、同時に攻めろ!”や”守るだけやなくって、守りつつ攻めなアカン!”との違いであった。
 
日本は1点リードしていたから、守りを堅くしリードを守る事は、当然の選択肢であったことに疑いはない。
問題はその先に何を見たのか、何をしようとしたのかである。
勝つための手配を怠っていたのである。
 
森保監督は、そのまま堅守を堅持して1点を守り切るか、たとえ1点を返されたとしても、そのままドローで延長戦に持ち込めばよい、と考えていた様である。
 
 
 
       
 
 
 
もちろんこれはあくまでも推測であって、彼の口から語られないと真相は判らない。
 
その私の推測を裏付けるのは、「交代要員」のメンバーであった。即ち「攻撃陣」の「中村健斗」「堂安」に替えて、「守備要員」の「菅原」「鈴木淳之介」の投入であった。
 
 
これは明らかに後半戦の戦いの軸を、「堅守、速攻」から「専守防衛」に移したことを意味し、同時にその監督の意向をフィールド上の日本戦士達へ伝えるメッセージ、でもあった。
 
と、同時にブラジルの監督や選手達にとっては、「守備への負担」を軽減させて「攻撃に専念しても良い」という、メッセージにもなったのである。
 
 
ブラジル陣は「個人技」や「技術」では、日本選手の「技」を越えてる選手が明らかに多く、W杯を始めとしたカップ戦などを通じて「ノックアウト戦」という修羅場を経験している選手や、闘う術を知っている選手の数はもちろん多い。
 
そのブラジル選手たちに、森保監督は「専守攻撃」という、絶好の舞台を提供してしまったのだ。
 
それから彼らの猛攻撃が始まり、ほどなく同点に追いつかれてしまい、最終的には後半AT=ロスタイムに、勝ち越されてしまった。
 
後半戦での監督の采配、即ち「選手交替」と「戦術チェンジ」の差が、日本代表のブラジル戦敗退をもたらしたのであった。
 
 
直接的な要因は確かに、田中碧選手のブラジル右ウイングからの攻撃への対応のまずさがあったのであるが、より多くは監督の采配のミスであり、戦術のミスであった。その点をはき違えてはいけない。
 
更に付け加えるなら、控え要員の塩貝選手のSNSでの、不必要な「ブラジル選手への侮辱」であり、「挑発」であった。
 
このSNSがサッカー王国ブラジル選手たちのプライドを傷つけ、「国技」を汚されたと感じたセレソン達のハートに「火をつけた」のであった。
 
サッカーは「技」と「戦術」を駆使したスポーツである、と共にプライドを掛けた「心」や「情熱」を伴う、「ハート」のスポーツである事を、この若者は意識してなかった。
 
そしてこの若者の人間的な未熟さをたしなめたり、修正させるような「心理学的ケア」をコーチ陣が怠っていた事も、今回の敗因の一つだったと私は感じている。
 
 
 
 
       
 
 
 
一方森保氏はJリーグでは何回かの優勝経験を持ち、実績を持っている。「通常リーグ」向けの監督なのである。
彼は期間が限られた「国際的なカップ戦」でこれまで一度も頂点に立ったことが無い。
 
1年間を通して選手を育成し、チームを作ったり「リーグ戦」の戦い方には経験はあっても、3・4週間の間に「王者」を決める「国際マッチ」では、一度も結果を出してない。
 
せいぜい準優勝どまりだし、東京オリンピックでは「金メダル」を公言していたが、結果は4位で終わっている。
 
 
 
     ー 森保JAPANの国際カップ戦での戦績 ー
 

 ・2019年アジア杯:準優勝
 ・2021年東京オリンピック:4位
 ・2022年W杯:BEST16
 ・2024年アジア杯:BEST8 
 ・2026年W杯:BEST32
 
 
森保氏には選手育成の定評があり、実際「選手の育成」ではそれなりの結果を出している。その点は彼の指導者としての評価すべき能力であろう。
 
従ってこれから彼には、日本代表監督を今回限りで勇退してもらって、JFAの幹部として「アカデミー」等で若手を発掘したり、育成に力を注入してもらい、日本サッカー界の次世代を担う人材を育てる事などに、その能力を発揮してもらった方が良いのではなかろうか、と私は想う。
 
 
その上で次のW杯では、ぜひともBEST8を狙える監督を招聘してもらいたいものである。
 
このまま森保JAPANを継投するとしたら、日本の「50年以内W杯優勝」の道筋は、全く見えてこないであろうと私は想ってる。
と同時に、私自身のストレスも解消しない。
 
もし可能であるならば私は自分の人生が終わる前に、「日本代表のW杯優勝」を観てみたい、と想っている。
 
これは私のささやかな願望なのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                 お知らせ
 
 
*6月2日:『近江之國編』「六角征伐」と足利幕府衰退」を公開しました。同編はこれにて終了しました。
 
 『甲斐源氏の祖、源義光』は以上で、完結しました。
 
 *6月16日:『サッカーW杯』の「2026年北中米大会」を開設し、北中米大会における「日本代表戦」についてのコラムを記載することにしました。
28日第三弾として「06月26日:スウェーデン戦」を公開しました。
 
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                      牛歩
 
 

  南十勝   聴囀楼 住人

       
      
     
 
                            
      
          
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                                
  

 
   
      

  
 
2019/4/11

マスメディアとマイクロメディア

 
近年、私は新聞や雑誌を殆ど購読しなくなった。
必要な時に確認の意味で買うことはあるが、いわゆる定期購読をしなくなって数年経つ。
その理由は何故かを考えてみた。
始まりは定期購読をしていても読まずに、そのまま積んどくことが多くなったことがあるように思う。
 
それは新聞の情報量が多くなってきており、すべてのページに目を通すと2・3時間はかかってしまう点にあったように記憶している。国内はもちろんのこと海外の情報にも目を通すし、政治・経済・文化・社会・娯楽といった様々な分野に目を通すと結果的にはそんな風になってしまう。
社会との関わりが日本国内には留まらず、世界との距離感が近くなってきていることにも起因しているように思う。一種のグローバリズムの影響なのだろう。
 
 
そしてもう一つの原因はやはりインターネットの浸透であろう。
新聞を読まない日はあってもヤフーニュースなどを見ない日はない。インターネットで配信されるニュースは多くのメディアを網羅し、関心のある情報をその中からチョイスすれば事足りるからである。
しかもネット配信のニュースは、国内外の右から左までの陣営の情報の閲覧が可能で、それぞれの立場の情報の伝え方が判って、参考になる事が多い。
 
更にそれらの中には、その分野の専門家と思われる人たちが深堀りしたり、事件や事象の背景にまで細かく言及していて、分析が行われている記事にも、お目にかかる事が出来る。クオリティの高いジャーナリスティックな記事も、結構目にすることがある。
インターネットでは情報スピードの速さと共に、時間を置いての質の高い分析記事も手に入るのだ。
 
もちろんすべの配信記事が客観的で、質が高いというわけではない。とりわけ個人が発信する記事には時折「?」を感じるような、記事もある。そういう場合は配信している媒体や記事作成者の名前を記憶していて、以降はフィルターをかけるようにしている。
客観性や深堀り・分析といった専門性やクオリティを感じない情報や記事は、私には参考にならないからである。
 
いずれにしてもそのような事もあり、私の中で新聞や雑誌に対する接し方が変わってきている。たぶんこういった現象は私一人にとどまらず、少なからぬ人々が同様のスタンスをとるようになっているのではないか、と思われる。
したがってこの傾向というか潮流は、新聞や雑誌といったマスメディアにとっても、経営の根幹に関わるような、大きな変化や影響が起きているのではないかと、推察される。即ち読者数の少なからぬ減少であり、同時に購買額の減少である。
 
 
そしてまた同様のことは、TVの世界でも起きているのではないかと思われる。とりわけ地上波の世界で同様のことが起きているのではないかと推察される。
TVに「大人の見る番組が無い」といわれて久しいが、人生経験をある程度積んで人生や人間関係の表も裏もある程度経験している、私達のような中高年層が見たくなるような番組が少なくなっているし、それなりのクオリティの高い番組が少ないことも、TV離れの原因の一つとなっているであろう。
 
バラエティ番組やお笑い芸人・タレントが中心の番組などは言うに及ばず、連続番組などにおいても上っ面の人間関係や、ストーリーの先が簡単に予測され得るドラマを見てもつまらないのである。
それにBS放送やCATVといったより専門性の高い番組を、多くのチャンネルで見る事が出来るようになっている事も、原因の一つとなっているのではないかと思われる。
 
要は選択肢の激増によって、選ばれる理由や価値・クオリティを持たない番組は視聴の対象にならないわけである。
更にまた最近は動画配信やYouTube、アマゾンのファイヤーTV等の定額・低額や無料番組の配信の登場も、ある程度影響しているのではないだろうか。
 
 
この現象はかつて映画業界やラジオ業界が直面した問題であり、つい最近ではDVDやCDレンタル業界が直面している問題でもある。
新たなテクノロジーや媒体の登場による、既存秩序の崩壊と再編といった問題であり、同時に視聴者・利用者の専門性の高まりや多様化・グローバル化、といった環境の変化に関わりがあるように思われる。
 
しかしながら映画業界やラジオ業界がそうであったように、新聞・雑誌・地上波TVが消滅するという事にはならないであろう。淘汰はされ再編はされてもキット存続はし続けるだろうと思われる。
そしてこれからは一つや二つの寡占的なメディアが、マーケットに対して大きな影響力を与え続けるという事が、無くなって行くことが予測される。マスメディアの存在価値の相対的な低下や、社会的な影響力の低下である。
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アメリカの花札大統領が既存のメディアを介さず、ツイッターなどで自身の支持者に直接働きかけ発信続けるという行動は、この潮流の変化をある意味象徴しているように、思うこともできる。
ツイッターやフェイスブックといったSNSを介した個人の情報発信装置の登場は、マイクロメディアの登場や浸透という事もできるだろう。
そしてこの大きな流れや、新しい動きはこれまでのマスメディアにとって代わって、今後ますます進行し浸透し、広く深く進んで行き社会的な影響力を発揮して行くのではないだろうか。
 
 
と同時にこう云った事態の進行は、私などのような一介の中高年であっても、HPという自らの発信媒体を確保することで、自分の関心ある領域について発信し続ける事が出来る事を意味する。
そしてその結果、この私の発信するマイクロメディアが数百人の人々に閲覧し続けて貰ってられるのも、このような新たなテクノロジーの普及や、環境の変化といった大きな潮流があるからであると、思う事もできるのである。
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
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