春丘牛歩の世界
 
 
先月の終わりぐらいから、日の出の時間が明らかに早く成り、午前4時前には、既に周りが白み始める。
 
そうすると早起きの鳥たちが、チュルチュルピーピーなどと云って囀り始める。
 
そんな夢うつつの我が身の眠りを覚ますのは、次第に遠くから聞こえるカッコーの声である。
 
 
その声も時間と共に遠方から少しずつ近づいてきて、6時前後には我が家の林辺りに移り、”起きろー、朝だぞー ”とでも言ってる様に聞こえる。
 
因みに彼らの行動範囲は、ザックリ半径500m範囲のエリアである様だ。
 
その縄張り内を、少しずつ巡回しているのかもしれない。
もちろん婚活の、パートナーを求めているのであろう。
 
 
 
          
 
 
そんなのどかな初夏であるが、5月末から6月初頭にかけての3・4日は、いきなり夏日に成り、ピークには32・3度と、真夏日になった。
 
身体が夏仕様に成っていないため、睡眠不足に成り、おかげで昼寝の回数と時間が増えてしまった。
 
 
そんなこともあって、30度を超えた日々の昼食は「冷やしうどん」「冷やしソーメン」といった、真夏仕様のメニューにとなった。
 
これはこれで、愉しいものだから、自分的には喜んで作って食べた。
 
 
そして夜の食事は昼間の冷食を補うかの様に、豚肉と野菜たっぷりのスタミナ系のメニューとなった。
 
2日目は家人が近所の農家からもらって来た、「鹿肉の燻製」を使って料理した。
鹿の肉は柔らかくて食べやすく鶏のささ身に似ている。
 
我が家では食事は私の業務であり、ビニールハウスの野菜作りや、庭の草花の管理は家人の役割である。
 
 
 
                     
 
 
 
これはそれぞれが好きな事や、得意な事を担当するという結婚以来のルールに則っている。
 
それゆえにお互いにストレスは少なくて済んでいる。
 
我が家が比較的平和であるのは、これもその要因の一つだからであろう、と私は想っている。
 
 
そんな季節外れの猛暑も長続きはしない。
5日目からは平年の5月上旬と変わらない、過ごし易い気温に戻った。
猛暑日より10度以上下がり、20度未満の外気温に成った。おかげで体調も穏やかに推移している。
 
 
本州では台風6号の影響で、大雨に見舞われているという。
 
場所によっては河川の氾濫なども起きているというが、海水温が26度以下という事なので、颱風の勢力は日を追って収まって来るであろう。
 
 
まだ梅雨に突入していないらしいから、大雨が部分的に降っても”線状降水帯 ”などは発生しなくて済むであろう、と楽観的に捉えている。
 
むしろこの台風由来の雨で、本州の水がめのダムの貯水率はかなり回復するに違いない、などと肯定的に捉えている。
 
 
自然に関してはその環境下に棲む人間は、それに従うしかないのである。
 
人災に関しては対応のやり方もあろうが、天災に関してはそれに順応するしかない、というのが私の基本的な考え方なので、首都圏で生活している息子にも、そんな風に言っている。
 
 
彼が私のアドバイスを参考にしているかどうかは、不明であるが今わからなくてもいつの日か、判る時が来るだろうと、その辺は気長に考えている。
 
 
今月は彼の大好きなサッカーのW杯がもう直ぐ始まる。
W杯の期間は日本代表戦を軸に、彼とのコミュニケーションが深まる時期である。
 
睡眠不足に成らない程度に観戦して、息子とのコミュニケーションを密にして、夏本番前のこの時期を愉しみたいと、考えているところである。
 
 
 
      
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                 お知らせ
 
 
*6月2日:『近江之國編』「六角征伐」と足利幕府衰退」を公開しました。同編はこれにて終了しました。
 
 『甲斐源氏の祖、源義光』は以上で、完結しました。
 
 
 
    ♠     ♠     ♠     ♠
 
   *「お問い合わせ」ご希望の方へ
・週に何回か「お問い合わせ」欄をクリックされる方がいらっしゃいますが、メールが届いておりません。
当該HPは原則としてPCユーザー向けに設定されており、スマホ等ではアプローチに問題あるかもしれません。ご質問等がある場合は、PCを利用されることをお勧めします。
                      牛歩
 
 

  南十勝   聴囀楼 住人

          
 
                            
      
          
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                                
  

 
   
      

  
 
2019/7/11

祇園祭という神事

 
7月の中旬は祇園祭が全国で行われる。
祇園祭は「御霊会」と言って、「お盆」と同じくご先祖様を祀る行事であると共に、「感染症」や「伝染病」に対する予防や未病・注意喚起といったような、病気予防の性格を持つお祭りでもあるようだ。
 
去年の今頃もこのコラムでも書いたと思うが、集中豪雨や梅雨の長雨などの活発なこの時季は、河川の氾濫や決壊・土石流などといった言葉が、毎年のように場所を替えながら発生し、聞くことになる。それだけ夏直前のこの時季は、日本では水害が繰り返されるのである。今年は南九州を中心にそれらが起きている。
 
この一年の間に私は『安田義定父子と甲斐之國、越後之國』の物語を書き終え、この間鎌倉時代初期に安田義資(よしすけ)公が守護を務めた越後之國、新潟の上越地方を訪れているのであるが、やはりかの地にもしっかりと祇園祭が根付いていた。
 
 
上越の湊町直江津には「越後府中八幡神社」や「八坂祇園神社」といった義定公父子にゆかりある神社が在り、そこでも「直江津祇園祭(現在の名称は「上越祭り」と言っているが、地元の人は今でも「祇園さん」と言っている)は盛んにおこなわれている。
 
直江津は上越を代表する湊町で、室町時代ではすでに「三津七湊」と呼ばれる日本を代表する湊の一つであったという。
かの『安寿と厨子王』の物語の舞台はこの直江津だということだ。
 
 
この直江津は、現在は「関川」と呼ばれている大河が、日本海に注ぐ場所である。
関川はかつて「荒川」と呼ばれやはり暴れ川として有名だったらしい。長野県との県境の妙高山系に降り注いだ、長雨や集中豪雨・台風などがこの川から大量に流れ込むわけである。その名の通り昔から大きな水害に見舞われる街だったのだ。
 
直江津にはこの関川だけでなく「保倉川」や「飯田川」といった、主として「米山」山などの上越の北側に位置し、中越との境になる山々から流れ込む川が在り、やはり暴れ川であったという。それらの河川が会し、集中する場所が直江津近郊であったというわけだ。
 
そのような地理的背景があって、あばれ河川の集中するこの街には「直江津八坂の祇園神社」が在り、この時季「祇園祭」が行われているのである。
 
 
越後之国の上越地方でいうと「越後筒石」という難所で有名なエリアの西隣「糸魚川」でも祇園祭は盛んである。「能生川」沿いの旧能生町や「早川」沿いの梶屋敷といったエリアである。
いずれも北アルプスの麓で、2000m級のそれらの山々からもたらされた、勢いの強い鉄砲水などの水害に見舞われた場所である。
 
と同時にそれらの河川の上流には「金山(かなやま)」や「裏金山」といった、金が産出したことを暗示する山が控えていて、沿川には「金山彦」や「金山姫」を祭った「金山神社」 が在り、甲州金山衆の子孫たちが活躍したエリアでもある。
 
 
              
 
 
 
その沿川の街「能生」や「梶屋敷=鍛冶屋敷」「糸魚川」では、祇園祭とともに「舞楽」もまた有名である。私はそれらの祭りのスポンサーになったのは、金銀の産出で潤沢な資金を持っていた金山衆や、かつての守護安田義資公ではなかったかと、推測している。
 
祭りを始めるのにはやはり、動機と共に有力なスポンサーが必要なのである。衣装や神輿・舞台装置・祭器といったものには、少なからぬ費用が必要に成るからである。
詳細は『安田義定父子と甲斐之國、越後之國』の物語に書いたとおりである。
 
 
更に上越を離れると中越長岡には「金峰神社」と呼ばれる旧蔵王権現の神社が在る。
この神社の名称は明治維新の神仏分離策=廃仏毀釈に依って変更されたのであるが、この神社では越後之國で唯一といって良い「流鏑馬」の神事が、今もなお残存しているのであるが、それが行われるのはこの祇園祭の時季なのである。
 
この長岡の「蔵王権現神社」はとても興味ある神社で、その名が示す通り越後の修験道の根本道場であるにも拘らず、山奥ではなく信濃川流域の新潟平野の一画に存している。
その神社の「流鏑馬」神事であり、かつてはその祭りでは山車や傘鉾の巡行が同時期の祭祀として執り行われていたという伝承を持つ。
 
祇園祭との関連性が窺えるのである。しかも越後之國で唯一残っている武士の競技大会である「流鏑馬の神事」なのである。
修験者の神社に何故か武士の武芸の神事が在り、祇園祭の名残があるのである。
更にこの神社が、かつて修験道場の在ったとされる山奥の栃尾楡原から山を下ったのは、平安後期から鎌倉期であるという。
私にはやはり安田義定公父子の影を感じるのだ。
 
 
さらに興味深いことに、「蔵王権現」がかつて在った楡原は修験道のレジェンドである「秋葉三尺坊」が修行した場所と言われており、その三尺坊は安田義定公の領国遠州春野町の「秋葉神社」にも深く関わって来るのだ。
私が現在取り掛かっているのはこの「秋葉三尺坊と安田義定公」の関係を、明らかにすることを主題とした『安田義定と秋葉神社』の物語である。
 
「祇園祭」「流鏑馬」「舞楽」といった幾つかの神事や「秋葉三尺坊」を、800年前に残してくれた神様の指紋として探し求めて、私はしばらくの間
遠州静岡・甲斐之國山梨・信州戸隠・越後長岡
のフォッサマグナのラインを行ったり来たりすることになるであろう、と想っている。
これもまた神様のお導きなのであろうか・・。などと祇園祭の近づいている梅雨寒むの続く今、思っている次第なのである。
 
 
               
 
 
 
 
 
 
 
   
 
 
 
 
最新記事
月別アーカイブ



〒089-2100
北海道十勝 , 大樹町


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
]