今週は、7月22日の”大暑”をピークに猛暑の週であった。 連日33度以上の日が続き、23日の水曜日は36度と今シーズンに入っての最高気温を記録した。”猛暑日”だった。 帯広は40度に達するかも、と気象庁が推測した十勝の最高気温は実際には38.9度と、推測以下で済んだ。 帯広は海から60㎞前後遡った盆地という事で、旭川や北見同様に北海道でもたびたび冬の最低気温と共に、夏の最高気温を記録する気候の厳しい都市である。 冬寒く、夏暑いのは盆地の持つ地理的な”宿命”である。 自然環境は厳しいが、その分果物などの生育や昼夜の寒暖差が大きい場所でもあり、悪い事ばかりではない。 因みに私が生息している南十勝の大樹町は、帯広とは6・70㎞南南東に離れており、更に海から3・4㎞しか離れていない事もあって、帯広に比べ3度前後は低くて済む。 従って、盆地の帯広よりは夏の暑さも冬の厳しさも緩くて済むのである。首都圏の友人などがニュースを見て、心配してメールをくれるが、いつもそう言って彼らの懸念に応えている。 そして昨日あたりから最高気温も逓減してきており、朝夕は涼やかな風さえ感じられる様になって、 ピークの23日の36度→24日:32度→25日:30度と日を追う毎に、過ごし易くなってきている。 週間予測でも、今後最高気温が30度を超える日は数えるほどしかなく、20度台で推移すると予測されており、最低気温は20度以下が常態化するとされている。 今年は、立秋(8月7日)に向けて秋が早くやってくるかもしれない。実はそれを予感させる現象が起きているのだ。 ![]() 猛暑日の数日前から、我が家の畑では赤とんぼが十匹以上確認できているし、市街地に向かう道路沿いのススキの穂が膨らんできているのである。 もちろんススキの白い穂を目にするのは、まだ10日や二週間はかかるのだろうが、昆虫や草木は既に秋の到来を予感しているのである。 更に今日は、いつもは8月下旬に咲く”ブラックベリーの白く可憐な花”を、数輪確認することも出来た。 気象庁の予測ではまだしばらく暑さが続くことに成っているが、自然界からの便りは秋の早期到来を予感させるシグナルが、幾つも出てきているのである。 ![]() |
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春丘牛歩の世界にようこそ。 このページでは私の個人的な興味・関心あることについてコメントしている「随筆/コラム」や「歴史検証」を中心とした「物語」について書きしるしています。【 構 成 】1.随 筆①.「食べるコト、飲むコト」:飲や食にまつわる事柄を書いてます。②.「コラム2020年版」:2020年のコラムをこちらに載せてます。③「コラム2021」:2021年のコラムを載せています。④.「コラム2022」:2022年度のコラムを載せています。 ⑤.「コラム2023」:2023年のコラムを載せています。⑥.「コラム2024」:2024年のコラムを載せています。⑦.「コラム2025」:2025年のコラムを載せてます。⑧「新型コロナウィルス、コラム」新型コロナ関連専用コラムです。⑨「生きている言葉」:私の心に響いてくる言葉たちです。⑩『2022年W杯カタール大会』:日本代表の試合へのコメントです。A:「サッカー日本代表:W杯への道」:森保JAPAN以外B:「サッカー日本代表:森保JAPAN」:サッカー日本代表の森保JAPANへの応援や叱責です。⑪『相撲というスポーツ』:相撲に関することを書いています。2.物 語 ①.『甲斐源氏の祖、源義光』:安田義定シリーズ7 ②.『甲斐源氏と常陸之國』:安田義定シリーズ6 ④.『安田義定と秋葉山本宮』:安田義定シリーズ5 ⑤.『安田義定父子と、甲斐之國・越後之國』:安田義定シリーズ4 ⑥.『京都祇園祭りと遠江守安田義定』:安田義定シリーズ3 ⑧.『蝦夷金山と甲州金山衆(かなやましゅう)』:鎌倉時代の蝦夷金山の話 ⑨.『荒木大学と甲州金山』:甲州金山衆と甲州金山の物語。⑧の続編 ⑩.『大野土佐日記と甲州金山衆』:安田義定シリーズ1 ⑪.『甲斐源氏安田義定と駿河・遠江之國』:安田義定シリーズ2 ![]() 鎌倉時代の騎馬武者 3.スピンオフ:番外編 :コロナの影響で作った番外編 を基に』 |
随 筆 |
物 語 |
『安田義定と秋葉山本宮』 ―歴史検証物語― 前作『安田義定父子と甲斐之國、越後之國』において、猿田彦命にもつながる「秋葉三尺坊」という高名な修験者の存在を知る事に成った主人公立花は、その修験者「秋葉三尺坊」について調べることにした。 秋葉三尺坊は信州戸隠に生まれ、越後長岡の蔵王権現で修行して、その努力によって背中に羽根を生やし自在に空を飛ぶことが出来たとされる大修験者で、更に遠州春野町の「秋葉神社」にも関わったとされる修験者の世界のレジェンドであったという。 平安時代から鎌倉時代において活躍したと伝えられてるその大修験者は、偶然にも同時代に「遠江之國の国守」を務めた安田義定公と、彼の嫡男で源頼朝の領国の一つである「越後之國の初代守護」を務めた安田義資公の領国とに関係していたのである。 それを知って義定公&義資公と「秋葉神社」又は「秋葉三尺坊」との間に、何らかの繋がりがあるかもしれないと考えた立花は、手始めに遠州地区での新たな調査・研究を始めたのであった。 この物語は、『遠州の舞楽編』と『遠州春野町編』『神社仏閣と「社紋寺紋編」』とによって構成されている。秋葉山や春埜山の麓である北遠「春野町」においても、遠江之守安田義定公や彼の家臣であった、馬奉行の「宮道遠式」や金山開発を担った金山衆の痕跡や足跡を、幾つか確認する事が出来るのであった。 ― 遠州の舞楽編 ― 【 目 次 】 1.プロローグ 2.遠州の舞楽 ![]() 遠州平野と遠州灘 ![]() 国宝:安縄(秋葉山本宮神社、所蔵) ![]() 春野町大時の民家の石垣 |
![]() 〒089-2100 北海道十勝 , 大樹町 ![]() ] ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |