先週の金曜日から昨日まで、サッカー日本代表の来年に迫ったW杯に向けた「強化試合」が、2戦行われた。 「対パラグアイ戦」「対ブラジル戦」がそれである。 2試合を観ての感想は、「冨安」「板倉」のケガによる離脱のせいか、DF陣がマダマダ安定しておらず結果として、両試合とも2点ずつ奪われてしまったのは、ある意味必然であった。 ![]() 私はブラジルにはもっと点が奪われるかもしれない、と懸念していたが、結果的にブラジルDF陣も不安定であったため、「南野」「中村」へのプレゼントゴールがあって、彼らは浮足立っていた。 3点目の「上田綺世のゴール」は、伊東純也からのコーナーキックからの得点で、こちらは間違いなく実力であった。 3点目に関しては、称賛に値するゴールであった。 というのもこのスタイルは、アジア最終予選の時から培われていた得点パターンで、この時は上田綺世選手も落ち着いて決める事が出来たようだ。 上田は前半にも決定的なシーンがあったが、その比較的イージーな場面で得点機を逃したのは、彼の「未熟さ」よりも「心の問題」だったように私の眼には映った。 すなわち決定機を逃したのは、サッカー大国ブラジルへの「尊敬と畏怖の念」から、「平常心」を失ってしまった結果であったと、推察したのである。 ![]() 後半の終盤に成って訪れたチャンスに、いつも通り対応出来て、ゴールを決められたのは、それまでブラジルDF陣が自滅により2点日本に献上してた事と無縁ではなかった、と私は想っている。 この時の得点は、彼の中でブラジルに対する「尊敬と畏怖」が消えていたから、だと想っている。 それで「平常心」に戻る事が出来たのだ、と私は想ってる。 因みにブラジル戦では、日本代表は「前半」と「後半」とでは別のチームに成っていた。 「前半」のままのDF陣が不安定なチームだと、「BEST16」の壁は破れないであろうし、「後半」のチームであれば「BEST8」への進出も可能かもしれない、などと想ったのである。 また、不安定な日本DF陣において新たな選手の成長が見られたのは喜ばしい事であった。 鈴木淳之介の事である。 彼が今回のブラジルとの戦いで自信を持って、このまま成長し続ければ、「冨安」「板倉」「谷口」と共に、日本DF陣の安定化に寄与するに選手に成るだろう、と想われるからである。 いずれにせよ今回の二つの親善試合は、日本代表にとって「現時点での課題」がどこにあるのか、を知ることと「自信を付ける」きっかけを与えてくれた試合であった、という事は言えそうである。 |
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春丘牛歩の世界にようこそ。 このページでは私の個人的な興味・関心あることについてコメントしている「随筆/コラム」や「歴史検証」を中心とした「物語」について書きしるしています。【 構 成 】1.随 筆①.「食べるコト、飲むコト」:飲や食にまつわる事柄を書いてます。②.「コラム2020年版」:2020年のコラムをこちらに載せてます。③「コラム2021」:2021年のコラムを載せています。④.「コラム2022」:2022年度のコラムを載せています。 ⑤.「コラム2023」:2023年のコラムを載せています。⑥.「コラム2024」:2024年のコラムを載せています。⑦.「コラム2025」:2025年のコラムを載せてます。⑧「新型コロナウィルス、コラム」新型コロナ関連専用コラムです。⑨「生きている言葉」:私の心に響いてくる言葉たちです。⑩『2022年W杯カタール大会』:日本代表の試合へのコメントです。A:「サッカー日本代表:W杯への道」:森保JAPAN以外B:「サッカー日本代表:森保JAPAN」:サッカー日本代表の森保JAPANへの応援や叱責です。⑪『相撲というスポーツ』:相撲に関することを書いています。2.物 語 ①.『甲斐源氏の祖、源義光』:安田義定シリーズ7 ②.『甲斐源氏と常陸之國』:安田義定シリーズ6 ④.『安田義定と秋葉山本宮』:安田義定シリーズ5 ⑤.『安田義定父子と、甲斐之國・越後之國』:安田義定シリーズ4 ⑥.『京都祇園祭りと遠江守安田義定』:安田義定シリーズ3 ⑧.『蝦夷金山と甲州金山衆(かなやましゅう)』:鎌倉時代の蝦夷金山の話 ⑨.『荒木大学と甲州金山』:甲州金山衆と甲州金山の物語。⑧の続編 ⑩.『大野土佐日記と甲州金山衆』:安田義定シリーズ1 ⑪.『甲斐源氏安田義定と駿河・遠江之國』:安田義定シリーズ2 ![]() 鎌倉時代の騎馬武者 3.スピンオフ:番外編 :コロナの影響で作った番外編 を基に』 |
随 筆 |
物 語 |
『安田義定と秋葉山本宮』 ―歴史検証物語― 前作『安田義定父子と甲斐之國、越後之國』において、猿田彦命にもつながる「秋葉三尺坊」という高名な修験者の存在を知る事に成った主人公立花は、その修験者「秋葉三尺坊」について調べることにした。 秋葉三尺坊は信州戸隠に生まれ、越後長岡の蔵王権現で修行して、その努力によって背中に羽根を生やし自在に空を飛ぶことが出来たとされる大修験者で、更に遠州春野町の「秋葉神社」にも関わったとされる修験者の世界のレジェンドであったという。 平安時代から鎌倉時代において活躍したと伝えられてるその大修験者は、偶然にも同時代に「遠江之國の国守」を務めた安田義定公と、彼の嫡男で源頼朝の領国の一つである「越後之國の初代守護」を務めた安田義資公の領国とに関係していたのである。 それを知って義定公&義資公と「秋葉神社」又は「秋葉三尺坊」との間に、何らかの繋がりがあるかもしれないと考えた立花は、手始めに遠州地区での新たな調査・研究を始めたのであった。 この物語は、『遠州の舞楽編』と『遠州春野町編』『神社仏閣と「社紋寺紋編」』とによって構成されている。秋葉山や春埜山の麓である北遠「春野町」においても、遠江之守安田義定公や彼の家臣であった、馬奉行の「宮道遠式」や金山開発を担った金山衆の痕跡や足跡を、幾つか確認する事が出来るのであった。 ― 遠州の舞楽編 ― 【 目 次 】 1.プロローグ 2.遠州の舞楽 ![]() 遠州平野と遠州灘 ![]() 国宝:安縄(秋葉山本宮神社、所蔵) ![]() 春野町大時の民家の石垣 |
![]() 〒089-2100 北海道十勝 , 大樹町 ![]() ] ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |