春丘牛歩の世界
 
先週から、「行者ニンニク」が採れる様に成り、我が家の食卓にも乗るようになった。
行者ニンニクが採れる様に成ると、今年の春がやって来た事を実感する。
これまでの私の経験では「行者ニンニク」が生えてきてから、雪が降ったことは無いから、である。
 
 
      
 
 
野生の昆虫や動物たちが作る巣の位置で、颱風の影響を早い時期に推測できることがあるが、自然界の生き物たちは彼らなりのセンサーで、天候や自然現象を察知する能力がある。
そんな事から私は、「行者ニンニク」が我が家の林に生え始めることを、季節の到来のメルクマール(指標)にしているのである。
 
 
      
 
       
         
 
     
 
 
    記事等の更新情報 】
*4月19日 :「コラム2024」に、「青い春」と「チャレンジ虫」を追加しました。
*3月25日:「相撲というスポーツ」に「新星たちの登場、2024年春場所」を公開しました。
*2月8日:「サッカー日本代表森保JAPAN」に「再びの『さらば森保!』今度こそ『アディオス⁉』を追加しました。
*01月01日:本日『無位の真人、或いは北大路魯山人』に「無位の真人」僧良寛、或いは・・を公開しました。
これにて本物語は完結しました。
12月13日:  『生きている言葉』に過ぎたるはなお、及ばざるが如し」を追加しました。
*9月29日:「食べるコト、飲むコト」 に「バター炒め二品 」を追加しました。
*9月27日;「物語その後日譚」に「奥静岡の鶏冠(とさか)山」を、追加しました。
 
 

  南十勝   聴囀楼 住人

          
               
                                                                  

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         2024.05.01
              牛歩
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
      
   

 

このコラムでは、私の人生の楽しみと言って良い「食べ物」や「飲み物」さらには「料理」に関することなどについて、日々感じていることどもを書き綴っています。食べ物に興味のある方はぜひ覗いてみてください。

 
 
          
 
       ㊽「バター炒め二品(2023.09.29)
㊼「ビニールハウス」       (2022.10.26)
インスタント食品との付き合い方 (2022.05.02)
㊺「匂いは、旨さのバロメーター」 (2022.02.15)
㊹「ブレンドという名の-混ぜ物-」  (2021.09.21)
        ㊷「酒を巡る遍歴」            (2021.02.25)
        ㊶「食のローテーション」       (2021.02.02)
        ㊵「太き麺は悦び」            (2021.01.16)
 
          ㊴「十勝の地魚」             (2020.10.12)
          ㊳「ジャムを作る」            (2020.08.19)
       ㊲「酒の肴」                  (2020.06.14)
       ㊱「回転寿し」               (2020.06.02)
 
       ㉟「アスパラガス」            (2020.05.13)
       ㉞「北海道のツブ貝」          (2020.04.15)
       ㉝「最近のmyブーム」         (2020.03.03)
       ㉜「おでん」                 (2020.02.12)
       ㉛「カボチャのほうとう」         (2020.01.17)
 
       ㉚「柑橘類 」                 (2019.12.24)
       ㉙ 「昭和の匂いのする喫茶店」    (2019.12.04)
       ㉘「松花堂弁当風駅弁」         (2019.11.10)
       ㉗.「九州ラーメン」             (2019.10.23)
       ㉖.「ぬか漬け」                    (2019.09.30)
 
       ㉕.「パプリカ」                      (2019.08.27)
       ㉔.「冷やしうどん又はそうめん」         (2019.08.05)
       ㉓.「シーニックカフェ」                  (2019.07.25)
       ㉒.「 ニ ラ 」                       (2019.07.13)
       ㉑.「食品ロスとミニ海鮮丼」            (2019.06.17)
       ⑳.「冷やし中華」                    (2019.06.02)
 
       ⑲.「カレーチャーハン」                (2019.05.24)
       ⑱.「手巻き寿司」                     (2019.05.14)
       ⑰.「バーべキューとジビエ」              (2019.05.03)
       ⑯.「麺類は友だち」                     (2019.04.23)
       ⑮.「焼き鳥」                        (2019.04.15)
       ⑭.「お花見とたこ焼き」                (2019.04.04)
 
       ⑬.「大根」                         (2019.03.02)
       ⑫.「餃子」                         (2019.02.27)
       ⑪.「お好み焼き」                     (2019.02.17)
       ⑩.「珈琲」                         (2019.01.13)
       ⑨.「日本酒」                        (2019.01.06)
 
       ⑧.「毛蟹」                          (2018.12.25)
       ⑦.「かぼちゃ」                        (2018.12.18)
       ⑥.「鍋料理に不可欠なモノ」              (2018.11.30)
       ⑤.「食のカルチャーショック」              (2018.11.03)
 
         = 以下は「ブログからの転載」です =
        
       ④.「北海道の鮨」                     (2018.08.22)
       ③.「土用の丑の日」                  (2018.07.20)
       ②.「大きなシジミ貝、made in TAIKI 」(2018.07.18)
       ①.「行者ニンニク」                    (2018.05.14)
 
 
 
 
 

 バター炒め二品

 
 
今年我が家では茄子が豊作であった。
これまで我が家の茄子料理と言えば、「焼きナス」と「焼きそばの具材」「うどん/ラーメン類の具材」といったモノが定番であったが、「お漬物」や「みそ汁」を作らないので残念な事にそれらには登場しない。
 
そこで今年は新しい「茄子料理」にチャレンジしてみた。「茄子のバター炒め」である。
ヒジョーにシンプルで美味しそうだったので、試してみた。
「旨い!」と言える味に到達するのに3回ほど試行錯誤したが、今ではすっかり自得し我が家のメニューとして定着するようになった。
 
茄子を縦にスライスし、1本で四枚ぐらいに切ったものを油で焦げ目を入れ、両面を多少柔らかくする。
その上で、バターをひとかけら落としスライスした茄子に出来るだけ均等にバターを浸み込ませる様に炒める。
その茄子がシンナリしたところで火を止めて、サッと醤油を垂らす。
辺りにはバターと醤油の食欲をそそるオイシイ匂いがパット広がる。
 
これだけである。
10分も掛からないで出来る。
バターの量が大きすぎたり、醤油の量が多すぎると味がくどくなってしまうので、その点には注意を要する。
私の場合はなす二本分だと、「切れてるバター」ひとかけらを使って、醤油をサッと一掛けするだけである。
濃いめの味が好きな人は別だが、私の場合はこれだけである。
 
 
 
                  
 
 
仕上げに「パセリ」や「バジル」の緑色や、赤い「ミニトマト」を同じ皿にのせると色合いが佳くなり、見た目にも美しい。
料理はちょっとした工夫で「目を愉しませる」ことも出来る。
 
元来バターと醤油の組み合わせはBestマッチなので、バターを使った料理に仕上げとして醤油をサッと垂らすことが多い。
 
 
次の「ベーコンニラ玉炒め」も同様である。
 
この時の材料は「ニラ」でも「行者ニンニク」でも良いのであるが、我が家ではGWから7月にかけて、「行者ニンニク」や「ニラ」が庭やビニールハウスから採れる時に、頻く食卓に上がるメニューである。
 
作り方は、最初に胡椒をまぶしたベーコンをフライパンで焦げ目が出るまで炒めておいて、ニラや行者ニンニクの茎の部分を投入する。
その間玉子を攪拌する作業を進め、茎が多少柔らかくなったタイミングに柔らかい葉っぱの部分を投入し、先の材料と混ぜて炒める。
 
葉っぱの部分がシンナリし始めたら、バターをひとかけら投入する。
そして全体が良く混ざり、葉物も他の具材と馴染んだころ合いを図って、醤油をサッと一振り掛けるのである。その上で、先ほどの攪拌した卵を混ぜてあえるように炒める。
 
「茄子のバター炒め」と同様に佳き匂いが、台所にポワンと漂うのは同じである。
 
 
 
                
 
 
 
この料理で気を付けなくてはいけないのは、料理の組み合わせである。
単品がオイシイしいからと言って、組み合わせを間違えては元も子もないのは言うまでもない。
 
この「ベーコンニラ玉」と「茄子バター」を同じテーブルには出さないのはもちろんの事で、両品とも「バター醤油」の味がしっかり自己主張するので、クドくなってしまうのだ。
従ってこの品の相方には、酢の物系の品を付け加えるなどして、バランスを取ることが大切である。
さもないと味がクド過ぎて、せっかくの味が相殺してしまうのである。
 
因みに我が家では、メインデッシュとは別に「中華サラダ」や「ピクルス類」「モズク酢」等を同じテーブルに載せる事が多い。
 
また冬場に成って「ほうれん草」が沢山出回る頃には、「ニラ」や「行者ニンニク」に替わって、「ほうれん草」が登場することもある
 
 
 
 
 

 ビニールハウス

 
この前の日曜日我が家ではビニールハウスをたたんだ。
寒さが進みボチボチ霜が降り始めたからである。
霜が降りるとハウスに架けているビニールが傷みやすくなり、寿命が縮まるからである。
 
日記で確認したところ、今年ハウスにビニールを架けたのが5月15日という事であったから、約5か月ほどお世話に成っていたことに成る。
今年の収穫で活躍したのは「アスパラ」「イチゴ」「ニラ」「ミニトマト」「大葉」「バジル」「茄子」「パプリカ」「人参」といったところが、主たる収獲品であった。
 
いずれも採れたてのそれら農作物は、我が家の食卓に載り大いに役立ったのであるが、中でも「大葉」と「茄子」には調理メニューでの新活用法が開拓されたこともあって、大いに重宝したのであった。
 
 
                 
 
 
「茄子」はご存知なように自ら明確な味を有していない事もあって、大根同様に味の強いメニューの脇役として使う事が多く、「麺類」や「炒め物」にプラスアルファ用食材として利用することがあって、それらのスープや味を吸って自らの味を形成し「旨さ」を感じさせてくれることが多い農作物である。これは大根と同じである。
 
それら従来の活用に加えて今年は新メニューとして、茄子を縦に切ってスライス状にした上で、フライパンにバターを敷いて表裏を焼いた上で、軽くサラッと醤油を垂らすだけで、良い香りと共に旨い味を愉しむことが出来ることを発見した。
しかも所要時間は10分と掛からない、お手軽料理であった。
 
そんな手軽さや味の良さがあって、他のメニューで何となく物足りなさを感じた時に、追加メニューとして気軽に使った事もあって、今年は登場回数がかなり多かった。
今年の茄子は需要の多さに生育という生産が追い付かないほどであった。
 
この新メニューは家族にもすこぶる評判が好く、来年は茄子の苗木を今年の倍にしようと衆議が一致したほどである。
 
 
              
 
 
次に「大葉」であるが「大葉」も今年は大活躍であった。
従来は香野菜としてバジルなどと共に使う事が多く、夏場の「ソーメン」や「冷やしうどん」等での薬味として使われることが多かったのであるが、今年はそれに加えて刺身類の敷物として活用したり、肉料理の味付けとして用いる事が多かった。
 
取り分け「豚キムチ丼」や「プルコギ丼」といった濃いめの味付けの肉料理に、トッピングで上に載せると、見た目にも赤と緑のコントラストの好さが際立ち、更に濃い味の肉類に対しサッパリとした香野菜がマッチして、実に好く肉の味が引き立つことが判明した。
 
以来我が家で週に1回は登場する濃いめの肉料理や、濃い味ソースの「ミートソース」「ナポリタン」「バター風味ソース」等のパスタ料理を作る際には、必ずといってよい頻度でトッピング用の「大葉」が「バジル」等と共に登場することに成った。
 
従って今年の大葉は、まさに大活躍であった。
昨年まで大葉は「葉」が茂り過ぎて、使い切るまでもなく立ち枯れさせることが多かったのであるが、今年はそんなこともなく大いに役立ったのであった。
 
半年間のビニールハウスは、初夏から中秋にかけ我が家の家計を助けつつ、新鮮な素材を提供して豊かな味を演出し、新たな旨味を発見させ同時にもたらせてくれる、実にありがたい存在であった。
 
これだけ貢献度が高いこともあって、来年以降もまたビニールハウスには大いにお世話になる予定でいる。
その感謝の気持ちを持って「ビニール類」を私達は納屋にしまったのであった。
 
 
 
 

 インスタント食品との付き合い方

 
私はこれまでも何度か触れてきたように料理を作るのが好きなので、我が家の主食は殆ど私が創っている。ではあるが決して時間をたっぷりかけて本格的な料理を作っているわけではない。
美味しいごはんを食べることが好きだから、料理が好きだと言わない家人に替わって、時間のある私が作っているに過ぎないのである。
 
また私の関心事は如何においしい料理を作り食べるかに力点が置かれ、必ずしも手間暇をかけた料理を作ることを指向しているわけではない。
 
そんなこともあって美味しい料理を食べるための「ひと手間」や「工夫」については関心があるが、ゼロから作り始めるコトへの拘りは高いわけではないのである。
 
 
従って出来合いのインスタント食品を活用する事が多い。
その代表例が「ラーメン」や「パスタ料理」だと思う。
 
いずれも「スープの素」や「麺類」はスーパーなどで売っている既存の加工品であって、自ら「スープ類」や「麺類」を造ることはなくそれらはもっぱら市販品を活用している。
ではあるが、どの「市販品」を買い求めるかについてはそれなりに拘っている。
 
更にここでも何回も取り上げているように「だし汁」や「使用する素材の組み合わせ」については拘りを持っている、のである。
 
 
具体的に「パスタ料理」であれば以下のようにしている。
 
我が家でパスタが作られるのは昼食が比較的多い。
麺を湯がいて市販の「パスタソース」を使うと簡単に出来るからである。
 
パスタ麺は1.7mg~1.8mgが多いのは、太麺が好きな私の好みに依っている。細麺好みの家人は1.4mgをもっぱら購入するが私はそれらの細麺を使う事は無い。
何よりも「パスタソース」との絡みがほとんど期待できないため、細麺を旨いと思う事が私には出来ないのである。
 
次に市販の「パスタソース」は出来るだけ専業メーカーの商品を買う事が多い。
総合食品メーカーはCMなどにより知名度は高いが、味は専業メーカーの方が確かで旨いと思うことが多いからである。
 
専業メーカーは「その道一筋」なので、当該商品の商品開発や研究にそれだけ熱心であり「一所懸命」なのである。
これは食品だけに関わることではなく、機械関係のメーカーなどにも同じことは言えると私は考えているため、総合メーカーより専業メーカーを重んじる傾向がある。
 
という事で専業メーカーのインスタント食品である「パスタソース」を購入してきて料理を作るのだが、云うまでもなくその市販品を活用して様々な素材を投入する。
食事に「彩を添える」事や「関連する具材」を追加することで、より豊かで旨いパスタを食べることが出来るからである。
 
 
例えば「アサリのボンゴレパスタ」だとこんな風になる。
「市販のパスタソース」を出来るだけ多めに使って、スーパーで売ってる本物の「貝付きアサリ」や「ベビーホタテ」を適量投入する。これだけで味はグッと好くなる。
出来るだけ近場の北海道産素材を撰ぶことにしている。
 
ついで「彩」のために季節の素材、とりわけ野菜類を投入するのである。
春先の現在であれば「アスパラ」や「行者ニンニク」の緑を入れる。加えてこれはまだ季節の野菜とは言えないが「彩」のために「ミニトマト」や「焼いた甘エビ」も入れる。
 
パスタソースやパスタ麺が「ベージュ系」で、それに「緑の野菜」が入り「赤い」ミニトマトや「焼き甘エビ」が加わると色彩のバランスがとれて、見た目はグッと好くなるのである。
そして味はというと、「貝付きアサリ」や「ベビーホタテ」が持っている旨味が「市販のパスタソース」と絡み合って、とてもおいしく食べることが出来るのである。
 
これらは素材さえしっかり確保しておけば3・40分程度で簡単に作れ、かつ旨いパスタが食べられるのである。
麺類が大好きな私は週に2・3回はこうやって、昼食にパスタ料理を作って食べているのである。
 
更に多めに使った「ボンゴレパスタソース」の残りは、旨味のエキスがギュッと詰まっている事から、必ず再利用をする事にしている。 
即ち翌日の昼食に「雑炊」を作る際のベース素材として活用するのである。
 
チョット固めの残りもののお米と野菜類や豚肉などと共に、作り置きの「だし汁」を加えて小ぶりの土鍋で作る、「雑炊」の基本スープとなって活躍するのである。
これもまたなかなか旨いから、私の食のサイクルの中に入り定着しているのである。
 
こんな風にして私は「市販のパスタソース」を活用して、手間をかけずに美味しいパスタ料理を楽しんでいる。
 
因みに「ナポリタン」の場合は「ウィンナーソーセージ」や「シメジ/エノキのキノコ類」を加え、「アスパラ」「ブロッコリー」「パセリ」等を用いて「彩」を加える事にしている。その理屈は「ボンゴレパスタ」と同じなのである。
 
 
 
               
 
 
 
 

 匂い」は旨さのバロメーター

 
先日田舎暮らしをテーマにしているTV番組を観ていた時に、ゲスト出演していた料理人が言っていた言葉に私は妙に納得したのである。
 
その時彼女が言ってたのは「野菜などの素材を焼いていると、すごく良い匂いがするタイミングがあるんですよ。実はその瞬間が一番の食べ時なんですよ!」といった様な内容であった。
 
「なるほど⁉」と私はその言葉に納得した。
その言葉に実に多くの思い当たることがあったからである。
 
 
この冬のあいだ我が家では「かぼちゃ」や「サツマイモ」「ジャガイモ」といった野菜たちに、たいそうお世話に成って来たのであった。
それらの野菜をグリルで素焼きにして食べることが実に多かったのである。
 
昨秋我が家の家庭菜園で採れた「かぼちゃ」は運よく沢山採れたのであった。しかも味が好くホクホクとして美味しく食べることが出来たので、この冬のあいだは何度も何度もかぼちゃが食卓に登場してきた。
 
また房総半島で田舎暮らしをしている親戚からはこの冬、おいしい「サツマイモ」がやはり沢山送られてきていたのである。
 
そして「ジャガイモ」は言うまでもなく北海道で沢山採れるから量も品種も豊富で、自分好みのものが八百屋でたやすく手に入るのであった。
 
 
 
             
 
 
 
そんなこともあって、今年は「かぼちゃ」「サツマイモ」「ジャガイモ」には実に多くご登場いただき、食べさせていただいたのである。
中でもグリルでの「素焼き」が、シンプルで最も手間がかからずかつ美味しく戴くことが出来た事もあって、何度もお世話になったのだ。
 
「簡単」で「旨い」、のが料理では最もありがたいので、この冬我が家ではこれらの野菜に何度も何度もお世話になってきたのである。
 
そしてその「素焼きの野菜」が一番おいしく食べられるのが、将に「良い匂いが立ち込めてきた瞬間」であることに、私もこれまで何度となく気が付いていたのであった。
 
 
その事をこの番組を一緒に観ていた家人に、やや興奮気味に伝えると彼女は、
「何をそんなに感動しているのよ、良い匂いがした時が食べごろだなんて当たり前でしょ・・」とケンモホロロであった。
 
確かに野菜に限らず魚介類を焼いたり、肉類を調理したって一番食べ時食べごろになると周りに良い匂いが漂ってくるのであった。
しかしその当たり前のことに60代後半にして初めて、妙に得心したのであった。
 
即ち「良い匂いがしたその時が、その素材の食べ時食べごろである‼」という当たり前の真実に気が付いたのである。
 
私はこれを機会に「良い匂いがしたら、迷わず食べる!」という事を、心の奥深くに留め置いて、以後即刻実行することを秘かに自分に誓ったのであった。
 
 
更には「良い匂いの漂う飲食店の前を採ることがあったら、迷わず入って行って食べることにしよう!」とも、強く心に誓ったのである。
 
 
 

 ブレンドという名の「混ぜもの」

 
私の一日は家人の作ったパンを中心とした朝食に、美味しい珈琲を淹れることから始まる。その珈琲は豆を挽いて、ドリップで抽出するために30分ほど時間を要する。
 
私のお気に入りの豆は、どこかでも述べているように「キマンジェロ」なのである。
そして珈琲の旨さは、その素材の味がしっかりと舌の上で感じられるかどうかにかかっているのである。
 
これは珈琲に限った話ではなく食事でも同じで、素材の味がしっかり感じられる料理はやはり旨い料理なのである。日本料理の評価が高いのは何よりもその素材を生かすことに力点を置いた料理だからであると、私はそう想っている。
 
「キリマンジェロ」に私が高い評価を与えているのは、他の珈琲豆に比べて苦みの中に程よい酸味が感じられるからである。そのバランスが私の好みに将に合致しているから私は「キリマン」を撰び続けているのである。
 
そしてドリップによる抽出を私が続けるのは、たとえ時間が掛かったとしてもやはり豆の味がより豊かに感じられるからであるのだ。
 
さてそのお気に入りの「キリマンジェロ」の豆がついに途絶えてしまった。二日ほど前の事である。
私が購入しているその豆は首都圏の生協のプライベートブランド(PB)で、メーカー自体は神戸辺りの著名な珈琲メーカーなのであるが、PB商品であるために一般では手に入らない。しかも現時点でその生協は宅配はしていても通販はしていないため、北海道在住の私には容易に手に入らないのである。
 
コロナ以前はほぼ毎月首都圏に仕事で出張した際に、店舗に赴き購入していたり神奈川に住む息子が都内に行く際に購入してもらい、それを送ってもらっていたのであるが、彼が夏休みを兼ねて7月末から二か月ほど北海道で生活していることもあって、ついにその在庫が尽きてしまったのである。
 
 
                    
 
 
 
そんなこともあって、地元のスーパーで手に入る「キリマンジェロブレンド」の豆を緊急避難的に調達して、飲んでいるところである。
問題はこの「キリマンジェロブレンド」の「ブレンド」なのである。
その名前が示すように「ブレンド」即ち「混ぜ物」なのである。
 
「ブレンド」という言葉の響きは必ずしもマイナスイメージではないのであるが、こと珈琲豆に関して言えばやはり残念なのである。
 
因みに緊急避難的に買い求めた「キリマンジェロブレンド」の場合は、同じ国のタンザニア産の豆とブレンドしているようだから、まだましな方なのであるがやはり生協の「キリマンジャロ」に比べると味が劣ってしまうのである。
 
そのために私たちはここ数日、残念な珈琲を飲み続けているのである。
珈琲が必ずしも大好きとは言えない家人までも、ここ数日「コーヒーの味が衰えた」とのたまわっている。
 
私達は息子が神奈川に帰り、都内の生協でPBの「キリマンジャロ豆」を購入して、送ってくれることに成っている来週後半まで、しばらくはじっと耐えながら残念なブレンドコーヒーを飲み続けなければならないのである。
 
これもまた小さなコロナ禍の犠牲の一つなのである。
 
 
 
 

 「ソーメンつゆ」の多段階活用(2021.0812)

 
 
夏の本番になると私はたびたび「冷やしうどん」や「ソーメン」 を食べるコトが多くなるのは、これまでもこのコラムで何度か触れてきたとおりである。
 
その私が最近始めるようになったのは「ソーメンつゆ」の有効活用であり、「多段階活用」である。
 
私が創る自家製「ソーメンつゆ」は比較的評判が良いものだから、いつも多めに造り近所の「ソーメン好き」な農家のおじさん達や、「お中元」にソーメンを届けてくれる知人への謝礼に、と届けることが少なくない。
そんなこともあって、自家利用よりは多めに造ることが度々あるのだ。
 
その「ソーメンつゆ」が時折残る事がある。そんな時に私が始めるのが今回ご紹介する「多段階活用」なのである。要するに残り物の有効活用である。
 
 
一番初めに行うのは「イカの姿煮」である。
このシーズン近所のスーパーなどに行くと小ぶりのスルメイカが5・6杯1パックで、比較的廉価に手に入る。太平洋沖のイカ釣り漁が盛んなこのシーズンならではの、季節の産品である。
 
そのスルメイカのワタを取り除いて、数か所に切り目を入れたイカをスライスしたショウガと一緒に、残った「ソーメンつゆ」の中で数十分ほど煮るのである。そうすると、「いかめし」によく似た色つやの「イカの姿煮」が出来上がるのである。
 
それに庭で採れた「さやえんどう」の湯がいたのを添えると、「焦げ茶色のイカ」と「薄緑色のさやえんどう」とのコントラストが鮮やかで、目の保養にもなり新鮮でさっぱりした、野菜の甘みを楽しむことが出来る。
 
 
 
                      
 
 
 
次に行うのは「イカの姿煮の残り汁」の有効活用である。
スライスしたショウガと一緒にイカの姿煮をした残り汁は、やはりどうしても「イカ臭さ」が残ってしまう事が多い。
 
なので、その「イカの臭い」が残った残り汁を有効に使う事に努めるのである。
具体的にはアク抜きを済ませた「糸こんにゃく」や「こんにゃく」をその残り汁の中に入れて、弱火で数十分コトコトと煮続けるのである。
 
オリジナルの味を持っていない「こんにゃく類」に「イカの煮汁」の濃いめの味を移管することで、「こんにゃく類」に味が付きイカ味が染みた「こんにゃく類」を味わうことが出来るのである。
ここでも盛り付けに湯がきたての「さやえんどう」を添えると、コントラストが美しくかつ、ほんのりとした野菜の甘みが引き立つ美味を味わうことが出来るのである。
 
 
最後は、その「こんにゃく煮」の残り汁の中に「大根」や「焼き豆腐」を入れてグツグツ煮て食べるのである。「大根」を比較的早めに投入し、「焼き豆腐」を遅めに投入した方が良いようだ。
「さやえんどう」の湯がきたてを添えるのは、ここでも同様である。
 
 
このように濃い味の「ソーメンつゆ」の残り汁は、三回も四回も食材を替えながら新たな出し汁となって活躍してくれるのである。
 
従ってこの暑い季節にやや多めの「ソーメンつゆ」を造ることは、私の食卓のおかずのレパートリーを広げてくれるのである。私にとっては佳き相棒である。
 
 
因みに私の「つけ汁」の元に成っている「出し汁」は言うまでもなく自家製で、いつものように「昆布」「乾燥椎茸」「焼き海老」「乾燥小魚」を用いて創られるのである。
私の「出し汁」の作り方にご興味のある方は、当該コラムの「鍋料理に不可欠なモノ」(2018.11.30)を参考にされたい。
 
その自家製「出し汁」にスーパーで売っている「昆布醤油」と「昆布だし」を適量入れて、混ぜて沸騰させて「ソーメンつゆ」を創るのである。
 
「適量」としているのは個人の好みで「出し汁」の濃淡が異なるからであり、食べる人の好みの濃さに依る、としか言いようがないのである。
とはいえ、私の場合はつゆが濃くて「ソーメンつゆ」の向こう側が見えない、くらいの濃度に成ることが多いようだ。
 
 
 

  酒を巡る遍歴(2021.02.25)

 
 
60有余年人間をやってきて「百薬の長」と呼ばれるお酒との付き合いが変転してきていることに、最近気が付いた。
 
生まれて初めて「お酒」を口にしたのは確か10歳前後のことだったと思う。
お祭りか何かの時、酔っぱらった親戚の叔父さんに促されて口にしたのが人生初の酒=日本酒との出遭いであった、と記憶している。
 
もちろん一口、口に含んだだけでむせてしまい酒を味わったわけではなかった。
恐る恐る口にしたお酒は、決して美味しいと言えるようなものではなかった。
 
 
次に飲んだのはビールであった。
夏休みに友人の家で「暑い~暑い~」と、言いながらグダグダしていると、社会人だった友人のお兄さんがビールを数本持ってきて、高校生の私たちに勧めたのであった。
 
彼の言によると、これを飲めば「暑さも吹き飛ぶ」という事だった。
しかしながら苦いばかりで、とてもオイシイと感じられるような代物ではなかった。
 
 
まともにビールを飲むようになったのは、学生時代に開かれたコンパの時であった。
私が席を置いた大学の1・2回生時は、「サブゼミ」というのがクラスの単位だったのであるが、そのサブゼミの初めての懇親会という名のコンパがあった。
 
当時は今ほど学校もウルサくなくて、二十歳前の学生たちが酒を飲み交わして懇親会をすることが、とがめられることはなかった。
 
 
その初めてのメンバー同士による懇親会で、幹事を務めることになった私はその懇親会をいわば率先して手配し、企画し運営したのであった。
その結果望むと望まないとにかかわらず、自ら「乾杯!」の音頭をとることになったのであった。
 
その時がまともにお酒=ビールを飲んだといえる機会であった。生まれて初めて自らの意思で、なおかつ率先してお酒を飲んだのであった。
 
京都の大学であったことから、ビール以外にも日本酒ももちろん飲んだ。伏見のお酒である。
当時は経験も浅く、二十歳前後という事もあって「酒を味わって吞む」というようなことはもちろんなかった。
 
 
それから社会人になって、いろんな場面で酒を飲むことになったのであるが、やはり酒を味わうという事は一切なく、「付き合い」や「コミュニケーションの潤滑油」としてひたすら飲んでいただけであった。
実際のところ潤滑油としての「お酒=アルコール」は、とてもよく効果を発揮していた。会話が弾むのであった。
 
また先輩方や上司たちが酒を一定量飲み越すと、普段とは違う顔を見せ始めるという事実にも気が付いたし、そこで愚痴を言ったり怒ったりすることで平時のフラストレーションを解消していることにも、いつしか気が付くようになり、お酒の持つ「精神衛生上」の効用にも目が向かった。
 
そういった事を通じて、「百薬の長」の効用の一端を知るようになったのであった。
 
 
洋酒を飲むことが多かったのは、入社二年目で左遷された赴任地の神戸であった。
港町神戸には、地元の灘の酒と共に洋酒が充実していた。
 
当時私の所属していた会社は「経営コンサルタント」という業界であったのだが、その会社のコンサルタント達にはお酒にうるさい人達が少なからず居て、その人たちが神戸に来た時に連れられて、アルコール度数の高いスコッチ専門店などに下っ端の私達は、付き合わされたのであった。
 
口の中で火が飛び出るような度数の高いウイスキーは、決して美味しいなどと言えるものではなかったのだが、50度以上のウィスキーの味が持つ独特の世界は何となく判った気がした。
 
しかしながら根っからの日本人である私にとって、スコッチウイスキーや紹興酒を初めとした中国の酒などは、イマイチ愉しむことは出来なかった。
 
 
私が自分の意志で「日本酒」を吞むようになったのは、関東で暮らすようになった30代の頃、休日などにスキーをするようになってからであった。
関越を超えた越後湯沢辺りの温泉宿で、アフタースキーに吞んだことから日本酒の味を知るようになったのである。
 
世間では「越乃寒梅」等がもてはやされていたのであったが、私は越後湯沢の地酒「上善如水」が好みであった。
この酒も今ではすっかり地酒の中でも有名ブランドに成って、コンビニなどでも手に入るようになったが、30数年前の頃は首都圏ではよっぽどの日本酒専門店でなければ手に入らない酒だった。
 
もちろん地元の越後湯沢では、たやすく手に入った。
私は日本酒では「端麗辛口」が好みであるため、初めてこの酒に出遭った時は、心の底から「旨い!」と思ったものである。
 
その後「春スキー」等で新潟の中央部辺りに進出するようになって、地元の酒屋で見つけた「〆張鶴」等も一口でファンになった。下越村上市辺りの酒であるが、やはり端麗辛口である点が気に入ったようであった。
 
この二つの酒が私にとっての定番のお気に入りとなって、東京でもそれらの酒を置いている料理屋が、私にとってのなじみの店となった。
 
 
 
                 
                 かつて地元では、一升瓶で売られていた
 
 
30代は「端麗辛口の日本酒」をもっぱら吞んでいたのであったのだが、そんな私にも転機が訪れた。40過ぎた頃の事である。
二日酔いが続いたのであった。
 
はじめのころは気づかなかったが、それらの日本酒をしっかり吞んだ翌日などに二日酔いが発生するようになって、両者の関連性に因果関係があることが判明してから、日本酒は遠ざけるようになった。
もちろんたまに飲む日本酒として、これらの優先順位が今でも高い。
 
40代になると人間の新陳代謝能力は1/3~1/4に低下する、といった事を何かで知っていた私は、自分の生活習慣も替えたほうが良い、と何となく思っていた事もあって日本酒からの転換を、自ら図った。
 
 
その40代になってからは、仕事で訪れた勝沼の「ワイン」が新しいパートナーとなった。
『安田義定父子と甲斐之國・・』でも書いておいたが、甲州市勝沼の観光商業施設「ブドウの丘」の地下に在る「ワインカーヴ」での「ティスティング」が、そのきっかけとなったのである。
 
1時間近くの間に千円強で4・5百種はあったと思う地ワインのティスティング(試飲)が出来るのであった。
市場調査などを行う時は悉皆(しっかい)調査を心掛けている私は、ここでも悉皆調査を遂行したわけである。
 
もちろん少量を口に含むだけであるのだが、数百種類のワインをティスティングするとなれば、言うまでもなく酔っぱらってしまい、200種類以上の試飲を終えたころには正直、味の判別もつきずらくなっていた。
 
いずれにしてもその時のティスティングで、とりあえず気に入ったワインを1ダースほど購入し、築地の事務所に送ってもらった。
 
その時の経験があって、勝沼の地ワインを中心に呑むようになった。それが40代の事である。
 
 
それから50歳前後のころに出張が続いた時に、私は「痛風」に罹かってしまった。
1ヶ月の間に広島や山口方面に4・5回出張していた際に、生ビールを飲み体力をつけるために焼肉やホルモン焼きなどを、何回も飲みかつ食べたことが直接的な原因だったようである。
 
後でネットなどで調べたら「プリン体」の多い食物をガンガン食べ、さらにプリン体の多い生ビールをガンガン飲み続けたことが「痛風」を引き起こしたわけである。
 
それ以来「プリン体」についての情報を収集し、それまでの自分の食習慣を悔い改めて飲と食のメニューを変えていったのである。
 
で、この時にビールやワインに代わって登場するようになったのが「本格焼酎」や「ウォッカ」類であった。いずれも「プリン体」がかなり少ない蒸留酒だったからである。
 
 
それから十数年たち「本格焼酎」のアルコール度が気になりだした60代になってからは、「焼酎」や「ウォッカ」は次第に遠ざかり、最近はもっぱらスーパーで買ってくる「氷結」類にと替わってきている。
 
北海道の片田舎が生活の主舞台になった事と、引退生活に入ったことも影響しているかもしれない。
それと肝臓の事を考えて週二回ほど「休肝日」を設けていることも関係しているのかもしれない。若いころに比べてやはり体力が落ちているのである。
 
 
そのような日々を送っていたのであるが、去年の八月に「飛蚊症」に罹かってしまった。
医者によると「加齢」の成せるワザだという。やはり寄る年波には勝てないのである。自分の体が発する声は素直に聴いて、自己管理をするしかないのである。
 
といった事があってから、私は積極的に赤ワインを飲むように成った。目に優しいと言われる「ポリフェノール」がたくさん含まれているからである。
 
そんな経緯もあって去年の夏ごろからスーパーで買うようにしているのは、もっぱら「氷結」類と「ポリフェノールたっぷりの赤ワイン」という事に成ってきているのである。
 
とは言いながら、「赤ワイン」の効用について私自身はあまり実感はしていなかったのであるが、先日その認識が改まることがあった。
 
 
 
                   
 
 
 
「休肝日」を二日ほど続け、それに加えて「ポリフェノールたっぷりの赤ワイン」を飲まない日が、二日ほど連続しワインを結局4日ほど飲まなかったのである。
そしたら目に異変が生じたのである。「飛蚊症」の症状が悪化したのだ。
 
それまでは左目にしか飛んでいなかった「蚊」というか「ゴミ」が右目にも現れだしたのだ。その原因をつらつらと考えて、「赤ワイン」の摂取を怠ったからに違いない、と思いが行き着いたのである。
 
それ以来私はアルコールといえば「ポリフェノールたっぷりの赤ワイン」を優先的に飲むようにしている。
家人には「目の養生のため」と、堂々と主張しながらスーパーで買った赤ワインを晩酌の友にしているのである。実際のところ右目の「飛蚊症」は落ち着いてきている。効果が出ているのだ。
 
           やはり「酒は百薬の長」なのである。
 
 
「飛蚊症」が現れ始めた人たちに私は、積極的に「ポリフェノールたっぷりの赤ワイン」の摂取を、最近は推進し始めたのである。
 
 
 
 
 

  食のローテーション  (2021.02.02)

 
私は食事のメニューを、概ねローテーション化している。
その理由は好きなものがある程度決まっており、それをある周期で食べないとフラストレーションが溜まるからではないかと、自覚している。
 
具体的には「麺類」を必ず一日一度は食べる、という習慣がある。
麺類がそんなに好きではない家人が、仕事で留守にする昼食時に食べることにしている。
 
その麺に関しても「中華麺」「パスタ」「うどん/そうめん」「ほうとう」等においても、やはりローテーションが適用される。
尤も「うどん」と「ほうとう」は殆ど同じだから、両者が連続することはない。
 
それに「ほうとうの麺」はなかなか北海道では手に入らないので、神奈川の息子が送ってくれるか私が首都圏に行った時に購入しないと、食べることが出来ないのでメニューに載る機会の少ない、貴重な存在なのである。
 
 
また「中華麺」を使った料理だと、もっぱら「焼きそば」と「ラーメン」という事になる。
因みに「焼きそば」の場合は、「塩焼きそば」と「牡蠣焼きそば」とが私のレパートリーなので、そのいずれかという事になるが、これも順番͡コになる。
 
牡蠣が出回る冬の時期は「牡蠣とエビ」を使った「海鮮焼きそば」が多くなる。
牡蠣の取れない夏場は、最近作る機会が殆どなくなった「ソース焼きそば」になることが比較的多い。
 
 
「パスタ」ではもっぱら「アサリボンゴレ」と「ナポリタン」の回数が多いが、時折「バジルソース」や「和風キノコ味」が登場することがある。いずれも夏場のバジルが採れる季節や、秋のキノコ類が採れる時期が多いようである。
 
「うどん」や「そうめん」も季節性が高く、今みたいに寒い季節は「鍋焼きうどん」風にするし、暑い日が続く夏は「冷やしソーメン」や「冷やしうどん」を、自家製出汁つゆで食べることが多い。
 
 
 
                
 
 
 
夜のメニューでは「魚類」と「肉類」と「単品メニュー」のローテーションになる。
「魚類」は言うまでもなく、北海道で獲れる「旬の魚」が中心で「焼き魚」が多く、時折「刺身」が登場する。
「肉類」は「ハンバーグ」や「鶏肉料理」「豚肉料理」が中心で、ほぼこのローテーションで回していて、同種のメニューが連続することは避ける。
 
因みに我が家では「牛肉料理」を食べることは少ない。外食時の焼き肉は牛が中心だが、家での焼き肉は「豚肉」を味付けしたほうが多い。千葉県在住時から我が家で食べる焼肉として何故だか豚肉の評判が高いのは、今もって謎である。
 
 
「単品メニュー」として我が家でローテーションに登場するのは、冬の間は定番「おでん」や「寄せ鍋」がほぼ毎週の事で、それに加えて「焼き鳥」「カレーチャーハン」「牛肉ステーキ」等のリクエストも多いため、月に2・3回は食卓に上がる。
 
「ステーキ」の場合は「豚肉」ではなく「牛肉」に成るのは、これもまた何故だか判らないが、リクエストにこたえて「牛肉のステーキ」と成っている。
 
それに対して朝食は、「コーヒー」「ハムエッグ」「とまと&きゅうりとポテトサラダ」に自家製パンと、メニューが固定しているのでローテーションではない。
毎日メニューを変えることなくこの組み合わせで食べている。
しいて言えばラズベリーやブラックベリーの収穫がある時に、ジャムとして登場するくらいか・・。
 
時折和食が登場するが、「和食の朝ご飯」は家人の担当なので私は出されたものを食べる。だけである。
 
 
こうやって見てくると、我が家のメニューはほぼ二週間程度のローテーションで回っていることに気が付く。
 
自分や家族の好みのメニューがある程度固まっているから、このようなサイクルでメニューが回転しているのかもしれない・・。などと思っている次第である。
 
とはいえ、時々TVの番組などでおいしそうなメニューが登場すると、そのおいしそうなメニューをちょっとトライしてみたりするので、たまに新メニューが登場することもあるが、それが定着するかどうかは出来具合と家族の評判次第なのである。
 
 
 
 

  太き麺は悦び(2021.01.16)

 
 私が麺類が大好きなことは、これまでも何度か触れてきたとおりであるが、最近そのことを改めて自覚することがあった。
 
私の棲んでる大樹町には、いわゆるスーパーマーケットと呼べるものが2店舗あるのであるが、そのうちの一つである生協が昨年あたりから「極太面」という中華麺を扱い出した。
 
もっぱら、ラーメンや焼ソバを作る際に用いているのであるが、この「極太面」を食べるようになって、以前にも増して他の中華麺では物足りなさを抱くようになった。
 
110gの縮れ麺が3玉入って200円程度で販売しているのであるが、私はこの麺の太さがとても気に入っている。
ラーメンであれば特製のスープと麺がよく絡み合って、実に旨いのである。
 
 
焼ソバにしても同様で、オイスター味の「海鮮焼きそば」や「塩焼ソバ」の具材とも相性が良いようで、やはり旨いのである。
 
我が家の家人は熊本の出身という事もあって、元々は九州ラーメンで育ち細麺に馴染んでたこともあって、長い間細麺が好みであった。
それが北海道に来てからは太麺を食べるようになり、最近ではこの「極太面」をひいきにしている。
 
その極太面は同じ生協でも帯広辺りの店では販売しておらず、大樹の店でしか販売していないようなのである。
その製麺メーカーが全国展開のインスタント食品会社であることを考えると、まだテストマーケティング中の新開発商品なのかもしれない。
 
 
 
                
 
 
ひょっとしてそのせいなのかも知れないのだが、販売数量があまり多くはなくていつも品切れ状態が続いていた。「幻の中華麺」なのであった。
 
生協の品揃えが正月モードから通常モードになった時に、その幻の中華麺の陳列コーナーの扱いが3倍に増えていた。
 
その事を家人から知らされた私が先日生協に買い物に行ったら、やはりその通りに成っていた。これで当面は「極太麵」を日常的に食べることが出来る、と私は大いに喜んだのであった。ついに「幻の中華麵」ではなくなったのであった。
 
 
3倍に品揃えが増えた「極太麺」であったが、私が買い求めた時は1列しか残っておらず、相変わらず人気の商品であることに変わりはなかった。
 
従って販売の数量が増えたことは嬉しいことであるのだが、何時行っても途切れることなく購入できるかどうかは、やはり行ってみなくちゃ判らないのである・・。
それだけ人気の商品、という事なのであろうか。
 
私の太麺好みはうどん類においてもそうである。中華麺に限ったことではない。
生まれ故郷のうどんの代表である「ほうとう」を、物心ついたころから食べているせいであろうか・・。
 
しかしあの「触感」や「歯応え」、さらには出汁ツユを多く絡めて味わう事の出来る縮み麺系の太麺は、やはり旨いのである。
 
私のこの好みはキッと死ぬまで変わらないだろう、と私はそう想っておりこの「極太麵」に出遭えたことを、大いに喜んでいるのである。
 
 
 
 

 十勝の地魚(2020.10.12)

 
 
北海道を代表する魚といえば、「鮭」「真烏賊(イカ)」「ニシン」「シシャモ」「氷下魚(コマイ)」といったところだと思われるが、そのような全国区の魚種ではないローカルな地魚ももちろんある。
 
その数ある北海道の地魚で十勝を代表するのは、「キュウリ」「チカ」「ガンジ」といったところである。
これらの魚はちょうど今頃、地元の魚屋さんやスーパーなどでお目にかかる事が出来る。
 
 
それはこの時期に「シシャモ」漁が始まるからである。
シシャモは日高山脈を越えた噴火湾の「武川のシシャモ」が著名であるが、この「武川のシシャモ」の需要と供給の関係から、襟裳岬をぐるりと回った太平洋側の十勝沖で獲れるシシャモが武川に供給されるのである。
 
十勝産のシシャモは武川の市場を経由することで、北海道ではブランドと化している「武川のシシャモ」にと、変身するという事のようだ。まぁこの手の技は世間ではよくある事だろうから、私は特に問題に思わない。
 
 
でその「シシャモ漁」は、詳しいことは知らないのであるが、底引き網を使う漁法らしくその底引き網に、副産物としてかかるのが先ほどの「キュウリ」「チカ」「ガンジ」や「カジカ(アンコウの仲間)」なのだという。
 
「シシャモ」に比べ招からざる魚たちであるが、油代を使って海に返しに行くコストを考えると、コストをかけずに済む地元で消費してくれる人たちのところに廃棄物の処理先として、おすそ分けが出回ってくるわけである。
 
漁師たちにもメリットがあり私達にもメリットがあるので、このような慣行が長く続いてるのである。
 
 
因みに「シシャモ」や「キュウリ」「チカ」はいずれも「ワカサギ」の仲間なので、姿や形は「ワカサギ」が大きくなったものだと思えばイメージできるだろう。
とりわけ「キュウリ」はワカサギそのものが湖から海に生息地を替えた、と思えばよいようである。
 
その「キュウリ」の名称はワカサギによく似た魚の匂いが、野菜の「胡瓜」に似ているから、そのように名付けられたのだという。
 
ところで「ガンジ」はそれらの魚と違って「ワカサギ」よりも穴子に近い魚である。
より具体的には棘上の背びれがたくさん付いた「穴子」を、細くした魚だと思えばよいようである。
 
味は「キュウリ」「チカ」は共にワカサギに似た淡泊な味である。
ガンジも同様に淡白な味で、白身魚特有の淡泊な味を有している。「氷下魚(こまい)」に似た味だと、家人とは食べながら語りあっている。
 
 
 
                 
                 「ガンジ」の甘辛煮。左が頭部である。
 
 
因みにこれらの地魚の中では、我が家では「チカ」が一番喜ばれる。それは「チカ」が我が家の出汁の素の有力なメンバーに成るからである。
 
この時期にいただいた「チカ」を、我が家では1か月近く二階のベランダに、三段折り畳みの「魚干し網」を使って、寒風に晒しておくのである。
 
10月中旬からの11月中旬に掛けては最低気温は5℃以下になるので、「チカ」は1か月もすればカチカチの干し魚に成り、昔の乾物屋に行くとよく匂った、懐かしい干し魚の乾いたおいしそうな匂いを、発するようになる。
 
その乾物と化した「チカ」は、「昆布」や「乾燥シイタケ」「焼き海老」と融合して冬の鍋モノの出汁の素に成り、更にまた夏の冷やしうどんやそうめんの出汁の素に成って、我が家の食卓に大いに貢献してくれるのである。
 
 
だがしかし同じ地魚であっても、「ガンジ」や「キュウリ」は残念なことに出汁の素にはなりえない。それは味が淡泊すぎるからである。これまでに何度か試してみたが、出汁の素になる素材は淡泊なだけでは、やはりダメなのである。
 
従ってそれらは「焼く」か「甘露煮」にして食べることに成る。
その場合ワカサギや穴子に似た味をいただくことは出来る、が長く楽しむことは出来ない。何故なら冷凍保存ではあまり旨味を感じないので、早く食べなければならないのである。従ってそれらの地魚は10月の今頃の季節限定商品なのである。
 
 
それらに比べ味の濃い「チカ」は、人間同様その「アク」の強さ故に乾物として、味が出てくるのである。しかしその「味わい」も1か月の間「寒風に晒される」といったプロセスを経るからこそ、もたらされる味なのである。
 
その点も人間の味わいに通じるものであるな、などといった事を私感じている。
風雪に晒された人間ほど、味わいが感じられるものだからである。とりわけアクの強い人間ほど風雪に晒され易い生き物であるからして・・。
 
まだ生臭さの残る「チカ」を「魚干し網」の中に散らしながら、私はそのようなことを密かに想っているのである。
 
 
 
 

 ジャム作り(2020.08.19)

 
 
我が家では毎年夏に成るとジャムを作る。
と言っても私はもっぱら果実を摘むことしかすることはなく、後は家人が作ったジャムを食べて批評をするだけだから、家人にとっては五月蠅くて迷惑な存在でしかないのかもしれない。
 
因みに我が家で収穫ができるジャムの素材は「ラズベリー」と「ブラックベリー」とがあるのだが、現時点では収穫量の多い「ラズベリー」でしか、ジャムは作れない。「ブラックベリー」は現在はまだ収穫量が少なく、あと数年は無理だと、そう思っている。
 
家人は400g程度の果実に対して100g程度の砂糖を使って、グツグツ時間をかけて煮てジャムを作っており、H=10cm程度のガラスの小瓶に入れている。
その配合量が一応の目安に成っているようだ。
 
 
今年は8月に入って、ようやく晴天が続くようになってラズベリーの果実が熟し始め、これまで小瓶20個ぐらいは作れたようだ。
そのラズベリーもいよいよ終わりを迎えたようだ。
 
きのう400g程度の収穫を行ったのであるが、残りはわずかといったところである。
従って今回のジャムが今年最後のジャムに成るのかもしれない、などと想い若干感傷的になってしまった。
 
 
                                            
               ラズベリーの実は赤黒い
 
 
我が家ではラズベリーとブラックベリーがとりあえず植えているのであるが、地元の果物や野菜を販売している店「工藤公園」では、「ブルーベリー」や「ハスカップ」が手軽に入手できる。それらの果実を買って来てジャムを作ることもあるのだが、我が家の評判は自家製のラズベリーが一番である。
 
ブルーベリーは最近飛蚊症が現れ始めてからは、積極的に食べるようにしているのだが、ジャムとしては甘いので味だけの評価で言えば劣る。ちいちゃな子供や甘いもの好きならば喜ばれるかもしれないが、それだけでは物足りない。
 
ラズベリージャムは酸味がそこそこあって、多少の甘みが感じられそのバランスが私達60過ぎの大人には適するのだと思う。
 
これはコーヒーの好みと同じなのかもしれない「キリマンジェロ」の酸味と苦みが好きな私や家人には、やはり酸味のあるラズベリージャムが適っているのである。
 
因みにハスカップも酸味があるのであるが、ラズベリーに比べると酸味にキリっとした強さが感じられないので、ラズベリーの後塵を拝することに成る。
 
 
この自家製ジャムはこの時期我が家では「ラズベリー外交」として、役に立っている。
近所の農家や漁師さんから戴き物があったりすると、その返礼品として活躍するのである。お中元のおすそ分けにも活躍することがある。
 
また日ごろお世話に成っている方への、一種のお中元として自家製の無農薬野菜と一緒に、添えることもある。
 
このようにして我が家のラズベリージャムは「外交官」としても活躍しているのである。
悩みの種はガラスの小瓶の確保であるが、これは日ごろから小瓶を捨てずに取って置いて、夏場のジャムの為に蓄積しておくのである。
 
 
私の目の治療の一助にと、ポリフェノール含有量の多い「ブルーベリー」を来年は植えるか、といった話が家人との間ではポツポツ出始めている。
 
「With飛蚊症」の生活を余儀なくされている身としては、好みとは別に薬として、せっせとブルーベリージャムを毎朝、優先的に食しているのである。
 
残念なことであるがこの優先順はしばらくは代えられないであろう、と半ばあきらめている。と同時に夜はポリフェノールたっぷりの赤ワインをやはり薬だと称して飲むようにしている。食習慣を「With飛蚊症」仕様に替えているのである。
 
コロナ同様、この付き合いも長くなるのだろうなと、半ばあきらめつつ新しい生活様式をチャレンジしている。。
 
 
 
 
               
                 左の黒っぽいのがブルーベリージャム
                 右の赤っぽいのがラズベリージャム
                    
 
 
 
 

  酒の肴(2020.06.14) 

 
最近の私は自分で酒の肴を作ることが、ちょっとしたMyBoomになっている。
酒の肴と言っても、おつまみのことである。料理自体は以前から作っているのであるが、いわゆる酒の肴については今まで殆ど作っていなかった。
 
昨年あたりから「ぬか漬け」を始めたことが最初のきっかけだったのかもしれない。
「ぬか漬け」から始まって、比較的簡単に作ることができる野菜の酢漬けである「ピクルス」を作るようになり、「ラッキョウ」などにまで手が伸びた。その延長で、キムチに野菜を漬けることも始めたのであった。
 
「ぬか漬け」にしても「酢漬け」「甘酢漬け」そして「キムチ漬け」にしたところで、シンプルに野菜類を適宜に切ったものを「ぬか床」や「昆布やトウガラシを加えた米酢」「キムチの素」に漬けて置くだけであるから、すこぶる簡単なのである。いずれもスーパーあたりで売っている素材を用いているのである。
 
 
その「キムチ漬け」が一つの転機になったようだ。
ある時イカやホタテ/タコといった刺身用の食材を調理した際に、余ったゲソや貝のヒモ/ワタといったものを、「キムチの素」の中に入れてみたのである。
 
モノを簡単に捨てることに抵抗を感じる私とすれば魚介類の内臓だって、安易に捨てる気にはなれなかったのである。「モッタイナイ」という言葉に親近感を抱く私は、内臓やゲソ等の新たな活用先として試してみたわけである。
 
そしてこれらが結構イケるのである。「キムチの素」は発酵食品だから、それら内臓やゲソとは相性が良いのかもしれなかった。
 
 
                  
 
 
 
因みに私がキムチにこれらの余りモノを入れることをチャレンジしたのは、実は20代の頃の「キムチ漬け」の思い出があったからである。
 
 
20代の半ばに大阪の下町でサラリーマン生活を辞めて、友人と始めた喫茶店のマスター時代に、常連客と焼き肉パーティをやることがあった。その時に、お客の一人であった在日韓国人の方が持ってきてくれた「キムチ」の思い出がそれである。
 
キムチは言うまでもなく焼き肉の必須アイテムだったのだが、焼き肉をやるという時に彼が自家製のキムチを持って来てくれたのであった。
 
そのキムチはわりと大きめのタッパーに入っていたのだが、そのタッパーにはたっぷりと真っ赤な色をした「キムチの液体」が入っていたのであった。
 
彼が持ってきてくれた自家製のキムチは言うまでもなくとても旨かったのであるが、辛いというよりある種の甘みや旨味を感じたので、その秘密を彼に聞いてみたところ、持参した「キムチの液体」には唐辛子はもちろんのこと、昆布や小魚といったものも色々と入っているのだ、と教えてもらったのである。
 
 
今から40年近く前のことであったが、その時の記憶がよみがえって、私は魚介類の内臓やゲソやタコの頭や切れ端を、試しに入れてみたのであった。
そしてそのチャレンジが功を奏したというわけである。
 
自分で酒の肴として食べてみて旨かったので、家族にも勧めたが皆「うまい!」と言って食べてくれた。もちろん味が強く濃いので大量にパクパク、と食べたわけではなかったのであるが、ちょっとした箸休めや舌先を替えるのにピリ辛の味が良かったのであろう。
 
 
それからその「自家製酒の肴」を、近所の農家の夫婦と食事をする機会に提供したら、皆も「おいしい!」と言って食べてくれた。
因みにその農家のご婦人は肉も魚も生臭いからほとんど食べない、という嗜好の方であったが、彼女も「これだったら抵抗なく食べられる」ということで喜んでいただいたので、帰りにガラスの小瓶に入れてお土産にした。
 
後日その小瓶をとれたての野菜と一緒に返しに来た彼女は、嬉しそうな顔をして「おいしかったわぁ」と言ってた、と家人が言っていたところをみると、まんざらでもなかったようである。
以来我が家ではその人が持参してくれる野菜の返礼品として、その「キムチ漬け」が活躍するようになった。
 
そのようなことがあったこともあって、私は魚介類の調理をした時に出てくる余りモノの内臓や切れ端を、せっせと大きなガラス瓶にキムチの素といっしょに詰めて、一週間ほど寝かせたうえで、自家製の酒の肴として食するようになったのである。
 
これからますますビールのうまい時期になるが、これらの酒の肴が自家製の漬物類とともに、活躍することになるだろうと最高気温30度前後の日が続く今、それらの肴をつまみながら想っているところである。
 
 
 
 

  回転 寿し(2020.06.02)

 
 
私が回転寿しを利用するようになったのは、今から二十数年前に千葉に住んでいた頃のことである。
私は10年近く築地で仕事していたこともあって、実は鮨に関しては多少うるさい。その築地に居たころは週に1・2回は鮨を食べていた。もちろんメインはランチの鮨であった。
 
それは懐事情が最大の原因であったが、同時にランチで試しておいて夜に知り合いと食べに行ったり、接待などで使う際の事前の情報収集も兼ねていた。
 
また私は昔から悉皆調査を行う習癖を持っていたから、少なくとも職場近くの贔屓になりそうな食種については、当然のことのように悉皆調査を行っていた。
 
 
そんな私は当初、回転寿しを利用することは殆ど無かった。
鮨は職人が握ったものを食べるべきだと、強くそう思っていたからである。
初めの頃はベルトコンベアーのような回転ベルトに載って、人の姿が見えない先から流れて来る鮨に、違和感を覚えていたからである。
 
しかしながらやがて、そのベルトコンベアの中に数人の職人が入り、目の前で鮨を握り始めるようになってから、私の意識が少しずつ変わり始めた。
 
更に子供たちが大きくなり、子供が好むような寿司ダネが豊富な、チェーン展開する回転寿しが普及するように成ってから、心ならずもたびたび足を運ぶようになった。
 
そして回転寿しの形態が、スタート時と比べて進化し、バラエティに富み、変貌を遂げていたことに気が付くようになった。
 
すなわちスタート時は見えない処で機械に握られた鮨がベルコンベアから流れて来て、それをテーブル席に居る私たちがチョイスするといった形態から、次第に私たちの注文に応じて寿司を握って、目の前に出してくるように変わってきたのであった。
 
そこにはIT技術の発達もあっただろうし、競合他店が増えて行って生き残りを考えた結果起きた、生存競争によってもたらされた進化といった事の結果、現れた現象なのかもしれない。
 
 
そんな時、回転寿しの優位性を痛感するような事があって、それ以来回転寿しに対する認識が大きく変わってしまった思い出がある。
 
当時私が住んでいた街は人口15・6万人ぐらいの東京のベッドタウンだったのだが、市役所近くの地元では名前の通った寿司屋と、時を置かずして家の駅近くでチェーン展開していた回転寿しとを利用し比べる機会があった。
 
地元の著名な店は、店構えや雰囲気・職人の腕もそれなりの店であったが、両者の魚種の違いに驚いてしまったのである。
 
もちろん千葉のベッドタウンだから、築地辺りで食べるような魚種は期待していなかったのであるが、白身の魚の種類やマグロやタコ・イカの種類が3・4倍は違ったのである。
回転寿しのほうが種類が豊富で圧倒的に多いのであった。
イカで言えばスルメイカはもとよりアオリイカ/紋甲イカ/スミイカ・・。それでいて値段は半分くらいで済んだ。
 
 
個店の場合食材のロスを考えたら、必然的に魚種は少なくなるのであろうが、その昔ながらの地元で著名な鮨屋については、店の明らかな選択眼が感じられ無かったことが、大きかったように思う。
そのようなことがあって以来、家の近くに家族で寿司を食べに行くときは回転寿し屋に行くことが定着してしまった。
 
子供たちが大きくなってから、都内に出る時は築地の鮨屋などに連れて行ったりしたが、その時はやはりおいしい、と喜んで食べている。
子供たちも味の良し悪しが判るようになったからであろう。
 
 
                  
 
 
そのような経緯があって「回転寿し」そのものを拒絶するのではなく、回転寿しをうまく取り入れるようになった。
数ある回転寿し店の中から、自分好みの魚種が揃い、許容範囲内の販売形態をとっている店をセレクトしていけば好い事に、気が付いたのであった。
 
そのように視点を変えると「回転寿し」と名打っていても、その実態は昔の職人が握る鮨屋と殆ど変わらない店が少なからずあることを再発見した。
 
名称や店の造作や経営のシステムは「回転寿しの形態」を取り入れて、ある種近代化しているのであるが、実態は職人が好みに応じて寿司を握ってくれる「回転寿し」の店を見分けるようになった。
 
そうすると後は好みの寿司ネタが、その店に揃っているかどうかと、コスパがある程度バランス良い店であるかどうかが、選択基準になってくるのである。
 
そんな風に思うようになってからは、家族で寿司を食べに行く時はもっぱらその基準に適う店、ということになっていった。
 
もちろん個人で食べる時や付き合いで利用する場合は、築地辺りの昔ながらの職人の居る店などを利用するようにしている。
要は使い分けてそれぞれの店を選んでいるわけである。
 
先日長く続いた自粛の解禁明けに、久しぶりに帯広の回転寿し屋に行った帰りに、改めてそんなことを感じながら、家人の運転する車にほろ酔い気分で乗り、半月の浮かぶ空の下を帰って来たのであった。
 
 
 
 

 アスパラガス020.05.13)

 
 
アスパラガスを我が家ではビニールハウスで栽培しているのであるが、春先になってビニールハウスのビニールを架けたとたんに、ニュキニョキ生えてくるのがこの野菜である。
 
したがって我が家のビニールハウスの初物はこの「アスパラガス」ということになる。その分他の野菜より多くの愛情を私達から受けることができる、幸せな野菜である。
 
さてそのアスパラガスを使って初めて今回チャレンジしたのが「ポークソティ」である。
もちろん主役ではない。そもそもアスパラガスは主菜になる食べ物ではない。こればっかりはどうしようもない。
 
役者などでも同じことが言えるのであるが、主役になれる役者とわき役にしかなれない役者というのがいるがこれと同様であろう。
 
人間においてもある種の「華」を持っている人間にしか主役は務まらない、のである。
それなりの個性や、ある種のアクの強さが必要なのである。良くも悪くも魅力が成ければならないのである。
 
で同様に野菜にもそれが求められるのであるが、残念ながらアスパラにはその手のアクもなければ個性や魅力も弱い。
したがってわき役として、存在感を発揮することが求められるのである。
 
アスパラはほんのりとした甘さが持ち味である。であるからそのほんのり感を発揮できる組合わせ、すなわちパートナーが必要なのである。
 
 
 
 
               
 
 
 
ということで今回私が選んだパートナーは「豚肉のヒレ肉」であった。
スーパーで「ヒレ肉の塊」を買って来て早速バターで炒めた。
やや厚めにヒレ肉を切って、胡椒をまぶしてスライスしたニンニクと共にバターで炒めたのである。
 
ある程度火が通ったのを確認してから、シメジ/パプリカ/行者ニンニクなどの野菜類を入れて一緒に炒める。
そのうえで、用意して置いた「酢醤油と大根おろし」を混ぜたタレを、肉を中心に掛け、更に野菜類と混ぜて全体に味を付ける。
 
そしてほぼ料理が出来上がったころ合いを見計らって、最後の数分間だけひと口サイズに切ったアスパラを投入し蒸す。これにて一件落着である。
 
 
あとは大きめの皿にレタスを敷いて、これらの炒め物をバランスよく配置して、ミニトマトを添えてテーブルに出すのである。この時アスパラガスの緑とミニトマトの赤とがお皿を映えさせてくれるから、両者の配置には多少の気を遣う。
 
最後は先ほど使ったタレを小鉢に入れて、テーブルに出した。お好みで味付けして食べるためにである。
何も掛けないよりは掛けたほうが味が数段上がるので、この タレを用いる。
 
 
初めてのチャレンジであったが、家人などはおいしいと言って喜んで食べてくれた。したがってこのメニューは今後も我が家の定番メニューとして、登場することになるだろうと私は感じている。
 
これまで鶏肉は「焼き鳥」として、また牛肉は「ステーキ」として月に何度か登場することはあったが、豚肉の塊が登場する機会はなかった。
我が家ではトンカツなどの油を使った料理をすることが殆ど無いから、豚肉を塊で食べる機会が無いのだ。
 
今後「豚肉の塊を食べたい」という要望が上がってきた時は、たぶんこのメニューが登場することとなるだろうと、私は予測している。
 
 
 
 

  北海道のツブ貝(2020.04.15)

 
 
この時期スーパーなどに行くとツブ貝の姿をよく目にする。
ツブの中でも「灯台ツブ」や「青ツブ」といったものが、店の魚介コーナーに並んでいる。
 
値段はおおむね10粒程度で4・5百円といった感じで、殻が付いたままである。
「青ツブ」のほうが「灯台ツブ」より10~20%程度は安いようだが、味は「灯台ツブ」のほうが良いようで、コリコリとした食感は変わらないのであるが、貝そのものの味が濃いというか、旨味が感じられるのである。
 
試しに二種類のツブ貝を一緒に煮て味を比べてみたら、やはり「灯台ツブ」のほうが旨かった。以来我が家の家人などは、「次からは灯台ツブにして!」とのたまわっている。
 
調理の仕方は甘辛煮のみで、刺身にして食べることは殆どない。
知り合いの漁師さんがたまに持ってきてくれる時に、捌いてもらう時だけである。
「ツブ貝」には「アブラ」と呼ばれる内臓(唾液腺)の毒に当たることがあるというから、それの捌き方を知らない私などには手が負えないのである。
 
そんなこともあってもっぱら煮て食べるのである。
しかしながら「アブラ」は煮ても毒性が弱まることは無いらしいので、出来るだけ内臓は食べないように心がけている。
 
 
 
 
                
 
 
 
それからすし屋などに行くと「真ツブ」にお目に掛ることが多く、「活ツブ」などを食べるとやはりコリコリ感が強く、甘みを味わうことが出来る。
しかし「真ツブ」は単価が高いこともあって、数をたくさん食べることは出来ない。したがってある程度まとまった数を食べたい時は「灯台ツブ」ということになるのである。
 
因みに首都圏などで食べると「白ツブ」が出てくることがあるが、あれは北海道でなじみのある「ツブ貝」とは違う食べ物だと、私などは認識している。
平たくてヌメッとした感じの「白ツブ」は、デコボコしてコリコリ感のある「ツブ貝」とは一線を画する貝だと、私などは思うからである。
 
 
「ツブ貝」の値段は殻の大きさに比例しているようで、サイズが大きくなるとそれに比例して値も上がるようである。
しかしスーパーなどでトレーの上に、ラップを掛けて一山で載っている場合は、殻の大きさは大小さまざまで、不揃いであることが多い。
したがって運が良ければ大きな殻の「ツブ貝」を食する機会に恵まれるのである。
 
因みに醤油・酒・昆布・少量の砂糖・生姜などでツブ貝を煮た後の煮汁は、もったいないので貝と一緒に買い求めてきた「鯛のアラ」を煮る際に、活用するようにしている。
 
そうすると「鯛の兜煮」や「アラ炊き」などで作った煮物料理に変身して、「ツブ貝」とは違った味を、しばらく味わうことが出来るのである。二度三度味を楽しむことが出来るのである。 
 
 
 

 最近のmyブーム(2020.03.03)

 
この冬のシーズンに新しくチャレンジした料理で、家族の評判が良い料理が幾つかあり、現在myブームと成っている。
 
そのうちの一つは「南蛮エビの塩焼き」である。
スーパーなんぞで手軽に入手できる5・6cmくらいの小さな赤いエビである。
キッカケは家人の「骨粗鬆症対策」も兼ねたカルシウム摂取のメニューとして始めたのであった。以前は鳥の軟骨である「ヤゲン」でカルシウム摂取を試みていたのであったが、地元のスーパーが替わって「ヤゲン」の材料が入手できなくなり、その代替を探してたどり着いたのであった。
因みに料理はすこぶるシンプルで、片面ずつに塩と胡椒をまぶしてグリルで表裏を4・5分ずつ焼くだけである。
 
二つ目は「イモ類の串焼き」である。
これもいたってシンプルなメニューであるがキッカケは「焼き鳥」であった。
「焼き鳥」の作り方は去年の4月15日にこのコラムで書いてるので、ご興味ある方はご参照いただきたい。
その「焼き鳥」ではそれまで「シイタケ」や「ネギ」ぐらいしか野菜を使ってなくて、鶏肉ばかりでいつも野菜不足を感じていた。
それで何とか野菜焼きのメニューを増やしたい、と思ってイモ類をチャレンジしてみたのであるが、それが意外に旨く、家族の評判も良かったので、今では焼き鳥といっしょに必ず焼くように成った。
 
これもいたってシンプルで「サツマイモ」「ジャガイモ」「かぼちゃ」などを2・3cm角に切って、櫛などに突き刺して何も付けずにグリルで焼くだけである。
味付けを何もしないのは、焼くだけで野菜が持っている本来の旨味が出てくるからであり、調味料は必要ないのだ。
 
最後は「オイスター焼きそば」である。
これが最も料理らしい、と言えばそうであってそれなりに手間やヒマが掛かる。とはいっても通常の焼きそばと同程度の手間やヒマなのだが・・。
これを創ることに成ったきっかけは、求めていた「塩焼きそば」がタマタマ手に入らなかったからであった。
 
私は焼きそばが好きでそのこともこのコラムで書いている(2019.04.23)が、これまで「ソース焼きそば」や「塩焼きそば」くらいしか作っていなかった。それらはいずれもインスタントの大手メーカーの3個入りの半生麺の廉価版がベースと成っている。
「塩焼きそば」を作るつもりでスーパーに行ったら、それは無くて「オイスターソース焼きそば」が売りに出されていたのであった。同じメーカーの品で特別なものではない。
 
ただしその調理には多少拘った。「生食の牡蠣」を多少多めに買い求めたのであった。
基本的な味付けはインスタント付属のソースにゆだね、麺も以前触れたようにインスタント2に対し太めの生麺1の割合で使った。もちろん生麺は別途湯がいて用いる。
 
野菜はキャベツがメインで色付けにパプリカを2種類ほど入れて、シメジやニンジン・玉ねぎも加えた。
調理にはホットプレートを用いた。焼きそばを作る時はいつもホットプレートを使うのと、生牡蠣をよく焼くのに適していると思ったからであった。
 
初めて食べた家人らは「美味しい」を連発し、普段あまりお代わりをしない彼女も、二杯目をしっかりと食べ、あおりを食って私のお代わりの量が少なくなってしまったくらいであった。
 
という事でこれらの三つのメニューは今では我が家の定番になっているのである。
もちろん主食に成るものと、副菜に成るものと、箸休めに成るものとそれぞれ役割は違うのであるが・・。
いずれにせよ私のレパートリーが増えて、家族には喜ばれている。
 
 
 
 
               
 
 
 

 おでん(2020.02.12)

 
言うまでもなく「おでん」は冬の家庭料理の定番である。そしてこの料理は私にとってもやはり外せない冬を代表する料理である。
因みに我が家では週に3日はおでんを何らかの形で食べている。
 
もちろん「おでん」が主采になるのは週に一度程度である。さすがに「おでん」が主采であることが何日も続くことになると、家人などは不平を口にするからである。
そのために私は「おでん」を主采に据えてから中一日ほど置いて、再度「おでん」を脇役として登場させる。
 
もちろんこの時は最初の時とは具を替えている。
初回の場合は魚肉の練り物や糸こんにゃく・焼き豆腐・タコ・昆布・餅キンなどが中心であるが、二度目の時はダイコンやこんにゃく類、更にはゆで卵・牛スジが中心になる。
 
お気づきなように、初めは時間を掛けず手っ取り早く調理が可能な具が中心であるが、二度目の場合は時間を掛けて味わうことが可能となる具が中心である。
ダイコンはやはり味を染み込ませるのに時間が掛かるし、牛スジなども柔らかくなって食べごろになるのには時間が必要である。こんにゃくにしても同様で本来味のないこんにゃくに味を付けるのには、それなりに時間が必要なのである。
 
従って中一日、すなわち二日間ほど掛けてじっくり調理し、ペレットストーブなどに架けて置く事で、食べごろの味がようやく作られてくるのである。
食べる側にとっても初回とは明らかに異なる具であれば、不平なども口にすることもなく味の染み込んだダイコンやこんにゃく・牛スジなどを喜んで食べてくれるのである。
 
更に家人が不在の昼食時に私は、おでんの鍋に冷蔵庫の残り物の具材などを放り込んで、焼き魚などと一緒に、手軽に済ませることが出来とても重宝しているのである。
 
 
 
                 
 
 
 
その「おでん」はとても手軽に作ることが出来る料理であり、具材を取り換えることで何種類もの違った味を楽しめるのであるが、その味の決め手はやはり「出汁」なのである。
この「出汁」によって味の80%以上は決まってしまうからである。
 
「出汁」は日本料理にとって必要にして不可欠のアイテムであり、こと「おでん」においてもまさに必要不可欠な存在なのである。
従って私は「おでん」を作るに際しても、この「出汁」作りに最も時間を掛け、注意を払っている。
 
 
我が家の「出汁」の基本素材は「乾燥小魚」「焼きえび」「乾燥シイタケ」「昆布」であることは、このコラムのどこかで書いたとおりであるが、これらの所謂「乾物類」が「出汁」の中心となる。
それらを5・6時間以上冷水に浸けておいてから、沸騰させて煮立たせることから始めるのである。黄金色に成ったその「出汁」に市販の「昆布醤油」や「昆布だし汁」を好みの濃さに入れ、混ぜ合わせて味を決めている。
 
そして私の独断と偏見によれば、京料理当たりの定番である「一番出汁」よりも、二番出汁や三番出汁のほうがより深い味が出るようである。
 
従って「おでんの出汁」は腐らないように毎日火を入れた、三日目四日目あたりの昆布がだいぶ柔らかくなった時のほうが、旨いモノとなるようである。
「乾燥小魚」や「焼きえび」が役目を終え撤退した後も、「昆布」や「乾燥シイタケ」は数日使い続け、柔らかく成ったり味が染み込んだ後、「おでん」の最後の具材として美味しくいただくのである。
 
そしてこれらの昆布や乾燥シイタケを食べ終わった時、そのシリーズの「おでん」は我が家の食卓から役目を終えて、消えていくのである。この間5・6日の間はおでんが具材を替えつつ、食卓を賑わすのである。
 
それから1週間もしないうちに、またおでんが食べたくなって、新しいサイクルが繰り返されるのである。
我が家の冬の食卓は、このように「おでん」を中心にしてぐるぐる廻って行くのである。
 
 
 
                     
 
 
 
 
 

 カボチャほうとう(2020.01.17)

 
この季節は一年で最も寒さが深まる時期であろう。
そしてこの寒さが募る時期に鍋物や温かい麺類を食べたくなるのは、やはり自然な体の欲求だと私は肯定しており、自ら率先して体を温める料理作りを実践している。
 
山梨県で生まれ育った私は、この時期になると無性に「ほうとう」を食べたくなる。
「ほうとう」は山梨県に旅行したことのある人なら、一度は食べたことがあるだろうと思うが、山梨県を代表する郷土料理で「煮込みうどん」の一種である。
 
私が育った昭和の時代であれば、それぞれの家の主婦たちが小麦粉を自らコネルところか始めて作る自家製麺が主役で、野菜がたっぷり入った煮込みうどんである。
 
各家々の「ほうとう」はその家のご主人や子供たちが好きな、あるいは食べることが出来る野菜や肉などを具材として作ることが多かった。従って厳密に言うならば「ほうとう」の種類は家の数だけ異なるのである。
 
 
因みに我が家の「ほうとう」の特徴は、自家製味噌の味と里芋が必ず入っていた点であっただろうか。味噌は赤味噌で多分親父の好みが反映された自家製のものであった。その里芋の粘り気と共に食べる「ほうとう」は私にとっては不可欠な存在で、自ら作るようになった現在も里芋は必ず入れている。
この親父の好みが反映された「ほうとう」は、当然私にとっては「おふくろの味」でもあったわけである。
 
 
                 
 
 
 
そんな私は、母親が元気で「ほうとう」を作ってくれている間は、傍らで出来上がるのを時折見ているだけで、手伝いをすることは無かった。
その母親が今から10年近く前に脳内出血で寝たきりになり、今では病院で植物人間のようになってからは、「ほうとう」を私は自己流で作るようになった。
 
母親の料理を手伝わなかったために自家製麺を作ることは出来ないが、具材や出汁は自分で何とか間に合わせることが出来るようになった。
母親の場合は自家製の味噌を使った味噌味が「ほうとう」のベースであったが、私は大樹の地元で間に合う食材を使った「出し汁」をベースにしている。(ご興味のある方は「鍋料理に不可欠なモノ:2018.11.30」をご参照ください)
その出し汁に醤油や市販の昆布出し汁を適量入れて作っている。
 
「ほうとう」の具材は、スーパーや地元の野菜専門店の「工藤公園」辺りで調達したものを使っている。ごぼう/大根/ニンジン/白菜/シメジといった野菜に里芋とカボチャを加え、「グリルで焼いた鶏の手羽元」や豚肉を入れるのである。
 
里芋は粘り気が出て旨いのとカボチャはホクホクした甘みがあり、体も温まるし、味も一段と良くなるので欠かせないのである。山梨の人たちはこの「カボチャ入りのほうとう」をとりわけ好む。
豚肉は少量であっても入れたほうが、味が旨くなるのでやはり入れる。
 
そして麺はスーパーで売ってる「ほうとう麺」を購入して使っている。
幾つかのメーカーのを試したが、私の口に合っていて且つ母親の手作りほうとうに近しい食感である「 シマダヤのほうとう麺」をもっぱら使っている。
 
このメーカーは恵比寿の製麺メーカーであるから、首都圏の大手のスーパーであれば容易に手に入るので、以前から使っていた。
残念なことに北海道では手に入らないので、月に一度神奈川の息子の家に来た時に、いつも数パック買って北海道に持ち帰っている。
 
今日/明日は今シーズンでも一・二の厳しい寒さになるという。こんな時は「カボチャのほうとう」がやはりおいしく味わえるのである。
 
 
 

 柑橘類(2019.12.24) 

 
 私は子供の頃から蜜柑が大好きで、今でもその嗜好は変わっていない。11月の中旬ごろから蜜柑が出回ると、直ぐに手が出てしまう。
しかしながら出始めの蜜柑は言うまでもなく糖度が足りないので、2・3週間は残念な蜜柑に我慢しなければならない。
 
そんな中でも小ぶりの蜜柑が比較的甘いことを知ったのは大学の生協であったと思う。確か学食の傍らに一口で食べられそうな、小さな蜜柑が売られていたのであった。
記憶に間違いが無ければ佐賀産であったかと想う。
そのごく小さな蜜柑は「時期尚早」であるにも拘わらず甘かった。
 
学校が京都であった事から紀州や愛媛・長崎辺りの蜜柑も多く入っていたと想うのであるが、晩秋にいち早く入って来たその蜜柑は佐賀産で、何となく珍しかった記憶がある。
 
 
それ以来私は蜜柑が出回る晩秋には、出来るだけ小さいサイズの蜜柑を求めるようになった。それも可能であれば佐賀産の・・。
それは50年近く経った今でも続いている。ある種のトラウマ、と云っても良いのかもしれない。
 
しかしながら12月に入ると甘みを増した蜜柑が出回るので、紀州や愛媛・長崎・熊本といった産地の蜜柑を求めるようになる。産地のレパートリーは拡がって行くのであるが、出来るだけ小さい蜜柑を求める傾向は、ずっと変わらない。
 
総じて大きな蜜柑は大味であることが経験上判っていて、殆ど求めることは無い。私は見栄えよりも味を完全に優先するし、コスパも良いし、一口又は二口で食べられるのが好い。
とりわけ車を運転しながら、水分補給もかねて食べるのに都合がよい。
 
 
                                          
 
 
そんな私は縁あって、熊本出身の女性と出逢い結婚する事に成った。今の家人である。
私が彼女と一緒になる決断をした要因に、柑橘類が沢山食べられることにあったかどうかは不明であるが、頭の片隅にというか胃袋や舌が自己主張をした可能性は否定できない。
 
その判断はどうやら間違っていなかったみたいで、以来冬に成ると柑橘類に不自由したことが無いのは、まことに幸せなことである。
家人の実家では蜜柑はもちろんの事、ポンカンや八朔・甘夏、更にザボンなども作っていたり親戚筋から手に入ることが出来た。まさに柑橘類の宝庫であった。
 
その実家も義母が亡くなり、またミカン農家の親しい叔父さんも亡くなってから、以前の様にはいかなくなった。とても残念な事である。
 
そうは言っても、家人の親戚の方々からお歳暮などに相変わらず蜜柑を送ってもらえるから、他の人よりは幸せだと思ってはいる。
残念なのは柑橘類のレパートリーが少なくなってしまった事である。以前のように3月末ごろまで柑橘類を愉しめなくなっているのである。
 
最近安田義定公の関係で遠州方面の方々と人間関係が形成されつつあるので、そちらのパイプを太くして行きたいものだと、蜜柑を食べながら考えている私である。
 
 
 
                 
                    ザボン&みかん
 
 
 

 昭和の匂いのする喫茶店(2019.12.04)

 
先週私は京都に行って来た。二年ぶりのクラス会に出席するためであった。
11月末の京都は北海道に比べるとまだまだ暖かく、過ごし易かった。京都にはクラス会当日の前から訪れていて、「京都市歴史資料館」や「後白河法皇の御陵」「三十三間堂」などにも寄って来た。
 
前回のクラス会の時は、『京都祇園祭と遠江守安田義定』の取材もかねて「法住寺」や「歴史資料館」を訪れていたのであるが、あれから学習した事や新しく得た情報が幾つかあり、それらを確認するためでもあった。
 
北海道から京都に行くのはそう簡単ではないので、久しぶりの機会を有効に活用しようと、3日間ほど京都の街をうろうろとしていたのである。
そして京都の幾つかの喫茶店を利用して来たのである。
 
今から45・6年前の学生時代には当たり前のように感じていたのだが、京都は喫茶店の多い街だと改めて感じた。それもいわゆるナショナルチェーンよりも、京都限定のローカルチェーンや個人営業の店が多いように思う。京都人の日常生活に喫茶店が浸透しているから、そういったことになっているのかもしれない。
 
東京あたりでいえば神保町界隈にありそうな種類の、ちょっと癖がある喫茶店というか個性的な喫茶店が多いのだ。いわば昭和の匂いのする喫茶店であろうか・・。
 
全体に落ち着いた雰囲気を感じさせる、什器や調度品などが使われていて、マスターや経営者の好みで創られているといった感じの喫茶店である。
音楽なども自分の好みのジャンルやミュージシャンのレコードやCDなどを、好みのオーディオを使って流していたりするのである。
そして珈琲はもちろんレギュラー珈琲が、それなりに揃ってることが多い。
 
ガロの「学生街の喫茶店」の世界と言ったらよいのであろうか・・。
京都にもそのような店は幾つか在ったのである。
 
 
 
                                            
             
 
私は自分自身が珈琲を飲むことが好きであり、若い頃いわゆる「若気の至り」で友人と喫茶店を開いたことがあったのだが、理想とする喫茶店には遠く及ばず経営上の問題などもあって、2年とは持たなかった。世の中の厳しさも経験したし、自分の限界についても壁にぶち当たることで知ることと成った。やはり「若気の至り」であった。
 
その体験を踏まえて私自身が理想とする喫茶店を登場させたのが、『函館、青柳町 あかげら亭』の舞台と成った喫茶店である。
登場人物は私と同世代の大手ゼネコンで幹部社員となった人物がモデルで、彼もまた喫茶店が大好きな人間である。
 
私は彼が退職したら「昭和の匂いのする喫茶店」をやることを勧めているのだが、退職後彼が喫茶店をやるかどうかは判らない。それは神様のみが知っている。
 
もし彼が喫茶店を始めるようなら関東であれば「神保町界隈」を、そして彼の出身地である関西であれば「京都」を、さらには北海道であれば「函館の西部地区」を勧めたいと、私は勝手に思っているのである。
 
それはロケーションが、彼がきっとやりたいコンセプトの喫茶店にマッチしていると思っているからである。「昭和の匂いのする喫茶店」に似合うロケーションがそこには在るからである。
そしてそれらの場所であれば、回数は多くはなくとも私も時々悦んで訪れることが出来るからでもある・・。
 
 
 
            
 
 
 
 

松花堂弁当風の駅弁(2019.11.10)

 
新幹線を使って出張などをする機会が増えると、時折昼食や夜食に駅弁を買い求めることがある。その駅弁を買うに際して、私は最近「松花堂弁当風の駅弁」を購入することが多いのに気付き始めた。
「 牛肉弁当」とか「深川めし」といった一品ものとは違って、格子状に区分けされたその区画ごとに異なる種類のおかずがある点を、私は気に入っているのだと思う。
同じものを沢山味わうというよりも、バラエティに富んだ畑由来の料理や魚・肉料理に、手間暇かけた料理を少しずつ何種類も味わうことが出来るのは、嬉しいものだ。
 
これはバイキング料理と同じ理屈なのかもしれないが、この手法は、和食の世界では古くから「松花堂弁当」として、日本では定着している。
 
私も若いころはどちらかというと多くの小割された小料理を食べることよりも、一つや二つの品目をしっかり、かつ沢山味わう方を好んでいたと思う。
それもどちらかというと和食系より肉料理であったり、中華料理イタリア料理、といった子供のころには縁のなかった分野に関心が高かったように思う。
 
それが30代になってから和食に目が向き始めた、和食への回帰が始まったのである。その歩みは少しずつゆっくりとではあったのだが・・。
お酒の好みも洋酒よりは日本酒、それも地酒といわれる分野の日本酒に、次第に関心が向かっていったのであった。
 
それは私自身の年齢的なこともあったかもしれないし、未知の異分野の食事に関する経験や体験が一巡してしまって、自分の舌で改めて味わうようになり判断する様になったから、なのかもしれない。自分自身の食に関する経験の積み重ねを経て、自分なりの味覚の判断が出来るように成ったことがきっかけとなって、地酒や和食に関心が向かっていったのかもしれなかった。
 
実際のところ地酒は洋酒に比べてバラエティも豊かであったし、ちょっとした味覚の変化や微妙な違いを味わうことが出来たのである。そしてまた日本酒と同様に、和食の世界でもその細やかな味の違いや、味覚の変化を楽しむことが出来た。
 
そのような私自身の食の遍歴があって「松花堂弁当」風の、あの小さな食の宇宙を受け入れるようになったのではないかと、そんな風に今では思っている。
しかし「松花堂弁当風の駅弁」はよくできていると私はつくずくそのように感じ入っているのである。
 
                        
                                         
                    
 
 

九州ラーメン(2019.10.23)

 
 
先日法事で九州に行き、3日間程熊本で過ごした。
その際、お世話に成った家人の叔父に感謝の気持ちを込めて夕ご飯を作って招待した。私は北海道から持ってきた出汁セットを使って、ラーメンを作ることにした。
 
ところがスーパーで中華の生麺を買っても、北海道のような太い縮れ麺はどこを探しても無かった。関東のスーパーであれば細麺・普通麺・太麺・平麺などのラインナップがあるので、その中から太麺を選ぶことが出来るのだが、熊本のスーパーでは選択の余地が無かった。細麺かチャンポン用の麺しかなかったのだ。
 
仕方なくチャンポン麺を買い求めた。更にスープについても同様のことがあった。豚骨用やチャンポン用スープしかないのだ。塩味やしょうゆ味・みそ味などのスープは無かった。私には選択の余地は無かった。不自由を感じると共に若干の不安がよぎった。
その不安を打ち消すようにと、チャーシュー・シナチクやナルト・海苔・煮卵・餃子・シュウマイといった副菜を買い集めた。
 
 
そしていよいよラーメンを作ったのだが、どうも勝手が違い戸惑ってしまった。
出来上がったスープはチャンポン用スープと云う事もあり、自慢の海鮮出汁は味が沈んでしまい旨さを味わえる事は無かった。
麺もまたチャンポン麺は細く湯がく時間を短くしたのであるが、トッピングをしてる間に時間を要し、細麺がスープを吸ってふやけてしまい全然美味しくなかった。
 
副菜で何とかごまかすことは出来たものの、主役のラーメンがおいしいとは言えなかった。
私のプライドは傷ついてしまったのである。
わざわざ叔父を招待して饗応するレベルのものではなかったのである。残念であった。
 
私は伸びた細麺を食べながら、今度九州にやって来る時は北海道の太麺とスープを持って来なければならない、それも大樹の藤田商店の麺を⁈と固く心に誓ったのであった。
 
それにしても九州の麺でラーメン類を作る時は、ソーメンを作る時と同じ要領でなければだめなのではないかと、想ったりしたのである。
う~ん、残念至極であった。
 
 
 
                  
 
 
 
 

ぬか漬け(2019.09.30)

 
今年の初夏からチャレンジした自家製食べ物に「ぬか漬け」がある。
一般的な家庭においては主婦などが行うことが多いと思うが、我が家の主婦は九州の産と云う事もあって「ぬか漬け」には全く興味を示さない。
残念なことに九州には「ぬか漬け文化」があまり定着して無いようだ。
夏場の暑過ぎる気候がそのような食文化をもたらしているからだ、と家人は弁明している。
 
山梨で生まれ育ち、関西で10年ほど味覚に敏感な時期を過ごした私にとって漬物の無い食卓はあり得ない世界である。
母親が元気であった頃、家人は職業婦人であったこともあり、料理は母親任せであった。もともと料理好きとは言えない家人は姑である私の母親と同居するように成ってからは、すっかり料理は任せっきりであった。
そのために母親の手料理を継承する事もなかった。したがって「ぬか漬け」も同様の運命をたどったのである。
 
その母親が大病を患い、入所生活をするように成ってからはもっぱらスーパーなどで購入して済ませていたのであるが、ついに今年は自分で漬けることにチャレンジをしたのである。数年前からその気持ちはあったのだが、実行には至らなかった。
 
 
この春ごろスーパーで「ぬか漬け用の糠」が売っていたこともあって、それを購入してから母親が残してくれた漬物用の壺を、納戸から取り出して始めるようになった。
 
漬物の材料である野菜は大根を除き、我が家のビニールハウスで栽培している「キュウリ」「茄子」「人参」を中心に使っている。
家人は料理は苦手であるが、庭の草花の手入れや自家製野菜の栽培には能動的であるから、もっぱら家人の造る野菜を使って私が料理当番をするのであるが、その中に「ぬか漬け」が今年からレパートリーとして加わったわけである。
 
 
 
                   
 
 
 
「ぬか漬け」で注意を払わなければならないのは、「ヌカ入れのタイミング」である。
「キュウリ」や「茄子」は比較的短時間で漬かるから、一番遅くに入れる。
逆に「大根」「人参」は、ヌカの味が野菜に沁み込むのにそれなりの時間が必要であるため、長時間漬ける事に成る。
 
「ぬか漬けのタイミング」はその日の気温や、味の濃淡の好みにもよるが、最低気温がめったに20度を超える事の無い北海道では、寝る前に漬けるのが「人参」や「大根」で、食べたい時間の6~8時間前に漬けることが多いのが「キュウリ」「茄子」である。
 
もちろん時間を短縮したい時は二分割や四分割することで、時間を早めることは出来るし、逆の場合は丸のまま漬けることで、時間も味もコントロールする事は出来る。
 
 
今年の7月ころから始めた漬物も8月くらいからそのコツをつかむことが出来、自分や家族の納得のいく漬け具合がゲットできるようになった。これもまた百練自得なのであろうか・・。
 
その夏野菜も、明け方の気温がグッと低くなってきたこともあり、ぼちぼち収穫の終わりを迎える時節に成って来た。
これからは大根などの秋野菜が収穫を迎える季節に成るので、ぬか漬けの主役は夏野菜から「大根」や「人参」「小かぶ」に移ることに成って来るであろう。
 
そして北海道では一般的な「カボチャのヌカ漬け」を、私は初めて試してみる事に成るかもしれない。ひそかにそう想っている。
と云う事で、今ではすっかり我が家の食卓に「ぬか漬け」は欠かすことのできないアイテムに成ってきたのである。
 
 
 
               
 
 
 
 
 

パプリカ(2019.08.27)

 
 
今年の我が家の夏野菜はパプリカと米茄子が当たり年であった。
パプリカは成長するのに60日近く掛かると云う事を体験した家人は、自分がパプリカを栽培するように成って、この野菜がピーマンの袋詰めに比べて倍以上の値段がすることに、納得するようになったと語っていた。
 
確かにピーマンに比べて3倍以上はあると思われる肉厚の野菜であれば、それだけの日数を要するのも、理解はできる。
パプリカは実が十分成長してもそれから10日~2週間かけて、本来の緑色から、赤や黄色・橙色に変化していくのである。そして食べごろと成るのは言うまでもなく全体の色が緑から赤や黄色に変色し終わったころ合いである。
 
元々緑黄野菜は身体に良いと云われているが、変色を済ませた採りたてのパプリカはシャキシャキとした歯応えがあって、鮮度の良い野菜特有の甘さをほんのり味わうことができる。従って一番良いのは生サラダなどにして食べることであるが、焼いたり煮たりしてもオイシイのである。
 
 
先日帰省中の息子が友人達とバーベキューをするというので持たせたら、「甘くて旨かった」と評判だったというが、まさにその通りなのであろう。
我が家では「焼きそば」や「カレーチャーハン」「ハンバーグとの炒め」「鶏肉との炒め」などには必ず使っているのであるが、色も鮮やかでシャキシャキと歯応えが好いから重宝している、夏野菜である。
 
 
話は変わるが、外見だけで中身のない人物をからかって「ピーマン」と言ったりすることがあるが、肉厚でやはり中身が空洞な「パプリカ」に例える人達はどんな人種かと、先日の夕食時に話題になった。
 
私はその時のTVニュースを見ていて、数日前に言った事を臆面もなく翻す政治家を観て早速「政治家」と応えた。この珍回答には家族もニヤリと笑って同意していた。
「面(つら)の皮」が厚く、小・中学生程度の理解力と語彙力を有しない世界のリーダーが、その時TVには映っていたのである。
 
近年世界中のあちこちに「パプリカ」な政治界のリーダーが増えていることを、話題にしている我が家では、この日から「パプリカ」という言葉は、政治家を指し示す用語として共通認識されるようになったのであった。
 
 
 
                 
 
 
 

冷やしうどん又はそうめん(2019.08.05)

 
 
こう暑い日が続くと暑がり屋の私はしきりに体を冷やしてくれる「冷たい食事」を食べたくなる。身体が欲するのである。先日取り上げた「冷やし中華」もそうであるが、その双璧といってよい「冷やしうどんやそうめん」もまた私には大切な冷食である。
 
「冷やし中華」や「冷やしうどん/そうめん」を数日単位でローテーションさせることで、私はこの暑い夏を何とか乗り切っていられるのである。したがって30度を超える日はこれらの食事は、私にとっては必需品である。
 
「冷やしうどん」や「そうめん」はいたってシンプルな食べものであるだけに、決め手となるのは言うまでもなく「つけ汁」である。この「つけ汁」に納得いかないと、「冷やしうどん/そうめん」に満足することが出来ないのだ。
 
 
私の「つけ汁」は言うまでもなく自家製である。その「つけ汁」のベースに成っている出し汁は、いつものように「昆布」「乾燥椎茸」「焼き海老」「乾燥小魚」である。
私の「出し汁」の作り方にご興味のある方は、当該コラム既出の「鍋料理に欠かせないモノ」(2018.11.30)を参考にされたい。
 
いずれにせよその「出し汁」にスーパーで売っている「昆布醤油」と「昆布だし」を適量入れて混ぜて沸騰させる。
「適量」としているのは個人の好みで「出し汁」の濃淡が異なるからであり、食べる人の好みの濃さに依る、としか言えないのである。
 
ただ言えるのは「冷やしうどん」も「そうめん」も基本的には冷水に浸しておいて食べるのであるから、水っぽくなる。したがって、通常の温かいうどんやニュウ麺を造るときの味よりは3・4倍くらいは濃くしておかないと、すぐに水っぽくなってしまう。
おなかが膨れてほぼ食べ終わったと思われるた時に、すでに水っぽくなった「つけ汁」がおいしく飲めるぐらいの濃さが、目安であろうか・・。
 
そして言うまでもなく、ゆで上げた麺は冷水などでしっかりと冷やし麺を引き締めておく必要がある。歯ごたえも好みによるが、私などは歯ごたえ重視派なので出来るだけ冷水や氷を多く使って、器は深鉢を用いている。
 
 
 
              
 
 
メインはこの「冷たい麺」と旨い「つけ汁」であるが、これだけだとシンプルすぎるので我が家ではこれに 副食や薬味をたっぷり用意しておく。
薬味は「ネギ」「バジル」「パセリ」といった家で栽培しているものを活用している。
 
そして副食は「きゅうりのサバ和え」を用いることが多い。
この料理は数少ない私の父親からの伝授品であるが、簡単に作れて美味しいので夏の定番になっている。
 
丸いままのキュウリを千切りにしたのに塩を一つまみ降り水気を取り、しんなりと成った丸い千切りキュウリに、食べる直前にサバ缶の水煮をひと塊り取って入れ、ほぐし混ぜるのである。
水気をとるためには食べる2・30分前にやらないといけない。水分をとるのにはそれなりの時間が必要なのである。
残ったサバの塊はそのまま小皿に盛って食卓に置き、うどんやそうめんのつけ汁の味に変化をつけたくなった時に、適量をつけ汁に入れて食べるのである。
 
我が家では家族みんながこの「きゅうりのサバ和え」と残ったサバの水煮を好むので、この副食もまた必需品である。
昨年あたりからサバの水煮が高騰しているが、永らく安価であったから、まぁ仕方ないかと思って入る。
因みにキュウリは大きさにもよるが、我が家では一人1/2本を目安にしている。また塩で水分を取り除くことは味を左右するので、これも必須である。
 
 
                                                             
 
                                                
 
 
 
 
 

シーニックカフェ(2019.07.25)

 
シーニックカフェとは「景観」や「景色」「眺望」を売り物にする休息処の事で、「眺望の良い場所に在るカフェ」と言った意味の休憩場所の事を言っているようだ。
 
私がこの言葉を耳にしたのは数年前に隣町の旧忠類村、現在の幕別町忠類地区に「シーニック」を冠に着けたカフェがOPENした時の事であった。
 
忠類村は大樹町に接し周囲の三方を大樹町に囲まれることもあって、平成の大合併の際に大樹町と合併するか、残りの一方即ち北方に隣接する幕別町と一緒に成るか、で議論があったようだ。
歴史的・地理的に関係の深い大樹町をあえて選ばず、町の中心部とは 30km以上は離れている幕別町を選んだのは、両者の間の確執の歴史があったためだと教えてくれる人がいた。
 
 
因みに忠類は昭和の40年代にマンモスの遺骨が1頭分そっくりそのまま見つかっており、マンモスが旧忠類村のイメージキャラクターに成っている農業の村である。
また「鋼の錬金術師」の作者荒川弘さんが生まれ育った地域であり、彼女は現在の朝ドラ「なつぞら」のモデルにもなっているらしい
 
 
それはそうとしてこのシーニックカフェは、国道236号線という十勝を縦断する幹線道路沿いの小高い、里山のような場所の天辺に在るカフェで、国道からカフェの間には若牛を育てるための村営放牧場が在り、とてものどかな場所である。
 
眼下に十勝平野を一望出来る見晴らしの好い場所に立地しており、「シーニックカフェ」のコンセプトがそのまま体感出来る空間である。
 
 
この「シーニックカフェ」は北海道という人口密度が低く、自然環境の豊かなエリアには最適な観光施設だと、私は感じている。
従って北海道を観光する予定のある人達にはこの冠の付いたカフェを見つけたら、迷わず利用することを勧める。
因みに北海道では40ヶ所近く在るらしいが、その多くは十勝エリアであるようだ。
 
本州ではめったに遭遇する事のない、眺望を売りにしたカフェで眼福を堪能することが出来るものと思われる。
 
 
                 
 
 
 
「シーニックカフェ」の「シーン」とは、「映画のシーン」等で使われる「シーン=場面」を意味する言葉だと私は理解しているのであるが、北海道に限らず景観や眺望を愉しめる場所に在れば、観光客や訪問者にとって「価値のある存在」に成るのではないかと思って期待している。
この業態のカフェが、今後日本全国に浸透することを願っているのである。
 
そしてひょっとしたら、いつの日か遠州森町辺りでも「シーニックカフェ」を体感することが出来るように成るかもしれない・・。
遠州平野を眼下に見下ろしながら、森町特産の緑茶を中心にしたカフェを味わうのである。今であればトウモロコシが、そして秋に成れば治郎柿をお供にして、である。新しい観光の拠点に成るかもしれない、などと想っている・・。
 
 
 
 

ニラ(2019.07.13)

 
我が家のビニールハウスは専ら家人の領域なのであるが、私が北海道にいる間は私も多少はお手伝いを行っている。
ハウスから上がる野菜を私も食べる事、家人がまだ現役で働いている事に依っている。
実際にはビニールの上げ下げや、水やりといったレベルの事なので苦になるわけではないし、何よりもリフレッシュに成るので、PCに疲れた時やディスクワークに区切りがついた時などに、庭に出て対応している。
 
夏野菜が収穫できるようになるまでは、イチゴや長ネギ・アスパラやバジルと共に採れるのがニラである。
庭の片隅で行者ニンニクが採れている間は、ほとんど見向きもしないのだが五月下旬ごろになると、さすがに行者ニンニクも採れなくなるのでニラを収穫するようになる。
 
そのニラを刈り取った後、一週間もしないうちに刈り取ったばかりの株から、新しいニラが生えてくる。
それらを目にするたびに私はニラの持つ生命力の強さを、認識するのである。
そして何故この野菜が、スタミナ料理として「レバニラ炒め」や「もつ煮」などに使われるのかを、改めて納得するのである。
 
我が家でも、採っても取っても新しい葉っぱが生えてくるから、ニラは花が咲き始めるお盆の頃まで数か月の間は、食卓に並ぶことになる。
因みに我が家ではニラを、豚肉やニンニク・エノキと共に特性ダレを使って炒める料理が喜ばれるので、月に二・三回は食卓に登る。特に子供たちがリクエストすることが多い。
 
その特性ダレは簡単に作ることが出来るので、ご興味ある方は試されたら良いかもしれない。具体的にはニンニクと昆布を適宜の大きさに刻んで、小さな瓶の中に生醤油と共に漬けて置くだけである。一晩で使えるようになる。
我が家では肉類を直接味わう料理には殆どと云ってよいように、このタレを使っている。とても重宝しているのだ。
これから暑い季節が本格化すると、ニラと一緒にこの特性ダレを使った肉料理の頻度が増えて来るのである。
 
 
                              
 
 
 
因みに『大野土佐日記』や『荒木大学』の舞台となった北海道道南の知内町は牡蠣と共にこのニラが特産で、北海道のスーパーでは「北の華」というブランドで知れ渡っている。
 
知内でニラが作られるようになったのがいつ頃なのかは知らないが、ひょっとしたら800年前に荒木大学達金山衆と一緒に、かの地に上陸した修験者大野了徳院重一がもたらしたものかもしれない、などと「北の華」を手にするたびに考えてしまう私である。
修験者であれば「行者ニンニク」と共に、山に自生する「ニラ」の生命力をよく知っていたであろうから、などと考えてしまうのだ。
 
ニラの強い生命力にあやかって、私はこれから訪れるであろう暑い夏を乗り切りたいものだ、などと「ヤマセ」の梅雨寒むの首都圏でつらつらと考えているのである。
 
 
 
 

「食品ロス」とミニ海鮮丼(2019.06.17)

 
 
先日地元のスーパーの鮮魚コーナーに行ったら「鮮魚類の切り落とし」なるものが売っていた。初めて見たものだ。最初はチラリとみて通り過ぎたが思い直して買い求めることにした。その時私は「食品ロス」という言葉を思い起こしたのである。
 
「鮮魚類の切り落とし」としてスーパーのパックに入っていたのは、マグロや鯛・ハマチ・鮭・タコ・イカといった魚の刺身や切り身のぶつ切りに成った切り落としであった。
ほぼ親指大に切られていたそれらの魚は、確かにそのままでは売り物には成りずらい大きさや部位であった。
 
 
本来ならば売り物に成らないモノとして「生ごみ」扱いされて、処分されていたであろうが発想の転換で、それらを親指大に切り取り纏めることで新たな商品として再生させているのである。
これは何よりもスーパーの鮮魚部のスタッフが、これらを「もったいない」と想い「食品ロス」への意識や「生ごみ対策」といった思いがあったから起きた事だろうと、想われる。
 
それがフクハラ大樹店の鮮魚売り場の責任者の考えなのか、店長の考えなのか更には本部の方針なのかはわからないが、私はこのスーパーの事をちょっと見直した。
そしてこの店のこの商品を応援したい気持ちが、沸き上がったのである。
 
300円程度という値ごろ感もあって私は「鮮魚類の切り落とし」を早速買い求めた。
そして試したメニューが「ミニ海鮮丼」である。
 
 
                   
                 
 
 
 
切り落としの魚の大きさを大雑把にある程度揃えてから、醤油漬けにした。いわゆる「鮮魚の漬け丼」を食べようとしたのである。
食べる30分ほど前からやや底厚のお皿に切り身を散らし、生醤油に浸しておくのだ。手巻き寿司の時の「マグロの漬け」と同じ要領である。
 
それからご飯を温めて簡単な酢飯を造り丼に盛って、その上に先ほどの「鮮魚の漬け」をまぶした。
たっぷりとわさびを用意して乗せ、庭で採れたハーブを刻んで載せた。これで出来上がりである。
好みにもよるが簡単に作ることが出来、ちょっとした海鮮丼を食べた気に成ることはできる。家族の評判もそれなりにであった。
 
また同じ「鮮魚類の切り落とし」が売っていたら買い求めようと想う。
私はスーパーの陳列ケースから、いろんな想いが詰まったこのアイテムが、消えて無くならないことを願ってやまない。
 
 
 
 

冷やし中華(2019.06.02)

 
 
夏といえばやはり「冷やし中華」は外せない。我が家においても「冷やし中華」と「冷やしうどん/そうめん」は定番のメニューである。
10日ほど前から首都圏に来ていて、連日の30度越えも経験した。その期間においても「冷やし中華」や「冷やしうどん」を作って、暑さをやり過ごした。
 
我が家の冷やし中華は基本、しょうゆタレの味でゴマダレではない。
冷やし中華の味の決め手の半分以上は麺に規定されると私は考えているので、一番こだわるのは麺である。
総じて北海道の麺は太くて縮れているのだが、私がもっぱら愛用しているのは地元大樹町の「藤田商店」の中華麺である。
 
ここの自家製中華麺は冬場はラーメンを作るときに愛用しており、焼きそば麺としても一部利用している。そして夏場は冷やし中華にも使う。
という事もあって、首都圏の息子の家に来る時も必ず土産物のメンバーに入っている。
こちらのスーパーなどにも中華麺は売っているが、縮れ具合や太さがやはり大切であり残念ながら劣る。藤田商店の麺はスープやタレがよく絡まって、旨いのである。
 
 
                                            
 
 
具材としてのアイテムでは、「中華クラゲ」は外せない。これがないと冷やし中華を食べた気にならないから、不思議である。かつて日本海辺りでは「越前クラゲ」と言われて、厄介モノ扱いされて話題になった代物であるが、あれが中華クラゲの原料だという。
 
他の具材は夏野菜の「トマト」「アスパラ」「キューリ」「茗荷」といったものに、「ハム」や「わかめ」「玉子」で色合いをつけ、市販のしょうゆ味のタレをしっかりと掛ければ出来上がりである。
比較的簡単に作れサッパリしているから、家族にも喜ばれる。
 
 
注意を払っているのは、茹であがった麺を冷たく冷やすように心がけている事で、茹であがった麺を水で切った後、氷をたくさん使って麺を出来るだけ冷やすようにしている。
更に丼や皿にもあらかじめ氷を下に敷いておいて、その上に麺や具を配するようにしている。この時に麺を乗せた段階で麺に一度たれを掛け、更に具材を乗せた後にも上からタレを掛ける。二回にわたってタレを掛けるのは、しょうゆダレ好きの私の好みなのだが、やはり酢醤油の味が染みてサッパリ感が漂い、旨いのである。
 
因みに北海道の大樹町の水道は夏でもとても冷たいので、茹で上がった麺を冷やすのに氷はいらない。この町の水道のありがたいことである。
 
 
 
                                               
 
 
 
 
 

カレーチャーハン(2019.05.24)

 
 
ここ3年程前から創作したメニューで、家族からのリクエストが多いメニューの一つである。月に1・2度は所望される。
尤もカレーチャーハン自体は、世の中に存在する料理であるから「創作メニュー」といっても全くオリジナルなわけではない。世間では「カレーチャーハン」といったり「カレーピラフ」といわれたりするが、要するに野菜たっぷりでカレー風味の焼き飯である。
 
この料理を作る時には少なくとも2・3日前から準備が必要となる。冷たいご飯が不可欠だからである。焼き飯はやはり炊き立てのごはんでは旨くない。
ご飯が余った時などに、冷凍せずにラップなどに包んで2・3日間冷蔵庫に入れておくと、ちょうどよい固さになる。それを用いるのである。そのための準備期間が必要なのである。
 
 
使用する具材はカラフルなパプリカがメインで見た目といい、歯ごたえといいこれも必須アイテムである。それにフツーのピーマンや玉ねぎ・人参といったものをいずれも「小指の爪大」の大きさに、さいの目状にカットする。
忘れてはならないのはジャガイモである。ジャガイモの量の多い少ないによって甘さに変化が生じるから、ちょっと甘さを感じたいと思う時はジャガイモを多めに入れるよう心掛けている。
 
野菜の具がある程度でき上ったら次はご飯である。ご飯を炒めるのにはニンニクを細かく切ったものを事前に用意し、ごま油で炒める。色が変わりよい匂いが立ち上るまで火を通す。これが隠し味になる。
それに厚切りベーコンを野菜同様、さいの目大に切ったものを用意しておく。添加物を除去するために、事前に湯通しするのは言うまでもない。
 
ニンニクが良い匂いを醸し出すようになったら、冷蔵庫の冷ごはんを取り出し満遍なくまぶし、その上にさいの目上の厚切りベーコンをばらまく。ニンニクと厚切りベーコンが多めなほうが我が家では、とりわけ子供達には喜ばれる。
 
 
 
              
 
 
 
カレー風味の味付けはインスタントのソースを使う。いろんなメーカーのものがあるが私はグリコの二人前入り100円程度ものが一番良いと評価している。
コスパが良いし、パウダー状の「具材用」とスープ状の「ご飯用」の二種類がしっかり分けられているのもよい。もちろん野菜用には「具材用」を用い、ご飯用にはそれ用のソースを使う。
 
気を付けなければならないのは、その量である。「具材用」は多少多めでも構わないが「ご飯用」は多すぎると、ご飯がベチャベチャになりかねない。したがってご飯用ソースは、やや少なめが良い。因みに私は3人前の時は2袋としている。
それでもカレー味を高めたいときはS&Bあたりの缶入りのカレー粉で調整するようにしている。
 
なぜだか知らないが、私は「カレー」は全く作らないのであるが、この「カレーチャーハン」は億劫がらずによく作る。私に代わってカレーを作っているのはもっぱら家人または息子である。
 
 
 

手巻き寿司(2019.05.14)

 
 
この季節に成ると我が家ではビニールハウスを建ち上げる。大樹に移住して来た年に近隣の農家から別け戴いたものであるが、今ではすっかり定着していて風景の中に溶け込んでいる。
当初は家人の趣味のようなもので野菜作りを始めていたのであるが、年々充実してきており近年では私自身も家人が作る自家製の夏野菜には、すっかりお世話に成っている。
 
そのビニールハウスは晩秋からGWくらいまでの半年間は、雪害を防ぐためにビニールを取り払い、骨組みだけに成って半年ほど雪の中に埋もれている。
その骨組みに春が定着するこの時期にビニールを被せることで、本来の「ビニールハウス」に生まれ変わるのである。
 
3m近くの高さにビニールを被せる作業は、ここ10年近く経験しているのであるが、なかなか覚えることが出来ず、毎回ご近所さんの手を煩わせている。初回からの事である。
一年に一日だけやってもすぐ忘れてしまうのだから、困ったものだ。
 
そしてこの作業を終えた後に大いなる感謝の気持ちに替えて、ほんのささやかな昼食会を毎回行っている。そのメニューが手巻き寿司なのである。
手巻き寿司が定着し始めたのはここ7・8年だと思うが、具材だけ揃えておけば、事前の準備があまり必要なく当日でもサッサと出来ることや、ご近所さんがそれなりに喜んでくれるので、いつの間にかこのメニューに落ち着いた。
 
大樹町にはお寿司屋さんが今は無いから珍しいと云う事もあるし、北海道は魚種が豊富だから具材が揃い易いといった点もある。それに私自身お寿司が好きなこともあって積極的に取り組んでいる。
 
 
私は、お寿司の味はシャリの出来具合が半分くらい影響すると思っているので、米を炊くことにはそれなりに気を使っている。TV番組でお寿司屋さんが言っていたように「新米と古米」を50;50で炊くと、適度な堅さでお米が立って美味しく炊けると聞いているので、そのようにしている。
 
もちろんこの時期の新米といっても去年の秋のだから、新米とはいえ半分古米のようなものである。一応玄米を買ってきてそのつど精米してから炊くので、多少はましかもしれない。古米はできるだけ一年以上前のコメを、多少常備しているのでそれを使う。
水の分量はいうまでもなく通常より抑えて使う。
後は三杯酢の割合と酢を混ぜる時の乾燥作業に注意を払っている。
 
 
 
                                                  
 
 
 
具材としては「マグロの赤身の漬け」と「貝類」「青み魚」は外せない。
「マグロの漬け」は我が家の定番で、マグロのうまみを一番味わえると信じて疑わないので必ず作る。これは食事の30分くらい前に赤身をスライスし、生醤油に着けておけば十分なので簡単にできる。マグロの水分が抜けて代わりに醤油が沁み込んでいて旨い。
 
北海道は貝類が豊富なので、地元のスーパーなどでも良質のホタテやツブ貝・北寄貝といったものがすぐ手に入る。地産地消の代表格である。
「青み魚」は「〆め鯖」「イワシ」といった出来合いのものを、スーパーなどで買ってきて使っている。
そのほかの具材としては、当日スーパーに並んでいる「サーモン」「海老類」「イカ」「タコ」「明太子」「鯛」などを選ぶ、そのつど新鮮で旨そうなのを、適宜選んでいるのだ。どちらかというと脇役なので、その時の運に任せている。
 
 
それから忘れてならないのは「海苔」である。これは私が東京に行く際に築地の場外で購入して来る。いつも「有明産の寿司はね」で済ませている。購入先を決めているので余り外れはない。とはいえ、近年不作の影響で海苔の厚みが薄く感じられるのが残念である。
しかし「パリっと感」が無いと美味しさが半減するので、海苔は北海道より築地に求める。
 
そのほかの添え物としては「カイワレ」「大葉」「隈笹又は行者ニンニクの葉」といったものを使うが、これらは視覚的な効果と、ちょっとした味覚の変化のために使っている。
 
このようにして手巻きずしとお酒を供与し、ご近所さんたちへの感謝の宴を開いて、我が家の今年のビニールハウスつくりも、先日無事に終了したのである。
 
 
 
                                           
 
 
 
 

バーベキューとジビエ(2019.05.03)

 
 
GWも一週間目に成ると、そろそろ普段の生活が恋しくなるかもしれない。5月や10月といった一年で一番過ごし易い時期に、10日間も連休があるのはサラリーマン生活をしていた身ならば、とてもハッピーに思っていたことだろう。
 
この時節を愉しむとしたら屋外でのバーベキューという選択肢も、やはり出てくるであろうか。北海道ではGWごろから本格的な春が定着することから、屋外での食事もやっとスタートすることに成る。
 
北海道の花見は今頃から始まる。そして北海道のお花見に付き物といえば、ジンギスカンがその代表であろうか。よく屋外の公園などでジンギスカンのバーベキューを楽しむ姿が、ニュースなどで報道されるから内地の人たちもご存じだろうか・・。
 
近所の農家の人に聞いた話では、かつて家で羊を飼っていた頃は冬に羊毛を採った後、春先のこの時期などに飼っている羊の中の一匹を、バーベキュー用に潰して食べた、と云う事であった。
数時間前まで生きていた鮮度の良い羊の肉は、まだぴくぴく肉が動いていてコリコリして旨いものた、と云っていた。
 
開拓時代はこのようにして、家畜を飼っていたのだと知ることが出来る。家畜は生きてる時はもちろん、死んでからも常に自分たちが生きるために役に立って来たのだと、彼らの話を聞きながら感じたものである。
 
さてそのバーベキューの思い出の一つに野生の獣の肉がある。こちらに移住して初めての年の事であるが、「エゾシカの肉」と「ヒグマの肉」をもらって食べたことがある。
たぶん害獣の駆除とかで得た肉であったのだろうと思うが、それらのおすそ分けが回り廻って来たようである。
「鹿の肉」については本州に居た時に日光の山奥で食べた経験があったが、「熊の肉」については初めての体験であった。
 
日光で食べた鹿肉と北海道のエゾシカの肉はそんなに変わらなかったように思う。ともに鶏肉のササミのように柔らかくて、特に癖も無く食べ易かった。他の野菜などとの相性も悪くなかったように記憶している。
 
 
 
                          
 
 
 
問題はヒグマの肉であった。肉を持ってきてくれた人のアドバイスを聞いて味噌を使った鍋でチャレンジしたが、ゴムのように固くあまり美味しいとは言えなかった。
 
尤もその原因は肉そのものにあったというより、「熊肉は臭い」と聞かされた家人が2度ほど湯引きしてアクを取ろうとしたことが原因であったと想う。
その経験に懲りて次に試したのは、バーベキューで焼いて食べることにした。
 
肉を炙るというので、できるだけ薄く切って塩と胡椒とを片面ずつに降って炙った。
やはり野生の獣の肉と云う事もあって、寄生虫などの心配もあったので火はじっくりと通すように、心がけた。殺菌のためである。
 
半信半疑で食べたのであるがこれが思いがけなく、旨かった。ゴムのような味噌鍋の肉と同じものとは思えず、フツーに食べることが出来た。生肉を焼いたわけだけど臭みもほとんど感じられなかったし、固くもなかった。
エゾシカなどと比べると肉の味は濃かったけど、ラム肉やイノシシの肉ほど個性的ではなかったように記憶している。
 
従って今後クマの肉を食べる機会のある人には、塩と胡椒をしっかりまぶして肉を焼くか炙って食べることを勧める。そのほうがクマの肉の旨さをしっかりと味わえるような気がするからである。
 
そしてクマ肉を食べて起きた体の変化としては、その夜は身体がいつまでもポカポカと温かかったことである。それは体の内面から起きてきた温かさであったかと想う。野生の獣の肉を食べると時折こういった経験をすることがある。
冬場に食べたら体があったまっていいんだろうと想う。
因みにイノシシ肉のシシ鍋が冬に珍重されるのはこういった効果があるからであろうか・・。ジビエ料理の効果効能であろう。
 
 
                                
 
                  エゾジカの肉
 
 
 
 

麺類は友だち(2019.04.23)

 
 
私は麺類が好きで殆ど一日一食は麺類をメニューに入れる。
朝食はパンが多いことから、昼か夜に成るのだが8VS2でお昼のメニューに成ることが多い。具体的には「パスタ」「焼きそば」「ラーメン」「うどん類」などで、夏に成ると「ソーメン」や「冷やし中華」がこれに入り、冬には「ほうとう」が入ってくる。
 いずれも比較的簡単に作れるのがその理由であるが、昔から麺類に親しんでいることも原因と成っているようだ。
 
 
「パスタ」では「ナポリタン」と「アサリのボンゴレ」が多く、手間の掛かるミートソースは殆ど作らない。神奈川に居る息子がなぜか「ミートソース」に力を入れているので、もっぱら彼の家にいる時に、彼に作ってもらって食べているくらいである。
 
いずれも市販のパスタメーカーのインスタントなソースをベースにしているが、それはあくまでソースとして用いているのであって、それが全てではない。
具体的には「ナポリタン」では、あらびきウインナーの湯引きしたのをニンニクで炒め、シメジ・エノキを比較的たっぷり入れて、くだんのソースと共に炒めてオリジナルなソースを創る。ソースはいつも多目に作り、余ったのはパンに付けて朝食で食べる。
 
パスタ麺は太目が好みなので1.7~1.8mgを使っている。そしてパスタ麺を湯がいた後にバターをマブす事で、麺のくっつきを防止するとともに、ちょっとした隠し味にしている。
 
 
 
                 
 
 
 
「焼きそば」も塩味のインスタント麺がベースであるが、それに地元の中華麺である藤田商店の自家製麺を湯がいたのを、一緒に入れブレンドして炒める。
インスタント麺2に対し生麺1の割合が丁度よい。インスタント麺だけでは歯ごたえに満足感は得られないし、麺が細いのも残念なので、やはり生麺を入れる。
 
生麺だけで作ったこともあったが、ソースの塩味を引き出すのが難しいのと、食感がイマイチなので今の組み合わせに成った。焼き鳥の際の鶏肉と同じように一種類の素材だけを用いるより、異なる二つの素材を使ったほうが味が好くなることがあるようだ。
 
野菜は普通にキャベツや玉ねぎ・ピーマン・人参・もやしなどであるが、畑でパプリカなどが採れる時節はそれも使う。これらに加え去年あたりから使うようになったのが茄子で、これが他の素材の味を吸収して味が良いのと、食感もまた好いのでもっぱら使うように成ってきている。
 
肉類は湯引きしたあらびきウインナーがメインで豚肉が少々といった組み合わせで、ニンニクと一緒に炒めて使う。
「焼きそば」もかつてはもっぱらソース味で作っていたのだが、塩味に成って久しい。私自身の味覚に変化が起きているのかもしれない。
 
「ラーメン」を創るのには自家製の「出汁」が基本で、この出汁のストックがないと造ることが出来ない。自家製出汁については以前このコラムでも述べている(「鍋料理に不可欠なモノ(2018.11.30)」参照)のでここでは触れないが、いずれにせよその出汁の存在が前提と成っている。
 
麺は焼きそば同様に、藤田商店の自家製麺をもっぱら使っている。スーパーなどでは札幌辺りの大手生麺メーカーの麺も売っているが、麺の太さや縮れ具合が藤田商店の自家製麺にはとても及ばないので、食べ比べてからはこちらの麺が我が家では定番と成っている。
 
スープは最近は塩味に成っていて、パスタや焼きそば同様市販の塩味スープを用いている。
ラーメンに関して言えば決め手はあくまでも「出汁」なので、塩味のスープは二の次、三の次で、よほどひどくなければメーカーには拘っていない。
 
因みに私が塩味のラーメンを食べるようになったのはここ20年くらいの事で、それまではもっぱら「醤油味」に拘っていた。それが塩味に代わったのは参宮橋の餃子屋の「塩ラーメン」の影響なのと、自家製出汁を創るようになってその出汁に一番マッチするのが塩味だと、気が付いたからである。
 
 
 
                
 
 
「うどん」もラーメン同様に出汁が無いと作らない。ただし、ボンゴレのスープやおでんの出汁・ラーメンの出汁などが残っている場合は、それらをリユースして使うことが多い。もっともその場合も自家製の出汁で味を薄めることが多いので、やはり出汁は必要である。
リユースではなく初めから作る場合は、自家製出汁に「生醤油」と「昆布出汁つゆ」を適量混ぜて味を調えるさじ加減は使う素材や具材によって調整する。
 
「うどん」で一番こだわるのは麺の硬さで、歯ごたえのないうどんは基本的に食べない。これは山梨の「ほうとう」で育ったことが原因なのかもしれない。コシのある「さぬきうどん」や「きしめん」は受け入れるが、柔らかいのは見向きもしない。
具材には殆ど拘らなく、基本的には冷蔵庫の掃除だと想っているので、野菜も肉類も冷蔵庫にあるもので済ませている。ただしカボチャがあれば必ず入れる。カボチャとの相性の良さは「ほうとう」で証明されているからである。
 
因みに今日のお昼は「うどん」で、先日来のおでんの残り汁をリユースして食べた。カボチャが在ったので、活用した。やはりカボチャ入りのうどんは旨かった。
  
 
 
 

焼き鳥(2019.04.15)

 
 
我が家では自家製焼き鳥を月に2・3回は作って食べている。家族からのリクエストによって私が作っているのだ。
以前都内に職場が在った時は、会社の同僚などと帰りに焼き鳥屋などに立ち寄ることが多かったが、特にひいきにするような店は無かった。あまり満足する店に出遭えなかったというのが率直なところか。
 
焼き鳥が旨かったと記憶に残っている店は、20代の頃に働いていた事務所が在った、神戸のJR元町駅前の店と、30代のころ仕事で出張した土浦の駅前の店くらいであった。土浦では駅前の店と共に、飲み屋街に行った場所にも旨い焼き鳥屋が在ったように記憶している。いずれも30年40年前の事で現在それらの店が在るかどうかも確かではない。
 
しかしながら、舌のほうは焼き鳥の旨いまずいはしっかり判別できるので、味への評価はそれなりに厳しい。そんなこともあって自分で焼き鳥を作るようになったのだろう。今から十四・五年前の事であろうか・・。私が家で焼き鳥を作り始めたのは十勝に移住する前の事である。
以来、主として子供達にせがまれて月に2・3回作る事に成った。
 
 
北海道は第一次産業が盛んな土地柄と云う事もあって、農林水産物は総じて安い。そして生産地が比較的近隣に在り、流通網もまたそれなりに発達しているから、鮮度の良いものが手に入りやすい。北海道で生活することのメリットの一つである。
 
十勝でいえば帯広空港の近くに中札内村という農産物の産地が在り、鶏肉や鶏卵更には枝豆もまた有名である。中札内の鶏肉や枝豆は北海道全土では知られていて、道内では既にブランド化している。最近では海外にまでその販路を拡大しているようだ。
 
その中札内の鶏肉や、噴火湾近くの胆振エリア伊達産の鶏肉が手に入りやすいので、私はそれらの肉を使って焼き鳥を作ることが多い。近くのスーパーなどでは海外産の肉が安く売られているが、食の安全を考えると道内産に拘る。これは鶏肉に限らないのであるが・・。
 
自家製焼き鳥は基本的には「ねぎま」である。太目のしっかりとした長ネギを買ってきて、「もも肉」と「ささみ」との間に交互に挟む。
 一本の長めの竹串に三切れのネギと「もも肉」二切れ、「ささみ」一切れの割合で挟む。
味付けは基本「塩味」なので、塩と胡椒だけである。
 
鶏肉は、初めは「もも肉」だけを用いていたが、ある時「もも肉」が足りなくなり「ささみ」と混ぜて作ったら、これが意外と旨かった。同じ素材だけ用いるより、組み合わせたほうがより旨く感じられた。それ以来この組み合わせでずっとやってきている。
 
肉以外に比較的拘るのは「塩」と「胡椒」である。他の味付けがないのだからこの二つに拘るのは、当たり前と言えば当たり前ではあるが・・。
出来るだけ粒の大きな天然塩や、顆粒状の胡椒を手動の粉砕器を使ってゴリゴリと肉に降り掛ける。
片面に塩を、もう片面に胡椒をそれぞれ比較的多めに降り掛ける。
家人は塩分控えめを主張するが、子供たちが喜ぶから塩も胡椒も多めに降り掛けている。
 
 
 
                 
 
 
 
それをガスレンジのオーブンでこんがりと、焦げ目がしっかり付くまで焼く。
ここでポイントとなるのがガスオーブン内に、アルミホイルを敷くことである。串をアルミホイルに乗せることで、熱が逃げずに上からも下からも、同時に肉を焼くことに成るのが効果があるようだ。
アルミホイルを使わずにやってみたら「焼き」が物足りなくて、すぐに元通りのやり方に戻した。以来アルミホイルは我が家の焼き鳥では、必要にして不可欠な存在と成っている。
 
焼き鳥は内まで熱がよく浸透していてこんがり焼けている、熱々のを食べることが出来れば味はある程度保証されるので、このアルミホイルの存在が、味の良し悪しを決めるポイントと成っているのだろうと思われる。
 
 
次にツクネである。これは地元のスーパーで売られているのをもっぱら使っている。帯広の食品メーカーが造っているツクネで、五平餅のように棒状の平たい竹串に、平たく鶏肉を付けているのがあり、これが旨い。
メーカー特性のたれ(?)がついているがやはり、塩と胡椒だけで味付けしたほうが旨いので、もっぱら我が家ではそのようにして食べている。
 
このメーカーのツクネは十勝以外では見たことがないから、地域限定品なのだと思われる。神奈川に居る息子はこのツクネが大好きなので、月一に首都圏に行くときは必ず土産として持参している。
 
他には自家製シイタケが採れる時や、長ネギのおいしい季節にはそれらの野菜を串に刺した焼き野菜も一緒に食する。主として家人のリクエストによる。
 
これからGWなど野外でバーベキューなどをする機会が増える。我が家ではこの時も焼き鳥が活躍するのである。
 
 
 

お花見とたこ焼き(2019.04.04)

 
桜の花が咲く季節となり、上野をはじめ多くの桜の名所では花見が盛んにおこなわれているようだ。私の住んでいる北海道で花見が行われるとしたらそれはこの4月ではなく、GWのころである。本州の関東辺りとは一月はズレる。
 
北海道では道南の松前の桜が有名で、函館五稜郭公園の花見も有名である。
北海道の桜といえばエゾ山桜が一般的で、本州のようにソメイヨシノは先ほどの松前や函館のような道南地区でしか見れない。
 
北海道の厳しい冬をソメイヨシノは越せないのだろうと思われる。
わが十勝大樹町も同様で桜といえばエゾ山桜である。
 
このエゾ山桜は明らかにソメイヨシノとは異なる。
まず背の高さが違う。ソメイヨシノはご存知なように背が高いとは言えず、高いといってもせいぜい10mあるか無いかだと思う。
それに対してエゾ山桜は10m以上はざらで、ちょっと大きいと感じるのは15m以上はあるのではないかと思われる。
 
 
そして脚の長さも異なる。正確には幹の広がりがソメイヨシノの場合は低く、大地から数mのところから幹が枝分かれし左右に広がるが、エゾ山桜の場合は枝が広がるのは5・6mくらいの高さからであろうか。とにかく脚が長いのである。
日本人の体形と西洋人の体形の違いのようなものである。
 
脚長の相撲取りを見るようで、何となくどっしりとした安定感が感じられない。
この脚長の原因は冬季の積雪が2・3mくらいはある北海道の気候が大きく影響しているのではないかと思われるが、とにかくスラリとしていて背が高く脚も長い。
やはり桜は扇を広げたように、地上数mのところから横に広がったほうが、安定感があって美しいと思う。残念である。
このことには我が家の家人もまた、少なからぬ不満を抱いているようである。桜であればソメイヨシノが恋しいという。
 
 
 
                      
                            エゾ山桜
 
 
 
さてその花見と比較的相性が良いと思われる食べ物に、「たこ焼き」がある。
あの公園やお祭りなどの屋台でよく見かける「たこ焼き」は、ちょっと寒くて小腹の空いた時に目の前にあると、ついつい手が出てしまう。値段も4・5百円程度とワンコインで済むのもよいのかもしれない。
 
私は関西に10年ほど住んでいたこともあってお好み焼き同様、たこ焼きにも接する機会が多かった。この手の粉モン文化はやはり関西が本場で、需要も多く供給も多い。
 
関西のたこ焼きは総じてしっかりタコが入っていて、美味しい。作る店によって味は若干異なるのだが、山芋が入っていたり、店独自の出汁が入っていると思われるものは、旨いように感じられる。
関西のたこ焼きに出汁が入っていると思われるのには、「明石焼き」の影響があるのかもしれない。
 
 
「明石焼き」は「たこ焼き」の元祖といわれており、形状は似ているが味がまったく異なる。「明石焼き」は別名「玉子焼き」とも云われ玉子を出汁で溶いたものを、例の鉄製の型枠に入れて作るのである。
そして食べる際にもまた、出し汁につけて食べるのである。屋台のたこ焼きのように青ノリやソースをつけるのではない。
 この出し汁につけて食べるのが旨いのである。
 
もちろんすべての「明石焼き」が旨いわけではない。店によって作り方も、出し汁も違うからである。
私の数少ない体験からの独断と偏見から言わせてもらえば、神戸辺りの繁華街で食べる「明石焼き」よりは、明石駅近辺の「明石焼き=玉子焼き」専門店で食べる「明石焼き」のほうが数段旨い。
 
その中でも気に入っているのは、淡路島に向かうフェリーの船着き場近くにある「きむらや」という「明石焼き=玉子焼き」専門店である。
この店は地元でも有名で、店には多くの著名人やタレントなども訪れているようで、店内には彼らの色紙がたくさん貼ってある。
私はこの手の宣伝行為はあまり好きではないが、この店の味がこれらの人々を引き寄せているのだろうと思うことは出来る。
 
 
GWに近くに行く機会のある人にはお勧めである。尤も私はここ15・6年は行ってないから店の存亡については明確なことは言えない。
ついでに俎板状の台に載った「明石焼き」と一緒に、大きなタコの足が「おでんの具」として売られているので、それもお勧めする。これもまたなかなか旨い。
 
ご存知なように明石は「明石だこ」の産地で、良質のタコがコンスタントに採れるご当地名物なのである。近くの小売り市場「魚の棚」では「明石鯛」とともに売られている。
こちらに足をに延ばすのもよいかもしれない。
 
 
                 
 
 
 
 
 

大根(2019.03.02)

 
今年の暖冬で、三浦大根が育ち過ぎてかえって市場価値を失ってしまったのか、少なからぬ大根が流通ルートに乗らないで廃棄処分されている、という報道を眼にした。
もったいない事ではあるが、市場経済のルールに乗って生産している以上、こういった現象はたびたび起こる。
 
去年の北海道での大地震に際しても、二日間ほど全道がブラックアウトで電気が使えなくなった時、生乳の生産農家の間でも加熱処理などが出来ないために、大根と同じように流通ルートに乗らず廃棄処分された、といったような事があった。これまたもったいない事であった。
 
 
私は料理に大根を使うことがしばしばある。とりわけ重宝するのは鍋料理である。おでんを初め、寄せ鍋やほうとうなどでは殆ど必須アイテムと成っている。
大根が鍋料理に欠かせないのは、その自己主張のなさに起因しているのではないかと、私は想っている。
 
ゴボウを初め肉類や魚介類がだし汁と相まって、旨い味を出してくれるのに対して大根は殆ど自己主張をしない。自らのオリジナルな味覚が無いがゆえに、かえって旨味を感じる。これは大根が他の自己主張の強い味が作り出す鍋の中の旨味を、たっぷり自身の中に蓄えることによってもたらされる、効果なのであろう。
 
自己主張の弱い大根は鍋の中でぐつぐつ煮られることで、肉や魚介類や他のアクの強い野菜などが醸し出す、旨味というハーモニーを自らの中に閉じ込め、それを味あわせてくれるわけである。
その様な次第で私は相変わらず鍋料理には大根を使い続けている。
 
 
 
                  
 
 
私がこの大根の旨味について知り合いの人生の先輩に話した時、彼がしきりに感心していたことを覚えている。
彼自身は比較的味の濃い、自己主張の強いタイプの人間であったのだが、自分とは違うタイプの大根の話に何かしら感じるところがあったようだ。
 
それはひょっとしたら、大根を人間に置き換えることで彼自身が長きに亘って付き合ってきた人間関係において、思い当たるフシがあったのかもしれない、などとこれまたアクが強いと云われて育って来た私は、感じたのであった。
大根的な人生もまた、味があって良いのかもしれない、などと想ったものだ。
 
 
 
             
                      
 
 
 
 

餃子(2019.02.27)

 
私が餃子を日常的に食べるようになったのは、大学生の頃からであった。
京都では大学のキャンパスの近くにたいてい「餃子の王将」が在った。これは殆どの大学の近くにはあったようなので、王将の出店方針だったのだろうと思われる。40年以上前のことである。
 
当時の王将はまだ京都が中心で、「珉珉」という中華チェーンと共に京都で覇を争っていたように思う。この二社のファストフード系中華チェーンのおかげで、私にも餃子が身近な存在に成ったのであった。
 
その後神戸で働いていた時は餃子専門店や、中華料理屋の中国人が食べる餃子などに接する機会が増え、一層餃子は身近な存在になって行った。
 
料理作りの好きな私は、今から20年近く前に餃子作りにチャレンジしたことがあったが、残念ながら自分が納得のいく味は出せずじまいで、早々と撤退してしまった。それでも1か月近く土日を中心に、試行錯誤を繰り返したのであるが、結局納得できる味には成らなかった。
 
私がチャレンジをやめたのには、理由が二つある。
一つは当時住んでいた千葉県の東葛エリアの生協やSMで、とてもうまい餃子が売られていたからである。その「ジャンボ餃子」は五個入りで300円前後であった。
足立区の食品会社が造るその餃子はとても水準が高く、家族を初めお土産で持って行った先でも、いつも喜ばれた。
この食品メーカーの餃子と比べ自分の作る餃子は、到底及ばなかったのである。
 
このメーカーの餃子は当然北海道では手に入らないから、今でも年に数回宅配便を使って纏めて取り寄せている。残念ながら北海道のスーパーに並ぶ餃子は、足立区の食品メーカーが造る餃子には、はるかに及ばないのである。
 
因みにこの餃子をご近所におすそ分けすると、やはり喜ばれている。
このメーカーの存在が理由の一つであったが、もう一つは旨い餃子をリーズナブルに食べさせてくれる店が都内に在るからであった。
 
 
その店は小田急沿線の参宮橋に在ることから、以前から渋谷や新宿に仕事などで行く機会があれば、店に立ち寄ることが多かった。
この店の餃子は、参宮橋に取引先の建築設計会社が在って、打ち合わせのその帰りに偶然見つけたのであった。30年近く前の事である。
 
その中華店は一見どこにでもある風の街の中華の店なのだが、5個で350円とリーズナブルなのと、やはりジャンボ餃子と言って良い大きさの餃子が、とても旨いのである。
 
この店には我が家の子供達や友人・知人を何人も連れて行っているが、やはり皆が喜んでくれることから、あながち私の偏見や偏食というわけではないだろうと思っている。
現在の息子の住まいが同じ小田急沿線という事もあって、北海道から出て来た時は殆ど毎回一度は立ち寄り、餃子を食べている。
 
 
この店の餃子を食するように成って30年近く経っており、この間先代から今の主人に代替わりしているのだが、嬉しい事に先代の味がそのまま踏襲されていて、変わらぬ旨さを味わい続けている。
 
代が替わることで味が変わってしまい、残念な想いを経験することも少なくない私としては、この味の継承はやはり嬉しいのである。
私にとって旨い餃子を食べ続けることが出来るのはやはり、ささやかな幸福・口福なのである。
 
因みにこの中華店では餃子の他にチャーハンと塩ラーメンも、また旨い。
旨い餃子や中華料理を食べさせてくれる店を知っていることは、幸せなことである。
 
 
 
                          
 
 
 
 
 

お好み焼き(2019.02.17)

 
私は若いころ関西で10年ほど生活していたことがある。
京都で大学時代の4年間を過ごし、社会人に成ってから仕事で神戸に3年大阪に3年間赴任していたのだった。
その10年間は10代の末から20代の終わりに掛けてということもあって、ちょうど味覚が発達する頃であった。
関西風の味や料理に接する事は、関東の山梨で生まれ育った私には少なからぬ食のカルチャーショックをもたらした。
 
結果的にはこの10年間の体験が私の味覚や食に関する領域の幅を広げてくれたと、今振り返って、そう云う事もできる。その点では10年間の関西暮らしに感謝している。
 
さてその10年間で、私は多くの関西料理に接することが出来た。いわゆるグルメや本格的な料理をも食する機会があったが、同時にB級グルメにも接する機会があった。
しかも回数でいえば前者よりも後者のほうが、ずっと多かった。それは懐事情にもよるのだが、勤め帰りや休日に気軽に利用出来ることが、何よりも良かったのではないかと、そう思っている。
 
関西に来てからたびたび利用したB級グルメの代表格が、お好み焼きであった。
お好み焼きは京都にいた時も神戸やその隣町の明石に住んでいた時も身近な存在であったが、大阪時代のそれに比べると数は少なかった。
 
大阪のお好み焼き屋の数はほんとに多く、他の地域をぶっちぎっていた。
京都や神戸だと一つの商店街に1・2か所といったトコだが大阪は違う。商店街の路地や小路の数だけお好み焼き屋があった。
 
それだけ需要が多かったのだと思うが、供給する人たちも負けず劣らず沢山いた。
結局大阪人はお好み焼きが好きなんだ、と云う事を実感した。
それだけ需要が多く供給が多いと、当然のことながら競争は激化する。そして競争が激化する環境であればまた、お互いに刺激しあい切磋琢磨することに成る。店のレベルも高くなり実際のところ大阪のお好み焼き屋の水準は高かった。
 
したがって、大阪時代に一番多くお好み焼き屋の思い出が残っている。
関東に戻ってから10数年ぶりにかつての思い出の地に、おいしい記憶の残っているお好み焼き屋を何軒か尋ねたことがあった。今から30年近く前の事である。
 
しかし、それらの店はすでに無くなっていた。その場所には大きな道路が拡張されてあったり、しもた屋がマンションやビルに生まれ変わっていた
再開発や都市計画のために移転したのかもしれなかった。あるいは老夫婦がこじんまりやっていた店であったりしたから、すでに商売を続けることが気力的に又は体力的に出来なくなっていたのかもしれない。
 
そのようなことがあって、昔の想い出がたくさん詰まった店には足を運ばなくなった。
想い出はやはり記憶の中に閉じ込めているほうが楽しく、美しいものだとその時に思った次第である。
 
 
 
                                   
 
 
それにしても関東のお好み焼き屋の数は少なすぎる。
月に一度仕事で出張するたびに、息子の住んでる街の周辺のお好み焼き屋を探し回るのだが、なかなか好いお好み焼き屋に出遭うことがない。それは私の数少ないストレスの一つである。残念なことだ。
 
かつて暮らしていた千葉県の東葛地区の通勤途上、北千住に好みの店を見つけていたが、その店も2・3年前に二階建ての店が7階建てのビルに生まれ変わった時は、すでに無く建て替えを機に廃業したか、移転したのだと思われた。これまた残念なことでありかつ淋しいことであった・・。
 
人も生きているが街もまた生きている。人間に永遠がないように街にも永遠がないのだろう。やはり今を大切に生きていくことが、結局人生を楽しむことに成るのだ、と想ったりしている。齢い60余歳の如月の一日である。
 
 
 
 

珈琲(2019.01.13)

 
 
珈琲は、我が家の朝食には欠かせないアイテムの一つである。
家人が作る自家製のパン焼き機のパンには、当たり外れがあるが私の淹れる珈琲はある程度安定している。
私は若いころ喫茶店で働いていたことがあって、あるレベルの珈琲を創り出すことが出来る。ミルも若いころは手動であったが最近は電動で済ますようになった。
 
珈琲は自分好みの豆が見つかったら、あとはそれをどのように淹れるかで味が決まる。
どこかの物語にも書いておいたが、やはりドリップ式が一番おいしく豆の味を味わえるように思う。
サイフォンで時々珈琲を淹れてた親父は、私のドリップ珈琲を美味しいと言って飲むようになってから、サイフォンをやめた。
 
お勧めの淹れ方は、あらかじめ温めておいた鉄瓶などを用意しておく事から始める。
陶製の濾過器に紙のフィルターを掛け、先ほどの粉砕した豆を入れ鉄瓶に乗せて、沸騰したお湯をゆっくりとかける。
粉砕して細かくなった豆がふっくらと膨らむのがよい。
 
このプロセスは、お米を炊くのと同じだと私は思っている。
米をおいしく炊くときに、乾燥された米を何分間か水に浸し水分を含ませるのと、同じプロセスなのである。
珈琲の場合は熱湯である点が異なっているが、いずれにしても細かくなった乾燥している豆に熱いお湯をかけ膨らませるのである。
 
この最初の時の熱湯量は少ない。フィルター内の豆のちょっと上になる程度である。
そうするとお湯をかける前より1.2・3倍に豆が膨張する。と同時によい豆の香りがポワンと鼻先に拡がる。
2・3回同じ事を繰り返すと豆がふっくらとする。
 
それから豆の倍ぐらいの熱湯を、ゆっくりと「の」の字を書く様に注ぐ。そうすると膨らんだ豆の粉末の中に「カニの穴」が出来る。ちょうどお米を上手に炊いた時と同じように、「カニの穴」が誕生するのである。
2・3か所「カニの穴」が出てくる様であれば、ほぼ味はOKが保証される。
 
ここまでが肝心で、ここから先は味の濃さに対する好みで、熱湯を注ぐ量を調整すればよいのだ。
 それと珈琲カップを、あらかじめ温めておくことを忘れてはならない。
麺類を食べる時もそうだが、事前に器を温めておかないと、熱が奪われてしまい旨さが半減するからである。これもおいしい珈琲を味わうためには大切な要素だ。
 
 
因みに私はキリマンジェロが気に入っている。珈琲の苦みにほんのりとした酸味が感じられるからだ。まぁ、豆については好みがあるだろうから、自らの舌と相談しながら決めたらよいと思う。
 
因みに「キリマンブレンド」と「キリマン」は、名前は似通っているが味は全く違うので、この手のトリックに目を奪われてはいけない。何にしても「混ぜ物」は「ピュア」とは明らかに違うのだ。
それに言うまでもなく、砂糖やミルクなどを私は入れない。家人や娘などはストレートだと味が濃すぎるといって、ミルクを入れているが・・。
 
 二十歳になった息子が最近ストレート珈琲を飲むようになったことを、私はひそかに喜んでいる。そして豆も私と同じ好みに成ってきているようだ。珈琲の味にうるさくなり始めている彼に、私は目を細めている。同好の士が増えたと思っているからである。
ストレート珈琲を飲みながら朝食を食べ、ニュースなどの時事問題を語るのは、彼との楽しい朝のひと時である。
 
 
 
                             
 
 
 
 

日本酒(2019.01.06)

 
正月には、日本酒がよく合うと思う。
私が日本酒に目覚めたのは、20代の後半頃であったかと思う。それまでは特別に好きなジャンルというものはなく、周りに勧められたりその場の空気に合わせて、アルコールを飲んでいたに過ぎなかった。
 
当時地酒ブームといったことが起こり、3・40代のそれまで日本酒には否定的だった世代が、地方の日本酒に目を向けるようになった。
大都市中心から地方が見直され始めた頃で、ライフスタイル的にもUターンとかJターンといった、都会から地方への回帰というような事がしきりに喧伝されるようになった頃だったかと思う。
 
 
そういった時代の風潮に乗る形で地酒ブームが起きたのであった。
CMで需要を喚起し、地方の酒蔵から余剰酒を搔き集めブレンドして売っていた、灘や伏見の日本酒メーカーの製品に満足しなかった、味覚に敏感な酒呑み達が注目しだしたのであった。その先鞭を切ったのは確か「越乃寒梅」であったかと思う。
 
その酒は、今では多くの酒造メーカーが作ることになった、純米大吟醸といわれる種類の酒だったと思う。当時は珍しかったこの種の酒がうまくないわけがなく、フルーティであっさりしたその酒は一躍人気ブランドと成った。
 
もちろん純米大吟醸ということであれば、手間暇もかかり大量生産が不可能であったことから入手は困難であり、価格も高かったことは言うまでもない。
 
ブランド品を好まない傾向のある私は、試し 呑みはしたが深入りはしなかったが、それをきっかけに地方の地酒に目が向かったのは確かであった。
 
 
私が地酒にはまったのは冬のスキーがきっかけであった。
ウインタースポーツとしてスキーに明け暮れていた20代後半から30代は、関越自動車道を使って群馬や新潟によく出かけた。
 
金曜の夜出て日曜日の夜帰って来るのであるが、夜はすることがないからスキー場近くの温泉旅館などに泊まっては、近くの飲み屋を開拓したたものである。
そんなとき出遭ったのが地酒であった。
 
私の口には新潟の酒が一番合ったようで、越後湯沢の「白瀧」や下越村上の「〆張鶴」などを好んで呑んだ。その端麗辛口のさっぱり系の味覚が私の口に合ったのだった。
それらの酒の味を覚えた私は、スキーの帰りには必ず地元の酒屋に立ち寄り、それらの銘柄の一升瓶を買い求めた。
当時住んでいた千葉の家でも、それらの酒が食卓に並んだ。
 
 
それから30年近く経って、「〆張鶴」などは今では全国どこでも手に入るようになったが、当時新潟で地元の人達を相手に作っていた頃に比べ、味が変わったように感じている。
大きな違いがあるわけではないが、やはり従来に比べより大量に生産するように成って、ビジネスモデルを変えてきたためであろう、と私は理解している。
 
仕方ないことではあるが残念なことではある。ネバーフッドブランドからナショナルブランドへの飛躍(?)のプロセスではよくあることだからである。企業経営とはそういうものであろう。
 
それでも今なお私のストライクゾーンに入っているので、私は今年も正月の酒にそのブランドを購入して、味わったのである。
去年から新潟を訪れる回数が増えている。『・・越後之国』の物語を書いているからである。機会があれば村上市にあるその酒造メーカー/蔵元を訪れたいと思っている。
 
ちなみに日本酒の味そのものを味わいたい方には、常温のひや酒を味わうことをお勧めする。決して熱燗などをしてはいけない。
日本酒の旨さは、常温でこそ味わうことが出来るのであるからだ・・。
 
 
 
     
 
             
 
 
 
 
 

毛蟹 (2018.12.25 )

 
11月の中旬頃から北海道では毛蟹の漁が始まる。
ここ南十勝でも毛蟹がよく獲れるようで、噴火湾などと同様に毛蟹の産地となっているようだ。隣りの広尾町では12月の初旬には「毛ガニ祭り」と名打ったイベントが毎年開催されており、十勝の住民の季節の風物詩となっているようだ。
 
北海道で獲れる蟹は「ズワイ」「タラバ」「花咲」「毛蟹」といったところがメジャーな存在なのであるが、私の印象では「ズワイは日本海側」「タラバはオホーツクと北方領土側」「花咲は北方領土側」「毛蟹は太平洋側」で多く獲れる、といったように認識している。
 
従って、わが十勝では「カニ」と云えばもっぱら毛蟹が主流なのである。
因みに地元の漁師さんは「カニ」と云わず「ガニ」と言っている。たぶん蟹の古語は「ガニ」だったと記憶しているから、北海道では昔ながらの言葉がそのまま残っているのではないかと、私は理解している。
 
蟹の味で言えばタラバは塩っけが強く、大味だと言える。身体が大きくしたがって脚も大きい事から、食べた気がするのはこのタラバであるが、個人的には評価は高くない。
花咲もタラバに似ている蟹でタラバ同様にヤドカリの仲間ではないかと思われる。評価はタラバ同様である。
 
ズワイは一番華奢で、見た目の姿は美しいと思う。味はあっさり系でほんのりとした甘みが漂う、上品な味である。新鮮で太く大きな脚であれば、ズワイが一番おいしく感じられる。ただし短くて細い脚では満足はしない。
 
毛ガニは一番甘みのある味で、ズワイに比べハッキリとした甘みのする味である。
ズワイの場合は当たり外れがあるのだが、毛ガニは概ね外れはない。見た目の大きさである程度味覚は、保証されるのである。
個人的には500g程度の味が一番気に入ってるが、知り合いの漁師は450g程度が一番旨い、と言っている。
 
 
その毛蟹を先日知人から数杯いただいた。
で、その毛蟹の調理なのであるが、基本は生きたままのカニをそのまま茹でて食べるのである。茹で上がりの蟹の脚を1本ずつばらばらにし包丁を入れて、カニ用のスプーンを使ってそれぞれいただく。ちょっと厄介なのが毛ガニの毛のイガイガを気にしながら、食べなければならない事であろうか。最後は甲羅の中身を包丁で捌いて、ほじったり吸い付いてきれいに殻だけ残して食べ終わる。
 
問題は残った茹で汁の扱いである。
そのまま捨てるという選択肢もあるが、我が家では簡単には捨てない。
若干の実が付いた脚や甲羅の殻と共に翌朝、もう一度湯がいてスープを作る。
この蟹の茹でスープを用いて鍋料理にも使うが、このスープで塩ラーメンを作ると家族に喜ばれる。
甲殻類のスープは北海道の太い生麺と相性が良く、塩味ラーメンが一番旨い。
大樹町には藤田商店という小さな食品スーパーが自家製麺を造っているが、ここの麺で造るラーメンがまた旨い。
もちろんこのラーメンの他にも、このスープは煮物などのベース出汁としても活躍する。
 
いずれにせよ、ついこの間まで生きていた蟹を戴くのだから、決して粗末にはしないのである。前浜の太平洋から獲れた海の幸という命を頂く以上は、しっかりと最後まで味わい、そしてその恵みに感謝する。その気持ちを私も家族も忘れないようにしている。
  
毛ガニよ、今年もありがとう!  合掌
 
 
 
 
                                          
 
 
 


 

かぼちゃ(2018.12.18)

 
今年の我が家では、カボチャが好く成り豊作であった。
一つ一つの姿・形も宜しく、味もまたホクホクとしておいしい実が採れた。
洗面器大の大きさのカボチャ14・5個は、来春までは持つのではないかと思っている。
 
家人がビニールハウスの横に作ったカボチャは、特別の手入れをすることもなくすくすくと育ったようであったが、家人に言わせるとそれなりに水もやり雑草も除去していたのだという。あまり手伝いをしない私が知らなかっただけだったのかもしれない。
 
しかしここ5・6年間のカボチャの中では、大きさと云いその容姿と云い、更には味もまた今年のが一番であるというのは間違いないので、「何か特別の事をやったのか」と聞くとしいて言えば肥料をちょっと替えたのだという。
 
今年の出来栄えに味をしめた家人は、来年も同じ肥料を使う事を言明している。
本人も今年の出来栄えを大いに喜んでいるから、まぁそういうことに成るのであろう。
多少畑を移動して、輪作にすることで来年も好い出来栄えのカボチャを作る心づもりでいるようだ。
 
そのカボチャを家人は蒸かしたりサラダなどにして活用しているが、私はもっぱら鍋物に使う事が多い。鍋にカボチャを入れることで、ちょっとしたトロミが出る事と、多くの甘みが出る効果を知っているからだ。
更に私の出身地の冬の郷土料理にカボチャは欠かせないのだ。
 
とりわけ、身体を温めてくれる「ほうとう」にカボチャは欠かすことが出来ない。カボチャを入れる効果は他の鍋物と同じで、トロミと甘みの演出である。
「旨いもんだよ、カボチャのほうとう」
というキャッチフレーズで山梨では、その旨さが伝承されている。
 
首都圏に仕事で出張するたびに、近くの食品スーパーで大手製麺メーカーの「ほうとう」を買って帰る。妙にお土産商品化している他のメーカーのそれに比べて片栗粉をしっかりまぶして、麺の質を維持しているそのメーカーの「ほうとう」が、一番私の口には合っている。
 
かくして冬の間は週に一度くらいのペースで、我が家ではカボチャ入りの「ほうとう」が食卓に上がり、私たちの身体を温めてくれる。
 
因みに今年の冬至は、この22日だという。その冬至に合わせて、沢山のカボチャが入ったほうとうを、家族は食べることに成るだろう。出来栄えの好い今年のカボチャに感謝しながら・・。
 
そしてそのほうとうを食べながら、冬至を境にだんだんと日が長くなって行くことを喜び、遠からずやって来る春の到来をカウントダウンしながら、これから寒さが一段と増していくこの冬を、キット乗り切ることに成るであろう。
 
 
 
 
                                                      
 
 
 
 

鍋料理に不可欠なモノ(2018.11.30)

 
数日前から息子の居る神奈川のマンションに来ている。
月に一度の定例会議が都内であるからである。毎月、月末月初にこちらに来て1週間程度は逗留している。
その間出来るだけ息子のために食事を造るようにしている。
私は料理が好きなこともあって、家では殆ど自分で造って食べている。北海道に居ても同様である。家人が働いていることもあって積極的に食事を担当している。料理を造ることは全く苦にならず、むしろ自分の納得いく食事を造ることを喜んでいる。
 
さてそんな私は昨日、神奈川に来て今シーズン初めての鍋料理を作った。
今年は暖冬という事もあって、これまで鍋料理は造ってこなかった。といっても北海道では11月に入ってから造り始めて入るのだが、こっちではまだ造っていなかった。
 
鍋料理の基本は出汁にある、と思っている私は出汁創りにそれなりに拘る。10年以上前からチャレンジし続けており、今ではすっかり自得しているつもりでいる。
北海道の大樹町で10年近く生活するようになって、ほぼ現在の出汁が固まっている。
地産地消を料理の基本に据えている私は、出汁の素材の多くも大樹で調達できるものでありたいと思っており、それを求めて来た。
 
 
現在私が造っている出汁の素材は「広尾の昆布」「乾燥した砂海老」「乾燥したチカ」「乾燥シイタケ」の4種類である。
昆布は大樹では採れないので、隣町の広尾で採れる昆布を使っている。
 
砂海老は大樹の漁港で揚がって来るが、これは秋に前浜で獲れる「シシャモ漁」の余力・副産物である。砂海老は漁師達にはあまり注目されておらず、どちらかというと処分しなければならない、厄介者扱いである。
 
しかし私は、家人の実家が熊本の八代海に面していることもあって、「焼き海老」の持つ魅力を知っている。調味料における海老の効果を知っているので、その活用を考えた。
その結果、大樹では殆ど厄介者扱いされている「砂海老」を喜んでもらって来て、二階のベランダの「干物づくり用の網」に1か月近く放置しておく。
これは小魚の「チカ」と一緒に3段構成の魚介類干し網に入れておくのだ。
 
「チカ」もまた「シシャモ漁の副産物」である。ワカサギの親戚であるチカは北海道民にはすっかり食材として認知されており、単品でもスーパーなどでは売られている。が、この小魚もシシャモ漁の漁師たちには、あまり顧みられることがないため、こちらにも廻って来るのである。
そのチカは一匹ずつワタを抜いてから、件の干し網に入れておくのである。この作業は私ではなく家人が行う。
 
いづれにしても、「乾燥した砂海老」と「乾燥したチカ」とはこのようにして創られる。10月の北海道は朝夕の冷気が一けた台からマイナスにまで下がる。その寒風が砂海老やチカを立派な素材に作り替えてくれるのである。
 
実際「乾燥したチカ」はカチカチに乾き、乾物屋などでよく嗅ぐことの出来る薫香を放つようになる。私はこの乾燥チカの香りが好きで、この乾燥チカの香りで昔よく出遭った乾物屋の匂いを思い出す。
最後の「乾燥シイタケ」は自家製の椎茸が沢山取れた時に例の干し網を使って、造る。
 
こうやって調達した地元の4つの素材を使って、自家製の出汁を造るのである。
具体的にはこれらの食材適量を大鍋に入れて、4・5時間炭でろ過した飲料水に浸して、一度沸騰させてから用いる。
沸騰させて旨味の出た出汁は、概ね黄金色をした透き通った出汁と成っている。美しい色である。
この出汁は冬の間中活躍し、鍋料理やおでん・煮物類造り更にはラーメン造りにおいても活躍する。従って冬の我が家には欠かせない、食のベイシックアイテムに成っている。
 
 
で、ここ神奈川においてもそれらの素材は常備されており、私がいる間は活躍する。従って昨日もその出汁を仕込み造って鍋料理を食べたのである。
しかし、その鍋は何かが足りなかったのだ。
 
鍋に入れた具材に申し分は無かった。
何だろうと息子と二人で考えた。
原因はすぐに判明した。ゴボウの買い忘れである。スーパーで買い忘れたのであった。
ゴボウの存在は、鍋や煮物料理には不可欠なのである。
鍋料理の味を一層引き立てるのには、ゴボウの存在は出汁と同様にかなり大きいのである。そのことを再認識した昨夜の鍋料理であった。
 
                                          
                            
 
 
 

食のカルチャーショック(2018.11.03)

 
 
私は食べ物に対して、かなりこだわる方だと自覚している。
子供の頃は「うまい」「うまくない」「まずい」の三つしか判らなかったが、それぞれを区別することは出来た。
 
私が「味」を意識するように成ったのは、やはり関西に行った事が大きかったようだ。
10代の終わりに京都の大学に入り、親元を離れ独り暮らしを始めたことが大きい。
 
山梨の片田舎で生まれ育った私は、言うまでもなく関東の味付けがベースであった。
醤油にしても、味噌にしても関東風で育って来たのだが京都で食べる外食の味は、明らかに関東とは異なった。
その時に感じた味の違いは、まさに「カルチャーショック」であった。
 
味付けはもちろん違うが、ベースに成るダシの違いが一番大きいのではないかと思う。
よく言われるように「うどん」を食べれば両者の違いが鮮明にわかる。「うどん」が一番象徴的であろう。
 
関東の場合は醤油をベースに味付けするのであるが、関西の場合は鰹節と昆布とが基本に成るようだ。醤油もまた関東はキッコーマンなどに代表されるように辛口というか、きりっとした味の生醤油に対して、関西の醤油は甘口でねっとり感がある。
 
「うどん」の場合は、見た目も違うし味はもちろん違う。
関西の人間が関東の「うどん」は見ただけで食欲を失くす、というのは良く判る。
また麺のコシも違う。関西のうどんは讃岐うどんの影響も受けているのでコシが強い。
 
山梨で生まれ育った私は、生まれた時から「ほうとう」がソウルフードなので、手打ち麺のコシの強いのが基本なのである。味付けは味噌なのだが、関西の讃岐うどん風のコシの強いのが馴染む。
それに鰹節と昆布で出汁を取っているので、醤油出汁をベースにした関東風うどんより、味が良く旨味を感じる。
 
ということで、それ以来私にとっての「うどん」はコシの効いた関西風のうどんに決まってしまった。
 
 
                                                                                                                  
 
 
 
学生時代を含め20代末までの味覚に敏感な世代を、10年ほど関西で生活した私の味覚の基本は、関西風に成ってきている。
昆布や鰹節に代表される魚介類や、海の幸からもたらされる旨味や味つけが味の基本に成っているのである。
 
関西の出汁の洗礼を受けた私は、40年近く経った今北海道に居て昆布を始め魚介類が豊富に手に入る環境に居る。
その事もあって、ここ10年ほどは地元の前浜で採れる魚介類を使ったオリジナル出汁を創るように成った。
 
関西の味覚で育った私が納得のいく、地産地消型の出汁である。
今では我が家で鍋物や汁物、ラーメン・ほうとう・おでんを創る時は、その自家製出汁が活躍するのである。
おかげでこれからの鍋の季節に成ると、私は出汁を頻繁に造り始めることに成る。
 
この季節から十勝の前浜で採れた食材を使った出汁を造り始めることに私は、幸せを感じている。
そして何よりもその出汁を使った料理を食べ終わった後、私は更なる幸福を感じるのである。
 
 
 
 

北海道の鮨(2018.08.22)

 
昨日私は息子を帯広空港まで送って行った。
長い夏休みを涼しい北海道十勝で過ごしたあと彼は、まだ残暑の残る首都圏にと戻って行ったのであった。
その息子の希望で昨日は最後に帯広でお寿司を食べた。
 
息子が北海道の寿司を好んで食べるようになったのは、首都圏で暮らすように成ってからのことである。
それまでは私が長期出張から帰って来た時に、ほとんど必ず空港帰りにすし屋に誘っても必ずしも積極的ではなかった。
 
やはり首都圏で暮らすようになって、北海道の豊かな食材で食べるお寿司の旨さに、彼も気が付いたようだ。
私が出張の際に神奈川の息子の宿に寄るようになり一緒に外食をすることがあるが、その際お寿司を食べる度に彼は感じているようだ。北海道の寿司は旨かった、と。
 
私が北海道でお寿司を食べて、その食材の豊富さや一つ一つの具材の大きさ、内容の充実さを感じるようになったのは、30代の頃に仕事で札幌に来るようになってからである。
ボタンエビを食べた時に、北海道で甘えびといえばこれです。と板前に言われて食べさせられた時であった。
実際にはボタンエビと甘えびは違うが、本州から始めて北海道に来た人間を彼はそう言ってからかったのだと思う。
 
 
その後私は何度か公私にわたって北海道を訪れるようになったが、今でも一番感動し記憶に残っている食材がある。
 ズワイガニである。すすき野の鮨専門店で食べたそのズワイガニの脚(太もも?)は、10cmくらいはあった。大きくて実の詰まったカニの脚であった。
ほのかに甘くて食べ応えもあった。上品な味であった。
 
何よりもズワイカニの脚でそこまで大きいのを食べたことが無かった。本州や北陸においてもだ。やはりカニ本体の大きさが違うのである。
北海道の魚類は総じて体が大きく、身が引き締まっている。厳しい自然環境がそのように育てるのであろう。
 
十勝の太平洋側ではもちろんカニも採れるのであるが、やはり貝類が旨いように思う。
ホタテやツブ貝をこちらで食べた後に本州で食べても、比べ物にならないのである。
 
私の記憶に残るズワイガニの脚を食べたのは、確か10月ころではなかったかと思うが、秋から冬に成ると北海道ではおいしい食材が海からも畑からも採れる。
いよいよおいしい季節の始まりである。北海道に住んでいる悦びを堪能しようとおもう。
 
 
                                                                                                         
 
 
 

 土用の丑の日(2018.07.20)

今日は今年の土用の丑の日、という事らしい。
土用の丑の日といえば思い出すのは、やはりウナギであろう。
ここ数日来の本州の厳しい暑さの中で暮らしていれば、ウナギを食べたくなるのはよく理解できる。
私自身本州に居た時はこの時期に成ると、頻くウナギを食べに行っていたものだ。
 
私が贔屓にしていたウナギの店は、千葉県の利根川沿いに在る川魚を料理してる店である。
坂東太郎と称された利根川は言うまでもなく、関東平野を縦断する大河で、またよく氾濫する暴れ川であった。
 
その利根川の下流、太平洋まではあと10~15kmという距離にその店は在る。
千葉県栄町安食地区がその場所である。
安食は名前からして食べ物に縁のある町であるが、その店は利根川から200mとは離れていない場所に在る。
 
私がその店を知ったのは今から30年近く前のことである。知り合いの人に連れて行ってもらったのである。
その店のウナギは旨かった。大きさもそれなりにではあるが身が締まっていて歯ごたえも良かった。タレも私の好みに合っていたのだが、とにかく美味かった。
東京の街なか辺りで食べる、妙に柔らかくて歯ごたえのないウナギとは明らかに違っていた。
 
 
 
                                                 
 
 
 
私にとってのウナギの味は、子供の頃父親に連れられて行ったJR身延駅近辺の富士川沿いにあった和食の店で食べたそれが、基準に成っていた。
今から50年近く昔のことだから、多分天然ウナギを食べていたのだと思う。いけすに入っていたウナギの腹が黄色かったことを覚えている。
 
回数自体はそう多くはなかったが、いずれにしてもその時食べたウナギが私にとっては基準であった。
で、その安食の店で食べたウナギの味は、まさにその店で学んだ基準に合格していたのだ。
それ以来私がウナギを食べに行く先は、その店に決まってしまった。
 
たまに職場の近くに在った築地でもウナギの店として有名な店で食べることがあったが、残念ながらその著名な店のウナギは私の基準には合っていなかった。
柔らかくて歯ごたえの無いウナギは養殖ウナギだと推察され、ほとんど利用することが無かった。 
 
そして今私は北海道に居る。
北海道に来てからは土用の丑の日は全くと言ってよいほど、縁が遠くなっている。
初夏を思わせるこの地の気候では、身体がウナギを欲しないのである。
 
やはり気温が35度以上無いと、敢えてウナギを食べようという気には成らないのだ。これもまた自然の摂理であろうか・・。
 
灼熱の本州に居て、ウナギをうまく食べる喜びを味わい続ける事よりも、冬は極寒であるが夏は初夏の気候であるこの北海道の南十勝で、ウナギを敢えて食べたいと思わない生活を選ぶかの二者択一を迫られるとすれば、迷うことなく後者を選ぶ私である。
 
そんな私が次にウナギを食べたくなるのは、いったいいつに成るのだろうか・・。
 
 
 
                                          
 
          
 
 
 
 

 大きなシジミ貝、made in TAIKI(2018.07.18)

 
この時期私の住んでる大樹町のスーパーに行くと、サイズの大きなシジミ貝に遭遇する。
一見するとアサリかと見まごうサイズだが、「やまとシジミ」という事だ。
 
このやまとシジミは宍道湖などで採れる小粒なのが有名で、普通に私たちが馴染んでいるのは1~1.5cmといった大きさだと思う。
ところが下の写真の様に、大樹で採れるやまとシジミはその倍近くはある。大きさに厚みを加味すると体積的には、一般的なシジミの4倍近くに成るのではないかと思う。
 
従って、ちょっと見はアサリの大きさなのだ。さすがにハマグリ大とは言わないが初めて見ると、やはりビックリ⁉するのだ。
因みに下の写真で言えば茶色っぽくて正面右手に在るのが「アサリ」で、
向かって左手の真っ黒いのが大樹の「やまとシジミ」なのだ。
私の驚きが、決して大げさではないことは一目瞭然だと思う。
 
                                                                        
              
 
 
 
この大きなやまとシジミには、実は私は以前にも遭遇している。
14・5年前のことだが青森の津軽半島を旅行していた時に「十三湖」の宿で遭遇していて、私には免疫があるのだった。
 ただ、本州でも津軽半島の十三湖ぐらいしか採れないという事を知っていたから、大樹でも採れる事を知って驚くと共に、ひそかに喜んだのであった。
 
 因みに、この大きなシジミのお味はどうかというと、やっぱりシジミはシジミなのだ。
残念なことに、大きいからと言ってアサリやハマグリのような貝自体の甘みや味は、殆どしない。
淡白で、あっさりした味である。
 
値段は10粒程度で5百円前後だから、決してリーズナブルというわけではない。
従って、珍しい食べ物として数回味わってしまえば、次回からはあまり手が出ない代物なのだ。少なくとも我が家の家人はそう思っているようだ。
 
尚、この大きなやまとシジミは、大樹でも太平洋に面した晩成温泉近くの「ホロヤカントー」という淡水湖だけで採れる、という事である。
知り合いの漁師が言っていた。彼はこのシジミの漁業権を持っているからその情報に間違いはない、と思う。
 
 
いつか大樹に来て晩成温泉に寄る機会があったなら、隣接するこの淡水湖を訪れるとよいかもしれない。
7月の上旬から中旬にかけてであれば、この大きなやまとシジミに遭遇することが出来るかもしれないのだ。
ついでながら、例の宇宙ロケットMOMOの打ち上げ場所は、この晩成温泉&ホロヤカントーからそう離れていないので
「ロケット場観光」「晩成温泉」のついでにこの淡水湖に立ち寄るのも良いかもしれない。
 
この大きなやまとシジミは 大樹町の初夏の風物詩でもあるのだ。
今の時期の十勝南部は、本州の猛暑をしり目にいまだに初夏といった感じで、最高気温が20~25度といった過ごしやすい時節である。
避暑地の候補の一つとして、検討に値するかもしれない。
 

 
 
 
 

行者ニンニク(2018.05.14)

 
十勝の長い冬が終わり春が訪れると、我が家の草むらの一画に行者ニンニクが生えてくる。前住者の方が育てた野草である。
 
北海道では野山に行くと、運が良ければ遭遇すると思われるが、本州でも標高の高いエリアではみられるのではないか。ただ希少価値の食物らしく、春先になるとこれを求めて山野を探索する方が少なからずいるらしい。
 
注意を要するのは、行者ニンニクに似た野草で欄科の植物を間違え採取して、食中毒になる方が毎年現れる、そして毎年そう云ったニュースが報道される。今年も亡くなった方が現れたようだ。
 
さて、この行者ニンニクはその名の通り修験者などが体力回復のために好んで食べたという。我が家の近隣の方々もその効果を期待して、この時期探し求めるのであろうか・・。
 
私などは苦労せずに手に入るものだから、有難みがさほど沸かないが、ニラの一種だと思って採ってきて、調理に使っている。
 
採りたての行者ニンニクは、その名の通りニンニク臭さがするのであるが、体力回復のほどは殆ど判らない。しかし春先に生える野草だから、長い極寒の冬に蓄積された北の大地のミネラルを初めとした栄養を、たっぷり含んでいるものと思われ、私の健康維持にも少なからぬ寄与をしているのかもしれない。
 
行者ニンニクを食べる度に私は、鎌倉時代初期に蝦夷地に渡った甲州金山(かなやま)衆もまた、春先に渡島(おしま)知内で食べたのだろうかと、思ったりもするのである。
                                                  
                                                                   
 
                 
   
 
 
 



〒089-2100
北海道十勝 , 大樹町


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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