春丘牛歩の世界
 
先週から、「行者ニンニク」が採れる様に成り、我が家の食卓にも乗るようになった。
行者ニンニクが採れる様に成ると、今年の春がやって来た事を実感する。
これまでの私の経験では「行者ニンニク」が生えてきてから、雪が降ったことは無いから、である。
 
 
      
 
 
野生の昆虫や動物たちが作る巣の位置で、颱風の影響を早い時期に推測できることがあるが、自然界の生き物たちは彼らなりのセンサーで、天候や自然現象を察知する能力がある。
そんな事から私は、「行者ニンニク」が我が家の林に生え始めることを、季節の到来のメルクマール(指標)にしているのである。
 
 
      
 
       
         
 
     
 
 
    記事等の更新情報 】
*4月19日 :「コラム2024」に、「青い春」と「チャレンジ虫」を追加しました。
*3月25日:「相撲というスポーツ」に「新星たちの登場、2024年春場所」を公開しました。
*2月8日:「サッカー日本代表森保JAPAN」に「再びの『さらば森保!』今度こそ『アディオス⁉』を追加しました。
*01月01日:本日『無位の真人、或いは北大路魯山人』に「無位の真人」僧良寛、或いは・・を公開しました。
これにて本物語は完結しました。
12月13日:  『生きている言葉』に過ぎたるはなお、及ばざるが如し」を追加しました。
*9月29日:「食べるコト、飲むコト」 に「バター炒め二品 」を追加しました。
*9月27日;「物語その後日譚」に「奥静岡の鶏冠(とさか)山」を、追加しました。
 
 

  南十勝   聴囀楼 住人

          
               
                                                                  

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         2024.05.01
              牛歩
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
      
 

 

本日より2021年のコラムをこちらでスタートいたします。
昨年までのコラムとは括りが変わりますので、その点宜しくお願いします。
因みに昨年のコラムは全部で22あり、その内訳は「コロナ絡み」が5つで、「自然現象」が4つ「政治家絡み」が3つでした。
 
このコラムはその時々に発生した事どもについて、自分なりに感じた事を書いているので、2020年の場合は世相を反映してこのような内訳に成ったのかもしれません。振り返って観た時、改めて気付くこともあります
 
さて今年はいったいどのような構成になって行くのか、自分でも楽しみにしているところです。
 
 
         1.二度目の「緊急事態宣言」(2021.01.10)
                           2.マイクロメディアとインターナショナル(2021.02.05)
                           3.「バナナリパブリック」と民主主義(2021.03.17)
                           4.「明治維新と中華人民共和国」(2021.05.12)
                           5.オリンピック利権というビジネスモデル(2021.06.22)
         6「祭り」が行われなくなる時(2021.07.08)
         7.南十勝の野生動物(2021.0909)
         8.マイクロメディアが世界を駆ける⁉(2021.10.07)
         9.「白秋」(2021.10.28)
              10.「アドレスホッパー」(2021.11.18)
              11.魯山人と清水寺「泰産寺」(2021.11.21)
              12.「冬至」という区切り(2021.12.22)
 
 
 
 
 
 
 

 「冬至」という区切り

 
 
今年の冬至は12月22日である。
暖冬であり暖秋でもあった今年の年末は、冬の到来がなかなか実感しずらい気候であったが、先週の寒波の到来によって、ようやく冬であることを実感することが出来た。
 
その影響で庭には多いとは言えない雪が積もり、雪でエサの少なくなった鳥たちが庭先の樹木に家人が架けた、人工のエサ(乾いたトウモロコシ)を食べに来る光景が、目に付き始めた。アカゲラをはじめとした普段は見ることの少ない鳥たちである。
 
 
そして日の出はといえば、こちらも日に日に遅くなり、朝の7時ごろになってようやく東の太平洋を昇る太陽を、拝むことが出来る。
他方日の入りは日に日に早く成り16時ごろには、南南西の日高山脈に太陽が没し始めるのである。
 
半年前の夏至であれば日の出は4時頃に始まり、日没は19時ごろに成るのであるから、この間の日照時間の差は実に6時間に及び、その分夜が長いのである。
 
そんな長い夜が転じ、春に向かうのが将に「冬至」である。
この日を境に夜は少しずつ短くなり、日がゆっくりゆっくりと長くなっていくのだ。
 
古来より人類は、この「冬至」を季節の大きな転換点として位置づけ、喜びを以って迎え、お祭りをして祝って来たのであった。洋の東西を問わずに・・。
 
 
北米のインディアン達の居住地に在る、数千年前の遺跡には、集会場や神殿の集まる場所に「冬至」の日にだけ、太陽が当たる場所を装置として設け、冬至の到来を「見える化」する仕掛けが在ることを、TVのドキュメンタリー番組で観たことがある。
 
人類にとって長い間「冬至の到来」はそれだけ心待ちにされ、大切な季節の区切り目として認識されてきたのであった。
 
 
 
                
                     南米マチュピチュの遺跡
 
 
 
そしてこの時期にキリスト教徒たちが祝う「クリスマス=キリストの生誕祭」もまた、「冬至を祝う」という人類の永い習慣や風習に重ねることで、キリスト教徒の国では大きな祝祭イベントとして定着し、支持されてきたのであろう。
 
即ち「クリスマス」を祝う事はキリストの生誕を祝うと共に、この祭を境に季節が春に向かう事を喜び祝うのであろう。それが「クリスマス」というイベントを世界中で盛んにしてきたのではないかと、私は想っている。
 
 
そして我々八百万(やおよろず)の神々の存在を受容する日本人にとっても、このキリスト教徒のイベントを、春に向かう転換点としての祝祭として楽しんでいるのであろう。
 
その事を痛感するのは「クリスマス当日」まではあんなに盛り上がる「クリスマスイベント」が、翌日にはすっかりと忘れ去られ、そんな事あったかといった扱いを受け、すぐさまお正月の準備に取り掛かる、おなじみの日本人の年末風景である。
 
やはり日本人にとって「クリスマス」は若者や子供たちのための一大イベント=祭りであり、それを祝う根底には春に向かう事を祝う「冬至」があるように私には想えるのである。
 
 
という事で私は、今夜「ゆず湯」に入って、カボチャを食べ「柚子を使ったアルコール」をしっかり摂取して、来るべき極寒の到来に備えた健康体の維持に努めるのである。
 
 
 
 
                  
 
 
 
 

 魯山人と清水寺「泰産寺」

 
コロナウィルスの脅威が薄らぎ始めたこの11月、私は京都と奈良/滋賀とを訪れた。
北海道の寓居を飛び出し本州に向かうのは、この七月以来4か月振りの事である。
 
今回の主たる目的は私のライフワークである、安田義定とそのご先祖である新羅三郎義光の痕跡を求めた調査&研究と、現在取り掛かっている北大路魯山人に関する取材旅行、という事になっている。
 
この手の取材旅行に関して私はコロナが発生するまで、ほぼ二か月に一度訪れていたのであるがコロナ以降年に2・3回となっている。
と言った事もあり、久しぶりの関西である。
 
 
私が前回関西を訪れたのはほぼ二年前の今頃の事であった。
学生時代の四年間を京都で過ごした私は、ここ数年二年に一度開催される様になった大学のクラス会に参加していた。
 
前回から二年たった今年、本来であればクラス会が開催されるのであるが未だコロナが収束していないこともあって今回は見送られ、来年以降コロナが収まるまで実施の予定が立っていないのである。
残念ではあるが仕方の無いことだ。
 
さてその「京都」や「奈良」であるが、言うまでもなくいずれも古都であり神社仏閣が充実してることから、観光客が訪れる街である。
今の私はそれらの観光名所の人出が、かなり増えている事を実感しているところである。
 
やはりコロナの感染状況が落ち着き始めたことが影響しているのであろう。
かくいう私自身この時期に出歩くようになったのは、寓居のある北海道や観光地である京都奈良においても、感染者数が一桁台に落ち着いているからこそである。
 
 
因みに京都には平日に滞在し、奈良は休日に訪れたのであったが、それぞれの観光名所を訪れていた客層に、かなりの差異があった事に改めて気付かされた。
 
京都ではかつて北大路魯山人が30代の前半に、日本画家の富田渓仙と共に何年か過ごしたという、清水寺の山内にある塔頭「泰産寺」周辺を訪問したのであった。
 
因みにこちらで見かけた観光客の多くは、小中高の修学旅行の学生達であった。
秋の紅葉がぽつぽつ見られ始めた清水寺奥の山麓に在る「泰産寺」は、いわゆる観光客の数は必ずしも多くはなく、「子安の寺」として知られている事もあってか、相対的に小学生の比率が高かったようである。
 
それに対し奈良の元興寺周辺の「ならまち」と呼ばれる一帯は観光客のメッカで、若いカップルや女性連れが多かった。
 
 
 
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            泰産寺周辺の自然豊かな環境
 
 
 
その「泰産寺」は魯山人たちが数年間滞在し寄宿した寺であるが、それは彼らの自発的な意思によってではなく、才能はあるが成長途上にあった彼らの美意識を鍛えるために、彼らのパトロン(後援者)であった内貴清兵衛によって勧められた、一種の「修行」の場所であったようである。
 
東山山麓の一画に存するその寺の周囲は、言うまでもなく多くの樹木に囲まれた自然環境の豊かなエリアである。
 
四季折々に繰り広げられるそれら樹木を中心とした自然の移ろいや変化に、魯山人も渓仙も得ることが少なからずあったようで、後の彼らの創作物に活かされてきたようである。
 
実際のところ魯山人に関していえば、彼が著名な存在になった40代に生活および創作の拠点とした北鎌倉の「星ヶ岡」は、実に自然環境の豊かな場所であるが、それはたぶん彼が30代前半に何年か過ごしたこの環境での経験が、大きく影響しているのではないかと、私は改めて推察しそう感じ入ったのである。
 
 
魯山人も渓仙も、
冬には梅をはじめとした、寒さにジッと耐え春を待つ樹木を観、
春には桜と共に芽吹き始める、若葉の初々しさに目を見はり、
夏にはむせ返るような、樹々の生命力に圧倒されたことであろう。
そして秋にはモミジをはじめとした落葉樹の黄色や赤・茶色の変化に、感じ入ることもあったであろう。
 
 
かつて洋画家の中川一政が、「目が育てば、手もついてくる」といった様なコトをどこかのエッセイで言っていたが、魯山人も渓仙もここでの数年間の滞在で、さぞや多くの目を養ったに違いない、と私は感じていた。
 
その後の彼らの芸術家としての成長ぶりを鑑みると、そのように推測することも出来るのである。
やはり人が成長や飛躍を遂げるためには、一定期間の修行というか蓄積の時間が必要であるのだという事に、私は改めて想いを巡らせたのである。
 
そしてその様な修行の場を彼らに提供した「内貴清兵衛」という人物の、名伯楽ぶりに改めて気付いたのである。
 
今回の訪問は私が漠然と抱いていたそのような仮説を確かめるために、泰産寺を訪ねた様なものであった。
そしてその仮説は現地に行ってみて、改めて確認することが出来た。
と同時に、改めて内貴清兵衛についての興味や関心が湧いてきた。
 
北大路魯山人について語るに際しては、30代前半に寄宿した修行の場であるこの「泰産寺」と、そこを修行の場として提供した「内貴清兵衛」については、避けて通ることが出来ないのではないか、とそのように感じた次第である。
 
 
因みに同寺の周辺には「猿の出没」を示唆する警告の案内板が掛かっていたから、この山内はサルたちにとっても心地よい環境であるのだな、と一人ニヤついて泰産寺を後にしたのであった。
 
 
 
 
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            泰産寺に向かう途上に佇む夫婦石仏
 
 
 
 
 
 

 アドレスホッパー

 
 
世の中に「アドレスホッパー」なる言葉が存在することを知ったのは、一年ほど前の事であろうか・・。
 
その耳慣れない言葉の意味するところは
「居住地を定めず、点々と住居を替える生き方を指向する人種」といった様な事らしく、一種のライフスタイルなのだという。
判り易く言えば「フーテンの寅さんの亜種」なのであろう。
 
「寅さん」の場合はテキヤといった稼業で、祭りやイベントが開催される場所場所を求めて点々とし、それらのイベントや祭りに集まってくる近隣の善男善女を相手に、何やらよくワカラナイ品物を売りさばいて生計を立てている、といったビジネスモデルの上に成り立った稼業であるようだ。
 
 
それに対して「アドレスホッパー」の場合は、IT関連のノウハウを有している人達が多いようで、仕事の受発注をネットを通じて行い、PC等を介してオンライン納品などする事が多いらしい。
インターネットを通じてやり取りが完結する仕事が多く、「アドレスホッパー」と呼ばれる人たちの多くは、PC等を介して生計を立てているらしいのだ。
 
従ってネット環境が整っている場所でありさえすれば、北海道だろうが伊豆半島だろうがはたまた四国だろうが、居住する場所にとらわれ無いことから、パソコンや光通信などのインターネットインフラが整備されていれば、それで済むようである。
 
もちろんそれが可能であるためには、ネットによる情報のやり取りだけで仕事が成立し得る、ビジネス上の信頼関係がクライアントとの間で構築されている事が必須であるのは、言うまでもない。
更にそれを可能にする当人のIT関連のノウハウ/技術やスキルの習得や力量を有している事が、大前提になっているのであろう。
 
 
ここ数年続くコロナ禍による「リモートワークの普及」や、この手の働き方が許容される社会的なコンセンサスの定着も、この動きに一役買っているのかもしれない。
とりわけ会社への出勤が月に数回でも問題なく、ビジネスへの成果が成果品の納品で済むような職種や業種においては、このようなビジネスモデルも成り立ち得るようだ。
 
 
 
 
          
 
 
 
 
この動きはまた、IT技術を駆使することで成立し得る職種の人達にとっては、新たな居住空間を探すことにも役に立つのではないかと思う。
 
即ち、アドレスホッパーを何回か何か所かで試してみて、自分のライフスタイルや趣味や嗜好に合致した生活環境でトライしてみて、そこでも十分に生活できることが確認できれば、そのエリアに定住すればよいのである。
アドレスホッパーは、そのためのお試し期間にも成り得るであろう。
 
何年も何十年もアドレスホッパーを続け、生活拠点を持たないことに耐えられそうもない私などにとっては、新たな生活環境を探し求める際に「アドレスホッパー」を参考にするのもありかな、と思わないでもないのだ。
 
 
因みに「アドレスホッパー」のビジネスモデルは、運営会社に入会し定額の会費を払う事で当該運営会社の契約している全国の生活拠点で、1週間単位で生活することが出来るのだという。
その金額は運営会社にもよるのであるが、概ね月額5・6万円程度で済むのだという。
そしてその生活イメージは、一種の「グループホーム」や「シェアハウス」に似た生活形態が多いようである。
 
 
自分の来し方を振り返ってみれば、私自身どうやら10年単位で「アドレスホッパー」を繰り返してきたようである。
 
即ち、最初の20年近くは親元で暮らし、
20歳前後からは、大学や就職先の配属地であった関西に30歳近くになるまで過ごし、
それからの20年近くを千葉県の東葛エリアで過ごした。
そしてここ10数年間は北海道十勝である。
 
マクロな視点で見れば、私の人生は結構「アドレスホッパー」している事に気づいた。
 
今後新たな生活拠点を探すことに成るとしたら、大災害に見舞われた時か自動車の運転が出来なくなる時ではないか、と私はうっすらと想っている。
 
自然環境の豊かな南十勝の郡部(市街地から遠く離れた海寄りのエリア)では、車が無いと生活が出来なくなるからである。
 
家人に「根無し草」等と言われないようにしながら、ホッピング(点々と)して人生最後の生活拠点に落ち着くことに成るのではないか、とそんなことを考えている。
 
 
因みに今私は、年に数回訪れている本州に来ている。今回は20代に過ごした京都と隣接する古都奈良と滋賀である。これは新たな物語作成のための取材旅行と、息抜きとを兼ねたものである。
これも一種の「アドレスホッピング」であるな、とホテルの一室で酒を飲みながら想っているところである。
 
 
 
 
            
              魯山人が30代に寄宿した「泰産寺」の在る清水寺の山内
 
 
 
 
 
 

 「白秋」

 
今は10月の下旬という事で、秋の真っ盛りである。
 
庭のモミジなどもすっかり色づき始め、ちょっと強めの風が吹くと落ち葉が舞い散るように成っている。
 
この時季の事を「白秋」という言い方がある様である。
陰陽五行という中国由来の季節を現す言葉であるらしい。
「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」という四季を現す、言い方の一つなのだという。
 
 
もっとも私が「白秋」という言葉の存在を知ったのは詩人であり歌人でもある「北原白秋」に依ってであった。
彼の作った幾つかの童謡が印象に残っていたからであろう。
 
初めは彼の固有名詞と想っていたのであったが、漢文や中国の故事を知るようになり、秋を現す言葉の一つであることを知った。
 
 
 
ところでこの「白秋」には季節を現す意味もあるのであるが、同時にまた「人生」を現す意味もある様である。
 
即ち「青春」が若さの象徴を示し、これからの成長を待つ青々とした「青年期」を言い現わしている様に、
「朱夏」は 赤い夏が人生の盛りを象徴し、40代や50代の人生の盛り、即ち「盛年期」を言い現わしているのだという。
 
そうして「白秋」は冷気を伴う実りの秋、即ち人生の晩年である60代以降の「成熟期」から「衰退期」を現しているのだという。
 
 
 
 
              
 
 
 
 
とはいえ近年は寿命も延びてきている事から、「白秋」が象徴する人生の晩年も、従来よりは数年後ろ方向にスライドしているのではないか、と私は想ってはいる。
 
その現実に伴い、白秋も前期と後期に区分したほうが良いのではないか、と考え始めているところである。
 
即ち「白秋前期」は人生の「成熟期」や「熟成期」を意味し、概ね60代~70代半ばまでの気力もまだ充実し、体力もそれなりに保たれている時期で「人生の収穫期」として、人生そのものを「自ら愉しむ」ことが実感できる時期、といったところか・・。
 
「白秋後期」は70代後半から80代の最晩年で、気力や体力の衰えを受け容れつつ静かに後進の育成に力を注ぎ、伯楽として駿馬を見出し、若い才能の育成をさりげなくサポートする。そしてそのことに人生の喜びを感じる時期なのであろうか・・。
 
 
10月下旬という秋の真っ盛りの紅黄葉に彩られた樹木を前に、一陣の風にハラハラと舞い落ちる枯葉を気にしながら、酸味の利いた珈琲を飲みつつ
 
これからの「白秋前期」と「白秋後期」をこのような心持で生き、過ごしたいものだと、つらつらと考えている私なのである。
 
 
 
この時何故か、「枯葉」を唄うイブモンタンが私の頭に浮かんだ・・。
 
 
 
                   
 
 
 
 

マイクロメディアが世界を駆ける

 
先月突然私のHPの閲覧者数が倍増した。
8月頃までは累計で1,500人から2,000人の間を行ったり来たりしていたのだが、突然この9月は3,150人を超えたのである。
 
この兆候は7月頃からボチボチ見え始め、8月の後半にも続いていたのであった。
私の使っているこのサイト運営会社は割と使い勝手がよく、多いに助かっているのであるが、このサイトでは「読者のIPアドレス」を確認することが出来るので、そのDATAを活用し、調べてみた。
 
その結果IPアドレスを確認して判ったのは、「フランス」「ドイツ」「オランダ」「スペイン」「イギリス」「カナダ」「アメリカ」といった欧米のIPアドレスを、新たに多く確認することが出来たのであった。
 
因みにその検索は国名と州、更にはシティまでは確認することが出来るのであるが、これら欧米の閲覧者数がいきなり増え始めたのであった。
 
 
                                     
                
 
 
欧米では7月からバカンス期間に突入し、時を同じうして「インド型コロナウィルス」の大流行が世界を席巻したタイミングであった。
 
その事に何らかの関連性があるのかもしれない、などと妄想を抱いたのであったが必ずしもそれは関係ないかもしれない、とすぐに私は想い始めた。
 
というのも、フランスやオランダ、更にはカルフォルニア当たりのプラットホーム運営会社がその頃から、大量にこのHPの記載情報をチェックしに来ていることが判明したからである。
 
 
なぜそれが推測できるのかというと、ほんの数十分の間に数十ページにも及ぶmyHPを数秒単位で閲覧している記録が残っていたのである。
この事実はロボットを使った情報チェックが行われている事が、考えられたからである。
 
そのロボットの動きは8月以降から頻繁になってきて、「フランス」「オランダ」「ドイツ」「アメリカ」のアドレスを持つロボットが活躍していることから、そのように推測することが出来たのである。
 
それらに加えて「台湾」「シンガポール」「インド」「UAE」といった、アジアの運営サイトからのロボットによるチェックも、ボチボチ入り始めたのである。
 
それらの海外の運営サイトがプラットホームに成って、このHPの存在や記事の項目などを検索エンジンを介して、紹介してくれているのではないかと、そのように思うようになったのである。
 
 
因みにここ数週間多いのが、フランスのほかにカナダのケベック諸州のIPアドレスを持つ人々である。ケベック諸州はフランス語圏である。
 
 
その様な海外にIPアドレスのある閲覧者が増えたことにより、利用者のアドレス比率は日本国内が4・5割、海外が5・6割といった、海外ウェイトの高い構成比に成って来ているようだ。閲覧者マーケットが国外にと、いつの間にか拡大してしまったのである。
私のあずかり知らないところで、このような国際化が一気に進行してしまったのである。
 
もちろん閲覧者数が増加していることは、単純に言って嬉しい事であるのだが、同時に自分のコントロール外のところで情報が拡散し、閲覧できるようになっている事への一定の注意は必要であろう、と自覚はしている。
 
 
 
                   
 
 
 
最近目にしたNHKBS放送の『欲望の資本主義』特別編において、アメリカの学者が「監視資本主義の浸透」に警鐘を鳴らしていたことが、私の頭をよぎった。
 
これは主としてSNSを中心とした「G.A.F.A.」による個人情報の把握と、その属性分析や閲覧情報の分析に基づくビジネスモデルの存在について、警鐘を鳴らしていたのであるが、それと同様に「アメリカ」「中国」「ロシア」といった国家や政府による「監視」が行われている事にも注意が必要であろう、と私はそう想っている。
 
 
実はこの6月に中国からロボットを使った記事項目チェックが行われた形跡があり、その月も前月より一気に4・500人増加したことがあったのである。
 
但しそのチェックはここ数ヶ月は行われていないようだから、単なる民間運営サイトのチェックだったのかもしれない。
 
いずれにせよ当該HPの様な社会的には殆ど影響がないと思われる「マイクロメディア」であっても、インターネット社会においては本人の意図や意識に関わりなく、情報として世界を駆け巡っている、という現実があるのである。
 
そのことを私はしっかりと自覚しておく必要性を感じている。それがネットワーク社会の現実の一つであるからである。
 
 
 
とはいえこのHPは、全文が日本語でしか書かれていない記事内容であることから、このHPを外国で読まれている方々の殆どは、海外在住の日本人や日本語が堪能な方々に限定されることを私は承知している。
 
その上で、インターネット上に今後もコラムやエッセイ、歴史検証物語などを発表し続けるつもりでいるのである。
「監視資本主義」といった警告を頭の片隅に置きながら、私はしばらくこのHPを継続していくことに成るのである。
 
 
 
 

 南十勝の野生動物

 
先日我が家の駄犬が野生のアライグマを噛み殺した。
その前夜12時頃、ずいぶんと彼が大きな声で吠え続けていたから、何があったのだろうかと、私は想っていたのだが、翌朝その答えが判明した。
 
駄犬の住処にしている小屋の前に小動物の毛皮が横たわっていた。
即ちアライグマの死骸が放置されていたのである。
 
彼は今年11歳で既に老犬の部類に入るのであるが、彼の出自は雑種ではあるのだがアイヌ犬の血を引いてることもあって、結構戦闘的なのである。
 
これまでも「カラス」や「猫」を噛み殺していた実績を持ち、その攻撃性に関しては折り紙が付いているのであるが、人間でいえば60代半ばという今も尚、その能力が衰えていないことを今回の件で改めて認識した。
 
 
また「カラス」を仕留めたのは彼が5・6歳の若い頃の事であるのだが、あの狡猾な「カラス」を噛み殺した時は、カラスと駆け引きを行い油断させて嚙みついた、と現場を目撃した息子が語っていたことから、彼は駆け引き上手な「策士」でもあるらしいのだ。
 
その策士ぶりは今回のアライグマとの戦闘でもきっと発揮されたのだろう。
因みにそのアライグマの死骸は結構重く、4・5㎏はあったようで大きめのサイズだったと思う。
またアライグマは獰猛な動物なので、駄犬もさぞや駆け引きを駆使したのではないかと想像することは出来る。
 
 
それはそうとして秋口のこの時期になると南十勝では野生動物の動きが活発になる。その筆頭がヒグマで、冬眠に向けた準備のために河川では鮭を捕獲するために動き回り、畑ではトウモロコシやカボチャを求めて出没するのである。
 
因みに北海道の道路沿いにはこの時期、黄色い背景にヒグマやエゾシカのシルエットを黒塗りした標識を見かけることが多くなるが、これらの標識が立っている場所は今シーズンにおいてヒグマやエゾシカが出没したことを知らせるサインなのである。
 
 
 
                  
                       クマの出没を警鐘している
 
 
従ってこれらの標識を道路で見かけたら、当該箇所周辺でこれら野生動物の出没が確認されたと、認識する必要があるのだ。
この標識は、いつそれらの野生動物に遭遇するかもしれないという、「危険な場所=デンジャラスゾーン」であることを物語っているのである。
 
そのほかに相変わらずキタキツネなどは季節を問わず夕方から朝方にかけて出没するし、トウモロコシが育ち甘みが出て食べごろなこの時期には、先ほどのアライグマ等もそれらを求めて出没するのである。
 
そして更に来月頃になると、シベリア辺りから越冬のためにタンチョウヅルやハクチョウなどの鳥類が南下のための中継地として、この大樹町にも飛来するのである。
 
 
そんなこともあってこれから1・2か月、我が家の駄犬は自宅周辺に集まる野生動物や鳥類に向けて、自身の縄張りを主張するために日夜吠えまくることに成るのだ。
 
これまでタンチョウヅルやハクチョウが犠牲になった事が無いのは、彼らが羽根をはやしており駄犬が鎖に繋がれているからであるが、カラスのように駄犬を侮って彼の策略に乗って噛み殺されることもあるから、かの美しい鳥たちも決して増慢増長してはならないのである。
鎖につながれた犬だからといって、決して侮ってはいけないのである。
 
 
秋が深まり、これから北海道は観光シーズンに成るのであるが、コロナ禍であることを承知の上で北海道観光に来られる方は、これらの標識を観たらいつ野生動物が飛び出て来るかもしれない、と身構えておけば大きなトラブルに見舞われないで済むことに成ると、そう思っておくとよいのではなかろうか・・。
  
 
 
 

 「祭り」が行われなくなる時

 
 
多くの日本人にとって「祭り」という行事は、特別の日である。
とりわけ地域を代表するようなお祭りにおいては、その傾向が強いようだ。
 
その祭りが去年から行われることがなくなっている。
コロナが原因である。
 
祭りというイベントはどこかの民俗学者が言ってるように、日常生活という「ケ」とは異なる晴れの舞台である「ハレ」があることによって、日常生活の中の「ヨドミ」や「ルーチンワーク」「閉塞感」「フラストレーション」を一時的に「破壊」し「開放」し生活の中にリズムや緩急をもたらす効果がある。
 
確かにその通りであろう。
さらに言えば「祇園祭り」のように、梅雨時の河川の氾濫による感染症発生への注意喚起といった、社会政策的な意味合いを持ったものもある。
 
そんな中で梅雨の後半時に行われるのが「祇園祭り」である。
梅雨の後半には集中豪雨などが発生しやすく、それによって引き起こされる河川の氾濫は土砂災害と共に、二次的な災害でもある「感染症」を引き起こすことが多い。
人々はそのことを経験を通じてよく知っているのだ。
 
その祇園祭の主役は「スサノウの命」「蘇民将来」「牛頭天王」といった「疫病退散に霊験あらたかな」神様、という事に成っている。
京都の祇園祭をはじめ全国の「祇園祭り」や「天王祭」は、新暦や旧暦の6月15日前後に行われることが多いのも、この梅雨の後半という集中豪雨が発生しやすい時期と関係があるようだ。
 
 
                   
                      越後直江津の「祇園さん」上越祭り
 
 
ところがそれらの「祇園祭り」が今年も行われない。冒頭でもふれたように「新型コロナ」という感染症が蔓延し猛威を振るっているから、である。
 
「祭り」は間違いなく三密を引き起こし、飲酒や飲食を伴い口角泡を飛ばす場面を多発させるから、ウィルスを飛翔させ感染症の拡散を増大させるのに格好の機会なのである。
 
 
一方でその「お祭り」は、これまでも行われないことが何度かあった。
京都の祇園祭であれば「応仁の乱」や「蛤御門の変の年」「第二次世界大戦末期」といった、京都市内を巻き込んだ大きな戦乱のあった時などがそれである。
いわゆる「有事の時」に「祭り」はたびたび中断されてきているのである。
 
また「流鏑馬の神事」にあっては、やはり第二次世界大戦の真っただ中において、軍隊への馬の供出という事態に成って、実施できない期間が何年も続いたのであった。
とりわけ地方の小さな神社の「流鏑馬の神事」等は、この「馬の供出」を機にこの神事そのものが執り行われなくなった、といった処が何か所もあったようである。
 
やはり「お祭り」は「平時に愉しむイベント」であって、「有事には行われないイベント」なのである。
そして逆の言い方をすれば祭りが行われている時という事は、世の中が「平時」で「安定している時」、即ち「平穏無事な時」を意味し、それを象徴しているという事であろう。
 
従って祭りが行われる時を「心待ちにする事」は、同時に「平穏無事な日常生活を取り戻す事を待ち望む」のと同じ想いなのである。
 
 
ここ2年間日本国内はもとより世界中で、大きな「祭り」が執り行われずにいるのは、「新型コロナの拡散の危機をもたらす」という「非常時」においては、「祭りを実施しない」「敢えてやり過ごす」という事が、科学的で冷静な判断なのだという事を、多くの人々はよく理解しているからであろう。
 
だからこそ祭りが行われる「平穏な日常」が戻ってくる事を、自粛しながら耐えジッと待っているのである。それは「感染症の拡散予防」という合理的で理性的な判断に依って、なのである。
 
 
そんな中で、「祭りは楽しいものであり」「祭りが行われれば皆が愉快な気分」になり、「祭りの参加者が盛り上がり、高揚した気分になれる」「祭りそのものが平和の祭典だ」といった思考をする人たちが少なからず居るのも事実である。
中には「祭りの中止を叫ぶ人々は反日的である」といった、訳の判らないことまで口にする保守的な政治家もいるようだ。
 
彼らの思考や発想は全く持って科学的でも冷静でもなく、非合理的で情動に訴えるやり方ですらある。
そのような愚かで情動で動く非理性的な政治家や、スポンサー収入を当てにしている祭りの主催者の思惑によって、祭りが決行される事態が今私たちの目の前で起きている。
 
例えば南米では「南米サッカー選手権=コパアメリカ」が実施され、ヨーロッパでは「ヨーロッパサッカー選手権」が実施され、多くの新型コロナの感染者や陽性者を発生させており、コロナウィルスの感染爆発が進行している。
理性的で科学的に「祭りの弊害」が予測し推測でき得る中で、大きなスポーツイベントを決行しているからである。
 
 
そのような現実を前にしても、愚にもつかない政治信条に固執する政治家や、自分の目の前にある利益にしか関心のないスポーツイベントの主催者達が居るのである。
 
彼らは「非常時」にも拘わらず、「平常時」のままのイベントを強行しようとするのだ。
このような現実を無視し続ける愚かな人間たちの犠牲に、我々は成ってはいけないのである。少なくても合理的で科学的な思考を尊重する人達は、冷静でいなくてはならない。
 
四回目の緊急事態宣言を発せざるを得ない、シビアな現実の中であえて「オリンピック」を強行しようとする愚者に付き合ってはならないのである。
 
「祭りは何が何でも」「いついかなる時でも」実施するようなものではないのだ。
祭りを行うに相応しい時に行えばよいのである。それが私たちの先祖や先輩たちが祭りの時期を敢えてやり過ごして来た、という過去の経験から学び、科学的で冷静な推測や予測を行う、大人の対応なのであろうと私は想っている。
 
 
 
                    
 
 
 
 

オリンピック利権というビジネスモデル

 
昨日の「東京オリンピック組織委員会」は、今回のオリンピック観戦者数の上限を一万人としたようである。
因みにこの観戦者数の中にIOCの関係者は主催者という事で枠には数えない、という事である。
更には学校の生徒たちが誰かに引率されて観戦する場合も、この上限枠とは別に扱われるという事らしい。子供達も招待客という事でやはり観戦者数には含まれないというのだ。
 
確かに論理的には、これらの人々はいわゆる「観戦者数」には含まれないという事もあり得るだろう。
しかしこの対応が、「感染病の拡散防止」のための「観戦者数抑制」という本来の目的を逸脱しているのは、言うまでもない。
 
要するに「東京オリンピック組織委員会」は新型コロナウィルスの拡散防止を、真剣に考えていないという事なのであろう。
 
 
今回の観戦者数上限一万人という対応を取り入れても、17日の期間中全国では450~460万人の観戦者数にはなるのだという。
もちろんこの推測値の中には、「IOC関係者」の数や「学校等関係者の観戦者」は含まれていないから、実際にオリンピック競技場に集まる観戦者の数は500万人を上回ることが推測される。
 
更にIOC関係者たちの観戦は「VIPルーム」で行われ、酒食のおもてなしによる立食パーティ形式での観戦というスタイルをとる、らしいのである。
もちろんここで提供される飲食の経費は「東京オリンピック組織委員会」が負担し、その原資は東京都や日本政府の予算から出ることになっているのだという。
 
当然この「VIPルーム」はいわゆるパーティー会場となり、IOC関係者や各国の国家元首クラスやその家族たちとの交流が行われるのだという。
因みにこれは今回に限った事ではなく、これまで北京でもロンドンでもリオデジャネイロでも行われてきた事で、オリンピックの「定番のメニュー」として観戦のシステムに組み込まれている、という事のようだ。
 
私はこの酒食を伴う社交場と化した「VIPルーム」参集者の間で、世界中のコロナウィルスが混交し新しいハイブリッドなコロナウィルスが誕生したとしても、全く驚かない。
 
更にはその結果、何人かのIOC関係者がそれらハイブリッドウィルスの犠牲者となることを、懸念しているわけではない。
 
オリンピックという世界規模のスポーツイベントに、この様な仕組みを導入し愉しんでいる「オリンピック貴族」といわれる人たちが、どのような感染症の犠牲者に成ろうがそんなことに私は関心はない。彼らは勝手に罹病したら良いのだ。
 
 
今もなお新型コロナウィルスというパンデミックが猛威を振っている中で、現実を無視してオリンピック開催に突進する、IOCの幹部という経営者たちの本音を聞くことが出来たことは良かった。即ち、
 
「オリンピックには犠牲がつきものである」
「緊急事態宣言下であってもオリンピックは行われなければならない」
「アルマゲドン(この世の終わり)に成ってもオリンピックは行われる」
 
といったたぐいの暴言を吐いても何ら恥じることのない、IOC幹部という「オリンピック事業体」の経営者たちの本音を聞くことが出来たのはとても良かったのだ。
 
 
これまでもいろいろな黒いうわさや、個々の不祥事が発生したその土壌が、オリンピックという利権ビジネスそのものに在ることが判ったのは、とても良いことである。
 
以前フランスの検察から「贈収賄」を摘発された、東京オリンピック招致委員会の元幹部の存在も、このような利権ビジネスに直結していたことが判明すると、全くよく理解することが出来る。
 
またかつての長野の冬季オリンピック時における、IOC幹部への過剰な接待攻勢の事も理解できるし、オリンピック開催地を最終的に決める際の直前に行われる「IOC幹部の現地視察と接待」という行事が持っている、真の意味がとてもよく判るのである。
 
全てこの「VIPルーム」でのオリンピック観覧が象徴しているのだ。
要するに「オリンピック貴族」への、形を変えた接待であり贈収賄である事と根っこは同じなのである。
 
 
そして現在の「オリンピックビジネス」のビジネスモデルを構築してきたのは、ドイツの大手電機メーカー「シーメンス」の顧問弁護士である、やり手の実業家IOCのバッハ会長、だという事である。
 
なぜ彼がやり手の実業家といわれているかは、彼がシーメンスから顧問料として年間5000万円とも6000万円ともいわれる報酬を受け取りながら、それに加え日当60万円という報酬を得ている事から、母国ドイツではそのやり手ぶりが広く知られているのだ、という。
 
そのような金銭感覚のIOC幹部が「オリンピックビジネス」を取り仕切り、そのビジネスモデルを構築しているのである。やり手のオーガナイザーとして。
 
 
                     
 
 
更に今回のオリンピック開催を声高に叫んでいるのが、アメリカの大手マスメディアであるNBCの経営者である。
NBCは東京オリンピックの放映権をIOCに1,500億円近く払う契約をしてるとの事である。IOCはオリンピックの放映権をNBCを含め総額3,000億円程度で、世界のメディアに販売しているのだという。
 
そしてその売り上げは「IOC貴族」を潤し、各競技団体には分配金として回ってくる仕組みに成っているのである。
 
この4月頃「東京オリンピック中止」が取りざたされていた時に、世界陸連の会長とかがオリンピック中止になったら「陸連への分配金はどうなるのだ!」と、わめいた記憶がよみがえってくるのである。
 
今やIOC傘下の各競技団体の予算は、この「オリンピックビジネスモデル」にがっちりと組み込まれているのである。
 
してみればオリンピックが行われるたびに不思議に思っていた各国の競技への参加者である「アスリートの数」より、各国の「役員だの関係者だのの数」の方が多いことの仕組みもまた判ってくるのである。
 
このようなオイしいビジネスがある限り、IOCとその仲間たちは口が裂けても「オリンピック中止」とは言えないであろう。
 
先ほどのIOC幹部たちの暴言ともいえる本音は、まさにこの「オリンピックビジネス」を維持してくための、彼らの偽らざるホンネなのである。
 
 
因みにかのNBCの経営者は「ロンドン大会」の時も「リオデジャネイロ大会」の時も、イギリス人やブラジル人たちは少なからぬ反対運動や抗議の行動を引き起こしたが、結果的には何事もなかったかのように、「オリンピックは成功裏に終わった」と認識しているようだ。
 
だから今回の日本でのコロナ感染拡大を危惧しての反対運動や抗議なども、「オリンピックが始まれば沈静化し消えて無くなり、今回もまた成功裏に終わるだろう」といったたぐいの発言をしている。
 
NBCは「ロンドンオリンピック」「リオデジャネイロオリンピック」もUSAではほぼ独占的に放映権を握り、放映権料の数十倍の広告収入を得たと言い、今回はそれ以上の広告収入を計上している、という。
ここでもまたビジネスモデルが出来上がっているのである。
 
 
しかし忘れてはならないのは、今回のオリンピックが「新型コロナウィルス禍の真っただ中で行われ、数百万人の人の集合と拡散が行われることである。
そして世界中の国から数万人のアスリートやIOC関係者が集い、交流し分散していくという現実である。
 
このことはまさに今回のオリンピックが「新型コロナウィルス博覧会」となり、日本国内の感染者集を確実に押し上げ、更にはオリンピックから自国に帰ったアスリートや大会関係者が運び屋となって、世界中に「ハイブリッド化された新型コロナウィルス」を拡散する危険性をはらんでいる、という事である。
 
これが現実になった時、パンデミックの真っただ中にあってオリンピック開催を強行したIOC経営者への責任問題は当然起こるだろうし、オリンピックという国際スポーツイベントのブランド力や権威、更にはリスペクトといったものは間違いなく失墜することになるであろう、と私は冷ややかに推測している。
 
そしてそれを推進した日本の「ガースー政権」もまた消えて無くなるだろう、ともっと冷ややかに眺めている。この為政者の発想はNBCの経営者とおなじ発想なのである。
オリンピックが終われば自分の政権の評価がV字回復する、と思っているのだ。
 
問題はそれによって、どれだけ多くの犠牲者が発生するか、である。
このようなパンデミックにあってもなお、オリンピックを競技場で観戦したいという人たちは別である。何故なら理性よりも情動で動く彼らは自業自得だからだ。
 
パンデミック下でもなおオリンピックを競技場で観戦したいと言う人達は、自身や家族の感染のリスクと引き換えになることを考える、冷静な理性や判断力が求められるのだ。と私は想っている。
今回の結果はオリンピックが始まる8月に入るころには、現れることになるであろう。
 
 
 
          
 
 
 
 
 
 

 明治維新と中華人民共和国

 
最近の中華人民共和国を観ていると、私は日本の明治維新と重なり合って見えることに気が付き始めた。
 
中国はイデオロギーとしては「共産主義」を唱えているが、実際に行っている統治(ガバナンス)の仕方は、実に専制主義的で正解が一つしかない社会体制の中で、農業国家からの脱却という近代化を進めている国である。
 
この構図は、薩長連合が中心になって尊王攘夷思想という、民族主義的なエネルギーを使って、徳川幕府を倒すために「明治維新」という名前の革命を起こし、西洋文明の積極的な取り込みによってアジアで最も近代的な国家を造って来た、というプロセスによく重なり合うのである。
とりわけ鄧小平以降の中華人民共和国が辿っているプロセスが、そうである。
 
 
両者の違いは150年ほど前「尊王攘夷」という名の「民族主義」を看板に日本で起きた歴史と、それから80年後に起こった第二次大戦後の、中華人民共和国で起きている「共産主義」をイデオロギーとした「民族主義」の違いだけではないかと、そんな風に感じてきている。
 
150年前の「明治維新」では、当時の植民地獲得を競っていた欧米のいわゆる「列強」に対して「尊王攘夷」という名前の民族主義を、エネルギー源にして来た
 
そしてその結果が、欧米の列強国に伍する国家を造り挙げるための「富国強兵」と近代的「軍国主義」である。
今の中国を観ていると、明治維新後にかつての日本が真っ直ぐ向かって行き、辿って来た構図に実によく似ていると感じるのである。
 
 
そんな妄想を抱いてくると、「西郷隆盛」は「毛沢東」に置き換わり、「伊藤博文」は「鄧小平」にと置き換わる。
更には「東条英機」が「習近平」に置き換わって見えてしまうのである。
 
実際私はそう言った目で終身国家主席を名乗っている現在の「習近平」の中華人民共和国を観る様になった。
 
 
               
 
 
 
現在進行中の自治区内の「ウイグル族」や「モンゴル族」に対する同化政策は、朝鮮半島や台湾更には清朝の名残のあった当時の中華民国を植民地化してきた、「東条英機」を中心とした軍国主義者たちが行ってきた事と、同じことをしているように思える。
 
その行動を正当化している理論的背景の「大東亜共栄圏」と「一帯一路構想」の関係も、よく似ている。
 
 
そして昨年来の「香港国家安全維持法」などを根拠に、香港の民主主義を抑圧しているプロセスは、殆ど「治安維持法」による民主主義や自由主義、更には社会主義者/共産主義者を弾圧してきた、明治/大正/昭和初期の日本をなぞっているかのように、見えて来る。
 
その中心にいるのは、言うまでもなく自らを「新しい王朝の皇帝」にしよう、とでも思っているように映る、中華人民共和国の終身国家主席である習近平である。
 
 
最近人相が悪くなってきた、と感じられる習近平「終身国家主席」は、14億人の中国国民や周辺のアジアの国々を、これからどのようにして巻き込んで行くのであろうか。
 
かつての東条英機が率いた日本の軍国主義者たちは、アジアに向かって「大東亜共栄圏」というイデオロギーを使って、日本の帝国主義路線を展開し戦線を拡大し、その結果400万人の日本国民を犠牲にして来た。
 
 
そして「一帯一路構想」を旗印に、14億人の国民を率いる「終身国家主席」はアジアから中東に向かって、「覇権主義」という名前の戦線を拡大して行くのであろうか。
 
私は彼の国の今後の振る舞いを、「明治維新」後の日本と重ね合わせながら、今後は注視して行く事に成るだろう、とそう感じているところである。
 
 
 
        
                  
 
 
 
 
 

 バナナリパブリック」と民主主義

 
 
ファッションのブランドに「バナナリパブリック」というのがある事を知ったのは、30年以上前の北米USAのショッピングモールであったかと、記憶している。
 
当時のMD=商品の印象は「サファリや中南米の熱帯地域での生活を意識した、ライフスタイルショップ」といったものであった。
商品グレードとしては中の上の品質や価格帯であり、車でいえば「ジープ」等のアウトドア用の車に乗る人達にジャストフィットしたファッション、という印象を持っていた。
 
 
その「バナナリパブリック」という言葉を今年になって久々にニュースで聞いて、懐かしくかつてのファッションブランドを思い出したのであった。
 
その言葉を発したのは民主党のクリントン氏とオバマ氏の間に大統領を務めた共和党のJブッシュ元大統領であった。
 
彼は今年の一月に先の大統領選で敗れたDトランプ前大統領が扇動して、アメリカ合衆国の議事堂を自身の支持者に襲わせた時の様を見た時に、この「バナナリパブリック」という言葉を発した、という事であった。
 
 
「バナナリパブリック=バナナ共和国」とは、軍事政権が選挙で選ばれた民主的な政権をクーデター等で転覆することの多い、「民主主義の未発達な中南米諸国」を揶揄する言葉をも含んでいるのだ。
 
Jブッシュ元大統領は生粋の南部出身の共和党員であるのだが、トランプ的な政治ショー型/扇動型の民主主義を苦々しく思っている、古いタイプのまたは正統派の良識を持った共和党員なのだ。
 
その彼にとって、自身の支持者たちにSNSや保守系メディアを駆使して、自分の政治的影響力保持のために扇動し続ける、トランプ的な共和党=現在の共和党では主流派のようだが、は許せなかったのであろう。
 
従ってこの「バナナリパブリック」という言葉は「バナナ共和国」であると共に、「バナナ共和党」をも意味しているようだ、と私は理解している。USAの「共和党」は「リパブリック」と略されてもいる。
 
Jブッシュ元大統領が愛し所属した「かつての共和党」とは異なる、Dトランプによって誕生した、新しい「民主主義の未発達な共和党」を指しているのではないかと、私はそう想っている。
 
 
               
                歴代の米国大統領
 
 
 
ところがこの「バナナリパブリック」問題は、米国だけの問題ではない。
現在の「ミャンマー」では現実のものとなっており、軍政支配からの脱却を遂げつつあると思われたミャンマーにとって、軍によるクーデターによる権力の掌握という形で、現実に起きている事態なのである。
 
連日報じられるミャンマー軍および「警察」という名前の治安組織が繰り広げている、国民への虐殺行為が「バナナリパブリック」の現実なのである。
 
因みに報道などによると「ミャンマーの警察」は完全にミャンマー軍の指揮命令系統に置かれており、上官は軍から派遣されていて、実質的にはミャンマー軍の下部組織と成っているようである。
 
そんな中で「国民に銃は向けられない」というまっとうな警察官やその家族は、数百人規模でインドなどの近隣諸国に逃亡を始めている、という現象が起きているようである。
 
 
「バナナリパブリック」は世界の未発達な民主主義の国では、常に現実の問題なのであり、軍部によるクーデターという形で現れてくる。
 
10年近く前に起きた「アラブの春」の国々でもそうである。
具体的にはエジプトの軍事クーデターがそうであり、シリアでも同様の事態が起きている。アサド政権による反体制派への弾圧であり、その結果発生した内戦がそうであった。
 
アサド政権同様に、民意を無視し自身の権力を保持しようとする試みは、ソ連崩壊後に誕生した東欧の「ベラルーシ」でも起きている
国民が投票した意思、すなわち「民意=民主主義」の結果は無視され、踏みにじられ選挙結果が政府によって捏造され、虚偽の結果が権力者たちから発表されているのである。
 
権力を手放したくないその権力者が軍隊や警察を使って、抗議を表明する国民の意思や民主主義を抑圧しているのである。
 
ロシアが反体制派のナワヌルイ氏の暗殺を試み、収監しているのも同様である。
これらの国はいずれも「バナナリパブリック」なのである。
 
 
そしてこの問題はアジアでも起きている。最近の「香港」をめぐる動きやここ数年間続いている「ウィグル自治区」への中国政府の対応がそうである。
やはり中国そして北朝鮮などもまた「バナナリパブリック」なのである。
これらの国の場合はさしずめ「バナナ人民共和国」なのであろう。
 
 
してみると世界の発展途上にある国の多くは「バナナリパブリック」であることに気づかされる。
 
そして歴史を振り返れば、かつての我が日本国においても、第二次世界大戦で「天皇の軍隊」が解散させられ瓦解するまでは、「バナナリパブリック」であったことを知ることが出来る。
 
 
人類が「バナナリパブリック」を卒業するためには、長い年月と経済発展に伴う中産階級の増大、といった社会の成熟化と権利意識の浸透、すなわち民主主義の成熟が求められてくるのである。
同じ軍事クーデターが起きた国であっても、国民の意思への対応がミャンマーとタイで違うのは、この「社会の成熟度の差」なのかもしれない。
 
 
戦後の日本に生まれ育ったことに私は感謝しつつ、ミャンマーで今現在起こっている事態を注視し、民主主義の成熟した国においても登場し得る「トランプ的な扇動者」に対しては、はっきりと「NG!」を突き付ける必要があるのだ。
 
さもないと、わが日本もいつの日か「バナナリパブリック」に成ってしまうかもしれない、のである。
 
 
 
 
             
             ミャンマーの治安維持という名の弾圧
 
 
 
 
 

 マイクロメディアとインターナショナル

 
 
私のHPは、言うまでもなく日本語で書かれており、しかも家人などに言わせると決して平易とは言えない言葉遣いをしているのであるが、このHPがどうやら海外在住の方にも読まれている、らしいのだ。
 
もちろん圧倒的には日本人が多いのだが、時折「オーストラリア」「カナダ」「台湾」「シンガポール」「カンボジア」といった国々の閲覧者がいる、というレポートがGoogleコンサルなる会社から報告されている。
 
今日も先月2021年1月分の読者分析レポートが送られてきた。そして今回のレポートには「イギリス」と「中国」が入っていた。
 
どうもそういった人たちが閲覧しているのが「香港と中華思想」といったコラムや「マスメディアとマイクロメディア」という、2018年に書かれたコラムであるらしいのだ。
 
 
その事実を知って私は、これらのコラムを読んでいる「イギリス」や「中国」在住の方たちというのは、ひょっとしたら日本人ではないのかもしれないと、妄想するように成った。
 
これらのコラムの内容が「香港の民主化問題」や「SNSの発信力」といったような中身であるから、私は「ひょっとしたら・・」と妄想するように成った次第である。
 
その妄想は「中国」や「イギリス」に在住している「香港民主化」等に関心を抱いており、自らSNSを使って「マイクロメディアでの発信力」を高めたい、と思っている人たちなのかもしれない・・。
と、自分に都合よく二つのコラムを結び付けて考えるように成った結果、この妄想は導き出されたのである。
 
もしそういう事だとすると、外国人に読んでもらえる事を全く意識していなかった私にとっては、全くの想定外という事に成ってしまうのであった。
 
 
これまで私が想定していた閲覧者は、多少歴史に興味ある日本人であり、「安田義定公」や「甲州金山衆」等といった、マニアックともいえる世界を受容する心の広い人たちなのであった。
 
「歴史検証物語」なるモノを発表している純国産の私は、これからは多少なりともインターナショナルな読者を想定しなければならないのだろうか・・。といった妄想を抱いてしまった、のである。
 
 
その想いを私が、家人に話したところ、
 
「ナニ浮かれてんのよ、それって単に諸外国に仕事や旅行で行っている日本人が、暇つぶしに赴任先や旅行先のホテルなんかで、読んでるだけなんジャないのォ・・」とあっさりと私の豊かすぎる妄想を打ち砕いた。
 
私はその家人の指摘に、実は思い当たることがあった。
 
「そういえば学生時代の友人がカンボジアのアンコールワットに行った、と言ってたっけ・・」といった事を思い出し、自分の妄想から目が覚める思いがした。
 
それに同じ国からの閲覧者があまり居ないことにも、私は気づいた。
「そういえば、カナダとオーストラリアを除くとわりと国が単発だよな・・」と私がそうウソブクと家人は、
「そうでしょ・・」と、言ってニヤリとした。
 
 
 
               
 
 
 
家人の指摘は確かにその通りなのであるが、その一方で学生時代の友人は旅行には関心はあっても、「香港の民主化問題」なんぞに関心を抱くようなタイプでもないしなぁ・・、という想いもしている。
 
従って、家人が言うように「出張」や「旅行」さらには「単身赴任」で、外国に行っている人たちが、タマタマHPを閲覧しに来てくれているに過ぎないのかもしれないし、たぶんそうなんだろうと私も思っている。
 
しかしその中には、数は少なくても「中国在住で香港の民主化」に関心のある人や、香港から逃散しつつある「イギリス在住の香港人」や「オーストラリアや台湾に留学している香港」の人たちが、閲覧してくれてる可能性はゼロではないかもしれない・・。と妄想し続ける思いが、心の片隅にはまだ残っている。
 
 
そのような思いや期待を抱きながら私は、引き続きHPというこの小さな小さなメディアを拠点に、「歴史検証物語」や日々感じたことどもを、「コラム」や「エッセイ」といった形で発信し続けようと、そう思っている次第である。
 
 
 
 
 

 二度目の「緊急事態宣言」(2021.01.10)

 
 
去る7日、菅総理大臣はやっと重い腰を上げて「緊急事態宣言」を発令した。
コロナが原因となった「緊急事態宣言」はこれで二度目である。
 
昨年の九月に前任者の跡を踏襲する形で就任した菅氏であるが、彼はどうやら「国民の命や生活」よりも「経済活動」を重視する傾向があるようだ。
 
その動きが表に見え始めたのは、官房長官時代である昨年7月にスタートした「GO-TOトラベル」であった。
7月下旬の連休に照準を合わせて始まったこの「需要喚起策」を主導したのは、当時すでに死に体に成っていた安倍政権の番頭役であった、彼であった。
 
 
このキャンペーンは当初予定していたオリンピックがコロナの影響で流れ、「オリンピック景気」を当てにしていた、観光業界に向けての救済策であったようだ。
ところがこの「観光業界救済策」というアクションは、やっと収まりが見え始めた「コロナ禍」を、再び復活させる狼煙となったようだ。
 
お盆を控えたこの時期に「国民の大移動」を後押ししたこの施策は、たしかに観光業界にとっては一息つく効果をもたらしたようであった。春先からの観光需要低迷からの復活の役割を担い、少なからぬ観光業者にとっては一時的な救済策となったようである。
 
しかしこのキャンペーンは同時に「コロナ禍の第二波」を引き起こす引き金にも成った。7月終わりから8月9月にかけての、二度目の感染者増大といった結果をもたらしたのである。
 
 
 
            
 
 
それに追い打ちをかけたのが9月下旬ごろから始まった「GO-TOトレベル」への、東京都民の参画であり、これを政府主導で推進したのが、9月に安倍晋三前首相に代わって総理大臣になった「菅首相」だったのである。
 
彼はこの施策に固執し、11月ごろから急増しだしたコロナ感染者の増加傾向が、顕著になりだした「現実」には目をつむり続け、「GO-TOトラベル」というアクセルを踏み続けたのである。
 
11月の下旬頃から政府の専門家による「コロナ対策分科会」から、かなり強い口調で「このままでは医療崩壊につながる・・」といった、悲鳴にも近い警告が出されていたにも拘わらず、彼は「観光業界救済策」という経済優先策をとり続けたのであった。
 
 
その結果それまで千人台二千人台といった全国の感染者であったものが、12月中旬辺りから急カーブの右肩上がりに増加し、ついに7千人台8千人台という今日に至る事に成ったのである。
この調子では遠からず1万人を超えることに成るのではないかと、私は懸念している。
 
そしてこの感染者の爆発的増大の原因は、年末年始の忘年会や新年会といった政治家も率先していた飲み会や、帰省/帰郷といった人の移動が、大きく影響していると私はそう見ている。
 
 
では何故菅総理大臣はこのように「経済優先の施策」をとり続けるのか、といった事を考えた時、私は彼の政治の師匠と言われた「梶山静六」という政治家の事を思い出した。
 
現在の通産大臣の父親でもある梶山静六氏は、生前「インフレ(物価上昇)よりもデフレ(不況による経済の低迷)の恐ろしさの方が身に染みている」と、かつて語っていたことを思い出したのである。
梶山氏は昭和初期の世界恐慌による大不況の時代を体験していて、このような政治信条に至った、ということらしい。
 
ひょっとして菅総理はこの梶山氏の政治信条を、強く受け継いだのかもしれない。
政治の師匠として仰ぎ見ていた、梶山静六氏の政治信条を今もなお頑なに信じていて、「経済活動優先」の施策をとり続けているのかもしれない。
そう考えると、コロナ禍の現況での彼の「経済優先策」が納得いくのである。
 
 
「感染症対策」よりも「経済活動」を優先することが招く結果については、アメリカ合衆国の現状を見れば明らかなように、既に明確な結果が出ている。
 
そしてより中長期的に観れば「感染症対策」を徹底した方が、目の前の「経済活動を優先する施策」よりも、早く景気を回復させることに成るというのは、100年前にパンデミックとなった「スペイン風邪」の際に起きた事例でも、明らかである。
 
目先の事に囚われすぎると、中長期的には失敗してしまうのである。感染症の歴史から大いなる経験を学ばなければならない、のである。
しかしながらこの菅総理大臣という人物は、どうも「アカデミズム」や「科学者や専門家の知見」を軽視する傾向があるようだ。
 
感染症の専門家の提言には耳を傾けようとしているようには見えず、「日本学術会議のメンバー任命」問題でも、同様の行動をとっているように観えるのだ。
その「アカデミズム」や「専門家の知見」は軽視し背を向けて、政治の師匠から学んだ政治信条に拘り続けているようなのだ。
 
 
            
 
 
その姿勢は今回の「緊急事態宣言」発令の後もなお、「11か国のビジネスマンたちの出入国」に、コロナ対策を厳しく課していないことを見ても、明らかなのである。やはり彼は相変わらず「経済活動」を優先させているのである。
 
「中国や香港・韓国をはじめ、オーストラリアやニュージーランド・シンガポール」といった国々は、直接的にも間接的にもコロナが爆発的に増え続けている、イギリスやアメリカ等の国々と、ビジネス上の往来や人的交流が多い国々である。
 
それらの国々からのビジネスマンの出入国がフリーパスであり続ければ、到底コロナは収まらないであろう。彼ら「コロナの運び屋」達を野放しにするから、である。
昨年の3月ごろにも起こった事態が、もう一度繰り返される懸念が生じる。
 
即ち昨年の年度末に卒業旅行した学生達や、欧米観光した旅行者が「運び屋」となって、かつての「武漢由来のコロナ」に代わる、「欧米由来のコロナ」を日本国内に輸入し、蔓延させ「コロナ禍」の第二弾を日本に引き起こした。
その時の構図と全く同じ結果を、引き起こすことが予測され得るのである。
 
 
このまま経済活動を優先させて、「11カ国のビジネスマンたちへの出入国の特例措置」をとり続けるようであれば、日本のコロナが沈静化するのは予想以上に時間が掛かるかもしれない。
 
その結果本来ならば生きながらえることが出来た命が、失われ犠牲になって行くのではないかという事が、懸念される。とりわけ基礎疾患を抱えた人々への影響が懸念されるのである。
私の知人や友人の中には、少なからぬ基礎疾患を抱えた人達がいる。彼らは息をひそめて自粛生活を送り、「コロナワクチン」の接種機会を待ち望んでいるのである。
 
その希望のコロナワクチンが、それらビジネス関係者によって新たに運び込まれてくる可能性の高い、「変種し続けるコロナ」には効かなくなることだってあり得るのだ。
既にイギリスではそのような事態に陥り、ロンドン市長が「重大インシデント(=非常事態を予告)」を表明しているようである。
 
現実を直視しないで、専門家の意見や警告を軽んじて自分の「政治信条」に拘わり続ける人が、国のリーダーであると多くの犠牲者が出続けることに成るのかもしれないのだ。
 
今後も経済優先のスタンスを変えず、国民の命や暮らしを慮(おもんばか)らない、口先だけの「国民のために働く」と言うリーダーを、私は厳しい目で見続ける事になるであろう、と新年早々そう想っている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 



〒089-2100
北海道十勝 , 大樹町


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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