春丘牛歩の世界
 
1週間ほど前から、伊豆半島の神奈川寄りのエリアに来ている。
ソメイヨシノが咲き始め、昨日あたりからほぼ満開と言ってよい状態にある様だ。
 
やはり短足寸胴のソメイヨシノの方が、「桜」感があるなと、いつも長身長脚のエゾヤマザクラを観ている私は、感じたのであった。
 
 
 
 
      
 
       
         
 
     
 
 
    記事等の更新情報 】
*4月19日 :「コラム2024」に、「青い春」と「チャレンジ虫」を追加しました。
*3月25日:「相撲というスポーツ」に「新星たちの登場、2024年春場所」を公開しました。
*2月8日:「サッカー日本代表森保JAPAN」に「再びの『さらば森保!』今度こそ『アディオス⁉』を追加しました。
*01月01日:本日『無位の真人、或いは北大路魯山人』に「無位の真人」僧良寛、或いは・・を公開しました。
これにて本物語は完結しました。
12月13日:  『生きている言葉』に過ぎたるはなお、及ばざるが如し」を追加しました。
*9月29日:「食べるコト、飲むコト」 に「バター炒め二品 」を追加しました。
*9月27日;「物語その後日譚」に「奥静岡の鶏冠(とさか)山」を、追加しました。
*6月10日 :『続、蝦夷地の砂金/金山事情・・』に7.紋別市:その2「鴻之舞金山」を追加しました。
 
 

  南十勝   聴囀楼 住人

          
                 
                                                                   
  
        
 

会員制サイト開設
      のお知らせ
 
2023年4月より「春丘牛歩の世界アーカイブ」を下記に開
設いたします。
このHPの情報量が多くなったための整理と、当該HP閲覧者内の濃密な閲覧者との交流を
目的としています。
有料会員制ですが、ご興味のある方は下記アドレスにコンタクトして頂けると幸いです。
 https://ofuse.me/gyu00ho
(春丘牛歩アーカイブ&フレンズ)
 
 
 
 
   
      
 
 本日、遅まきながら政府から全国への「緊急事態宣言」が発令されました。
全国規模での一斉の対応は、2月27日の「小中高学校休校宣言」からほぼ50日過ぎたものとなっています。
この状況の変化に連動する形で、私なりに「新型コロナウィルス」に対するスタンスを替えることといたしました。これからしばらくは本腰を入れて、自分なりに思うことを発信し続けていきたいと思っています。
 
それに伴いこれまで何回か書いてきたコラムを、こちらに集約することにします。
相変わらずの独断と偏見に基づくコラムに成りますが、できるだけ客観的なDATAを使うように努力したいと思ってはいます。
尚、これまで「コラム2020版」で発表してきた新型コロナ関連コラムに関しては、重複しますがそのまま残しておくことにします。    ―2020.04.16―
 
 
             
 
      *2023年3月22日:「アディオス⁉コロナウィルス」
            *2022年4月28日:「コロナ禍は収束に向かうのか?」
            ー 以下は2021年 ー
      *12月10日:「オミクロン株」についての妄想
         *5月18日:「居住地」&「生活圏」はセットで、がリアル
      *2月28日:どうやら「解決策」が見つかった・・ 
                        ― 以下は2020年 ―
            *12月16日:駅前PCR検査センター
      *11月7日:コロナ禍の「第二波」及び「第三波」 
      *7月 7日:Withコロナあるいは、感染症との共生
      *5月15日:北海道とコロナウィルス3
                  *4月24日:コロナ報道とジャーナリズム
      *4月20日:「新型コロナウィルス対応―知恵の蔵―」
      *4月12日:コロナウィルスと為政者 
      *4月 1日:北海道とコロナウィルス2
      *3月20日:観光地とコロナウィルス
      *3月 1日:平常時と緊急時
      *2月27日:北海道と新型コロナウィルス
      *2月20日:新型コロナウィルス
      
 
 
 
 
 

 アディオス⁉コロナウィルス(2023.03. 22)

 
ほぼ三年前の2020年2月より、日本を始め地球全体を覆っていた「新型コロナウィルス:CoviD-19」の終息宣言が、先日日本政府によって実質的になされた。
その象徴が3月13日に公布された「公共の場でのマスク着用義務の撤廃」であった。
 
感染症としての厚労省の位置づけも「2類相当」から「5類扱い」へと緩和され、インフルエンザ並みの「季節性感染症」と認定されたのであった。
 
今後はワクチン接種等も個人の負担が中心になって行くようである。
この事は素直に喜ばしい事だと、私は思っている。
 
従って今後当該コラムを続けて行く必要も無くなり、「2020年~23年に起きたパンデミック時の記録」という、過去のアーカイブとして私も扱って行く事としたい。
 
 
とはいえこの三年間の出来事に関しては私自身はしっかりと記録して置き、この一連のプロセスによって「学習した事」や「知り得た事」等を、ちゃんと整理しておく事の大切さは自覚している。
 
そんなこともあって私は、家族を初めとした周囲の人々や当該HPをご覧いただいている方々にも、一つの区切りとして改めて取り纏めておく事が大切であるとして、今回の「総括コラム」を残しておきたいと思っている。
 
下記はその「総括」であり、今後私自身や家族を含めた後に続く人々が、将来遭遇する可能性の高い「パンデミック」が起きた時に、紐解いて参考にして欲しいとそう願っている事柄である。
 
 
      ♠    ♠    ♠     ♠     ♠
 
 
1.今回のパンデミックは、これまで人類を襲ってきた「コレラ」「ペスト」「天然痘」「スペイン風邪」といった、かつて人類にとって「種の存続」に多大な影響を及ぼしてきた、重大/重篤な感染症の中の一つであり百年単位で、周期的に繰り返される「出来事」の一つであった、という認識が必要だと考えている。
 
その結果死者や罹患者の数も「数百万人」「数千万人」といった単位のモノであり、親類縁者や知人も含めて多大な被害や影響をもたらした、将に「パンデミック」の名に相応しい感染症であり、歴史に残るハプニングであった、という事である。
 
そしてそのハプニングに襲われ、その中で生き延びたのが今残っている私達である、という位置づけや自覚が大切だと思っている。
 
 
と同時にこの種の「感染症」は今後も周期的に発生し、繰り返される可能性が極めて高い「出来事」である事を忘れてはならない。
 
更にかつての「スペイン風邪」がその収束にほぼ三年間の月日を要したように、今回の「コロナ禍」も終息には同様の年数を費やしている。
 
そしてこの三年間の間「CoviD-19」自身が、人類という新しい宿主との共生を図るために「自己変貌」を遂げ続けた事も忘れてはならない。
 
 
コロナウィルス自身が「種の存続」のために、4回も5回も自己変革を遂げることで「コロナワクチン」への対処=回避を行い、バージョンアップを繰り返し、最後は「オミクロン株」に到達し、弱毒化を進め人類との共生を可能にしてきたのであった。
 
この三年間という月日は、そのための自己変革の期間でもあったわけである。
この事も記憶にとどめておく必要がある。
 
であるとするならば今後新たな感染症が発症し、世界をパンデミックが覆う事態が生じたとしても、収束にはやはり三年くらいの年月が費やされる、という事を予め覚悟しておいた方が良いのではないか。
「ワクチン開発」と共に、ウィルス自体が行う「自己変革」にそれなりの時間が必要なのだから・・。
 
 
 
     
          自己変革を繰り返し、弱毒化に向かったコロナウィルス「オミクロン株」
 
 
2.次にこの様な「歴史に残る重篤な感染症」に社会が襲われた時に、国家や政府を統治する人達=政治家や官僚たちが、どの様な行動を執る傾向があるのかを知ることが出来たのかを確認する必要がある。
 
とりわけ私達が生活している「日本」という国において、国家の統治を委任/委託された政治家や官僚達が、このパンデミックに対しどの様な行動を執る傾向があるかを、知ることが出来たその事実を忘れてはいけない。
 
「平時」ではそれなりに機能し廻っていた彼らの統治能力が、「有事」に遭遇した時にどの程度機能し、役割を果たし得るのかを理解することが出来たのである。
 
結論から言えば「平時」に役立つ政治家や官僚は、必ずしも「有事」には役に立たず機能しない事が、ハッキリ/クッキリと判りそれを確認することが出来た。
 
 
戦後最長の総理大臣を務めた政治家や、その番頭を務めた後継者が「平時の統治」は出来ても、「有事の統治」には殆んど有効な手は打てず、役に立たなかったという事実が確認出来たのである。
 
この事実から学ぶことがあるとするならば、「平時の統治」を委ねる政治家や官僚と「有事の統治」を委ねる対象は異なる事から、そのような事態に遭遇したら出来るだけ早く、リーダーを取り換える必要がある、という事であろう。
 
無能なリーダーや役に立たない統治者や官僚達に国のかじ取りを任せていては、いたずらに命を落とす犠牲者の数が増えるばかりである。
 
社会が「パンデミック」に見舞われた時には、国家や社会を経営し運営する役割を付託されている人達の、「執行者としての資質や能力」を厳しく問いそれが不可能なら、それ等に的確に対処し乗り越える事の出来る、能力や資質を持つリーダーに取って替わらなければならないのである。
そしてその事を強く要求しなくてはならない、という事である。
 
 
それが出来得ない状況であれば、「パンデミックに見舞われた時」は最低3年近くの間は、政治家や官僚を当てにしないで自らの大切な人達を守るための、冷静で的確な対応を自分自身でとり続けなくてはならない、という事になる。
 
ウィルスの増殖を阻害する薬などを積極的に活用し、ウィルス自身の弱毒化である「自己変革」の到来を、じっと待つ事が有効であろうと私は考えている。
 
          
                   
 
 
                       
3.最後に今回の「感染症によるパンデミック」が、私達の今までの常識や慣習を「立ち止まって考え」、「見つめ直す」機会やチャンスを与えてくれたのもまた事実であった。
 
具体的にはコロナ感染を避けるための「3密回避」の手段として「リモートワーク」や「時間差出勤」が推進され、従来当たり前だった「出社勤務体制」や「均一的勤務形態」が、根本から見直されるきっかけを作った事である。
 
「平時」であれば当然とされ、そうする事が求められてきた従来の「働き方のあり様」が、根本から問い直され見直すきっかけになったのである。
 
「月曜日~金曜日までの出勤」「9時~17・8時までの労働時間」といった、従来の「働き方の常識」や「共通意識」が、感染症防止のための「他者との接触」「物理的な空間の共有」が制限された事で、改めて再考を余儀なくされたのであった。
 
 
「パンデミックにおける仕事のあり方」として、最も合理的で効果の良い「働き方は何か」が問われ、見直しが行われた結果登場したのが今回の、「リモートワークの推奨」や「時間差出勤の推奨」といった事であった。
 
今回の様な「大事」に遭遇した時に人も社会も、これまでの「常識」や「慣習」の正当性や価値を、改めて考え直すきっかけとなるのである。
 
 
更に大切な事は、それらの「新しい働き方の見直し」が個人の「ライフスタイル=生活の仕様」の見直しに留まることなく、「社会のルール」や「約束事」の見直しに向かった事である。
 
個々人の行動の変化はもちろん大切な事ではあるが、それ以上に「社会のルール」や「約束事」が変化し、それが「社会全体の変化」となった時に世の中が大きく動き、新たな「社会の共通認識」が形成され、共有されるからである。
 
とりわけ日本の様に、周囲を見ながら行動する人達が多い社会にあっては、この変化は大きな影響力を持ってくる。
 
 
コロナウィルスがもたらした、「リモートワークの浸透」や「時間差勤務の普及」という大きな動きは、「IT技術の発達」や「AI活用の浸透」といったテクノロジーの普及や浸透と共に、私達の「働き方の有り様」を劇的に替えて来た。
 
社会の底流を静かに深く流れ、広く浸透していた「テクノロジーの変化」と、パンデミックがキッカケで発生した「社会の共通認識の変化」の相乗効果は、日本人はもとより世界中の働き手たちの「働き方の常識」を替えたのであった。
 
この事実を私達はしっかり受け止め認識しておいた方が良い、と私は想っている。
社会や世界を覆い尽くすパンデミックという強烈なインパクトは、やはり大きな社会変革を促すきっかけにも成り得るのだ、という事を今後も覚えておいたほうが良いのである。
 
 
以上が私が今回の「新型コロナウィルス」に遭遇した三年間を振り返って、「学び」「痛感した」事柄のコアな部分である。
 
そして今後も周期的に感染症の大パニックが起こり得ることを鑑みて、上記の事項を私自身の大切な人達に伝え残しておきたい、と考えているのである。
 
 
      アデェオス コロナウィルス
 
                                    
 
 
 

コロナ禍は収束に向かうのか?(2022.04.28)

 
ついに「コロナウィルス」はインフルエンザ並みに弱毒化していったのだろうか・・。
先週辺りの日本政府の「感染症対策分科会」等においては、これまで2年間以上人類を苦しめてきた「新型コロナウィルス」に対して、新たな評価を下し始めているようである。
 
即ち「オミクロン株」の登場以来起きているコロナウィルスへの爆発的な感染者数の増大が、「無症状」や「軽症」にとどまり必ずしも「重症化」「重篤化」をもたらさない、「弱毒化」したウィルスであるかもしれないという事に気が付いたようである。
 
 
実際のところ北海道のコロナウィルス感染者はかなりの感染力で、日々感染者数を更新していたりするのであるが、それに伴う「入院者数」や「中等症以上の感染者数」といった指標では、いずれも一桁台にとどまっている。
 
この傾向は3月の中旬以上から明確になってきているようだ。
更に感染者の年齢層などの分析によると「30代」「20代以下」といった若年層の感染率が7・8割を占めるようになっているという。
しかもこれはワクチン接種率と、ある程度関連しているらしいのである。
 
2・30代の若年層にはワクチン接種を拒否する世代が一定数いるという事で、そのワクチン未接種者との感染率増加がリンクしているらしいのだ、という。
 
この若年層のワクチンに対するある種のアレルギーは、ひょっとしたら「子宮頸がんワクチン禍」の経験がトラウマになっているのかもしれない。
また根拠のないSNS等での「ワクチン不要論」や、過度の「ワクチン禍」の流布などに影響されているのかもしれない。
 
 
いずれにせよそのような非科学的で非論理思考の人々は、国内にとどまらず世界中に一定数いるだろうから、その人たちが罹病し一定数重篤化するのは仕方ないコトであろう。
問題はその一定数の人々のために多くのコミュニティや自治体が、日常生活や通常業務を制限する事にあるのである。
 
現在の中国上海の様に「ロックダウン」や「ゼロコロナ政策」の継続によって、日常生活や経済活動に大きな制限や制約が掛かり続けることに、問題があるのだ。
 
「コロナウィルス」がもたらす「禍い」は軽視することは出来ないが、現在の新種は3年前に突如人類を襲った「ウィルス」とは、既にその態様を更新しているのである。
 
即ち昨年秋以降登場した新種の「オミクロン株」に、ウィルス自体が「自己改造」している事や「弱毒化」しているという現実を冷静に受け止め、判断する事が必要なのである。
更にワクチン接種という対応策も功を奏している。
 
この様な状況の変化に政府も気づき、それを認め「4度目のワクチン接種」についてはその対象者を「60代以上」「基礎疾患のある人」といった範囲に限定するようである。
 
これは「オミクロン株」以降の新ウィルスが、われわれ日本人を始め人類にとって身体や生命を脅かすような危険な存在では無く成った、「共存可能な」ウィルスである。
という事を政府・厚労省やその分野の専門家たちによって、コンセンサスを得て共通認識化されている事を意味している。
 
ついに「COVID-19」の新型ウィルスは、「オミクロン株」という自己変革によって人類と共存する方法を確立した、という事が出来るのかもしれない。
 
しかし「ワクチン接種を拒否する人々」は、この恩恵はあずかれないかも知れない事は認識しておかなくてはならないであろう。
客観的で冷静に判断する習慣や能力を有しない人々が今後しばらく、コロナウィルスの犠牲者になり続けることに成るのは自業自得であろう。残念な事である。
 
しかしながら多くの人々にとって、このままの状態が推移して行って、今年の秋頃には新型コロナウィルスが、インフルエンザ並みの存在になって行くことを、大いに期待したいものである。
かつてのスペイン風邪がそうであったように・・。
 
 
 
 
              
 
 
 
 
 

 「オミクロン株」についての妄想(2021.12.10)

 
 
今年の6月頃から世界に広がったコロナウィルスの第五波「デルタ株」が、日本で急速に収束し始めたのはこの9月の上旬ころであった。
その要因は未だ明確に特定されていないが、ワクチン接種率が60%を超えた事などが大きく寄与しているのではないかと、専門家などは分析しているようである。
 
と同時期に推論として、感染症専門家の一部が言い始めたのは「ウイルス自身が自壊」し始めたのではないか、といった説である。
「エラーカタストロフ」といった理論であるらしい。
 
この「ウィルスの自壊作用」という現象は、新型コロナでは初耳であったが他のウィルスの世界では実際に起きている現象であり、それを発見し唱えだしたのはノーベル化学賞を受賞したドイツのアイゲン博士で50年近く前の事だという。
 
 
その様な分析が行われている最中に、先月辺りから第6波の発生と成り得るコロナウィルスの新種が南アフリカ周辺で確認され、「オミクロン株」と名付けられた。
 
この「オミクロン株」というコロナウィルスの新種は、非常に伝番力が強く「デルタ株」等に比べ4倍近くの拡散力がみられるのだという。
そしてその拡散力の強さが、「第六波の到来か?」として多くの医療関係者の懸念や警戒を招いているようだ。
 
ところがこの「オミクロン株」は幸か不幸か現時点では、必ずしも感染者の重篤化を引き起こしていない、というのだ。
 
主たる発生地とされているアフリカ大陸最南端エリアにおいても、伝番力の強さに関する報告は連日のようになされているが、死者や重病者が著しく増加しているといったたぐいの報告は殆どなされていない。
現時点では、多くの罹病者は「軽症」や「無症状」といった事らしい。
 
これはいったい何を意味しているのであろうか?と私は改めて考えてみた。
ひょっとしてコロナウィルスの中で、何か新しいことが起きているのではないか、という想いが募って来たのである。
 
 
 
                     
                     COVID-19:これまでの新型コロナウィルス
 
 
その結果、現在私は下記の様な妄想を抱き始めているところである。
ひょっとしてこの新種「オミクロン株」は、従来のコロナウィルスとは根本的に違った「新しいバージョンのウィルス」に成るのかもしれない、と妄想し始めたのである。
 
「オミクロン株」の感染が懸念され始めてまだ二か月に満たない時点で、断定的な事はもちろん言えないのであるが、ひょっとしたら今起こっている事は「新型コロナウィルス」の生き残り戦略として、ウィルス自身が自らを改造しているのかもしれない、という想いが沸き上がって来たのである。
 
即ちコロナウィルス自身の中で「自己改造」が進行しているのかもしれない、と想い始めたのである。
 
ちょうど今から二年ほど前に中国武漢辺りで発生した「新型コロナウィルス」は、長い間コウモリなどを宿主として、秘かにおとなしく生息していたのであったが、その後偶然にも武漢辺りの野生動物の取引市場を介して哺乳類の体内に入り、人類をその宿主に選ぶことに成った。
 
その結果かつてコウモリなどを宿主として生存し続けたこのウィルスは、新しい宿主である人類の身体の中でハレーションを起こし、重篤化をもたらし多くの場合人類を死に至らしめた。
その重毒性によって、このウィルスは私達人類をパニックに陥れたのである。
 
その「COVID-19」ウィルスは、またたく間に人類の間に広がり、感染症として人類社会にパンデミックを引き起こし、あっという間に地球を覆ってしまったのだった。
 
その危機に対処すべく人類は幾つかのワクチン開発を行い、それら新型コロナウィルスに対して攻撃を始め、ワクチン接種によって幸いにも多くの場合ウィルスを撃退することが出来た。
 
 
ところがこのワクチンの登場は、人類にとっては福音であったが、ウィルスにとってはそうではなかった。人類が発明したワクチンは「COVID-19ウィルス」にとっては、自らの存在を根本的に脅かす事態に陥った、ことを意味している。
 
即ち「COVID-19」というコロナウィルスにとって、人類が始めたこれらワクチン接種の普及は、自種にとっては「生きるか死ぬか」の大問題に発展したのである。
 
ワクチン接種の普及により追い詰められた「COVID-19」が、存亡の危機に直面した時にとった行動が、先の「エラ―カタスロフ=自壊」といった現象だったのではなかったか、と私は妄想をたくましくしたのである。
 
即ち自らが人体という新たな宿主の中で生き延びるためには、従来型の=コウモリを宿主したウィルのままで居ては、ワクチン等によって死滅させられしてしまう、と悟り自らを新しいバージョンに自己改造する、という事態が起こったのではないか、と私は妄想し始めたのである。
 
その結果ひとまず「自壊」「自滅」し、一旦自身の基本構造をスクラップした後で再生し、甦(よみがえ)るために自己改造を始めたのではなかったか、との仮説=妄想が湧き上がったのである。
 
 
要するに人類が開発したワクチンからの攻撃を逃れ、自らの種を何とか生き延べさせようとして、自らの態様(?)をスクラップ&ビルドしたのではないだろうかと、妄想したのである。
即ちウィルス自身の手によって「コウモリ仕様」から「人類仕様」にチェンジし始めたのではないかと・・。
 
その結果誕生したのが今回の「オミクロン株」ではないだろうか?
そして従来型と比べ30か所以上を自ら変異させたというこの新種は、新たに甦るために「自壊」という自己改造による再生のプロセスを、この9月頃から始めたのかもしれないといった風に、私は妄想するようになったのである。
 
ウィルス自身の自己改造によって人体への影響を「重毒性・強毒性」から「弱毒性」にチェンジさせることにより、宿主である人類が造るワクチンからの攻撃を避け、自らの種の存続を図ったのではないだろうか?
 
そしてそのプロセスを経て、「人類との共存」を図ろうとしているのかもしれない!
などと妄想し始めたのである。
 
 
 
             
          従来型と比べ30か所以上変異している「オミクロン株」
 
 
コロナウィルスの「COVID-19」は、「オミクロン株」へと自己改造する事によって人体へのハレーションを「弱毒化」させ、その結果「無症状」や「軽症化」とすることで、宿主である人類にとって出来るだけ無害な存在に成り、結果的に「人類との共存」を図ろうとしているのかもしれない、などと今の私は妄想しているのである。
 
そんな風に考えた時に、20C初頭の経済学者シュンペーターが唱えた「創造的破壊」といった言葉や、進化論者のダーウィンが唱えた「環境に適応しない生物は生き残ることが出来ない」といったたぐいの言葉が、私の頭の中を巡り始めたのである。
これらの知的先駆者の格言が私の妄想を、いっそう後押ししているのである。
 
 
このような私の頭の中で起きている妄想はさておいて、この「オミクロン株」に関する私のこの妄想に答えが出るのは、たぶんこれから1ヶ月先か、はたまた3ヶ月先か6ヶ月先に成るのではないかと、そう考えている・・。
 
いずれにしても客観的で科学的な医療現場からの報告や分析が進んだ時に、この妄想への回答が得られるのではないかと、私は期待している。
 
そしてもし「オミクロン株」がウィルス自身が人類との共生を願った、人体への影響の少ない「弱毒化したウィルス」にチェンジしたのだとしたら、人類は現在の様なパニックに陥らず「新型コロナウィルス」と共存し、暮らしていけるのかもしれないのである。
 
その様なプロセスが妄想どおりに実現したら、私達人類は「新型コロナウィルス登場」以前の「日常」を取り戻すことが可能になるのであろう、と期待している今日この頃なのである。
 
 
 
 
 

居住地」&「生活圏」はセットで、がリアル(2021.05.18)

 
3回目の緊急事態宣言が延長された現時点においても、コロナは一向に収まる気配がなく、「第4波」は将に真っ只中である。
 
更に近い将来、現在深くひそかに浸透しつつある「インドの変異株」によって「第5波」が引き起る可能性は、残念ながら非常に高い。
 
 
そんな中で私にとって不思議でならないのは、今もなお都道府県をまたがって猛威を振い続ける感染症の対策責任者が、相も変わらず各行政単位の首長であり続けている、という事である。
 
「それは明治以来の日本のガバナンス(統治機構)の基本単位が、都道府県をベースとした行政組織の上に成りったているから、そうなっているのは当たり前である」という教科書的な応えが聞こえてきそうである。
 
しかしこの論理は「平時の論理」であり、今日の様なコロナ禍で起きている「有事」や「非常時」にはあまり役に立たないし、一部の自治体を除き実際効果も十分上がっているとは言い難い
それでは一体どこに問題があるのか、について私はここで考えてみたい。
        
 
かつて私が住んでいた千葉県東葛エリアの「松戸市/柏市/船橋市/市川市/浦安市」などは、「千葉都民」と言われた人々が多く居住している地域である。
 
彼らは江戸川を挟んだ、東京の対岸(かつて都民は「川向う」と言って区別していた、という)に居住しながら、通勤/通学先が東京都内に在るため、毎日朝夕にその間を往復しているのである。
 
当時マーケティングの世界では、このエリアに住む人々を「国道16号線以内」と「それ以外」という括りで区分してとらえていた。
 
これは千葉だけの事ではなく、神奈川や埼玉でも同様であった。
即ち「多摩川の先の神奈川県」や「荒川を越えた先の埼玉県」の問題でもあった。
 
そして概ね国道16号線以内に住む彼らの事を、ネイティブな(生まれながらの)千葉県民や神奈川県民/埼玉県民と区別するために、「千葉都民」「神奈川都民」「埼玉都民」と言って区分していた。
実際のところ彼らが日中の多くの時間を過ごす「生活の場」は、住民票の在る「千葉」「神奈川」「埼玉」ではなく、勤務地や学校の在った東京都内であったのだ。
 
 
 
              
                                             赤線: 国道16号線
 
 
そしてその現実を分析するのにマーケティングに携わる私達は、「夜間人口」VS「昼間人口」という国勢調査から得られるDATAを参考にしていた。
「夜間人口」は住民票の在る地域を指し、「昼間人口」は通勤/通学先で日中に生活している場所を指している。
 
因みに下の図表は、2015年(平成27年)の国勢調査結果の抜粋である。(東京都が作成
 
これを観ても明らかなように「千葉都民:72万人」「神奈川都民:107万人」「埼玉都民:94万人」が、殆ど毎日東京都と居住地を往復しており、その数は合計で280万人強が存在しているという事に成る。
 
従って「東京」について論じる時は、同時に「千葉県」「神奈川県」「埼玉県」についても論じなければ、殆ど意味がないのである。
逆に周辺県について論じる時にも「東京」を外しては、殆ど意味がないのも同様だ。
よく「一都三県」と一括りで言われるのは、このような「生活圏」の実態があるからなのである。
 
 
このことから明らかな様に、感染症対策について論じるに際しては「居住地」についてのみ論じるのではなく、同時にセットで「生活圏」についても論じられなくては殆ど意味をなさない。
 
従って真剣に「コロナ対策」を行うのであれば既存の行政単位に固執するのではなく、都道府県を越えた「生活圏」単位で「タスクフォース=プロジェクトチーム」を創って、対策を練り実行していかない限り、効果は限定的に成ってしまうのである。
 
 
        
              「一日当たりの人口移動者数」
 
 
そしてこのことは首都圏だけの問題ではなく、私が現在住んでいる広大な面積の北海道であれば、「札幌圏」でも起きている事であり、関西でいえば「大阪圏」、東海エリアで言えば「名古屋圏」、九州であれば「福岡圏」でも全く同じ事が言えるのである。
それは都市構造が同じだから、である。
 
繰り返すがコロナ対策は住民票の在る「住所」だけでは不十分であり、日中の大半を過ごしている通勤/通学先の「生活圏」をセットに含めない限り「ザル」なのである。
その現実を見誤ると、あまり効果の無い対策に何百億円も何兆円も費やすことに成ってしまう事に成るのである。
 
行政府のリーダーがこういった現実を前提に対策を練らない限り、永遠に有効な対策は得られないであろう、と思っている。
そして目の前で起きている都道府県境を越えた「コロナの拡散や蔓延」を止めることは期待できないであろう、と私はそう想っている。
 
 
 
  

 どうやら「解決策」が見つかった・・(2021.02.28)

 
 
昨年の今頃から日本中を、そして数か月後には世界中をパニックに陥れた「新型コロナウィルス」への解決策がどうやら見つかったようだ。
 
先日、例の「報道1930」というBSのTBS放送で、この話題を取り挙げていた。
我が家では去年の「コロナ騒動勃発」以来、夕飯を食べながらこのチャンネルを視聴するのが常に成っている。
 
BS放送に地上波を含めて20近くの放送局が日本にはあるが、まともなジャーナリズムと呼べそうなのはこの放送だけだと、我が家の独断と偏見ではそう評価が定まっている。
 
もちろんこの番組も「コロナ問題」だけを扱っているわけではないため、毎回欠かさずというわけではないが最初の30分は、当日のニュースバリューのある情報は必ず扱っているから、必然的に「コロナ問題」は避けて通らずむしろ積極的に扱っているので、初めの30分はほとんど観ている。
 
 
日本放送協会の19時の「報道番組」即ち午後7時のニュースを見終わった後、こちらにチャンネルを切り替えるのである。
 
この番組はかつて久米宏や古舘伊知郎がMCをしていた「報道ステーション」なき後、殆ど唯一の「ジャーナリズム」と言ってもよい番組で、取り上げるテーマを掘り下げて、必要に応じて何度でも繰り返し追及している。
 
招聘しているゲストもその道のプロフェッショナルが多く、その専門的な知識や情報から得るコトが多い。更にこの番組では、決して御用学者や御用研究者が招かれることはない。それが我が家では視聴の魅力に成っているのであろう。
 
 
 
その「報道1930」において、先日「新型コロナウィルス」を「完治する特効薬」が存在することを、判り易く報道していた。
 
今朝の関口宏の「サンデーモーニング」でも、当該番組のニュースキャスターである松原耕二氏が発言していたが「イベルメクチン」の事である。
 
この薬は数年前にノーベル賞をもらった、「大村智教授」が発見した「寄生虫駆除薬」の事であるが、この薬が「新型コロナワクチン」に対して大いなる効果を発揮し、期待もされている、という事だ。
もちろんそれは日本を除く諸外国において、である。
 
 
今から50年近く前に大村教授によって発見され、以後アフリカや中南米などの途上国において「風土病」として扱われることの多かった「寄生虫由来の病気」への特効薬として効果を発揮し、30億人とも40億人ともいわれる人々の病を救ったことが評価されての,
ノーベル賞受賞であったという事らしい。
 
大村教授は授賞式の前後に茶匠の様な帽子を被り、ニコニコと眼鏡をかけた好好爺然としていた御仁である。
 
 
               
 
 
この事実を取り挙げた先日のゲストは,「大村教授の愛弟子(?)」の北里研究所の花木教授と、自民党のコロナ対策の責任者の一人武見議員、それに「ものを言う」ノーベル賞受賞者本庶佑教授の三人であった。
 
専門的な効果について私は詳しくないのであるが、この「イベルメクチン」の働く効果
「新型コロナウィルス」が「人間の細胞」に入ろうとする際に、その活動を遮断するのだ、というのである。
更に「新型コロナに罹かった細胞」が増殖しようとする時にも、やはりその活動を遮断するのだという。
 
という事はどういうことかというと、この「イベルメクチン」を摂取した人間は「コロナウィルス」の「細胞への侵入」を防ぐことが出来、体内で他の臓器などに伝染することも起きない、という事に成るらしい。
 
即ちこの薬を服用すると「コロナウィルス」は増殖もしないし、運悪く罹病した人が他の臓器への機能不全(サイトカン)を起こすことがない、という事らしいのである。
 
 
この「イベルメクチンの効果」をアメリカ議会で証言したアメリカの大学教授はこの薬の事を「奇跡の薬」と呼んだという。
このことが事実であれば将に人類をパンデミックに陥れている「新型コロナウィルス」にとっては、永遠の「天敵の薬」であり、人類にとっては「奇跡の薬」なのであろう。
 
 
更にこの「イベルメクチン」は、錠剤であるのだがその錠剤を1度か2度摂取すれば、「かなり長く」効果があるのだという。
何故「かなり長く」というのかというと、「新型コロナウィルス」が登場してからまだ1年しか経っていないから、何年続くか検証できていないため「かなり長く」という事に成ってるらしい。
 
「イベルメクチン」は体内に残っている時間が長く、体外に排出されにくいため、1度か2度摂取すればほぼ永遠に、効果が続く可能性があるらしいのである。
 
そしてこのウィルスへの効果が「ウィルスの増殖行動そのものを遮断する」点にあるのであれば、そのウィルスが「イギリス型」や「南アフリカ型」「ブラジル型」に変異したとしても一切関係がなく、効果があるという事に成るのではなかろうか。これは私の推測だが・・。
 
もしそうなら将にイベルメクチンは「奇跡の薬」なのである。
 
 
 
 
              
 
 
 
そしてこの事実に着目している国々は「南アフリカ」や「ペルー」「バングラデシュ」といった発展途上国や「イギリス」「アメリカ」「オーストラリア」といった世界の27カ国であり、この中には「日本」も含まれている、という。(2021年1月時点)
 
ところが大村教授の発見したMade In Japanの「奇跡の薬」を積極的に活用しようという考えが、日本政府即ち厚労省には今のところ無いようである。
 
自民党の武見議員によれば、厚労省の行っている治験では望ましい結果・成果が出ていないから、という事らしい。
 
その件に関しては大村教授の「愛弟子?」花木教授は、その治験の手法がかなり恣意的で限定的な条件下で行われているからではないか、と疑義を呈していた。
 
 
私には専門的なことは判らないが、これまでの「PCR検査の普及」や、「国立感染研のコロナウィルスへの対応」を見ていて、厚労省の対応がかなり不的確であると感じていることから、この「イベルメクチン」の治験の在り方に関しても、花木教授の指摘の方に信を置いている。
 
ハッキリ言って私は厚労省の「新型コロナウィルスへの対応」には不信感を抱いているのである。
そしてその厚労省を重用してきた「安倍内閣」や「菅内閣」に関しては、無能な内閣であると、私は独断と偏見で断定している。
何故ならば厚労省も内閣も、緊急時であるにも拘らず平常時の対応しかして来なかったからである。
 
これはイデオロギーの問題や政治の立ち位置の問題ではない。
目の前に起きている課題に対する「対処能力の有無」の問題なのである。
課題を的確に把握した上で対処することが出来ない人間は、ハッキリ言って無能な人間たちなのである。
 
従って現在の無能な内閣には、この「イベルメクチン」の積極的な活用を私は期待してはいない。
何周遅れか、何年遅れかは知れないが世界の大勢が「イベルメクチン」の効用を認めた後でなければ、厚労省の「優秀で出世意欲に溢れる」官僚たちは動かないであろう。
 
 
私は政治家ではないので、その事を攻撃もしないし追及もしない。そのために時間とエネルギーを使うつもりはない。
しかし「駅前PCR検査」の登場や民間企業が推進力となっているPCR検査の普及が象徴するような、民間企業の活躍には大いに期待している。
 
この問題に関しては、「真剣にこの問題を解決しようと想っている」専門家による知見や情報を得て、しっかり裏をとることは必要条件であるのだがそれがクリアできれば積極的に「イベルメクチン」を活用すべきであると、私は想っている。
 
「新型コロナウィルスへの対処」に関しては、既に答えは出ている、のである。
 
 
答えが出ている以上は、無能な政治家たちや官僚たちは放っておいて、有能な科学者の英知と、企業人たちの問題意識とビジネスチャンスへの情熱を推進力に、そのアクションを阻害する障害物を取り除いて行けばよいのである。
 
そしてジャーナリズムはそのプロセスを的確に把握し、視聴者に伝え報道し世論を喚起し続ければ良いのである。
 
「新型コロナウィルス」を駆逐するためには、こういったプロセスがとても大事であると、私はこの報道番組を観て以来、そう考えているのである。
 
 
因みにウィキペディアの「イベルメクチン」や、北里大学の花木教授の報告書「経口薬イベルメクチンの世界的評価(2021年2月2日)」をインターネットで検索すれば、より的確で詳しい情報が得られるので、ご興味と関心のある方にはご一読をお勧めする。
 
 
 
 
 

  駅前PCR検査センター(2020.12.16)

 
 
この12月に入って、嬉しいニュースが飛び込んできている。
「JR新橋駅前」と「東京駅付近」に相次いで民間企業の「PCR検査センター」が開業し、いずれも2千円/3千円という極めてリーズナブルな料金で利用が可能になっている、という事である。
 
実は私はこの10月中旬から11月の上旬に掛けて、主として現在取り掛かっている『甲斐源氏と常陸之國』を書くための取材と称して、関東に出張していたのであるが、その帰りの途に着く前にPCR検査を実施してきたのであった。
 
北海道の自宅に帰るに際して家人から出された条件が、「どこかのホテルでの2週間の待機」または「PCR検査での陰性の証明」であった。
で、私は後者を選択したわけである。
 
 
インターネットで「唾液検査によるPCR検査」の実施機関を探し、私はそこを使って検査を済ませたのであった。結果は「陰性であった」ので、ホテルで待機することなく速やかに自宅に帰ることが出来た。
 
その時の費用は「15,000円」がうたい文句であったが、実際には税金や送料等が掛かり「18,000円」近くであった。
 
それでもホテル代よりは安く済んだので、「損をした」という気持ちはなかった。
とはいえこの値段が妥当だと思っていたわけではなかった。
因みに夏休みに帰省した息子がクリニックでPCR検査を受けた際の、35,000円近くよりは明らかにリーズナブルだと思ったので、その時点では「お得感」があった。
 
 
そもそもこの検査料金が2万円~3万円という金額で高止まりしているのは、今年の二月頃に厚労省が設定したスキームに起因しているらしい。
 
この春ごろに、前の総理大臣がPCR検査を増やす増やすと公言していたが、当時から検査能力自体は10万人近くあると言われていたにも拘らず、実際には1万人前後にとどまっていた原因も、厚労省のお役所仕事が原因となっていたようであった。
 
この八月ごろからやっと3・4万人のPCR検査が行われるようになったが、それは唾液検査の有効性が認められるようになったから、という事である。
 
そして秋ごろになって、唾液検査を中心にコロナ感染の陽性/陰性が判別される仕組みが浸透し、その恩恵で私なども唾液PCR検査を利用することが出来たわけである。
 
 
しかしながら11月までは15,000円前後という検査料が掛かり、なおかつ広告などで盛んに宣伝している、民間のクリニックや検査機関を利用するしか手段はなかった。
少しずつ改善はしていたのであるが、それでも限られた人数での検査の受診という状況が好転することはなかった。
PCR検査を実施していたのは、全国でも一日当たり3・4万人に過ぎなかった、という。
 
そんな中である種の閉塞感を打ち破る、将に快挙といってよいのが今回の「駅前PCR検査センター」の登場であった。
 
検査場所はJR新橋駅前と、東京駅の徒歩圏内であるというアクセスビリティの高い場所である。しかも冒頭述べたように2・3千円という手頃な値段である。
 
 
 
               
                    新橋駅前
                 
 
そのビジネスモデルを構築した企業は「㈱新型コロナ検査センター」と「ダナフォーム」という会社であるという。
 
因みに前者は住宅開発メーカーの「木下グループ」の子会社であり、後者は理化学研究所系列のスタートアップ企業=ベンチャー企業であるという。
 
いずれも既存の業界や厚労省とのしがらみの薄い、当該分野に関してはベンチャー企業であるという点が興味深い。
 
PCR検査に関してはソフトバンクや楽天なども行っていたようであるが、これらのベンチャー企業が活発に動き回ることで、従来の仕組みをガラリと替える創造的破壊を行って、全国に普及/伝播することを、私などは大いに期待している。
 
 
しかもこれらのベンチャー企業のHPなどによれば、新橋駅前の会社は年内には1日2万件の検査体制が構築出来、東京駅近くの会社の場合は今週末までには6千件の検査体制が組めるというのである。この2社の動きだけで26,000件は増加するわけである。
 
これらのベンチャー企業が順調に検査体制を整えて行けば、厚労省辺りが10ヶ月近く掛けて、たくさんの国家予算を投入してやっと到達した数に、追いつき追い越す日が遠からずやってくるのではないかと思う。
 
この事実から我々が学ぶ事は、既存の行政機構である官僚組織に対応を任せきる事の効率の悪さや、スピード感の無さの限界をしっかり確認して、元気のよい民間企業の力を借り、それをサポートする仕組みをどんどん構築して行けばよい、という事である。
 
いずれにせよ、首都圏以外の全国の主要都市の主要ターミナル等において、今回のような「駅前PCR検査センター」が、一日でも早く普及することを私は期待する。
 
 
 
更に「㈱新型コロナ検査センター」では個人はもとより、企業や自治体等に対しても要望や希望があれば大掛かりな検査でも受け入れ、それに対応する事は可能である、という事である。
 
従って問題意識の高い自治体のトップやリーダーは、緊急時にもかかわらず平時の対応しかできない厚労省等はサッサと見限って、これら元気なベンチャー系の検査機関の力を積極的に活用すればよいのである。
 
それ等の活用によって当該自治体で、素早く低予算でのPCR検査実施体制を構築して、感染者の拡大を未然に防ぐための努力をすべきである、と私はそう想っている。
 
報道等によると北九州市や世田谷区・墨田区などでは、すでにこのような体制が構築されており、実際にその体制が機能しており、一定の目に見える成果が出ている、という。
 
政府や自分の所属する自治体の長が、迅速で理にかなった対応を行わないレベルの人種であったとしたなら、私達は自分自身と大事な人たちを守るために、個人レベルでこれらのベンチャー企業のチャレンジを活用して行けばよいのである。
 
自分の身は自分で守るというスタンスは、常に考えておかなくてはならない、と私などは考えながら生きている。
 
 
 
              
               PCR検査センター、東京駅近く
 
 
 

 コロナ禍の「第二波」及び「第三波」(2020.11.07)

 
 
現在北海道では、連日100人前後の新規感染者が確認されているようである。
北海道の場合は、この1月下旬に武漢からの「雪まつり観光客」が持ち込んだ、新型コロナウィルスが波及し、浸透した結果2月下旬には鈴木知事から道民に対する「行動自粛」や「営業自粛」が要請され、全道の教育機関が休校することと成った。
すなわち行政による「第一波」への迅速で能動的な対応であった。
 
それから5・6月頃にいったん収束し、また7・8月頃に「第二波」と言ってもよい感染者の増加があった。
未だに政府や関係機関からそのような表明はなされていないが、政府が認めようが認めまいが感染者数の時系列グラフを見れば第二波は明らかで、この時期の感染者数は春先の「第一波」を上回っている。
 
この感染者増加の原因が政府主導の「GO TO TRAVEL キャンペーン」であることは間違いなく、旅行業界や観光業界・飲食業界といった経済面での救済策や事業継続化のための施策で始まった、のである。
もちろん国民の「自粛疲れ」への対策といった面もあっただろう。
しかしながらこのキャンペーンのタイミングが、7月下旬の連休を前に実施した事が良かったのかどうか、については大いに疑問ではあった。
 
 
そして今回の「第三波」である。
これもまた政府主導の「東京都民及び東京都への観光自粛の解禁」が、影響しているようである。1,300万人の購買力を期待したのであろう。
 
それはそうとして今回の札幌すすき野での、「接待を伴う飲食店」を中心にした複数のクラスターの発生は、ひょっとしたら5・6月頃の沖縄での感染者数増大と同じ構図なのかもしれない。
 
即ち「国民一人当たり給付金」や「事業の継続化給付金」を原資とした、歌舞伎町辺りの「接待を伴う飲食店」従業者の、集団観光旅行によって観光地沖縄にコロナウィルスが持ち込まれ、拡散して行ったという構図が、札幌でも再現されたのかもしれないのだ。
もちろんこの点についての客観的で科学的な検証は必要なので、現時点ではあくまでも推測に過ぎない。
 
 
 
                
 
 
いずれにしても「歌舞伎町」であれ「沖縄の繁華街」であれ、はたまた「すすき野」であれ、「接待を伴う飲食店」が感染者拡大の拠点に成っているのは間違いないのであるから、行政はそのターゲットに的に絞って「的確」で「科学的」な対策を取る事が求められるのである。
 
とりわけコロナ感染のクラスターと成ったことが判明した後も尚、営業を続けている「接待を伴う飲食店」の店名や経営者の氏名は公にすべきであろうと、私などは思っている。
 
さもなければ真面目に感染症対策を進めている、すすき野辺りの飲食店や観光業者にとって、存亡に関わる経営上の負担がのしかかることが予測されるから、である。
 
 
我々は過去の失敗から、多くのことを学ぶことが出来る。
直面した失敗を前にして、真剣にその原因を考え、的確で科学的な検証が行われていれば同じ過ちを繰り返す事も無くなるであろうし、それを未然に防ぐ事も出来るのである。
 
過去の過ちにおいて失敗した事を恥じるのではなく、同じ過ちを繰り返す事を恥じることが大切なのだ、と私はそう想っている。
 
「第四波」や「第五波」は、たぶんこれからも引き続き起こり得るであろう。
この問題はワクチンが開発されるまで止むことは出来ない。この点では時間を稼ぐしか手がないのである。
 
従ってそれまでの半年か一年の間を、どうやってシノイでいけるかが問題なのだと私はそう想っている。
そしてそれを可能にするのが行政の長の問題意識と手腕なのだと、私は思っている。
 
現在も尚感染者の数が連日万人単位で増え続けているアメリカ合衆国や、再びイングランドにロックダウンを発令したイギリスを見ながら、行政の長の問題意識や行動力が与える国民の命への影響の大きさを、改めて感じているところである。
 
 
 
 
 
 

 「コロナ禍」と「新しい働き方」の模索(2020.09.05)

 
 
今年もすでに9月に入ったというのに、まだまだ本州では残暑が続いているようで、更にまたこの時期恒例の台風が続々と到来して来ている。
しかも今年の颱風はHP値が相当低く、したがって強風の颱風であるようだ。海水温の高さにより大型化しているのだという。地球温暖化が原因と言われている。
 
暦の上では今はまさに「処暑」ということで、暑さは収まり次第に秋にと向かう時節なのだろうが、しばらくは残暑と颱風とに煩わされることになりそうだ。
 
さらに今年は「新型コロナウィルス」というパンデミックが加わり、いつもの年とは違う景色が私たちの日常生活を覆ってきている。
 
 
そんなコロナ禍の影響で、私達のこれまで当たり前であった「日常生活」が根本から見直され始めているようである。
 
政府が盛んに提唱している「新しい生活様式」もその一つである。英語では「ニューライフスタイル」ということになるが、コロナの感染や蔓延を防ぐために生活場面での「三密」を避けるのが目的で、唱えられ始めたスローガンである。
 
政府主導のスローガンであるが、これまでの「当たり前の日常生活」を一旦立ち止まって、考え直す機会を持つことは佳い事であると私は想う。
 
 
「コロナ禍」がきっかっけに成ったこのテーマは、従来の「経済不況」や「社会危機」とは明らかに異なる様相を見せているようだ。
 
私たちが長く親しんできた「ルーチン化した仕事の仕方」や「会社/組織への帰属意識」を、もう一度原点に立ち返って、考え直すことを促しているように私には想われる。
 
この問題はここ半年間ほど世界中の人々が迫られて来た、「自粛生活」によって否応なく突き付けられ、自問自答してきたテーマでもあった。
 
 
この「働き方改革」や「新しい生活様式」への転換の動きは、日本に住む私達だけの問題ではなく、多くの国においても投げかけられている問題であり、テーマとなっているようである。とりわけ先進国と言われる国々において顕著で、産業革命以降数百年続いてきた従来型の「当たり前な働き方」や「当たり前な企業と個人の関係」が問い直されているようである。
  
 
そしてその際のキーワードが「リモートライフ」や「間接的な働き方」といった、「IT技術」を駆使したライフスタイルで、新しい「仕事の仕方」や「会社との関わり方」であり「従来の雇用形態の見直し」なのではないか、と私は想っている。
 
 
 
                   
 
 
 
「新しい生活様式」や「リモートライフ」によって、大都市中心部に在る「会社」や「企業」との関わり方は、これまでのように「月~金」や「9~5時」である必要が、必ずしも無くなって来た、様である。
 
従来型の「直接会って行う働き方」に代わって、PCやモバイル端末を使った「間接的な関係や、働き方」が中心で、自宅などでの「作業」や「情報共有」「リモート会議」等が取って代わろうとしている。
 
 
そして次に問題になるのはこの新しい「仕事の仕方」や「生活様式」が、今回のコロナ禍の「一時的な期間限定の現象」に過ぎないのかどうか、という点である。
 
今世界中で競って開発中の「有効なワクチン」開発が進んで、簡便にワクチン摂取が出来るようになれば、今起きている新しい動きはたちどころに消えてしまう、「一過性」の現象に過ぎないのか、という疑問が生じてくる。
 
 
さはさりながら今回のコロナ禍の騒動によって、従来当たり前だった「働き方」や「仕事の仕方」が唯一の正解ではなく、「IT技術を駆使した」働き方や仕事の仕方を導入してみて、それで十分「企業や会社が回っていく」現実がある、ということに気が付き始めた経営者や社員は少なくないのではなかろうか・・。
 
その結果たとえワクチン接種が容易に行われる社会が到来しても、このIT技術を駆使した「新しい働き方のあり方」は、一定程度普及し定着していくのではないかと、そんな風に私などは想っている。
 
もちろん一気に主流になるとは考えていないが、全体の中の何割りかは「リモートライフ」に基づく「新しい働き方」を選択するようになるのではないかと、そう思っている。
 
そして今回のコロナ禍を通じて、このような考え方や働き方が世界の先進国で「共通の価値観や方法論」として市民権を得たことも、この新しい働き方が普及し浸透して行く事を後押しするような気がしているのである。
 
 
今回の「コロナ禍」をきっかけに始まった「リモートライフ」や「新しい生活様式」の挑戦は、そのような性格のものではないだろうかと、私は考えているところである。
 
 
 
 
 
 
 
 

 Withコロナ、あるいは感染症との共生(2020.07.07)

 
ここ1週間以上東京のコロナウィルス感染者の数が50人以上の状態が続いており、さらに5日ほどは優に100人を超えている。
ちょうど私が首都圏に来てからそのような状態が続いており、とても残念な事だと思っている。
 
実は今回のコロナ禍が始まってから、私なりに「コロナ」や「感染症」について専門書に目を通すなどして学習したことがあった。
その中でとても参考になったのは、長崎大学の感染症の専門医でもある山本太郎教授の著書であった。
 
その著書によると感染症というのは人類がかつてのサルの仲間であった時から、現在のホモサピエンスとしての生活行動をとるようになった時点で、宿命的に背負っている課題である、という事らしい。
 
具体的にはホモサピエンスが集団生活を開始し、それを可能にした小麦を初めとした栽培食物の摂取や、野生動物を飼育して家畜を飼うようになり、その肉を食べることになったことから感染症との付き合いが始まったのだ、というのである。
 
従来他の生物の体内にあったウイルスを、植物系食物や獣肉から取り入れ始めた事によって、人類の感染症は始まったのだという。
 
自然由来のものではなく自分たちで栽培したり飼育するようになった、いろんな食物を人類が食べるようになり、更に数万人が一緒に暮らすというライフスタイルをとるようになってから、常にウイルス感染問題はついて回るのである、という事らしい。
 
 
たとえそれがインフルエンザであろうがSARSだろうがコロナだろうが、本来は鶏や豚または牛といった動物たちと、それまで仲良く共存してきたウイルスが、人間がそれらの宿主を食することによって、体内に取り入れる事で感染症が発症するという事らしい。
 
それら家畜たちと共生していたウィルスが人類の肉体に入った時に起きる、ある種のハレーションや不適合が人体にとっての毒的作用を発症させ、人間の生命に悪影響を与えてしまう事態が、起きるのだという。
 
 
したがってこの種の不適合は、今回たまたま「新型コロナウィルス」が引き起こしている問題に過ぎない、という事になるらしい。
今後も人類が家畜などの肉や、時として野生動物の肉を摂取し続ける以上、コロナに限らず新たなウィルス感染症の発症を伴うことになり、それらを避けることは出来ないし、永遠に撲滅という事に成らないという事らしい。
 
であるが故に人類は永遠にウィルスや感染症と、共存する道を探るしかないのだという。
そしてウィルスとの共存を最もよい関係で図るためには、ウィルスに対して抗体を持つワクチンを開発するしかない、という事になるのだという。
 
もちろん今回の「新型コロナウィルス」においても、全ての人が陽性になるわけでもなく、重症化するわけではない事から、対処方法は当然変わってくる。
陽性者への初期段階での対処療法であれば、「アビガン」などの投与によるウィルスの無力化が有効であるし、より重症者への対処としては「レムデシベル」の投与といった事が効果ある、という事になるのだろう。
 
 
 
                         
 
 
 
因みに陽性になる確率は全体の約20%で、残りの80%の人は陰性のままでいられるのだという。そして致死率は全体の5%程度だという。
これは中国武漢でのDATAであるが、英国籍のクルーズ船「ダイヤモンド、プリンセス号」でも同様の比率であったというから、陽性率や致死率はほぼこの比率だと思って間違いないのかもしれない。
 
そして問題は、陽性者で無症状の人たちがウィルスの「運び屋」に成ってしまう点にあるのだという。とりわけ若くて体力があり健康な若者たちがウィルスの「運び屋」に成って、基礎疾患を持った人達や、高齢者といった体力が弱く持病を持った人達に伝染させてしまうことが、苦しみを与え重症化をもたらし、結果的に死に至らせてしまう様になるのだという。
 
 
一般的に人間を50年も60年もやっていると、身体のどこかがオカシクなる事は自然の摂理である。どんなに優良な機械だって50年も60年も持ちはしないのだ。
 
それが癌という形をとったり、糖尿病であったり呼吸器系の疾病であったり、心蔵病という形をとってくることになるのだ。
そしてまたごく自然な事に、体力は衰える一方である。
 
高齢者や基礎疾患を持っている人達がこの新種の「ウィルス」に対して、より良い対応や的確な反応が出来ないのは、これもまた無理のない事なのであろう、とメタボで高血圧気味の私は思っている。
 
そうであるとしたら、この「コロナウィルス」への対処法は、トランプやボルソナル、麻生太郎といった知性に欠ける政治家が言うように、「インフルエンザと同じだ」と野放しに放っておくのではなく、より多くの人に「抗体検査」や「抗原検査」を実施することが肝要となる。
これらの検査の実施によって、当人が「コロナウィルス」の陽性者なのか陰性者なのかを確認し、自覚させる事が大切になってくるのだ。
 
そのうえで、無症状の「陽性者」が基礎疾患や体力の衰えた高齢者に接する機会を減らす努力をする。
それでも尚どうしても接しなくてはならない場合は、マスクやフェイスガードを装着したり、常に消毒やうがいを心掛けた上で接するしか対応策はないのではないか、と私は思っている。
 
 
従ってコロナウィルスとの共存を図るためには、「抗原検査」だろうが「抗体検査」だろうが「PCR検査」だろうが「唾液検査」でも何でもよいから、より多くの国民に万遍無くそれらの検査を実施して、国民一人一人の感染状況を把握しておくことが大事だと、私はそう思っている。
 
そのために何百億円掛かろうが何千億円掛かろうが何兆円掛かろうが、それが一番手っ取り早いように私には思える。
 
この悉皆検査の一日も早い実施が、的の外れた愚策に数十兆円浪費する事よりもよっぽど効果があり、全国民がコロナ以前の「普通の生活に回帰」する事を結果的に早めるだろう、と私はそう思っているのである。
 
「Withコロナ」という事は、そう云う事ではないかと私は思っている。
 
 
 
             
 
 
 
 
 
 
 

 北海道とコロナウィルス3(2020.05.15)

 
 
一昨日、北海道の鈴木知事が「北海道内の自粛エリアの再構築」を宣言した。
その趣旨は北海道全道に出していた道民の生活行動や、道内事業者の自粛要請の対象エリアを「札幌市を含む石狩地区に限定する」といった内容のものである。
 
 
北海道はかなり広い。九州の面積の2倍近くはあり、関東の7県よりも2.6倍近くの面積を有している。さらに明治維新直後の北海道は11の国(=県)に分割されていた。
北海道の面積の広大さを考えればこちらのほうが妥当だったのである。
したがって、いつまでも全道を一括で処理しておくことのほうが、あまり合理的とは言えないのである。
 
 
実際のところ4月上旬にスタートした「コロナウィルス蔓延の第二波」は、主として札幌を含む石狩地区が中心であった。
 
因みにこのエリアに該当する市町村は
札幌市/千歳市/江別市/北広島市/恵庭市/石狩市/当別町/新篠津村
の8市町村である。
人口は約238万人で、北海道の全人口のほぼ45%に相当する。
 
言うまでもなく北海道の中心部で、政治/経済/社会の中心地であり「札幌市を中心とした生活圏」が形成されているエリアである。
 
 
第二波の中心地が石狩地区であったのには、それなりの理由がある。
①.4月前後の人事異動で首都圏や関西圏などの、当時のコロナウィルス蔓延地区からの人口の流入があった。
②第一波の終息に伴う気のゆるみで本州や欧米への旅行者が、欧米由来のウィルスを持ち込んだ。
③3月中旬の北海道の「緊急事態宣言解除」後にバーやライブハウスなどの3密に足を運んだ人達による感染。
 
といったような事が原因であると、北海道や札幌市は分析しているのであるが、それはやはり札幌や千歳(空港)が中心なのである。
 
 
この石狩地区以外では「札幌の生活圏」である小樽市や、院内感染が発生した「オホーツク海側」が比較的多かった。
そのほかには「釧路地区」で時折感染者の発生が確認できたが、それは散発的な発生であって、欧米からの帰国者や首都圏から実家に帰って来た人達がその中心であった。
 
したがってその他のエリアでは殆ど感染者は確認されることが無かったし、北海道地図で言えば札幌を中心とした北西エリアでの感染にとどまっていたのである。
 
 
 
 
                     
 
 
 
因みに我が道東十勝では、3人の感染者が報告されているがその内訳は「ハワイ旅行帰り」「札幌の病院に入院していた十勝出身者」と「普通の十勝居住者」ということで、十勝由来と考えられるのは三番目の70代の男性一人であった。
 
もちろんこれは陽性が確認された感染者の数であって、病には至らない陰性の感染者はもちろん居たであろうし、保健所の自主規制によるPCR検査数の少なさを勘案すると、実際の感染者の数はずっと多かったであろう。
実数としてはこの5倍(中国武漢の場合は、感染者の陽性率は20%であったという)や10倍は居ただろうと推測出来る。
 
 
いずれにせよこのような状況であるので、北海道の地理的環境を考慮すれば「札幌市中心の石狩地区」を除くエリアが、「自粛要請」の対象から外れる事はとても合理的なことなのである。
 
面積が北海道の約半分である九州で例えるならば、北部九州である「福岡県を中心とした生活圏」を除く南九州や中九州、さらには長崎県や宮崎県が自粛対象から外れたようなものなのである。
 
現在の北海道が置かれている状況は、以上のとおりである。
したがって北海道を一括にして論じるのは、ほとんど合理的ではない
 
ということで私は「コロナウイルス感染者の殆ど居ない十勝」から、ぼちぼち県をまたいだアクションを起こすべきかを、考え始めている次第である。
 
 
 
 
 
 

コロナ報道とジャーナリズム(2020.04.24)

 
 
我が家ではここ2か月ほどは19時の日本放送協会のニュースを見終わった後はBS放送のTBS「報道19.30」にチャンネルを合わすことが多くなっている。 
それが殆ど習慣のようになったのはもちろん「新型コロナウィルス」が蔓延し始めたからである。
 
この二か月間「感染症専門家の知見」や「今医療現場で起きている事」緊急事態宣言や営業自粛以降発生している「小規模事業者が陥っている現実」「失業や雇い止めで苦しんでいる人々の現実」といった報道をいくつか目にしてきた。
 
そして今回のコロナ対策の問題の本質が主として、「前例主義を変えようとしない無能な高級官僚」や「リーダーシップを発揮しない、または出来ない愚かな政治家」が原因であることが、かなり良く理解することが出来た。
 
おかげで二か月前からさんざん指摘されている提案や提言が、やっとユックリとであるが始まりだした。「保健所を通さないPCR検査の実施」「軽症者などの民間宿泊施設での隔離」などといったことである。
 
これは当該番組を始めとした、朝から晩まで流れる「ワイドショー」や「報道番組系ニュース」「中身を掘り下げるジャーナリズム系番組」などの成果だと私は思っている。
 
 
しかしここらでそろそろ「番組の質」を修正すべきではないかと、私は感じ始めている。
「ワイドショー的な番組」はひとまず棚上げしておいて、BSTBSなどの様な「中身を掘り下げるジャーナリズム系番組」や「報道番組系ニュース」には、そろそろ話題にするテーマを変えていただきたいと思い始めているのである。
 
 
 
               
 
 
 
例えば「報道19.30」などでいえば90分の番組構成なのであるが、90分間ずっと「無能な厚労省の不手際に関するレポート」や「政治家たちの言い訳や、それへの攻撃Show」を流し続けるのではなく、それらは冒頭の30分くらいに止めてほしいと思っている。
 
具体的には全体を3分割にして
①初めの30分は従来通りの路線で「今起きている現場の報道」
②次の30分は「感染症のスペシャリスト」や山中伸弥教授や本庶佑教授ら「傾聴に値する知性や知見からの提言/提案」を紹介する。
③残りの30分では、現在日本中や世界中で行われている「コロナ対策に向かう知恵や参考になりそうな事例の紹介」といった、視聴者の生活や具体的な行動に役立つ情報提供。
 
といった様にである。
もちろんこれは私の単なる思い付きやアイデアに過ぎないのであるが、要は「無能な官僚や厚労省」「リーダーシップを発揮できない愚かな政治家たち」の報道ばかり、90分間聞かされ続けても、うんざりなのである。
 
 
それよりも具体的で傾聴に値する「知見や知性に基づく提案や提言」や、知恵を出し合ってコロナ対策に向き合っている、全国/世界の人たちの「実行可能な具体的な事例」を紹介してもらったほうが、よっぽど役に立つのではないかと私は思っている。
 
それにどうやらコロナ対策は「短期決戦」ではなく「中・長期的な戦い」に成りそうである。
発行部数や視聴率を競う「マスコミ」には多くを期待しないが、問題の本質を追求し真実を明らかにすることに使命を持っているであろう「ジャーナリズム」には、私は期待しているのである。
 
 
2月27日に北海道では「緊急事態宣言」が出され、時を同じくして「全国一斉の小中高校の休校措置」がなされてから、2か月が経つのだ。
そろそろ報道内容の「質的な変換」が成されるべきではないのか、と私は期待して止まないのである。
 
さもないと私や家人が期待する「ジャーナリズム系報道番組」を視聴する回数が、たぶん減ってしまうことになるからである。
状況の変化、というか現在のコロナ対策が置かれている状況を的確に把握するとともに、報道機関として今何を成すべきかを、常に問い続けてほしいのである。
 
それが的確に行われないと当該番組も、「前例主義の無能な高級官僚や行政執行機関と同じ」だからである。ジャーナリズムには彼らと同じ過ちを繰り返してほしくない、と大いに期待している。
 
 
それにしても「古舘伊知郎の報道ステーション」や「田原総一郎のサンデープロジェクト」が懐かしく思えるのは何故なんだろうか・・。
 
テレ朝の報道番組がつまらなくなって、同局の視聴回数が減っているのはテレ朝の会長が安倍総理の「メシ友」であるからなのか・・。報道番組の命というのも短いものだ。
 
 
 
 
                
                   日本を代表する知性
 
 
 

 新型コロナウィルス対応知恵の蔵編―」スタート

 
 このたび「緊急事態宣言」が全国一斉に発令されたが、これまでの流れを一度確認してみたい。もちろんポイントだけである。
 
即ち4月7日に「緊急事態宣言」の第一弾とでもいうべきものが発令された時は、
「東京都」「神奈川県」「埼玉県」「千葉県」のいわゆる首都圏と共に、「大阪府」「兵庫県」の阪神地区と、九州の中心である「福岡県」の7都府県であった。
 
その後この対象から漏れて、かつ感染者の数が増え続けていた大都市「愛知県」「京都府」「北海道」と共にその近隣で感染者の増大が続いた「岐阜県」や「三重県」、さらには人口規模は少ないがクラスターが発生して、感染者が増え続けた「福井県」などからは、自ら「緊急事態宣言」に適用されることを希望し、主張し始めた。
 
即ち地方自治体からの政府へのプレッシャーや働きかけであり、腰の重い政府の対応に業を煮やして、知事自らが当該都道府県限定の「緊急事態宣言」を発するようになったのであった。
この動きが4月8日以降に始まり、今回の「全国一律への適用」まで続いたのであった。
これは見方によっては、ある種の「地方の反乱」であろう。
 
 
この動きはいったい何を意味しているかというと、現在の日本政府の国家運営の執行者=内閣及び官僚機構が、「新型ウィルスの蔓延」という緊急事態を的確に把握し、判断する能力さらにはそれへの対処能力を持っていない、と地方の首長達に認識されているという事なのであろう。
上からの「現在の内閣や官僚機構」の指令をのんびりと待っていられない、という切実な思いの意思表明であろう。
 
要するに地方の首長たちは、現在の日本国の執行部の状況判断が的確でもなく、適切でもないと判断し、政治的リーダーシップが発揮されていないと感じているという事なのであろう。すなわち地方の都道府県知事が異議を唱えている、ということである。
 
 
そしてこの事態の根本にあるものは、新型コロナウィルスによって「国民や県民の命や生活が危険にさらされている」といった危機感を、地方の知事達が抱いているのに対して、中央政府の執行部はそういった危機感を持っていない、という違いにあるのではないかと私は想っている。
 
自ら率先して「緊急事態宣言」を発した「北海道知事」や、厚労省主導の「ウイルス対策」を無視して県独自の対応を始めた「和歌山県知事」、早くから「緊急事態宣言」を発令しようとして、政府からブレーキを掛けられ続けた「東京都知事」たちの問題意識や危機意識
                        V S
466億円の費用をかけて、寸足らずで中途半端な「アベノマスク」を全世帯に2枚ずつ配ることや、星野源の動画を断り無しに使って「家で犬と寛ぐ動画の配信」を始めた官邸の主とその取り巻き達との危機意識の違いであろう。
 
国民への「お花見」自粛や、東京などの感染地域から地方への不要不急な、「出張や旅行」の自粛要請を国民には要請しながら、遵守せずウイルスを拡散してるかもしれないノー天気な夫人を、放置している首相との問題意識の違いなのであろう。
 
 
 
 
 
                    
 
 
さてそういうことで、現在の中央政府の執行部が頼りにならないことを前提にして、私たちは迫りくる危機を現実の問題として受け止めていかねばならない。
 
その上でいつまでも彼らに振り回せられるわけにはいかないのである。
自らのそして大切な家族や友人たちの命や生活を守るために、自分達で出来ることをやり続けることが私たち自身にも、求められるであろう。
 
そこで私はこのコラムにおいて、これまで私が見聞きした「新型コロナウィルス」対応の「ためになりそうな情報」や「参考となりそうな事例」を積極的に取り上げていこうと思っている。
基本スタンスは「TV」や「ネット経由のニュース」「新聞」などで知り得た情報や事例を紹介することになるものと思われる。
 
その取捨選択を私自身が行う予定なので、私の価値観や優先順位付けが色濃く反映されるため、独断と偏見に満ちたものに成ることを、予め断っておく。
 
 
具体的には、このコラムの中で「新型コロナウィルス対策―知恵の蔵編―」とでも名打って、取り上げていきたいと思う。
このコラムにおいて「知恵の蔵編」と記しているテーマは、それらの情報や事例だと思ってご覧いただきたい。
 
 
 
さてその第一弾は「函館市の臨時職員採用制度の情報である。
 
現在函館市では、今回のコロナ騒動で営業自粛を強いられた企業や会社・店舗の従業員などで、失業した人達の救済策の一環として、来年三月までの期間限定で臨時職員を100名ほど採用するという意思決定をした。4月16日のことである。
 
詳細は函館市のHPなどで確認していただきたいが、これは「就職氷河期の不安定労働者の救済策」の応用編なのではないかと、私は感じている。
 
 
函館は言うまでもなく北海道を代表する観光都市で、現在の観光自粛/観光業不況の波をもろに被っている街である。
従ってホテル/温泉旅館や土産物販売・飲食業といった会社や店舗に従事する人達で、失業の憂き目にあってられる方がたくさんいるだろうと思う。
その方々に対する救済策の一つである。
 
その採用人数は失業者全員を救済することには成らないかもしれないが、観光地の行政執行者として「今自分達が出来る事」をやっているのである。
そしてその姿勢は的確で、適切な地方行政の施策ではないかと私は思っている。
この制度をいち早く取り入れた、函館の首長は称賛に値すると私は感じている。
 
 
 
                 
               
               https://www.city.hakodate.hokkaido.jp/
 
 
更にはこの事例を参考にして、函館に限らず全国の「観光産業依存度が高い市町村の行政機関」が動いたら、それなりの人数の雇用を生み出すことになるのではないかと、私は想っている。
全国規模で実行されたら、ひょっとして数万人規模の失業対策になるかもしれないのである。家族を含めれば更に2・3倍の人間の生活に影響を及ぼすことになるであろう。
 
観光業が地元経済の主要産業である自治体は、この函館の事例を参考にするのも、ありなのではないだろうか・・。
 
 
今後しばらく、このような「情報」や「事例」を「―知恵の蔵編―」の中で、私は取り上げていきたいと思っている。
関心のある方は引き続き、ご覧いただけたら幸いである。
 
 
 
 
 
 

 コロナウィルスと為政者(2020.0412) 

 
 
しばらく北海道のコロナウィルスが沈静化していたのであったが、ここ数日また感染者が増え始めている。それまでは一桁台であったり、感染者0が何日か続いていたのであるが、8日ごろから連日二ケタ台に増加してきている。
具体的には
 ・4月8日(水)10人
 ・ 9日(木)18人
 ・10日(金)13人
 ・11日(土)15人
といったようにである。
どうやら、第二波が起こっているようである。気が抜けない。
 
今から100年ほど前のスペイン風邪の時もそうであったが、いったん収束したかに見えた感染症の流行は二度目の波を発生させたようである。
 
今回のコロナウィルスもまた同様の傾向をとることになるようだ。
因みに100年前のスペイン風邪の時に、アメリカの各州政府は幾つかの異なる対応をしたようである。
 
即ち「A:積極的に予防策をとらない州」「B:いったん収束の気配を見せた時に、安心して早めに封鎖を解除した州」「C:第二の波の起こるのを心配して封鎖期間を長く取った州」といったパターンに分かれたという。
 
その結果はどうだったかというと、最も早く終息したのは「C」の州であり、「B」が続き、最も収束時間が長く掛かったのは「A」の州であった、という。
冷静にかつ慎重に対応した州は、結果的に長い目で見れば早めに元のように社会も、そして経済も回復することが出来た、というわけである。
 
この時の対応事例は今回のコロナウィルス感染においても、同様の結果を引き起こすのではないかと、思われる。そして今回の北海道の第二波の到来は、それを示唆しているのではないだろうか、と私は感じている。
 
因みにアメリカの花札大統領はこの歴史的教訓からは何も学んでいなかったようである。
彼は数週間前までは「アメリカは上手くいってる」と主張し「A」のスタンスであった。
 
それからニューヨークから全米に感染が拡大したここ1・2週間の間に「B」のようなスタンスを取り始めて今に至っている。
即ち「ウィルス感染はピークを越え、感染が終息に向かいつつあるので、月内には封鎖以前の経済活動が可能になるだろう・・」といった願望を抱いているようである。
 
「小学校高学年のような頭脳・・」と言ってトランプ政権を去った国防長官がいたが、そのようなリーダーを選出したのはアメリカ国民であり、今なおアメリカには40%台の花札大統領の岩盤支持層がいるという。
したがってこれはアメリカの問題であり、対岸の火事なのである。
 
 
さて翻ってわが日本はどうであろうか。
「2月に行った学校閉鎖」はある程度の効果を発揮したが、お花見の季節の三連休に気が緩んだ結果なのか、4月に入ってから感染者が全国で著しく増えて来ている。
 
「アンダーコントロールにおいてない、お花見大好きなノー天気な首相夫人」や「466億円の費用をかけて、国民一人当たり2枚ずつマスクを配る、ことを提言した首相補佐官」「人命よりも財政バランスを優先する財務官僚」こういった側近たちに囲まれたわが国の最高意思決定者は、いったい13,000万人の国民をどこに持って行ってくれるのだろうか・・。
 
 
                 
                                                   漫画家浦沢直樹氏のイラスト 
 
 
 
そのような中央政府の緩やかで、的の外れた対応に業を煮やしたのか、地方の知事たちが続々と自分の都道府県民の命を守るために、声を上げ始めている。
もちろんみんなが同じレベルではない、スペイン風邪の時のアメリカ同様に「A」「B」「C」と、対応は様々である。
しかし問題意識の強い知事は、はっきりと自己主張をするように成って来ている。
 
 
そしてわが北海道である。
2月27日に全国に先駆けて「緊急事態宣言」を発令した北海道知事は、現在札幌やそのベッドタウン都市で発生している、幾つかのクラスタ―の存在を目の前にして、第二の波にどのように対処するのか、対応が迫られているように私は思っている。
 
鈴木知事の選択は、果たして「C」なのか「B」なのか、それとも「A」なのか、私は彼の次の一手を注視している。
報道では今日の午後、札幌市の秋元市長と鈴木知事がコロナ対策での会談を持つという。
 
つい二週間前までの彼への私の評価は「状況判断は的確」ではないか、「行動力やリーダーシップ」はそれなりにある。と私はポジティブに評価していたのであるが・・。
今日の夕方になされる記者会見が待ち遠しいのである。
 
 
 
    
 
 

 北海道とコロナウィルス2(2020.04.01)

 
 
北海道のコロナウィルスに関しては、どうやら沈静化していると言っても良さそうである。
昨日の3月31日時点で177人の陽性反応者がいたのであるが、ここ数日は他県民や海外旅行者/帰国者にとどまっており、道内由来の感染者が出ていないのである。
この状況が今後も継続することを、私は期待している。
 
この現況は去る2月27日に鈴木知事が「緊急事態宣言」を発した効果が現れてきた、といっても良いのではないか。
因みにこの間の推移を確認すると以下のとおりである。
 
・1月28日(火):中国武漢の旅行者にコロナウィルス感染(第1号)が確認される。
・2月27日(木):鈴木北海道知事より「緊急事態宣言」が発せられる。
         それまでの累計が39人で、2/27一日で15人の発症が確認された。
         3月19日(木)迄の3週間が、対象期間として設定された。
・3月19日(木):この間の3週間(2/28~3/19)で117人の感染者が確認された。
         第1週目(2/24~3/1)は46人、
         第2週目(3/2~3/8)は29人、
         第3週目(3/9~3/15)は47人、
         第4週目(3/16~3/22)は14人と推移
         北海道内での爆発的な感染は起こらなかった。
         上記結果を踏まえ知事は「緊急事態宣言」の終了を宣言した。
・3月31日(火);宣言終了翌日よりの感染者数は20人(12日間)
         この間の発症者の多くは
        「これまでの感染者の、濃厚接触者=家族・医療従事者等」
        「道外からの国内外の旅行者や帰国者」であった。 
・4月1日(水):道立の図書館や文化施設等が一般に開放され利用開始が発令された。
         学校等の新学期は通常通り始業される予定。
 
上記の通り、北海道の「緊急事態宣言」は結果的に効果を発揮していると云えそうである。
これは言うまでもなく知事の当該感染病への問題意識や、スピード感ある判断=意思決定の結果だと、評価することが出来る。
と同時に知事の的確な情勢分析に基づく、リーダーシップが有効に機能したことを意味している。
 
 
 
                 
 
 
今回のコロナウィルスの問題は結果的に、自治体や国家の首長のリーダーシップや情勢判断の的確さなどの、能力の有無を焙り出しているように私には想える。
 
私の独断と偏見に依れば、北海道知事の他には和歌山県の知事や、大阪府・愛媛県・沖縄県の知事などが比較的的確な状況判断をし、道府県民に対して的確な情報発信をしているように想える。
 
それに引き換え、役人たちが用意した原稿を棒読みにしたり、自分の言葉で語ろうとしない首長は、能力にやはり問題があるようだ。
そのような首長の下で暮らす人々は不幸である。しかしそのような首長を選んできたのは、他でもない当該都道府県民なのであるから、まぁ巡り巡っての災難なのであろう。因果応報ともいうけど・・。
 
 
しかしこれから東京をはじめとした首都圏はしばらく気の抜けないシビアな状況が続くことになるだろう。
小池都知事は3月23日に「外出自粛等」を要請し、それ以降具体的なクラスターなどにも言及し始めている。予定では4月12日までの3週間を一区切りにしているようだ。
 
卒業旅行で欧米に行って帰って来た学生達の感染報告が明らかになっていたり、夜行性の人たち御用達のクラブ/バー/カラオケ/キャバクラなども新たなクラスターとして確認されているようだ。
外出自粛要請が出されても尚、夜の街を徘徊している人達がいる以上、しばらくこの勢いは収まらないだろう、と私は感じている。首都圏のこの状況は、GW一杯まで架かるかもしれない・・。
 
 
 
 
                  
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 観光地とコロナウィルス (2020.03.20)

 
 
つい二日ほど前の3月18日の21時に、北海道の鈴木知事が3週間程前に発令した「緊急事態宣言」の収束を宣言した。
 
これは当初恐れていた「道内での爆発的な感染」が、どうやら起こる心配が無くなってきた、という見立てに基づた政治判断であるようだ。
 
「緊急事態宣言」は日本の自治体の中では初めて発令された、鈴木知事のリーダーシップによって出された宣言であった。
結果的にはこの判断は正しかったようで、現在イタリア北部で起きているような地域限定的なパンダミック=爆発的な感染に、北海道が陥っていないで済んでいる。
 
 
現時点で北海道全域では158人のコロナウィルス感染者が確認されており、相変わらず日本で最も多い感染者数であるが、ここ1週間ほどの傾向としては新たな感染者は主に「札幌市」や「旭川」「北見」といった、北海道の西部や北部/オホーツク海側が中心である。
 
大きな分布状況としては「札幌市」が全体の半分程度、「旭川市」「北見市」などがそれぞれ20人程度、ほかに「函館エリア」「釧路エリア」が10人前後といったとこで、その他の地域は数人ずつ、といったところである。
 
そしてこの分布状況が、ほぼ「冬の観光スポット」が中心になっている事に気づかされる。
則ち「さっぽろ雪まつり」「旭山動物園」「流氷観光」「夜景のきれいな函館」「魚介類を楽しめる釧路」といった類の観光スポットのある地域であり、春節の休暇に中国をはじめとしたインバウンド観光客が、大挙して立ち寄る観光コースなのである。
感染者数と「冬の観光スポット」との因果関係がはっきりしている。
 
 
 
                  
 
 
このような状況下において私の住む「十勝エリア」は幸いなことに、感染者は保育園児1人で済んでいる。それも2月27日に発生しただけで、以来3週間以上は経過していることから、現時点では十勝エリアは「大きな感染地」には至っていない。
 
そしてこの原因はやはり「冬の観光スポット」の問題だと、私は想っている。
 
幸か不幸か十勝には「冬の観光スポット」が殆ど無いのである。
広大な十勝平野は春から秋にかけては、豊かな自然が在り観光客もたくさん訪れるのであるが、冬場は殆ど観光客は来ない。とりわけインバウンド客は見られない。彼らを魅了してやまない様な観光スポットが無いのである。
 
その結果コロナウィルスの感染者が、殆ど確認されないのである。
 
もちろん現在がそうであるからといって、今後もそうであり続ける保証は何もない。
十勝の住人としてはこの事実はありがたいことであるが、やはり今回の新型コロナウィルスの問題は、「冬の観光地北海道」にとっては今後も十分起こり得る問題である、という認識は必要であろう。
 
とりわけ「豊かな農林水産資源」と共に「国内外の観光客」が、今後も北海道経済の主軸であり続けるとすれば、「観光客由来の感染病リスクへの対応」に向けて、その仕組みやインフラをどれだけ整え/備えておけるかどうかが、重要な課題に成っていくであろう。
 
具体的には、「しっかりした検疫体制の確立」「感染者の隔離/分離体制の構築」更には「専門医師/看護の人的態勢」「医薬品/備品の十分な備蓄」などといった様な、準備体制の構築であり、システムづくりが求められるであろう。
と同時にそれらコストを回収する「道独自の税収システム」の構築も検討が必要となる。
継続的な対策/施策には、継続的な財政的裏付けが求められるから、である。
 
 
「観光北海道」が、経済や就業環境にとって外せないテーマであるならば、首長や行政マンはこの課題に対して腰を据えた対応が必要になってくるのは言うまでもない。
今回のような対症療法的な対応にとどまるのではなく、明確なビジョンに基づく「感染病リスクへの対応システム構築」が必要に成ってくるのである。
 
今後も国内外の観光客がもたらすかもしれない、未経験のウィルス等による感染症が発症した時の対応システムを、事前にしっかり準備し構築しておくことが出来れば、早い段階で封じ込めることが出来るかもしれないのである。
 
この「感染症リスクへのインフラ整備」が整っている「観光地、北海道」であれば、国内外の観光客も安心して北海道を観光することが出来るだろうし、受け入れる側の観光業界従事者や住民である道民も、安心していられるであろう。
 
 
今後も「観光事業」が北海道の経済/社会の柱であり続けたいのであれば、政治家も経済人もこのような事前の準備を行う必要があり、そのためのシステムを構築しなくてはならないのである。
そしてそれはまた同時に「人間(じんかん)万事、塞翁が馬」でもあるだろう。不幸な出来事は同時に、新たな幸せの原因になるかもしれないのである。
もちろんそれは対応の如何によっては、である。知恵を出し続けることで初めて、課題への対応が可能になるのだ。
 
今回の「新型コロナウィルス、パニック」から我々が学ぶ点があるとすれば、そう云った事ではないのだろうかと、北海道民である私は感じているのである。
 
 
 
 
 
 

平常時と緊急時(2020.03.01) 

 
現在北海道では昨日の鈴木知事の「緊急事態宣言」が発令された事により、新型コロナウィルスの脅威に対して、北海道全域で臨戦態勢に入ったという事ができる。
 
この宣言の発令は、陽性反応者の数が70人に達し未だ終息に至ってないことや、「さっぽろ雪まつり」や「北見市の展示会」など、人が集まる場所で集団感染した人たちが感染源と成って、新たな場所で拡散させている事が判明したからなのである。
その感染者達が新たな「クラスター」において、拡散させている現実を食い止める事への注意喚起や、その危機が差し迫っている事への道民及び国民の共通意識を醸成する事が、目的の発令なのだと思われる。
 
 
その北海道とは別に、大阪のライブハウスが新たなクラスターとなり、現時点でも来館者3名とその家族2名の計5人に陽性反応者が拡大しているようだ。
ライブハウスという密閉空間で、3・4時間一緒にその空間を共有した結果なのであった。といった報道が入ってきた日であったのにも拘らず、東京では「東京事変」なる音楽ユニットがライブイベントを強行したらしい。
このライブイベント開催の意思決定を行った主催者及び当該音楽ユニットは、きっちり責任を取ってもらうことに成るであろう。愚かなことである。
 
 
また「ダイヤモンドプリンセス乗船者」で、一時期陰性と判断された人たちが下船してから陽性に転化している事例が50人ほど既に出ている。宇都宮・仙台・静岡などの事例がそうである。
彼らがそのまま公共交通機関を利用して帰宅などの移動する事を許した、厚労省の意思決定者にも、同様の責任を負ってもらわなければならない。
 
何故ならばクルーズ船を下船させた時点で、陰性だからと言って罹病してないとは言えない事は、早期にチャーター機で帰国したアメリカやオーストラリアで発症していた情報から、当然予測できた事だからである。
 
すなわち一時的に陰性だからといって、それ自体は感染していないことを保証するわけではないことが、その時点ですでに予測できたはずだ。
取るべき行動は下船者をまとめて隔離して、2週間以上経過観察すべきであったのである。現にアメリカやオーストラリアなどはそのように慎重に対処していた。
 
上記の意思決定にかかわった「専門家会議」なる組織や集団に問題があったのか、それを執行する厚労省の上級官僚たちの知識や知見の低さが原因であるとすれば、当然彼らにもその責を負ってもらうことに成る。
 
更に起こった厚労省の対応のまずさは、くだんのクルーズ船から下船した厚労省の職員に限り、ウイルス罹病の検査を実施しなかったというお粗末な行為にも見ることができる。
 
この愚かな行為によって、役所に戻った厚労省のウィルス陽性のスタッフが媒介者として、役所や自宅はもちろんのこと、通勤時に使用される公共交通機関を通して菌が拡散していく事を、私は懸念している。
 
 
 
                  
 
 
 
また今朝のサンデーモーニングに出演していた感染症の専門家が指摘していたように、日本全国に新型コロナウィルスが拡散・蔓延している現在のフェーズにあっては、平常時の「専門家会議のメンバー構成」では、十分対応できなくなっているから、緊急時にふさわしいメンバー構成に態勢を変更する必要があるのではないか、という課題がある。
 
現行の国立感染症研究所を中心とした「研究機関による対応」という平時の態勢から、「疾病対策機関による対応」という緊急時の態勢に替えるべきではないか、というのである。
 
感染が疑われる肺炎や高熱に罹っている患者が、保健所に見てもらえないままで実質的に放置されているという事態が全国で起きているらしい。そしてその主たる原因が「研究機関主導の対応」という現在の態勢に行きつく、というのだ。
 
一日に4000人分の感染症を検査するキャパシティを持ちながら、それが今現在機能しておらず、1/4以下の900人強の検査しか実施されていない、という。
 
緊急時には緊急時の対応が必要であるし、そのための態勢を整えスキームを替えていかなければ成らない。
 
「緊急事態宣言」や「イベントや催事の自粛」「小・中・高校の1か月以上の閉鎖」といった施策と同様に、機能不全に陥っている厚労省の態勢立て直しも重要な解決すべき課題と成っている。
 
平時の時のように「ガイドブックに沿って対応しています・・」と言って、目の前に起きている問題に対処しようとしない「優秀な上級官僚」から権限を奪い取って、緊急課題への対処のために、従来のマニュアルやガイドブックに囚われない行動をとる事のできる有能な人たちに、首を取り換えるべきであろうと、想う。
 
そうでもしない限り、パンデミックに成りかねない新型コロナウィルスの拡散を封じ込める事は、出来ないのではないか・・、と私は想っているのである。
 
 
TVなどのブラウン管経由の報道を見ていて、高血圧気味の私は毎日のようにそんな風に憤っているのである。
現在のトラブルの少なからぬ原因は、政治家と官僚の対応のまずさや現行の対応スキームに起因している、と私は想っている。
 
 
 
 

 北海道とコロナウィルス(2020.02.27)

 
今朝の時点で、北海道の新型コロナウィルス感染者の数は39人となっているようだ。
これは全国で一番多く、人口が2.5倍近くある東京の35人よりも多い。
北海道でも道央や道南を中心に感染者が広がっているが、幸いなことに十勝エリアでは現時点では感染者がいない。
これはあくまでも現時点では、という事でこれから感染者が出てこないとも限らない。
 
 
今回の北海道の感染者が最も多いの原因として考えられるのは一つには「さっぽろ雪まつり」であるようだ。
 
「雪まつり」来場者がらみの感染者が、早い段階で現れたからである。
中国武漢からの観光客が第1号で、「雪まつり」の運営スタッフのメンバー2人も確認できた。更に千歳空港の検疫官の感染は武漢などの観光客との接触が原因なのではないかと思われる。
 
そのほか熊本や千葉の感染者もまた、「雪まつり」に観光で来ていたそうだ。
他の感染者も「さっぽろ雪まつり」への来場があったのかどうか、その行動経路の確認が当然必要であろう。感染者の出た「江別市」「苫小牧市」は札幌の生活圏といってもよい地域である。
 
 
 
                    
 
 
 
 
そして次に考えられるのが、北海道の住居や生活空間の「気密性の高さ」である。
北海道は言うまでもなく土地が広く、空気もきれいで人口密度は多分全国の都道府県で一番少ない場所である。
 
従って通常の事を考えれば、最も感染症のリスクの少ないはずの地域である。
しかしそれは冬を除いた場合、なのである。
 
北海道の冬が厳しいのは言うまでもないのであるが、数十年前はいざ知らず現在の北海道の住居環境や生活環境は、おおむね快適なのである。もちろんそれは室内にいた場合は、なのであるが・・。
そしてその快適さを保証しているのが「生活空間の気密性の高さ」なのである。
 
近年の北海道の住居や生活空間は概ね二重窓やそれ以上の多重窓で造られていて、外界とを仕切られている。その故に気密性が保たれ、外界がマイナス二桁の気温であっても、快適な日常生活を送ることが可能に成っているのである。
殆どの家庭やビルに見られる「玄関の風除室」の存在も同様である。
 
 
そして今回のコロナウィルスの拡散は、このような北海道の冬の生活空間の特殊性がもたらした事態だと私は推測している。
その気密性の高い生活空間は、「住宅」はもちろんの事「雪まつりの事務室」や「飲み屋」「病院」でもまた然り、なのである。
 
冬の北海道の生活空間は、その気密性の高さの故に「クルーズ船の船内」と同様で「細菌やウィルスの培養最適空間」なのである。空気の入れ替えや、窓の開閉を意識的に行わないと密室状態が続くのである。
そして残念なことに北海道民は、マイナス気温が当たり前の外気を積極的に入れようとする生活習慣が乏しいのである。
 
このような生活環境の特殊性が今回の拡散をもたらしているのではないかと、私は推測している。そしてそのような仮説のもとに立つならば、今回のコロナウィルス騒動が終息したとしても、冬の北海道においては感染症が伝播し、拡散リスクが今後も起こり得る環境であるという事であろう。
 
 
従って、発生源が中国であれベトナムであれ、はたまた中東・アフリカであっても、世界で新型ウィルスやインフルエンザなどの感染症が流行した時には、北海道で行われる観光客を積極的に呼び込み、濃厚接触する可能性のある大規模イベントを避ける必要があるのだ。
 
そして気密性の高い生活環境を、運営面で調整していく必要が出てくるのである。
すなわち外気との換気を、意識的に行う生活習慣をつける必要があるのである。
これらの意識を持ち、対応を自ら能動的に行わないと、今後も同じことが繰り返されるであろう。何故ならば生活環境がもたらす構造的な現象だから、である。
 
 
という事で私は,今日から意識的に窓を開け閉めすることにしたばかりである。
そして遅きに失していないことを八百万の神々に願っている。とりわけ感染症に有効な祇園神社の祭神でもある「蘇民将来」に・・。
 
 
 
 
 

 新型コロナウイルス(2020.02.20)

 
 
昨年の12月頃からネット上では話題になり始めていた「新型コロナウィルス」が、今の中国そして日本においても大きな社会問題となっている。
 
中国の場合は言うまでもなくその新型ウィルスの発生地であった事と、政治日程を意識した湖北省の共産党指導部の隠蔽対応によって、武漢を中心とした湖北省とその周辺省とが犠牲に成った、といった政治的な理由が重なって、感染が拡大してしまったようだ。
 
今回の感染症の爆発的な拡大は、全体主義国中国の一党独裁と中央集権体制の政治的あるいはガバナンス(統治)機構システムの、必然性によってもたらされている面がある、と私は見ている。
 
従ってこの種の混乱は、現在の政治体制や統治システムが続く限り、今後も形を変えて現れ続けるものと思われる。たとえ「新型コロナウィルス」の封じ込めが終焉をしたとしてもである。
そしてその影響は終身主席という、身分制社会のような権力を握った「習近平体制」をも崩壊させかねないようである。インターネットやSNSを通じてそのような動きや世論が沸き起こっていることが、ネット情報から漏れ伝わってきている。
 
いずれにせよこの中国国内の政治体制や統治システムの問題は、我々外国人にとっては直接的には関係なく、かの国の国民たちが自ら解決せざるを得ない問題なのである。
 
 
 
                     
 
 
と、このようにのんびりと構えていられたのは、今月上旬の「ダイヤモンドプリンセス号」の問題が顕在化するまでの事であった。
 
たった一人の香港人の新型コロナウィルス感染者の搭乗によって、4,000人弱の乗員と乗客とが、巨大なホテルと見まごうクルーズ船という密室環境で、14日間以上監禁状態に置かれる、という状態が続いたのであった。
 
本来ならばウイルスの潜伏期間である14日を過ぎれば、非感染者は何の問題もなく下船することが出来、感染者や病原体はクルーズ船の内部に封じ込められるはずであった。
しかしながら実際にはそうは成っていないのである。
 
各人が自室に閉じこもって、息をひそめていれば感染は広がることはなく、14日を過ぎれば収束するはずであったが現実には、日を追うごとに感染者の数は膨れていった。
 
しかも日を追うごとに増加した感染者の多くは、乗客ではなく乗員という事のようだ。
要するにクルーズ船の運営スタッフを中心にして百人規模で、感染者が増加している、という事のようである。いったい何が起こっていたのか、大いに気になるところであった。
 
さらに驚いたことに本来クルーズ船とは全く関係のない、厚労省や内閣府のスタッフといった封じ込めのために派遣されたはずの、「政府の専門家チーム」のスタッフが感染し始めているという。その彼らがクルーズ船に乗り込んだのは、封じ込めが始まって4・5日経過してからの事である。
 
「ミイラとりがミイラに成った」といったようなことらしい。お粗末な話である。
 
 
しかもそれら専門家スタッフの感染者の何人かは、十分な感染予防の防護服等を装備していなかったという。いったいどんなつもりで彼らは密室のクルーズ船に乗り込んだのだろうか?
 
彼ら自身がまともな感染症に関する知識や知見を持った人たちとは、私にはとても思えなかったのである。そして同時に、それを許容した「政府の専門家チーム」の組織への疑念が、私の脳裏に浮かんできた。2・3日前の事だったと思う。
 
そしてその懸念や疑念はさらに深まった。今日2月20日にはさらに政府から派遣されたスタッフ2名の感染が明らかになった、というニュースが入ってきたのである。いったい彼らは何をやっているんだ、とあきれてしまったのである。
 
 
 
               
 
 
 
 
ところがその理由が判明した。
二日ほど前にクルーズ船での疾病対応に入った神戸大学医学部の教授が、クルーズ船の中から送った動画で、広く知ることとなったのである。
 
その医学部の教授は「クルーズ船の内部が、感染防止のための物理的な障壁や隔離策が全くとられていなかった」といったようなことを知り、「愕然とし自らの命の危険性を感じ、怖かった」というのである。
 
要するに彼が乗り込んで目にしたそのクルーズ船の中は、密室の「新型コロナウイルスの巨大な培養器」状態になっていたという事であろう。
あり得ない話である。
 
私が見聞きしている感染症予防の病院などで行われているはずの、「感染者と非感染者とは分離する、または隔離する」といった物理的な対応や措置は、クルーズ船の中では明確に取られていなかったのである。
クルーズ船は「感染を封じ込める措置」とは明らかに異なる、物理的環境だったのである。
 
この事実を知って「クルーズの運営会社のスタッフの感染者が毎日100人単位で増加した」ことも「後から投入された政府のスタッフが感染した」謎も得心がいったのである。
 
 
くだんの神戸大学医学部の教授は、今日に成ってこの動画を削除したという。
その動画削減行為にはもっともらしい理由をつけられていたが、彼は国立大学の医学部の教授なのである。
 
私は彼の最初の行動とその勇気には拍手を送ったのであるが、しょせんは彼も公務員の一人だったのである。
文科省だか内閣府だか公私混同が大好きな首相補佐官だか知らないが、その手の政治的な圧力が彼又はその周辺に及んだのであろう。
 
宮仕えの故かもしれないが、そのような圧力に屈しないでいて欲しかったと、個人的には想っている。最後まできっちりスジを通してほしかった。残念である。
 
多くの日本国民や海外のメディアは彼の行動をしっかりと注視しているのである。彼がきっちりスジの通った行動をとっていれば、彼が決して孤立することは無かったであろう。彼の放った動画は、世界中を駆け巡っているのである。
 
仮に捨てる神があったとしても、拾ってくれる神も世の中にはいるのである。最後まで勇気ある行動をとり続けて欲しかった・・。
 
 
それはさておき、このクルーズ船内部の実情を判り易く知らせてくれた、神戸大学医学部教授の勇気ある行動によって、我々は多くの事を知ることが出来た。
 
それと同時に「厚労省の専門家チーム」や「内閣府のプロジェクトチーム」の対応のお粗末さと、こんなレベルの人間たちが発信する情報は、常に眉に唾をつけながら聞き、理解しなければならない、という事に改めて気づかされるのである。
国会で追及の甘い政治家たちに接する方法で、数百万、数千万の人々をだまし続けることは出来ないのである。
 
それにしても不祥事続きの厚労省は、今回の対応でますます権威や信用を失っていることに彼らは気が付いていないのであろうか・・。
出世ばかり気にして上の顔色ばかり窺っている「ヒラメ型の官僚」ばかりなのであろうか・・。情けない話だ。
 
 
今回の「新型コロナウィルス問題」は、改めて自分の身は自分で守らなくてはならない事に、気づかされた私である・・。政治や行政、そして官僚たちに自分の命を預けることは出来ないのである。
自分の命は自分で守る、将に「天上天下唯我独護自」なのである。
 
しかしこの「新型ウィルス狂騒曲」はまだまだ収束には向かわないであろう。
クルーズ船内部で起きていた事実は日を追って明らかになるであろうし、ジャーナリストはそのことをしっかりと検証し続けなくてはならない。
 
更に地方自治体レベルの感染症への対応や情報発信能力にも、ばらつきが顕著である。それらについても検証が必要になるであろう。
厚労省の顔色ばかり窺って、道民への情報開示が進まなかった、わが北海道の地方官僚たちへの検証ももちろんである。
 
この問題はしばらく続くことに成るであろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



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